He who stands in the way

 常闇の森を出でて湖畔の町を通り抜け、向かうは湖を渡り古城へと連なる橋。
 目的はただ一つ。元の世界へ帰るための手がかりを捜すため、大人になりきれていない二人の半人半魔は吊り橋を黙々と進み往く。
 言葉を交わさないのは不仲なわけでも、話すことがないからでもない。……集中しているのだ。この先に待っている人ならざる波動を放つ者に対して、不覚を取らないために。
 湖畔の町と岩門のある小島を結ぶ吊り橋はかなり古いもので、天災や戦火により幾度と無く壊された跡がうかがえる。その都度に補修され今日に至るここは、町と古城を結ぶ重要な場所である。そんな吊り橋の上に佇んでいたのは鎧を纏った乙女だった。
 漆黒の甲冑に身を包み、薄水色の長い髪をなびかせる乙女は妖艶さを含んでいる。乙女もまた二人の気配に勘付いていたようで、岩門よりも手前であるこの場で待ち受けていたようだ。
「……人間じゃないな。何者だ」
 ダイナは、鎧を纏った乙女の問いに口を開くよりも先に目が合った。乙女が内に秘めたる想いは何なのか、その瞳から読み取ることは叶わない。
「相手に何かを尋ねる時はまず自分からって、教わらなかったのか?」
 ネロがあいさつ代わりに挑発すれば、鎧を纏った乙女はあからさまに気を悪くした。紫色の禍々しい大剣を取り出し、躊躇いなくその場で振り抜けば二人の真横を闇の力が駆け抜け、橋を抉った。
「ほう。今の攻撃に一切動じないか。その度胸に免じて許してやる。……あたしはメリア。この世界を狂わせた忌まわしき事象の中心地である古城、アーヴェンヘイムを目指している」
 メリアと名乗った乙女は武器をしまい、古城を目指していると口にした。目的地が同じということだけではなく、先の言葉からこの世界で今何が起こっているのかを知っていると見て取れる。
「私はダイナ。こっちはネロ。貴女の言う通り、人に近しくも遠い存在。……それで、この世界を狂わせた事象とは?」
「ただでは教えられないな」
 予想していたことではあったが、やはり一筋縄ではいかないようだ。どのように情報を引き出すべきかと考えているダイナたちに対し、メリアは取引を持ち掛けてきた。求めてくるもの次第ではここで討たねばならない可能性も出てくるだろう。出来ることなら、提案を受け入れたくはあるが……。
 理由としては、古城の内部にある黒い波動。重く、強い力を持つ者が居ると分かるからだ。それだけではなく、敵対するであろう者の手先も複数いるようだ。恐らくはこの先の領域への侵入を阻むために置かれた魔物。これまでの相手とは別格の、冥府の怪物たちとでも呼ぶべき存在か。
「見たところ、お前たちには道標が要るようだ。代わりにあたしには戦力が必要。だからあたしがお前たちに協力する見返りとして、力を貸してもらいたい。どうだ? 悪い条件ではないだろう」
 一度見せられた、メリア自身が持っている力も決して弱いものではなかった。少なくともこの世界に来てから出会った者たちの中では屈指の実力者だ。もっとも、底辺の魔物どもと比べるのは失礼か……。
 とにかく、メリアの言う通り提案された内容自体は悪いものではない。裏があるか否かを留意することは当然として、古城に待ち受ける数多の波動の存在や、この世界を狂わせた忌まわしき事象についても、メリアがいれば対応できる幅が広がる。
 ネロとダイナは顔を見合わせ、お互いに頷く。
「交渉成立だな。では、行くとしようか。古城アーヴェンヘイムへ」
 話はまとまったと、メリアは一足先に古城へと歩き出した。
 必要以上に干渉してこないのは乙女自身の性格もあるだろうが、触れられたくないことがあるという裏返しなのかもしれない。それか、似て非なる存在同士であると理解したが故の不干渉か……。
 どちらにしても、ありがたいことだ。互いの目的のために、相手を利用し合う関係。居心地の良さなど存在しないに等しいが、そもそもがお互いに居場所を求めてなどいないのだから、これでいい。メリアにはメリアの成すべきことがあって、誰かを必要としているわけではない。同じくダイナにとってはネロさえ無事であれば何も問題がなく、ネロとしてもダイナと共に無事に帰れれば文句はない。
 深遠なる知識の館の意をもつ古城に迫るは三つの波動。一つは何かを探し求め、残りの二つは互いを支えながらも容赦なき刃をその身に宿していた。
 魔の月が古城を妖しく照らし、夜闇が島を呑みこんだ日のことだった──。

 古城と湖畔の町を隔てる要衝。かつて外敵の侵入などを防ぐ際に幾度となく戦火に見舞われ、補強され続け、今もなお古城を守る役目を果たしている。
「……何人かの接近を探知しました。強い……何れの侵入者よりも強い力を探知しました。これより迎撃態勢に入ります」
 要衝を守るは下腹部まで伸びた長い髪を前で結び、自身の背丈以上の巨大なハンマーを手に持った女に似た何かだった。黒の帯をバツ型にして両目を覆い隠しており、頭に被っている帽子の両端の左右には大きな逆三角形の重りがついていて、天秤を連想させた。
 そこは空しくも多くの命が散華した、まさに鬼門ともいえる領域であった。乙女たちはその只中に一つの禍々しい波動を見出す。ただ、ただ無機的に己が役割を果たさんと立ち塞がる、使命感にのみ支配された冥府の番人。
 憎悪の念は無い。それでも目的のため、要衝の怪物と同じように、こちらにも譲れるものは無かった。
「お前の主はどこだ? ……未だあそこにいるのだな?」
「主をお守りするのが私の務め……。この裁きのリヴリアを恐れぬのなら、かかってきなさい」
 ここを通らずは古城へ入れず、裁きのリヴリアと名乗った冥府の将士を連ねる主を一目見ることも叶わぬであろう。
 各々が武器を構えようとした時、ダイナが皆より一歩前に出てリヴリアとの距離を詰めた。
「この者の主なる存在を討てば、世界は変わる?」
「変わるだろうな。確実に」
 メリアの口から満足のいく答えを貰ったダイナは武器を取り、二人に先を急ぐよう伝える。古城の内部から感じ取れる黒い波動こそ、リヴリアが主と呼んでいる者であることは推察できる。冥府の将士たちを連ねる、まさに冥府の王と呼ぶにふさわしい存在。古城に近付くにつれ、難敵であることを実感させるほどの重く、強い波動。恐ろしいことにその波動は今もなお力を溜め、強めている。
 増幅している力を感じ取れるからこそ、今この場で足止めをされるわけにはいかない。この先には番人だけでなく、他にも冥府の怪物たちは点在しているのだ。ならば多少危険を伴おうとも、各個撃破することこそが望ましい。出来なければ冥府の王に猶予を与え、手を付けられなくなってしまう。そうなってしまえばどの道全滅だ。
 ネロの傍を離れることに不安がないとはいえない。自身より強い者の心配をするのは失礼なのかもしれないが、大切な人を渦中へと誘う行為を選んだのだから、考えはしてしまう。しかし、それでも……。
 目先のことに囚われて未来に残る生存の道を見失うほど、愚かじゃない。
 戦いに身を置き続ける以上、危険はつきものなのだ。守るとは、何も傍に付き添って怪我をしないようにと神経をとがらせることだけをいうものではない。大切なことは十分過ぎるほど、みんなから教えてもらっている。
 迷うことは無い。己が役割を果たせば、結果は自然とついてくるのだから。
「隙をつくるから、城内に」
 ダイナの胸中を推し量ったネロは一瞬渋る素振りを見せたが、一度言い出したら聞く耳を持たないことを思い出し、口を挟まなかった。メリアは自分が先に進めるならと、異論はないようだった。
「主の命により……何人であろうとも、ここを通ることは認めませぬ!」
 リヴリアが手に持つ武器を一振りすれば、数多の騎士たちが成すすべなく焼き焦がされるしかなかった死の雷が降り注いだ。
 各自反応して雷を避ける中、ダイナは跳躍し、リヴリアの頭上でレヴェヨンを展開する。即座に反応したリヴリアが上を向いて何かを唱えれば、青色の文様が浮かび上がり、ダイナを囲い込み始めた。
 刹那、矛先がリヴリアの眼前に迫る。これから逃れるために呪文を中断し間一髪のところで避けた直後、背後に回ったダイナの上空にエネルギー波動を降り注がせ、背中からの追撃を潰した。
 互いにかすり傷一つ負うことのなかった攻防。勝負はまさにこれからだが、先ほどの間に一つ目の目的は達成されていた。
「……主の命を、果たせなかった」
 使命感にのみ支配された冥府の番人の姿は、過去の自分を見ているようだ。己が役割を果たすためだけにと立ち塞がっていたのに、それを果たせなかった時の空虚感は経験した者にしか分かり得ない。かつてはダイナも与えられた使命を全うするために仕えていたというのに、己が非力だったために抗うことも出来ず、自分だけが生き残ったことを呪い、嘆いたものだ。
「一応の理解は示せるけど、容赦はしない」
 だがそれは、ダイナにとって過去のこと。一度乗り越えたことに何度も心を揺らしたりはしない。彼らの傍に居るために、いつまでも同じところで立ち止まっている暇などない。
 レヴェヨンを槍に戻し、次の一手を考える。
「…………。目の前の敵を排除します」
 使命を全う出来なかったとしても、主のために戦い続けることを無機的に選んだリヴリアは武器を天に掲げる。すると煌きの星々が散らばり、ダイナめがけて降り注ぎ始める。
 尋常な一対一。相手は討ち取るべき存在。何も遠慮することは無い。
 死闘はまさに、今──。

 裁きのリヴリアとダイナが死闘を繰り広げ始めた頃、先へ進むネロとメリアは城砦を駆け抜け、天空橋から頂上部に出ようとしていた。天空橋から見える湖畔はいつの間にか欠けた、美しい三日月に照らされている。夜闇に映し出される景色は妖しくもありながら、思わず息を飲むほどの情景であった。
 もうすぐ頂上部という場面で二人は何かの波動を感じ取るものの、それが今までのものと異質だと悟る。
 ──冥府の者ではないと。
「この波動は……これまでのものとは何かが違う」
 急ぐ足を緩め、メリアは悔いる想いと深い悲しみをすぐ先に存在する者から読み取る。ネロは感情のようなものを読み取ることは出来ないが、戦いは避けられないことを直感していた。
 城砦の中で最も高い場所にある拠点は、城砦周囲の状況を見渡すことができた。炎に焼かれても壊れ難い造りであり、長時間戦闘の指揮を執るのに必要な設備が一通り整えられているここ、城砦の頂上部で待ち受けし者。
 それは、かつて古城を治めていた獅子心王の異名を持っていた王に仕え、最も忠誠心があり、かつ大将軍としての地位についていた、忠義の塊である男の成れの果てであった。身に着けし武具は、古城の王が身に纏っていたものの贋物。王が身罷った悲しみに付け込まれ、呪術で作られた武具の力によって心を失っている、哀れな存在。
「この者の心は既に邪悪な波動に蝕まれている。救ってやるには、命を絶つ以外の方法は無い」
 どれだけ非情な解であろうとも、救えぬのなら……。何より、立ち塞がるというのならば、刃を交える他ない。
「行けよ。こいつとは俺がやる」
「……フン。好きにしろ」
 操られし者に剣を向けるはネロ。メリアを先に行かせるのが目的か、ただ己がこの大将軍と戦いたいだけか。どちらにせよ、話はすぐにまとまった。
 メリアはこの場に留まる二人に背を向け、古城内部を目指して頂上部から立ち去る。大将軍は行かせまいとスピアを構えるものの、ネロから視線を外すことが出来ず、阻むことが出来なかった。
 心を失い闇に堕ちようとも、歴戦の中で身に着けた戦いへの感覚は衰えるどころか更なる鋭さを増している。故に、ネロから放たれる気配に最大限の警戒をはらい、決して視界の外には出さない。
「いいね。強い奴と戦えるのはまんざらじゃない」
 このような形でさえ出会うことがなければ、晴れやかな気持ちで模擬戦などをしてみたかったものだ。などと、言っても仕方のないことか。
 どれだけもっともらしい言葉を並べようとも、元より模擬戦や晴れやかな気持ちになど興味は無い。先に進むため、哀れな男に引導を渡すだけだ。虎視眈々と獲物を狙うスピアの動きを確認した後、ネロは仕掛ける。
 勝利はどちらの手に──。

「私が負ける……?」
 地に伏した者の最期は儚いものだった。与えられた使命を果たせず、散り逝く時に遺した言葉は己の負けを悟っただけの簡素なものでしかなかった。
「力量も、相性も、全てはこちらに分があった。故にこの結果は必然」
 勝利を収めたダイナは淡々と事実を口にする。
 リヴリア自身、戦いの中で気づいていたはずだ。それでも退かなかったのは死を恐れていないというより、番人という課せられた使命に縛られ続けた結果なのだろう。主の命に従い続けること以外の考えを持たず、この場から動くという発想に至ることすらない。
 恐ろしいことだ。何かにすがり、自身で解を出さなくなるというのは。そんな者は生きているとはいえない。ただ死んでいないだけだ。
「……あまり、この者を責められる立場ではない」
 死者へ手向ける物は持たず。また言葉をかけるのも過去に同じ過ちをしていた自分がするのはおかしなことだとして、ダイナは要衝を後にした。
 天空橋を渡り、頂上部へと向かう最中で感じ取れていた波動のぶつかり合いはいつしかなくなっていた。片方の気配はだんだんと薄れ、消えていく。勝敗が決したことを理解するに十分な判断材料ではあったが、どちらが勝利を手にしたのかを確認するまで、胸の内に蔓延る不安はなくならなかった。
 緊張の一瞬。二の足を踏みそうになる己を叱責して頂上部に乗り出す。すると、真っ先に声が耳に届いた。
「おお……。このまま生き恥を晒し続ける、ことになると思っていたが……ようやく解放され、る……」
 最期の言葉を遺した大将軍が崩れ落ちた。そのすぐ傍に立っているもう一人の男の姿を捉え、ダイナは緊張を解く。
「無事で良かった」
「お互いに」
 声をかければすぐに返事を寄越してくれた。別れた当初から変化は無く、落ち着いているようだ。
 視線を大将軍の亡骸からダイナに移したネロは、メリアが先に古城へ向かっていることを告げる。点在している波動の数が確実に減っていることから、もしかすると城内にまで侵入出来ているかもしれないとのことだった。
「メリアから離れたこと、怒ったりしてないよな」
 頂上部を後にし、メリアが進んだ道を辿りながら古城を目指していると、ネロが珍しいことを言った。ダイナはいきなりどうしたのかと思って言葉を選ぼうとしたが、素直に本心を伝えることにした。
「怒っていない。私の考えを述べるなら、最早彼女は必要ない」
「……言い切ったな」
 メリアを必要ないと切り捨てるのは時期尚早のようにも感じられる。それでも言い切った理由を、出来るだけ納得してもらえるよう話し出す。
「得たい情報は既に出揃っている。共闘の件を反故にするつもりはないけれど、メリア自身の目的が不透明である以上、尽力することは難しい。何より……」
「向こうの方が俺らを使い潰すつもりでいる……だろ?」
 頷く。
 ネロも、メリアが自分たちに隠し事をしていることには最初から気付いていたようで、監視するべきか、いっそ離れてしまうかで迷っていたという。そして選んだ。一度距離を取り、かつダイナと二人きりになれるように。
「出会う者全てが、協力的であるとは限らない」
 今回は利害の一致があったから共闘という関係性になれたものの、目的が違えば間違いなく討ち合うことになっていただろう。使命がなくては動けない者とは真逆の、己のためにしか動けないような危うさをメリアは内にはらんでいるから。
「野心家ってのは、どうしてこうも面倒くさい奴ばっかりなんだろうな」
 辟易するネロに釣られてダイナも苦笑する。早く、元の世界に帰って愁眉を開きたいものだ。

 指針を今一度決め直した二人は古城の城門を目前に位置する前庭に辿り着いた。ここは閲兵式などが執り行われることから、常に美しく整備されている。季節によって様々な花が咲き、重厚な造りの古城に温かみを持たせている場所であったというのに、似つかわしくないものが転がっていた。
 一つは茨の鞭を手に持った魔獣使いの狂戦士。もう一つは巨大な犬のような姿をした獰猛な魔物。どちらも事切れており、刃物で切られた跡が随所にあった。
「どうやら、城内に入ってるみたいだ」
 冥府の将士を討てる者はそう多くないはず。この場に留まっていないのなら、目指した場所など議論する余地もない。
「……! 何か……」
 突如、急速に近付いて来るは高貴な波動。白銀の羽根が頭上を散ると同じくして、舞い降りてきたそれは……。
「……貴方たちは」
 ──メリアと同じ顔をした、天使であった。