Vampire hunter

「帰ってくる予感はあったが、ここまで早いとは考えが及ばなかったな」
 この一か月をハーヴェス王国とグランゼールの往復に費やしているというなかなかに大変な現実を体現した一行は現在、冒険の国グランゼールの新市街区に建っている質素な家にお邪魔している。
 言うまでもないが、この家は恩人──完全勝利──の家だ。再び訪ねた時はほんの少し、驚かれた。
「俺達もこんなに早く再開することになるとは思ってなかったんだ。悪いね、旦那」
 なんて、悪びれた様子もなく男の家で寛いでいるダンテは男に入れてもらったハーブ茶を口にし、今回もよく分からないと零しながらも飲んでいた。バージルは断り、リエルが落ち着いた様子で飲んでいる光景はまさにこの間を彷彿とさせる。
「前回は本当に申し訳ありませんでした。貴方様が名高き英雄、完全勝利その人とは知らず大変無礼な態度を取ったこと、深くお詫び致します」
「畏まらなくていい。もう昔のことだ。今は老いぼれの、ただの人間だ」
 ダイナの挨拶に男は首を横に振るばかりだったが、蘇生術を習得しているほどの人物をただの人間なんて考える者はまずいない。それだけに留まらず、成しえてきたことの規模が現実離れしすぎている。畏まるなという方が無茶だ。
「用件を聞こうか。まさか茶を飲みにとんぼ返りしてきたなどとは言うまい」
 男に促され、ダンテは改めて姿勢を正した後、一呼吸を置いてから話し始めた。
 自分たちには成しえなくてはならないことがあること。その為に、預けてくれたギーシェの遺品である本の内容がどうしても必要なこと。これを求めていた人物にはきちんと許可を取って本を譲り受けたことを伝えた上で、本の解読をが出来る人物は貴方しかいないから、力を貸してほしいと切に訴えた。
 一通りを聞き終えた男はゆっくりとハーブ茶を一口飲んで、視線をダンテに向けた。
「一つ、問いたいことがある。今の俺と君たちの関係は、なんだろうか」
 なんて答えるのが正解であるのかを一瞬の間であらゆる展開を想定し、絶句せざるを得なかった。
 ラクシア全土が認めた英雄であり、命の恩人でもある彼と自分たちとの関係性なんて、ただの偶然が巡り合わせた顔見知り……いや、こちらが一方的に羨望の眼差しを向けているに過ぎないだけの状況を、何かしらの関係があると言えるものではない。
 答えがないから、嫌な汗が全身から噴き出ているのが分かる。男はきっと、自分との身分の違いを自覚させるためにこんなことを問うたのだ。そうでなければ、一体なんだというのか……。
「友」
 気が動転して、馬鹿な言葉が口を衝いてしまった。何という怠慢だ。誰と誰が友だ。もっともあり得ない関係だ。愚かなことを言ってしまったが、口から離れてしまった言葉はもう、戻って来ない。
「ふむ、友か」
 男は口元に手をあて、何やら考えている素振りを取った。その瞳は真剣そのもので、一人一人の顔をしっかりと、記憶に刻むように見つめていった。
「俺のことを友だと言ってくれたのは君たちが初めてだ。対等な仲であるというのは、とても気持ちがいい。こんな気持ちにしてくれたのはミラ以来だ」
 我々は友以外のものになる理由がないと男はいい、右手をダンテに差し出した。ほとんど放心状態だったダンテは反射的に、右手を取った。
「よろしく、ダンテ。俺も名前がないと不便だと思ったので、ゲイリーと名乗ることにした。俺が真の名を思い出すまで、そう呼んでくれ」
「──ああ、よろしくな。ゲイリー」
 ゲイリーは丁寧に、一人ずつと握手を交わした。バージルは柄じゃないと手早く済ませた。リエルは懐かしむように握手した。ネロは純粋に歳の離れた友が増えた気持ちで手を取った。キリエは尊敬の念を伝えるように手と手を合わせた。ダイナは敬意を示しながら手に触れた。
 緊張の糸は解け、家の中に流れる空気はとても温かいものに変わった。まだ信じられない気持ちの方が大きく残っているが、ゲイリーと友と言う対等な関係になれたというのは人生において最大の関係性を築いたと言って過言ではない。
「では早速、友の頼みを聞くとしよう」
 ダンテが本を渡すとゲイリーは早速開き、解読を始めようとして、止まった。
「解読をするにあたり、友として、いくつか忠告がある。……聞いてくれるな?」
 先ほどまでの優しい雰囲気はどこかに消え、代わりに現れたのは有無を言わせない圧倒的な力を持った男だった。
 聞くのは絶対だと言わんばかりの瞳を向けられ、この場にいる誰もが背筋を凍らせた。そして、今になって遅すぎる悟りをする。
 ここからが本題であって、先ほどまでの会話はただの雑談に過ぎなかったのだと。

 ゲイリーが忠告を口にするまで、一分の空白があった。
 その時間は喉元に鋭利な刃物を向けられているような。或いは脳幹に銃を突きつけられているような。または心臓を鷲掴みにされているような感覚に苛まれるもので、この一分間はあまりにも長く、生きた心地がしなかった。
「まず……」
 空気に重りがついた。実際にそんなことは起こっていないのだが、少なくともゲイリー以外の面々はそれを感じた。
「全容は知らない。だが、ごくわずかな部分の解読は既に済んでいる。その一部分を元に俺が推測したこととして、この本はヴァンパイアがある国を滅ぼすために講じた策が記されていることは、ダンテに話してある」
 名前を出され、我に返ったダンテは慌てて頷いた。
「さて、肝心の講じられた策が何であるのか。これについても少しだけ、解読が済んでいる。どうやらこれを書き残したヴァンパイアは新種の魔法生物の生成に成功したようだ。現在解読出来ているだけで、少なくとも五種類」
 ゲイリーが解読した現段階で分かることは、魔法文明デュランディル時代──今から約三千年前に滅んだ──にもっとも多く生み出されたと言われる魔法生物を作り上げるだけの技術を持ち合わせているヴァンパイアがいるということだ。もちろん、この作り上げられた魔法生物がどれほどの脅威を孕んでいるのかまでは分からないので、ただの出来損ないなのかもしれない。それでも、この事実はとんでもないことだ。
「この作り上げた魔法生物たちに国を滅ぼすまでの力があるのか、或いは陽動に使う目的なのか、そこは解読していかなければ分からない。しかし、ここまで話せば分かって貰えるはずだ。この件に首を突っ込むことが、どれだけ危険であるか」
 友として心配しているとゲイリーが口にすると、空気の重りが取れた。圧倒的な力を持った男は姿を消し、そこにいるのは優しい男だけだ。
「とはいえ、これで引いてくれるなら元より解読を頼みになど来ていないことも重々承知している。そこで、俺からも皆に一つ頼みたい」
 誰かの生唾を飲みこむ音が部屋の中を満たした。無音だから、やけに耳に残った。
「解読した一種類の魔法生物を、俺が与えた条件を満たして討伐すること。これが出来なかった場合、俺は金輪際、本の解読をしない」
 言い返すことは出来なかった。絶対に意見を変える気はないという目をしていたからというのもあるが、ゲイリーの言い分に、反論の余地はどこにもなかった。
 恐らく、これはゲイリーなりの配慮なのだろう。彼ほどの実力者であったなら、それこそヴァンパイアを倒したこともあるかもしれない。もしも経験がなかったとしても、それに勝るとも劣らない蛮族を駆逐したことはあるはずだ。
 だから伝えたいのだろう。こんな所でつまづくようでは何かの奇跡が起きてヴァンパイアに出会えても、無残に殺されるだけであるということを。そしてその未来は想像に容易い。
「条件は何だ」
 どんな内容であっても必ずこなしてみせるという力強い声でバージルが聞いた。それはここで諦めることは絶対にありえないということも暗示していた。
「作りだされた種類はそこそこいるが、幸い一個体ずつの数は用意出来なかったことも記されていた」
 ゲイリーが提示した条件はこうだ。
 ヴァンパイアによって生み出された完全な新種の魔法生物、ケイルの全滅。数は五体。全てのケイルを倒した証明として、各個体ずつから一部分を持って帰ってくること。
「そして、全員が生還すること。これが俺からの条件だ。全てが達成されたら、俺は必ずこの本の全容を解読し、教えることを約束しよう」
「いいだろう。その約束、努々忘れるな」
 話は終わりだという態度をバージルが出せば、ゲイリーは苦笑いして話題をがらりと変えた。
「ケイルの詳細が書かれている部分の解読にはどうしても時間がかかる。その間、何をするかなどは決めているか?」
 ケイルと呼ばれる魔法生物を倒すにしても、どこに身を潜めているのかはもう少し本を読み解いていかないと分からないので、今は待ってもらうしかない。
「特にこれと言った予定は。まあ、解読が終わるまではゆっくりグランゼール観光と洒落こむさ」
「たまには休暇も必要だ。今の内に休んでおくと良い」
 とはいえ、解読にどれだけの時間を有さなければならないのか、これだけはゲイリー自身にもはっきりとしたことが言えない。数日で読み解ければいいものの、何週間、何か月とかかる可能性も視野に入れなくてはならなかった。
 そうなってくると、彼らの行動も制限されてしまうことになる。情報共有の方法が直に聞かせるしかなく、話を聞くためにはグランゼールへ留まり続けなくてはならない。幸い、この国自体は大きく、そして冒険者が活動をする面においては余りあるほどの魔剣の迷宮があるから、金銭を稼ぐ点においては実力さえあればいくらでも可能だ。しかし、彼らが富を手に入れることに力を注いでいるわけではないことぐらいは先の会話で十分に理解したから、せめて自分が束縛してしまう期間分の身の回りでかかる金銭の消費を抑えてやりたいと、ゲイリーは考えた。
「ついてきてくれ」
 全員を呼んだゲイリーは椅子から立ち上がると、地下に続く階段を隠している板をどけ、この先へ行くように誘導した。言われたままダンテを先頭に全員が階段を下ると、そこは上の部屋とは比べ物にならないほどの広さを誇った一室が存在していた。
「すげえ広いな! 物が無ければ」
 確かに部屋は広かった。しかしダンテの言うとおり、ありとあらゆる物が所狭しと置かれているせいで奥へ行くのも一苦労だ。
「この部屋を片付ければ六人で生活するに申し分ない広さがあるはずだ。良かったら使ってくれ」
 もちろん片付けは俺がしておくと自然な流れでゲイリーが言うので、ダンテは二つ返事をしそうになった自分をどうにか押し止めた。
「使ってくれって、なんでまた急に?」
「解読にどれだけの時間が掛かるかは俺にも分からん。その間、ずっとグランゼールにあるどこかの宿をとってもらうのは忍びないと思ったんだ」
 嬉しい提案ではあるが、あまりにも至れり尽くせりだ。ここまでする利点がゲイリーにあるのだろうか?
「私は賛成ですよ。良いでしょう、バージル?」
「……金も有限だ。節約できるに越したことはない」
 リエルがバージルに確認を取るとすんなりと賛同が得られたので、驚いたダンテとネロが視線を向けて睨み付けられていた。
「さあ、そうと決まればみんなで片付けてしまいましょう。キリエさんもダイナさんも、問題ありませんよね」
「はい。私たちは平気です。ね、ダイナ」
「問題ありません。使わせて頂けると言うのなら、片付けぐらいは自分たちでします。どうぞ、ゲイリー様はお休みになっていてください」
 こういったことは女性陣の方が逞しいようで、有無を言わせぬままに片づけに着手していく。それに続くようにバージルが大きな荷物をどけはじめ、ゲイリーに言った。
「貴方には解読を優先してもらいたい」
「それもそうだな。では先ほどの部屋にいるから、困ったら呼んでくれ」
 ほんの少しだけ寂しそうな、それ以上に嬉しさを隠したような曖昧な表情を一瞬浮かべた後、ゲイリーは階段を上がっていった。これを見送ったダンテとネロも片づけを始めながらも、まだ納得はしていない様子だった。
「どういう風の吹き回しだよ」
 一番嫌がると思っていたあのバージルが、いくらリエルに背を押されたからと言っても首を縦に振るのは中々に信じがたい光景だ。一体どのような心情の変化があったというのだろうか。
「節約できるに越したことはないと言っただろう。同じことを言わせるな」
「それが詭弁だってことは分かってるって」
「友と家族が出来て、嬉しいのですよ」
 バージルの代わりにリエルが回答を寄越してくれたのだが、ダンテは一瞬理解が及ばず顔をしかめた後、そういうことかと遅れて納得した。ただネロはよく分からず、不機嫌そうにしている。
「ミラ様のことを、ネロにはまだ言っていませんでしたね」
 ネロとキリエ、そしてダイナの三人が出払っている時に話したことだったと思いだしたリエルはこの間のことをかいつまんで話し、聞かせた。
 自分の母の代わりをしてくれたミラのこと。そのミラの夫がゲイリーであったことを伝えれば、ネロはある考えに辿り着き、まさかと言った感じにおずおずと訊ねた。
「俺のじいちゃんってことになんのか?」
「遠からずと言った具合ね。……ふふ、バージルにはお義父さんが出来たわけですから、好意を無下には出来なかったのですよ。何より、幼い頃に憧れた英雄その人でもあるのですから」
「リエル!」
 バージルが鋭い声で糾弾するがリエルには全く効果がないようで、終始笑みを向けられるばかりだった。これに機嫌を悪くしたバージルは完全にへそを曲げた子供のように顔を上げなくなってしまった。
「彼と、ゲイリー様と言葉を交わせるだけに留まらず、同じ家に住まわせてもらえるなど、生きている内で考えたこともありませんでした」
「本当に、すごいことよね。お話に出てくるような伝説的な人に会えるなんて」
 別大陸からやってきた二人も知っているほどの人物など、まさに彼ぐらいのものだろう。どれだけ有名な人物でも大陸を跨いだら無名に近い状態にまで知名度が落ちることは普通なことだ。むしろ、それが起こらない彼が如何に英雄として名を馳せていたのかを改めて実感する出来事だとして受け取れる。
「キリエちゃんたちの大陸ではどんな物語があるんだ?」
 アルフレイム大陸には完全勝利の逸話を元にした物語が数多く存在している。内容のどこまでが本当なのかは些か怪しいが、読み物としてそこそこに出回っているのは事実だ。
「一番有名なのは、蛮族に支配された街からたくさんの人族を救う英雄のお話です。私も小さい頃によく読んでもらいました」
「ほおー。ぜひ聞かせてくれ」
 大好きな物語だとキリエが楽しそうに話すので、ダンテだけではなくネロやリエルも興味あり気に耳を傾けていた。バージルだけは関心を示さない振りをしながら、耳だけはしっかりと傾けていた。
「テラスティア大陸、だったか? そっちでは有名な話ってことは、ダイナも知ってるんだよな」
 何故か話に入って来ないダイナに話を振ると、声をかけられたことに動揺したのか大きく体を震わせ、手に持っているものを落としそうになっていた。
「あー、知らないとか?」
「そんなことはない。キリエ様が幼い時に読み聞かせたのは私だから、よく、覚えている」
 若干言葉を詰まらせたようにも聞こえたが、特に変わった様子はない。ただ、興味がなさそうな感じはあった。
「付き人だけじゃなくて小さい頃はお世話役までしてたのか。そりゃ随分と長い仲だな」
「今も従者兼お世話役」
 過去形にされては困るとダイナに言われ、ダンテは軽く謝った。これに不服そうな表情を浮かべたダイナだったが、すぐに切り替えて片付けに集中した。
 雑談しながらもきっちり作業に精を出したおかげもあって、どうにか夜になるまでに一応のスペースを確保出来た六人は寝袋を並べ、一日の疲れを癒すのだった。

 翌日。
 昨日の段階では物を端に寄せてある程度の広さを確保したところで終わったわけだが、残念ながら物を収納する場所がないため、今の段階ではこれ以上片付きそうにない。
 とりあえず朝食を取るために外へ出ることで意見が固まった一行が適当な仕切りを作ってから着替え、階段を上がるとパンの焼けた良い匂いが鼻腔をくすぐった。
「ゆっくり休めたか? 今日は冒険道具街区の方で買い物を済ませておくと良い。思ったより早く、ケイルに関しての詳細を解読できそうだ」
 自分を含めた七人分の朝食をさも当然のように用意しているゲイリーから朗報を知らされ、一行は席に着きながら顔を引き締めていた。
 早ければ明日、昨日に言い渡された条件を満たしたうえでヴァンパイアが作り上げた未知の魔法生物と戦っているかもしれない。自然と緊張も高まる。
 作ってもらった朝食に手を付けると、おいしかった。
「買い出しの件だけど、私はもう揃っているから家に残ろうと考えている」
 他にしたいことがあるとダイナが言いだしたのを聞いて一番驚いていたのはダンテだが、ゲイリー以外の面々が大なり小なり驚いたのは言うまでもない。
 あれだけキリエから離れたがらなかったダイナが、初めて自分のしたいことを優先したのだから。
「それじゃあ、私も残るわ。買い足したい物は……ネロ、お願いしてもいい?」
「ああ、それぐらいならいくらでも。メモだけは用意してくれると助かるよ」
 キリエに対してだけは妙に優しい口調になるネロを面白がって必死に笑いをこらえているダンテの足をおもいきり踏んでやると、小言を大量に聞かされる羽目になった。
「無理に私に合わせる必要は……」
「気にしないで。私も少し、知りたいことがあるから」
 大丈夫だからと言われてしまうと、もうダイナは何も言うことが出来ない。とことんキリエに甘いところは相変わらずだった。
「それじゃ、俺達四人は買い出しに行ってくるとするか。せっかくだから、土産でも買ってこようか」
「どうしても買うというなら、実用品が良い」
「オーケー。もうちょっと可愛げのあるものを買ってくることにしよう」
 断ってもどうせ買ってくるだろうと思ったから先手を打ったのに、結局流されてしまった。一体何を渡されるやら、今から少し不安だ。
 朝食を食べ終え、ダンテたち四人は今後の戦いに向けて必要な物を買い揃えに冒険道具街区へと出かけたのを見送った二人が部屋に戻ると、皿を片付け終えたゲイリーがもう解読に取り掛かっている姿があった。
 そんな彼に、ダイナが声をかけた。
「調べたいことがあるのですが、この家にある本はどのようなものが多いですか?」
 今ゲイリーが手にしている本は高度な知識を持ち合わせていなければ解くことの出来ない暗号文が羅列されているものだ。これを読み解くためには今までに蓄えてきた知識が当然必要になるわけだが、その知識を蓄えるために使われた参考資料や書物がきっとどこかにあるとダイナは考えており、それを見せて貰いたいと思っていた。
「本はかさばるから、読んで頭に入れた物は手放すようにしている。今家に置いてあるのは、今回の件で必要になると思い、君たちが出ていった後に集めた、ヴァンパイアのことが書かれている物が大半だ。最も、どれも中身は似たり寄ったりで大した情報がないということぐらいしか知り得れなかったが」
 とんでもない芸当をしていることをさらりと言ってのけられたが、そのことに触れるのは止した。この程度はもう、今に始まったことではない。英雄の傍にいると自分たちの感覚までおかしくなってしまいそうだが、真似をしようとするだけ無駄であることも肌で感じられるので、下手を打つことはないだろう。
「それで構いません。貸して頂けますか?」
「だったら、そこに置いてある本たちがそうだ」
 部屋の隅にまとめられている本の束を指さし、好きに読んでいいと許可をくれたので、ダイナは早速一番上の本を手に取って開いてみた。
「私も読んでもいいですか?」
 キリエも同じように許可を取り、別の一冊を手に取って読み始めた。
 それから聞こえてくる音は紙がめくられるものだけになった。ゲイリーがめくる古い本の音。ダイナとキリエがめくるヴァンパイアに関することが書かれた本の音。どれも同じ音を奏で、部屋を満たした。
 一時間と少しほど経ったところでキリエが小さく息を吐いた。それは息抜きのためのものであると同時に、残念な気持ちも含まれているものだった。
 ゲイリーの言うとおり、ほとんどが同じ内容しか書かれていなかった。しかも、少し調べれば誰でも知れるようなものばかりで、目新しいものはない。
「キリエ様の方はどうでしたか」
 ダイナも読んでいた本を閉じ、こちらはあまり成果を得られなかったと伝えた。
「私の方も、あまり……。寿命がないとか、吸血するとかばかり」
 追加で挙げるなら、日光に弱いぐらいか。どれもヴァンパイアの有名な特徴ばかりだ。これぐらいは冒険者をしていれば知っている。
 残っている本は一冊となり、これにも過度な期待を寄せないようにしながら一応は確認だけしておこうとして、タイトルを読んだ。
「ヴァンパイアハンター?」
 随分と経路の違う本が出てきたものだとキリエは純粋に思った。先ほどまで読んでいたのはまさに必要な事柄をまとめた資料本と言ったものばかりだが、これはどちらかというと小説に近そうだ。
 ダイナと一緒に読んでみると、やはり物語チックではあった。ただ読み物としては普通に面白く、また、主人公の生い立ちが随分と特殊なことに目が引かれる内容だった。
 物語は、ある男のヴァンパイアが気まぐれを起こして人族の女性と子を成したというところから始まった。そのためか、熱心に子供を育てるシーンが多く描かれていた。総じて三人の男の子に恵まれた夫婦は愛情を注ぎ子どもたちを育て上げるのだが、ある日父親のヴァンパイアは同族たちの手によって滅ぼされ、同じく母も命を奪われてしまう。
 どうやらこの物語の設定として、ヴァンパイアたちの間では普通の生物が行うような手段で子を成すことはあり得ず、それらを原始的で汚らわしい行為であると蔑んでいるらしい。だから禁忌を犯した父親を、同族は決して許さなかった。
 それから、母親によってどうにか逃がされた三兄弟は復讐を誓い、ヴァンパイアハンターとなって数多のヴァンパイアたちを狩っていくというのが大筋だった。その間に激しい戦いで次男が亡くなり、長男は寿命を迎えて死蝋化した後にヴァンパイアとして生まれ変わり、三男の手によって葬られたところで物語は終わってしまった。
「残された三男は、どうなってしまったのでしょう」
「残念だがその本は未完だ。著者が死んでしまったらしくてな、続編は書かれなかったそうだ」
 ゲイリーの補完を聞いて、これ以上の情報は望めないと理解したキリエは本を閉じ、全てを元に戻し始めた。ダイナもその作業を手伝っていたのだが、どうしても先ほどのヴァンパイアハンターに書かれていた子どもたちの特徴が、物語を彩るために作られた設定だと割り切れなかった。
 ヴァンパイアと人族との間に生まれた子どもたちは、ラルヴァ──虫けらの意──という名称で父親の同族たちに呼ばれていた。それだけでなく、見た目は母親似だった子どもたちではあったが種族の特徴や能力的傾向は父親に近いものがあり、日差しを嫌ったり、肌が色白であったり、暗闇の中では目が赤く光ったりする描写が妙に多かった。
 どれも秀逸な文ではあったが、何より一番印象に残った場面がダイナにはある。
 それは三兄弟が吸血への衝動に駆られてはどうにか理性で抑え込むという部分だ。ここの描写は鮮明な光景として思い浮かべることが出来るほどに綿密で、これが物語を描くためだけに練られた設定と断言してしまうには些か抵抗が残るほどであった。
 それぐらいに現実味を持たせた、よく出来た物語と言ってしまえば終わりだが、やはり引っ掛かりを覚えずにはいられなかった。