「しっかしまぁ……ララクちゃんにお姉さんがいたとはなー」
「意外だったかしら?」
「お姉さんがいることは別に変じゃねーけど、ララクちゃんとは雰囲気が真逆なのは意外だったかな?」
「高尾さん……それどういう意味ですか?」
「んや、別に悪い意味じゃねーって!」
「ふふ、仲がいいのね」
食事を済ませ帰る途中、話に花が咲いた。
「お姉さんって、ララクちゃんとどれぐらい年が離れてんの?」
「えっ?」
高尾の発言にララクは驚いている。
「女性に年を聞くなんて失礼よ? ……なんて冗談はさておき、そうねぇ……いくつに見えるかしら?」
「あー、んー……。20歳? 真ちゃんはどう思う?」
「興味ないのだよ」
「んだよ、つれねーなぁ」
「あらあら……私ってそんなに老けて見えるのかしら」
クスクスと笑いながら、どこか楽しそうにしている。
「……姉様と私は双子ですから、同い年ですよ」
ララクは自分が幼いように扱われたと感じ、少しムスッとしている。
「いいぃ!? ふたごぉ!?」
「……冗談も休み休みいうのだよ」
「緑間さんも信じてないんですか!?」
二人にここまで驚かれるとは思いもせず、ついつい言い返してしまう。
「ねぇー、もうカバンから出てもいいー?」
ピョコっとカバンから顔を出すアンカルジア。その様子にぎょっとしたラクアはアンカルジアをカバンに押し込むためにリアカーの淵に片手を置き、チャックをする。
「(んぐぅー!? ちょっとラクア!何するのよ!)」
「(ダメじゃない! まだ人間がいるのだから、もう少し待ってちょうだい)」
「姉様、どうかしたのですか?」
「あぁいえ、カバンが開いていたのが気になってね」
それとないことを言ってラクアはごまかしたのだが……
「あっ! アンカルジアのこと忘れてた、ごめんね?」
せっかくラクアが隠したのに、ララクはチャックを開けてアンカルジアを出してあげる。
「んもぅ……ラクア! なんてことするのよ!」
「……ふぅ。人間にまで姿を見せたのね? ……まぁ、好きにしてくれて構わないけど」
ラクアの顔は今までに見せたことないほどに険しいものだった。その様子を見てララクが必死に弁解する。
「姉様落ち着いてください! 二人ともアンカルジアに危害を加えるような方々ではありませんから……!」
「そうよ、ララクもアタシも別に何かされたことないんだから。よく喧嘩はするけど……その、良い人たちだよ。……うん」
「別に怒っていないわよ。怒っては……ね?」
顔は笑っている。しかしララクやアンカルジアはもちろん、高尾や緑間ですら自分に向けられたものでないことは分かっていても、身動き一つとれないほどの圧迫感だった。
「ラクア様……。ララク様やアンカルジアのこと、許してあげてください」
誰も口を開けなかった中、どこからか声が聞こえた。
「モーントクライン……」
「アンカルジアにあそこまで言わせてしまうほどの方たちなのです。きっと大丈夫です。……それにラクア様もお気づきなのでしょう? それならば、ワタシ達も隠し事をし続けるのは不可能であり、何より相手に失礼です」
そういってラクアの首元からモーントクラインは姿を見せた。
「……ふぅ。相変わらず優しい子ね、もっと自分のことを大切にしなさい。……ごめんなさいね、怖い顔をしてしまって」
「平気……です。姉様が私やアンカルジアを思ってくれているからこその言葉だって、ちゃんと分かっていますから」
ふっとラクアが顔を緩めると、皆の力が入っていた肩が下がる。
「……はぁー、マジビビった……。キレた宮地先輩の比じゃねーぐらいこえぇ……」
緑間も何かを言うわけではなが、だいぶ気が滅入った様子だ。
「分かってくれればアタシは文句ないかな。それよりモーントクライン! 無事だった? 怪我とかしてない?」
アンカルジアはパタパタとモーントクラインの傍による。
「ワタシは大丈夫。それよりアンカルジア、どうして人間に姿を見せてしまったの? また一人で突っ走ったりした?」
「うげっ……。モーントクラインの説教は長いからパス!」
「もう! アンカルジアったら……」
妖精の二人も久しぶりに会えてうれしいのか、再開を祝うように四人の周りを飛び回った。
「そういえば新崎、前から聞きたいことがあったのだが……」
下り坂に差し掛かる辺りで、緑間が声をかける。
「出会って今日が初めてなのに前から聞きたいことがあるなんて、不思議ね?」
「……君の方ではないのだよ」
「おかしいわねぇ、私も新崎なのだけど?」
「ぷぷぷ……、真ちゃん、お姉さんにからかわれてやんの」
その様子を見てラクアもクスクスと笑っている。どうやら確信犯のようだ。
「緑間さんって、ずっとララクのことを苗字で呼んできたのでしょう? いままではそれでよかったかもしれないけれど、これからはどうするの? 私がいる前で『新崎』なんて呼んだら、どっちも反応するわよ?」
「……そっか、それは困りますね」
どうしましょう、と言ってララクは悩みだす。対して緑間は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「なんつー顔してんだよ真ちゃん……。別に名前呼ぶぐらいおかしなことじゃねーだろ?」
「まぁ……ララクのことがそんなに嫌いなら、何か手段を設けないこともないけど……」
「えっ……、緑間さん、私のこと嫌いだったんですか……?」
ラクアの言葉にギョッとしたララクは、緑間に自分のことを尋ねる。
「そ、そういうわけではない。あぁいや、その…………高尾、何笑っているのだよ」
「いやだって……お姉さんがあまりにもララクちゃんと真ちゃんの扱いがうまいから……やべー、マジ好きそーゆーの」
「うふふ、お褒めの言葉として受け取っておくわね」
完全にからかわれへそを曲げてしまった緑間と、結局自分のことをどう思われているのか分からなかったララクはずっと悶々している。
「ほらほら、ちゃんと言葉にして伝えてあげないと、ララクは分からない子よ? ララクも悩んでいるだけじゃ緑間さんに嫌われちゃうわよ? 何かアピールしなさいな」
「あ、あの緑間さん……、私何かいけないことしてしまいましたか……? その、なんでもしますから、嫌わないでください……」
「違うのだよ! 別に新崎…………、ララクのことを嫌ってはいないのだよ」
「……信じますからね? 緑間さんのこと……」
目頭に涙を溜めながら緑間の顔を見つめるララク。その姿には緑間も思わずドキッとしたようで、みるみる顔が赤くなっていく。その様子を見ていた高尾とラクアは……
「……ぷっ、ふふ、ふふふ。ご、ごめんなさい……つい笑いがこみあげてきちゃって……」
「ギャハハハ! 見てるこっちが恥ずかしいって! つか俺めっちゃお邪魔じゃん。お姉さんマジ扱いうますぎっしょ! 何、言葉のプロなの?」
「そんなんじゃないわよ。この二人が初々しいからつい、ね?」
「な、なんで笑うんですか! 私、すっごく真剣なのですからね!」
ラクアは顔に手をあて必死に緩む表情を隠している。高尾もゲラゲラと大笑いだ。
「だから余計に面白いのよ。全く、鈍い子なんだから……。そうだわ、さっきなんでもするって言ったわよね?」
「え……、い……った気もします」
「さぁ緑間さん、ララクが何でもしてくれるって、何かお願いしたらどう?」
最後の追い討ちをかけるように二人を茶化すラクアはまさに悪魔そのものだ。
「別にお願いすることなどないのだよ」
「んじゃあオレがもらっていい?」
「何故そうなる。…………保留というのはどうだ? もしオレがララクに頼みごとをする日が来たら、その時使うというものだ」
「あ、私はいつでも……自分で言ってしまったことにはちゃんと責任持ちますから……」
「まぁ、そんな日が来るとは到底思えんがな」
ララクが緑間の提案を呑んだため、なんでもするという内容は保留になった。
「なかなかにずるい選択をするのね、緑間さんって」
「オレより質悪いんじゃね?」
「高尾に使われるのが癪なだけなのだよ。ララクなら『高尾さんでもいいですよ』と言いかねないからな」
「「(否定できない……)」」
さすが、毎日学校で共に過ごしているだけのことはあるのかララクの行動パターンは緑間もよくわかっている。もっとも、ララクが分かりやすい性格をしているのも大きな要因の一つではあるだろう。そんなこんなで下り坂も終わり、
「んじゃオレはこっちだから、三人ともお疲れさん。妖精さんらもまたな」
「はい、気を付けて帰ってくださいね。また明日です」
「楽しいひと時だったわ。またいつか、会う機会があればね」
「高尾様、またご縁があればどこかで」
「高尾、またね!」
「……またなのだよ」
こうして高尾と別れ、三人と二匹は家に向いて歩きだす。
「……また明日……?」
高尾へ向けた自分の言葉に、虚無感を覚えた。
「どうしたのだよ」
「あ、いえ……なんでもありません、から」
虚無感の正体はすぐに分かった。
「(姉様と合流出来たってことは、もう皆さんとお別れなのですね……)」
目的を果たしたはずなのに、素直に喜べないでいる自分がなんだか情けなかった。アンカルジアには何度も言われてきたことで、その覚悟だってしていなかったわけではない。それでも、心がついてこない。
「……さっきの話に戻っていいか?」
「あ……、そういえば緑間さん、私に聞きたかったことってなんだったのですか?」
ラクアにからかわれて中断されていた話を戻す緑間は珍しい。からかわれること自体は高尾にも日頃されていることではあるが、話を戻してまで聞いたりすることがないからだ。
「この前……オレと高尾が気を失っているとき、ララクは何をしていたのだよ」
「な、何って……えっと……、ふ、二人を起こそうと……」
嘘をつくのが苦手なララクはどうしても口ごもってしまう。
「……あの時、何かこう……光る杖のようなものを持っていた気がしたのだよ」
「えっ!? そんなはずは……あの、その……(どうしよう、見られていたなんて……)」
「(アタシの正体、バレちゃった……?)」
緑間の発言を聞いて顔色が変わったのはララクとアンカルジアだけではなかった。
「(ラクア様……今の話、どう思われますか?)」
「(…………、魔物に襲われたと考えるのが妥当でしょう。あの者がいる限り、時期にこの地上界も……)」
思い余ったララクは助け舟を求めてラクアに視線を送るが、考え事をしているラクアはそれに気づかない。
「一体何を隠しているのだよ」
「うっ……何も隠してない……です!」
「声が上ずっているのだよ。大体、高尾たちは何のためらいもなく接しているが、その妖精はなんなのだよ。聞かれない方がおかしいとは思わなかったのか?」
「そ……それは……」
痛いところを突かれ、ぐうの音も出ない。その状況に追い打ちをかけるようにラクアが言葉を発した。
「……ララク。残念だけど、正体を隠し通すのは諦めて覚悟を決めた方が良いみたいよ」
ラクアの一言で、ララクも辺りの異変に気付く。
「なんなのだよ……。この重苦しい空気は……」
緑間も何かを感じたのか、眉をしかめている。
「ラクア様、どうやらワタシたちは結界に閉じ込められたようです」
「人払いの結界ね。……そこそこの強者ってところかしら?」
「おい! どうなっているのだよ!」
状況が呑み込めない緑間は声を荒げる。
「喜びなさい。貴方が求めていた答えが今、与えられるのだから」
その言葉が合図になったかのように、前方から大量の雷が降り注いで向かってきた。
「モーントクライン」
ラクアが相棒の名を呼ぶ。その声にモーントクラインも覚悟を決めたようにうなずくと、みるみると姿が鎌の形に変わる。それを手に取ると、白かった楕円形の宝石は赤色を帯び、刃部分が炎を纏う。降り注ぐ雷に向かってラクアが鎌を一太刀すれば、刃の形をした炎が雷に向かって放たれ、ぶつかった衝撃で爆風が巻き起こった。
「信じられない……。この私があんたみたいなのに負けるなんて……」
爆風の中から現れたのは革で出来た黒のショートパンツに、今にも零れ落ちそうなほどの胸をかろうじて隠している革のブラジャーという、きわどい衣装である。そんな相手の背中には悪魔を象徴するようにコウモリ型の黒い翼が生えている。
「何が……起こっているのだよ……」
「うふふ……、怯えているの? 貴方が望んだことでしょうに……。しっかりとその目で現実を受け入れなさいな。…………世の中にはね、知らない方が幸せなことだってあるのよ。それをひた隠しにされたら気分を害するその気持ちは汲むけれども、知ってしまったからには、ねぇ?」
緑間の顔色が変わる様子を見て口角を上げながらどこか楽しそうに言葉をかけるラクアに人外という言葉は、まさに的を射ている表現と言える。
「緑間さん、今まで隠していてごめんなさい……」
「っ……!」
俯いたまま発したララクの言葉に、緑間は目の前のすべてを肯定されたことを察した。緑間自身、今までに何も感じていなかったわけではない。ララクがどこか、自分たちとは違う雰囲気を持っているとは思っていた。だがそれが、このような形であるとまでは考えているわけがない。目の前に広がる存在全てが、理解できる範疇を超えている。
「アタシのこと、ずっと不可解な生き物だって思っていたんでしょ? ……よかったじゃん、あんたの見解は大当たりだったんだから」
「……誰が、ここまでのことを想像すると思うのだよ……」
隠し事をされていい気分がしなかったから追求した。たった少しの興味と好奇心で手に入れたものは、あまりにも大きすぎる答えだった。
「ちょっと。いつまで私のことを蚊帳の外にし続けるつもり? ホント、天使ってのはどいつもこいつも嫌な奴ばかりね。しかもなんで人間までいるのよ、人払いの結界を張ったのにこれじゃ意味がないじゃない!」
何やら相手は相手で一人、荒れている。
「はいはい、お望み通り派手な悪魔さんの相手は私がしましょう。……ララク、緑間さんの傍を離れないでね」
「……はい、必ず守ってみせます」
状況を理解しきれず放心状態の緑間を庇う様に、敵との間にララクは立った。それを見届けたラクアは一歩ずつ悪魔に近寄る。
「あんた、そんなちんちくりんの癖に一体どんな手を使ってあのお方の心を乱したのよ」
「そうねぇ……、確かに貴女やララクと比べたら立派なものは持ち合わせていないけれども、初対面の相手をそこまで罵倒するような性格だから嫌われたのではないかしら」
嫌味を言い返すその光景は、まさに売り言葉に買い言葉だ。
「ホンット、天使は頭の固い奴らばかりでまともに話し合いも出来ない奴らばかりだって、あのお方の言ったとおりだわ。しかも皇女となると、それに輪をかけるのね!」
「……どこかで聞いたことのあるセリフね。私は皇女ではなく、候補ってだけよ」
相手の言葉から“あのお方”と呼ばれている人物が誰か察しのついたラクアは、緩む顔をばれないように必死に隠している。
「そんな細かいことはどうでもいいわ。いい? あのお方と結ばれる運命にあるのはこの私、カリーナ・デル・ベロッサ以外あり得ないの、分かった?」
そう言ってカリーナは扇子を取り出す。金目部分は美しい蝶の形に模られ、扇面には華やかに飛び立つ、色とりどりの蝶々が描かれている。
「貴女の言っている“あのお方”とやらに私は興味ないから、がんばってアタックすれば良いのではないかしら」
「言われなくてもしてるわよ! いままではとっても優しかったのに……、あんたと出会ってからあんたのことばかり考えているのよ! そっちに恨みがなくても、こっちにはたくさんあるのよ! !」
そう言い切るとカリーナは扇子を空高く掲げた。
「! !」
とっさに後ろに下がったラクア。先ほどまでいた場所に一筋の雷が落ちる。
「避けるなんてやるじゃない。そのまま丸コゲになっていてくれればいい手土産になったのに、残念だわ」
「そうね……。戦いの中、口を動かすのに必死で注意散漫な貴女に負けたとなれば、死んだ方がマシね?」
「っ! ? ぐっ……、うぁ……」
雷が落ちたのと同時にラクアは背後に間合いを詰めており、切っ先をカリーナめがけて振り下ろしていた。間一髪のところでそれを防いだカリーナの左腕には刃が深々と刺さっている。が、カリーナはそれを引き抜いて距離を取る。しかしもう、この戦いの間では左腕はただの飾りになったと言っても過言ではない。
「急なことでもしっかりと利き腕を庇う辺りは、さすがね」
そう言いながら鎌を一振りし、刃先についた鮮血を落とす。
「くっ……なかなかやるじゃない……。(おかしい、今の速度は普通なら地上界では出せない……、どうなってるの! ?)」
劣勢であってもそれを表に出さないのはさすがの一言だが、明らかな実力差にカリーナは焦りを隠せなかった。それでも武器を構えなおし、再び戦闘態勢に入った。
「…………」
「…………」
二人の間に流れるのは気まずい沈黙。しかし今のララクにとっては、声を掛けられるよりはマシなのかもしれない。
「(ララク……。)」
「(アンカルジア……ごめんね、いつも心配ばかりかけちゃって。)」
「(いいよ、気にしてないから。……大丈夫だよ! なんてったって、ララクにはアタシがいるんだから! )」
「(う……ん。そう、ですね。)」
ラクアの戦っている姿を目で追っているが、心ここにあらずといった様子だ。
「ララク…………、目の前で戦っている者たちは、ずっと昔から存在しているのか?」
「……はい、私たちは人間が生まれる前から存在しているって聞いたことがあります」
「…………そうか、人間である俺が知らないだけか……」
フーッとため息をつき、緑間は目をつむった。今まで己の中にあった常識が全て根本から覆された感覚を味わうに、これ以上の言葉は必要ない。
「この世界は、三つに分類されてるの。あんたたち人間はここ、地上界。天使は天界、ラクアと今戦ってる黒い翼を持ってるアイツは悪魔だから魔界。だから知らないのだって無理ないよ。文字どおり、住む世界が違うんだから」
「本来はこうやって出会うこと自体があり得ないことなんです。ですから……、私のことは忘れてくださって構わないのです」
「……何?」
「ララク! ?」
いきなりの発言に緑間だけでなく、アンカルジアも驚いている。
「私がこの世界にきたのは、本当に不慮の事故でした。緑間さんに出会ったのも本当に偶然……。そして私の目的は姉様と合流して天界へ帰ること。もう、目的は果たされたのです。もう……、私たちに関わらなくていいのです……」
そう言いのけたララクの後ろ姿は、震えていた。
「そうやって逃げるつもりか? ……本当にそれがララクの本心なのか?」
「っ……当たり前……じゃないですか。人間と関わるのなんて……こっちから……う……ぁ……願い下げ……ぐすっ……なんですからぁ……!」
今までに言ったこともないような言葉が不思議と口からこぼれた。必死に自分の心を隠すように……。
「泣いていたのでは説得力がないのだよ。……確かに最初は面を食らった。というよりは、今も目の前の光景全てを納得できているわけではない。が、ララクが何者だろうと、そんなことは関係ないのだよ。はじめの頃は毎日通う登下校の道さえ覚えられないまぬけな奴だとしか思わなかった。……だが、いつでも仲間を思いやり、人の嫌がることも率先して引き受け、困っている相手を放っておかない、そんなララクを尊敬し仲間だと……、少なくとも俺はそう思っていたのだがな」
「うぅぅ……うあぁ……ずるい、です。そんな……こと、言われたらぁ……! 涙……とまらなく、なっちゃう……!」
涙でぐちゃぐちゃの顔を必死に袖で拭くが、とめどなくあふれ出る涙でまた顔が濡れる。
「緑間はララクの正体を知って……なんとも思わないの……?」
「ただの天使の言う事だったら信じていないのだよ。だが、今までララクが人事を尽くし築き上げた信頼は、そう簡単に切れるものではない。だから覚えておけ。今度自分のことは忘れてなどと言ってみろ、ただではおかないのだよ」
緑間の最後の言葉に心を打たれ、ララクはみっともなく声を出して泣いた。こんな顔を見られたくなくて緑間の胸に飛びついた。それに対して緑間は何も言わずそっと抱きしめた。
「あ……あぁ……! 私の……私の美貌が……! あんた、一体何なのよ!? 私たち地上界に耐性を持たない種族は本来の力を出し切ることは出来ないはずなのに……、どうしてあんたは……」
「さて、どうしてかしら。実は、天使でも悪魔でもないのかも」
クツクツと喉奥から嘲笑うラクアは相手に向けてと言うよりは、自分に向けているように見える。
「あんたみたいな奴が天使だなんて信じられない! 一体どんな禁理を犯してそんな力を手に入れたのよ……!」
自身の負けを受け入れられないカリーナは叫ぶ。しかし、そんなカリーナに対してラクアは顔色一つ変えない。
「禁理、ねぇ。ふふ、そうね、もしかしたら私は禁理を犯した存在なのかもしれないわね。……さぁ、逃げるならさっさと逃げなさい」
「なっ……!」
ラクアの一言に驚き言葉に詰まる。しかしカリーナは激情に身を任せ、思い切り吠えた。
「ふざけたこと言うんじゃないわよ! 私は悪魔で、あんたは天使! この意味が分からないとでもいうの!? 対峙したら最後、どちらかが死ぬまで戦い続けるしかない……。これが私たちの在り方であり、宿命でしょう!? それとも何? 天使に負けたのにのこのこと生き残って、生き恥をさらせとでも!?」
「…………」
カリーナの意志を聞いたラクアの顔は物悲しそうに、肩で息をするカリーナを見つめた。
「大体あんた、おかしいんじゃないの。皇女になれる資格があるのに悪魔である私を見逃すなんてことしたら、一発で失格でしょう? まぁ、今までになかった候補制度を設けた時点で、天界は何かしらやらかしたってもっぱらの噂だけどもね」
「……、強がるのはよしなさい。死ぬのが怖いというのがよく伝わってくる。声が震えているわよ」
「っ! そんなこと……! そんなことない……!」
必死に否定をしてはいるが、目頭には涙がたまり、奥歯をガチガチと鳴らしている。
「私は天使だとか悪魔だとか、そんなことに興味はないの。それに死ぬことを恐れるのって生きているのだから当然でしょうに。……私はね、いがみ合いにはもう疲れてしまったのよ。ましてや天使と悪魔は殺し合うのが定めだなんて馬鹿馬鹿しいにも程があるわ。もう一度言うわ、早く逃げて、傷の手当てをなさい」
「うるさい! 誰があんたの言うことなんか……!」
「これ以上、私に貴女を殺す理由を作らせないで頂戴」
「ひっ……!」
カリーナが悲鳴を上げる。戦っている時のそれとは比べ物にならないほどの殺気だった。
「覚えてなさいよ……、この屈辱、絶対に忘れない……。生かしたことを後悔させてやるまで……!」
そう言い残すと結界が解けるとともに、ラクアの前から姿を消した。
「……ふぅ、取りあえずは一段落と言ったところね。モーントクライン、もういいわよ」
ラクアの声に反応して、ポンっと煙とともにいつもの妖精の姿に戻る。
「ラクア様、何故逃がしたのですか? トドメはいくらでも刺せたはずです」
「手厳しいわね。……だってほら、いくらなんでも死体を目の当たりにするのって刺激が強いでしょう? 人外が目の前にいるだけでもショッキングだったでしょうに」
そう言いながら後ろに振りかえり二人の姿を見て、さすがのラクアも少し硬直した。
「……見せつけてしまった方がよかったのではないでしょうか」
「こらこら、そんなこと言っちゃダメよ。……モーントクラインは、悪魔を許せない?」
「当然です」
即答ではあったが、案の定といった感じでラクアは軽く笑みを浮かべながらさらに言葉を続けた。
「なら、私のことも嫌い?」
「そんなこと、あるわけがございません!」
「どうしてかしら? 私だって「ラクア様はあいつらとは違います! 何故、悪魔の肩入れをするのです? 何故、自分を大切になさらないのです……?」
「……耳が痛いわね。別に肩入れをするつもりはないし、私自身、あのことについては何とも思っていないの。だからモーントクラインが気にするようなことではないのよ。……なんて、モーントクラインが私の代わりにそうやって怒ってくれるから、私はそれに甘えているのかもしれないわね。さぁ、イチャついてる二人に嫌がらせをしに行きましょうか」
「……どうしてラクア様はそうやって、一人ですべてを抱え込もうとなさるのですか……」
モーントクラインの悲痛な声がラクアの耳に届くことはなかった。
「………………」
「む……、ララク?」
呼んでも返事がない。どうやら泣き疲れてそのまま眠ってしまったようだ。アンカルジアも二人に気を使ってカバンの中に入ったきり、音沙汰がない。
「いやぁねぇ、こっちは命かけて戦っていたというのに二人でイチャイチャして、しかも眠っちゃっているなんて」
「ちがっ……! そういうのではないのだよ! …………、何故ララクはこの世界に来ることになったのだよ?」
からかわれ、顔を赤めながらも寝てしまったララクを抱きかかえながら、緑間はラクアに質問をした。
「……この世にはゲートと呼ばれるものが存在してね、固定されたゲートと、突然現れる歪みゲートの二つに分けられているの。どれも意味としては言葉どおり、それぞれの世界をつなぐ役目を担っている。歪みゲートに関しては何の前触れもなく現れる珍しいものなのだけど、偶然にも私とララクはそれに出くわしてしまってね。この地上界へと足を踏み入れることになったのよ」
「…………、ゲートとなるものの存在をすんなりと飲み込めることではないが……、なるほどな、だから目的を果たしたといったのか」
事情を聴いてララクの言葉の真意を把握した緑間は、複雑そうな顔をした。
「あら、ララクと別れるのが寂しいのかしら」
「うるさい。……いろいろと感慨深い、ただそれだけなのだよ」
素直でない緑間の態度にクスクスと笑うラクアは、どこか安堵した様子でもある。
「私もララクと合流したら天界に帰ろうとは思っていたのだけれども、その前にとんでもないお客様に出会ってしまってね? その方をエスコートするためにいろいろと準備をしないといけなくなったから、まだ帰るわけにはいかないのよね。……ということで、緑間さんにララクをお願いしちゃおうかしら」
「なっ、何を勝手なことを言っているのだよ! 大体そういうことは、本人に直接言うべきではないのか?」
「眠っている子に言ってもねぇ? それに時が来れば嫌というほど、お客様が誰かわかるわ。その時は緑間さん、貴方にも覚悟を決めてもらわなくてはいけないのだから……」
意味深なことを言い残し、ラクアは漆黒の翼で夜闇の空へと姿を消した。その姿を見た緑間は言葉がつまるのと同時に、自分がまだ知らないことが数多くあることをその身で感じた。とりあえず、このままずっと外にいるわけにもいかないので仕方ないことだと割り切り、ララクの家に入った。寝室に寝かしつけ、緑間も自分の家に帰る。……この夜、二人の小さな心の変化が、のちに世界へと大きくかかわることになることは、まだ誰も知らない―――。