奈落の核を破壊したことによって出来た出口をくぐると緩やかに視界が歪み、やがて周りを構成するすべてのものが渦を巻くようにして混ざり合い、暗転して消滅した。
気が付けばアルとテットを含む全員が奈落の魔域に入った場所である蛮族の集落跡に戻ってきていた。
太陽は高い位置にいて、時刻としてはお昼過ぎと言ったところか。奈落の魔域の中は人工照明のような明るさだったために時差を感じてしまうが、すぐに慣れるだろう。また実際のところは一日ぶりぐらいであっても、やはり日差しというものが気持ちいいのか、特にリエルはご機嫌だった。
一行が村へ帰ると温かく迎えられ、アルとテットは早速説教されていた。口うるさい村長にむくれているアルと耳を塞ぎたそうにしているテットを見た村の人々は笑い、子どもたちの無事に喜んでいた。
「アルとテットを助けてくれてありがとう!」
「また来てね! その時は遊んでね!」
村の子どもたちがダンテたちに群がってお礼の言葉や遊びをせがむ。キリエやダイナは子供慣れしているからか子どもが喜ぶ対応をしている中、バージルは眉間のしわが深まっていくので子どもたちに離れられ、ネロとダンテはひっぱりだこにされていた。リエルに至っては最初から囲まれないように少し離れたところで村の大人たちに今回のことを説明していた。
「この度は本当にありがとうございました。報酬は全てハーヴェス王国の方に預けてありますので、そちらの方で受け取ってください」
「ああ。小さい村で何かと大変だとは思うが、頑張ってな」
どうにか子どもたちの輪から抜けたダンテがアルとテットへの説教を終えた村長に挨拶し、一行は村を後にした。
ハーヴェス王国に帰るまでの道中は行きと同じで特に何もなく、夜になる頃には無事にハーヴェス王国に着くことが出来た。
冒険者ギルドへの報告は明日に回し、宿を取ってゆっくりと休んだ一行は次の日、冒険者ギルドで依頼達成の報酬を受け取った後、ようやく本題である探し人の情報を得るために冒険の国グランゼールを目指して準備を始めるのだった。
「グランゼールはここから結構な距離があるらしいから、地図かなんか欲しいな」
「それなら大陸全土が載ってる地図が冒険者ギルドに貼ってあるのを見たぜ。持ちだし厳禁とは書いてあったけど」
一緒に依頼受注から報告までしたというのに、ネロは気付いてダンテが気付いていないのは主に周りへの興味の有無の差なのか、ただ単にダンテが抜けているだけなのかは分からない。分からないが、でかしたと大袈裟に褒めてくるダンテを鬱陶しいと感じたネロは無視を決め込んで話を進めえいた。
この何気ないやり取りが行えるのは気を許しあえているからこそのものであり、その輪に自分も入れていると感じられることは嬉しいもので、キリエは終始穏やかな笑みを浮かべていた。
ネロの言うとおり、冒険者ギルドにはアルフレイム大陸全土の大まかな都市や道が書きこまれた地図がでかでかと貼ってあった。よくこれを見落とせたなといったほどの大きさがあるのだが、ダンテは本当に気付いていなかったらしい。
戦いのことに関してはあんなに頼りになるというのに、こと私生活や身の回りへの注意という観点になるとここまで気が抜けるものなのかと誰もが心配になるほどで、バージルもこれには呆れかえり、この愚弟がと零していた。
ダンテのだらしなさはさておき、持ちだし厳禁なんて注意書きがなくともこの大きさの地図を誰が盗みだそうと思うのかといった地図を見て、一同はどうするか考える。
今ここで、大まかなルートを暗記してしまうというのも一つの手だろう。しかし、リスクとして忘れてしまった時対処のしようがない。
次に、無難な手段としては地図を複製することだろう。地図を見て自分たちで作成する分には禁止されていないようで、実際地図の前には冒険者と思われる人物たちが数名、一生懸命地図を書き写している姿が見てとれた。
「俺達も地図作成に励むか」
荷物の中から適当な白紙を引っ張り出したダンテが地図を制作し始める。これを不安に思ったバージルとリエル、それにキリエも同じように地図を模写しはじめた。
「四枚もいらなくね?」
「一番出来の良い地図を使えばいい。ダンテのは、不安だし」
「聞こえてるぞ」
鼻歌を歌いながら地図を制作しているダンテがネロとダイナの小言にきっちり言葉を返しながらもさらさらと書き上げていき、十分経ったかといったぐらいで出来たと見せびらかした。
「最悪の出来だな」
「読めない」
二人から辛辣な言葉を浴びせられ撃沈したダンテ。これを鼻で笑ったバージルが今度は見せた。
「……五十歩百歩」
「まあ、さっきよりは……」
これまたひどい出来だが、いくらかダンテよりマシなのは事実。これを作った相手が相手なだけにネロは顔を引きつらせながら自分の親父を不甲斐ないと思っている中、ダイナも言葉を濁すのだった。
こう言った手合いで頼りになるのはやはり女性か、なんて思いながらネロがふとリエルに目を向けると、そこにはなんと……。
「母さん、何してんだ」
ぼんやりと地図とにらめっこを続けているだけの母の姿があった。筆は一切進んでおらず、どこから手を付けたらいいのか皆目見当もつかないといった様子だった。
「こういうのは、全部書きたくなってしまって……」
流石にこの地図をまるまる写すとなれば何日かかるか分かったものではない。挙句、今欲しいのはハーヴェス王国からグランゼールに続くまでの道だけで、膨大な情報はあっても邪魔なだけだ。
「これでどうでしょうか」
そっと差し出されたそれは、完璧と銘打つには若干惜しいところもあるが、まさに地図と呼ぶに相応しいものであった。
「これを地図って言うんだよな」
「流石、キリエ様です」
あまりに下手過ぎる──なんなら出来上がってすらいない──ものを見過ぎたせいで感覚がおかしくなりそうだったネロはキリエの書き上げた地図を見て一人納得している。ダイナも主人の多才さにどこか嬉しそうだった。
「おー、見やすいな。じゃあこれでグランゼールに向かうとするか」
良い地図が手に入ったと満足げなダンテがさらっと手荷物に地図を仕舞いこむと、早速出発だと先にギルドを出ていった。これに続いて出ていくバージルと、申し訳ないと謝るネロの対応の違いにキリエは頬笑みながら問題ないと言い、急いで後を追うのだった。
ハーヴェス王国からグランゼールまでの距離は今までとは比べ物にならない。徒歩で向かおうものなら早くて三週間から一ヶ月は覚悟しないと辿り着けないほどだ。馬などの力を借りれば一週間ほどで済むが、それでも長旅に変わりはなかった。
「というわけでライダーギルドから馬を借りたわけだが、返さなきゃならねえから大事にしろよ」
ライダーギルドとはその名のとおり騎乗用のペットの売買やレンタルを専門に取り扱っている場所だが、ギルドという名が付いているのにはそれなりの理由がある。
まず大きな特徴として、ライダーギルドで取り扱われている道具の中に騎獣契約証と騎獣専有証というものがある。
騎獣契約証は主にレンタルするときに使用され、これを使って借りたい騎獣と契約を結ぶことで一時的に主人になることが出来る。契約が成功すると他者にもどの騎獣が誰と契約しているか分かる魔法の印が浮かび、これが所有者を証明するのだ。
騎獣専有証は騎獣を購入、或いは自分で調教した騎獣になり得る生き物と常時契約状態であることを証明するために使われている。
これらに共有している便利な機能としては彫像化することが出来るというものである。契約に用いた証を騎獣に直接貼り付けると騎獣が彫刻となり、持ち運べるようになるというものだ。張り付けた証を剥げば再び元の姿に戻り、騎乗することも共に戦うことも出来るという優れものであると同時に、この証を作る技術を持ち合わせているからこそギルドとして名を馳せているのである。
今回はなんてことはない普通の馬を借りただけなので、もしも蛮族などに襲われた時戦闘に巻き込むのは大変に危険だ。何より、彼らの中に騎手としての訓練を積んでいる者はいないため、慣れないことをするぐらいなら普通に降りて戦った方が何倍もマシである。
馬にはそれぞれ二人乗りしていた。ダイナが手綱を握っている馬にはキリエが同伴しているようで、特に危なげはない。バージルはリエルと相当な体格差があるため、後ろからリエルを抱きかかえながらでも手綱を握れるほどだった。
一番危なっかしかったのは言うまでもなくダンテとネロが乗っている馬で、ネロは絶対にダンテに手綱を握らせることはなかった。
「坊や、そう意地悪するなよ」
「意地悪じゃねえ。おっさんが持ったら絶対に振り落とされる」
「それはやってみないと分からんだろ?」
グランゼールを目指しながらこんな言い合いを続けて早三日。旅路自体は順調ではあるものの、ダンテのわがままにいい加減うんざりなネロは休憩に入った時、誰かに代わって欲しいと音を上げた。
「私が代わりましょう」
「やめておけ。二人して振り落とされるのが目に見えている」
代わっても良いといのいちに声を上げたのはリエルだったがバージルにすぐに止められていた。ネロも好き放題するダンテとそれを一切止めない母がどうなるかを想像し、悪寒が走ったのでやんわりと断った。
「何? 私の方を見て」
次に白羽の矢が立ったのはダイナだった。この三日間で分かったことは、乗馬の技量が一番高いのはダイナだということ。訓練を受けた者には劣るが素人の中としてはそこそこだった。
「代わってくれよ」
「私はキリエ様を守るので忙しい」
「絶対危ない目に合わせないからさ」
「キリエ様を守るのは私の役目だから」
頼れるのがダイナしかいない以上、ネロも必死だ。バージルを頼るという選択肢もなかったわけではないが親父ということも相まって癪だし、どうせ頼んだところで一蹴されるに決まっている。ダイナも一筋縄ではいかないだろうが、バージルと比べればまだ希望があるから、こっちに一縷の望みを賭けた。
「ダイナ、少しだけ代わってあげて? 私は大丈夫だから」
「うっ。キリエ様が、そういうなら」
そう。ダイナはとにかくキリエに甘いというところが、唯一にして最大の突破口である。バージルに対しても出来ないわけではないが、残念ながらリエルが申し立てをしたところで嫌なものは嫌だと言い切る親父をどうにかするぐらいなら、キリエの一言ですぐに折れるダイナを頼った方が何倍も効果が見込める。
「今度はダイナが俺と乗ってくれるのか?」
「絶対に手綱は握らせないから」
こうしてお荷物をダイナになすり付けることに成功したネロは上機嫌でキリエと共に馬に乗った。バージルたちは特に変わりがないので初日と変わらずといった具合だったが、ダイナは終始背後から手綱を奪いに来ようとするダンテに必要の無い戦いを強いられ、グランゼールに着く頃には疲れが溜まって不機嫌そうだった。
これは余談だが、馬としてはネロとダンテを乗せているのは体重的にしんどかったようで、ダイナに代わってもらったおかげで最初より足取りが軽かった。
冒険の国グランゼール。またの名を迷宮王国と呼ばれるここは、今から約五十年ほど前にとある冒険者が見つけた魔剣の迷宮を中心に生まれた発展途上の国である。
魔剣には少し変わった力がある。それは、魔剣の意思──強大な力を持つ魔剣は喋らずとも意思があると考えられている──や先代の持ち主の想念が影響し、周辺を迷宮化してしまうというものだ。
グランゼールの大迷宮は魔剣の迷宮の複合体であると考えられており、今現在で四本の強力な魔剣が発見されている。その他にも力をさほど有していないものであればいくつも見つけられており、それらが見つかるたびに国は活気づき、更なる強力な魔剣を探し求めて冒険者たちが迷宮へと挑むという構図が主になっていた。
魔剣とは魔力を帯びた武器の総称でしかなく、形状は決して剣だけではない。そしてこの世界ラクシアは始まりの剣によって創られたと言われており、事実始まりの剣のうちどれか一本を手にした者は神になっている。だから魔剣というのは大変に貴重であり、冒険者であれば一度は夢見る代物である。
これらは残念ながら今の技術ではとても再現不可能なほどの力を持っているため、もしも手にするならグランゼールの大迷宮のような、魔剣そのものが作りだした迷宮に潜って見つけるしかない。だからこそ、迷宮が見つかるとその地域は賑わうのだ。
そしてその迷宮が大きければ大きいほど、眠っているとされる魔剣は強大な力を秘めているとされている。無論、手に入れるには過酷な迷宮内を踏破しなくてはならないが、もしも手に入れることが出来た暁には莫大な富と名声を手に入れることが出来るだろう。
こうして、一番最初にこの迷宮を見つけた人物、ロブ・グランゼールが一人では踏破出来ないとして魔剣の迷宮を探索する権利を解放。その際、ロブ・グランゼールを国王として国家を樹立。以降、国としての発展を続けている。
最初に出来上がったのは王城を含む中央迷宮街区。その後、人が集まるにつれて街は拡大し、冒険道具街区や入門街区が誕生。迷宮で巨大な富を得た者たちが成功者の街を北側に作りはじめ、夢破れた者が南側に移り住んで下町となり、そこにすらいられない者が最南端の貧民街区へと流れていくのがここ、グランゼールという国である。
グランゼールに着いた一行は馬を返すためにライダーギルドに立ち寄った後、情報収集も出来て温かい食事にありつける酒場に立ち寄った。
「やっぱ保存食よりもあったかい飯が一番だな」
ご機嫌なダンテはジョッキに入った酒を一気にあおっている。バージルも珍しく少量ではあるが酒を嗜んでおり、ほんのりと顔が赤い。リエルは付き合いで飲んでいたようだが相当弱いのか、顔を真っ赤にしていた。
「ここ、いいかい?」
相席を申し込んできたのは二人組の男だった。見た感じ酔っているようで、別の店で一杯飲んできている様子だった。
「おう、いいぞ。ほら坊や、もうちょい寄ってやれ」
二つ返事のダンテに気を良くした二人組の男は挨拶もほどほどに席へ着き、酒を注文している。そんな彼らに、酒が入って気分が上がっているダンテはこの国の情勢を聞いていた。
最近は新しい魔剣の迷宮が見つかったりといった盛り上がる話題に欠けていると男たちは言った。それでも若い冒険者たちは日に日に増えているようで、活気は衰えてはいないそうだ。
「そういうあんたらも冒険者だろ。一攫千金を狙って魔剣の迷宮に潜りに来たって口だな?」
「あー、いや、俺らはちょいと人探しをしててな。ギージェって魔術師なんだが、知らねえか?」
すると男たちは笑い、言った。この国に住んでいてギーシェさんを知らない人は下町で働いている奴や貧民街区に住み着いている連中ぐらいだと。
「人当たりはいいし相談にも乗ってくれる。何より、強さをひけらかさない所がいいよな。唯一残念なのは、調べものに没頭しだすと家から出てこなくなることぐらいだ」
「ほおー。じゃあ今は家で調べものの最中なのか?」
「いや、この間……っていっても一ヶ月ぐらい前だが、冒険者たちに散々調べつくされた迷宮に入っていったのを見たぜ。そこから出てきたって話は聞いてねえから、まだ迷宮内で調べものしてるんじゃねえか?」
普通なら、迷宮に入って一ヶ月も戻って来ないなんてことになれば捜索隊が組まれてもおかしくない。その迷宮が地下五十以上もの深さがあるとかなら話は別だが、聞いた感じそんな様子はない。
では何故、有名人であり一目置かれている高名な魔術師の帰還がないことに心配しないのか? それは先ほど酒飲みの男たちの発言に答えがあった。
まず、ギージェが足を踏み入れた迷宮は冒険者たちに調べ上げられた、いわば危険なんてものはほとんど存在していない場所であるということ。次に、ギーシェ自身が相当の実力者であるということ。極め付けに調べものに夢中になるという性格ということもあって、彼の身に何かあったなどと考えるものがこの国にはいないのであった。
「ギーシェさんを探して来たってことは、弟子入りか? それだったら諦めた方が良いぜ。あの人、一度も弟子を取ったことねえからな」
魔術の道は己の力だけで極めるにはとても難しい。だから高名な魔術を使うものの元に弟子入りを志願する者も多い。酒飲みの男たちにはどうやら志願者だと思われたみたいだが、別にどうでもいいので訂正はしなかった。
「ダメ元でもよ、一度は話してみたいってもんだろ」
「おうおう。手ぶらで帰るなんて情けねえ真似、冒険者がしちゃいけねえぜ。ギーシェさんはな、入門街区にある灯火の守り手って言うギルドが管理している迷宮<時渡り>ってのに入っていったはずだ」
「ほおー。じゃあ明日にでも行ってみるとするか」
「それなら冒険道具街区で必要なものを揃えていくといいぞ。合法品なら揃わない物なんてねえからな!」
気分が良さそうに笑う男たちにつられるようにダンテも笑い、情報に感謝した。
たとえ他の冒険者たちに調べつくされている迷宮といっても危険がないという保証はどこにも無い。だからこそ、準備は怠ってはいけないということを彼らはきちんと理解している。
「どうもありがとよ。俺達はここらでお暇させてもらうぜ」
「なあんだ? もう行っちまうのかー? 気をつけて帰れよお」
完全に泥酔している二人の男たちとの会話を適当なところで切り、ダンテたちは酒場を後にして先に取ってあった宿でこの日は休んだ。
ただ宿に向かう途中、千鳥足のリエルを支えるバージルの足取りも怪しいもので、二人を支えるネロに絡むダンテを押さえるキリエとダイナは随分と苦労したのだった。