ルルアノ・パトリエ 第1話

「……きて……。おきて、ララク!」
「う……ん……、……何が起こったの……?」
「あ、おきた。さっきのはおそらく歪みゲートだよ! ……ここはどこかな?」
「ん……っと、見たところ、私たちが住んでいた場所とは
雰囲気が全然違うようだけど……」
「モーントクラインから聞いた場所に似ている気がする……。きっと地上界だよ!」

 

私はララク・ルルアノ・パトリエ。
天界の次期皇女候補……なのですが、どういうわけか今は地上界にいます。
落とした髪飾りを取りたかっただけなのですが、足を滑らせて落下。
いつもなら翼でひとっ飛び……のはずなのですが、何故か地面に吸い込まれる始末。
何がどうなっているのか、私には理解できません。
「うーん、困ったなあ。歪みゲートに吸い込まれるなんて聞いたことないし……。
そもそも歪みゲート自体が珍しい出来事過ぎて、事例がほとんどないんだよね」
金髪でポニーテールの、ふわふわと4枚の薄い金色の羽を
羽ばたかせて飛んでいるこの子はアンカルジア。
天界は特別な武器を扱うことが出来るかどうかで階位が決まる。
その武器というのがこの妖精である。
自我を持っているため、どれだけ信頼関係を築けるかが鍵を握る。
ララクとアンカルジアは10年以上を共に過ごしてきた仲であり、家族同然である。
「私が吸い込まれてしまうとき、姉様も追ってきていたよね?」
「むむむ、そうなるとモーントクラインもこっちに来てる可能性があるのか。
そうなるとアタシたちだけで帰るってわけにも……。
ってララク、そのお洋服どうしたの?」
「え? ……本当、何かの制服かな?」
いつもの服装はアクア色をした長袖のワンピースで、
スカート部分に三段の白のフリルがついており、
袖部分と襟も白色と明るくまとめた服装なのだが、
今は白のカッターシャツに青色のリボンを付け、
紺に水色のチェック模様が入ったスカートという学生を想像させる格好をしている。
二人が戸惑っていると、横から扉の開く音が聞こえた。
「えっ……人間じゃん! アタシ隠れるから、後はよろしくね!」
「ちょっとアンカルジア!? ずるいよ!」
パタパタと飛んでいき、建物の陰に隠れてララクの様子を見守るアンカルジア。
おろおろとしているララクをよそに、扉から出てきた相手はこちらに気づいたようで
「あらあら、貴方が新崎さん? 昨日お引越ししてきたのですよね。
お隣に住んでる、緑間陽子って言います。うちの息子と同じ学校に通うそうで……。
あの子ったら、変に頑固者だから……って、やだわ。
年を取るとつい自分ばかり話してしまって」
「あ……その……こちらこそ、よろしくお願いします!」
突然のことで頭が回らず、とりあえずお辞儀をする。
「元気がいいのね。ふふふ……真太郎と仲良くしてもらえると嬉しいわ。
それじゃあまたね」
完全に相手のペースで、頭の中はパニック状態。
そんなララクを置いて緑間陽子と名乗った人はどこかへ出かけていった。
たった2分ほどの出来事ではあったが、
知らない人に声を掛けられるというのはなかなかに緊張してしまうものだ。
「……はぁぁー。ただ挨拶をしてもらっただけなのに、こんなに緊張するなんて……」
「ララク、よくやったわね! そこまで変な人とは思われてないよ! ……多分」
「アンカルジアってばずるいよ、自分だけ逃げるなんて……」
「だってここ、地上界だもん。アタシみたいな妖精が住んでないところで姿見られたら、 捕まって食べられちゃうよ!」
「えぇぇ!? そ、それは困る……」
「でしょ? だから頑張って普通の人を演じるのよ!」
「うぅ……、なんだがうまく乗せられている気がする……」
アンカルジアのいいように使われているララク。
しかしアンカルジアはお構いなしだ。
「気のせい、気のせい。それよりさっきの人、なんかいろいろ不思議なこと言ってたね」
「……頭が真っ白で、何を言われたか覚えていないよ……」
「んもう! 仕方ないなぁ。分かりやすくまとめてあげる!」
先ほどの人物の情報を元にアンカルジアが考えたのは、
歪みゲートの影響をかなり大きく受けてしまい、
この世界の住民になってしまったということ。
だから先ほど『新崎』という聞き慣れない単語で呼ばれたのではないだろうか。
実際に自分の目の前には一軒家があり、
そこには『新崎』と書かれた苗字札が掛けられている。
「じゃぁこれ、私のお家ってこと!?」
「……そういうことになるかな!」
「一人で……暮らすの……?」
「……、そういうことになるかな……」
「そ、そんなの無理だよ! 早く天界に帰ろう!?」
「お姉さんとモーントクラインを置いて帰るの?」
「うっ……、それは……」
「アタシ達に選択肢なんてないんだから、とりあえず家の中入ってみない?」
「……少し楽しんでいるでしょ?」
「えー、どうだろうねー」
ニコニコしているアンカルジアに一言申したい気持ちもあるが、
彼女の言うとおり選択肢がないララクは、言われるがまま家に入ってみることにした。

「お邪魔します……」
「んー……? おぉー! 結構広いじゃん! 一人で住むにはもったいないね!」
「……やっぱり楽しんでいるのでしょ?」
「い……いやぁ、そんなことはないんじゃないかなー?」
「もう……アンカルジアったら……」
裏声で否定しても説得力は皆無。
そんなアンカルジアに呆れながら、家の中を見てみると時計が視界に入る。
「今は7時30分なんだね」
「アタシ達があっちで髪飾りを取ろうとしてたのって、朝の7時ぐらいだったよね。
じゃぁ、時間は天界と同じように流れてるのかなぁ」
「そうだと助かるんだけど……」
「お……、これ見たことあるぞー?」
そういってアンカルジアは机の棚にしまってある本を1冊取り出す。
表紙には『標準高等地図』と書かれている。
「教科書?」
「これ、モーントクラインに見せられたことある!
あの子ったら、これを覚えれば迷子にならないよ、って。
見ても分からないから方向音痴なのに!」
「それは自慢にはならないよ……」
懐かしいことを思い出しながら教科書を元に戻していると、
「おぉ、このかばん、アタシが身を隠すのにすごくいい感じ。
……そういえばさっきの人ってさ、なんか『うちの息子と同じ学校に通う』とか
言ってなかった?」
「そ、そうだっけ?」
「言ってた気がするけどなぁー。
そのお洋服も制服っぽいし、ララクの年は今年で16歳になったんでしょ?
地上界ではその年は高校生とかどうとか……。
まさか毎日聞かされたモーントクラインの知識がこんなところで役に立とうとは!」
「アンカルジアはお勉強のときは目を回していましたから……。
私もついていけていたとは言えませんけど……」
「勉強嫌いだもん……。モーントクラインが言うことはスッと耳に入るんだけどねー。
何が言いたいのかは分からないけど」
「だから自慢にはならないってば……。
えっと、それなら学校に行けばよいのでしょうか?」
「うんうん、お勉強サボると先生、すんごい剣幕で怒るんだから。
遅刻したら大目玉だよ!」
「それは嫌だよね……。……で、学校はどっち?」
「え、知らないよ! だって地上界なんて初めてだもん」
「……ど、どうするの!? これじゃあ学校に行くことも出来ないよ!」
「とりあえず、こういう時は外に出て歩いてればなんとかなるって!
さ、アタシはこのかばんの中で身を潜めてるから、後はよろしくね!」
「そ、そんなぁ!」
アンカルジアにすべてを丸投げされてしまったララク。
兎にも角にも、家の中に居ても仕方がないので、
言われたとおり外に出て歩いてみることにした。……のだが

 

「こっち……いや、あっち!」
絶賛迷子中……。
「さっきこっちに来たから今度は……、あれ?その前にもここは通ったような……」
いくつかの道を見ながら、こっちでもない。あっちでもない。と右往左往している状態。
「あ! この道には見覚えが!」
見覚えがある道を歩いていくと
「……私の家。それなら見覚えがあるのも当然ですよね……」
目の前には『新崎』の苗字札の掛けられている家。
さまよい続けてかれこれ30分。元の場所に戻ってきて安心するも、
目的地にたどり着けず肩を落としている、そんな時だった。
「いってきます」
自分の家の隣から声が聞こえた。青年が家から出てきたところだった。
「あ、おはようございます」
慌てて頭を下げる。
「……おはよう」
「あ、あのすみません! この制服の学校、どこか知りませんか?」
素っ気ない様子だが今は学校に行くことが先決であり、
そんなことに構っている場合ではない。わらにもすがる思いで聞いていた。
「知っているが?」
たったの一言だったが、その言葉を聞いて希望が見えた。
「もしよろしかったら、道を教えてもらえませんか?」
やっと学校にいけると言わんばかりに目を輝かせ、
自分よりも遥かに大きい青年を見上げる。
「勝手についてくればいいのだよ」
まるで興味がないと言った感じで、青年は視線を本に落とし歩き始める。
「ついてこればいいってことは……そこまで案内してくれるのですか!?
ありがとうございます!」
深くお辞儀をし、急いで後を追った。

「(どうしましょう……)」
相手は本を読みながら黙々と歩く。
そして自分はそれに遅れないように後ろからついていくだけ。
「(歩くのが早いからもっと遅く……、なんて頼めるわけがないですよね……)」
どうしたものか、と考えながら歩いていると
立ち止まっている青年に気づかずぶつかってしまう。
信号が赤であるため、青年は止まっていたようだ。
「ご、ごめんなさい」
やってしまった……と相手の表情を伺いながらおずおずと相手の顔色を見る。
特に怒っている様子ではないが、許してくれたようにも見えない。
気まずくて視線を下に落とすと左手にはテーピングが施されているのが目についた。
「それ……指を痛めているのですか?」
全部の指をテーピングで巻いてあるのが気になり、聞いてみる。
「あぁ、これか。ツメを保護しているのだよ」
「保護……ですか?」
「俺のシュートタッチは爪のかかり具合がキモだからな」
そういいながら眼鏡を押し上げている。
「しゅ……しゅーとたっち……(何のことでしょうか……?)」
訳の分からない単語が出てきてしまい、
これ以上聞いても理解できないと判断し、質問することを止めた。
「すべきことをしているだけなのだよ」
いつの間にか信号は青に変わっており、相手はスタスタと歩いていく。
「あ、置いていかないでください!」
ララクも慌てて後を追った。その後はずっと無言だったが、ついに……
「おぉー! 見てください! 私と同じ制服を着た人たちがいっぱいいますよ!」
校門が見え、たくさんの生徒たちが登校してきている。
「当たり前なのだよ……」
青年は呆れて溜息を一つ吐いている。
「今日はどうも、ありがとうございました!
ここまでくれば私でももう大丈夫です。このお礼は、いつか必ずしますね!」
学校に着いてララクはいてもたってもいられず、
そう言いながら校舎内へと入っていた。

 

「はい。次の人、どうぞ」
どうやら学校というのは初日に入学式というものがあるらしく、
それが終わった後は教室に移動し、自己紹介をするのが地上界の風習らしい。
「は……はい……」
ララクは自分の番が回ってきて、緊張して声が裏返ってしまう。
「えっと……」
自分の名前を言うだけでいいものなのだが、ついいろいろと考えてしまって言葉に詰まる。
「(ララク、しっかり! ここでの名前は『新崎ララク』だからね!)」
そんな様子をカバンの中から見守るアンカルジアは、ずっとそわそわしている。
「……。新崎さん? そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「あの、その……、し……んざきララクって言います。よろしく……お願いします」
言い馴れない言葉に少し詰まってしまうが礼儀正しく、お辞儀をしてごまかす。
腰まである長い空色の髪がふわりと前に垂れる。
「はい。では次の人」
その後も自己紹介は進んでいったが、うまく喋れなかったことや慣れない環境で、
そのあとの会話が耳に入ってくることは1つもなかった。
そんなララクを見ながら一人、目を輝かせている人物がいた。

 

「残り1時限は自由にします。私は用事があるので教室から離れますが、
決して良からぬことはしないように、では」
そういうと先生は教室から出ていった。回りの子たちはどんどんグループを作っていく。
「(あ……、入り損ねちゃった……)」
一度機会を逃すと人の輪に入りにくい。これから友達ができるのか、心配になってくる。そんなことをぼんやりと考えている。背後の気配には全く気付かずに。
「きゃぁああ!」
「(ど、どうしたの!? ララク!)」
突然のことで、悲鳴を上げてしまう。
アンカルジアはカバンの中で一体何があったのか分からず、
様子を窺うためにごそごそしている。
何事かとクラスの全員が悲鳴を上げたララクのことを見るが、皆すぐに顔をそらす。
それは今朝一緒に登校してくれた緑髪の青年も例外ではなく、
そらした顔はほのかに赤みがかっている。
「小さくて可愛い女の子! そして巨乳! これを揉まずに女なんてやってられないわ!」
なんとララクは、見ず知らずの女の子に胸を揉まれてしまった。
すると、横にいた男子が思いっきり女の子の頭を殴った。
「痛っ! 不意打ちとはやるわね!」
女の子は私の胸から手を放し、臨戦態勢をとっている。
「バカ野郎! 今日初めて会った子にそんなことする奴があるか!」
と説教しているものの、その男子も少し顔が赤い。
「おやおやぁ……? 私に説教するわりには顔が赤いじゃな~い?」
ニヤニヤしながら茶化し……、その後二人は喧嘩し始めた。
「あ、その……もう気にしていませんから、喧嘩はその……」
オロオロと止めようとしていると、後ろから肩を誰かに軽く叩かれた。
「……いつものことだから、気にしなくていいよ」
静かな感じの女子がそう言っている。
「そうそう、いつものことだから平気よ! あ、あたしは雫石篠菜。よろしく!」
「ったく、俺は辰野隆二。こいつは俺の幼馴染でさ、いつもこういうことするんだよ。
何かされたら遠慮なく言ってくれよな! 俺がしばいてやっから」
「なにぃー!? いつからそんなにえらくなったのよ!」
そしてまた二人は暴れだしてしまった。
「……私は星丘朱夏。朱夏って呼んで」
「私は、し……新崎ララクっていいます。よろしくお願いしますね」
言い馴れていない苗字をいうのはやはり抵抗があり、言いよどむ。
「それにしても、何を食べたらこんな大きな胸になるんかねえ。
ちょっとはあたしにも分けてほしいってもんよ」
笑いながら話しているが内容としては恥ずかしいもので、
さきほどにされたことを思いだし、顔が赤くなる。
「……篠菜。それセクハラ」
「えー? 女同士なのに固いなあ」
「あ、その……もう気にしていませんから」
忘れようとすればするほど思い出してしまうものだが、
もう過ぎたことをどうこう言うつもりはない。
「……少しは気を付ける! でさでさ、ララクはどこに住んでるの?
あたし、これでも結構情報通なんだ。
でもこんな可愛い子を見逃すなんて、あたしもまだまだね」
そう言って篠菜は首を左右に振った。
しかし、その仕草はもはやララクの目には映らなかった。
地上界に来て一日目で“どこに住んでいるの” なんて聞かれて、
答えられるわけがない。問いへの答えを探すためにキョロキョロしている時、
緑髪の青年が目に入る。
「あ……あのお方の、家の隣に……」
「え、あれって……緑間真太郎!?」
指をさした先を見た篠菜が驚いている。
「……情報通の篠菜がそんな大物の隣に
住んでいる可愛い子を逃すなんて、珍しいね」
「本当ねー。あたしどうかしてたのかな……」
「お前がどうかしてんのはいつものことだろー?」
二人が皮肉気味に煽っている。
「あのお方って、有名人なのですか?」
「えぇー!? し、知らないの……?」
ありえないといった顔で篠菜がこちらを見る。
「あいつはさ、キセキの世代の一人なんだ」
「キセキの世代?」
聞きなれない単語をついおうむ返ししてしまう。
「あー、まぁバスケに興味ないなら知らないのも無理ないか。
キセキの世代っていうのはね」
帝光中学校、バスケットボール部。部員は100人を超え、全中3連覇を誇る超強豪校。その輝かしい歴史の中でも特に“最強”と呼ばれ無敗を誇った――――
10年に一人の天才が5人同時にいた時代は“キセキの世代”と言われている。―――が
“キセキの世代”には奇妙な噂があった。誰も知らない、試合記録もない。にも関わらず天才5人が一目置いていた選手がもう一人……のがいたと……。
「……本当に6人目がいたかは知らないけど、5人の実力は本物だよ」
「俺も1回観に行ったことあるけど、マジ化けもんだぜ」
「だーかーらー! 幻の6人目も本当にいるんだってばー!」
情報通の篠菜としては、2人が6人目の存在を認めてくれないことは不服らしい。
「そんなにすごいのですか……。
で、その“キセキの世代”という人たちが、
緑間さんとどんな関係があるのでしょうか?」
「え? あはははは!」
「……天然すぎ」
私の反応に二人は急に笑い出した。
何故笑われているか分からず、混乱しているところに隆二が説明を加えてくれた。
「その“キセキの世代”ってのが今年の高校1年生、その1人が緑間ってことさ」
「あ、なるほど! そういうことなのですね」
「多分この後は先生の話さえ終わっちゃえばクラブ見学とか出来るだろうし、
気になるなら見てくるといいよ」
「……何も予定がないなら、帰るより見ていったほうがいい……」
「始まった……」
何故か隆二が呆れだしている。
そんなことはつゆ知らず、ララクはそのクラブというものや
キセキの世代というものが気になった。
「そうですね。せっかくですし、見ていくことにしますね」
そのセリフを聞くと二人は顔を見合わせ、やったとガッツポーズを取っている。
「本当……、お前ら悪趣味だよなぁ」
「こんな可愛い子を放っておくわけないじゃない……フッフッフッ」
不気味に篠菜は笑い、朱夏も平常心を保とうとはしているものの、顔はニヤついている。そんな二人を見て少しだけ怖いと思った。そこに扉の開く音が聞こえた。
「さぁ、席に座ってください」
どうやら用事を済ませた先生が帰ってきたようだ。
「今日はこれで終了です。この後はクラブ見学等が行われますが、
用のない人は寄り道せず、速やかに帰るように。では、起立。れい」
「「ありがとうございました」」
こうして今日の学校は終わり、放課後となった。