第5話

 異界のさらに奥地へ足を踏み入れるが先ほどの情報どおり中の警備は手薄で、すぐに儀式を取り行っている場所へたどり着くことが出来た。儀式自体はもう始まっているようで、何かを唱えている声が届いてきている。
 儀式の妨害も依頼内容であり、相手側はこちらに気付いていない絶好のチャンス。奇襲であれば……危険も少ないだろう。

「I am the Alpha and the Omega, the First and the Last, the Beginning and──」

「そこまで」

 多節槍であるレヴェヨンの持ち手である幾重もの関節を外し、一気に殲滅する。自分から距離が遠のく部分はどうしても威力が落ちてしまうが、それでも広範囲を補うことが出来る。足りない部分はマリアに任せればいい。
 足りない部分を補える仲魔と共に戦場を駆け抜けるのが悪魔召喚師(デビルサマナー)の真骨頂だ。自分が弱ければ従えられる悪魔の格も確かに低くなるが、それでも頭数をそろえるだけで十分な戦力になる。悪魔というのは、そういう存在なのだ。

「見事な奇襲です。残党は特に見当たりません」

「……今の一節、黙示録だった」

「ええ。まこと、何を呼び出すつもりであったのか……」

 今回の首謀者である【皇帝】赤司征十郎は一体何を目論んでいるのか……。知りたいとも思わないし、知ったところで私程度の実力では何が出来るわけでもない。けど……。

「何事もなく、平穏な日々が続けばいいのに」

「本当に、そうであれば良いと──」

 途端、地面が震えだし、先ほどまで儀式に使われていた魔法陣が怪しく光を放ち始めた。それと同時に、異界が急速にその姿を変え始める。先ほどまでは本当に、どこにでもある、少しマグネタイトが潤沢である程度の悪魔の住処であったはずなのに、景色は一変した。
 壁は今にも呪詛を吐き出してきそうな、苦痛に歪んだ人の顔のような模様へと変容し、床であった足元も赤黒い血を連想させるような色合いへと変わっていく。

「緊急退避!」

「ダイナ様! お急ぎください!」

 何が起きたかなんて、分からない。原因が先ほどの儀式の暴走だということは分かっても、それだけではどうしようもない。とにかく今はこの異界から出て、一命をとりとめることが先決。──だというのに。

「出口が……ないっ!?」

「入ってきた場所から儀式の部屋まで、間違いなく一本道でした。……どうやら、この異界は見た目だけでなく、内部構造その全てが変容してしまったようです」

 頭の中が、真っ白になった。
 内部の構造が変容する異界なんて聞いたことがないし、何よりもこの禍々しい姿に変わってしまった異界に閉じ込められたという事実が、あまりにも絶望的だった。

「どうする? どうすればいい? 今の私には、何が出来る……?」

「取り乱してはいけません。こういった状況だからこそ、物事を見極め、何をすべきかご判断を」

「……10秒。時間を貰う」

 異界。それは悪魔たちが人間界の中でも活動しやすい場所。異界の中であれば本来そのものの力全てを引き出せるとまでは言わずとも、そこらにいる悪魔たちより十分な力を振るえるのは確固たる事実である。それを可能にしているのはマグネタイトの存在。
 私たち人間が野菜や肉、魚、米やパンと言ったあらゆるものから栄養を取っているように、悪魔たちも自身の身体を人間界に留めておくために栄養が必要となる。それがマグネタイト。
 異界とは、そのマグネタイトが何かしらの理由でたくさん集まったところに出来上がる。悪魔がたくさんの狩りを行ってマグネタイトを溜め、それを使って異界を作り出したり、自然とマグネタイトが集まりやすい地域で勝手に異界化したりと、理由は千差万別。出来上がる理由は千差万別なれど、異界には共通した事象がある。
 一つは、規模が大きくなればなるほどに階層が出来上がり、地下深くへ広がっていくこと。
 もう一つは、必ず各階層に次の階層へ続く扉と、外へ出られる出口がどこかに存在すること。

「ダイナ様、お時間です」

「出口を探す。周囲に細心の注意を払い、異界の第一層を踏破する」

「御意」

 内部構造が変容するのが時間なのか、はたまた先ほどの異変で起きただけなのかは定かではない。前者であった場合は絶望的だが、後者であればまだ望みがある。
 とにかく今は、前進するしかない──。

 はっきり言って、この異界は異常だった。
 一般人からいえば異界という存在そのものが異常事態だが、そんな甘いものじゃない。こちら側を知る者に、ここは他の異界より少し質が高い場所だった、なんて説明したら、大笑いされた挙句、こう返されるだろう。
 在りて在るお方、唯一神に反旗を翻し、さらにはその唯一神すらも脅かせる力を持ち合わせた高位悪魔の根城だろう、と。
 今までの異界とは全く違う、本当に魔界に繋がっているのではないかと思うほどに禍々しく、そして──。

「ぐっ──!」

「ダイナ様! これ以上はいけません!」

 一体どこから湧き出たのか分からない程に、悪魔たちが跋扈している。それでもここを切り抜け先に進まなければ、どの道果てるしかない。

「前線は……私が維持する。マリア、及び他の仲魔たちはそのまま後方から攻撃」

「無茶です。道中だけでも尋常ではない数の悪魔を掃討しました。それで尚も一人で前線を張ろうなどと……」

「私の仲魔に、私以上に前衛へ出られる仲魔はいない。これが最適解であること、理解しているはず」

「……ええ、分かっております。それでもダイナ様が倒れたら、我々は全滅です」

 司令塔を失えば全滅は必至。さらに事実だけを述べるなら、仲魔は死んだとしてもCOMP(コンプ)と呼ばれる【悪魔召喚プログラムがインストールされた機械】の中に残留するから、実質死ぬことはない。しかし、人間である自分はそうはいかない。ある程度の損傷は専門の道具を使ったり、回復魔法で修復が可能だが、それでも著しく破損すれば戻せないし、いずれ死ぬ。
 それでも、やり遂げねば脱出できるかもしれないという希望を掴むことも出来ないのだ。だったら、やるしかない。

「進軍する。総員、戦闘用意!」

 これが、体力的に最後の攻防になるだろう。蔓延る悪魔たちを討ち取り、その先に出口がなければ、試合に勝って勝負に負けることになる。

「必ず。必ず地上へ戻りましょう、我が主よ!」

 満身創痍なのは自分だけじゃない。気力を振り絞るマリアの声に私は頷き、悪魔の群れへと飛び込む。
 この先に出口があると信じて──。