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 男の家に戻ると穏やかな呼吸をして顔色の良くなったリエルと、そんなリエルを見つめているバージルだけがいた。
「戻ったぞー。……旦那は?」
「旦那? あの男のことか。それならお前と出ていったきりだ」
 自分の家ではないのに我が物顔で寛いでいる自分の兄貴も大概だとは思ったが、男が戻ってきていないというのは些か気になった。バージルへの応援を頼んだはずだが……。
「どうやら、無事だったようだな」
 噂をすればなんとやら。良い時に帰ってきてくれたもので、今まで別の街区へ行って蛮族が現れたことを触れて回ってくれていたらしい。どおりで増援の到着が早かったのかとダンテは納得し、感謝した。
 散歩していた時に起きたことを軽くバージルに共有し終えるとダンテは男に向き直り、挨拶を始めた。
「随分と世話になっちまったが、そろそろお暇するぜ。助けてくれて、ありがとうよ」
「ああ。俺も久しぶりに人と話せて楽しかった。暇が出来たなら、また来るといい。茶ぐらいは出せるだろう」
「せっかくのお誘いとあっちゃ、断れないね。……じゃあ、達者でな」
「君たちの旅路にミラの加護があらんことを」
「貴方様にも、ミラ様のご加護があらんことを」
 リエルが小さく祈りを捧げ終えたことを確認し、一行は男の元を去った。家には一人、男だけが残った。
「命とは尊ばれる一方で、脆く、弱い。それをほんの少し生き永らえさせたところで、意味はあるのか」
 小さくなっていく一行の背中を見つめながら、男は風にかき消される声で呟いた。瞳は無機的で、顔はひどく老いている。
 姿が見えなくなっても少しの間、男は玄関先で立ちすくみ続けていた。かと思えばその行為に飽きたように踵を返し、家の中へと戻っていく。
「生きている意味など、俺が決めることではないか。それを決めるのは」
 ──命を燃やしている者たちが己で決めることだ。

 ハーヴェス王国へ帰るために取った手段は行きと同じく、馬をレンタルしての旅路になった。道中はさほど変化はなかったのだが、残念ながら一行を包みこむ空気はひどいものだった。
 その原因として、ダンテとバージルが喧嘩をしたことが挙げられる。
「こうなることは分かってたんだがなあ……」
 げんなりした様子でため息をついているのはダンテ。今は王国に向かい始めて三日目なのだが初日以来、バージルとは口を利いていない。
 それでも最低限を受け入れてくれていることだけはどうにか分かる状態ではあったからダンテは侮蔑に耐えたわけだが、三日前のバージルはひどい荒れようだったから、振り返りたくない。
「バージルが気難しい人であることは十二分に承知していたけど、あそこまで強く否定するとは思っていなかった」
 鬼すらべそをかいて逃げだすほどの形相でダンテに迫るバージルは大変に恐ろしいものだった。これを間近で見せつけられ、委縮しない人物などそうはいないだろう。事実キリエは怯えてしまい、自分たちの提案がどれだけ迷惑なことだったのかを考え、時折苦悶の表情を浮かべてしまうほどだ。その度に一緒の馬に乗っているネロが気にすることはないと声をかけ、どうにか落ち着いているという具合であった。
 一方、ダイナは特に委縮した様子もなければバージルに近寄りたくないなどの感情も抱いていなかった。理由は定かではないが、どうもこれぐらいは慣れているような素振りがあった。
 憶測はさておき、確実に言えることとして、ダイナはこの事態を想定していた。
 バージルとリエルの耳に入る前に、どうにかしてダンテとネロを味方につけておく必要があった。だからあの時を──男の家に戻る前──見計らって自分たちの要望を伝えた。そうしなければ今後の同行が不可能になるのは明らかだったからだ。そして、バージルの否定具合からしてそれは間違いではなかった。
「何もあそこまで否定しなくてもいいよな。自分だって可愛い奥さんと一緒に旅してるんだからよ」
「聞こえているぞ。まだ言葉が足りなかったか?」
「もうたくさんだ! 勘弁してくれ!」
 三日ぶりに言葉を交わしたかと思えばこれだ。どれだけ地獄耳なんだとダンテが声を漏らせば、後方から嫌な視線を感じる羽目になった。
「バージルは意味もなく拒絶する人ではない。つまり、何か理由があるはず。そしてダンテはそれを知っているから、あれだけの罵詈にも耐えた。違う?」
 前方を見ながら馬の手綱を持って進路を取っているダイナの問いへダンテはすぐに反応できず、言葉を詰まらせた。
 あれだけ直接的に隠し事があると言ってしまった以上、疑われるのは当然だ。勘ぐられるのも仕方がない。それでも今はまだ、断言するだけの勇気が持てなかった。
「ごめんなさい。急かすつもりは無かった。どんな秘密でもついていくとは言ったけど、私もキリエ様もダンテたちが隠していることを知った時、何かしらは反応する。それが肯定的なのか、否定的なのか……知り得るまで、明言はできない」
 だから簡単に口を割れないことも理解していると言われ、ダンテは幾分か楽になった。今すぐに言わなくとも、勇気を蓄えるだけの猶予をくれると言ってもらえたに他ならなかったから。
「あんまり魅力的なことばかり言ってくれると、本当に狙っちまうぞ?」
「狙う? 何を」
「ダイナをだよ。分かるだろ? なんせ愛の告白までされたんだからな」
「その件については否定した。ダンテの曲解に過ぎない」
 相変わらず冗談の通じない奴だと、ダンテは困ったように頭を掻いた。だが、ダイナらしい反応なので安心した。
 安心すると、ダンテは別の問題に直面した。胸の奥。いや、下腹部辺りから湧き上がってくる激動を抑え込まなくてはならなくなり、気を紛らわすために次の山場のことを考えることにした。
「ハーヴェス王国での姫様との交渉でいいとこ見せて、惚れてもらうとしますかね」
 この時のダイナは、また下らないことを言っていると思うばかりで気にもとめていなかった。
 こちらが受けた依頼はギーシェの安否確認だけであるから、交渉の余地など何もない。──そう、考えていた。

 二週間以上の時間が経ったハーヴェス王国は久しぶりな感じがした。とはいえ、前に来た大通りは特に変わりなく、前と同じか、それ以上の活気で満ち溢れている。
 国が元気なのは良いことだ。少なくとも、表面化では何も問題が起きていないということだから。
 一行は青空市場などに立ち寄る事なく、アイリス姫に会うことの出来た冒険者ギルドへ向かう足を速めた。
 目的地に着きギルド内を見渡すと、相変わらず下手くそな変装をしているアイリスがいたので探す手間はかからなかった。こちらから声をかけると相手も覚えてくれていたようで、すぐに個室を借りて依頼の話をする環境を整えることが出来た。
「ご機嫌麗しゅう、姫」
「ええ、貴方たちも無事で良かったわ。──それじゃ、早速だけど話を聞かせて頂戴」
 前回は顔を出さなかった面子との挨拶もほどんと無い状態で、アイリスは結果を急かした。表情はとても複雑で、ギーシェの無事を信じているという願いと拭いきれない不安が入り混じっていた。
「オーケー。前置きは無しだ。……非常に残念だが、姫さんに捜索するよう頼まれた魔術師、ギーシェ=ギガス=シーガルは亡き人となっていた。もうこの世にはいない」
「嘘よ! そんなはずないわ!」
 激しくテーブルに両手を叩きつけたアイリスは腰を浮かし、叫んだ。瞳は怒りに支配され、激情に身を任せて喚いた。
「貴方たちにギーシェの何が分かるというの? 魔術の才に溢れ、自己研鑽を弛まず、たくさんの人に愛された彼が──」
「ギーシェは死んだ。事実は変わらない。取り乱す気持ちも理解出来るし、姫様にとって大切な人だったことも推し量れる。怒りを誰かに向けなきゃ悲しみで胸を潰されちまうから、今俺達に理不尽に当たり散らしているのがその証拠だ」
 だが貴女は姫だとダンテが言い切ると、アイリスは殺しきれない声を漏らしながら、溢れる涙を何度も両の手で拭い続けた。
 時間にして五分ぐらいであっただろうか。正確な時間は分からないが、ダンテたちにはすごく長い時間に感じられた。
 それは、とても心の痛む光景だった。
 大切な人の死を聞かされたアイリスの心は計り知れないほどの苦痛を受けた。それでも、一国の姫であるという身分が、立場が、悲しみに暮れることはおろか、想いを馳せることすらも許してはくれない。まだ十四の娘であったとしても姫という身分は重く、責任の求められるものであった。
「自分の娘ぐらいの歳の子に、こんなことを言わなきゃならん日が来るとはな……」
 交渉の卓についているダンテとしても心苦しさはある。しかし、心を鬼にしてもダンテには成しえなくてはならないことがあった。だからここでアイリスに泣き続けられるのは困るし、この場だけは姫として居てもらわなくてはならなかった。
「俺たちが受けた依頼は安否確認のみだ。その上で、提示したいものがある」
「…………話を続けて」
 しゃくりあげながらもアイリスはこの場を去らなかった。みっともない姿を晒してでも、這いつくばってでも、いなくてはならなかった。
「これはギーシェの死体の近くに落ちていたものだ。読めるか?」
 ダンテは粛々と物事を進めた。ギーシェの師、完全勝利から遺品として預けられた、ギーシェ本人が死ぬその瞬間まで解読を試みたであろう一冊の古びた本の最初のページを開き、アイリスに見せる。
「いえ、私には」
「このページの内容は、ヴァンパイアがある国を亡ぼすために策を講じたということが書かれている」
「読めるの?」
「残念ながら、読み解いてくれた人物からの受け売りだ」
 ヴァンパイアと聞き、アイリスは大きく肩を揺らした。視線は先ほど以上に古い本へ注がれ、今にも手を伸ばしてひったくりそうな勢いがあった。
「さて、アイリス姫。このヴァンパイアが標的にした国は一体どこだと思う?」
 ほんの少しだけ手元の方へ本を寄せると、アイリスは慌てて視線を上げた。
「し、知らないわよ。でも、どこの国だったとしてもその事実が本当なら、早急に調査する必要が──」
「早急に? ヴァンパイアが相手なのにか? 下手を打ってバレちまったら、国が滅ぶんだぜ」
「当然、慎重に事は運ぶわ。だけど今大事なのは、これを解読できる人物を探すことよ」
「その通りだ。何を始めるにしてもまず、この本に書かれている内容が分からないことには手の打ちようがない。だがこれはギーシェですら解読に手を焼き、一か月かけても全容を知ることは出来なかったものだ。……読める魔術師はこの世にそう多くないだろう」
 ダンテの言うとおりだとアイリスは顔を歪め、認めた。残念ながらこの国に在住している魔術師の中で、ギーシェ以上の実力を備えている人物はいない。そうなると必然的に魔術師ギルドを介して別の国にいる高名な魔術師を頼るしか、アイリスには解読する手立てがない状態であった。
「そこで──取引だ。俺達にはこの本を読み解くことが出来るだけの実力を持った魔術師との繋がりがある」
「だから俺達に頼まないかって? お断りよ。何故か? 私の方が貴方たちの知っている魔術師よりも、もっと確実な相手に頼れるだけの力があるんだもの」
 アイリスの指している力とは国という後ろ盾と、己が姫であるという地位のことだ。これに勝るとも劣らない力を提示するのは、厳しい。
「なるほど。別の国にいる、毎日を魔術の研究につぎ込んで忙しい高名な魔術師様に頼む、と。まあ、読んではもらえるだろうな。何年かかるかは知らんが」
「十分よ。事さえ荒立てなければ、時間はあるもの」
 ダンテたち以上の力を有しているアイリスが引き下がることはまずあり得ないだろう。そんなことはダンテだって百も承知だ。だが、これで良かった。
 聞き出したいことは聞きだせたから。
「ところで、アイリス姫。この間届けさせてもらった国宝……あー、っと」
「テルズメモリアよ。それぐらい覚えておきなさい」
「ああ、それだ。それは国王様に返してはもらえたんだよな?」
 アイリスの顔が曇った。何か、言いずらそうにしている。
「確かあの代物は魔法の道具だったよな。短い言葉を記憶させられるって」
 ダンテがわざわざ国宝のことを掘り返してくる意図が分からず、アイリスは疑心を抱きながらも頷いた。
「ヴァンパイアの影が迫っている」
「なっ、なんで貴方がその一文を……!」
 しまったと慌てて口を塞ぐが、もう遅い。ダンテは勝ち誇った笑みを浮かべる一方で、アイリスは苦虫を噛み潰したような表情だった。
「言葉を聞けるのは言葉を吹き込んだ本人と、記憶させた事柄に関連する者だけ。つまりその言葉が聞けてしまったということは、この国がヴァンパイアに狙われている確固たる証拠だ」
 言い訳は出来ない。全てはアイリスが自ら説明をしたことだから。
「何が、目的なの」
 完敗だった。この国で最も知られてはいけないことを全て知られてしまった以上、下手なことは言えない。もしダンテたちの機嫌を損ねてしまえばその秘密を彼らは暴露するだろう。そうなれば、たとえここに居る六人全員を処刑したとしても、国は大きく信頼を失うことになる。
 何なら、国の何処に潜んでいる──潜んでいないかもしれないが、それすらも分からない──ヴァンパイアの内通者に知られたら、この国はおしまいだ。今よりも文明がもっと発達していた時代に築かれた国すらも滅亡させてしまうような力を持つヴァンパイアに何の対策も出来ぬまま襲われたら、滅ぶ未来しかない。
「俺達は個人的な事情でどうしてもヴァンパイアの情報が欲しい。だから、この本の中身が知りたい。それも出来る限り、早く。ただ、この本を預けてくれた人物が、これはギーシェが命を賭してまで手に入れようとしたものだから、ギーシェのことを想ってくれている人たちの手元に渡すべきだと言って、俺に託してくれた」
 どうしてもその行為を無下には出来なかったから、ダンテはこの場に来た。死者には安らかに眠れる場所を用意するべきだと思っているし、親しい者たちの手で弔われるべきであるという考えを尊重しているから、反故にしたくなかった。
「ここに居る全員が、この本に書かれている内容を求めている。だから俺達は協力し合えるはずだ。こちらから提示するのは解読できた内容全て。そしてこちらが求めるのはこの本を持っていかせてほしい、それだけだ」
 決して悪い条件ではない。むしろ、破格と言ってもいい。それぐらいアイリスにとっては好条件だ。──信用できるか、という点を無視すれば。
 無名の冒険者たちに協力してくれる、ギーシェ以上の実力を持った魔術師なんてのも信用できないし、ダンテが口にした個人的な目的が何であるのかも見えない。もしもこれが、秘密裏にヴァンパイアと協力関係になるためなんてことになれば、最悪だ。最も、ヴァンパイアは自分たちの種族を高貴な身分であると考え、その他の種族を差別的に見ていることを考慮すると、早々起こり得ることではないと思うが……。
「貴方、テルズメモリアに吹き込まれていた言葉を聞いたのよね」
「聞いた。だから、無関係じゃないという証明もした」
 これの意味するところが何であるのか、分からない。ギーシェが最後に残してくれた言葉を、この男が何故聞けたのか。それさえ分かれば判断できるのに、そこに至れない。
「貴方たちに力を貸してくれるという魔術師の名前。それを聞かせて」
 ギーシェを超える魔術師など、簡単に居るはずがない。だからアイリスは、彼らがでまかせを言っているところをつくことにした。
「完全勝利」
「……えっ?」
「だから、完全勝利だって。姫様なら歴史も勉強してるだろ? 自分が生まれていない時代のことだってある程度知ってるよな」
「あの、伝説の魔剣士のことを言っているのよね? 今から十五年ぐらい前に突如冒険者を引退して、姿を消した……」
 聞いたことがあるどころか、聞いたことがない人物を探しだす方が難しい。それほどまでに完全勝利が残した数々の武勇はどれも類を見ないものばかりだ。
 生還者ゼロと呼ばれる地から帰ってきたなんてのはざらで、数百を超える蛮族の軍勢を一人で滅ぼしただとか、地下五十層は超える規模だと言われている魔剣の迷宮を一人で踏破しただとか、自然災害を止めただとか、一国を救っただとか……。
 もちろん、これらは誇張された物も含まれている。歴史上に起こってきた真実というものは、いつの時代も正しく記されているばかりではない。ただ恐ろしいことは、事実も多分に含まれているということだ。
 まさに、完全勝利の二つ名にふさわしい栄光の数々と言える。
「話ぐらいは知ってるわ。ギーシェも随分憧れた人らしいから、耳にたこが出来るぐらい英雄伝を聞かされたもの。……今では、良い思い出ね」
 一瞬だけ暗い顔を覗かせたアイリスだったが、それはすぐに切り替えられた。とにかく、この者たちがいい加減なことを言っているという証明は出来たから、後は突っぱねるだけだ。
「ふむ……。もしもギーシェが完全勝利に出会えていたら、師弟関係を結んでいたと思うか?」
「誰だって懇願すると思うわ。弟子にしてもらえるかは知らないけど。でもギーシェは近衛兵を引退してグランゼールに移転してからしばらくして、師匠が出来たと連絡をくれたことがあるわ。誰かまでは教えてくれなかったけど」
「師匠が完全勝利だったという証明がこれだ」
 新たに持ち出されたのは一通の手紙。中身は暗号文になっているのだが、アイリスは小さい頃にギーシェの作った簡単な暗号文で遊んでいたことがあったため、ほんの少しだけ読めるところがあった。
「既定の刻、指定先……えっと、これは向かう、だから……来てほしいっていうお願いの文ね。後読めるところは、敬愛、師、勝利、完全……ギーシェ」
 全てを読み解くことは到底出来ない。それでも魔術の勉強なしに単語が分かるだけでも十分にすごいことだ。そして、聞き慣れた単語が何を意味しているかはダンテの話を加味すれば自ずと答えは見えてくる。
「信じて、くれるか」
 これが最後の交渉だ。全ての手札を切った以上、通らなかったらもう諦めるしかない。
「はっきり言って、貴方たちはやはり、信用するに値しないわ。──でも、ギーシェが遺したこの手紙と、ギーシェの師匠は……信用したい」
 交渉成立の四文字が聞こえた時、ダンテは大きく息を吐き、体を机に預けそうになってあんとかそれを堪えた。
「この本は貴方たちに譲るわ。代わりに手紙を遺品として置いていくこと。そして必ず本の中身を解読して、私に全容を伝えること。いい?」
「必ず」
 ようやっと交渉は幕を閉じ、ダンテたち一行は個室を後にした。残ったアイリスは顔を伏せ、ようやく大切な人の為に涙を流した。

「どういうこと」
 交渉を終えて宿にまで戻ったと思いきや、ダイナが今にも食いつきそうな勢いでダンテに迫った。
「あー、どれについてだ」
 聞き返される内容に思い当たる節があり過ぎるダンテは何から答えればいいのか分からず、聞き返す。
「男の、あのおじいさんの正体から、ヴァンパイアについてまで、全部」
 ほとんどの詳細を聞かされていなかったため、先の交渉時に何度も驚かされたのはアイリスだけではなかった。ネロは終始よく分からないと言った顔を浮かべるばかりだったが、ヴァンパイアの概要ぐらいは知っているダイナはその存在が認められただけでも驚愕の事実であったし、何なら自分たちの命を救ってくれたというおじいさんが伝説の魔剣士であったと知り、昏倒しそうになったほどだ。
 これはキリエも同じで、交渉中はどうにか心を鎮めるために何度も神へ祈りを捧げていたほどであった。
「本の解読を頼みにグランゼールに戻るから、正体は本人から聞いてくれ。後、ヴァンパイアについては察しがついてるだろ。俺は言ったぜ。ついてきてもいいが、必ず面倒ごとに巻き込むぞって」
「……こちらはその条件を了承したから、今更何か言うことはない。では、完全勝利に本の解読はどう頼むつもり?」
 納得したとは言い難い。しかし、自分たちが出した条件を反故にはしたくなくて、言葉を切った。
「頭を下げるぐらいしか思いつかねえんだが、なんか妙案とかないか?」
 彼の人柄を考えた時、門前払いされることは恐らくないだろう。暇が出来たら寄っても良いとまで声をかけてくれたぐらいだから、嫌われてはいないはずだ。しかし、頼みごとをするとなると話は別だ。何より、どうにか受けてもらうところまでこぎつけたとして、それに見合うだけの対価を払えるはずがない。
「つか、一応依頼は達成したんだろ。安否の報告はしたんだから、証明書をもらわねえと」
「それは無理ってもんだぜ、坊や。ヴァンパイアに国が脅かされているなんてなれば、もう国の者なんか信用できねえ。いつ誰が、どこで入れ替わられてるか分からねえんだ。たとえ国王にだって、国宝を返せない」
 テルズメモリアの性質を考えれば、国王も間違いなく吹き込まれている言葉を聞けるだろう。本物の王であれ、ヴァンパイアに通じている者であれ、どちらも関係者に違いはないから。違うのは被害者であるか加害者であるかだけだ。
 だからアイリスはまだ国宝を隠し持っているはずだ。つまり、王に返していないから、直筆の証明書も用意出来ていない。それでダンテに聞かれた時、困った顔をしたのだ。
「何を要求されるでしょうか」
「なんであっても用意するまでだ。俺もダンテも、この本の中身は絶対に知らねばならん」
 リエルは難色を示しているが、バージルはやる気だ。どんな手を使ってでも、本に書かれた内容を知ろうとするだろう。
「親父たちが俺に黙ってたことって、そのヴァンパイアとかいう奴を倒すことか?」
「おう。びびったか? 辞めてもいいぞ」
「ぶっ飛ばすぞ」
 ダンテの雑な茶化しに腹を立てたネロは拳を作り、骨を大きく鳴らしている。流石に殴られるのは勘弁だとダンテが両手を上げて無抵抗の意を唱えると、どうにか許してもらえた。
「これも人生と、割り切る他なさそうですね」
「だけど、今までで一番楽しそうな顔をしているわ」
 キリエに指摘され、ダイナは初めて自分の顔の筋肉が緩んでいることに気付く。絶対的な強者に挑むための長い準備をこれから始めることになるというのに、不思議と不安は感じなかった。
 これもダンテたちと共にいるからなのかと考えると、妙に納得できた。