六月三日午後十一時二十九分。
衝撃的な真実が明らかになってから二日ほど経った晩。傷はいまだ塞がっていないが、それぞれ立って歩けるぐらいには良くなった。お陰で三人はこの場所がどこであるのかをようやく知った。
ここはダンテとバージルの実家であった。玄関先の正面に大きく飾られている肖像画にはダンテとバージル、そしてダイナの他に美しい赤い衣装を身に纏った金髪の女性と、同じ背丈ほどの長く伸ばされた薄緑色の髪をした女性が写っている。後二名ほど写っている人物がいるものの、これらは月日の流れによって風化してしまったためにそのほとんどが薄れてしまっており、誰であるかを判別するのは困難であった。
ダイナの家は別にあるが、幼少期のほとんどを彼らの家で過ごしていた彼女にとっても我が家のように勝手を知り尽くした場所であったから、忌まわしくも懐かしいこの世界に帰って来ても、今いる家を出て自分の家を探しに行こうなどとはしなかった。もちろん他の要因として体調の問題もあったし、自分たちを襲った悪魔が何をしているのか分からないままに出歩く危険を冒せないというのもあったが、そうしなかった何よりの理由はダイナにとって、自分の家を探す理由がなかったことが大きい。
良い悪いはともかく、二人と過ごした時間が多かったということは自分の家での思い出が少ないということに他ならない。だから、帰る理由がなかった。
夜は辺りの警戒を交替で行いながら過ごしており、今はダイナと初代が休んでいた。情報収集にしろ敵を撃つにしろ、まずは体調を万全にしなくては話が始まらない。
意識を取り戻した初日は初代が、二日目はダイナが担当した。そして本日はバージルが見張りをしていたから、家は静寂の中にあった。
隙間風が入ってくることはないから何かが揺れるような音はなく、静かに繰り返される呼吸音は耳をそばだてたとしても聞き及べるほどのものではない。唯一静寂を破れる人物であるバージルは身動ぎ一つせず、ただそこに居た。
今日という日もこのまま時が過ぎ去るだけかと思われた時、三人が落ちた時に作り上げた天井の穴から入る月の光が作りだした影がゆらりと動いたことを認めたバージルは視線だけを向け、起き上がった人物を見る。
「夜は長いぞ」
「だからいいんだろ。話をするにはもってこいだ。……秘密の話をするのに、な」
初代の眼差しは真剣そのもので、真実以外のことを語ろうものならどんなことをしてでも吐き出させてやるという脅迫に似た圧を感じさせた。
「今は傷を癒すことが最優先だと考えているが?」
「ダイナにとって都合のいい事実ばかりを述べた奴と肩を並べて休息を取れって? 無茶言うぜ」
どうしてもバージルのことを信じられない初代は否定の言葉を並べる。普段の冷静さを欠いた、饒舌な彼に対してバージルはたった一つのため息だけを返し、何も語ろうとはしなかった。今の状態では何を言っても信じないことは目に見えて分かっていたし、初代自身が内に秘めている狂気のことを考えると、迂闊なことを言えなかった。
──そうだ、初代の中には狂気が潜んでいる。
数年前、自分と若が繰り広げた死闘を止めるためだという名目の元に行われた、一方的なまでの過剰な攻撃。確かに非があるのは自分の方だったということは口にしなくともバージル自身が一番良く理解しているし、今になって当時のことを思ってみると、もっと他にいくらでもやりようはあった。そうは言ってもあの時は頭に血が上っていて、半殺しの目に合わせてでも若をあの場に留めなくてはならないという考えにのまれていたから、何を言っても仕方ない。
だが、決して忘れることは出来なかった。初代が自己全てを心の奥深くに仕舞いこんだ時に姿を見せた、際限のない残虐性を秘めた悪魔のことを。
あれはダンテではない。しかし、ダンテが人間の部分を捨て去り、真の悪魔として生きる道を選んだとしたら? 自分と若と止めるためだといって現れた時の比ではない悪魔が誕生するだろう。そうなったらもう、戦うしかない。
本人が望む望まざるに関係なく、ダンテという存在が悪魔になり果ててしまった時点で定められた運命だ。そしてその戦いはどちらかの敗北を持って初めて終わりを迎える。無論、負けた方の命は……ないに等しい。
「なんで今まで黙ってた? ダイナはずっと自分の世界にいた俺とバージルを探していたんだろ。ずっと傍にいながら黙秘を貫いて、元の世界に戻ってきたら実は生きていましたなんて、どう考えたっておかしいだろ!」
無言のバージルにとうとう業を煮やした初代が声を荒げる。これに対してもバージルは鋭い視線でダイナが起きるから静かにしろと訴えかけるばかりで、取りつく島を与えなかった。
何も答えてもらえないと、初代にしては随分と遅い見解をようやく見出し、落胆したように肩を落とした。もう何も言うことはないと口を閉ざした初代を見て、これでやっと話が出来るとバージルが口を開いた。
「俺がお前たちと出会った日のことは覚えているか」
問いには答えないくせに、自分の問いには答えさせようとするバージルの相も変わらずな態度に初代が抱いた感情は怒りを通り越した呆れであった。
「……覚えてる。今にも死にかけのあんたを若が運んできた。あいつだって瀕死の状態だったのにな」
ダイナを除けばおっさんの事務所にやってきた最後の住人が若とバージルであった。同時にやってくるだけでなく、容態までもが酷似しているからどこまでも同じ血を分けた半身のようだと思い至ったものだ。
若がバージルを連れてきたこともあって、この時は過去の自分がバージルと決別する瞬間、つまりはテメンニグルでの激闘の末に向かえるはずだった離別が、何かの力が働いて二人ともおっさんのいる世界に来てしまったものだと推察された。
しかし、これに関しては意識を取り戻したバージルと若の話を聞いていくと矛盾ばかりが生まれ、別々の世界線の人物であるという答えに落ち着いた。この事実を決定的に裏付けたのがバージルの“ダンテは死んだ”という発言だった。
「愚弟の傷は、愚弟自身が元いた世界にいる俺との戦いで出来たものだった。……では、俺は何故瀕死の状態だった?」
この回答を初代が持ちているわけがなかった。もちろん、初代に限らず誰一人としてこの問いに答えることは出来ない。バージルが当時負った傷の話を一度もしていないのだから、知り得る手段がなかったのだ。
「俺も戦ったんだ。奴と。結果は……俺の傷を覚えているなら語る必要はないな。その時に俺は……」
──記憶を失った。
「今までずっと話さなかったのではなく、話せなかったって言いたいのか?」
「そうだ。唯一、鮮明に思い出せることはダンテの死だけだった。だが、ようやっと記憶を取り戻すとっかかりを得た。……もう分かるだろう? クリフォトの樹を見た時の俺を異様だと感じたお前なら」
バージルがこの世界の住人であることを──ダイナと共に生きたバージルであること──認めれば、確かに辻褄が合う。みんなのいる世界でクリフォトの樹を見て記憶を取り戻したのは過去に見覚えがあるからだろう。まさに今いるこの世界にそびえ立っている樹と同一のものだ。
次に、ダイナへの態度があからさまに変わったこと。これもバージルの発言を裏付けている。唯我独尊の権化とも言える性格をしているバージルだが、別に生まれた時からそうだったわけではない。少なくとも幼少期の頃はそこそこに良いお兄ちゃんであった。だから自分がふてくされている時には気を遣ってくれたりしてくれたことを覚えている。もちろん、ダイナにだって弟であった自分と同じか、何ならそれ以上によくしていただろう。
だが記憶がなくなったということは、言い換えればダイナは赤の他人になってしまったということだ。だから今までは他人同様の扱いをしていたわけだし、打ち解けるようになったとしても態度が改められることはなかった。
そんな中で失っていた記憶の全てを取り戻した瞬間というのは、相当に思い悩んだはず。今まで冷たく当たっていた記憶も当然ある中でダイナと楽しく暮らしていた頃の感情を思い出したのだから、複雑な心情であったはずだ。過去に何があったかまでは推し量れずとも、血のつながっている自分とはまた違った、それこそ宝物のように扱っていた妹のような存在に対して横暴な態度で接し続けていたのだから。
さらに思い出したタイミングも最悪なもので、時間の猶予は一切なかった。おっさんから話された依頼内容からして、どう転んでもろくなことにならないことが分かっていたからだ。
それでも、現状で起きている出来事全てがバージルの敵になっているような状況でも、どのような態度で接すればいいのかあの短時間で考え、そして選んだ。
昔と同じように、家族同然として過ごしていた時のように接することを。
「俺も全てを受け入れられているわけではない。だがダイナは俺を信じ、受け入れてくれた。俺やお前のことになると妄信的になるからこそ拒まなかったというのも否定はしないが、事実は変わらん」
バージルの言う通りだ。事実は変わらない。それをもっとも裏付ける証拠は奇しくもバージル自身の今までの態度にある。
今更になって、実はダイナのいた世界のバージルだという嘘をつく理由がないのだ。ダイナを可愛そうな奴だと気遣って、彼女の知っているバージルの姿を演じてやる義理がないし、何よりそんなことをするような性格でないことは今までの生活を振り返ればわざわざ確認を取らずとも分かり切っている。
都合が良すぎるという考えは今だ抜けないが、認める他ないというのも頭では理解した初代はそれでも尚、バージルを受け入れることが出来なかった。──否、受け入れたら最後、自分を保てなくなる恐怖に苛まれていた。
本来であれば、手放しに喜ぶべきことなのだ。大切な人が生きていたのだから、事実を素直に受け入れればいい。もう訝しむ必要などないのだから、認めればいい。
「だったら……」
俯いたために前髪が初代の瞳を隠した。それでも隠されなかった口は何かを堪えるように奥歯を噛みしめ、鋭い歯を晒す。
「俺は、何だって言うんだ?」
紡ぎ出された言葉は悲痛に満ちていて、救いの手をいくら伸ばしても届くことがないほどの深い悲しみを帯びていた。
「俺の守ったダイナとバージルは感動の再開を果たした。だがダイナに守られた俺はどうだ? ……何も残らなかった。全部、自分で斬り捨てちまった」
バージルは再び沈黙を保った。それぞれの過去が露呈した日ですら自身の過去を語らなかった初代が、こいつにだけは聞かせることがないだろうと思っていた相手に全てをぶちまけた。
七人の半魔が揃った日、全員が口を揃えてダイナのことを知らないと言った。だがこの中で確実に一人、隠し事をするために嘘をついた者がいた。
「最初は誰か、分からなかった。名前を聞かされて、まさかと思った。だが他の奴らは口を揃えて知らないと言ったから、俺も知らないことにした。でないとまた、ダイナは……」
──自分を守って死ぬ気がした。
初代の世界にいた彼女と同じように、ダンテとバージルを守るという使命を果たしてしまうと直感した初代は言いだすことが出来なかった。結局のところ、ダイナは変わらずに命を賭して自分たちを守ろうとしたから、黙っていたことに意味があったのかどうかは分からない。
それでも、言いだすことは出来なかった。
初代はあろうことか、彼女が命を賭けて守ったバージルを手にかけたのだ。言い出せるわけがなかった。
不可抗力ではあった。殺らなければ、間違いなく自分が死んでいた。そしてバージルが生きていたら、自分の世界もここと同じように魔界へと姿を変えていただろう。
母を失い、ダイナを失い、大切だったものを全て奪われた双子は残念ながら違う道を歩み、衝突した。
正しいことだと信じていた。バージルを討つことは自分にしか出来ないことで、仕方のなかったことだったと。だが彼女は再び自分の前に現れた。数十年という時を経て大きくなった姿で。
「一番の曲者は二代目ではなく、お前だったな」
冷ややかな視線を初代に向けながらバージルは言った。
初代がこの事実を受け入れたくない理由はよく分かった。確かにバージルも同じ立場であれば、絶対に受け入れないだろう。受け入れてしまえば今までしてきたことの全てを、己の存在する理由全てを否定することになる。バージルには絶対に許容できないことだ。
だが現実は無情なことに、起こり得てしまった。
同じ境遇である並行世界で、自分が守れば二人の幸せを守ることが出来るという現実を突きつけられてしまった初代にこれ以上、何を想えという?
「隠し事が下手な方だと思っていたが、それすら演技だったことには感服する」
全ては自身の過去を知られないため。巧妙に隠されていた真実は、こうして初代が己の口で話すことがなければ墓場まで持って行けただろう。
実際、初代が実はダイナのことを知っていたということについては誰一人として気付いていなかった。このような状況にならなければ一生明かされることもなかった。だがお陰で、この話を聞いたバージルはようやっと初代の中に潜む狂気の正体を知ることが出来た。
「私が二人を守って死んだって話、本当?」
初代は大きく体を揺らし、息を呑んだ。ゆっくりと体を起こしている気配を感じ、動悸が早くなっていく。とてもじゃないが、問いには答えられなかった。
「いつから起きていた」
至極どうでも良いことをバージルが聞いた。問われた彼女は初代が怒っている時ぐらいからと答えた。それを聞いたバージルはそうだろうなといった態度で、別段驚いていなかった。
「俺は……!」
話のほとんどを聞かれていたことを知った初代はとにかく何かを伝えなくてはと思い、顔を上げた。そこにはいつもと変わらない表情を浮かべたダイナがいて、どんな繕いの言葉も意味がないと悟らせるには十分過ぎるものだった。
「私は今、自分のことをとても誇りに思っている」
目を見て話しかけてくるダイナは確かに自信に満ちていて、どこか嬉しそうにしている。それがどうにも不気味で、初代の心情をさらに乱した。
「二人を守れた私を、私は誇りに思う。その未来は、誰よりも私が求めていたものだから」
どうしてダイナはここまで自分たちのために尽くしてくれるのだろうか。それもダイナが共に過ごしたダンテやバージルではなく、並行世界という可能性でしかない自分なんかに。
「二人が小さい頃から喧嘩が絶えなかったことは知ってる。それはどの世界においても同じなのだということも、みんなに出会ってよく分かった」
ダイナは日々の生活を思い出し、若干困ったような、微笑みを堪えるような表情を浮かべながら続けた。
「自分も含めて、みんなそれぞれの世界で自分の人生を歩んでいた。そんな時、私たちは何かをきっかけに一つの世界に集まり、出会った。互いの存在に当惑しながらも、受け入れようとした。……きっと、そこが私たちの分岐点」
もしも、受け入れようとしなかったら? 自分は自分の世界で生きるべきだと、誰もが元の世界に帰ることしか考えていなかったら?
間違いなく言える。今のような関係性には絶対になっていなかったと。
そして今の関係がなければ何かの拍子に互いの過去を知った時、二度と立ち上がれないものであったはずだ。それほどまでにそれぞれが抱える過去は辛く、変えられるものなら変えてしまいたいと今この瞬間だって想い、願っていることだから。同時に、共にいる者たちの過去のように自分が振る舞えていれば、もっと違う未来を掴みれていたのではないかとは考えずにはいられないから。
「みんなと出会った時の私は、自分のことを皆を守るための駒だと思っていた。ダンテとバージルであれば誰だっていいと藁にも縋る思いだった。でも、皆が私のことを受け入れてくれて、気にかけてくれたから、私は変わることが出来た」
自分を受け入れてくれたみんなだからこそ守りたい。自分が幼少期の頃によく遊んだバージルだから守るのではなく、ただ生きているだけだった自分のことを受け入れてくれたバージルだからこそ、今も守りたいと思うのだ。
若も、おっさんも、二代目も、ネロも。当然、初代だって。
「だから私は私に感謝している。初代と呼ばれるようになるダンテを守ってくれたことを。そして私は初代を含む皆に守られたお陰でここにいる。だから──」
生きていてくれてありがとう。
最後の言葉を聞いた初代は崩れ落ちる自身の体を必死に支えながら、ダイナを胸の中に抱き寄せていた。
赦されたわけではない。元より、誰かに責められているわけではない。これは自分自身が己の過去を受け入れられるかどうか、ただそれだけのこと。
これから先も、今までのことを考えずに生きていくような楽観的な人生を歩むことは出来ないだろう。過去のことを忘れることもないし、再び今と比べてしまうこともある。
だが、それでもいい。今の自分には心の底から守りたいと思える大切な人たちがいる。同時に、大切な人たちは自分のことを受け止めてくれていて、同じように守ってくれようとしている。
「少しだけ、このままでいさせてくれ」
ダイナは何も言わず、初代の胸の中に収まり続けた。力を抜いて体を預けるダイナと、二度と手放さないようにと抱きしめる初代を傍で見ているバージルは一人想う。
あの日、ダンテやダイナがしたように、自分が命を賭けて守り抜けていれば二人は幸せな人生を歩めていたのだろうか?
くだらない考えはすぐに頭から追い出した。次は自分がこの二人を守ればいい。この地を統べる悪魔から、今度こそ。
六月四日午前零時十五分。
家の中には再び静寂が訪れた。初代の胸の中で眠りに落ちたダイナは物音一つ立てることなくそこにいる。彼女を抱きしめている初代も今だ動き出すことはせず、体を預けてきているダイナを手放さなかった。バージルは目を閉じ、腕を組んで座っていた。
いつまでも続くように感じられた沈黙が破られたのは、初代がダイナをゆっくりと胸の中から離した時だった。ようやっと踏ん切りをつけた初代の表情は普段通りで、余裕があった。
「一番見られたくない奴に、情けない姿を晒しちまった」
「無駄口を叩ける程度に傷心は癒えたか?」
「お陰様で」
いつもの皮肉を返しあって、二人ともが視線をダイナに向けたので、どちらが先か、口元に笑みを浮かべた。
「俺たちが何故ここに来たのか、忘れたとは言わせんぞ」
「クリフォトの樹をぶった切って、おっさんたちのいる世界の魔界化を止める、だろ」
すべきことは分かっている。成すべきことも単純なものだ。
問題はただ一つ。自分たちを襲った悪魔の存在、これだけだ。
「奴は樹の内部を根城にしている。それを斬ろうとする以上、戦いは必至だ」
彼の悪魔に勝つこと。これがクリフォトの樹を斬って魔界化を止め、おっさんたちのいる世界に帰るための絶対条件。これを満たすために、必要なものがある。
「魔剣スパーダが二本あれば、勝てるかもしれない」
父の名を冠する魔具。心技体のどれもが備わっていないと扱うことが許されない、彼らが知っている魔具の中でもっとも強い力を有している武器だ。
初代は自分の元いた世界から持ってきている魔剣スパーダがあるから、次の戦いではこれを使うことになるだろう。そしてバージルも心技体ともに文句のつけようがない。物さえあればきっと扱えるはずだ。
「この世界にもあるのか? 魔剣スパーダが」
「不完全な状態で、というのが答えにはなるな」
バージルが胸元から取り出したアミュレットを見た初代は理解する。
魔剣スパーダは父がとある封印を施してこの世に残していった魔具である。その鍵を握っているのがバージルの首にかかっているアミュレットだ。フォースエッジと呼ばれる姿に変わっている魔具があり、実はそれこそが魔剣スパーダとしての真の力を封印されている状態で、このアミュレットが施されている封印を解くために必要なものである。
ただこのアミュレットはさらに二つに分けられており、一つはバージルの首にかかっている金のアミュレット、もう一つはダンテが持っているはずの銀のアミュレットがそれぞれ鍵としての役割を担っている。この二つを合わせた時に初めてパーフェクトアミュレットへと姿を変え、フォースエッジの封印を解くことが出来る仕組みとなっており、どれか一つでも欠けていると魔剣スパーダを手に入れることは出来ない。
「俺たちが幼い日に悪魔に襲われた時、ダンテは逃げながら家の方をずっと気にかけていた。当時は気にも留めなかったが今になって思えば、何か大事な物をこの家に置いてきたのかもしれない」
「……なるほど? それがアミュレットかもしれないと」
確証はないが探してみる価値はあるとして、まずは万が一にもあるかもしれない銀のアミュレット探しを虱潰しに始めることにした。フォースエッジに関しては心当たりの場所があるということで、完全に傷が癒えたらそこに向かうことになった。
ただ、この探し物はかなり絶望的であった。どれか一つでも欠けた時点で詰みという厳しい条件があり、探し当てなくてはならないものも必ずここにあるという保証がない。だからバージルは希望を抱いても、期待はしなかった。
見つからなかった時は今の実力で彼の悪魔と再び相見えなくてはならない。当時と違って力はつけたし、今度戦うときは尋常に一対一の状況にまで持ちこむつもりでいるが、果たして自分の力がどこまで通用するか、不安は消えなかった。
「絶対に勝って、三人で帰ろうぜ」
初代は出来るだけ物音を立てないようにゆっくりと立ち上がりながら言った。手も足も出なかった数日前のことを考えると色々思うところもあるが、勝たなくてはならないなら勝利をもぎ取るだけだ。
「分かっているのか? 奴と戦うということは……」
「やってやるさ。たとえそれが、自分を殺すことだったとしても」
バージルは彼の悪魔の正体を明かさなかったが、言われるまでもなく初代は気付いていた。
一番最初に違和感を抱いたのは死神のような悪魔と対峙した時。あの時はまるで自分を見ているような気持ちになった。それから何度か考えて、なんとなく正体は割れた。
「ダイナは、気付いているかどうか」
「どっちでも構わないさ。刃を向けられないっていうなら、俺たちだけでやるだけだ。……それより、俺があんな悪魔になった経緯を軽くでいいから教えてくれよ」
聞けば、バージルは答えてくれた。
自分たちを襲うように仕向けた悪魔、つまり人間界そのものを滅ぼした元凶は魔帝ムンドゥスという名の悪魔だった。生き残ってから力をつけるために各地を巡ったバージルが手に入れた情報によると、この悪魔は父スパーダと因縁めいた関係があり、結果として家族である自分たちに白羽の矢がたち、その毒牙にかかったことを後に知った。
ダイナを庇って死んだダンテと、死には至らなかったが重体に瀕していたバージル。最初に意識の戻ったダイナはダンテの死に直面し、一人彷徨い、焼ける森の中で父の亡骸を発見した後にその場を去った。
一方でバージルが意識を取り戻した時にいた場所は空の上であった。痛みを堪えて何が起きているのかを把握しようとして首を少し動かすと、鳥の足のようなものに掴まっているダンテが横にいて、初めて自分が鳥型の悪魔にどこかへ連れ去られようとしていることを理解した。
しかし、重体であるバージルに出来ることは何もなく、意識を取り戻すことすらしないダンテを見て自分の死を悟った時、突然鳥型の悪魔は苦しみだしてバージルを落とした。
風を切って落ち往く中で最後に見たのは、自我を持って鳥型の悪魔の体に深々と突き刺さったリベリオンが引き抜かれて粉々に砕かれる瞬間と、同じく自分の元へと落ちてくる閻魔刀だった。
それからどれほどの時間眠っていたかは分からないが、不思議なことにバージルは生きていた。傷も綺麗になくなっていて、行くあてはないがするべきことは分かっていた。
死体の見つからなかったダイナを探すことと、連れ去られてしまったダンテを奪い返すこと。最期までダンテが守ろうとしたものを今度は自分が守るために、この二つを目標に掲げたバージルは十数年の時を悪魔との戦いへと費やすこととなった。
「そしてお前たちに出会う数日前。まさに記憶を失う瞬間まで、俺は奴と戦っていた」
ダンテを連れ去られ、ダイナを見つけられないまま十数年。ようやっと力をつけて魔帝ムンドゥスへと挑もうとバージルが目算を立てていた時、予想外の出来事が起きた。
人間界を我が物顔で闊歩していた悪魔たちが慌てふためき、怯え、何かから逃げるようにちりぢりに走り去っていく。何事だと言葉を喋れそうな一匹の悪魔を仕留めて聞きだせば、悪魔はこう答えた。
魔帝ムンドゥス様が殺された。ご自身で作り上げた悪魔に殺されたんだ、と。
どういう気まぐれだったのかは分からない。まさに死人に口なしだ。ただ事実として残ったのは、魔帝ムンドゥスが作り上げた悪魔だけだった。
他にも適当な悪魔を捕らえて聞いていくと、どうやらムンドゥスは、自分が作った悪魔に戯れでクリフォトの果実を与えたのだという。結果、ムンドゥスの力を遥かに超えた悪魔が誕生してしまい、制御に失敗した魔帝ムンドゥスは死に絶えた。
これで済めばよかったのだが、その悪魔はこの世に存在するありとあらゆるものを許容しなかった。隠れ潜んでいる人間はもちろんのこと、同胞である悪魔たちでさえ狩った。
この世に存在する者全てに平等の凶事を撒き散らす者。そうして名付けられた悪魔の名は──魔王ダンテ。
「相変わらず死体いじりが趣味の胸糞野郎だったんだな」
初代は自分のいた世界で剣を交えることになったある悪魔に想いを馳せる。対象として選ばれたのがバージルではなく自分になっただけで、やっていることはどの世界でも変わらないことに殺意を覚えたが、もう死んでいるのなら興味はない。
「満足したか?」
「十分だ。死体が動くなんてのは映画の中だけでいい。俺たちの生きていく現実には必要ないものだ」
迷いの一切見られない瞳で向けて初代は言いきる。
「ならばいい」
これ以上の言葉は必要ないと判断したバージルも家の中を探すべく立ち上がった。新たな力を手に出来るかは依然分からないままだというのに、不思議と先ほどまで抱いていた不安は消えていた。
月が家の中を照らす、美しい日であった。