Devil May Cry

昨日と同じ今日。今日と同じ明日。
世界は繰り返し時を刻み、変わらないように見えた。
──だが、世界は既に変貌していた。

激動の半年が今、幕を閉じようとしている。
思えば、春先に居候が一人の新人オーヴァードを助けた時から歯車は動き出していた。
ジャームに襲われて日常を失った青年はその時から運命を捻じ曲げられただけに終わらず、謎の人物から命を──正確には右腕を狙われている。
そして青年を狙う謎の人物と関わっている仮面の女は、熟練のオーヴァードを死地に追いやった血の雨事件に関係していることも仄めかしていた。
仮面の女の背後にいる人物の目的は何か? 闇に包まれた目的は青年だけでなく、もっと昔からたくさんの人々に矛を突き立てていた。

ダブルクロス──それは裏切りを意味する言葉。

 

Opening 01 Scene Player ──── ネロ

お前の命を狙っていると、全く知らない人物たちから宣言されてから一ヶ月以上が経った。季節は冬に差し掛かり、風が吹けば身震いする時期になった。
今のところ、幼き双子──トムとジェリーとの対決以外の大きな事件は起きていない。しかし、あんなことを直接言われて平常に日々を過ごせるほど、ネロの精神が強いわけではなかった。
口には出していなくとも、落ち着かない毎日を過ごしているということは周りの人間から見てもよく分かるものだった。
「ネロ、ようやっと検査する環境が整った。準備に手間取ってしまい、すまない」
放課後、いつものように双子と事務所に帰り、レネゲイドのコントロールに励んていると二代目が声をかけてきた。
「ようやく、俺の右腕が何なのか、分かるんだな」
謎の一味が自分の右腕を狙っていると明言していたことを受け、戦いの後に二代目はすぐ検査する環境を整えてくれていた。ただ、どんな事態にも備えるとなるとかなりの準備が必要なようで、今までかかってしまっていた。
「覚悟が出来たら呼んでくれ」
「……今すぐ、頼めるか?」
双子たちとの訓練を中断して二代目に今すぐ検査を受けたいと頼めば、了承してくれた。ついでに双子たちも検査すると二代目は言い残し、先に訓練部屋を去って検査室に向かって行った。
「これでネロがなんで狙われるのか、判るといいな」
「原因が分かればこちらも対応の幅を広げられる」
若とバージルも気にしてくれているようで、ネロに声をかけてくれる。後は自分たちも検査されるとのことなので、そのことを少し楽しみにしている節もあった。
「初代とはまた別なんだろうけど、ちょっと気持ちが分かる感じだ」
自分の本当の力を知るということ。
初代は己からの進言ではなく、周りの人間が勘付き、結果として発覚した。ネロの場合は状況が少し違うものの、己を知るということはまさに同じだ。初代もこんな気持ちだったのだろうかと、ネロは思った。
「でも、なんで若とバージルも検査されるんだ?」
「動作確認も兼ねてって聞いてるぜ」
「後は、俺たちが幼少の頃に互いの力を増幅しあうことが多々あった。それを調べておきたいらしい」
ここ最近は新たな力や可能性というものに触れる機会が多かった。これを受け、二代目も今までの常識に当てはめるだけではなく、更なる可能性を視野に入れたいとのことらしい。
実際、レネゲイドは日々進化している。現在においてもシンドロームの中で新しい力が確認されたり、その人のみが持っている固有の能力なんていうのも発見され続けている。だからこそ、かつての知識だけで物事を見続けるのは危険だと二代目は判断し、改めて検査することを決断したとのこと。
「レネゲイドってのは、知れば知るほど不可解なものなんだって思うよ」
「それについては同感だ。レネゲイドが世界に爆発的に蔓延したのは二十年ほど前と言われているが、実際はそれよりも昔から存在しているらしいからな」
「二代目なんて、オーヴァードとして覚醒してから今年で二十年だって。それでも知らないことの方が多いって言ってるんだから、とんでもねえよ」
さらっと明かされる、二代目がそんなにも長くオーヴァードとして活動しているという事実にネロは驚くが、表情には出さなかった。
大体、この事務所は──正確にはメンバー──謎だらけだ。
二代目やおっさんは秘密主義者だし、レネゲイドビーイングであるダイナの珍行動は毎度ながら眩暈を覚える。初代だってウロボロスという希少なシンドロームの使い手であったことが最近になって分かったぐらいだし、双子も生まれた時からオーヴァードだったなんて当たり前のように言っているが、つまるところは自分と同じ年月だけオーヴァードとして生きている大先輩だ。
実のところ、オーヴァード歴だけと語れば覚醒して二十年の二代目が一番長く、時点で十六年の双子、そして十四年のおっさんで、今年で十年を迎えた初代という並びだという。
これを聞くと、オーヴァードの前では年齢なんていうのは何の役にも立たず、また歴が長いからといって実力がイコールだというわけでもないというのも、よく分かる。
「まあ、何でもいい。俺は自分の力をきちんと把握して、キリエを守れればそれで」
全てのことをどうでもいいと言い切ってしまうのは良くないことだとは感じているが、ネロの本心としてはそこに集約されている。
自分の力で、キリエを守る。
そのために必要なことだから、自分の力を知る。今はそのことで胸がいっぱいだった。

 

Opening 02 Scene Player ──── 二代目

ネロの願いもあり、身体検査は二代目に声をかけられた後すぐに行われた。
その結果を受けて頭を悩ませているのは検査を担当した二代目と、珍しく興味を持って話を聞いたおっさん、そして検査に立ち会った初代だ。
「獣ではなく悪魔を内包する、か。聞いたこともないな」
ネロが今まで現出させていた能力は、確かにキュマイラシンドロームのものと一致している。さらに厳密な検査の結果、やはり彼はキュマイラとブラム=ストーカーの混血種で間違いなかった。
しかし、ネロの右腕を今まで見てきているおっさんたちも、獣のそれとは違うということは認めている。この現状にどう対応すれば良いのか、全くといっていいほどに何も見えてこない。
「さしずめ、悪魔の右腕ってところか。坊やには色々と試してもらったが、右腕以外の変容は認められなかったしな」
キュマイラの力はまさに獰猛な獣に近い。見た目の変貌も大きく、かつて戦ったアーデンも巨大な化け物になり果てたし、ラムも凶悪な羊の姿を模っていた。もちろん、他にもたくさんの種類が存在しているし、なんなら動物とはかけ離れた奇怪な姿に変わる者もいる。
一方で、ネロは姿を変えることがない。ただ右腕だけが赤い鱗に覆われ、指先が尖り、青く光る。これだけでも一般人からすれば化け物だと感じるし、変容の仕方が一目瞭然なために隠すのも容易ではない。
それでも、同じキュマイラのシンドロームを持つ者たちと比べれば、マシだと言える。
「敵はネロの力のことを知っているから狙ってるのか?」
「そこも謎のままだ。知っているから求めているのか、単に珍しい力だから実験体として求めているのか」
初代の問いにも、二代目は満足のいく答えを返せなかった。
「獣だろうが悪魔だろうが、坊やが一生抗っていかなきゃならない力に変わりないんだ。だったら、今は新しく発覚した力の使い方を教えるのが先決、かね」
おっさんは両手を擦り合わせた後、検査室から出ていってしまった。これを受け、二代目も資料を机の上に投げ、行き詰ったものを吐き出すように息をついた。
「あいつの言うとおりだな。ネロのことはしばらく任せておこう。怠惰な姿に腹は立てているようだが、それでも恩人として慕っているから、問題ないだろう」
「ネロも素直じゃねえからな。おっさんの日頃を見てりゃ、分からんでもない反発だが」
初代と二代目は顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。
ネロを検査して分かったことは、ほとんどなかった。ただ彼の右腕は特異で、彼だけが持つ新たな力が発見された。
その名もスナッチ。ネロが右腕を悪魔のそれに変容させている時にのみ使える、特別な力。
まだ安定していないためにうまく扱えないが、能力としては右腕から半透明の青い手が現れ、対象を掴んで引き寄せることが出来るというもの。この力をうまく使いこなせるようになれば、今まで打開できなかったことも出来るようになる、まさに可能性が広がるものであった。
「俺たちも、今は若とバージルの方に専念してやろう」
今はおっさんにネロのことを任せ、二代目と初代は双子の方に比重を置くことにした。
若とバージルの検査の結果は上々だった。幼い頃によく二人で力を高めあっていた原因がようやっと分かったのだ。
それは触媒と呼ばれる力であった。レネゲイドのコントロールが出来るようになるにつれ、徐々に触媒の力は鳴りを潜め、今現在では現出しなくなった。だが検査の結果として、触媒の力は今も若とバージルの中に残っている。
これは、他のレネゲイドを活性化させる能力を持っており、自在にコントロールするのは至難ではあれど、相手の能力を一時的に上昇させることで知られている。
この力を持ち合わせているオーヴァードは数少ない。故にどの組織でも重宝され、UGN内でも少ないながらもこの能力を有している者はおり、データとして残っている。二代目は自身が務めていた時の記憶をを元に、双子は触媒の力を持っていると断定した。
「幼い頃に増幅しあっていたのは、不安定だったためにコントロールしきれなかった触媒の力が原因だったと思われる。……無論、また別の力かもしれないがな」
可能性ばかりを考えていては、目の前の出来事に対処できない。だからこそ若とバージルの力は今まで見てきたものの中でもっとも近いと思われる触媒であると断定したが、確定はしなかった。
正しく力を判断できないことの危うさは、初代に大変辛い思いをさせてしまい、嫌というほどに実感した。それでも、今はこの曖昧なままでもどうにか出来る手応えがあった。
それはひとえに、己だけで全てをどうにかするのではなく、息子たちがしっかりと力を身に着けていることを目の当たりにし、二代目から息子たちに信頼を寄せ始めている証拠に他ならなかった。

 

Opening 03 Scene Player ──── ダイナ

やはり、人というのは面白い。ダイナは久しぶりにこの感情を抱いた。
DMC事務所の一員になって一番嬉しかったことは、言うまでもなく初代と良き関係になれたことだ。今でも初代と話す時はどんなことでも楽しいと感じるし、新しい発見もある。一つだけ不服なことがあるとすれば、趣味の研究に対してだけはどうにも理解が得られず、また失敗する度にこっぴどく怒られるのは中々に悲しい。
……ただの失敗ではなく、大爆発を起こすレベルの失敗だから怒られているということをダイナは今だ理解していないようだが、これに関しては流しておこう。
しかし、ここ最近は面白いことよりも気が滅入ることの方が多かった。
初代のシンドロームがウロボロスという、原初にして同族喰らいと恐れられる強大な力を持っているものであったことが発覚。これだけでもダイナとしては由々しき事態だというのに、DMC事務所を設立したという二代目とその同僚であるおっさんがUGN時代に担当した事件の裏で暗躍していたと思われる一味が現れ、同じ事務所の一員であるネロの命を狙っていると明言してきた。後はそのついでに、自分も狙われているらしい。
敵の本命はネロなのだということはよく分かった。そして自分が狙われることに関しては、悲しいことに慣れてしまっている。
女神エイルと呼ばれる存在を元にして生まれた時から、神格としての力を宿すことは運命づけられていた。さらに言えば、この力自体を疎ましく思ったこともないし、この力がなければ自分でもないと思う程度には神格と呼ばれる自分自身を受け入れている。
ただ、この力を珍しいものだとして、どこの組織も喉から手が出るほど欲しがっているのも知っている。ある組織はこの力を元に人間との共存を求めて。またある組織はこの力を元に更なる力を求めて。
──はっきり言おう。ダイナにとってはそんなもの、どうでも良い。何故なら研究の結果、どちらかが成しえられたとしても、その見返りがダイナ本人には返ってこないからだ。
だからダイナは選んだ。自身の力で人間たちの生活に溶け込み、ささやかな楽しみを見つけて気ままに生きて行くことを。
そして今、この選択をしてきて良かったと心の底から思える楽しみが明日に待っている。

 

話としては、そこまで遡るほどのことではない。
昨日のことだ。無事に検査を終えた学生たちは何事も無く学校に行き、いつもどおり事務所に帰ってきた。この日はキリエもついてきていたのだが、どこか様子がおかしかった。
たまたま休みだったダイナはこれを見て、何となく、キリエに声をかけた。
「何かあった?」
「あっ、いえ。その……」
言いづらそうにしているので適当に空いている部屋に呼び──自分の部屋は実験器具で危ないのでやめておいた──話を聞くと、キリエはぎこちなく話してくれた。
今日の朝からネロが何かに悩んでいること。話しかけても何もないとごまかされるばかりで、どうにもできないこと。力になれない自分を情けなく思っていることをキリエは話してくれた上で、見慣れない紙切れを出した。
「きっと、オーヴァードの力のことで、悩んでいるんですよね? 私はそのことについて、あまり力になれないから……。だからせめて、気分転換になればいいなと思ったんです」
よく見て見れば、それはライブチケットだった。非日常のことで思い悩んでいるのなら、せめて日常の楽しいことに誘って気晴らしになればという、キリエの気持ち。
これを見て、ダイナは即決した。
キリエを連れてすぐに部屋に戻り、ネロにライブへキリエと行くように言った。いきなりで何のことか分かっていないネロにキリエが先ほどダイナに言ったことを伝えれば、ネロはキリエに心配をかけたことを謝罪して、ライブに行くことを快諾した。
これを見ていた他の事務所の面々は青春だなといった顔で見ていたのだが、次のダイナの言葉で一瞬にして渋い顔をするのだった。
「私もついていく。生ライブは経験したことがない。今から楽しみ」
「……お前、マジか?」
ネロの本気で嫌がっている態度など露知らず。ダイナは完全にライブについていく気満々で、これを見たキリエも人が多い方が楽しいからと、承諾してしまった。
「流石の俺でもそんな無粋なことしねえぞ……」
「あいつは絶対、馬に蹴られて死ぬ」
あり得ないと口にするのは若とバージル。これを聞いたネロの機嫌はますます悪くなっていくわけだが、この顔を見て笑っているのはおっさんだ。当然、殴られた。
「初代、一生恨むからな」
「俺じゃなくてダイナを恨んでくれ」
ダイナの無粋さなど、もはや今に始まったことではない。これに関しては初代もお手上げ状態で丸投げしているから、文句を言うならダイナにしてくれと初代からも見捨てられていた。
「ダイナが空気を読めるようになるのは、まだ先のようだな」
二代目の呟きは初代の耳にだけ届いていた。これを聞き、初代は困ったように頭をかいていた。
完全に全員から呆れられているわけだが、ダイナは久しぶりの楽しみに一人心躍らせているのだった。

 

Middle 01 Scene Player ──── ネロ

最高のライブデートになる、はずだった。だというのに、そんな小さな思いが叶うことはなかった。
原因など挙げるまでもない。ダイナというお邪魔虫がついてきているからだ。
キリエに心配をかけたことは本当に申し訳ないと思っている。こんな自分を気遣って、世間で人気だと言われている歌手のライブチケットを手に入れて、誘ってくれて……感謝の気持ちが言葉では表しきれない。
ダイナにも最初は感謝していた。キリエの話を聞いてくれて、有無を言わせない態度はどうかと思うが、それでもキリエに勇気を与える行動を取ったのは間違いなくあいつだ。だから、そこまでは感謝していた。
「普通、ついてくるか?」
何度この言葉をダイナに投げかけただろうか。どうしてダイナは最後の最後で全てを台無しにするのか、むしろここまでが全てわざとなのではないかと思いたいぐらいだ。だが、本人は至って真面目にこれまでの行動を取っているのだからどうしようもない。
「ダイナさんもすごく楽しみにしていたから、そんな風に言ってあげないで」
今回のライブを楽しみにしていたのはキリエも同じだろう。もちろんネロだって楽しみにしている。当然、キリエに誘われたから、というのが本音だが、そこはいい。
「おい、ダイナ。ライブさえ見られればいいんだろ? あっちの方で見て来いよ」
「チケットごとに場所が決まっている。ルール違反はダメ。……あ、そうだ」
適当な所に追い出そうとするも失敗。変な所で律儀なのが余計に腹が立つが、そんなネロに構うことなく、ダイナはカバンから小さなキーホルダーを取り出し、キリエに渡した。
「これは?」
「二代目から預かった。これをキリエに持たせておけ、と」
ここにきてまさかの二代目からキリエへプレゼントと聞き、ネロは鬼の形相になった。キリエの手首を掴み、ひったくる勢いでキーホルダーを視界に入れる。
「……なんだ、これ」
それは、奪い取るのもアホくさいほどに出来の悪い、うさぎっぽい何かを模したものだった。正直、これをうさぎだと認めるのは些か抵抗がある。
「わざと出来の悪いものにしておいた、という伝言も預かっている。真意は知らない」
なんというか、まだライブは始まっていないというのに、既にネロは疲労困憊だった。二代目からの謎の贈り物とダイナの非常識な言動に疲れるなという方が無茶だった。
「あ、ほらネロ、始まるよ」
今日のライブ会場は野外ということもあって、みんな温かい恰好をしてこの会場に足を運んでいる。それもあって、人が密集するとなかなかに暑苦しい。それでもキリエたち三人は楽しみにしていたライブが始まることに気分の高まりを感じずにはいられなかった。
「みなさん、今日は寒い中、私のライブに集まってくれてありがとう!」
舞台上に上がり、挨拶を始めたのは歌手の女の子だ。
彼女の名前はマリー。現在人気急上昇の若手歌手で、十七歳とまだまだ若く、これからの伸びしろが期待されている。今は透き通る声が高く評価されており、こうして百人を超える観客が集まっている。
「今日歌うのはデビュー曲と、アルバムの中から私が選んだ五曲、そして最後にはなんと! ライブに来てくれたみんなに先行で、新曲を一つ、歌っちゃいます!」
新曲と聞いたファンたちは大いに盛り上がり、歓声を上げた。キリエも楽しみだとネロに耳打ちしており、大層喜んでいる様子だ。ネロとしては歌手自体に興味はないが、キリエが嬉しそうにしているので顔をほころばせていた。
ただ一人、妙にテンションを上げてこのライブ会場に来ていたはずのダイナは歌手の女の子を見て、固まっていた。
「どうした?」
「──なんでもない。気のせい」
急に静かになったダイナにネロが声をかければ、ダイナはすぐに我に返り、何でもないと首を左右に振ってマリーの歌に耳を傾けた。
デビュー曲は元気いっぱいな女の子が挫けそうになっても諦めずに毎日を目一杯楽しんでいるといった旨のことが歌詞になっている歌だった。マリーが人気になるきっかけとなった曲ではないが、この曲は確かに彼女にとって歌手として始まりの歌だということが伝わってきた。
次に歌われた曲は自慢の透き通る声が遺憾なく発揮される音調のもので、まさに彼女のヒット曲であった。
こうして順調にマリーは歌を歌い続けた。そして最後、ここにいるファンのみんなが待望してやまない新曲だけを残すのみとなった。
「あっという間に時間が経っちゃった。気づけばもう、新曲を残すのみになっちゃいました」
マリーの台詞に合わせて飛び交うファンからの期待の声と、寂しがる声。これを聞いてマリーはマイクを両手に持って胸の前に抱き、一度目を閉じて、目を開け、笑顔で言った。
「みんなありがとうね! 私、これからも頑張るから、応援してね! それじゃ最後、新曲歌っちゃうよー!」
盛大な拍手に包まれる中で始まったマリーの新曲。せっかくのお披露目であるというのに、快晴であったはずの空は急に黒い雲に覆われ始め、しとしとと雨が降り始めた。
──刹那。
ネロとダイナは内なる力の衝動を感じる。これはレネゲイドが活性し、己の理性を喰らい尽くそうとする荒々しい力だ。
そして展開されるワーディング。これはどうやら舞台上の方で展開されたようだ。同時に、意識を手放して倒れていく観客たち。そんな彼ら彼女らにしとしとと雨は降り注ぎ続けた。──真っ赤な雨が。
「これ、はっ……! キリエ、これを着て」
ダイナは暴走するレネゲイドに侵されながらも上着を脱ぎ、キリエに被せる。とにかく彼女にこの雨を浴びさせてはいけないと、本能が感じ取っていた。
「一体、何が……」
次々と倒れていく周りの人々に恐れおののき、キリエは震えあがる。
「キリエは無事なのか!?」
ネロも何が起こっているのかよく分かっていない。それでもワーディングが展開されたことだけは確かに感じているし、ならば何故人間であるキリエが意識を保てているのか、不思議でならなかった。
「不細工なキーホルダー。多分、あれが作用してる」
言われ、キリエが先ほど受け取ったキーホルダーを入れてあったカバンに目を向ける。すると確かにそこから淡い光が漏れ出ており、キリエを守るように薄い膜のようなものが出来ていた。
二代目が急造でこしらえた物。それは対ワーディングマスクと呼ばれるものだった。これがあれば、オーヴァードでない人間であっても、ワーディングの中で活動できる。
……無論、見なくて良かったものまで見てしまう危険性も、十二分にあるが。
この一瞬にして、ライブ会場は静寂の中に取り残された。立っているのはダイナとネロ、キリエ。そして……。
「まさか、私のライブに来てくれているとは思いもしませんでした」
歌手のマリーが三人に声をかけてきた。その顔は先ほどまでの笑顔で歌を歌う歌手のものではなく、得物を捕らえた強者が見せる残忍な笑みであった。
「その喋り方……」
「真の名はメアリーと言います。我がマスターが所望しておられる御二方をこんなにも早く釣り上げられるとは……私はついていますね」
ネロとダイナはキリエを庇うようにメアリーと対峙する。
間違いない。この女は、あの仮面の女だ。
「四年前の、血の雨事件を起こしたのはあなた?」
「ご明察です。あの事件を知っておられるということは、もちろんこの後に何が起こるかも、知っていらっしゃられますよね?」
悪寒が走った。ダイナは急いでネロとキリエの手を引き、ライブ会場を後にしようと駆け始める。だが、それは不可能であった。
一人、また一人と起き上がるのは先ほどまで倒れていた観客たちだ。しかし、その目に正気はなく、むしろ何が何だか分からず、奇声を上げたり辺りの物を壊し始めたり、中には人間同士でつかみ合いの取っ組み合いを始めだした。
「これが……」
キリエはもちろんのこと、ネロもダイナも、言葉を失った。
これが、四年前の血の雨事件で起きた凄惨な現場。二代目とおっさんが赴き、この惨事をどうにか鎮めようと奮起した光景。
血の雨を浴びた結果、体内に秘めているレネゲイドが暴走し、オーヴァードとして覚醒した者とジャームになり果てた者同士の、理解不能な力を振り回しあう地獄絵図。そして少ないながらも意識を失ったまま倒れている一般人。
オーヴァード同士の阿鼻叫喚。ジャームとなった者の咆哮。そして動けないために攻撃に巻き込まれ、命を散らす者。あまりの惨状にキリエは気分を悪くし、その場に膝を折った。
「どこへ行くつもりですか? 逃がしませんよ」
声のする方に慌てて目を向ければ、メアリーが従者を作ってネロとダイナにゆっくりと近づいてきていた。相手の目的が自分たちにある以上、逃がしてくれるわけはなかった。
「まさに四面楚歌。最悪の状況。……唯一幸運なのは、キリエが意識を保っていることだけ、か」
この惨状を見せてしまったことは、大変に申し訳ないと思う。しかし、キリエがどうにか意識を保ち、己の足で走ってくれる可能性があるだけ、ダイナは勝機があると判断した。
もしここでキリエがワーディングによって意識を手放していたら、絶対に取れない行動が一つ、あるからだ。
「ネロはキリエを連れて、後ろにいる有象無象共の中を走り抜け、事務所まで撤退して」
「無茶言うな! 俺だけならまだしも、キリエには無理だ!」
「あれらは私がどうにかする。ネロはその中でキリエに襲い掛かりそうな奴からだけ、守ってあげればいい」
「あんたはどうする気なんだ」
そんな滅茶苦茶な提案など飲めないとネロが突っぱねようとした時、ダイナの雰囲気が変わった。
短髪の黒い髪はみるみると薄緑に変わっていき、気づけば腰を優に超える長さにまで伸びている。そしてこちらに顔を見せた時、黒い目も翡翠色に変わっており、神々しさを身に纏わせていた。
「私が神格であるということを、忘れてもらっては困る」
ダイナの言葉に呼応するように、周囲のレネゲイドが活性化する。それらは全てダイナの意思によって操られ、目に見えるほどの紫色の霧になり、後ろで争っているオーヴァードとジャームに向かって行く。そしてその霧に包まれた者はバタバタを地面に伏せていった。
「五十はくだらないオーヴァードやジャームを、一瞬で……。これが、神格の力。流石、女神の名を冠するだけはありますね、本来であれば得意としているのは治癒であるはずですのに……感服いたしました」
「薬とは、時として毒になる。逆もまた然り。……それだけのこと」
「どんなものも、使い方ひとつですね。ですが、その力を使うのは貴女とて相当にお辛いでしょうに」
別に、神格の力を使うことは大した負担じゃない。自分が得意としていることの規模を広げる程度、息をするように容易い。ただし、持続性はないことには要注意だ。
何より、この力を使うことを決めた時点でジャームだけではなく、助かるかもしれないオーヴァードと一般人をも切り捨てたのと同意義であった。
心が張り裂けそうだった。それでも今は、守らねばならぬものがある。
「お願い、走って!」
ダイナが叫ぶ。これを受け、ネロはキリエを立たせ、腕を掴んで走り始めた。
ネロにとってもこれは苦渋の決断だった。自分がここから立ち去るということは、ダイナを残していくということだ。神格の力を使い切った彼女を一人残せばどうなるか……分からないほど、馬鹿じゃない。
それでも、ネロはダイナの厚意に甘える他なかった。
何よりも大切なキリエを庇いながら戦うことは不可能であることぐらいはよく分かっていたし、この血の雨にいつまでも晒し続けるわけにもいかなかった。
「どけっ! 邪魔なんだよ!」
危険を察知してダイナの作りだした猛毒の霧から逃げおおせていた数匹のジャームがネロたちの行く手を阻む。これらをネロは蹴散らし、キリエと共に事務所に走った。
最後にほんの少しだけ振り返れば、ダイナが得意ではない戦いを必死に一人で行い、メアリーの足止めをしている姿だった。

 

Middle 02 Scene Player ──── 二代目

事務所に着いた時、ネロとキリエは崩れ落ちるように玄関先に倒れ込んだ。ネロはどうにか意識があるが、キリエはそのまま意識を手放していた。
ネロが事務所に戻るまでに、ワーディングは解除されていた。あれが展開されていた総時間は恐らく、十分もないだろう。
キリエは事務所にある医療室にすぐに連れて行かれ、ベッドの上で眠っている。二代目が診断した結果、過度のストレスによって疲労が溜まり、極度の緊張から解放されたことも相まって気を失っているだけとのことだった。
この間、ネロは覚えている限りのことをおっさんたちに話した。
ライブ会場に行ったこと。そこで歌っていた歌手が仮面の女、メアリーであったこと。そいつが血の雨を降らせ、四年前の事件の再現をしたこと。状況を打開するため……いや、ネロとキリエを逃がすためにダイナは神格の力を使い、そのほとんどの命を奪ったこと。
そして、ダイナは一人、メアリーの足止めをするために現場に残ったこと。
これを聞いた瞬間、初代が事務所から飛び出すところをおっさんが重力を操り、どうにか押し留めた。
「焦るなよ。一人で行っても二の舞だぞ」
「だからなんだ! ダイナを見捨てろっていうのか!?」
初代の言葉にネロは顔を伏せ、歯を食いしばった。
自分がどれだけ最低なことをしたのか、改めて実感する。自分は人の命を天秤にかけ、そして自分にとって大切な人の命を優先した。どれだけの言葉を初代に浴びせられても、何も言えない。
「俺たちだって、このまま黙って指を咥えているなんてまっぴらだ!」
「ダイナ個人のことはともかく、事務所の仲間に手を出された以上、報復すべきだ」
若とバージルも怒りを露わにし、断固として戦うべきだと言って聞かなかった。
「お前たち、少しは声を抑えろ。キリエさんが起きる」
医療室から出てきた二代目に、ネロは顔を合わせられなかった。キリエのことは聞きたい。しかし、それが許される空気ではないと思ったからだ。
「ネロ。キリエさんは無事だ。特にレネゲイドに感染した痕跡も見つからなかった。血の雨に触れている時間が短かったのが功を奏したようだ。それと、今回の判断について、咎めることはない」
二代目から許しの言葉を貰っても、ちっとも心の重しが晴れることはなかった。キリエのこともそうだし、今回起きてしまったことについても、自分のせいだとしか思えなかったからだ。
自分に力があれば、もっと違う結果を掴み取れたのかもしれないというたらればを、考えずにはいられない。今は前に進むために切り替えをしなければいけないはずだが、一つも気持ちが追いついてこなかった。
「状況を今一度整理する。辛いかもしれないが、ネロ。もう一度現場で起きたことを話してくれ。覚えていることは全部だ」
二代目に促され、ネロはもう一度、ライブ会場についてからのことを全部話した。ライブ会場の時にした下らない会話も、覚えている限りのことを伝えた。
「ダイナは仮面の女に気付いていたのか?」
「いや、不審には思っても確信にまでは至らなかったのだろう。だから流した」
まず、ネロが話してくれたことで気になったのは、歌が始まる直前にダイナがメアリーのことを見つめていたということ。これに関しては二代目の答えで恐らく間違いないだろう。
「メアリーはお前とダイナのことをマスターが所望している二人だと言ったんだな?」
「ああ、それは間違いない」
もう一つは、メアリーが所望しているのは二人だと言ったこと。一人はもちろんネロのことだ。そして、もう一人がキリエであるということは……まあ、ないだろう。そうなれば、無論狙われているのはダイナであり、求められているものというのは……。
「神格の力だろうな。しかも、坊やを逃がすために実際に見せちまったんだろ? んで、それを称賛していたとなれば十中八九、実験体にされてるな」
「ああ。ワーディングがすぐに解除されたことと、ダイナが戦いを苦手にしていることも鑑みれば、現場に戻ったところで得られるものは何もないだろう。むしろ、出向けば最悪UGNと鉢合わせだ。そうなると都合が悪い」
四年前に起きた血の雨事件が再び起こったのだ。そこに二代目とおっさんが姿を現したとなれば、ややこしいことになるのは明白だし、顔をつき合わせれば当然UGN側は事情聴取などをしてくるだろう。そうなっては、ダイナの命が保障できない。
「ダイナがいる場所は一つ。一味が根城にしているであろう研究施設。そこしかない」
「だが、そこをどうやって絞り出す? 肝心の場所が分からなきゃ、ダイナは……」
「ある程度の場所はこれまで髭とともに調べ上げた情報から絞り出している。さらに、今回は有益な情報も得ている」
そう言って二代目がみんなの前に見せたのは、不細工なうざぎを模したキーホルダーだ。ネロはこれに見覚えがあった。
「それ、キリエにって、二代目が作ったやつ……」
「ああ、わざと下手に作っておいた。精巧に作り過ぎるとネロに捨てられる可能性があったからな」
下手くそなものであればそこまで嫉妬されないだろうという二代目の読みは見事に当たった。実際、これが精巧に作られていたらネロは間違いなく、キリエの手から奪い取っていた。
「そこまで読み切るとは、流石だな。……で、それから何が得られた?」
坊やのことをよく分かっているとおっさんが笑いながらも真剣な声で二代目に聞いた。この不細工なうさぎから得られた情報は何かと。
「これには発信機と探知機の機能もつけてある。もう片方はダイナの荷物の中だ」
どうやら二代目はこの不細工なキーホルダーを二つ作っていたらしい。曰く、作っている時にこれを見たダイナが可愛いと言ったので、ついでにもう一つ作り、試験運用として発信機と探知機をつけたらしい。
「怪我の功名なんだろうけどさ……」
「これを可愛いだと? どういう神経をしているんだ?」
どうにも、ダイナが絡むと緊張感が薄れると若は困った顔をしているし、なんならバージルは心の底から理解が出来ないと言わんばかりの軽蔑の眼差しを不細工のうさぎに向けているが、これのお陰でダイナ救出の目途が立ったのも事実だ。
「二代目」
初代がすがるような声を出す。ここで待機なんて言われようものなら、発狂してしまいそうな顔をしていた。
「全員に告ぐ。我々Devil May Cryは今よりダイナ救出を第一に、余力次第では敵対した一味を駆逐する」
「了解」
すぐに了承したのはおっさん。
かつて共にこなした二代目との合同任務の数々を思い出し、不敵に笑う。完全勝利の名に偽りはない。だがさらに彼のコードネームを強固たるものにするためには、自分も必要だと知っているからだ。
「ようやっと決着をつけられるんだな」
「次こそ壊滅させてやる」
若とバージルも気合は十分だ。この間の双子との戦いを経て、謎の一味には怒りを覚えているし、二代目を苦しめた血の雨事件を起こした犯人を許す気はない。
「待っていろよ、ダイナ……!」
初代の瞳にはダイナを失うかもしれないという恐怖と、ダイナを誘拐した相手に向ける憎悪を滾らせながらも、紙一重のところで理性を保っていた。
「ネロ、行けるな?」
二代目に名前を呼ばれ、体が震えた。
ダイナを一度見捨てた自分が、のこのこと助けに行く?
一体、どんな顔をされるだろうか。何を言われるだろうか。そもそも、そんな資格が自分にあるのか?
「ネロ、頼む。ダイナを救うために、お前の力を貸してくれ」
言葉に詰まった。何故初代は、初代にとって大切な人を見捨てた自分に頼めるのか、分からない。
「俺は……」
「何悩んでんだ、坊やらしくない」
「俺だってな! 色々考えて……それで!」
「だったらその頭、ダイナを助けるために使えよ。そんぐらい、出来るだろ?」
「っ……! 上等だ、やってやる!」
まさに売り言葉に買い言葉だった。おっさんにいいように踊らされていることはネロも薄々気づいていたが、同時に自分がダイナを助けに行く理由付けをしてくれているのだと分かったから、乗る以外の答えがなかった。
「よし。……これから乗り込むのは敵の本拠地である可能性が高い。そして行動する上で我々が別行動を取ることも予測される」
二代目の言葉に全員が耳を傾け、静かに聞く。
「決して無理はするな。だが仲間を危機に晒したものに思い知らせろ。我々に楯突くことがどれほどに愚かなことなのかを」
「おう!」
五人の声が重なる。それぞれが自慢のコートを翻し、事務所を後にする。
胸に秘めたる想いは必ずダイナを救出すること。そしてDevil May Cryに牙を剥いたことの愚かさを徹底的に教え込むため、彼らは街を駆けた。

 

Middle 03 Scene Player ──── おっさん

ダウンタウンから大きく離れた豊かな自然が残る森の中に、Devil May Cryのメンバーは集結していた。
「発信機の電波はここから出ているので間違いなさそうだ」
そうは言っても、二代目の指し示す先には木々がひしめきあい、日差しをほとんど遮っている鬱蒼とした森しか広がっていない。
「ちょっと待ってな。……ああ、巧妙に隠してあるが、まだまだ荒いな」
おっさんがぶつぶつと一人で何かを言いながら何もない所に向かって手を振ったり、かざしたりしている。何も知らない者から見れば控えめに言って危ない人だが、もちろんこれにはちゃんとした意味がある。
時間にして数分もなかった。一体どこに隠されていたのか、みるみるうちに何かしらの建物の入り口が現れ、建物は地下に埋め込まれている形で姿を現した。
「物と物の間に空間を作り出すなんてのは、バロールにとっては朝飯前だ。この研究施設もこうして木と木の間に空間を作って、そこに建ててある」
実を言えば、この原理はDMC事務所でも同じことが行われている。そうでなければ活動に必要な部屋から全員分の自室までを用意するなんてことは不可能だ。だからこそ、ある程度の場所が絞れさえすればおっさんの前では隠されていないも同然だ。
「油断せず行くぞ」
二代目の進軍の合図でそれぞれが気を引き締め直し、素早く内部に潜入する。
謎の一味の研究施設と思しき建物を発見したところまでは上々だ。しかし、内部の構造は一切が未知。慎重に進まなくては。
順調に足を運んだ六人は施設の中央付近にまで侵入した。刹那、多方向からの集中砲火が襲い掛かった。
「散開しろ!」
指示を受け、それぞれが逃げ込める通路へと体を滑らせる。二代目と若はもっとも攻撃が苛烈な場所に立っていたため、互いに能力を使って攻撃を軽減し合いながら右の通路へ。
おっさんとバージルは難なく中央の通路へ逃げ、初代とネロも問題なく左の通路に入りこんだ。
通路へ逃げられることは相手側も分かっているようで、合流を阻止するように来た道は封鎖されてしまった。封鎖するために使われた鉄の壁も、時間をかけて殴り続ければどうにか風穴を開けられないこともないが相応の時間がかかるだろう。
『戦力を分散されるのも想定の内だ。このまま各自、警戒して進め。ダイナを発見次第救出。また可能であれば合流も視野に入れて行動しろ』
『了解』
事前に渡されていた通信機から二代目の指令が聞こえてくる。これに各通路へ分断されたそれぞれが承諾の返事をして、先へ進み始めた。

 

Middle 04 Scene Player ──── 若

左の通路に入った二代目と若は黙々と足を動かしていた。すると前方から金属の光沢が見えたかと思うと、巨大な斧が二人にめがけて振り下ろされた。
二代目は距離があったお陰で難なく避けたが、至近距離であった若は反応が追いつかず、とっさに体を庇うように両腕をクロスしようとして、足元の領域に気付き、それに導かれるように体をひねった。
「あれ。今のは当たったと思ったんだけど」
聞き覚えのある声に、若の表情は険しくなった。薄暗い通路の先をじっと見据えていると、闇の中からぼんやりとした小さな子供の輪郭が現れ、それは姿を現した。
「久しぶりだね、お兄さん」
「トム……」
「どうしたの? まるで幽霊を見たような顔して」
動揺していないと言えば、嘘になる。もう二度と会うことはないと思っていたし、何なら息絶えていたことは自分だけではなく、仲間たちも確認していた。なのに、まさか……。
「メアリーの力によって作られた人形か」
「さすが、完全勝利と呼ばれるだけあるね。そうだよ、僕はお姉ちゃんを偶像として蘇り、自我を持ったんだ。トムとしてね」
正直、何を言っているのかよく分からない。ただ分かるのは、トムが今までの血の人形たちと違ってきちんとした自我があり──文字どおり蘇ったと言って差し支えない──再び自分の目の前に立ちはだかっているということだけだ。
でも、それで十分だし、もう若にとってトムは脅威でも何でもない。
「一度打ち負かした相手に、負けることなんてねえよ」
「まさか、自分の力だけで勝ったと思ってるの?」
「そうじゃねえよ。それが分からない時点でお前に勝ち目はないって言ってるんだ。しかも今の状況は、まさに前と同じだ。俺が負けるなんて、万に一つも起こらねえ」
一対一で戦えば、苦戦は必至だろう。でも、そんな危険を冒す必要はどこにもない。今だって前と同じように二代目が付いてくれているし、チームで勝利を得たことに対して恥じることなど何もない。だから自分はいつもどおり、全力を持って相手を斬る。それだけだ。
「なんだか、つまんなくなっちゃった。前のお兄さんの方が良かったよ」
「褒め言葉として、受け取っておくぜ。……さあ、始めようか」
リベリオンを呼べば、いつものように手元に収まった。しっかりと握り、構え、トムに向かって突っ走った。
「正面から殺り合うの? いいよ、受けて立ってあげる!」
これに対し、トムも同じように巨大な斧を振りあげ、若を叩き潰すように振り下ろした。
「だから、これはチーム戦だって言ってるだろ?」
瞬間、若の体が消える。少なくとも、トムの目には消えたように見えた。次にトムが若を捉えた時には既に遅く、大きな一太刀がトムの体に出来た。
「──いっ……ったいなあ。残念だけど、ここは退くしかないか」
目的は果たしたと言い残し、前回と違ってすぐにトムは姿を消した。この変化に二代目は険しい表情を浮かべたがすぐに切り替え、若に声をかける。
「怪我はないか?」
「問題なし。二代目の支援のお陰だ」
先ほどトムが若を見失ったのは、二代目が広げた領域の指示に従って若が行動したからに過ぎない。それでも、味方の支援もなく一人孤立して戦いを挑んでくるようなジャームにはこれで十分だ。
「先を急ごう」
こうして、二人は若干の足止めをされるも大きく時間を食うこともなく、施設内を順調に進んだ。

 

Middle 05 Scene Player ──── バージル

中央の通路を進むおっさんとバージルはどこまでも無言であった。
この組み合わせは大変に珍しい。今回のように緊急自体の結果としてでなければ生まれないようなチーム分けだ。少なくとも、二代目が自ら指示を出してこの二人を共に行動させるということは滅多に起こり得ないだろう。
ただし、二代目が二人を共に行動させない理由は、バージルが一方的におっさんを毛嫌いしているから、なんていう私事があるからなどではない。
乾いた音を軽快にたてながら走っていると、銃弾が二人の足元に一発ずつ撃ちこまれた。
「おおっと。敵さんのお出ましか?」
警戒心の感じられない声色でおっさんが通路の先に向かって話しかける。するとさらに一発、返事の代わりに弾丸が飛んで来た。
「無駄だって。出てきな」
これを出現させた魔眼で弾いたおっさんが敵に観念するようにもう一度声をかけると、今度は素直に相手が姿を現した。
「おじさん、お喋りなのね。私としてはお喋りな人が嫌いなわけじゃないけど」
洒落た赤いドレスに身を包んだ少女がスナイパーライフを抱えている。長く伸ばされた綺麗な金色の髪を揺らし、視線はおっさんからバージルに移る。
「お久しぶりね、お兄さん」
「ジェリーか」
「覚えていてくれて嬉しいわ。でも、せっかくの再開だというのにそんな仏頂面はひどくなくて?」
ジェリーの言葉に対して、くだらないとバージルは吐き捨てた。
再び会うことがあるとは思っていなかった。それでももう、バージルにとってジェリーとの邂逅はくだらないもの以外のなにものでもないことは確かだった。
こうしてまた顔を合わせたところで、することといえば殺し合いだ。ジェリーがどのような力で蘇ろうとも、彼女の考え方が変わらない限り、バージルにとってはその命に価値などない。
いつまでもお父様と慕う人物に陶酔している限り、自分の考えを持とうとしない限り、この再開に意味など生まれはしない。
「一度目の出会いは、俺にとってそこそこに有意義なものになったことは認めてやろう。だが、二度目はない」
「どういう意味かは知らないけど、つまらなくなったわね。昔のお兄さんが素敵だっただけに、殺し甲斐が無くなって残念だわ」
心の奥底で戦いを求め、愚直に己の信じる主の為に戦うお兄さんの方が素敵だったと言って、ジェリーは光弾を発射する。これをバージルは一切避けず、ただ静かにその場で腰を落とし、閻魔刀を構えた。
「人を信じるってのは確かに大事な力だ。でもな、嬢ちゃん。時には己で考えて行動を起こすってのも、必要なことなんだぜ」
バージルは一歩も動いていないというのに、ジェリーが放った光弾が当たることはなかった。バージルの前には大きな背中があって、それは自身に襲い掛かってきていた全てを払い除けていた。
「Dei」
閻魔刀が抜刀された瞬間、ジェリーのいる次元が裂ける。そして乾いた音と共にジェリーの体に大きな切り傷が出来る。
「────あはっ。今のは流石に痛かったわ」
せっかくのドレスが汚れてしまったとどこまでも優雅に振る舞いながら、ジェリーは姿をくらませた。前回とは違って早々に撤退するというのは些か疑問が残るが、今は考えても仕方なさそうだ。
「俺が守ったんだから万が一はないと思うが、怪我はないな?」
「フン。さっさと行くぞ」
「だから、年長者は敬えっていつも言ってるだろ?」
「敬っているだろう? 二代目のことを」
ああ言えばこう言うところは本当に可愛くないなんておっさんは頭をかきながら、遅れないようにバージルに続いて先を急いだ。
──二代目がこの二人を一緒に行動させない理由。それはチームバランスを考えた時、この二人が組むと特出して強くなりすぎるからなんていう、単純なものであった。

 

Middle 06 Scene Player ──── 初代

右の通路に滑り込んだ初代とネロは来た道を背にして走っていた。
会話はない。その中で一人、ネロはこの状況に心中を乱していた。
初代は今、どんなことを考えているのだろうか。そして自分に対し、どのような感情を抱いているのだろうか。分かるはずもないが、考えずにはいられなかった。
この研究施設に潜入すると決まった時、初代はネロに力を貸してくれと頼んできた。それすらも本心からの言葉だったのだとは……思えなかった。
自分が二の足を踏んでいるから、責任を取れという意味で言ったのだとネロは解釈している。それは心晴れやかなものではないが、仕方のないことだと割り切る他ないことだとも分かっていた。
…………当然だ。
初代の最愛の人を見捨てて、あろうことか自分の愛する人だけを連れて帰ってきたのだから、どれほどの恨み言を言われたって何も言い返せない。
事務所に帰って状況を説明して、一人先走ろうとした初代をおっさんが止めた時に言った、ダイナを見捨てるのかという言葉が今でも頭にこびりついて離れない。
もしも、自分が初代の立場になったら? どれだけの口汚い言葉が飛び出たものか、分かったものではない。
自分のことを止めようとする全員に殴り掛かっただろうし、それで振り払えたなら何を犠牲にしてでも現場に走った。
初代だって、本当は同じことをしたかったはずだ。何を放り出してでも現場に駆け付けて、たとえ返り討ちにあったとしても、ダイナを一人になんてしなかっただろう。
考え事をしていたためにネロは一歩先を走っている初代が足を止めていたことに気付けず、思いきりその背にぶつかった。思ったよりも強くぶつかってしまったようで、初代が少し、ふらついた。
「わりい」
「敵の本拠地内だ、気を抜くなよ」
更なる失態を重ねる自分に嫌気が差す。それでもやるべきことがあると必死に気持ちを切り替えて、何故初代が足を止めたのかを確認するように前方を見ると、昔に一度見たことのある、懐かしい顔がそこにはあった。
「あいつは確か、ダイナを襲ってた……」
「この施設は死者蘇生の実験でもしてんのか? 何でお前がここにいるんだ」
初代が問いかければ、一歩前に出た男はフードを取った。短いブロンドの髪があちこちにくせっ毛のせいではねあがっている。
「僕としても、会うことはないと思っていた。だけど、操り人形なんてコードネームがつくだけのことはあるみたいだ」
自嘲気味に笑う男は、ダイナを襲っていた時とはまるで別人だった。どちらかといえば、初代が初めて目にした時の、人間を試しながらも同族には興味がない頃に近い。
「僕が前に襲った彼女はこの先にいる」
「……何故、教えてくれる?」
彼女とはきっと、ダイナのことだ。彼の言葉が真実なら、もうすぐダイナを助けられる。そう思いだけで初代の心は逸った。
「僕は同族を襲う気はないんだ。知りたいのは人間の内にある力だけだから。でも、僕の中にいるもう一人の僕は違う。彼は……闘争を求めている。それが満たされるなら、相手は誰でも構わない」
男にとって、かつてダイナを狙ったのは本当に偶然でしかなかった。
オーヴァードだとは言っても外見はただの人間だ。そして人間社会に溶け込んでいるレネゲイドビーイングもまた、真の姿を取らない限りは至って普通の人間にしかみえない。これらを見分けることは例えオーヴァードであっても不可能である。
だからこそ、ワーディングはただの人間を無力化するのと同時に、同胞である者たちに自分はオーヴァード──あるいはジャーム──であると知らしめるための力でもあるのだ。
「だったら、そこを退いてもらおうか」
初代が凄むと男はあっさりと道を譲った。元より、凄まなくても道は譲る気だったようだ。
「信じて、大丈夫なのか……?」
ネロは不安はぬぐえないでいた。昔戦った時のこいつはまさに闘いを楽しみ、瀕死になってもなお立ち上がり、何度だって向かってきた。どちらかが完全に息絶えるまで、何度でも。
「これは君たちのためだけじゃない。今の僕にとっては、彼女が救われることの方が復讐になるから手を貸しているだけだ」
「復讐? 誰に」
「この施設を作り、数多のジャームを作り上げて実験を繰り返している男にだ。奴は神格の力を持つ彼女を実験体とし、兵器を作りだそうとしている。彼女が助かれば、その邪魔を出来る。僕はそれで満足だよ」
元より一度死した身なのだから、こんな機会を与えられて幸運だったと再び男は自嘲した。そしてもう一度、早く先に行くようにと促した。
「ネロ、行くぞ」
「……分かった」
警戒は怠らず、男に背を向けて走りだす。不意打ちもあり得るとして背後に気を配り、いつでも防御の体勢に入れるようにしながら走っていたが、ダイナがいると教えてくれた部屋に辿り着くまでに男が襲ってくることはなかった。
ただ、最後に聞こえてきた言葉は不穏なものであった。
──もしもまたこの施設内で僕と会うことがあったなら、それはもう別人だ。次は闘争を楽しもう。

 

Middle 07 Scene Player ──── ネロ

男が教えてくれた部屋に、ダイナはいた。意識は失っているようだが目立った外傷はない。ただ彼女の身体は謎のカプセルに入れられており、よく分からない機器も大量に取り付けられていて、早く救出する必要があった。
「こんな機械をいじくってるより、割った方が早い!」
カプセル型の装置には大量のボタンが羅列されており、正しい手段を踏めば止めることも出来るのだろうが、残念ながらその解除方法を探している時間はない。だったらと初代は適当なものを二丁拳銃に作り替え、ダイナに当てないよう配慮しつつ、カプセル目がけて発砲した。
「クソッ! どんな強度のガラスを使ってやがるんだ!」
若干のヒビが入ったことは認められた。しかし、割るには全然威力が足りない。
「俺がやる!」
ネロが右腕を変容させ、力いっぱいカプセルを殴りつけた。するとヒビが入っていたところからさらに亀裂が走り、液体が漏れだす。その勢いに押されてガラスが砕け、中からずるりとダイナが倒れるように外へと出てきた。
「ダイナッ!」
駆け寄り、初代が抱きとめる。全体重がかかってきているというのに彼女の身体は軽く、また顔が青白いこともあって初代の不安を煽った。
「っ……ぁ……、しょ、だい」
「ダイナ! 俺が分かるか?」
「だい、じょうぶ。まだ、何もされてない、から」
ゆっくりと瞼を持ち上げたダイナは小さな声で、それでもしっかりと受け答えした。これを受け、ようやっとダイナを取り戻せたのだと実感した初代は強く抱きしめ、ダイナの熱をその肌で感じた。
「ダイナ……」
「ネロも、いるということは……無事に逃げられたのね。キリエは、無事?」
「あ、ああ……あんたのおかげだ。本当に、感謝してる」
キリエも無事だということを耳にし、ダイナは微かに笑みを浮かべた。そして初代から体を離し、自らの足で立った。
「身体の方はいいのか?」
「問題ない。これでも結構、丈夫な方」
「実験体にされてたんだろ? あんま無理するなよ」
「まだ実験まではされてないから心配無用。何かを私に埋め込むつもりだったみたいで、それに体を慣らせるためにこの培養液に漬けられていた」
そのせいで体内のレネゲイドがいつもより活性しているのを感じるとダイナは言うものの、それ以外の不調は……一つを除いてないと言い切った。
「隠し事は無しだぜ」
初代に言われ、ダイナは少し気まずそうにしながらも口を開いた。
「神格の力を封じられた。一時的なものだとは思うけど、長くて数日は使えそうにない」
「それは大丈夫なのか? ちゃんと戻ってくる感じはあるのか?」
「うん。今使えないだけ。どんな技術を相手が持ち合わせていたって、この力を全てを封印、ないしは奪い取ることなんて不可能よ。それをするなら、私の命を奪うしかない」
そして自分はこうして生きている、だから時間が経てば戻ってくるとダイナは言う。
本人がそういうのだから、今はそれを信じるしかない。それにどちらにしても事務所に戻って一度しっかりと検査はしなくてはならないし、何よりダイナの神格の力だけを当てにしているわけではない。
『ダイナを救出した。心身ともに異常なしとのことだ』
『よくやった。各チーム、現状を報告しろ。それに合わせて今後のプランを決める』
通信を入れれば二代目から即座に反応があった。それに合わせておっさんからも返答があり、余力ありとのことだった。こちらもネロとダイナに確認を取り、余力ありと返答した。
『ではこれより、合流を最優先にこの研究施設を破壊する。俺の指示通りに動いてくれ』
この短時間に二代目はオルクスが得意とする因子を施設中にばらまいて構造把握に注力していたらしく、まだ完璧とまでは言わないが大体の地図が頭の中に出来上がっているとのことだった。さらに二代目の方ではもうこちらの位置を特定しているそうで、言われたとおりの道を進めば合流は容易いだろう。
「とのことだ。本当、二代目の頭脳はどうなってんだろうな」
オーヴァードが常人ではないことは今更なのだが、それを言わなかったとしても二代目の実力は高すぎる。同じシンドロームを持っている者でもここまでのことを成しえられる者はそういない。
「この施設を運用している一味が危険な存在であることは明白。私としても、潰せるというのなら助力は惜しまない」
元より、自分を実験体にしようとしたことには腹を立てているし、仲間たちにも何度も迷惑をかけているのだ。これ以上、看過できない。
「──待ってくれ!」
二代目の作戦に参加することに二つ返事をしたダイナが初代と共に二代目に指示されたとおりに動こうとした時、ネロに待ったをかけられた。
一体何だろうかと思って二人は立ち止まり、ネロの言葉を待つ。
「怒って、ないのか?」
あまりにも不思議なことを言いだすので、初代もダイナも困った顔で見合わせ、何を返せばいいのか言葉に詰まっていた。
「俺は──! 俺は……あんたを、見捨てたんだぞ……? 初代だって、自分の大事な人を見捨てた俺に、何も思わねえのかよ?」
ネロの心の叫びが漏れる。
これ以上、耐えられなかった。何事もなかったように振る舞う二人の態度が、ネロにとってはあまりにも苦しいものだった。
これなら責め立てられた方が、何倍も楽だ。
「何言ってんだ。俺は一度もそんな風に思ってねえよ」
「そんなわけねえ! 俺だけのこのこと事務所に帰ってきたんだぞ!」
「おい、あんま馬鹿なこと言うなよ。おっさんじゃなくてもキレるぞ」
地の底に響くような初代の声に、ネロは息を呑んだ。今まで一度として、こんな声は聞いたことがない。
「俺はネロのことも大切な仲間だと思ってる。おっさんが拾ってきたとはいえ、事務所の一員になってもう半年以上一緒にいるんだ。そこに優劣なんかない」
たとえ連れ去られたのがネロだったとしても初代はあの時飛び出そうとしていただろうし、同じことを叫んでいた。
ネロを見捨てるのか、と。
「だけど……」
「そもそも、逃げるように命令を下したのは私。ネロは何も間違ったことをしていない」
何より、根本的に勘違いしている部分があるとダイナは指摘し、続けた。
あの場でもっとも守らなくてはならない存在はキリエであった。そしてキリエを守れる可能性として一番勝率が高かったのがダイナが残り、ネロがキリエを連れて逃げることだった。だからそのように動いただけに過ぎないのだと。
「もしもネロが残って私がキリエを連れて逃げる方に勝算があったなら、私は躊躇いなくネロに現場に残るように言って、さっさとキリエを連れて逃げていた」
これを聞かされて、ネロは力が抜けたようにへたりこんだ。
勝手に一人で被害妄想を膨らませて、悩んでいたのがバカバカしくなった。そして、初代が自分のことも思ってくれていることが嬉しくて堪らなかった。
「ネロは俺と同じですぐに一人で抱えちまう癖があるから、一緒に直していこうな」
初代に頭を撫でられたが不快に感じなかった。
赦された気がしたからかもしれない。自分のことなのによく分からなかったが、それでもようやっと解放された気分だった。
「人間は残された方がたくさんの苦悩を抱える。だから時として、残されたくないからと人は己の命を絶つこともある。その苦しみから逃げずに向き合えるのだから、ネロは十分に強いと私は思う」
残された方が苦悩を抱えるという言葉は、そのとおりだと思った。
きっと、自分があの場に残っていた方が実験体にされる物理的な苦しみはあれど、ここまで精神を病むことはなかった。でも、逃げずに立ち向かって良かったと今なら思える。
こうして行動を起こしたからこそ、ダイナを助ける力になれたのだから。
「いけるな?」
「ああ、もう大丈夫だ」
だったら少し急ぐぞと言われ、すぐにネロは走り出した。これに続くように初代も走り出すのだが、毎度ながらに足の遅いダイナの腕を引っ張っての進行となった。
引っ張られているダイナも体調に問題はないので、確かに気を遣ってもらわなくていいとは言った。言ったが、全力疾走は勘弁してほしいと心の中で悲鳴を上げるのだった。

 

Middle 08 Scene Player ──── 二代目

指定した場所に一番早くついたのは二代目と若。そこへ数分とせずにおっさんとバージルも合流を果たした。
「マジで合流出来ちまった」
「貴様、それは二代目を疑っていたということか?」
言葉のあやだとおっさんが両手を上げて勘弁してくれのポーズを取れば、バージルは舌打ちをしながらも追及はしなかった。
これを見て、相変わらずバージルはおっさんのことを嫌ってかりかりしているなと若は他人事のように傍観していた。
バージルとて、おっさんの実力を認めていないわけじゃない。むしろ、認めているからこそ必要以上に腹を立ててしまうのだ。二代目に勝るとも劣らない強さを秘めているというのに、普段の生活態度はだらしなさと言ったらひどいなんてものではない。この事実がどうしてもバージルにとっては我慢ならなかった。
「遅れて悪い」
時間にして十分ほど待っただろうか。ようやっと姿を見せた初代とネロ、そしてダイナの姿に二代目は安堵のため息を漏らし、確認を取った。
「何か問題があったか?」
「いや、何もない。バッチリだ」
初代の言葉を疑うわけではないが、軽く三人の表情を見る。ダイナに関しては若干の疲れが見て取れるものの、気力は十分といった感じだ。無論、初代とネロも。
「よし。ならこのまま最奥部に……向かう前に、どうやらお出ましのようだ」
何かが駆けてくる足音を感知した二代目が全員に指示を出せば、それぞれが得意とする能力を現出させて構えた。
「見つけたぞ! この裏切者共がっ!」
咆えながら扉を突き破ってきたのは一匹の羊。けたたましい声を上げ、双眸が二代目とおっさんをとらえ、睨む。
「双子のガキの片割れが蘇ってる時点で何となく予想はしてたが、案の定って具合だな」
「そちらにも姿を現していたか。こちらでも双子の子どもの片割れを確認している」
二代目とおっさんが軽く言葉を交わす。その眼に映る羊に向けられる感情は何もなく、ただの敵としてしか認識していないようだった。
「その闘争! 俺も混ぜろお!」
そしてもう一人。二本の得物を持ったブロンドの髪を揺らす男が壁を突き破り、部屋に飛び込んできた。
「アルフか。邪魔をするなら貴様もろとも殺すぞ」
「ハッ! 俺は闘えるなら誰でもいい!」
ラムとアルフの求めるものは完全にバラバラだ。それでも二人は武器をこちらに向けた。
「あの二人が連携することはないだろうが、標的はこちらのようだな。ではすることは一つだ」
二体のジャームを駆逐する。二代目の言葉に全員が頷くと、闘いは始まった。
ネロと初代としてはアルフに多少の恩がある。しかし、今のアルフを見れば彼が最後の残した言葉の意味を理解するのは容易く、また〝もう一人の僕”とも言っていたことから、自分たちにとって恩のあるアルフではないとも受け取れた。
だから、何も遠慮することはなかった。

 

「この俺が……二度も負けるだ、と……」
「何故だ。何故俺は、貴様ら裏切者に勝てない……」
かつては苦戦した闘いも、今になってはただの通過点でしかなかった。アルフとラムに今度こそ引導を渡した一行は若干の疲れは認めたが、最奥部へ進むのに問題はなかった。
「こちとら日々成長してるんでね。研鑽を止めちまったお前たちに負ける道理なんてないのさ」
「研鑽とか、おっさんから一番無縁の言葉だろ」
なに格好つけているんだとネロが突っ込めば、おっさんは小言を垂れた。こういう時は先輩をたてるものだとかなんとか。
どうにもくだらないことにばかり目が行きがちだが、こんなやり取りでも初代にとっては安心出来る材料になった。おっさんはもちろんのこと、これを聞いて軽く笑みをこぼしている二代目も、ラムという存在や奴の放つ言葉に縛られてもいなければ、惑わされていることもないと分かったからだ。
何度対峙しようとも、何度二人に同じ言葉を相手がかけようとも、仲間たちが二代目とおっさんを疑うことなどない。だが、分かっていても負の言葉をかけられるというのは相応に苦痛を強いられるものだ。二人は強い人間だと分かっていても、やはり心配だった。
「この二人は独断で動いていたのだろうが、残りはそう簡単にはいかないだろう。気を抜くなよ」
二代目の言葉に、各々が頷く。
最奥部で待ち受けている者の内、この間戦った双子、トムとジェリーがいることは分かっている。そしてダイナを連れ去ったメアリーもいるだろう。
そして、今だに正体は不明なままだが何度も仄めかされているマスターと呼ばれている人物もきっと、この先にいるはずだ。
ダイナに何かの実験を施そうとし、メアリーたちにネロを執拗に誘拐してくるように命令を下している此度の元凶。そいつを討ち取らなければまたいつか、同じようなことが起こるだろう。
オーヴァードとなったために身寄りのなくなった子どもたちを実子のように育て上げた二代目が出した答え。 ただ静かに、オーヴァードとなっても大切な人たちと穏やかな日々を過ごせる居場所を作る。これこそがUGNを脱退してまで新しく作り上げたDevil May Cryの真の目標である。
だからこそ、日常を脅かそうとする者がいるならば、何人たりとも許しはしない。

 

Middle 09 Scene Player ──── 初代

最奥部は小さな会議室であった。小型モニターがいくつか天井から吊り下げられていて、各実験室の様々なデータが映し出されていた。その一つはエラーの文字が大きく書かれており、画面には割れたカプセル型の装置が映っている。
ここに、四人の人影があった。
一人は男であった。特にこれといった特徴のない、平々凡々の男。少し老いていて、歳はもうすぐ五十になるか、超えたかといったぐらいだ。それに伴って髪や髭に白色が混じっている。
もう一人は女であった。まだ若く、大人の枠には入れない、幼さの残る女の子。
最後の二人は瓜二つであった。一人は少女、一人は少年。まだ十にも満たない幼さで、こんな会議の場には似つかわしくない無邪気さを持った双子。
「いやはや、よくぞここまでたどり着いたものです」
最初に声をかけてきたのは男だった。芝居がかった拍手までしていて、どこまでもこちらを舐め切った態度であった。
「我が目的を達成するために研究を始めてから苦節十年。今になって思えば、私の実験は初動から貴方に邪魔をされ続けた日々でした」
遠くを見たかと思えばちらりと二代目に視線を向け、男は言う。これを受け、二代目は眉間にしわを寄せながら言葉を返した。
その中で一人、初代は別の言葉に反応し、心を乱した。十年という時は、偶然であっても初代にとってあまり良いものではなかったからだ。
「俺はお前のことなど知らないが」
「それはそうでしょう。こうして実際に会うのは私とて今日が初めてですからね、完全勝利」
お目にかかれて光栄だと、これまたわざとらしい笑みを浮かべて男は言った。当然この程度で感情を露わにするような人ではないが、残念ながら周りの連中はそうではなかった。
「この野郎、馬鹿にしやがって……」
「不愉快極まりない」
沸点の低い双子は今にも飛びかかりそうな勢いである。初代も言葉に出さないまでも相当に苛立っているようだし、ネロも同じような感じであった。
「ああ、私としたことが自己紹介をしていませんでしたね。名をマティーニと言います。これでもFH内では〝酒の王”なんて呼ばれてもいますが……まあ、外部の者は知り得ないことでしたかな?」
FHと聞き、おっさんの顔も渋いものへと変わる。面倒な連中にネロは狙われたものだと思った。
「オーヴァードの力を利用した兵器製造、だったか。実にくだらないことに人生を賭けたものだな」
「聞き捨てならない、と怒りたいところですが、否定出来ないのは実に悔しくありますね。事実として私は今だに結果を残せていない。なじられるのも仕方のないことではあります」
二代目の発言には若干眉を上げたマティーニだったがすぐに平静を取り戻し、言葉を足した。
ネロさえ手に入れることが出来れば私の研究は大いに進歩を遂げることが出来るとマティーニは笑い、次にダイナを見た。
「後は……そうですね。神格の力を完全に奪い取ることが出来なかったのも実に惜しい。一時的に力を奪うところまでは成功したが、後一歩が足りなかったようだ」
「思い上がるのは止した方が良い。この力は貴方程度の者が扱えるものではない」
「ふむ。まあ、そういうことにしておきましょうか。息を吐くように天変地異を起こせるほどの力を振るえる者の言葉だ。疑いますまい」
これにはダイナも苛立ちを募らせた。
どこまでも馬鹿にしてくる、性根の腐った奴だと誰もが思った。それでもマティーニの傍に控えているメアリーにトムとジェリーはいつもこういった言葉を聞き慣れているからなのか、何も感じていなかった。
「あー、一ついいか? 何でそんな坊やにこだわるんだ?」
おっさんは自分よりもお喋りな男を嫌っている。それでも今だけは忍耐強く耐え、これを利用してネロを執拗に狙う理由を聞きだすことにした。
「その話をするとなると少し長くなりますが、聞きたいというのであれば語って差し上げましょう」
マティーニは語った。FH内でも新兵器開発部門に携わっている人間であることを前置きに、十年前からオーヴァードを使った新たな兵器、あるいは軍隊を作りだすことに力を注いできたことを。
「そこで私はジャームに目をつけました。単なるオーヴァード覚醒者よりも、遥かに強大な力を振るうことはあなたたちも御存知でしょう?」
それについては二代目とおっさんを除いた全員が、この半年の間で嫌というほどに思い知った。強い欲望を胸に抱き、レネゲイドに侵蝕され尽した者──ジャームはまさに強敵であった。
「だからまず、実験材料としてジャームを捕らえる必要がありました。ですから、私は手っ取り早い方法を取ることにした」
ジャームを探すというのも簡単なことではない。まずオーヴァードであるのかどうかすら、日常に溶け込んでいる人間の中から判別するのは難しく、さらにそこからジャームであるかどうかを見極めるのは困難だ。
理性を失っているとはいえ、自分の欲を満たすためであればジャームであっても人の生活に溶け込み、扮装する。それが出来ずに暴れ回るような者は、残念ながらUGNによって排除される。そういう経緯もあり、既存の中から探すというのは意外と大変であった。
だからマティーニは探すのではなく、最初からジャームを作ることにした。
適当な事件を起こし、感情を高ぶらせ、人体に入りこんでいるレネゲイドの活性を促す。全人類の八割がレネゲイドウィルス自体には感染しているのだ。おかげで人は簡単にオーヴァードかジャームになってくれる。
合理的かつ簡単な方法であった。このお陰で随分とジャームの研究は進んだと言える。
「もしかしなくても、十年ぐらいこの街でやけにジャーム絡みの事件が多かったのは……」
「ああ、大体は私のせいですね。いやはや、UGNは私が起こした事故処理をしてくれて、本当に感謝しています」
血の雨事件だけに限らず、二代目とおっさんがUGNで活動していた当時からこの街はやけにジャーム絡みの事件が多かった。その処理担当に当てられていたエリミネーターの一員であった二人としては、今更ながらに腹立たしい事実であった。
「それと俺を狙うことに何の関係があるんだよ」
マティーニは熱くジャームのことを語ってくれたが、残念ながらネロはジャームではない。これまでの話からどうして自分を狙うことになったのか全く結びつきが見えず、ネロはさっさと答えろと言わんばかりの語気で迫った。
「実験を通して、私はいくつかの例外を見ることになりました。その結晶ともいうべき存在が、君です」
ネロを、正確にはネロの右腕を見つめながらマティーニは言い切った。
様々な事件を起こして人々の心に傷を作り、数多のジャームを攫っては実験材料に消費していく中で見ることになった数少ない例外。
それはジャームにならず、辛うじて残った理性の力でレネゲイドの活性化を抑え込み、オーヴァードという立ち位置でギリギリ日常に踏みとどまった者たちの方が、ジャームよりも遥かに強い力を発揮しているという事実であった。
「ただ、彼らはすぐに仲間と群れてしまい、個々の力を正確に測りきることがなかなか出来なかった。おかげで十年もの月日を使ってしまいました」
「ジャームに拘ることをやめ、純粋に強い力を持った者に実験対象を切り替えたという話か」
「そう言った具合です。ですから、私は君が欲しいのですよ」
下卑た笑みを浮かべたマティーニがもう一度ネロを見る。その瞳は手に入れられることを確信しているもので、物凄く不快なものだった。
「長話が過ぎたが、十分だ」
二代目が領域を展開すれば、ようやっと殺し合いが出来るとトムとジェリーがはしゃぎながらそれぞれの位置についた。メアリーもマティーニの傍に寄りながら、己の身体を傷つけて血を流し、それに力を吹きこんで三体の愚者を作り上げた。
「俺からも一つ、聞きたいことがある」
互いに臨戦態勢に入った中で、初代が最後だと言葉を付け加えてマティーニに問うた。
「あんたが最初に言った、実験の初動を二代目に邪魔されたってのは何のことだ?」
「別に大したことではありませんよ。実験材料としてジャームを作るために起こした事件を完全勝利に止められてしまったというだけのことです。もう少し正確に言うなら、一人の子どもが覚醒まではしたのですがね。ジャーム化する前に暴走を抑え込まれてしまい、そのままUGNに保護されてしまったと、ただそれだけのことです」
どこかで聞いたことのあるような話だ。というより──身に覚えがあるような。
「それは、十年前の話か?」
「ええ。まあ、もうどうでも良いことですよ。覚醒した子どもは随分とレネゲイドの扱いが下手でしたから、ジャームにでもなって処分されているでしょう。あのような失敗作はこちらとしても願い下げでしたから、今では処分する手間が省けたことに感謝しているぐらいです」
ふつふつと湧き上がってきていたどす黒い感情が膨れ上がるのをどうにかこらえ、初代は続ける。
「その子どもってのは下手くそな電気と読み切れない思考回路に振り回されて、周りの物を手当たり次第に作り変えていた──だろ?」
「……随分と詳しいですね。貴方も現場で当時の光景を見ていたのですかな?」
そんな細かいことなど聞かされなければ忘れていることでしたとマティーニが言い切った瞬間、初代の瞳に怒りの炎が灯った。
「──思い知らせてやるよ。お前が忘れちまったっていう力を使ってな!」
初代がエボニー&アイボリーを作りだし、マティーニに向ける。
ネロを守る戦いが、何よりも初代の復讐が、幕を開けた──。

 

Climax 01 Scene Player ──── 初代

初代の問いかけに答えたマティーニが、十年前に何をしたのか。
当事者である初代は無論、その初代を助けた二代目も、そして初代の過去を知る双子やおっさん、詳しくまでは聞いておらずともそこはかとなく耳に入れたことのあるネロとダイナにだって、行き着く答えは一つしかなかった。
マティーニが起こした事件で、初代の両親は亡くなった。
それだけに留まらず、被害者である初代のことすらも罵り、愚弄した。
マティーニ本人としては、ごく自然のことを言ってるだけに過ぎないのだろう。しかし、DMC事務所に所属する全員を怒らせるには十分過ぎる言動だった。
「初代、俺は復讐を止めない。奴の首は必ず取らせる。だが今は……」
「分かってる。先走ったりしない。だから──俺たちに勝利の道を示してくれ!」
真に初代のことを想うのであれば、復讐などという道を歩ませるべきではないと二代目は考えていた。だから今まではそれとなく気を逸らし、下手な真似をさせないようにと注意を払ってきた。時には直接言って聞かせたこともある。
しかし、こうして目の前に両親の仇が現れてしまった以上、その道を断つことは出来ないと二代目は感じ取った。
それに、だ。この男を、マティーニという人物をこの世から消滅させなくては二代目の内に広がる憎悪が晴れることもない。
初代のことを侮蔑した。二代目が塵ひとつ残さずにこの世から消滅させることを決断するには、十分過ぎた。
「討伐目標はマティーニだが、邪魔する者は全て排除しろ。容赦するな」
二代目から出た全力を出して良いというのを受け、若とバージルは口元を緩めた。
この二人は闘争の衝動を抱えている。故に闘って良いと言われれば、つい喜びを覚えてしまう。それに元より、こいつらに遠慮などする道理はない。
「好き勝手言ってくれてるようだけど、まずは僕を突破してからじゃない?」
お父様の前である以上、僕はもう負けないと言って飛び出して来たのはトム。当然相手側もこれを援護するようにジェリーが後方から光弾を撃ちだし、メアリーも従者と共に血の弾丸を乱射してきている。マティーニ自身も研究者でありながら実験当時には数々の事件を起こしてきた腕前で、二丁拳銃から発射される弾丸に電気を纏わせ、仲間を襲った。
「若とネロは構わずトムと接敵しろ。初代とバージルはあれらを撃ち落とせ」
展開された領域に導かれ、若とネロは言われたままに様々な弾の雨の中を駆け抜けた。躱せるものは躱し、当たりそうなものは初代とバージルによって撃ち落とされ、それでも足りずに二人を襲う弾はおっさんによって弾かれた。
「こうして顔をつき合わせるのも三度目だな、トム!」
「これで最後だよ、お兄さん!」
リベリオンと巨大な斧が何度目か分からぬ鍔迫り合いをする。これを援護するようにネロが悪魔の右腕を使って殴りかかれば、トムは器用にリベリオンを弾いてその斧で拳を受け止める。
「前と、動きが違う……」
前回戦った時のトムにここまでの柔軟性はなかった。では何がそうさせているのかと思って若がトムの背後に目を向ければ、マティーニが細かく指示を出している姿が見えた。
「あいつ、ノイマンか。どおりでこっちの動きが読まれるわけだ」
若が舌打ちをしながらもネロと連携してトムと打ち合いを続ける。
こちらにだって戦場把握を得意としている人物はいる。何よりも信頼している、自分の尊敬する人が必ず打開策をうちだしてくれるはずだ。
「バージル、いけるな」
「問題ない。──全て切り伏せてみせよう」
二代目が小さく指示を出す。それを受け、バージルは閻魔刀の柄に手をかけて深く腰を落とし、瞳を閉じた。
「あれはまずそうですね。……トム! 奴の攻撃を止めなさい」
マティーニも瞬時に状況を把握し、バージルの構えを危険だと察知。これを止めるようにトムに指示を出した刹那、バージルが敵陣全ての空間を切り裂く。
「残念だけど、やらせないよ」
確かに切り裂いた。手応えは感じたし、事実として敵陣には空間が引き裂かれたような跡がそこかしこに残っている。しかし、誰一人として傷を負っていないのことを現実として突き付けられた。
「空間ごと無に返したか」
静かに二代目は何が起きたかを分析して、次の一手を打つ。
トムもバロールシンドロームの使い手だ。おっさんのように時を止めるのとは別の、指定した空間を操り無に返すことでバージルの攻撃を〝なかった”ことにした。
「後は頼む」
「任せとけ。ここまですらも、全ては二代目の読み通りだ」
バージルとしては悔しくある。己の全身全霊の攻撃を無に返されて、苛立ちが募っていく感覚を確かに感じている。そして、バージルの全力は短時間で何度も出せるものではない。たった一度の攻撃に全てを乗せ、一撃必殺を狙う。これが彼の戦い方だ。
だが、これすらも布石だ。そして今日だけは、それでいい。
今この瞬間にもっとも力を滾らせている男。自分の兄にして、信頼している人物の全力に繋げられたのだと思えば、悪くなかった。
「見せてやるよ。俺の本当の力ってやつをな!」
エボニー&アイボリーに込められた銃弾が全弾発射される。それらは電気を纏い、マティーニとメアリー、さらにはメアリーの作りだした三体の従者全てを貫いた。
「──っ! お父様に攻撃なんてさせないよ!」
ように見えた。
作りだされていた従者は全てが一瞬にして穴だらけになって血に戻ったが、メアリーは被弾を数発に抑えたようで立っている。何より、マティーニに届くはずであった銃弾たちは全てトムが庇ったようで、一発もマティーニを穿ってはいなかった。
「何ですか、今の威力は」
「てめえには一生分からねえよ」
そう言われるとマティーニはどうでも良さそうに初代から視線を外した。
「よくやりました、トム。……ジェリー! 後方にいる連中を狙いなさい」
「分かりましたわ、お父様!」
指示を受け、後方に控えていたジェリーが構え、光弾を発射する。全ての光弾は若とネロより少し後ろで攻撃をしていたバージルや初代に浴びせられた。
「後衛組ってのはどうにも体力が低いから、狙う場所としては常套だな」
特に攻撃した後だと回避行動もろくに取れないもんだと笑って全てを受けたのはおっさん一人であった。周囲には大量の魔眼が浮かんでおり、ジェリーの撃った光弾の軌道を変えて仲間を守ったようだ。
「なるほど、完全勝利が鉄壁の防御に指示を出していなかったのはあえてでしたか。出し抜かれましたね」
ここにきて初めてマティーニが顔を歪めた。間違いなく、焦りを内包した瞬間だ。
マティーニの言うとおり、今回の戦いにおいて二代目はおっさんにだけ何の指示も出していない。何故ならおっさんの行動は全て、彼自身に委ねたからだ。
指示を出せば、戦局は非常に動かしやすい。好き勝手に振る舞う人間がいないというのは、とても楽なことだ。だが弱点として、統率の整った動きというのは相手にも読まれやすくなる。だからこそ、二代目はあえておっさんを自由にした。これを決断できるのは、長年を共に戦場を潜り抜けてきた信頼があるからこそ出来る芸当である。
「さーて、もう一丁頑張るとしますか」
大一番の戦いの最中であってもおっさんの発言は普段と変わらず、今にも面倒くさいなんて言葉が飛び出しそうだ。
だが、言葉に反して態度は全く違う。まさにここ一番に見せるに相応しい、相手を威圧する眼が相手を射抜く。
「俺は自分から相手を殴る力は一切持ち合わせていない。代わりといっちゃなんだが、それなりに妨害や支援は得意な方だと自負してるぜ」
おっさんの言葉を聞いたトムが異変を覚える。ほんのわずかな間、身体が金縛りにあった。
そんな絶好の機会を二代目が逃すはずはない。即座に若へ指示を送り、トムに向かわせた。
「これで終わりだっ!」
リベリオンがトムを一刀両断する。間違いなく、これで立ち上がることは不可能だ。
「立ちなさい、トム」
「……は、はい。おとう、さま」
トムの肉体はは明らかに限界を超えている。それでもマティーニの言葉を受け、立ち上がった。
「どこまでも兵器として使い潰すつもりか」
「トムは一度死したのです。今のトムはメアリーの悪夢が生み出している幻影に過ぎない。それをどのように使おうとも、私の自由なのですよ」
「外道が」
二代目が毒を吐いた。マティーニに対して明確な憎悪を抱いている。それでも己を律し、戦場に目を向けた。
「だったらもう一度ぶん殴って、二度と立ち上がれなくするまでだ!」
ネロの言葉に呼応するように悪魔の右腕が青く光る。そして振りかぶられた拳は立ち上がったトムを確実にとらえ、後方の壁にまで吹き飛ばした。
「兄様っ!」
「……ジェリー。おとう、さまを──」
僕に代わりに守ってと言い切る事無く、トムは倒れた。これに対してマティーニはもう一度立ち上がれと声を掛けるが、ボロボロに崩れてしまったトムが起き上がってくることは二度と無かった。
「お父様。兄様の代わりは私が担いますわ」
「ではそのように。メアリー、例のあれを」
「かしこまりました。……ふふ、これを見ても戦えるのかしら」
トムを失っても大したことではないといった態度でマティーニはメアリーに命令する。それを受けたメアリーはようやっと楽しめると口元を歪め、手を振った。
すると二代目たちがやってきた会議室の扉が開き、二人の女性が入ってきた。
「会いたかったわ、二代目」
「この日をどれだけ待ちわびたでしょうか」
二人はよく似た風貌であった。特別美人というわけではないが、一般的には十分綺麗だと称されるであろう女性たち。
女性の姿を認識した仲間たちがどこまでも非道なことをすると怒りを強める中、二代目だけは胸の内に突如として膨れ上がる甘い感情に当惑した。
「シェリルにティアか」
「久しぶりね、おっさん。相変わらず冴えない顔」
「もっと二代目を見習って、男を磨いた方が良いですよ」
「お前たちも、もうちょっと二代目以外の男に目を向けるべきじゃないか? 視野の狭い女なんてのは、相手にされないもんだ」
数年ぶりに再会を果たしたというのに、何も変わっていないとおっさんは苦笑する。しかしその顔はすぐに鋭いものに変わり、マティーニたちに向けていた視線と変わらないものをシェリルとティアにも向けた。
一方でシェリルとティアは口元を緩めるばかりで、おっさんのことなど意にも介していない様子だ。それを証明するように視線はずっと二代目を見つめていて、外そうとしない。
「──俺に、何をした」
二代目がシェリルとティアに向けた第一声は、疑問だった。胸に手をあてて二人に視線を合わせると、先ほどの甘い感覚が再び二代目を襲った。
「最初からこうすれば良かったと、今になって思っているわ」
「貴方のことは私と姉さんの二人で、死ぬまで愛していくことにしたの」
一度死んで蘇ったのだから、もう何をしたって構わないでしょうと言って笑う二人に、かつてエミリネーターとして共に戦った時の誇りはすべてなくなっていた。
今の彼女たちの胸の中を支配している感情は一つ。最愛の人、二代目を手に入れる。これしか考えられていなかった。
「二代目、大丈夫か?」
不安げな初代の言葉が、二代目にとって大切なものを思い出させる。
シェリルとティアのことは、別に嫌っていない。救えることが出来たなら、救ってやりたかったと今でも思っている。
しかし、それだけの関係だ。残念だが二代目にとって、彼女たちは最愛の女性にはなり得なかった。
「ああ、心配をかけてすまないな。もう、大丈夫だ」
二代目の言葉を聞き、シェリルとティアは嘲笑う。強がりを言っても無駄だと。私たちには今の貴方が何を考えているのか、手に取るように分かると。
「俺としても、勉強になった。ジャームは時として、他者の心にまで入り込むのだということを」
どのような手段を用いたのかまでは分からない。だが事実として、二代目の心の中にはシェリルとティアの思い出が、どうにも色眼鏡がついた状態で復元されている。
きっと人々はこれを好意と呼ぶのだろう。二代目としても、そういった感情は肯定的に見ているほうだ。ただ付け足すなら、これが歪められた感情でなければの話にはなる。
「今の俺に色恋など必要ない。俺がもっとも大切にしているものはただ一つ。家族たちの安寧だけだ」
言い切った時、シェリルとティアの思い出が昇華されていく。悪くはない思い出だ。だが二代目にとって、歪められた過去など何の価値もない。──だから捨てた。
二代目が心に植え付けられた感情に見切りをつけた瞬間、シェリルとティアの顔には怒りが刻まれていく。ひどく汚い言葉で罵り、絶対にあなたを手に入れると二人が怒った。
「どうしてよ! どうして私に目を向けてくれないの!」
「私の何が足りないというの? いつも気にかけるのはおっさんばかりじゃない! ……まさか」
「下手な想像は止してもらおう。俺にとってお前たちは女性としては映らなかった。どこまでもチームメンバーだった。……それだけだ」
これを聞いて血相を変える二人に対し、愉快そうに笑い声を上げた者がいた。
「マスターのことを外道だなんだと罵ってくれましたが、貴方も変わりませんね。実に極悪非道です」
だからこそ悲劇は彩られるとメアリーは笑う。これこそ、私が求めていた光景だと。
二代目は何も言わなかった。代わりに領域に埋め込む因子の量をさらに増幅させ、仲間たちに更なる力を送った。
「後ろの女どもは俺が斬るが、構わんな?」
「好きにしな。二代目だって、ここまで来て止めたりしねえだろ」
バージルが自分の近くで相手の攻撃に備えているおっさんに確認を取れば、適当な答えが返ってきた。ただバージルにとっては都合の良い返事だったので、おっさんを罵ることはしなかった。
シェリルとティアに対して、バージルが何か感じることはない。しかし二代目とおっさんにとってはかつての仲間であったことも事実。だからこそ、確認を取っておきたかった。自分がこの手で二人の因縁を断ち切ることを。
「おい、貴様には働いてもらうぞ」
そして次はダイナに声をかけた。声をかけられたダイナは若干嫌そうな顔をしたが、仕方がないと諦め、バージルの意向を汲んだ。
「若、お前もこいつに力を貸せ」
「俺は別に構わねえけど、負担がでかいんじゃねえのか?」
少し離れた位置にいる若に声をかければ、してもいいのかと疑問の声が返ってきた。
「神格だと豪語しているんだ。問題あるまい」
「無茶を言ってくれる。別に構わないけど」
一人からだけではなく、二人からレネゲイドを活性する力、触媒を受けるというのに一切の焦りを見せないダイナは単なる馬鹿か、あるいは大物か。恐らくはただの馬鹿なのだろうが、双子の力を受け止めきる自信がダイナにはあり、そしてそれを難なく成しえた以上、実力は本物だ。
もちろん、バージルがこれを決行したのは同じ会話を聞いているはずの二代目が止めなかったことも関係している。
二代目であれば自分たちがどれぐらいまで耐えられるのかをきちんと把握しているはずだと信頼していて、静止がないということは問題ないということであると解釈したのだ。
「じゃあ、みんながんばって」
場にそぐわない、いつもの抑揚のない掛け声を出しながら、ダイナが仲間たちに活性化を促す物質を振りまいていく。
通常であれば近くにいる者たちにしか届かないものも、双子の力を借りることでより広範囲に、そして生成する物質量すらも増やすことが出来た。
「後、これはおまけ」
そしてシェリルとティアを討つと言い切ったバージルにはこれも追加だと、ダイナはこの一言を付け足した。
別に何かされた感じはなかった。本当に一言、おまけと聞かされただけ。それでも不思議な感覚が体内を駆け巡り、先ほどの疲れが嘘のように取れているのをバージルは確かに感じた。
「少しだけ、見直してやる」
これならばもう一度、先ほどの全身全霊をかけて放った技、次元斬を繰り出せると確信した。
「貴様らに見せてやる。二度も止める術は持っていないだろうからな」
先ほどと同じように閻魔刀の柄に手をかけ、深く腰を落とす。この動作を確認したマティーニはまさかと思ったがこれをハッタリと読み、ジェリーたちに攻撃するよう指令を出した。
「俺の息子を侮るなよ」
二代目に信じられている。そう感じられるだけで、バージルはさらに力を湧き上がらせる。
「You shall die」
閻魔刀を抜刀し、人の目では追えない速度で刀が振るわれ、納刀される。音と同時か、それよりも数瞬早く、小さな会議室の中はバージルを含んだ仲間たちがいる場所を除き、全ての空間が斬り刻まれた。
「こんなの……避けられる、わけ……」
スナイパーライフルを取り落とし、ジェリーの体が崩れていく。どれだけ踊るようなステップで避けようとしても、そもそもとして逃げ場がない以上どうすることも出来なかった。
次元斬はジェリーだけを襲ったわけではない。文字通り、この小さな会議室の中を斬り刻んだのだ。マティーニとメアリーは当然のこと、バージルから見れば背後にいるシェリルとティアさえも斬った。
「君もとんでもない力を持っているようだ。是非とも私の実験体にしたい」
何をしたのか──。
傍に立っていたメアリーはボロボロになっていて、どうにか流れ出た血を使って体を保っている一方で、マティーニだけは無傷であった。
そして背後にいるシェリルとティアも致死量の傷を負っているというのに、どういうわけか立っていた。
「流石に今のは堪えました。でも、無駄です。彼女たちは永劫の奴隷。私が生きている限り、朽ちることなどありはしません」
バージルは舌打ちをした。あれだけやって討ち取れたのがジェリーだけという事実に、苛立ちが募った。
ダイナにあれだけのことをさせ、そのために若にまで協力を要請し、最後には二代目に信じてもらったというのに、結果がこれというのはどうにも納得がいかなかった。
「よくやったなバージル。後は俺たちに任せとけ」
「……すまない」
「何謝ってんだ。よく見ろよ」
初代に肩を叩かれ、反射的に謝罪の言葉が衝いて出たことには自分でも驚いた。きっと、声をかけてきたのがおっさんであったなら謝ってはいないだろう。
それよりも、初代に言われたことが気になって、すぐに頭を切り替えて周りを見て見た。正直自分はもうほとんどの力を出すことは出来ないが、相手も相当追いつめられているようで、傷を負っていないマティーニの額には脂汗が滲んでいるし、メアリーは立っているのもやっとの状態。シェリルとティアに関してはメアリーの力によって体を保っているだけだから、メアリーさえどうにか出来ればすぐに崩れてなくなるだろう。
「オーヴァードになって十年以上経つが、今ほどの高威力をあれだけの範囲にやってのける奴を見たのは初めてだな……」
聞こえてきたのはおっさんの声。本人としては誰の耳にも聞かせる気はなかった呟きであったが、音の扱いに長けているバージルには簡単に聞き取れるものであった。
「俺も負けてられねえな!」
何より、今のを見て更なる闘志を燃え上がらせている若を見てしまっては、こんな所で傷心を受けている場合ではないと奮起することが出来た。
若とネロはマティーニとメアリーと接敵してそれぞれの能力を使って攻防戦を繰り広げる。その二人を支援するように他の仲間たちも動き出す。
最初は互角に打ちあっているように見えたそれは、すぐに終わった。
あれだけの斬撃をもろに受けたメアリーは自身の体をもう一度構成するだけでほとんどの力を使い切っていた。そんな彼女が若の一撃を受け止められるはずもない。
「もっと……あなたたちが苦しむ姿を見ていたかった……。マスター……ごめん、なさい」
メアリーが崩れて血溜まりを作っていく。すると、背後から悲鳴に近い声が聞こえてきた。
「どうして私の物になってくれないのよ!」
シェリルが叫び、飛び込んでくる。メアリーの力によって維持されていた身体は崩壊を始めていて、こちらが何もせずともすぐに消えてなくなるだろう。ティアに至ってはもう体を維持出来ないようで、何度も二代目と名を呼びながらメアリーと同じく血溜まりへと姿を変えていった。
ただし、今のシェリルはどのような攻撃を受けても痛みを感じない。つまりそれは恐怖を感じるないということだ。そして戦いにおいては恐怖を感じない相手というのは、何よりも厄介な相手であった。
「やけを起こしたか。来るぞ!」
「あの時やった自爆特攻か。だったらここで使うしかないな!」
血の雨事件で見せたシェリルの最期。それは自身の体を爆弾に変えて、周囲もろとも吹き飛ばす特攻技。当然そんなことをすればシェリルだってただでは済まないが、もはや今の彼女にとって命や自身の体などどうでもいい。
二代目を道連れに出来れば、それで良いのだ。
シェリルの体が爆弾に変わっていく。同時に宙を浮き、完全に爆弾へと変形したそれが地面に落ちる。刹那、凄まじい爆風が巻き起こり、二代目たちを巻き込んで爆発する。
──だが、それは起こらなかった。
地面に不発の爆弾が残っているわけではない。完全に爆弾と化したシェリルは消滅している。それでも事実として、爆発など起こらなかった。
ただし、膝を折った者がいた。肩で息をして、顔中に汗を流しているおっさんだ。
「この時を待っていたぞ!」
マティーニがこれぞ勝機だと狂ったように笑いながら、二丁拳銃だけで万軍のような射撃を行い、二代目たちに襲い掛かった。
おっさんの実力が評価される時に人々の目がよくいくところ。それは身体の丈夫さや敵の攻撃をいなす技術だ。
確かにそれは間違っていないし、何なら汎用性の高い技術であるため、正しい評価だと言える。だがマティーニがもっとも恐れていた能力は地味ながらに洗練されたそれらではない。
一秒。
普通に生きている時には〝たったの一秒”と称されるあの一秒を、この男は止める。
なんてない時に一秒止められたって、人は何も思わない。それどころか自分が生きている内の一秒が失われたって誰も気に止めないし、今あなたの人生から一秒がなくなりましたと言ったところで信じはしない。
しかし、超人的な力と力がぶつかり合っているこの瞬間だけは、その一秒が生死を分ける。
高性能な物ほど、ほんの小さなズレが多大な誤差を生み出すのと同じことだ。それを利用し、おっさんはシェリルが爆発した一秒を止めた。結果、その爆発したという事実が〝なかった”ことにされた。
本来、他者すらをも巻き込んで一秒を止めるなんて芸当は、重力を操ることに長けるバロールのシンドロームを持っている者でも至難の業だ。そもそも、重力を操る力を極めたら時間に干渉するほどになったなんて馬鹿げた話を作りだした、この男ぐらいにしか出来ないことだ。
だからこそ、マティーニは鉄壁の防御が時を止め、体勢を崩すこの時をずっと待っていた。
これに対し、二代目だっておっさんが体勢を崩してしまった時を穴埋めする程度の策は用意している。しかし、どれだけの策を講じようともおっさんの抜けた穴を埋めるというのは簡単なことではない。仲間たちに指示を出しても、守れる範囲に限界が出てしまうのが現状であった。
この場面において、守らなくてはならない者を二代目は瞬時に頭の中で算出する。
初代は絶対だ。何を置いても彼は守らねばならない。そうでなくては、彼はその生涯に復讐出来なかったという枷を背負うことになる。たとえ仲間が討ち取ったとしても、完全に心が晴れることはないだろう。
次にネロ。彼が倒れてしまえば、マティーニはそれを攫ってこの場から逃げだす可能性が大いにある。そしてここは奴のテリトリーだ。二代目が知らない隠し通路をごまんと用意し、全てを有効活用してくるだろう。
初代のことは自分が庇うとして、ネロを守れるのは一番近くにいる若だけだ。相当の負担を強いることになるが、頼むしかない。ダイナは距離的に庇えるのはバージルだけだから自然とそちらに向かうだろうし、おっさんであれば自分一人だけなら何とでもする。
「若──」
「分かってる! 俺は絶対くたばったりしねえ!」
二代目の考えを汲み取った若が指示を受けるよりも早く、ネロの前に飛び出す。不安だが、こうする他手段はない。自分がもっと多才であったならと、己を呪わずにはいられない。それでも今この瞬間は若を信じ、ネロを託すしかなかった。
「まだだっ! まだ他に手があるはずだ! こんな所で、奴の思い通りになんてさせねえ!」
絶対に負けてなるものかと、初代が声を上げる。すると呼応するように、辺りのレネゲイドがさらに活性化していく。
一秒。
マティーニが放った全力の攻撃。万軍をも撃破する圧倒的な力は、誰にも当たることはなかった。
この光景に、誰もが既視感を覚えた。先ほどおっさんがシェリルの攻撃を〝なかった”ことにしたのとまさに同じ。
もう一度、一秒の時が止まったのだ。
「まさか、模倣したの? おっさんの時を止めるそれを?」
ダイナの発言にまさかと思い、二代目が初代を視界に捉える。
そこには確かに初代がいた。おっさんと同じように肩で息をしながら膝を折り、それでもどうにか意識を保っている初代が。
「ネロ! この機会を逃すな!」
誰もが唖然としている中、逸早く状況確認を終えた二代目がネロに指示を飛ばす。今すぐにでも初代に駆け寄って体を気遣ってやりたいが、自分がするべきことはそれではない。
ネロも二代目の声ではっと我に返り、同じく我に返って距離を取ろうとするマティーニに向けて悪魔の右腕を伸ばす。伸ばした悪魔の右腕から半透明の青い腕がマティーニを捕まえ、自身の方へ引っ張りこむ。
「な、なんだその力は──っ!」
「これが、てめえが欲しがった力だよ!」
面白いようにこちらへ引っ張りこまれたマティーニの顔面をネロの悪魔の右腕が捉え、思いっきり殴り飛ばす。
自由の利かない身体で避けられるわけのないマティーニは気持ちの良いほどに吹き飛び、壁に叩きつけられた。
「終わりだ、酒の王」
二代目が初代に肩を貸しながら、マティーニを見下ろして言った。するとマティーニは嘘か真か分からない言葉を吐いた。
「……良いのかね。私に止めを刺せば、私の体内に仕込んである無数の爆弾が起爆する」
これを聞いた初代は銃のトリガーを引こうとしていた指から少し、力を抜く。何も言わずにただ二代目を見つめ、言葉を待っていた。
「たとえお前の言葉が真実であったとしても、我々はこの後全員で事務所に帰還する。何も問題ない」
銃声が轟く。
マティーニの脳幹は撃ち抜かれ、少量の血が溢れだす。それと同時にマティーニの身体が光った後、凄まじい爆発がおき、全員を襲った。
「まったく、何が問題ないだ。大ありだっての」
後方に控えていた仲間たちはともかく、至近距離にいた二代目と初代が爆発を食らえばひとたまりもない。だが彼らは当然のように無傷であり、また二人を守ったおっさんも自慢のコートが若干焦げただけで、目立った外傷はなかった。
「……悪いな。俺の復讐に付き合わせて」
「構うなよ。俺や二代目にとっても因縁のある相手だったんだ。まあそれはここで明かされた真実でもあったわけだが」
「前に、進みだせそうか?」
そっと、本当の父のように問いかけてくる二代目があまりにも格好良くて、初代は改めてこの人に救われて良かったと感謝した。
「どうかな。また道を踏み外しちまう事もあるかもしれないから、これからも一緒にいてくれよ。父さん」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした二代目を見れるのは、一生を通してこの間だけだろう。初代が悪戯っぽく笑えば二代目もかすかに笑い、しっかりとした手つきで初代の髪の乱れを直した。
だがこれに魔を指すように施設内が大きく揺れ出し、長くはもたないことを教えるように崩れ出し始めた。
「さっきの爆発で建物が完全にイカレちまったみたいだな。流石にこの揺れの中じゃディメンジョンゲートは開けないぞ」
「ゲートは相当な集中力が要されるものだ、仕方あるまい。全員に告ぐ! これより、酒の王が作った研究施設から脱出する!」
二代目の掛け声を聞き、全員が外へ向かって走り出す。
最前線を務めるのはネロと若の近接ペア。その一歩後ろを二代目がバージルを肩を並べて走っており、さらにその一歩後ろには初代と腕を掴まれて半ば引きずられる形で駆けているダイナだ。
家に帰るまでが遠足と誰が言ったか。
今の状況はまさにそれに近いなんて、おっさんは相変わらずなことを考えながら最後の大仕事、研究施設の脱出の最後尾を務めるのだった。

 

Climax 02 Scene Player ──── ネロ

崩壊を始めた建物の下敷きになれば、たとえオーヴァードである彼らだって無事では済まない。挙句にここは地下施設だ。生き埋めなんて、たまったものじゃない。
全員、肉体の疲労はピークに近い。
あれだけの強敵を複数相手したのだ。流石の彼らだって疲れは覚える。
それでも不思議と全員の胸の内に不安はなかった。帰ったらすぐにでも寝てしまいそうでありながら、脱出するまで、というよりは事務所に帰るまで意識が飛んでしまいそうな気はまったくしなかった。
これもひとえに、仲間たちがいるおかげなんだろうなと誰もが口にせずとも心中で考え、きっとそのとおりなんだろうと納得していた。
揺れを感知したため、研究施設のあちこちで緊急時用の通路を遮断するシャッターが道を阻む。これらを力任せに若が粉砕していくと、他にも崩れ落ちている瓦礫なども彼らの進む道を妨害した。
「邪魔だっ!」
大きな瓦礫はネロと若の二人が破壊していく。壊してもそこそこの大きさを保っている瓦礫たちが後ろから追うように走っている仲間たちの方へ飛んでいくが、これらは初代の銃弾とバージルの幻影剣によってさらに細かい破片へと姿を変えていった。
「こういう細かいのを弾くのが一番苦手なんだよなあ」
小さくなったとはいえ、飛んできているのはコンクリートの破片だ。身体に当たれば傷が出来るし、今の自分たちの体力では下手をすれば致命傷になりかねない。
これにぶつぶつと文句を垂れながらも魔眼を操って一つずつ、適当に見えながらも実に丁寧なコントロールで全員の身を守っているのはおっさんだった。
今もなお揺れている建物。この内部を走るというのは足を取られやすく、普通に走る以上の体力を持っていかれる。それでも皆は懸命に走り続け、ようやっと地上に続いている最後の通路に出た。
「もう少しだ! このまま走れ!」
前を走っているネロと若が一番最初に外へ出ていく。これに続くようにバージルが飛び出す。
「先に出てるぜ」
「ああ、行け」
そしてダイナを引っ張っているために遅れている初代を追い越し、おっさんも出る。本当は一番最後まで残るべきなのはおっさんなのだろうが、今日一日で自身の身に引き受け続けた攻撃量は過去最大と言ってもいい。
あのおっさんですら、もう限界なのだ。更に言えば、時までをも止めている。だから二代目はおっさんを先に脱出させた。
「踏ん張れよ!」
「が、頑張ってる」
ダイナの体力なんていうものは、もはやどこにも残っていない。走っているというよりはただ初代に引きずられているようなものだ。それでもどうにか足を動かし、体を前に進めている。
「初代、掴まれ!」
二代目の伸ばしている手に初代の手が伸び、掴む。しっかりと掴んだことを確認した二代目も体力を絞り出し、二人を引っ張って地上へと体を出した。そして大量の土砂が地下施設へと雪崩れ込んでいく。後数秒遅れていたら、この土砂をも跳ね除けて脱出しなくてはならない過酷なものになっていただろう。
「──ダイナ?」
初代が違和感を覚える。
自分の右手を掴んでいるのは二代目の手だ。……では、左手に先ほどまで感じていたはずの温もりがないのは、どういうことだ?
嫌な予感が脳裏を巡り、振り返る。後ろにあるのは今も土砂が地下に出来た穴を塞がんとばかりに流れていく光景だけだ。
「ここにいる。どうにかなった」
地面から聞こえてきた声に驚いて下を見れば、もう一歩も動けないと駄々をこねる子どものように座り込んでいるダイナの姿があった。ただしいつもの短くて黒い髪ではなく薄緑で、長く伸びた髪先が地面についていた。
「その姿……」
「土砂に巻き込まれるところだった。どうにか神格の力が戻ってくれて良かった」
思ったよりも早く力を取り戻せたのはマティーニが死んだからかもしれないとダイナは疲れた顔で笑った。
地上へ滑り込むのが一歩間に合わなかったダイナは土砂に巻き込まれる瞬間、身体に馴染むように帰ってくる力を感じ取り、一か八か神格の力を解放した。
そして見事に戻ってきた自身の力を使い、自分が通れるほどの穴を開けるため、流れてくる土砂の一部を腐敗させて這い出てきたらしい。
「最後の最後に肝を冷やさせやがって」
「い、いたい……」
ほっぺを引っ張られているダイナは抗議の声を上げるも、おっさんがディメンジョンゲートを作りだすまでの間、聞き入れてもらえることはなかった。
「よおし、開けたぞ」
「では、帰還しよう」
ゲートの行き先は事務所の中。
これにてようやく、Decil May Cry事務所に真の平穏がやってくる──。

 

Ending 01 Scene Player ──── ネロ

全員が満身創痍の中、おっさんが作ったディメンジョンゲートを潜って事務所に帰ってくる。
「おかえりなさい」
聞こえてくるのは大切なあの人の声であった。
「キリエ……」
「こんなにボロボロになって……。また無茶をしたのね?」
子供をあやすような、それでいてきちんと怒ってくれるキリエを前にして、聞きたいことが山ほどあったというのにその全てが喉奥に仕舞われてしまった。
「──ただいま」
絞り出せたのはたったのこれだけ。それでもキリエは頬笑み、身体中傷だらけの自分を気遣いながら、そっと抱きしめてくれた。
「一人にしてしまい、申し訳ない。だが安心してほしい。我々に対する脅威は去った。もう、安全だ」
「二代目さんたちもこんなになって……ゆっくりお休みになってください」
事務所のことは私がしておきますからと引き受けるキリエはどうにも順応性が高すぎる気がして、ネロが問おうとした時、彼女の服のポケットから一枚の紙が滑り落ちた。
黙って覗くというのもあれかと思ったが好奇心には勝てず、キリエの目を盗んでさっと目を通す。
そこに書かれていたのは、キリエが意識を失ってから自分たちが何をするのかが丁寧にまとめられたものであった。これを置き手紙として残していったのは言うまでもなく、二代目だろう。だから意識を取り戻したキリエはこれを読み、今までずっと事務所で待ってくれていたようだ。
「キリエ、あなたが無事で良かった」
「ダイナさん! あの時は、本当に……」
「問題ない。私もネロたちに助けてもらった。……それより、記憶のことなのだけど」
ライブ会場で起きた惨劇は、キリエにとってあまりにも辛い出来事だ。あんなもの、普通の人が見るべき光景ではない。
ただ、二代目もそれは承知の上で対ワーディングマスクを渡した。悲惨な光景であれど、それ以上にその場から逃げられるような対策が必要だと判断したからだ。事実、あの場でキリエが意識を失っていたらネロがあそこまで手際よく逃げられていないだろうし、下手をすれば全員が捕らえられてしまっていたかもしれない。
とはいえ、思い出さずに済むならそれに越したことはないのも事実。だからダイナはキリエにあの時の光景だけを忘れるよう、記憶改ざんの提案をした。
「私の作りだす物質であれば、当時の光景だけを綺麗に忘れさせてあげられる。他の記憶に劣化などは起こらないから、安心してほしい」
これを聞き、是非受けるべきだと真っ先に背中を押したのはネロだった。彼からすればキリエにあのようなことを覚えていてほしいと思うわけがないのは、至極当然である。
大切な人があのような惨たらしい光景を思い出して苦しむ姿を見たくないと思うのは、普通のことだ。
「いえ、やめておきます」
「なんでっ……!」
きっぱりと断るキリエに迫るネロを押し留め、キリエは続けた。
「だって、みなさんはしないのでしょう?」
「オーヴァードには効かない物質だから、出来ないというのが正しい表現にはなる。ただキリエの言うとおり、ここにいるみんなは……しないと思う」
キリエの問いに、思うなんて曖昧な言葉でごまかしたダイナを含め、誰も記憶改ざんをすることに同意する者はここにいなかった。
「皆さんはどれだけ苦しい過去だって忘れずに、きちんと受け入れて前に進んでいる。それに……」
同じ人間なのに、自分だけが忘れるなんてことがどうして出来るのかと当たり前に放たれたキリエの言葉に、誰もが胸を打たれた。
──オーヴァードは人間か否か。
この問いに答えられるものは未だ、この世界には存在しない。だがここに、人とオーヴァードの間に確かな絆が存在している。
「分かった。ではキリエの気持ちを尊重し、記憶改ざんの話はなかったことに」
「はい。これからもネロともども、よろしくお願いします」
「頭を下げるのはこちらの方です。……キリエさんという人に出会えて、我々は本当に幸運だ」
綺麗に腰を折り、頭を下げる二代目にキリエは驚き、お気遣いなくと慌てていた。これを見たネロは物凄く不機嫌になったわけだが、おっさんが大笑いしだすので腹いせに思いきり殴り飛ばしてストレス発散した。
いつかおっさんが言った、俺たちにとってネロが必要になるという意味がこの時になってようやっと二代目も理解した。
二代目がDevil May Cry事務所を設立したのは身寄りのないオーヴァード同士が身を寄せ合い、小さくも温かな居場所を守っていくためであった。
だがこれには一つ、足りないものがあった。それは人との絆だ。
人間として生きていく以上、絶対に切れない大切な物。これがDevil May Cryには足りていなかった。
これを運んできてくれたのは紛うことなきネロだ。
もちろん、これはキリエだけがいれば良かったなんて単純な話ではない。元よりネロが人の時からキリエとの縁を大切にしたからこそ、オーヴァードになってしまったネロをキリエは受け入れられた。だからこそ出来た、人とオーヴァードの絆だ。
彼らはそれを自分たちにも分け与えてくれたのだと、二代目は感謝した。
「なあなあ、今からパーッと歌でも歌おうぜ!」
「この状態で歌うだと? 貴様正気か?」
満身創痍であると言っているのに滅茶苦茶なことを言いだす若は完全にノリノリで、昔初代に作ってもらったカラオケセットを自室から引っ張り出してきてリビングに広げだした。
「こんな時だからこそ、祝いの宴をってな!」
「おー、懐かしいな。一曲歌ってやるぞ」
いつの間に復帰したのか、おっさんもマイクを手に取って早速曲を入れ出し始めている。これには二代目も苦笑いを浮かべたが無粋なことはすまいと止めることはしなかった。
「初代も歌う? 私、聞いてみたい」
「初代はすげえ上手いから最後な」
後バージルは音調を操ってすぐに百点を出すのも禁止だと若がいいながら、もう一つのマイクを持っておっさんの入れた歌を一緒に歌いだした。
「ほんと、こいつらの体力は底なしかよ」
「ふふっ。でも、元気そうで良かった」
呆れたと、ソファに思いきり腰を下ろすネロの傍にキリエも座り、熱唱している二人の歌を聞いている。ネロはこのまま眠ってしまったが、他の面々はやいのやいのと騒いでいた。
「何というか、俺ららしいな」
「今日ぐらいは許してやるさ」
初代が笑って二代目に耳打ちすれば、仕方のない奴らだと微かに笑いながら言った。これを見てもう一度笑った初代の心の中にはもう復讐のことなど綺麗になくなっていて、ずっとこいつらと一緒に生きていきたいという思いで満たされていた。
「おーい初代! 全員分のマイク作ってくれ! 大合唱するぜ!」
おっさんに言われ、好き放題言ってくれると思いながらも即座に足りない分のマイクを作り、手渡していく。眠ってしまったネロと静かに聞いているキリエは遠慮して受け取らなかったが、残りの全員がマイクを手に、決める。
「Let’s lock!」
こうしてDevil May Cry事務所を巻き込んだ騒動は終焉を迎えた。誰もが認めるハッピーエンドの形で。
また彼らの活動を見ることがあるとすれば、大きな事件が起きた時だろう。その時にはほんの少しだけ、DevilMay Cry事務所の在り方は変わっているかもしれない。

第五話「悪魔も泣きだす」 了