ルルアノ・パトリエ 第9話

「……主、どうするつもりで」
「触れるのは迂闊だったな。さて、どうしたものか……」
青色の羽を羽ばたかせ短い黒髪を左分けにした妖精と話しながら、紅樺色が特徴的な衣装に身を包んだ男は呑気に気を失った女の子をお姫様抱っこし、その上に気を失っている妖精を乗せ、辺りを見渡し幾許かの時を過ごしていた。

「この状況、何も知らない者が見たらどの様に映る?」
「誘拐以外には捉えられない」
「愚問だったな。……しかし、興味深い話を盗み聞くのに夢中になっていたとはいえ、これは失態だな」
「相手が油断していたのがすべて悪い。それに、意識がない方が色々と都合もいい」
「確かに、顔を合わせようものなら戦いは避けられんだろうな。……相手になるかは保障しかねるが」
男はクックックと喉奥から声を出したように笑う。そしてじっと女の子の顔を見つめたかと思うと首を左右に振り
「顔は確かにそっくりだが、やはり魅力が足りんな」
「主もいい加減にするべきだ。あの時の言葉を早く取り消してもらいたい」
「ラースフェルドもいい加減諦めたらどうだ。俺は一度決めたことは曲げんぞ。ラクアを「おい、お前。なにをしているのだよ」……む?」
ラースフェルドと話していた男の言葉は、何者かの声によって遮られた。
「何をしているのだと聞いているのだよ。ララクをどこへ連れていくつもりだ」
そこには学校から帰ってきた緑間がいた。
「ほう、ララクの知り合いか。ちょうどいい、返すぞ」
そういって男は何の躊躇いもなく抱きかかえていた女の子、ララクと妖精のアンカルジアを緑間へと渡す。誘拐犯かと思っていた緑間は呆気にとられ、言葉に詰まりながら男に謝罪をした。
「ララクがここで倒れていたのを助けてくれたところだったのだろうか。それなら先ほどは失礼なことを……」
「いや、俺がララクの意識を奪った。貴様の考えは何も間違ってないから安心するがいい。もっとも、どこかへ連れ去る気はさらさらなかったがな」
「主、人間に理解できる話ではない」
ラースフェルドは人間の緑間を目の前にしても姿を隠すつもりはなく、淡々と男に言葉をかける。
「なっ……。妖精がいるということは、お前も人間じゃないのだな。それにララクをこうしたということは……!」
緑間は男を警戒しながら、少しずつ後ろへと下がる。
「ほう。その口ぶりからすると、俺が何者か察しがついたようだな。話が早いのは俺好みだ。まあそう身構えるな。ララクの意識を奪ってしまったのは少し手違いがあっただけだ。どうこうしようものなら、今頃は天国にでも旅立っているだろう」
「…………、何が目的なのだよ」
男の言葉はもっともだと感じた緑間は、質問を変える。
「目的か。ララクとその連れの妖精、アンカルジアが随分と興味深い話をしていてな。つい気になって触れてしまっただけだ」
「触れた……? それだけで意識を奪えるというのか……?」
男の話を聞くにつれ、緑間は今目の前にいる男が相当危険な者であるという実感が沸き、冷や汗が背を伝っていくのを感じていた。
「お前は人間だろう? ならば何故、ララクの正体を知っていながら関わりを持ち続けているのだ?」
「……俺はララクを仲間だと思っている。天使だとか皇女候補だとか、そんなこと関係ないのだよ」
男の機嫌を損ねるのはまずいと踏んだ緑間は、刺激をしないように質問に答えていく。
「ほう……、そこまで知っているのか。しかしまだ足りん。その皇女候補というものだが、今までに一度として設けられたことはない制度だ。では何故設けられたと思う?」
「今までに一度もなかった……?」
男の口から出てくることは、どれも緑間が知りえないことばかりだった。そのため、ついオウム返しをする形になってしまう。
「なんだ、そのことは知らんのか。人間である貴様が天使を仲間だと思っていても、天使であるララクは人間を仲間だと思っていなんじゃないのか? ククク、まぁいい。して、答えは?」
「…………、双子だから設けられたのか?」
緑間は反論をしようとするものの、何故か男の言葉が異様に胸に引っかかった。そのため、言葉をぐっと堪え、問いにのみ答える。
「なるほど、ラクアには出会っているようだな……。半分にも満たない程度の正解だ。まあ事情を知らないならば、今の答えは及第点だな。いいだろう、教えてやる。…………もしララクが死んだならば、ラクアが皇女になれると思うか?」
「っ!」
具体的な例に、緑間は身構える。しかし男は何をするわけでもなく、代わりにラースフェルドが口を開いた。
「ありえない。堕天使が皇女に選ばれるなど、天地がひっくり返らない限りない。主が調べたことじゃないか」
「そうだ。今回の天界の候補制度、本来はする理由などどこにもなかったはずだ。何故なら、ラクアの方が圧倒的に力量を携えているからだ。さらに今までにも双子を産んだ歴代皇女は存在している。ならば、双子だからという理由で候補制度を設ける必要があるか? 答えは否、双子などとはただの苦し紛れの言い訳だ」
「……、候補とは名ばかりで、ララクの皇女になる未来は決まっているというのか?」
「ご名答だ。頭がいい奴は話が早くて助かる。だがどうやら残念なことに次期皇女、ララクは人間に恋をしているそうでな? 今の皇女が聞いたらどんな歪んだ顔をするのか、想像するだけでなかなかに愉快だ。実の娘がどちらも穢れた存在になってしまったのだからな」
緑間の理解の速さに気をよくしたのと、ララクの帰り道の会話の内容を思い出しながら、男は楽しそうに口角を上げている。ただ、緑間にはもう男の態度はほんの少しも目に留まらなかった。ララクが人間の誰かに恋をしているという一言に、自分でも理解できないほど動揺していた。
「ララクには……、好きな人がいたのか……」
ポツリとつぶやいただけだったが、口にすると少しずつ実感が沸き始め、言い知れぬ苦しさが緑間の胸を襲った。
「あまりに興味深い話だったので詳しく聞こうと触れてしまったが運の尽き、意識を奪ってしまったという……、聞いているのか?」
明らかに上の空状態の緑間に気づき、男は声をかけ直す。緑間はその言葉に現実に戻されたようにびくりと体を震わせ、おぼつかない様子で言葉を交わした。
「なんでもないのだよ。……その意識を奪うとは、どういうことだ?」
先ほどのララクの好きな人のことも気にはなるが、それ以上に男の言う“意識を奪う”とはどういうことなのか、そのことを知るほうが重要だと踏んだ緑間は質問する。
「あぁ……、別に昏睡状態にしているわけではない。表現として一番近い言葉を上げるならばそうだな……、脱力と言ったところか。本来は力を奪う程度しか俺も持ち合わせておらんのだが、まさかその程度で意識まで手放すとは思っていなかったからな。とにかく、命に支障をきたすことはないから安心するがいい」
「そう、か……」
緑間は自分の腕の中にいるララクの顔色を見て、確かに男の言うとおり、永遠に眠り続けるというよりは疲れ切って寝ているように見えた。
「貴様、名は何というのだ。ここまで俺に恐れず言葉を交わせる人間がいるというのは想像以上に愉快なものだったぞ」
男は思い出したように名前を尋ねる。その瞳は希少なものを見つけたと言わんばかりに愉しそうだ。
「……、緑間真太郎なのだよ」
緑間は少し躊躇ったが、素直に名乗った。
「ほう……? 貴様が真太郎なのか、それは愉快だ。これから先、どうなるのかを見ていたいのはやまやまだが、俺にもせねばならんことがあるのでな。ここに来たのも探し物ついでではあったが、かなりの収穫もあったことだ、俺はここらで去るとしよう。……と、俺も名乗っておこうか」
男がニッと笑うと同時に強い風が吹き始め、羽織っている紅樺色のチェスターコートが風でなびく。緑間は顔をしかめながらも男を見据えると、そこには先ほどまで楽しそうに会話をしていたとは思えないほどに威厳溢れる男の姿があった。
「我が名は魔界現14代目魔王、アクセル・フォン・ローゼンバウムだ。次からは気軽にアクセルと呼ぶことを許可しよう。……また会ういつの日か、それまでに男に磨きをかけておけ、真太郎よ」
最後に名を言い残し、アクセルはラースフェルドを肩に乗せ、コウモリのような暗黒の翼を翻し、夜空へと姿を消した。
「今のが、皇女と対をなす存在である魔王なのか……?」
悪魔であるだろうという予想はどことなく出来ていた緑間ではあったが、まさか敵方の長とは思うわけもなく、想像以上にフランクだったことには驚きを隠せなかった。ただ、最後の姿だけはまさに魔王であると思わせるほどの風格を感じた。アクセルが去っていった夜空を見上げながら、先ほどの会話を思い返す。ララクが次期皇女であることが確定している事、さっきまで話していた男が敵方の長であること。どれも大きな話であったにも関わらず、緑間の心を大きく乱したのは、ララクには好きな人がいるということだった。今、まさに自分の腕の中で疲れた顔色で眠っているララクを見つめ、しばらくした後、首を左右に振った。
「何を動揺しているんだ。別にララクが誰かを好きになろうと、俺には関係ないことなのだよ」
声に出して、緑間は無理やり自分に言い聞かせる。緑間自身、なぜ自分がここまで動揺しているのかが分からないのだ。そしてその答えを与えてくれるものも、どこにもない。
「んっ……」
短いうめき声とともに、うっすらとララクの目が開く。まだ意識ははっきりしないようで、目は虚ろだ。
「あ、れ……。しん、たろ……さ……、どうして……」
はっきりとしない瞳で捉えた人物の名を呼び、何が起こったのか把握しようと重い口を開く。
「意識が戻ったか。起きても平気なのか?」
緑間の腕の中で起き上がろうとするララクを見て、まだ意識がはっきりとしていないことを悟った緑間は声をかけた。
「んん……、だるい、です……」
アクセルが残していった言葉どおり、ララクは気怠そうに顔をしかめながら、まるで布団を被るように緑間の胸に顔をうずくめる。
「っ! ララク、しっかりするのだよ。オレは布団ではない」
ララクのいきなりの行動に緑間の胸は高鳴る。しかし、それと同時にアクセルの言った“ララクには好きな人がいる”という言葉が緑間の心を苦しめた。
「うぅ……ん……。私……、あっ……! やだっ……!」
やっと意識がはっきりとし状況を飲み込んだララクは、焦りと恥ずかしさで緑間から急いで離れようとした。だが体はまだ本調子ではなく、ただもぞもぞと動いただけで、お姫様抱っこをされた状態は変わらなかった。
「(これだけ焦って嫌がるということは、やはり好きな男がいるからなのか?)」
「(ど、どうしよう……。真太郎さんがこんな、近くに!)」
お互いが別のことを考え、気まずい沈黙が二人の間に流れた。
「いたた……。うぅ、首がズキズキする……」
そんな時、ララクのお腹の上で意識を失っていたアンカルジアが首筋を押さえながらのろのろと起き上がった。
「アンカルジアも、意識を失っていたの……?」
「えぇーっと……。そ、そうだよ! ララク、怪我はない!? 何もされてない!?」
アンカルジアは意識を取り戻すや否や、悲鳴に近い声を上げながらララクの心配をした。突然のことにララクはもちろんのこと、緑間も目を丸くした。
「お、落ち着いてアンカルジア。ちょっと体がだるいだけで、なんともないよ」
「ほんとに? どこも痛くない? …………、じゃぁ、あれは見間違いだったのかな……。ううん、でもあの時確かに……」
今度はアンカルジアがぶつぶつと独り言を言いながら記憶をたどりだした。その雰囲気に、緑間は何故アンカルジアがここまで深刻そうにしているのかが分かった。それは恐らく、先ほどまでそこにいたアクセルのことだ。この数週間前に天使と悪魔の熾烈な戦いを目の当たりにしていた緑間は、その二種族が顔を合わせようものならその先に起こることぐらい、容易に分かることだったはずだ。しかし、アクセルと話している時は不思議なことに、何度か張り詰めた空気にはなったものの、殺されるとは微塵も感じなかった。
「あの、それより真太郎さん。その……お、降ろしていただいても……」
「す、すまない!」
次から次へと起こる出来事に対応しきれず、いつまでも抱き上げたままの状態をようやく解決する。
「そういえば、なんで緑間がララクを抱っこしてたの?」
アンカルジアが当たり前の疑問を緑間にぶつける。その問いに対してどういうべきかしばらく悩んだ後、緑間は帰宅しようとしたときに倒れたララクを抱えている男を見かけ、不審に思い声をかけたこと。それが魔王アクセルであったこと、そしてララクの意識を奪った力のことを伝えた。皇女候補のことや、想い人については伏せて。その話を聞いたララクの顔は青ざめ、アンカルジアも険しい表情だった。
「……やっぱり、ララクを襲ったのは魔王だったんだね。アタシが意識を失っちゃったのはきっと魔王に仕えてる妖精にやられたんだと思う」
「真太郎さん、本当にごめんなさい。私のせいで、とても危険な目に……。なんてお詫びしたらいいのか……」
「いや、こんな言い方は変なのかもしれないが、命が危険に晒されているという感じは一度もしなかったのだよ。敵の長だと分かっていてこんなことを言うのもなんだが、いきなり襲い掛かってくることはなかったし、きちんと対話は出来るという印象だったのだよ」
「そう……なんですか?」
予想外の言葉に、ララクもアンカルジアも顔を見合わせて困惑した。
「本当に魔王だったのかな……。アタシが天界に居る時に聞いた魔王なんて、そりゃもう残虐非道なことを平気でやる奴だって教わったんだけど。あぁでも、アタシも一瞬だけど顔を見てるし、あれは確かに魔王だったように思うし……」
「でも、姉様を堕天させるように魔物を仕向けた張本人なのでしょう……?」
話を繋げていけばいくほど、いままでのイメージと実際のイメージがかけ離れていき、頭の中が混乱する。ララクは考えることを一旦止め、緑間に対して向かい合った。
「真太郎さん。今日は助けてくださってありがとうございました。お礼は後日、必ずしますので……、その、今日は……」
「あぁ、今日は一人でゆっくり休むといいのだよ」
「はい……、何から何まですみません……」
「気にするな。あんなことがあれば、誰だって混乱するのだよ。……それじゃ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
こうして二人は自分の家へと帰った。

「あっ……」
自宅に足を踏み入れてから、篠菜の言葉を思い出した。
「ん? どしたの、ララク」
「真太郎さんに気持ちを伝えるの、忘れてた……」
「もぉー、またそれ? ……まぁ、ララクの初めての好きな人だから応援はしたいけど ……。でも、フラれるって分かってて気持ち伝えて、どうするの?」
「ん……」
靴を脱ぎ、とぼとぼと歩いて自室の扉を開き、ベッドへ倒れこむ。その背中にアンカルジアがちょこんと乗り、座った。
「告白してふってもらって、それで踏ん切り付けてラクアを探して、天界に帰ろうって思ってるんでしょ」
ララクは何も言わない代わりにこくんとひとつ、頷いてみせた。
「それで、本当に緑間のこと諦められるの?」
「好きじゃないって言われたら、諦めるしかないよ……」
「いつまでそうやって甘えるの?」
「えっ……」
アンカルジアの言葉の意味が分からず、ララクは言葉を詰まらせた。
「だって、踏ん切り付けるだけなら別にフラれなくても、自分から距離を置けばいいだけの話じゃない。それですぐになんとも思わなくなればその程度の気持ち、つまりただの思い込みだったってことになるでしょ」
「…………、そっか」
「アタシはね、友達が出来たり好きな人が出来たりして、ララクが成長していく姿を見るの、すごく嬉しいよ。でも……、相手を考えないといけないときもある……」
ララクはアンカルジアの言葉がすごく的を射ているように思った。わざわざ緑間に不快な思いをさせるより、自分から距離を置いてみて、一度は自覚したものの本当に好きなのか、自分でもよく分からないこの気持ち自体がなくなってしまえば勘違いだったということで混乱も生まずに済む。それに、なによりも自分のことをこれだけ暗示してくれるアンカルジアをこれ以上、悲しませたくなかった。
「アンカルジア、ありがとう! なんだか胸のつっかえが取れた感じがする。よーし、そうと決まれば明日からは一人で登校して、真太郎さんと距離を置いてみるね」
「うんうん、こういうのは焦るものじゃないよ。周りに言われるから好きなのかもって勘違いもよくあることだからね」
「そうなんだね……。なんだかすっきりしたらお腹空いてきちゃった。ご飯にしよっか」
「やったー!」
こうしてララクは、緑間と距離を取り始めた。

次の日の朝……。
「よ、ララクちゃん。今日はちょっと早めに学校に着いたから遊びにきたぜ。……ってあり?」
「ララク、おは……よう……?」
「高尾さん、篠菜さん。おはようございます」
いつもと違うことに篠菜の挨拶には疑問符が浮かべられた。高尾も何かが足りないという感じで、他の二人も挨拶を忘れ、異変が何かすぐに気づき、それについて問いかけた。
「ララクちゃん、今日は緑間と一緒に登校じゃないんだ?」
「あ、はい。ちょっといろいろあって、距離を置くことにしたんです」
「えぇっ!?」
ララクの言葉を聞いて一番驚いたのは篠菜だった。昨日の帰り、ようやくララクが緑間への気持ちに気づいて、てっきりうまくいったものだとばかり思っていたからだ。
「(……ちょっと篠菜、話が違う)」
「(い、いやだって! あの二人だよ!? 絶対うまくいくって思うじゃん!)」
昨日の帰り道の話を聞いていた朱夏が篠菜に詰め寄る。
「(呆れながら見てた俺が言うのも信憑性に欠けるかもしれないけど、二人は上手くいくと思ってた……)」
「(隆二もそう思うでしょ!? てかあの二人でうまくいかないならこの世でカップルが成立する人間なんていないってぐらいだったもん!)」
「(そ、そこまでは言わないけど……)」
「(いやでも、ぜってーあの二人は両想いのはずだって! オレも見ててそー思ったんだぜ?)」
今にもララクの耳に入ってしまいそうになる声の音量をぐっと抑え、なんとか小声で話しを進める篠菜たち。しかし、焦っている四人を尻目にララクは特に気にする様子もなく、いつも通りだ。
「……ねぇララク。昨日のこと、篠菜から聞いたの」
朱夏は埒が明かないと踏んだのか、直接ララクに聞くべく声をかけた。その様子を三人は固唾を呑んで見守った。
「昨日のこと、ですか?」
「……そう。……緑間と、何かあったの?」
「あ……、それは、えっと……「ララク!」
質問に対してどう答えようかと考えている時教室の扉が勢いよく開き、名を呼んだ人物が大股でララクの近くまで来た。その様子を皆は何事かと思い、教室内は静まり返った。
「どういうつもりなのだよ! いきなりなんの連絡もなく一人で登校するなど……、何かあったのではないかと本気で心配したんだぞ!」
静まり返った教室に、怒りの混ざった声が響き渡った。誰もがその状況に口を開けず、ただ黙って見守る事しか出来ない。それは呼ばれた本人のララクも例外ではなく、何が起こっているのか分からないといった感じだ。
「おい、なんとか答えたらどうなのだよ!」
「ご、ごめんなさい……。その、私……真太郎さんと距離を置きたくて……」
「…………、何……?」
ララクの言葉を聞いて、今度は緑間が呆然と立ち尽くした。
「ちょ、二人とも落ち着いて……、ね?」
流石に険悪なムードになったのを感じ取った篠菜がなんとか場を濁そうと口を挟む。しかしもう時すでに遅く……。
「まさかお前がそんな身勝手な奴だとは思わなかったのだよ。もういい……、勝手にしろ」
緑間はそう吐き捨て、自分の席についた。ララクはそんな緑間の後ろ姿をバツが悪そうに、それでいてこれでいいのだと自分に言い聞かせるように胸に手をあて、何か言うことはなかった。こうしてチャイムが鳴り、高尾は気になるのを堪え自身の教室に帰り、篠菜たちも様子を窺う事しか出来なかった……。

二人の間の空気は最悪のまま、昼休みを告げるチャイムが鳴った。生徒たちは弁当を持って教室を出ていくものや友達を呼びに教室の入り口に立つ者、食堂へ向かう生徒たちでごった返した。
「あの二人、あれからどーなった……って、聞くまでもねーか……」
朝と同じように人混みをかき分け、高尾が教室へとやってくる。肝心の二人はというと、ララクはカバンごと持ち、教室を出ようとはするものの人の流れが激しく、おろおろと出られずに足止めを食らい、緑間は自分の机に弁当箱を広げようとしている。
「どーしたもんかなぁ……。っていってもまあ、やることはいつも通りの強行手段なんだけどね」
篠菜はふふんと鼻を鳴らすと無理やり自分の机を緑間の机に寄せる。
「……なんなのだよ。今日はお前たちと仲良く飯を食うほど暇じゃないのだよ」
今までに聞いたことがないほどのドスの聞いた緑間の声に、さすがの篠菜も少しびくりとするが、それにひるまず声をかける。
「まーまー、そう言わずに。ほら、みんなで食べながら話聞いてあげるからさ」
「話すことなど何も……最後まで話を聞くのだよ」
追い払おうと話しかけた緑間の前にはもう篠菜の姿はなく、呆れて物をいうのも馬鹿馬鹿しくなったように首を振った。それを見守っていた高尾たちは、緑間が席を立って何処かへ行こうとしないのを一緒にご飯を食べてもいいと解釈し、机を寄せ合った。そして篠菜はというと……
「ララクー。一緒にご飯……ん?」
教室から出ていこうとして人混みに押され、なかなか教室から出られないララクに声を掛けようと近づいて、ララクが誰かと話しているのが分かり、声をかけるのをやめた。
「(あれは確か、隣のクラスの男子だったかなー?)」
そんなことをぼんやりと考えながら、何を話しているのか耳をそばだてた。
「ちょっと大事な話があるからついてきてほしいんだ」
「大事な話……ですか? 分かりました」
「ありがとう、じゃぁ行こうか」
「あっ、待ってください!」
大事な話があるから、と男子はララクの手首を掴み、ララクの静止も聞かず強引に引っ張っていくように人込みへと消えていった。
「なんか変な感じだったなぁ……。まぁ、用事があるなら仕方ないか……」
こうして篠菜たちは、ララクを除いた五人で昼食を取ることになった……。

「んで、緑間は何をそんなにララクに対して怒ってるわけ?」
ウィンナーを頬張りながら、篠菜は緑間に朝のことを尋ねる。
「朝、ララクにいったとおりなのだよ」
「……連絡もなしに、勝手に登校したこと?」
「そうだ」
「そりゃ、ララクだって用事とかあれば一人で登校ぐらい……」
もう夏休みまで1週間前となった今、つまりは3か月以上登校してきている道だ。さすがのララクも道は覚えているし、今までにも何度か一人で登校している姿は見かけたことがある。主に日直に当たった時だが……
「もしかして、その時は必ずララクちゃんから連絡があったとか?」
「そうだ」
「ブッ! マジ律儀すぎだろララクちゃん。あーでも想像できちまうところがまたなんつーかこう、人柄を表してるよなぁ」
隆二の問いかけに淡々と答える緑間と、その姿がすぐに浮かび上がるララクの日頃の行いを思い出し、高尾は肩を震わせている。
「……それなら、確かに心配」
事情を理解した朱夏は、朝の緑間の言葉を思い出し、同情する。
「今日の真ちゃんかっこよかったぜ。告白してるみてーだったもん」
「あー、確かに!」
「何故そうなるのだよ!」
「そりゃ、真ちゃんはララクちゃんが心配であんだけ怒ったってことなんしょ? んなら、そんだけ想ってるってことじゃん?」
「フン…………」
高尾と篠菜はニヤニヤしながら緑間を茶化す。それがまた気に障ったようで、緑間は口を閉ざしてしまった。
「そうなると、今度はララクちゃんの行動が不可解だよなぁ……」
「……どうして緑間と距離を置きたいのかが、分からない」
うーん……、とみんなが首をひねりだす。
「昨日、なんかあったとか?」
「たまたま家の前であったが、避けられるようなことをした覚えはないのだよ」
「そーなると、謎は深まるばっかりだなぁ」
緑間に心当たりがないとなると、こればかりは誰もがお手上げ状態だった。
「……やっぱり、篠菜がララクの気持ちを掘り返しすぎたのがいけなかったんじゃない?」
「うへぇっ、痛いとこ突くなぁ……」
篠菜自身、いくらからかうのが楽しかったとはいえ、昨日は少しでしゃばりすぎたと後悔していた。
「あーそっか、昨日はララクちゃんと篠菜が一緒に帰ったんだっけか。どんな話したんだ?」
「高尾、それは愚問だぞ。こいつが吹き込むことなんて、恋愛話しかないからな」
「ぐっ……、隆二のくせに生意気だと言いたいが、事実だから言い返せない……!」
ギリリと奥歯を軋ませながら、悔しそうにする篠菜。しかしこの話題に食いついたのは意外な人物だった。
「……恋愛、か」
「え、何。真ちゃん興味あんの?」
「別に、ただ少し……気になることがあっただけだ」
まさかの発言に皆が目を見張り、お互いにアイコンタクトを送り合う。
「ど、どんな気になることがあったの……?」
「……ララクには好きな人がいると、昨日聞いたのだよ」
「ぶふっ」
「Oh……」
ご飯を口に含んでいた隆二はむせ、篠菜は額に手をあて、声にならない音を上げた。
「……それって、ララク本人から聞いたの?」
「まぁ……そうだ。独り言が耳に入ってきた感じだが」
「だから真ちゃんはサルって言われるんだわ……」
「なっ! サルとは何なのだよ、サルとは!」
ララクの好きな人など、ここにいる四人は全員一致の人物を思い描いている。ただ一人、その張本人だけは理解できていないようだ。
「なんか、ララクが距離を置くようになった理由がどことなく分かったわ」
「……そうだね、さすがに恥ずかしかったと思う」
「むっ、分かったのならさっさと教えるのだよ」
この手の会話にいつもは興味なさそうな緑間も、ララクが絡むと気になるようで言葉を急かす。
「緑間、その独り言を聞いた後に普通にララクと会話した?」
「まあ、軽くだが」
「そりゃダメだわ。オレだったらぜってー恥ずかしくて一緒に居られねーわ」
「俺も無理だ……」
「何が恥ずかしいのだよ」
好きな人に、自分には好きな人がいるということを聞かれたとなれば、誰だって恥ずかしくなってしまうものだと考えた四人は、ララクの行動を理解した。本当は見当違いなのだが、この時は誰もそれを知るすべはなかった。
「仕方ない。こうなれば緑間にも同じ思いをしてもらうしかない」
「どういうことなのだよ」
ニタァっと薄気味悪い笑顔を浮かべた篠菜は、緑間に話し始めた。
「緑間はララクのことどう思ってるわけよ」
「……ララクは誰に対しても人事を尽くす、見所のある奴なのだよ。だからこそ、今日の行動は度し難いのだ」
「ふぅーん、じゃ、ララクには好きな人がいるって聞いたとき、動揺したんじゃないの?」
「な、何故分かったのだ……?」
全く脈略の繋がらない会話の仕方に、緑間はつい反応してしまう。
「(篠菜って前後の会話はさっぱり噛み合ってないのに、何故か問いに対して答えてしまうような絶妙なタイミングで聞いてくるんだよな……)」
「(……あれは、天賦の才能だと思う)」
「(ほー、オレには真似できねーなぁ)」
三人はこそこそと話しながら、二人を見守る。
「だって緑間、ララクのこと好きでしょ?」
「なっ……、何故そうなるのだよ!」
さらっと事実を伝える篠菜に対して、緑間はその言葉を否定する。
「いや、いい加減気づけよ真ちゃん」
「……今までの態度で分かる、篠菜の言葉は真実」
「本当、緑間もララクちゃんも、自分の気持ちに疎過ぎだって」
緑間の頭の中では、篠菜に言われた“ララクのことが好き”という言葉がぐるぐると回り続けた。
「ララクの好きな人がいるって言葉を聞いて、胸がきりきり傷んだでしょ? なんとも言えない気持ちになったでしょ? 言い表せない不安と、どうしたらいいか分からない気持ちが出てきたでしょ?」
「っ! 何故、そこまで分かるのだよ……!」
昨日から感じている、言い知れぬ思い。胸の奥につかえている感じが、篠菜の口から代わりに吐き出されたような気分だった。
「そんなの簡単だよ。だって顔に書いてあるもん」
そういって篠菜は緑間の顔を指差し、ニカっと笑って見せた。
「ほんと、いままでの真ちゃんはマジで面白かったんだぜ? 顔に好きですって出てるのに、 当の本人とその相手のララクちゃんだけ全く気付いてない状態だったんだからな」
今までの日常を思い出し、高尾はまた肩を震わせる。
「見てるこっちが恥ずかしいぐらいだったな」
「……ここまで自覚がないのも、ある意味すごい」
ここまで言われて、さすがの緑間も自分の気持ちに実感が沸き始め、穴があったら入りたいといった様子で、照れ隠しをするように機嫌がさらに悪くなっていく。篠菜は満足したようにニヤニヤしながら、これからどうするのかを緑間に聞いた。
「で、いつ告白するの?」
「……待て、ララクにはもう好きな人がいるのだろう? ならこの気持ちに気づいたところでフラれるのは目に見えているのだよ」
「ギャハハハ! マジなんでこんだけ話して真ちゃんは分からねーんだよ! いやまあ、これでこそ真ちゃんって感じだけどさ」
ここまでの話の流れで行けば両思いだということが分かってもいいはずなのに、しっかりと口にして伝えないと理解できない辺り、やはり恋愛には疎いままの様だ。しかしそれに関してはさすがに当人たちの問題なため、ララクも緑間のことが好きだとストレートに言うことは憚れた。どうしたものかと悩んでいた時、篠菜の脳裏にララクが隣のクラスの男子とともに何処かへ行ったことが霞めた。
「しまった!」
「ど、どうしたんだよいきなり……」
突然声を荒げがばりと立ち上がった篠菜にみんなびっくりし、目を見張った。
「お昼のチャイムが鳴った時、ララクをご飯に誘おうと思ったんだよ」
「おう、呼びに行ってたのはみてたぜ、結局駄目だったんだろ?」
「それがさ、ララクに断られたからっていうより、隣のクラスの男子が大事な話があるから来てほしいって呼びに来てたから仕方なく諦めたの」
「……そうだったんだ、篠菜にしては引きが早いからおかしいとは思ってたけど」
篠菜ならララクの言葉になど耳も貸さず、強引にいつものメンバーでご飯を食べるようセッティングしていただろう。
「あの男子、確かララクのこと好きだったはず……。大事な話があるって言ってたし……、あぁくそ、なんで勝手に用事だと思い込んだんだあたし……!」
「落ち着けって、ララクちゃんは誠実な子だし、自分が好きでもない人に了承はしないだろ?」
「バッカ! だからこそまずいんじゃない! あんた、この学校で誰が一番モテるか知ってんの!?」
情報通の篠菜はいろんなクラスに友人を持ち、毎日のようにたくさんの話が耳に入ってくる。勿論それは誰がどの部活に所属しているかということから、誰がどの子を好きかという恋愛話まで様々だ。
「言いたいことは分かったけどさ、それなら今までにも何度か経験してるだろうし、心配ないだろ?」
「ないよ! ララクは一番モテるけど告白されたことは一度もないはず!」
「……どうして?」
小説ではあるまいし、話によく聞くファンクラブなどがあるという話は聞いたことがない。だから誰か一人ぐらい、ララクに告白したことがある人物がいても不思議ではない。
「緑間が男除けみたいな役割を担ってたからだよ。あれだけ仲が良かったらあたしたちだけじゃなく、周りだってそういう関係なのかなって思うだろうし、さすがにその間に入り込もうなんて輩はいなかったんだよ。でも今日の朝、クラスのみんなが聞いている前で盛大に喧嘩みたいなことしちゃった挙句、ララクが距離を置きたいなんて誤解を生むような言い方するから、話はすぐにみんなの耳に入るんだよ! これから嵐のようにララクの奪い合いが始まるどころか最悪、無理やり手を出してしまおうって考える奴も出てくるんだよ!何としてでもことが大きくなる前にララクを保護しないと! 実際、さっきのララクを連れてった男子はあんまり素行もよくないって話を聞くし……」
篠菜の畳みかけるような説明を聞き終えた皆は一斉に立ち上がり、ララクを探すべく教室を後にしようと緑間が扉を開いた時だった。
「きゃっ。ご、ごめんなさ……真太郎さん!?」
「ララク!」
ちょうど教室に戻ってきたララクと鉢合わせした。カバンを肩に下げ、右手で左手首を押さえている。目はほのかに赤みがかり、肩も震えているように見える。その様子にいち早く気づいた緑間はララクを教室に入れ込み
「ララク、その押さえている手首を見せるのだよ」
「や、嫌です!」
「いいから見せるのだよ!」
無理やり右手を離させる。そこには真っ赤に痕がついた左手首が露わになった。
「ちょ、ララクちゃん! これどうしたの!?」
それを見た皆は息を呑み、各々がララクを心配した。
「何をされたのだよ」
「な、何も……」
「目が赤いのは何故だ?」
「赤くない……です」
「肩が震えているぞ」
「今日は肌寒い……から……」
あまりの嘘のへたくそさに緑間は呆れ、溜息をひとつ吐く。
「怖い思いをしたのだろう?」
「あっ……」
ララクは気づくと緑間の胸の中にいた。その行動には篠菜たちも驚きはしたものの、気を利かせて静かに廊下へと出て行った。いつも教室にはほとんど人の姿はなく、今日に限っては今まさに二人きりだった。
「ララク、今日の朝はいきなり怒鳴ったりしてすまなかったのだよ」
「私も……、連絡もなしに勝手なことして、ごめんなさい」
緑間はそっとララクを離し、お互いの顔が見えるように視線を合わせる。
「ララク」
「……はい」
名前を呼ばれ、改めて返事をする。
「好きなのだよ」
緑間の口から出てきた言葉が理解できず、ララクは何度も瞬きを繰りかえす。
「……えっと、誰のことをですか?」
「この状況でララク以外の誰がいるのだよ……」
「…………、えぇっ!?」
ようやく理解すると、今度は魚のように口をパクパクさせ、顔はみるみる赤くなっていく。
「返事を聞いてもいいか?」
「…………。……私も真太郎さんのこと、好き、です。でも……」
言葉を続けるか悩み、そして口を開いた。
「あ、の……。私……“人間じゃない”んですよ?」
人間じゃないという言葉を口にするとき、ララクの顔は曇る。
「なら逆に問うのだよ。オレは“天使じゃない”が、いいだろうか?」
「えっ……あっ。そっか……、気にしたことなかったです……」
「フッ、オレもなのだよ」
そういってもう一度、緑間はララクを抱きしめた。ララクもそれに答えるように、小さな体を精いっぱい伸ばし、緑間の背中に手を回す。こうして、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた……。