King barbaros

 ダンテが家を出て扉を閉めると、先に出ていた男が待っていてくれた。
「あー……。なんていうかその、悪いね」
「随分と過激なのだな、彼は。初めての手合いだ」
「いやあ、お恥ずかしい限りで。しかし、自分の家であんなことされて怒らないあんたも大概だと思うんだが」
 この男はどういう神経をしているのだろうかとダンテは考え、元英雄の思想など分かるはずもないかとすぐに理解することを放棄した。
「彼女が喋りたがらない理由も、話してほしいと思う彼の想いも、理解出来るものだったからな。……少し、散歩に付き合おう。そろそろ体を動かしても問題ないはずだ」
 男に促される形で歩き始めたダンテは、確かに不自由を感じなかった。ただダンテには分からないことがあって、質問した。
「色々聞きたいことはあるが……まず、名前を聞いてもいいか? 引退してるのにいつまでも二つ名で呼ぶのは悪いからな」
 今更になって名前を聞いていなかったと思って問うと男は立ち止まり、忘れたと言った。
 ミラが死んでから十二年間は誰とも関わって来ず、つい三年ほど前に自分のことを探しだして訪ねてきた人物と話したのが最近で最も新しい会話の記憶であり、その時には既に名前を忘れてしまっていたと男は言う。
「なんていうか、かつての思い出がどんどん壊されていく感じだ。まあ、言っても仕方のないことか。だったら適当に旦那とでも呼ばせてもらうぜ」
 子供時代に憧れた伝説の魔剣士とこうして肩を並べて歩いていると当時の自分が知れば、それはもう狂喜乱舞だっただろう。いや、今でもかつての英雄そのものがこの場にいれば、一目見れただけでも大喜びだったはずだ。
 しかし、時間というのは残酷だ。世界の誰もが認める超人的な男でさえ、こんなにも老いさせてしまうのだから。
「で、旦那はどうして引退しちまったんだ?」
 誰もが知りたかったことを、ダンテはさらっと聞いた。すると男は普通に答えてくれた。
「ある依頼をテラスティア大陸という場所でこなした。その時の光景が忘れられなくてな。人族と蛮族の違いが分からなくなって、剣を持つ意味を無くしてしまったんだ」
 テラスティアという名前をどこかで聞いたことがあるとダンテは回想し、ダイナとキリエがこちらに来る前にいた場所だと思いだす。そこで起きた何かが原因で男は冒険者を引退したということだが、数多の蛮族を駆逐してきた男が今でも忘れられない光景とはどんなものかと思い浮かべようとして、止めた。
 そもそも、男ほどの経験をしていない自分に思い浮かべられるはずがなかったし、もしも浮かべることが出来てしまったら、今の自分では到底耐えられるはずのない光景であったに違いなかったから。
「人族と蛮族の違いが分からなくなった、か。分からんではないな」
 どことなく他人事ではないような口調のダンテは無精ひげを数回撫で、次の質問に移った。
「冒険者を引退した旦那は、どうして魔剣の迷宮に足を踏み入れたんだ? 入るために取った手段は……聞かないでおく」
 どれだけ過去の栄光があろうとも、冒険者を辞めてしまった者を魔剣の迷宮に入れるなんてことをギルドが容認することはまずない。現役を引退して現在は新人教育に力を入れている層もいるにはいるが、そんな彼らだって結局はギルドのお抱え用心棒みたいなもので、冒険の紋章も持っているはずだ。
 では、その枠組みにかすりもしない男は一体何故、今更になって魔剣の迷宮に──初心者にすら用がないと言われるほどの低級な迷宮──足を踏み入れる気になったのか?
「目的か。先ほど三年前に俺の元へ訪ねてきた人物がいたと言ったな。その者が今から一か月前に手紙を寄越してきて、頼み事をしてきたんだ」
 言って、男は手紙を懐から取り出してダンテに手渡した。これを遠慮なく開くと、ダンテは顔をしかめた。
「何語だ、これ。読めねえんだが」
 そこに記されているのは人族全般に広く知れ渡っている交易共通語ではないようで、とてもじゃないがダンテに読める代物ではなかった。
「……ああ、そうか。いくつかの言語を組み合わせて書いてあったな。簡潔に言えば、危険な物を調べるから一ヶ月経っても連絡がなければ迷宮<時渡り>に来てくれ、という内容だ」
 なるほど。だから男は迷宮に足を踏み入れたのか。実に明快な答えだと思った。同時に、またいくつのも疑問が降って沸いた。
 当たり前のように多種族の言語でやり取りをしていた事実にも驚かされるが、この男に対してそれだけのことをやってのける手紙の送り主が、気になった。
 手紙の送り主は少なくとも三年前に自力で男のことを見つけ出し、交流が出来るようになるまでの関係性をこじつけたということだ。つまり、相当な実力を兼ね備え、かつ男が英雄であった時のことを覚えていて、その憧れを忘れていないような稀有な存在ということである。
「この手紙を書いた人物ってのは?」
「ギーシェ=ギガス=シーガル。この国でも有名な魔術師だ。君も聞いたことぐらいはあるだろう」
「Jackpot」
 ダンテの口角は気付かない内に上がり、大当たりだと漏らしていた。
 まず、十二年もの間誰にも存在を明かさなかった英雄を探しだせるほどの実力者は、このラクシア全土を探し回ってもなかなか見つかることじゃない。次に、見つけ出したとしても男の堅牢な心を解きほぐすことはおろか、話を聞いてもらうだけでも至難の業だろう。
 すべての条件を満たせる人物など、男の妻であったミラという女性を除けば存在しないと言い切れるほどに、男は他人への興味を失っていた。
 それをほんの少し取り戻させたのがギーシェなのだろう。彼が一体どんな言葉をかけて男との交流を取り付けたのかまでは分からないが、お陰で自分も男とどうにか話が出来ているのだと感謝しかなかった。
「三年前に俺の元へ訪ねてきた彼の目は、純粋なものだった。本当の英雄に出会えたと年甲斐もなくはしゃいだ後、恥ずかしそうにしていた。そして俺の弟子になりたいと申し出てきたんだ。俺は何も答えなかったんだが、だったら絶対に認めさせると張り切りだしてな。最初の頃は毎日のように暗号文を送ってきたものだ」
 暗号文となれば、一介の者が解けるような簡単なものではないのだろう。それを毎日のように作っては送りつけたギーシェも相当だが、当然のように毎日正解を送り返し続けた男の方が格上だと認めざるを得ない。
 こうしていつしか師弟の関係になったと男は言うが、決して二人の関係は一般的なものではなかった。
 元から二人とも実力が高かったため、師が弟子に教え事をするといったことは一度としてなく、ただ一方的に弟子であるギーシェが師の男を敬い、追いつこうと日々鍛錬を積んでいるだけであった。それでもこの距離感を二人とも嫌ってはおらず、定時報告がギーシェの方から送られてくるだけだったがこれを良しとしていた。
 勤勉家であり実力もあるギーシェは誰からも好かれる性格をしていて人気者であったが、誰一人として弟子を取ることはなかった。理由は謎とされているがその理由を男にだけは打ち明けており、これが信頼関係の証のようなものにもなっていたと、男は言った。
「肝心の高名な魔術師様は……どうなったんだ」
「死体を見つけた。死後三週間は経っていて、蘇生は不可能だった。死因は君と同じ、あの蛮族どもだろう。実力だけで言えばギーシェが劣っていたとは思えないが……現場を考えるに多勢に無勢だったと言わざるを得ん」
 どこまでも他人事のように話す男に一瞬不気味さを覚えたが、その瞳は愁いを帯びていたから、男にも悲しいと思う気持ちがあるのだと感じられて、ダンテは安堵した。
 男は大切なものを失いかけているが、また完全には失っていないのだと知ることが出来たから。
「実は、俺達もギーシェの捜索をしていたんだ。……残念な結果にはなっちまったが、依頼達成だな」
 最後は呟いただけだったのだが男の耳にまで届いていたようで、古い本を差し出された。
「では、これを持っていくといい。遺品になるだろう。ギーシェが命を賭けてまで探しだし、解読を試みた物だ。彼が何処まで読み解けたのかは知る術がないが……ヴァンパイアが書いた文献だと知ったのだと考えている」
 ──ヴァンパイア。
 不死者の異名を持ち、その異名通り寿命を持たないとされる謎多き蛮族の総称。
 強力な再生能力と多数の特殊能力を有している代わりに致命的な弱点を持っており、他者の血を吸わないと生きていけないことから吸血鬼という呼び名でも知られている。それでも実力は高く、他の上位蛮族を上回るどころか、下手をすれば大神に迫る個体もいるのではないかと言われるほどに強大な力を有しているという噂もあるほどだ。
 凶悪な蛮族が書いたと思われる書物を不幸にも見つけてしまったギーシェはこれを解読しようとして、かの地で罠にかかり、亡き者となってしまったようだ。
「ヴァンパイアか。もしそれが本当なら、一国が滅ぶぜ」
 そしてこの脅威が迫っていることを、ダンテとバージルは約三週間ほど前に知った。──この二人だけは、知り得ることが出来た。
 ハーヴェス王国の国宝、テルズメモリアに触れた時に聞こえた謎の声。ヴァンパイアの影が迫っているという警告。あの警告を記憶させられたのはギーシェだけであったはずだから、男の推測は間違っていない。
 この書物を書いたのがヴァンパイアであるということをギーシェが突き止めたことは、間違いないはずだ。
「……そうだな」
 男はこの時、興味がない様子を装うように相槌を打った。そして、ダンテの目的が別のところにあることを知った。ギーシェを探していたのはあくまでも何かを知り得るための手段であって、最終の目的ではないのだと。
 何故知り得ることが出来たのか? それはたった今手渡した本が教えてくれたからである。
 一般常識を身に付けられる環境にいれば、ヴァンパイアという単語自体を知ることは容易い。謎多き蛮族、不死者、吸血鬼……。詳細は分からずとも、特異であるために記憶にも残りやすい。
 だが、それだけだ。基本的には、それ以上になり得ない。無論、蛮族の脅威と立ち向かわねばならない国の上層部の者ともなればもう少し詳しいことを知っていることもあるだろうが、有効な対応策を知っている者はそう多くない。それほどにヴァンパイアという存在は凶悪だが希少で、普通に暮らしていれば生涯に出会うことがない方が圧倒的だ。
 だからこんなものが見つかっても半信半疑になるのが普通の反応である。ヴァンパイアが書いた本なんてあるものかと否定するぐらいの方が普通だ。故にあのギーシェでさえも慎重を重ね、真偽が判明するまで自分だけで解決しようと試みた。偽りであれば公表せずに黙っておけばいいからだ。ただ真だった時のことを考えて保険を残すことを選んだギーシェは出来うる限りの手も打った。
 それこそが師へ手紙を残すことと、無理を言ってテルズメモリアを借りることであったのだ。
 なのにだ。聡明なギーシェですら真偽を確かめるためにこれだけの手を打ったというのに、ダンテは一度として疑う素振りを見せなかった。むしろヴァンパイアは必ずどこかに居て、今も人族を貶めるための暗躍を続けていると確信しているようだった。
 それでも、男は遺品である本を取り上げることはしなかった。深く追及する関係ではないから詳しいことを聞くこともしなかった。
「でも、いいのか? 弟子の遺品を簡単に渡しちまって」
「ギーシェはたくさんの人に愛されていた。俺のような老いぼれ一人に弔われるより、もっと彼のことを大切にしていた人たちに弔われるべきだ」
 捜索を頼んでくれるほどの人物がいるならその人たちの元で安らかに弔われるべきだと言う男に、他者への興味がないとは思えなかった。むしろ、とても人間らしいと言える。
「旦那は優し過ぎるんだな。だから死っていうのもを人一倍考えちまう」
「さあな。……そろそろ帰ろうか。出ていた三人も戻ってきて──待て、街の様子がいつもと違う」
 どこまでも緩く、そして何も考えずに歩いていた男は一瞬にしていなくなった。今ダンテの前にいるのは人の極致へと至った観察眼で辺りを警戒する、紛うことなき英雄その人だった。
「襲撃だ。音からして数は優に十は超えているか。詳細は流石に分からんが、引き連れている隊長のような存在がいるはずだ。君の仲間たちが俺の家に帰っていれば問題ないが……」
 遠くから聞こえて来たのは人々の悲鳴や怒号ばかりで、とてもじゃないが蛮族の数を把握できるような判断材料はない。だがこんな状況でも男は数の目星をつけている。これを超人と言わずして何と表現すれば良いのか、ダンテには分からない。
「何で街に蛮族が入りこんできた? 守りの剣があるだろ」
「グランゼールは初めてか? 残念だがこの国は日々の発展が目まぐるしいため、住宅の不法建設など日常茶飯事だ。増える人口に対し、貴重な守りの剣の増産が間に合うはずもない。今後も冒険者として活動を続けるなら新たに赴く街の事前情報ぐらいはしっかり集めておけ。足元をすくわれるぞ」
 確かに、グランゼールには穢れを持つ者を近づけさせない力を有している守りの剣が設置されている。しかしそれはあくまでも国として重要な街区に限られたことで、残念ながら国全体を守れるほどの数があるという意味ではない。
 特に南側は冒険などに失敗して体を壊した者や蘇生を繰り返して穢れが限界まで達してしまった、いわば人生の落伍者とても言うべき貧民が集まり、勝手に形成されていったために名付けられた貧民街区は当然国が作った街区ではないため、守りの剣は設置されていない。
 そしてここ、男が住んでいる新市街区は同じ南側でも貧民街区の対極側に位置しているが日々増える冒険者の需要に対応しきれず、無計画に家屋ばかりが建てられるだけで守りの剣が設置されていないというのが現実だった。
 説教され、ぐうの音も出ないダンテは押し黙るしかなかった。この間にも男は忙しなく道や建物の壁を調べている。
「住居人に新米冒険者が多いのもあって、果敢にも蛮族を倒そうと騒ぎが起きている方へ向かっている者が多いな。果たして、どれだけの血が流れるか。……こっちには少し小さめの足跡が二つ。女性だな。ここらでは見ない靴跡だ。異国のものか? 歩幅や重心のかけられた位置から読み取れることは……」
 神官と、その神官を守るように立ち回ったと思われる魔動機術を使う人物であると推察した男の言葉を聞き、ダンテは飛び出していた。挙げられた特徴は、あまりにも思い当たる節が多すぎる。
「勝算はあるのか?」
 後ろからは男の声が聞こえてくるが、徐々に小さくなっている。どうやら、ついてきてはいないようだ。
「なんとかするさ! 旦那には家にいる馬鹿兄貴を呼んでもらえると助かる! 後は街のどっかにいる坊やのことも頼まれてくれ!」
「それぐらいはしてやろう。──俺は手を出さんぞ」
「剣を置いた相手に再び戦うことを強要したりしないさ。バージルたちのこと、頼んだぜ!」
 元より、完全勝利に頼ろうなんて腹積もりは一切ない。
 自分たちのことは自分たちで何とかする。ダンテたち一家が今までもしてきたことだ。今回は縁があって共に行動している二人の仲間のためだが、不思議と彼女たちのためなら戦ってもいいと思っている自分がいることに、自分で驚いていた。
 でも、それでいいと思えた。
 打算ではなく、純粋な気持ち。ダンテは今、この気持ちを大切にしたい。そう思えた。

 キリエを誘って男の家を後にしたダイナは特に何をするわけもなく、ただキリエに付き添い、散歩していた。
「ダイナは……あの、何ともない?」
 沈黙を居心地悪いものとして感じていたキリエは耐えられなくなって、自らそれを破った。でも沈黙を破るために有効な言葉がなくて、要領を得ないことしか言えなかった。
「心配には及びません。彼の──ダンテの死は相応に堪えましたが、それだけです」
 戦えば誰かが死ぬことは必然である。口にはせずともダイナの目はそう物語っている。キリエにはそれがとても怖いことに思えてならなかった。
「これからも活動を続けるなら、私もダイナのようになれなくては、難しい?」
 キリエの問いに、ダイナはどう答えるべきか悩んだ。
 はっきり言ってしまえば、自分のように他者への興味を無くした方が生死への頓着が薄れるから、楽だ。だが、本当にそれを勧めてしまって良いのか、ダイナには判別がつけられなかった。
「うまく言えませんが、私を参考にするのは止しておくべきです」
「……そう、分かったわ。ダイナがそういうなら」
 ダイナの言い分に納得は出来なかったが、安堵している自分がいることにキリエは驚き、狼狽えた。そして自分が安堵したことに対し、自身への怒りとダイナへの申し訳なさが胸を圧迫した。
 二人が冒険者として旅立ち、今まで経験してきたことはその全てが同じであるはず。だというのに、二人には決定的な差があった。
 心構えである。
 キリエは神殿で神官になるようにと、大切に育てられた。その護衛役をダイナが担っていたわけだから、戦いの技術面においての差は理解出来るし、納得できるものであった。しかし、心構えに関しては同じ土俵であったはずだ。
 護衛役をしていたとはいえ、神殿で暮らしていて蛮族などに襲われたことは一度としてなかった。だから、何かあっては困るとして日々研鑽を積んでいたダイナも本物の蛮族と対峙し、訓練の成果を見せたのはアルフレイム大陸に来てダンテたちと共同で依頼をこなしたあの時が初めてだったはずだ。
 ──では何故、ダイナはこんなにも落ち着いていられるのだろうか?
 まだ一ヶ月と経っていない仲であっても、ダンテたちとは相応の関係を築けているはずだと、少なくともキリエはそう感じている。何より、ダイナが彼らに期待を抱いていることも、信頼を寄せていることも分かっている。だから悲しめと言いたいわけではない。どのような感情も強要されるべきではないから、悲しむことが当たり前であるとは言わない。
 ただ、なんというべきか、寂しいと思った。
 どれだけダイナが相手を信じていてもその相手の身に何かあった時、どうしようもなかったことだと割り切れてしまう現実が、とにかく悲しかった。
「無理に冒険者である必要はありません。キリエ様には帰る故郷も、助けてくれる人たちもいる。ここで辞めても、誰も責めない。……生きているだけで、御の字なのです」
 ダイナの発言には妙な説得力があった。まるで経験したことを述べているような、そんな力が。同時に、自分には冒険者としてこれ以上やっていくことは出来ないと言われているようで、またも悲しくなった。
「確かに、ダイナには私が頼りなく見えると思う。それでも、この道を選んだのはただの成り行きではないということだけは、分かって欲しい」
 胸の前で両手を祈るように組みながら、キリエは一生懸命ダイナに訴えた。
 自分がヴァルキリーという生まれであるために神官になることを余儀なくされたことがたとえ事実であったとしても、キリエ自身がそれを強要されたことであるとは考えていないし、ニールダを信仰することを選んだのも自らの意思であるということは、誇りを持って言えることだ。
 その証明として、キリエは無理をしてまでアルフレイム大陸に渡ったのである。教義を順守して己が守るべき人たちを見つけ、力になれるよう徳を積むために。
「信仰を広めるだけなら、わざわざ大陸を超える必要はないわ。ニールダ様はまだ小神だから、テラスティアにおいても布教は必要だもの。それでもこの道を選んだのは、この地に私が守るべき人がいると……そう、感じたの」
「……私はキリエ様の従者でありながら、ニールダを信仰していません。それは私が守るに値するのはキリエ様だけだと思っているからです。ですから、キリエ様が守るべき者がこの地にいると感じ、そしてそれを信じたのであれば、私は拒む術を持っていません」
 何故なら、自分もまさに同じことをしているから。
 ダイナの最後の言葉を聞いた時、キリエは幾分か救われた気がした。ダイナは従者としてキリエの身を案じている一方で、友として誰よりもキリエの信仰を理解し、尊重してくれている。こんなにも素敵な友を前にして、自分は何を取り繕おうとしているのか……。愚かなことだと思った。
「今回、私が感じたことを聞いてくれる?」
「もちろんです」
 一度打ち解けようと考えられてからは、簡単に自分の想いを言葉にすることが出来た。
 今回の出来事で、冒険者というものがとても恐ろしいものであると痛感したこと。何よりも辛かったのは仲間を守れず死なせてしまったこと。そしていつか、自分もそうなるのではないかと考えてしまったこと。
 その上で、自分はまだ冒険者を続けたいと考えていることも伝えた。
 今度こそ誰も死なせないために。必ず仲間を守るために。ここで逃げ出さず、更なる研鑽を積み、立派な神聖魔法の使い手になりたいと強く思ったことを、ダイナに零した。
「かしこまりました。キリエ様が冒険者を続けたいと仰るなら、私も更なる実力をつけていくまでです。……ご安心ください。もう、一人でキリエ様を守るなどという愚かなことは口走りませんから」
 今回のことで多くの反省点を学んだのはキリエだけではない。
 ダイナだって、当初から一人でキリエを守り抜くことが出来ないことはよく分かっていたはずだ。ただ偶然にも協力者になり得る人物たちに恵まれて、それに甘えることがたまたま出来たからここまでこれただけで、もしも二人だけで旅を続けていれば、恐らくはもっと早い段階で全滅していただろう。
 そして彼らの協力がなくなってしまえば、再び危険な綱渡りをすることになる。これからも冒険者を続けていくというのであれば、それは絶対に避けなくてはならない事態だ。
「助けてくれた男の家に帰ったら、正式に彼らに頼んでみましょう。冒険を共にしたいと。もちろん、多少の不自由は生まれてしまいますが、交渉すればきっと分かってもらえるはずです」
「ダイナ……」
「鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていますね。私が他者との共存を受け入れるのはそんなにも珍しい光景ですか?」
「ち、違うわっ。そういうわけじゃ……」
「その見識で間違いありません。私も今、自分で言っていることに自分で驚いているぐらいですから。それでも、彼らにならキリエ様を託せると……そう、思えたのです」
 変なことだろうかと困った顔を浮かべるダイナを、キリエは精一杯に包容した。
 いつまでそうしていただろうか。普通なら周りの人たちから奇怪な目を向けられても仕方のない光景であったのだが不幸中の幸いか、そういった目に晒されることはなかった。ただしそれは、決して良いことではなかった。
 少し遠くの方から聞こえてくる人々の悲鳴や怒号。金属のこすれ合う音に、岩が砕かれるような音。どれをとっても非日常的で、少なくとも人族が住んでいる街の中から聞こえてきて良い音ではなかった。
「何か、騒ぎが起きているのかしら……?」
「人族同士のいざこざ、でしょうか。どうやらここら一帯は新米冒険者が多く住んでいるようで、それらを相手に行商人もよく通るそうですから、何か揉め事があったのかもしれません」
 それを聞いたキリエは仲介出来ることがあるかもしれないとして、現場に向かいだした。これにはダイナも困った方だと苦笑いしながら、キリエの一歩前を歩くように位置取りながら物騒な音がしている方へと向かうのだった。

 現場に駆け付けてみると、悲惨な光景が広がっていた。
 居住区には似つかわしくない血だまりと、建物が崩されて瓦礫となった山々が破壊を物語っていた。
 加減というものを完全に忘れ去ってしまった人族同士が争ったような……いや、加減なく暴れたとしても、新米同士のいざこざであればこんなことにはならないか。だから街の中にたくさんの人族が倒れている今の光景はあまりにも非現実的であった。
 重傷を負って地面に伏せている者、事切れている者、軽症だが足に傷を負って歩けず逃げ出すことも出来ない者が現場には残っており、動ける人族はほとんど逃げ出している状態だった。怪我がなくてこの場に留まっている者は恐怖で動けない者と、愚か者だけだ。
 この惨状の中央付近にいるのはいつか見た覚えのある緑色をした矮小な蛮族や、青みがかった肌に白い体毛を生やしている蛮族だった。それぞれ四体、ないしは五体という小隊で街の中を我が物顔で闊歩しており、人族たちが築いた街であるはずなのに、この光景だけを見たらどちらが支配しているのか、分かったものではない。
 ただ、これらは異様だ。人族の街に蛮族が入りこんでいることではなく、低俗な蛮族が統率の取れた動きで人族を襲ったことが、だ。
 新市街区に住んでいる多くが新米とはいえ、冒険者のはしくれだ。まだ初陣を飾ってすらいないようなうら若き者もいれば一、二回ほどでも冒険をした人族だってたくさんいたはず。経験が一度でもある者たちなら、たとえ敵の数が多くとも、仲間たちと連携してゴブリンやボルグ程度打ち倒せるはず……。
「申し訳ございません、キリエ様。どうにも、まずいことに首を突っ込んでしまったようです」
 ダイナの視線は一度として後ろに居るキリエに向けられることなく、前方のある一点だけを見つめていた。そこには何があるのかとキリエも警戒しながら目を向けた。
 居たのは、美しい男性だった。二メートル前後はある長身と、頭部に生えた二つの長く優美な角、背中には大きな皮膜の翼を持つ男の手には禍々しい大剣が握られていて、血を滴らせている。
 目が合った。精悍な顔立ちをしていて、ただの街中ですれ違えばもう一度見ようと振り返ってしまいたくなるほどに男前だった。もしも相手が人族であったなら、きっと素敵な出会いになっていただろう。
「──来る!」
 ホルスターから二丁拳銃を引き抜いたダイナがキリエの前に立つが、二人との距離を一気に詰めた美しい男性は禍々しい剣を既にダイナに向かって振り下ろしていた。
「おおっと! 間一髪ってところか?」
「ダンテ!」
 ダイナと美しい男性の間に割り込んだのはダンテだった。どうにか間に合ったと不敵な笑みを浮かべ、相手の剣を弾く。
「これはこれは。生まれながらに蛮族の将となることを運命付けられた、まさに蛮族の中のエリート──ドレイク様じゃありませんか。このような人街に一体どんな御用で?」
「腕試しだ。もっとも、この程度では相手にならなかったが」
 ダンテの問いに答えた美しい男性──ドレイクは足元に横たわっているいくつもの死体を見て、蔑んだ目を向けた。
「なるほど、実に単純明快な答えだ」
 これはまた骨の折れる相手だと悟ったダンテはため息を一つ吐き、改めて武器を構えた。
「どうしてここに?」
「敵小隊の中に突っ込んだお馬鹿が二人がいるって聞いてな。全く、無茶してくれるぜ」
「無茶はお互い様。……体の方は平気?」
「ばっちりさ。とにかく、数を減らすぞ。キリエちゃんは俺の援護をしてくれるか?」
「はい! 任せてください!」
 芳しくない状況だがお馬鹿な二人とどうにか合流できたのなら、後はここから逃げるだけだ。守りの剣が設置されている入門街区にまで撤退できれば、他の冒険者たちに知らせを出すことも、自分たちの身の安全も確保できる。
 その為にはまず、ドレイクに付き従っているボルグやゴブリンの頭数を減らして退路を確保しなくてはならない。
「出来ればお日様の下で戦いたくないんだが、そうも言ってられないってな」
 ドレイクの指示を受けた部下たちが一斉にダンテを狙う。これを一つずつきっちりと躱しながらダンテが一体のボルグに傷をつけるが、止めを刺すには至らない。
「撃ち抜く」
 ダイナが傷を負っているボルグの体に二発の銃弾を撃ちこみ、倒す。そして標的をすぐさま切り替え、次なるボルグに照準を定め始めている。
 ドレイクはともかく、ここに来ている他の蛮族たちはもはや数が揃おうとも脅威ではない。確実に一体ずつ仕留めて数を減らしていけば、撤退することも無謀ではなさそうだ。
「貴様を抑え込めば崩せそうだな」
 嫌な言葉が耳に届いたと思えば、ドレイクがダンテとせめぎ合う。二人の実力は均衡しているため、こうなってしまうと引くに引けない。下手な行動を取れば一瞬にして形勢を逆転される危険性がすぐそこにあった。
 刹那、ドレイクが体勢を大きく下げ、ダンテとの鍔迫り合いを止めて距離を取った。
「勘が良いな」
 空を切るに終わったネロは拳を戻し、隙をつこうとして距離を詰めてきていた一体のゴブリンを蹴り飛ばした。
「待ちわびたぜ、坊や」
「坊やって言うな。……もう、体の方がいいのか?」
「ダイナにも確認を取られたばかりだ。問題ないさ」
 外に出払っていた面子が集まったのは大変ありがたい。手数が増えるのは純粋に嬉しいし、別のところで襲われているかもしれないという要らない気を回さなくて良い。
 そして嬉しいことは続いてくれるようで、新市街区に蛮族が押し入ったという情報が他の街区に届いたことを証明するように、続々と後方から喧騒が近づいて来るのが分かった。
「この区画の調べはついた。撤退だ!」
 増援に勘付いたドレイクが撤退命令を出す。すると、普段は最後の一体になっても命を散らすまで戦い続けるボルグがドレイクの指示に従い、街から出ていく。もちろん、ゴブリンもだ。
「なっ──逃げる気か!」
 蛮族なんていうのはみんな戦闘狂だとネロは思っていたから、たった一言で他の蛮族を従えさせる美しい男性の行動に驚いてしまい、繰り出した一打が遅れた。そのため傷つけることはおろか、かすることもなく、再び空を切るに終わった。
「縁があればまた会うこともある。俺の名はオリバー=キーツ。いずれドレイクロードとなる男だ」
 そう言い残し、キーツは新市街区を去っていった。
「蛮王になるなんて、大層なことを夢見てるドレイクもいるもんだ。……さて、俺らは旦那の元に帰るぞ。倒れてる奴らの保護はこっちに向かってる部隊がしてくれるはずだし、蛮族については生き残ってる奴らが自分の話を聞いてくれと言わんばかりに伝えようとするだろ」
 面倒ごとに巻き込まれるのは御免だと言ってダンテは足早にここを去った。ネロもこれについていく以外の選択肢がなくて言われるがまま、ダンテを追いかけた。キリエは心配そうに倒れている者たちを見ていたが、ダイナに促されるようにこの場を去った。

 男の家に戻るまでの道すがら、ダンテはネロやキリエ、そしてダイナの様子を観察していた。
「何だよ、さっきからじろじろ見てきて」
「んー? 坊やとキリエちゃんは今回のことで随分と堪えてた様子だったからな」
 ネロは、そんなにも心配をかけただろうかと考えて、確かにたくさん悩んだから心配をかけたんだと納得した。ただ、おっさんに謝るのは何故か癪に感じたので謝罪はしなかったが、自分の行き着いた答えは伝えることにした。
「死んだ本人が平気な顔して冒険者を続けるってんなら、俺が悩んでても仕方ねえって思った。だから、二度とあんなことにならねえように力をつける。……これでいいだろ」
「十分だ。これからも期待してるぜ、坊や」
 坊やと呼ぶなとネロにどつかれても、ダンテは笑っていた。そして優しい顔をキリエに向けた。これが君は大丈夫かという問いかけだと分かり、キリエは口を開いた。
「私たちも、冒険者として頑張っていきます。今度こそ、皆さんを守ってみせます」
「ダンテ。そのことで今一度、話したいことがある」
 キリエたちの決意が聞けて満足していると今度はダイナが真剣な表情で話があると言ってきたので、ダンテはこれを促した。
「我々が行動を共にしているのは依頼の制約があるから、というのが大きい。これの改善を申し入れたい」
「ほう? 具体的には」
「私たちがどういった目的で冒険者を生業とし、旅をしているかは説明したと思う。その上で、円滑に目的を達成するために貴方たちの永続的な協力が必要であるという結論に至った」
 何やらえらく回りくどい言い方をしてくるため、どうにも要領を得にくい。つまりは何をして欲しいのだろうかとダンテは少し考え、聞き返した。
「あーっと、つまり、俺達とずっと一緒に居たいってことでいいか?」
「……物凄く語弊があるように感じるけど、概ねはそう」
 この申し出は想定していなかったようで、ダンテはどうしたものかと渋った言い方をした。
「愛の告白は嬉しいんだが、実は俺達にも目的があってな」
 全力で否定するダイナの反応を楽しみつつ、無精ひげを撫でながら視線をネロの方に向けると案の定、俺も聞いていないと食って掛かってきそうな勢いでこちらを見つめているネロとばっちり目が合った。
「おかしいとは思ってたんだよ。生活費を稼ぐためだけにこんな道を選ぶなんて」
「まあな。……で、だ。依頼達成後も俺達と行動を共にするとなると、確実に俺らの厄介事に巻き込まれることになる。はっきり言っておくが、二人が想定しているよりは遥かに危険だ。それに──そう、だな。もしかしたら、俺達についていくなんて選ばなければ良かったと思うことも、起こるかもしれん」
 ダンテがここまで言うのだから、嘘はない。少なくとも二人はそのように考えた。
「危険の内容は、知らなくてもついていくと二つ返事が出来なければ教えてもらえない?」
 どうするべきであるのか──。ダンテはひどく悩んだ。黙っているのは不誠実であるなんてことは最早些細なことだ。問題はそこじゃない。
 喋らないままについていくと言われた時のリスクと、喋った後に断られた場合のリスク。どちらがより重大なものになるかをダンテは考え、答えをはじき出さなくてはならなかった。
「キリエ様は今の話を聞いて、どうしたいと思いましたか?」
 答えが返ってこないので、ダイナはキリエに問うことにした。あれだけの忠告をされた以上、キリエも慎重になっているはずだと考えたからだ。
「ダンテさんがそこまで言うのですから、今の私がどれだけ考えても近しい答えを導き出すことすら出来ないでしょう。ですから私はダンテさんの言葉を信じた上で、今後もご一緒出来ればと思います」
 キリエの答えを聞き、ダンテはしてやられたと悩んでいる頭を切り替えてダイナの方を見た。そこには目を伏せながらも私の勝ちだと言っているダイナの素顔があった。
「はあー……しょうがねえ、こうなったら俺も腹をくくるさ。バージルには俺の方からどうにか説明……つけれねえな。何時間説教されるやら」
 どのような困難であっても共に戦うと誓われて、それを断れるほどの度量はダンテにはない。
 何故なら、キリエがお人好しであったから中身を聞かずともそのように判断を下した、という訳ではないということが嫌というほどに伝わってきたからだ。
 命を落としかけて、それでもなお自分たちについてきたいと言ってくれるのは恐らく、打算なんてものを遥かに超えた信頼を寄せてくれているからだろう。しかも、こちらの目的を果たすために力を貸すことは何も苦労ではないと言わんばかりの優しい顔をされては、もはや何も言えない。
 こうなってはキリエの純真さに完敗だ。そしてそれを引き出したダイナの誘導にも。
「おっさん、後で俺にも説明しろよ」
「安心しろ。今回の依頼をこなせば嫌でも知ることになる」
 足取り軽く男の家に戻っていたはずなのに、今はバージルへどう説明したものかということを考えては足が重くなっていくのを感じているダンテを余所目に、ダイナは一人考えを巡らせるのであった。
 彼らが息子──ダンテにとっては甥──にすら黙ったままに実行しようとしていた目的というものが何であるのかについて。