チュンチュンと可愛らしい小鳥たちのさえずりが聞こえる。
「おはようございます。ダイナさま」
いつもの聞き慣れた声が耳に入り、少しずつ目が覚める。
不思議な夢を、見ていた気がする。その内容を思い出そうとすると──
それは、するりと手のひらから抜けるように、記憶のあわいに消えていってしまう。
「おはようございます。マリア」
「今日も快い朝ですね。朝食の支度ができております」
そういいながら金色に輝く甲冑に身を固めた乙女、
マリアが食事をキッチンからリビングへと運ぶ姿が見受けられる。
香ばしいトーストに、しゃきしゃきとした食感と水気を連想させる緑野菜のサラダ、
恐らく綺麗に半熟に茹で上がっているであろう茹で卵に、紅茶の芳しい匂い──
「さぁ。お顔を洗ってうがいをして、冷めぬうちにいただきましょう」
「そうさせてもらいますね。……いつもありがとうございます」
彼女は人に近しい姿をしてはいるが、人ならざる異形の存在、
悪魔(彼女は天使だが、精霊なども含めてそう総称される)であり、
そして私の仲間──いや、仲魔だ。
この帝都と呼ばれる都市の闇には、かくいった伝承上の存在が現実性をもって存在する。
そして、それらと向き合うことを生業にする者たちもまた、存在する。
私はダイナ。フリーの悪魔召喚師(デビルサマナー)であり、
そして神の愛と救済を奉ずる大宗教組織、メシア教の聖堂騎士(テンプルナイト)だった。
「…………」
マリアの入れてくれた紅茶を飲み終え、一息つく。
「ごちそうさまでした。今日もおいしかったです」
食事と、それを作ってくれた人に対してきちんと感謝し、味わうために。
食前の祈りから「ごちそうさま」までは、極力言葉を発さないようにしている。
とはいえ、状況次第であるし、さほど強固な習慣にしているわけでもない。
「ダイナさま、今日のご予定は?」
「それが困ったことに、何も。
上手く仕事が取れなくて……。
こればかりは、自由業の辛さと言ったところですね……」
稼業の景気は──まぁ、そこそこといったところ。
それなりに仕事のある折もあれば、時には仕事のない日も続く。
「……ごめんなさい。マリア……。
メシア教団を抜けた時から、ですかね。
ずっと、私のわがままに付きあわせてしまって……」
「お気遣いなく。私はそのようには、思っておりません」
責め立てるわけでも、繕った言葉でもない。
本当に、そう思っていないという表情を浮かべられては……
私がまだまだ未熟であるということを実感せざるを得ない。
「私は、ダイナさまより頂いた『マリア』という名を使わせて頂いていますが、
本来の名は「権天使」プリンシパリティ……。
神の名において正義を体現せし天使」
スッと目を細めて私を見つめ、マリアは言葉を続ける。
「どうぞ臆することなく、前へとお進みください。
貴女は私が認めた英雄なのですから」
本当にどこまでも気品ある振る舞いで、それでいて厳かで……
「ありがとう。……貴女が友で、本当に良かった」
「そのような言葉をかけていただき、痛み入ります。
ですがそれでこそ、私もお仕えし甲斐があるというものです」
「私もその言葉を裏切らないよう、努力しな──」
言葉に重なるように、携帯の呼び出し音が部屋に響く。
さっと携帯の画面を確認する。
「っと……。どうやら早速、仕事の依頼みたいです」
マリアは何も言うことなく、連絡に出るように目線で促す。
私もそれに軽く頷き、電話に出る。
「はいもしもし、こちらダイナ……あ、はい。
妖精郷のほうから──
はい、分かりました、では現地で」
手短に内容を聞き終え、通話を切る。
「マリア、お仕事です」
「妖精郷となると、ティーダさまとユウナさまですね」
マリアが妖精郷を治める二人を思い浮かべながら、紅茶を注ぐ。
「ええ、なんでも緊急の荒事。
それも相手はガイア教団絡みの可能性があるそうで」
「……それは、また。気合を入れなくてはなりません」
マリアは紅茶を注ぐ手を止め、表情を引き締める。
「ええ、まったく」
「只今、装備をご用意いたします。
ダイナさまは、あちらまでの交通機関の確認等を」
「確認しておきましょう。
それと月齢や、消耗品の残量の最終チェック……」
マリアは手際よく紅茶ポットを片付け、装備を用意するために一度部屋を後にした。
決してマリアが出て行ったことを見計らったわけではないが、マリアが部屋を後にしたとき、
私はふと思ったことを口にしていた。
「英雄、か……。そうであるなら、必要なのは貴女ですね。本当に……」
妖精郷から連絡を受けて1時間かかるかかからないか。
帝都某所の路地裏を手順通りに右へ左へと曲がる。そして……
「……っと、着いたかな」
「あ、ダイナだ! こっちこっち、王さまと女王さまが呼んでるよッ!」
私の姿を見つけ1匹の妖精、ピクシーがこっちに急ぎ気味に飛んでくる。
「マリアも久しぶりー!」
「ご無沙汰しております」
マリアはペコリと礼儀正しく、ピクシーに頭を下げた。
「案内ありがとうございます、お元気そうで何より」
「お互いにねー!」
「お気遣い、ありがとうございます。
……お二人の機嫌はどんな感じでしょうか?」
「ダイナを呼んだ用事でちょっとピリピリしてる。
でも、荒れてるわけじゃないからとばっちりとかは大丈夫だと思うよ?」
「そうですか……。それは良かった」
圧倒的に各上の悪魔と面接するのだ。
友好的な関係であるとはいえ、相手側の機嫌を伺っておいて損はない。
この『妖精郷』は、帝都にあっても強力な、妖精王とその妻の治める大型の異界だ。
その力ゆえに諸方面と無関係な孤立ではいられず、中立の緩衝地帯としてその立場を保っている。
メシア教、ガイア教、ヤタガラス、あるいは犯罪結社、または自衛隊──
基本的にどことも浅くは繋がりがあり、逆にどこからも深い支援は受けていない。
多少の情報交換、鍛錬、仲魔集め……あらゆる者が様々な目的で出入りする。
全てにおいて中立の志向を有する、妖精たちらしいスタンスの異界がここ。
改めて思うが、どことも浅く繋がりを持っているというのは、すごいことだ。
そして、この地を治めるのは──
「ご無沙汰しております。
妖精王ティーダさま、そして妖精女王ユウナさま」
私のあいさつに合わせ、マリアもお辞儀する。
「あぁ、よく来てくれたな、ダイナ。
歓迎するぜ……と、言いたい所なんだがな」
「さっそくですが、依頼があります」
「はい、伺います」
妖精王オベロンことティーダと、妖精女王ティターニアことユウナが
私に依頼の説明を始めてくれた。
「えーっと、概略を説明すると……。
俺たち『妖精郷』に属する異界のひとつが、
ガイア教団系の集団に襲撃されたという報が入ったッス。
連絡は途絶、異界の主はセタンタ。
恐らくもう、やられて霧散していると思われるッス」
「なるほど。
(仲間の死に対する感傷の無さは、「消滅」というものに関する価値観が異なるから、
これは当然の反応ですね。彼らはあくまで分霊ですから……)」
悪魔の本体は魔界にあり──彼らがこの世界に送り込んでいるのは、あくまで分霊。
そういった存在であるためか、彼らは自己の存在が消滅することにもあまり頓着しない。
悪魔同士を合体させるといった外法に供されることも、むしろ「より力が増す」と喜ぶフシすらある。
「と、なれば……。参加者を探しだして攻撃。
『落とし前をつけさせる』というのがお仕事に?」
「普通なら、そういう依頼になる所なんスけど──
奴ら、【主を殺した異界に居座っている】らしいんスよ」
「殺して……居座った、ですか?」
「異界というのは、魔界につながる霊穴を基盤にしているということはご存知ですか?
あそこはセタンタに任せるには勿体無いくらい、
かなり良い感じに開いた霊穴だったのです」
「なるほど。良い霊穴は概して、強力な悪魔が主ですからね。
主と霊穴のミスマッチを狙ってそれを奪いにかかった、と……」
「多分、霊穴を通して何かしらの大悪魔を『こちら』に召喚したいんだと踏んでるッス」
「下手に『引っかかる』と力が削がれてしまうから、いい環境で呼び出したい……。
理屈は分かります。ですが、こちらにも面子というものがありますから」
ユウナもティーダも、あからさまにしているわけではないが、怒っていることは見て取れた。
「──それで私、ですか? 私だと、セタンタを撃破するような相手は少々荷が重いのですが」
「殺してください。……とまでは言いません」
「ちょっと相手の動きが迅速で、今ひとつ状況が掴めていないんスよ。
それで足回りが軽くて契約に忠実で、ガイアーズ相手に情にほだされない。
ダイナに偵察を頼もうってことになったッス」
確かに秩序志向、善志向の自分は、契約への忠実さが売りではあるけれど──さて、どうしたものか。
「それはまた、ハードな依頼なことで……」
「悪いッスね。報酬は弾むッス。
任務内容は威力偵察。敵戦力と陣容を調査、できれば多少削って欲しい。
敵が儀式を始めている場合──」
「召喚妨害して一泡吹かせられれば、さらに報酬を上乗せ。
これでどうでしょう」
戻ってくればそれでよし。戻ってこなければ私レベルで対処できない強さの敵がいると『分かる』
二流やや上程度のフリーランスへの待遇としては──まぁ、妥当なところかな。……うん。
「説明は以上です。何か質問があれば分かる範囲でお答えします」
一応の説明が終わり、マリアがそっと耳打ちをしてきた。
「(条件的には厳しい所ですが、妥当な範囲かと。ダイナさま)」
「そう、ですね……」
とりあえず、威力偵察ということは一戦交えるのは確定。そうなると欲しいのは……
「事件発生からの時間経過は?」
「3時間前後ってとこッスかね? 向こうから妖精が逃げてきて発覚。
興奮と混乱気味だったから、この場には同席させてないッス。
刺激的なことが起こると感情的になりやすいのは、妖精の悪い癖ッスね」
「となると、戦力も……」
「出入口を封鎖してたのは、数を合わせても2流程度のガイアーズ。
それくらいしか分かっていないので、そこは問題なく突破できそうな君に連絡、かな」
「これは重要ですが、引き際の判断はこちらで見定めても?
また、それに関して少しでも支援が貰えれば」
「撤退支援に関しては姿隠しなんかが得意な妖精を、異界の入口近くに待機させるッス。
情報が入るに越したことはないッスから、逃げる分には支援するッス」
攻めるぶんの戦力は、相手の戦力次第で動かすために温存したい、といったところか……。
「──最後に。報酬の具体額は」
「マグネタイトでもマッカでも、装備でも道具でも仲魔でも【3単位】
儀式も妨害できれば+【2単位】ッスかね」
「また随分と豪華な……」
「危険も多いですから。出来ることなら、貴女とはこれからも仲良くしたいと思っていますし」
「それは、ありがたいお言葉です」
撤退はこちらの任意のタイミングでよし。
戦闘も出入り口のみであれば負けることも少ないはず。それなら……
「質問は以上です。ご依頼、確かに承りました」
「必ずや、朗報を」
依頼を受け、妖精郷を後にし、早速例の異界へと足を運ぶ私とマリア。
「今回は悠長に敵戦力を調査する時間もないというか、
まさにその『敵戦力をぶっつけで調べる』のが仕事……。
とりあえずぶっつけ本番、一発殴って様子を見てみましょう」
「ええ。深入りしすぎなければ、問題ないはずです。
慎重に判断しつつ、戦闘時は果断に──いつも通りです。
……信頼していますとも、我が英雄よ」