第1話

チュンチュンと可愛らしい小鳥たちのさえずりが聞こえる。

「おはようございます。ダイナさま」

いつもの聞き慣れた声が耳に入り、少しずつ目が覚める。

不思議な夢を、見ていた気がする。その内容を思い出そうとすると──

それは、するりと手のひらから抜けるように、記憶のあわいに消えていってしまう。

「おはようございます。マリア」

「今日も快い朝ですね。朝食の支度ができております」

そういいながら金色に輝く甲冑に身を固めた乙女、

マリアが食事をキッチンからリビングへと運ぶ姿が見受けられる。

香ばしいトーストに、しゃきしゃきとした食感と水気を連想させる緑野菜のサラダ、

恐らく綺麗に半熟に茹で上がっているであろう茹で卵に、紅茶の芳しい匂い──

「さぁ。お顔を洗ってうがいをして、冷めぬうちにいただきましょう」

「そうさせてもらいますね。……いつもありがとうございます」

彼女は人に近しい姿をしてはいるが、人ならざる異形の存在、

悪魔(彼女は天使だが、精霊なども含めてそう総称される)であり、

そして私の仲間──いや、仲魔だ。

この帝都と呼ばれる都市の闇には、かくいった伝承上の存在が現実性をもって存在する。

そして、それらと向き合うことを生業にする者たちもまた、存在する。

私はダイナ。フリーの悪魔召喚師(デビルサマナー)であり、

そして神の愛と救済を奉ずる大宗教組織、メシア教の聖堂騎士(テンプルナイト)だった。

「…………」

マリアの入れてくれた紅茶を飲み終え、一息つく。

「ごちそうさまでした。今日もおいしかったです」

食事と、それを作ってくれた人に対してきちんと感謝し、味わうために。

食前の祈りから「ごちそうさま」までは、極力言葉を発さないようにしている。

とはいえ、状況次第であるし、さほど強固な習慣にしているわけでもない。

「ダイナさま、今日のご予定は?」

「それが困ったことに、何も。

 上手く仕事が取れなくて……。

 こればかりは、自由業の辛さと言ったところですね……」

稼業の景気は──まぁ、そこそこといったところ。

それなりに仕事のある折もあれば、時には仕事のない日も続く。

「……ごめんなさい。マリア……。

 メシア教団を抜けた時から、ですかね。
 
 ずっと、私のわがままに付きあわせてしまって……」

「お気遣いなく。私はそのようには、思っておりません」

責め立てるわけでも、繕った言葉でもない。

本当に、そう思っていないという表情を浮かべられては……

私がまだまだ未熟であるということを実感せざるを得ない。

「私は、ダイナさまより頂いた『マリア』という名を使わせて頂いていますが、

 本来の名は「権天使」プリンシパリティ……。

 神の名において正義を体現せし天使」

スッと目を細めて私を見つめ、マリアは言葉を続ける。

「どうぞ臆することなく、前へとお進みください。

 貴女は私が認めた英雄なのですから」

本当にどこまでも気品ある振る舞いで、それでいて厳かで……

「ありがとう。……貴女が友で、本当に良かった」

「そのような言葉をかけていただき、痛み入ります。

 ですがそれでこそ、私もお仕えし甲斐があるというものです」

「私もその言葉を裏切らないよう、努力しな──」

言葉に重なるように、携帯の呼び出し音が部屋に響く。

さっと携帯の画面を確認する。

「っと……。どうやら早速、仕事の依頼みたいです」

マリアは何も言うことなく、連絡に出るように目線で促す。

私もそれに軽く頷き、電話に出る。

「はいもしもし、こちらダイナ……あ、はい。

 妖精郷のほうから──

 はい、分かりました、では現地で」

手短に内容を聞き終え、通話を切る。

「マリア、お仕事です」

「妖精郷となると、ティーダさまとユウナさまですね」

マリアが妖精郷を治める二人を思い浮かべながら、紅茶を注ぐ。

「ええ、なんでも緊急の荒事。
 
 それも相手はガイア教団絡みの可能性があるそうで」

「……それは、また。気合を入れなくてはなりません」

マリアは紅茶を注ぐ手を止め、表情を引き締める。

「ええ、まったく」

「只今、装備をご用意いたします。

 ダイナさまは、あちらまでの交通機関の確認等を」

「確認しておきましょう。

 それと月齢や、消耗品の残量の最終チェック……」

マリアは手際よく紅茶ポットを片付け、装備を用意するために一度部屋を後にした。

決してマリアが出て行ったことを見計らったわけではないが、マリアが部屋を後にしたとき、

私はふと思ったことを口にしていた。

「英雄、か……。そうであるなら、必要なのは貴女ですね。本当に……」

妖精郷から連絡を受けて1時間かかるかかからないか。

帝都某所の路地裏を手順通りに右へ左へと曲がる。そして……

「……っと、着いたかな」

「あ、ダイナだ! こっちこっち、王さまと女王さまが呼んでるよッ!」

私の姿を見つけ1匹の妖精、ピクシーがこっちに急ぎ気味に飛んでくる。

「マリアも久しぶりー!」

「ご無沙汰しております」

マリアはペコリと礼儀正しく、ピクシーに頭を下げた。

「案内ありがとうございます、お元気そうで何より」

「お互いにねー!」

「お気遣い、ありがとうございます。

 ……お二人の機嫌はどんな感じでしょうか?」

「ダイナを呼んだ用事でちょっとピリピリしてる。

 でも、荒れてるわけじゃないからとばっちりとかは大丈夫だと思うよ?」

「そうですか……。それは良かった」

圧倒的に各上の悪魔と面接するのだ。

友好的な関係であるとはいえ、相手側の機嫌を伺っておいて損はない。

この『妖精郷』は、帝都にあっても強力な、妖精王とその妻の治める大型の異界だ。

その力ゆえに諸方面と無関係な孤立ではいられず、中立の緩衝地帯としてその立場を保っている。

メシア教、ガイア教、ヤタガラス、あるいは犯罪結社、または自衛隊──

基本的にどことも浅くは繋がりがあり、逆にどこからも深い支援は受けていない。

多少の情報交換、鍛錬、仲魔集め……あらゆる者が様々な目的で出入りする。

全てにおいて中立の志向を有する、妖精たちらしいスタンスの異界がここ。

改めて思うが、どことも浅く繋がりを持っているというのは、すごいことだ。

そして、この地を治めるのは──

「ご無沙汰しております。

 妖精王ティーダさま、そして妖精女王ユウナさま」

私のあいさつに合わせ、マリアもお辞儀する。

「あぁ、よく来てくれたな、ダイナ。

 歓迎するぜ……と、言いたい所なんだがな」

「さっそくですが、依頼があります」

「はい、伺います」

妖精王オベロンことティーダと、妖精女王ティターニアことユウナが

私に依頼の説明を始めてくれた。

「えーっと、概略を説明すると……。

 俺たち『妖精郷』に属する異界のひとつが、
 
 ガイア教団系の集団に襲撃されたという報が入ったッス。
 
 連絡は途絶、異界の主はセタンタ。

 恐らくもう、やられて霧散していると思われるッス」

「なるほど。

(仲間の死に対する感傷の無さは、「消滅」というものに関する価値観が異なるから、

 これは当然の反応ですね。彼らはあくまで分霊ですから……)」

悪魔の本体は魔界にあり──彼らがこの世界に送り込んでいるのは、あくまで分霊。

そういった存在であるためか、彼らは自己の存在が消滅することにもあまり頓着しない。

悪魔同士を合体させるといった外法に供されることも、むしろ「より力が増す」と喜ぶフシすらある。

「と、なれば……。参加者を探しだして攻撃。

 『落とし前をつけさせる』というのがお仕事に?」

「普通なら、そういう依頼になる所なんスけど──

 奴ら、【主を殺した異界に居座っている】らしいんスよ」

「殺して……居座った、ですか?」

「異界というのは、魔界につながる霊穴を基盤にしているということはご存知ですか?

 あそこはセタンタに任せるには勿体無いくらい、

 かなり良い感じに開いた霊穴だったのです」

「なるほど。良い霊穴は概して、強力な悪魔が主ですからね。

 主と霊穴のミスマッチを狙ってそれを奪いにかかった、と……」

「多分、霊穴を通して何かしらの大悪魔を『こちら』に召喚したいんだと踏んでるッス」

「下手に『引っかかる』と力が削がれてしまうから、いい環境で呼び出したい……。
 
 理屈は分かります。ですが、こちらにも面子というものがありますから」

ユウナもティーダも、あからさまにしているわけではないが、怒っていることは見て取れた。

「──それで私、ですか? 私だと、セタンタを撃破するような相手は少々荷が重いのですが」

「殺してください。……とまでは言いません」

「ちょっと相手の動きが迅速で、今ひとつ状況が掴めていないんスよ。

 それで足回りが軽くて契約に忠実で、ガイアーズ相手に情にほだされない。
 
 ダイナに偵察を頼もうってことになったッス」

確かに秩序志向、善志向の自分は、契約への忠実さが売りではあるけれど──さて、どうしたものか。

「それはまた、ハードな依頼なことで……」

「悪いッスね。報酬は弾むッス。

 任務内容は威力偵察。敵戦力と陣容を調査、できれば多少削って欲しい。

 敵が儀式を始めている場合──」

「召喚妨害して一泡吹かせられれば、さらに報酬を上乗せ。

 これでどうでしょう」

戻ってくればそれでよし。戻ってこなければ私レベルで対処できない強さの敵がいると『分かる』

二流やや上程度のフリーランスへの待遇としては──まぁ、妥当なところかな。……うん。

「説明は以上です。何か質問があれば分かる範囲でお答えします」

一応の説明が終わり、マリアがそっと耳打ちをしてきた。

「(条件的には厳しい所ですが、妥当な範囲かと。ダイナさま)」

「そう、ですね……」

とりあえず、威力偵察ということは一戦交えるのは確定。そうなると欲しいのは……

「事件発生からの時間経過は?」

「3時間前後ってとこッスかね? 向こうから妖精が逃げてきて発覚。

 興奮と混乱気味だったから、この場には同席させてないッス。

 刺激的なことが起こると感情的になりやすいのは、妖精の悪い癖ッスね」

「となると、戦力も……」

「出入口を封鎖してたのは、数を合わせても2流程度のガイアーズ。

 それくらいしか分かっていないので、そこは問題なく突破できそうな君に連絡、かな」

「これは重要ですが、引き際の判断はこちらで見定めても?

 また、それに関して少しでも支援が貰えれば」

「撤退支援に関しては姿隠しなんかが得意な妖精を、異界の入口近くに待機させるッス。

 情報が入るに越したことはないッスから、逃げる分には支援するッス」

攻めるぶんの戦力は、相手の戦力次第で動かすために温存したい、といったところか……。

「──最後に。報酬の具体額は」

「マグネタイトでもマッカでも、装備でも道具でも仲魔でも【3単位】

 儀式も妨害できれば+【2単位】ッスかね」

「また随分と豪華な……」

「危険も多いですから。出来ることなら、貴女とはこれからも仲良くしたいと思っていますし」

「それは、ありがたいお言葉です」

撤退はこちらの任意のタイミングでよし。

戦闘も出入り口のみであれば負けることも少ないはず。それなら……

「質問は以上です。ご依頼、確かに承りました」

「必ずや、朗報を」

依頼を受け、妖精郷を後にし、早速例の異界へと足を運ぶ私とマリア。

「今回は悠長に敵戦力を調査する時間もないというか、

 まさにその『敵戦力をぶっつけで調べる』のが仕事……。

 とりあえずぶっつけ本番、一発殴って様子を見てみましょう」

「ええ。深入りしすぎなければ、問題ないはずです。

 慎重に判断しつつ、戦闘時は果断に──いつも通りです。

 ……信頼していますとも、我が英雄よ」