Small different dimension world

 村で準備を整えた一行は昨日と同じ道を通り、蛮族の集落跡地を目指していた。
「しかしまあ、なんでこう面倒っていうのは被るのかね」
 ぼやくダンテは林の中で何が起こったのか大体わかっているような調子で、嫌そうな顔を浮かべている。一方、行方不明になった二人の子どもの身を案じるキリエは終始、不安げに瞳を揺らしていた。
「キリエ様、心配するお気持ちは察します。ですがどうか、無理だけはなさらないように」
「ええ、分かっているわ。自分に何かあっては意味がないもの」
 ダイナに声をかけられ、キリエは落ち着いているような装いを見せてはいるが、やはり気が気ではないといった様子だった。
「村の子どもたちが見たというオーロラと、黒い半球状のドーム。これらのことから推察すると、恐らく奈落の魔域(シャロウアビス)の中へ入りこんでしまったかと」
 リエルが口にした奈落の魔域という言葉を聞いたことがないキリエとダイナは詳細を求めた。ネロも名前だけは聞いたことがあるようだったが見たことはおろか、どういったものであるのかは知らなかったようで、知っているような素振りをしながら耳を傾けていた。
「確か、お二人はテラスティアという大陸から渡ってきたのでしたね。そちらに同じような物があるかは存じませんがここ、アルフレイム大陸は今から約三千年ほど昔、古代魔法文明時代に行われた魔法実験の失敗が生み出してしまった負の遺産として、奈落(アビス)と呼ばれる空間が北の地方にあるのです」
 大規模な魔神召喚実験儀式の失敗によって生まれたとされる異界へ続く穴。ここからは絶えず強大な魔神が現れ、かつての時代を生きた者たちを恐怖のどん底へと陥れたと言われている。
 これに対し、古代魔法文明時代の魔法王たちは死力を尽くしてこの穴を封印。それでもなお、ほつれから現れる魔神を防ぐために巨大で長大な壁、奈落の壁(ウォールオブジアビス)を魔法で建造したといわれ、今もなお奈落からやってくる魔神たちを大陸へと寄せ付けない役割を担っている。
「壁の向こう側だけで攻防を繰り広げてるだけならまだいいんだが、この奈落がえらく厄介な代物でなあ……」
 結界と壁によって封じられている奈落ではあるが、異界の力は留まることを知らないように、今もアルフレイム大陸の各地に飛び地とも言うべきものを生み出し続けている。
 この飛び地、大陸中のどこにでも現れる小さな奈落は奈落の魔域と呼ばれており、出現する際には北の空にオーロラが輝き、やがて天空を走って新たに生まれた魔域の場所を示すと言われているのだ。そして奈落の魔域の外観は黒い球体で、地表に全体が現れていたり、半分だけ地面に埋まっていたり、何ならどこかの地下に埋もれているか、果てには天空に出来上がることもあるという。
「出来たばかりの奈落の魔域は規模も小さいから今の俺らでもどうにか出来ると思うが、誰にも気づかれずに放っておかれたものなんか最悪だぞ」
 ダンテの言うとおり、時間を置けば置くほど成長を続ける奈落の魔域は対処が遅れると大変な事態になる。有象無象の魔神がひしめき、何層にも連なる迷宮。そして何よりも辛いのは奈落の魔域を生成している奈落の核(アビスコア)を破壊しない限り、外に出ることも許されない凶悪な場所。これを面倒な場所だと考えるのはごく自然なことだろう。
「見えたな。……疑う余地もない。奈落の魔域だ」
 先頭を歩いていたバージルに続いて、各々が目の前に広がっている黒い球体を見る。
 一見すると光をも吸いこんでしまうような黒さだが、実際のところは吸引力などなく、ただそこにぽっかりと穴が空いたように、不気味に存在しているだけだった。
「蛮族が中に入っていった痕跡もある。気を抜くな」
 奈落の核によって生成されている奈落の魔域は再現性がなく、内部は未知の領域となっている。ある話では広大な砂漠だったとか、また別のものは密林と火山が混合したような場所だったなど、挙げだすときりがなく、整合性もない。
 どんな場所に出ても良いように心構えを整えた一行は意を決して奈落の魔域へと足を踏み入れた。

 平衡感覚が揺らぎ、視界が歪みを感じたかと思えば、先ほどまで林の中にいたというのが嘘であるかのような光景が広がっていた。
 目の前には寂れた城の正門が見え、四体の石像が存在を強調しながら飾られている。門は開かれているため、奥に前庭があることが分かる。明るさは十分に確保されており、まるで空から太陽の光が降り注いでいるような感覚を覚えるが温かさはなく、人工的な明かりでしかないことを如実に証明していた。
「どうやら、この奈落の魔域はそこまでえげつない風景を生み出す場所ではなかったようだな」
 今からが本番ではあるが、取りあえず劣悪な環境ではないことに若干の余裕を取り戻したダンテは注意深く辺りを見渡す。すると、何かが訪れたことを察知したかのように石像は動き出し、明らかにこちらへ敵意を向け始めた。
「石像に擬態してたのか」
「来るぞ」
 警戒していたおかげもあって不意を突かれるような失態を晒すことなく、ダンテたちは臨戦態勢を取った。
 石像の正体はガーゴイルで、ここを守るようにと命令されているのか、背中に生えている翼でダンテたちの周りを飛び回りながら鋭い爪で引き裂こうと飛びかかってきた。これらを的確に躱す面々ではあったがこちらの攻撃も当てにくく、別段危険があったわけではないにしろ倒しきるのに若干の時間を要することとなった。
「何というか、的当てゲームみたいだったな」
「ダンテ、遊びではありませんよ」
 リエルに諫められ肩をすくめるダンテだったが、すぐに調子を取り戻して一番的を討ち抜いたのはリエルだとさらに茶化せば、バージルからの拳骨が飛んできた。これには流石のダンテも怒りを露わにしたものの、それすらも優に超える激高の目を向けられ、黙りこくった。
「ほんと、おっさんは馬鹿だよな」
 かすり傷をキリエに治療してもらっている間、ネロは呆れているのだった。

 城の正門で体制を整えていると、前庭の方から騒がしい物音が耳に飛び込んだ。何事だと警戒しながら見て見ると、どうやらダンテたちより先に奈落の魔域に入ったと思われる蛮族が数体、群れを成して右側へと走っていく姿があった。
 蛮族が走っていけるということは、前庭の奥にある城内とは別の道があるということだろう。準備を整えた一行は腰を上げ、右へと走っていった蛮族の後をゆっくりとついて行くと、そこには木の柵で守られた小さな陣地があった。
 陣地では戦闘が起きているのか、叫び声や金属の討ち合う音が聞こえてくる。まさに今、何かと何かがぶつかり合っているようだ。
「村の子どもたちがいるのかもしれません。行きましょう」
 先ほど向かっていった蛮族たちに襲われてしまえばひとたまりもない。急ぐべきだと訴えるキリエの意見に従い、ダンテとバージルが先頭を務めながら足早に陣地へと向かった。
 陣地は限界を迎える寸前だった。正面の柵は壊れ、陣地を守っている兵士の数は指で数えられる程度しか残っていない。そんな兵士たちの指揮を取っているのは幼い子供二人で、対し蛮族の数はその二倍はくだらなかった。
 ただ、蛮族以外の見慣れない生物もいて、何やら様子がおかしかった。
「今なら間に合うな。援護を頼む!」
 首の皮一枚で生き永らえている子どもたちを救出すべく、乱戦となっている敵陣の中へダンテが単身で飛び込んでいく。これに悪態をつきながらバージルが向かい、ネロも続いた。
「何故、突撃することしか頭にないのか」
 後方から二丁拳銃の引き金を引くダイナは辛辣な言葉を吐きながらも援護射撃を行い、敵の注意を逸らす。だがどうにも敵意がこちらに向ききらず、乱戦は過激さを増していく一方で的確に敵を撃ち抜くのも一苦労な状況だった。
「何だこいつら、敵同士でも争ってるのか?」
 やけに攻撃が自身に集中しないことを不思議に思ったダンテは防御に徹しながら相手を観察すると、どうやら蛮族だけではなく魔神も交じっているようでお互いに敵対し、争っていた。
「ならばたたみかけるまでだ」
 自分たちを害する存在を敵対勢力とみなすのは人族に限った話ではない。敵と括っているそれらにも種族があり、全てが全て結託して人族と戦っているわけでもない。今回のように在り方の根幹が違う蛮族と魔神もまた敵同士であり、戦っているのが良い例だ。
「援護します!」
 バージルが止めを刺し損ねたボルグを一匹、キリエが仕留める。横ではネロが魔神エルビレアを殴り飛ばしており、随分と片付いてきたように見える。
「打ち漏らしが多いですよ、ダンテ」
「援護を頼んだだろ? 期待してるぜ、リエル」
 仕方のない人だと言う代わりに炎の妖精を従え、火の玉の飛ばしていく。それらはダンテの期待に応えるように一匹、また一匹と蛮族や魔神を燃やし尽くした。
「掃討、完了」
 最後の生き残りであったボルグを撃ち抜いたダイナが銃を収める。ダンテたちも武器をしまって子どもたちに近付くと、助けが来たことを理解した二人の子どもは地面にへたり込んだ。
「えっと、村に来てくれていた冒険者さんですよね?」
「おう、そうだ。まあ……全部言わなくても分かるよな」
 大きく頷いて見せた二人の子どもは身体中泥だらけで、疲労困憊といった感じであった。それでもこの奈落の魔域の中で何があったのか、かいつまんで話してくれた。
 突如林の中に現れた黒い半球状のドームに足を踏み入れた瞬間、ここに飛ばされたアルとテット。二人はどうにか脱出しようと城の中を歩き回ったが魔神に見つかってしまい、命からがら陣地の築かれているこの場所まで逃げてきたという。
 一度はどうにかやり過ごせたが、しつこく探し回ってくる魔神にどうにか対抗せねばとして、散らばっている古い鎧などを適当に身に着け、どうにか時間を稼いでいたというのが今までの経緯だったらしい。
「よく分かんないけど、僕たちに力を貸してくれる兵士たちもいたからどうにかここで粘っていたんだ。でも正直、もう限界だったよ」
 奈落の魔域は整合性のない性質を持ち合わせているが故なのか、未だ解明されていない部分は多い。ただ、誰かの思念を具現化する力を持っていたり、飲みこんだ地形を反映することもあるという報告は結構上がっている。今回も恐らく、アルとテットの強い思いから彼らを守る兵士が生まれたのだろう。
「私たちが必ず村まで連れて行くから、安心して」
 キリエが優しく声をかけるとアルとテットは涙を堪えながら頭を下げた。魔神に追い回され、蛮族と三つ巴の戦いに巻き込まれ、怖くなかったわけがない。二人にとってはまさに救世主のように映っているだろう。
「一度休息を取る。また魔物どもが来ようとも、ここなら対応しやすい」
 早く村に戻りたい気持ちは全員が持ち合わせている思いだが、はっきり言ってアルとテットは限界だ。村に戻る前に休息を取らないと、それこそ途中で倒れてしまう。
「では、私が見張り番を」
 見張り番を買って出たのはリエルで、これをいつものことだと言った態度でバージルはすぐに体を休め始めた。ダンテは軽く感謝をした後に大の字になって眠った。ネロもおやすみと挨拶をして、体を横たえた。
「キリエ様もどうぞ、お休みください。リエルさん、次は私が変わりますので、時間が来たら起こしてください」
「ダイナもリエルさんも、無理しないで下さいね」
 キリエも言葉に甘え、子どもたちを寝かしつけた後にゆっくりと眠った。それを見届けたダイナも休もうと適当な木の柵に背を預けるのだった。

「みなさん、時間です」
 リエルの声で一番に目を覚ましたのはバージルだった。次に起きたダイナもほとんど時差を感じさせなかった。
「……私、寝過ごした?」
「いえ、わざと起こしませんでした。メリア種は生涯寝ずとも平気ですから」
 見張り番の交代をしていないことに焦りを感じたダイナはその話を聞いてなんだか申し訳ない気持ちになった。 本人の言うとおり、メリア種は寝なくても平気なのだろう。事実として元気そうにしているし、確かに彼女が眠たそうにしている姿は一度も見たことがない。それでも、自分が言いだしたことを反故にしてしまったのは情けなかった。
「報告することはあるか」
「何も。至って平和でした」
 手短な報告を聞いたバージルは頷き、装備を整えて立ち上がった。そして手早くリエルを抱きよせ、何かを囁いたかと思えばすぐに離れ、何もなかったように進軍の旨を伝えた。
「母さん、なんかいいことでもあったのか?」
「ふふ、いえ。何も」
 頭部の青い花を満開に咲かせている母にネロは問うが、何もないとだけ言われてしまった。だがどう見たって何か良いことがあったことは明白で、とことん隠し事に向いていない人だと思うのだった。

 陣地を後にした一行はアルとテットを引き連れて前庭を通り抜け、城内へと侵入した。
 城内は殺風景で、冒険者たちを遮る敵や罠は仕掛けられていなかった。さらにその先は中庭になっていて、正面には天守へ続いていると思しき回廊と、左側にはかつて武器庫として使われていたらしい倉庫が見られる。
「一応、探索してみるか」
 武器庫にかかっている錠前を平然と外したダンテが扉を開け放つと、中には四体の魔動機兵がハンガーに吊るされたような形で安置されていた。壊れているのか、眠っているのか、魔動機兵が動き出す気配は今のところなさそうだ。
「なんか書いてあるな」
 魔動機兵と一緒に吊るされているボタンを見つけたダンテは目を凝らして書かれている文字を見つめるが、自分の知らない言語で書かれているため早々に読解を諦めた。何が書かれているのか気になったネロが確かめると魔動機文明の文字で書かれていることを理解し、読み上げた。
「起動スイッチ──いち、蛮族。に、侵入者──。こんなところか」
「なんだ、どういう意味だ」
「ボタンを押したら魔動機兵が活動を始める。数字の意味は、優先順位。これらは蛮族を第一に、次に侵入者を襲うよう命令されている」
 魔動機文明時代の文字が読めるなんてすごいとはしゃぐ子どもたちに交じり、ダンテも分かりやすい説明に気を良くして、何故か得意げな顔をしていた。
「なんでおっさんが威張ってんだよ。読んだの俺だろ」
「威張ってはないぞ。誇らしいだけだ」
「読みたいなら、マギテックかアルケミストの勉強に励めばいい」
 別に誰かに頼んで教えてもらうのでも良いとダイナが言えば、勉強は勘弁だとすぐにダンテは目を逸らしてしまった。この間に使えそうなものを探していたバージルは、目ぼしいものを必要となる人物たちに渡していた。
「取っておけ」
 ダイナに手渡されたのは一丁のショットガンと弾丸が二十発弱。他に見つかったのは魔晶石ぐらいで、これらはリエルとキリエが分け合っていた。
「俺にはなんかないのか?」
「ない。俺とネロが使えそうなものもな」
 これにはダンテが渋い顔をしたものの、ないものはないので仕方がない。むしろ、誰かが使えるものが残っていただけありがたいというものだ。バージルは今持っている武器があれば十分だと考えていたし、ネロも己の手足があればどうにでもなるといった態度でいるから、親子だなとダンテは思った。
 武器庫を出た一行は、天守に向かうために避けては通れない回廊へとやってきた。ここは城の内部には似つかわしくない様相で、何故か植物が生い茂っていた。
 そこは風が吹いていないわりに、草木が擦れるような独特の音が終始鳴り響いている。
「待て、ただの植物じゃない」
 草花をかき分けて進もうとする子どもたちに静止をかけたのはバージルで、ダンテが慌てて子どもたちを抱き上げた。
「何か、紛れています」
 リエルの言葉にダンテは頷き、子どもたちをキリエたちがいる後方にまで下がるよう指示を出し、警戒しながら近くの草を大剣で斬った。すると、草花に紛れていた茨が動き出し、ダンテたちに襲い掛かってきた。
「人食い植物ってか?」
 擬態していたというよりはここを住処にしていた獰猛な植物──ダンシングソーンは怒り、地面に伸ばしていた根を抜き、まるで足のように自在に動かしてネロに体当たりした。
 植物とは思えない動きではあるが、残念ながら機敏さは足りない。ネロは退屈そうに躱した後、一匹のダンシングソーンを蹴り飛ばす。蹴られた一匹は当たりどころが悪かったのか、徐々に茎を枯らしていった。
「棘だらけの奴をよく蹴れる──」
 ダンテがネロに何かいいかけた時、頬をかすめるまで数ミリあるかといった際どい位置を二発の銃弾が通り過ぎていく。この危なっかしい芸当を誰がやったかなどは明白で、わざわざ後ろを振り返って確認するまでもない。ただ、次に下手なことを言おうものなら自分が撃ち抜かれそうだと悪寒を感じたダンテは、腹いせに残りのダンシングソーンへと斬りかかるのだった。
「余裕があることは認める。でも、戦闘中の過度な散漫は許容しかねる」
「悪かったって。だが、ダイナもそんなに気を張り詰めてばかりじゃいつか足をすくわれるぞ」
 本当に悪いと思っているのか怪しい態度で、追加のように言い返してくるものだからダイナは呆れ、ダンテはそういう男だと割り切った。言い合っても無駄だし、彼の言わんとすることが分からないということではなかったからだ。
「あの二人、仲悪いの?」
 ダンシングソーンを片し終え、軽い休憩を取っている間にアルはおずおずとキリエに話しかけた。
「私とダイナは皆さんと知り合ってまだ二週間くらいだけど、とっても仲がいいと思うわ」
「あんなに不機嫌そうなのに?」
 信じられないとアルは言って、ダイナの顔を指さした。確かにアルの指摘どおり、ダイナの顔は険しいもので、先のダンテとのやり取りが原因で気を悪くしているようにしか見えない。
「戦い終えてもしばらくの間、集中した状態が直らないの。本人は気付いてないみたいだけど……」
 辺りを警戒するという行為は大変に疲れることである。だからこそ戦い終わったら気を休めるという行為も大切なのだが、どうにもダイナはその切り替えが下手だとキリエは感じていた。そしてそれは、まだ短い期間しか共に行動していないダンテたちでもすぐに分かるものだった。
 だからダンテはお調子者と思われている部分を利用し、度々ダイナにちょっかいをかけたり気に障るような事をして、過労で倒れないように調整していた。もちろん、打算だけで動くような男ではないので本心からダイナをからかうことを楽しんでいる節もあり、きつい言葉を返されても可愛らしい反抗程度に受け取っていた。
 そしてこれは長年を共に過ごしてきたキリエしか知り得ないことだが、ダイナは認めていない相手に対しては何も言わない。理由は単純で、相手に期待を寄せるより己の力で解決した方が早いと利己的に考えるからだ。だからダイナが注意をするということはそれだけ相手に期待を寄せているからに他ならなかいことを知っているからこそ、キリエには微笑ましい光景として映るのだった。
「行くぞ。天守はすぐそこだ」
 奈落の魔域を生成している奈落の核は必ずどこかにある。それが道中になかったということは、必然的に最奥部である天守にあるということになる。もうすぐ奈落の魔域から脱出できることに胸を膨らませる子どもたちとは裏腹に、ダンテたちは最奥部に待ち構えているであろう敵の存在に気を引き締めるのだった。

 回廊を抜けて階段を上った先にあるのは城下を見下ろす天守。その中には剣の形に似た漆黒の水晶体──奈落の核が浮かんでいる。そしてそれを守るように魔神が待ち構えていた。
「さっきのエビみたいな奴が二匹とタコが一匹か。今日は帰ったら海産物を食いたいね」
「むしろ食欲失せるだろ……」
 ダンテのジョークにネロが真面目に返答している間も、一匹の魔神だけは動きださなかった。
 足が二本しかない巨大なタコのような魔神は奈落の核の傍を離れず、冒険者たちの出方を窺っている。本能的に奈落の核を守ろうとして警戒しているのか、元から慎重な行動をする魔神なのかは定かでないにしろ、今まで戦ってきた知能の低い蛮族や、今まさに何も考えずに突っ込んでくるエルビレアとは格が違うということを物語っていた。
 飛び込んできた二匹の魔神は残念だが銃弾と斬撃の前に成す術なく散った。これに対し、タコ型の魔神──ナズラックは瞼のない一つ目をぐるりと動かした後、左右の足を器用に操ってダンテたちを薙ぎ払った。
「──っ、重いな……!」
 正面から受け止めたダンテが数センチずつ、後ろへと押されていく。一本の足だけでこれだけの力だというのだから、二本を抑え込むのはとても無理そうだ。
「こいつ、当たらねえ!」
「腐るな、集中しろ」
 しなる足は想像以上に柔軟で、バージルとネロの攻撃を躱していく。どうにか当てても皮膚は硬く、思ったほどのダメージを与えられていないように感じられた。
 詠唱しているリエルとキリエはそれぞれ得意な魔法を行使するも、ダンテたちの援護で手がいっぱいで攻撃に参加できないでいた。
「弾かれ──」
「ネロ、避けろっ!」
 一本の足を支えていたダンテが崩れた瞬間、前線を支えていた仲間たちが吹き飛ばされていく光景は恐ろしいものだった。どうにか全員立ってはいるが、バージルは当たりどころが悪かったのか意識を保っているだけでも御の字といったほどに血を流している。
「キリエ様、三人をお願いします」
 三人は限界だと判断を下したダイナは一人、ナズラックの視線を自分に引くために弾を撃ち、走り出す。キリエは傷の治療で手が回らず、一人で立ち向かってもどうにもならないと分かっているのに、ダイナを止めることが出来なかった。
「時期尚早です。バージルもダンテも、そしてネロも──この程度で音を上げたりしません」
 ナズラックの元へ走るダイナを押しとどめたのはリエルだった。その眼は無茶をしようとするダイナへの怒りと、ナズラックへの対抗策を講じている鋭さを秘めていて、普段とは比べ物にならない力強さがあった。
「前線は任せとけよ。ダイナはきっちり、弾を当ててくれりゃそれでいい」
 全ての傷が塞がったわけではないままに、ダンテはダイナの肩を叩き、再びナズラックの足と対峙した。
「バージル、この子を」
 リエルがよこしたのは小さな光の塊だった。これが何であるかを瞬時に理解したバージルは手のひらに収め、ネロと共に急いでダンテと合流する。そしてバージルの手のひらから解き放たれた光は前線を支える三人の周りを忙しなく回り、優しい光をふりまき続けた。
「妖精か。期待してるぜ」
 傷を負ったと思った次の瞬間には治り始める光景を生み出しているのは先ほどリエルがバージルに手渡した、光の妖精の力だった。光自体は弱々しいものだが、それでもダンテたちを癒す力は十分に備えられている。
 何とか前線が安定し始めたお陰で足を狙いやすくなった。この好機を逃すまいとダイナは照準を定め、撃つ。
 弾は見事に命中し、ナズラックの右足を使い物にならなくした。足が一本になってしまったナズラックは頭部を守るだけの守備範囲を確保することが出来なくなり、ダンテたちに集中的に頭を狙われることになった。
「さっきのお返しだっ!」
 ネロが残る左足を蹴り飛ばす。これに耐えられなかったナズラックは体勢を崩し、そこへダンテとバージルの挟撃が頭部を貫いた。白目を向いたナズラックは体を数回痙攣させたかと思うとだらりと足の力が抜け、体躯を折った。
「どうにか、片付いたな」
 息の根が止まっていることを確認したバージルが警戒を解くとダンテはその場に座りこみ、リエルたちに終わりの合図を出した。
「お疲れさま。……ネロ、よくがんばったわね」
「今回は流石にしんどかったけど……まあ、何とかなって良かった」
 母に褒められたのがくすぐったかったのか、ネロはそっぽを向きながらもどこか気が抜けたような感じだった。そしてキリエが治療するためにすぐ傍にまで来てくれたのを見て、本当に倒せたのだとネロは改めて実感した。
「ダイナ、ちょっとこっちに来い」
 ダンテに呼ばれ、大体何を言われるのか察したダイナは足取りを重たそうにしながら近づいた。出来るだけ地面を見て、目を合わせないようにと子どもみたいな抵抗をしながら。
「怪我はないか?」
「え、あ……私は、特に」
 怒られると思っていたから、なんて返せばいいのか分からなった。どうしてダンテが心配してくるのかを考えていると、ダイナの返事を聞いたダンテは安心したように息を吐き、笑って言った。
「無茶させて悪かったな。次はダイナにあんな真似をさせないよう、もうちょい立ち回りを考えてみるさ」
「どうして、怒らないの」
 責められても仕方のないことをしでかすところだったというのに、怒るどころかまるで自分に非があるような発言をするダンテを見ていられず、ダイナは何故と問い詰めた。それに対してダンテは、最初は事実だからなんだと言うばかりだったがこれではダイナが納得しないことを理解し、悪い顔をしてこう言った。
「怒るより、こういう責め方をした方がダイナは堪えると思ったからな」
「なっ──」
「だが、そうやって思うのは自分が悪いことをしたと分かっているからこそだ。それとも、一から教えてやらないと分からかったか? だったら手取り足取り教えてやってもいいんだぜ」
 ようやっとからかわれていると分かったダイナは何か言い返そうと必死に考えた。結果、何を言ってもダンテに口では勝てないと悟り、ため息をつくしかなかった。
「……もう少し、ダンテのことを信じて頼ってみることにする」
 キリエの元へ行くためダンテの傍を離れる時、ダイナは小さく呟いた。もちろん、ダンテが聞き逃すなんてことはなく、バージルが奈落の核を壊して脱出口を出現させても終始ニヤケ顔を晒す姿は子どもたちにドン引きされても仕方がないものだった。