時は巡りて、繰り返す……。かつて歴史を紡ぎし者は、その飽くなき意志により新たなる旅立ちを再び選んだ。汝らには再び歴史を紡ぐ者の守護者として、旅立ってもらおう……。
さあ、今こそ新たに歴史を紡ぎ、歴史の担い手の手助けを。そして、悪魔としての資質を示して見せよ。それが果たされた時こそ我は汝らに呼びかけ、誘うであろう。
この歴史の、最後の舞台へと。
往くがよい。歴史は汝らを求めている……。
「全てが砂に飲まれてしまった」
幼い男の子の声が、淡々と述べた。
男の子の目の前に広がるのは一面が砂漠の世界。ところどころに建物らしき残骸や、まるで人間同士の紛争があったと思わせるように武具が散らばっている。
そんな砂漠の中心に、幼い男の子と女の子が佇んでいる。
「まただ。また、世界を救えなかった……。これで何度目だろう? あと何度、こうして砂に消えるんだろう……」
男の子の声は、耳を傾けなければ聞こえないほどだ。……それほどに小さな声で、弱々しく囁いている。
「姉さん……。ボク、もう疲れたよ……」
「……そうね。でも、諦めちゃだめ。わたしたちが、やらないと」
姉さんと呼ばれた幼い女の子の声も弱々しく、それでも成し遂げなければならないという使命を口にする。
「やらなければ、世界は……」
「……うん、そうだね。ボク達がやらないと」
姉の言葉に一瞬表情を曇らせた男の子だったが、それを振り払うように新たに決意する。しかし、不安は依然ぬぐい切れていないようだ。
「だけど、本当に出来るのかな。この世界を救うなんて……」
「分からない。だけど、今は信じるしかない」
幼い女の子は小さい息を吐き、言葉を続ける。
「さあ、やり直しましょう」
「……そうだね、やり直そう。ボク達の力は、そのためにあるんだから」
そういうと幼い二人はまばゆい光に包まれ、いつの間にかその姿はどこにもなかった。
「今度こそ、正しい歴史を……」
二人の声が重なる。
砂漠化し、滅んだ大陸の名はヴァンクール。
何もかもが砂の中に埋もれて消えゆく滅びの世界。百余年前に謎の滅亡を遂げた帝国、そこから始まった異変は大陸を砂の世界に変えていく。
西から迫る砂漠化……。残り少ない緑の土地を求めて、大陸は激しい戦争に飲まれた。大陸の東に位置するアリステルという国は、西の大国の侵略により厳しい状況に立たされていた。
「どこだ、ここは」
「さっきの感覚、経験したことがある」
そんな滅びゆく定めにある世界へ二人の悪魔がやってきた。
雨の中で赤いコートをなびかせ、中に黒と赤を基調とした衣装を着こなす無精ひげの良く似合うダンディな男性と、これまた歳以上に大人びた……というよりは、どこか表情の掴み切れない女性だ。
「おそらくだけど、どこか別の世界に来てしまったのだと思う」
「Hmmm.言われてみれば、でかい樹があった所に行った時も感じたな」
「理解が早くて助かる。いつも思っているけど、おっさん……というよりダンテ全員、頭の回転は速い。ただ、おっさんに関してはすぐに煽って事態を悪化させる事に輪をかけている」
「随分言うようになったじゃねえか、ダイナ」
どうやらダイナとおっさんが異界の地へと足を踏み入れてしまったようだ。その割にはいつも通り……いや、それ以上に気の抜けた問答だ。
事務所にやってきた当初はうまく距離を縮められなかったダイナだが、今では二人きりでも何ら問題はない。それよりもおっさんと随分と親しくなったと感じているダイナは躊躇いなく辛辣な言葉を並べる。それにご立腹なおっさんは少し乱暴にダイナの二の腕を掴み、引き寄せる。
「悪い事を言うのはこの口か?」
「痛いっ……頬を引っ張るのは、なし」
腕を引っ張って体勢を崩し、ダイナの頬をすかさずつねるおっさん。
「ん? なんだ、聞こえないぞ?」
とぼけるようにダイナの口元に耳を寄せ、もう一度聞き直す。……もちろん聞こえてないわけもなく、何を言っているかもわかっていてだ。
「ごめんな、さ……!」
たまらず抗議の声をあげるが聞いてもらえず、しばらくつねられ続けるため、痛みに耐えるしかないのだった……。
「……! いま……」
「ああ、血の匂いだ。それも新しい」
バカなことをしていると、どこからか血の匂いを感じ取ったらしい。先ほどまでのおふさげモードは一転し、周囲の警戒を強める。
辺りに見えるのは木々たちの緑と、雨によって増水した川。その川は濁流のようになっている。
「下流に行くか」
「異論なし。……急いだ方がいい」
二人は何かを見つけたようで、下流へと急ぐ。
そこには……。
「こんな所で……俺は……」
赤き装束を纏った一人の男性が、血を流しながら倒れていた。
「貴方、意識はある?」
「おいおい、随分と派手にやられてるじゃねえか」
二人は駆け寄り、男性に声をかける。
「レイニー……マルコ……」
誰かの名前をうわ言のように繰り返している。……近くに仲間がいるのだろうか。
「今、傷を…………!?」
ダイナが赤い装束を纏った男に触れようとしたとき、突如気配もなく目の前に現れた幼い男の子と女の子。それと同時に目を開けていられないほどの光に包まれ、その場には誰もいなくなってしまった……。
「ここは……」
男性の声につられてダイナとおっさんを目を開く。するとそこは、階段が無数に伸びている世界だった。先ほどまでいた森林の中ではないどころか、あまりにも不可思議すぎる空間だ。
「俺は……死んだのか……?」
「……いいえ」
そこには先ほど気配もなく現れた二人の子どもが立っていた。
「誰だ……!」
「来ましたね。白示録(びゃくしろく)の使い手よ」
「ようこそストック、君を待っていたよ。……それから、異世界の者たち」
幼い男の子はそう言って、赤い装束の男性──ストックの後ろに立つ二人、おっさんとダイナを見てそう声をかけた。
「なっ……いつの間に……」
ストックは自分の後ろにも人がいるとは思っていなかったようで驚いている。それに対しておっさんはすまし顔で何も言わず、ダイナは軽く頭を下げるだけで言葉は発さなかった。
「子どもに……知らない人間に……。ここはなんだ、どうなっている……?」
もちろん、ストックの持っている疑問は当然二人も持っている。だが、ストックと二人の差が何かといえば、このような摩訶不思議な経験をしているか否か、といったところが大きいだろう。
ダイナ自身はこうして知らない世界へ転移してしまうのは初めてではないし、おっさんに関しては自分で経験したのも含め、異世界からの住人を何人も受け入れているので今更驚くべき事柄でもない。その受け入れている人物
は自分の過去や未来なのだが。
とにかく、経験しているという差は大きい。
「姉さん、やはり彼は……」
幼い男の子はストックの言葉に表情を曇らせている。その顔はどこか寂しそうで……残念そうだ。
「……そうね。分かってはいたけれど」
幼い女の子もまた同じく、どこか寂しそうで……残念そうだ。
「……質問に答えてもらおうか」
不可解すぎる出来事ばかりだが、ストックは頭を切り替えて情報収集を始めることにしたようだ。これを二人も良しとし、話に耳を傾ける。
「わたしはリプティ」
「そしてボクはティオ」
謎に包まれた幼い二人の子どもが名乗る。
「……ここはどこだ」
「ここはヒストリア」
リプティとティオはヒストリアと呼ばれるこの場所について説明してくれた。
ヒストリアとは、操魔の力によって生み出された時の狭間の世界。そしてストックは白示録の正当な所持者としてヒストリアへと招かれたらしい。
これにストックは首を傾げ、白示録という本が何なのかを問う。
「白示録とは、時を操る魔力を秘めた古の操魔の書……」
「白示録と所持者は今、長い眠りから覚醒し、ヒストリアへの扉を開いたんだ」
「……何のことを言っている?」
ストックはリプティとティオの説明も突拍子がなさ過ぎて、うまく処理しきれていない様だ。
おっさんとダイナも特に口を挟むことなく話を聞いているようだが、よく分からないと言った感じで困った顔色を浮かべている。
「そうだろうね。それは当然の反応だよ」
「落ち着いて、状況を一つ一つ理解していってください」
状況把握という目的を与えられたストックがまず初めに疑問に持ったのは、自分は一体どうなったのかということだった。彼はパロミデスという人物と戦い、深手の傷を負ってしまったらしい。
そう。ダイナたちが見つけた時にストックが血を流していた原因だ。……もっとも、その血が川を流れているのを見つけたため、ストックを発見するに至ったのもまた事実だが。
「……キミは、任務に失敗したんだ。仲間を殺され、キミ自身もパロミデスに敗れて……」
その言葉にストックは現実を突きつけられたように落胆し、少し沈黙の後、そうだったな……と一言発した。かと思えば、今度は仲間を失った現実に激情した。
「俺は何もできないまま、レイニーとマルコを失った。……だから! だから部下なんて、仲間なんていらなかったんだ!」
これにおっさんは真剣な眼差しでストックを見つめていた。ダイナはストックの言葉に、心を痛めた。
誰にだって守りたいものがある。それを失う苦しさは、この場にいる全員が経験をしている。……そしてその全員が、大切なものを守り切れなかった者たちばかりだ。
「俺があの時、北に向かうといったばかりに……クソッ!」
そしてストックは、自分の判断ミスにより仲間を失った。幼い頃に大切な人を失った二人よりも、その心にのしかかる責任や苦しみは計り知れないほどに大きいはずだ。
そんな彼に意外な声をかけたのはリプティだった。
「そうですね。その通りです」
これにはどういう意味だとストックが疑問符を浮かべる。
「分からないかい? キミがあの時北へ抜けた……。そのことがまずかったんだ」
「あの時、あの場所で歴史は決定された。でもあなたはそこで正しい道を選べず、それを行う力さえなかった……。だから、この悲しい結末になってしまった」
リプティの言葉は、まるで誰かの手によって未来を決定されているように感じられる。……そんな言い方だ。
「……では、あの時もし南に抜けていたら……」
そんなたらればの言葉に、ティオは肯定の意を示した。
「……だから何だ! 今更どうにもならない……。それに南は封鎖されていた! 北へ行くしかなかった! 俺たちの運命はあそこで袋小路になっていたんだ!」
彼の怒りはもっともだ。全てが終わってしまった後で“あの時こうしていれば”なんて、どれだけ考えても結果は変わらない。……死んだ者は、生き返りはしない。
「そうです、ストック。その認識は正しい。それは……発想を変えれば、先を生きる方法を見つけられたということです」
「お前たち……何を言っている?」
あまりにも現実離れしすぎている二人の子どもの言葉に、ストックは思考が追い付かない。
それに対し、おっさんはなんとなくリプティとティオの言いたいことを察していた。
白示録の使い手として選ばれてたストック。そして、まるで未来を知っていれば過去を変えられると言いたげな幼い二人。そこから導き出される答えは一つしかない。
「結論から言おう、白示録の使い手ストックよ。キミには、世界の運命を決する使命と、そのための力を与えられた。過去の歴史を変え、あるべき歴史を作る力だ」
「無数にある可能性の中から“正しいもの”を選び出し……それらをつなぎ合わせ、歴史を“正しい結末”へと導くのです」
白示録と呼ばれる操魔の書を使えるようになったストックは、過去をやり直せるようになったという。その言葉にストックは一瞬希望の色を見せるが、すぐに否定した。
当然の反応と言えばその通りだ。過去をやり直せるなど、そんな話を誰が信じられるだろうか。
「どうやら、キミには論より証拠らしい。……実際にやってみよう」
「本気なのか……!?」
ストックは信じていない。それでも過去をやり直せるといい、ティオは言葉を続ける。
「それに……これこそがキミの願いじゃないのかな? 過去に戻れたら……もう一度やり直せたなら……と」
過去をやり直したい。
そう願うのはきっとストックだけではないだろう。彼は、そんな誰もが羨む力を手にしたのだと言われている。
「……だったら、もう一度聞いておく。俺は、レイニーとマルコを助けられるのか?」
「それが……正しい結末につながるのならば」
「行くんだストック。キミがやるべきことのために」
ティオとリプティをしっかりと見た後、一度目を閉じ、深呼吸する。
「……待っていろ、二人とも。次こそは、助けてみせる!」
仲間を助ける決意を胸に、ストックはここに来た時と同じ光に包まれ姿を消した。
「……大体の話は分かったが、俺たちがここに呼ばれてる理由はなんだ? 白示録なんて本、持ってないぞ」
ストックが去ったヒストリア内で、おっさんがようやく口を開く。
このヒストリアと呼ばれる場所に来れるのは白示録の所持者であるということや、その所有者がストックであるということ。そしてその本には過去を変えられるという凄まじい力が秘められているということは把握できた。
……のだが、その内容はどれもおっさんとダイナがこの滅びゆく大陸ヴァンクールに来た理由や原因にはかすらない。さらに言えば、白示録を持たない二人がこのヒストリアに来られているという事実もおかしい。
「ごめん。どういった因果でキミたちが呼ばれたのかは、正直ボク達にも分からない。……それでも、どうかストックに力を貸してあげてほしい」
「……あなた達には、白示録の使い手ストックに危険が迫ったとき、その現状を打開する守護者となってほしいのです」
これにはおっさんとダイナは顔を見合わせ、悩んだ。
あまりにも自分たちへの見返りがない。……というのもあるだろうが、何よりストックや、リプティとティオのことを知らなさすぎる。
確かにおっさんはDevil May Cryというなんでも屋の店主ではあるが、善人ではない。彼が気の乗らない仕事や割に合わないと思った仕事は請け負わない。
しかしストックという人物が何者であるにしろ、彼が自分たちが元の世界に帰る為の鍵を握っているということを感じているおっさんは、とりあえずの提案をする。
「さっきの……そうだな、俺ほどではないがそこそこにイケてる男を助けることで、俺たちにどんないいことがある?」
いつも通りの軽い調子で話を聞く。
「あなた達にとって良い事かは分かりません。ですが一つ言えるとすれば、彼が死んでしまえば、あなた達が元の世界へ帰る手立てがなくなってしまう。……そのことだけははっきりと言えます」
これにはダイナが目を丸くした。そしてすぐに無表情になり、言葉を並べる。
「選択肢がないこと、理解した」
「……ま、乗り掛かった船だ。仕事として請けてやっていいぜ」
もちろん選択肢がない以上、ダイナもおっさんと同じ意見のようだ。おっさんは腕組をして話を聞く体勢を取る。ダイナも持っていたジェラルミンケースを足元に置き、身体から力を抜いている。……彼女なりの警戒を解いたという意思表示だ。
「ありがとう、そう言ってもらえると心強いよ」
「ストックは今回のことだけでなく、これからも幾度となく困難な壁に突き当たるでしょう」
「それは本来存在しないはずの出来事まで含まれる。そうなった時、こちらも対抗出来るものが欲しい」
「存在しないはずの出来事……?」
終始不可解な言い回しをする幼い二人。
気になった言葉をつい口にするダイナの横腹をおっさんが小突く。話が進まなくなるから質問は最後に、という意味でだ。
……だったのだが、横腹を突かれたダイナはうずくまる。どうやらおっさんは“小突いた”つもりのようだが、ダイナにとってはかなり重かったようで、涙目になりながらおっさんを睨み付けている。
「つまりは、俺たちに不測の事態に陥ったさっきの男を救えってことだな。……具体的には?」
「ストックが不測の事態に陥った場合、わたし達が感知できます」
「感知したらその場にキミ達を送る。……申し訳ないけど、ストックやその仲間への状況説明とかは、キミ達の方からしてあげてくれ」
ストックを助けてほしい、なんて言う割にはなかなかに丸投げのティオ。これにはおっさんも苦笑いだ。ダイナもどこか読めない顔色を浮かべるが、とにかく出来ることをするために足元のケースを持ち上げる。
そんな話をしていると、リプティとティオの長い耳がピクリと動く。
「さっそく、あなた達の力を借りることになりそうです」
「打開方法はキミ達に任せる。……ストックを頼むよ」
するとダイナとおっさんもストックが消えた時と同じ光に包まれ、姿を消した。返事を待たずして送り出すリプティとティオは、なかなかにやり手なのかもしれない……。
「バリケード!? 道が塞がれているよ……!」
「こんな重いもの、みんなで力を合わせても動かせるかどうか……。やっぱり北に抜けたほうがいいんじゃないかな?」
「駄目だ! 北に行ったら……」
ダイナとおっさんが光で目をやられ、視界が遮断されている間に聴覚から情報を得る。
聞こえてくる声はストックのものと、後は男女一人ずつ。ストックの言っていた部下、レイニーとマルコという人物だろうか……?
ようやく視力が戻りダイナとおっさんが目を開けると、目の前にはかなり重量のあるバリケードがいくつも見受けられる。だが肝心の声の主たちはいない。
「この向こうにいるってことか」
「これをどけるのが私たちの仕事。……とはいえ、私はこのバリケードを壊すほどの威力が出せない」
「なら少しばかり、はりきってやろうか」
見れば、おっさんは籠手と具足を着けている。衝撃鋼ギルガメスで粉砕するつもりのようだ。バリケードの前に立つと腰を落とし、力を溜める。それと同時にフェイスマスクが装着される。
これにはダイナも距離を取る。ジェラルミンケースを構え、いつ破片が飛んできてもいいように備える。
「Humph!」
おっさんが気合を入れてバリケードを殴る。
「……? おっさん、何してる?」
「なんだこれ、壊れねえぞ」
が、傷一つ付いていないバリケードたちが目の前に。
「今はわたしとティオが時を止めてこの世界に姿を現しているので、全ての物事は止まっています」
「おいおい、いきなり出ばなを挫かないでくれよ」
当然のようにどこからともなく姿を現したリプティに、おっさんが小言を一つ。バリケード越しからはストックとティオの話し声が聞こえる。
「どうだいストック、過去に戻った感想は。……とはいえ、どちらに進んでも袋小路だ。楽な道のりはない。そこで、この状況を打開出来る人物をキミに授けたい」
「人物……さっきの二人組のことか?」
「察しがいいね、彼らはこのバリケードの先で待機している。時間が進みだしたらすぐにバリケードが壊れるはずだ。……後はうまくいくことを祈っているよ」
「……そういうことです。どうか、彼のことをよろしくお願いします」
リプティが姿を消す。おそらくティオもストックの前から消えただろう。
それと同時に爆音が鳴り響き、バリケードが木っ端微塵になる。時が流れ出したためギルガメスで殴った衝撃が今、反映されたようだ。
「きゃあ! な、何!?」
「うわあ!?」
「っ……! 道が……」
前が見えなくなるほどの煙が晴れるとバリケードの破片が散乱し、道が出来上がっている。その先にはギルガメスをしまうおっさんと、ジェラルミンケースで顔を守っていたダイナがいる。
「敵!?」
ストックの部下である女性が慌てて槍を構える。
「おっと嬢ちゃん。矛先を向ける相手を間違えてるぜ」
そう言っておっさんは武器を向けられているのにも関わらず後ろを向く。するとおっさんが向いた方から、騒がしい足音がいくつか聞こえてきた。
「いったい何の……バカな! どうやってバリケードを抜けてきたんだ?」
「橋の方に追いやる手はずではなかったのか!?」
どうやら先ほどの爆発音で敵に気付かれてしまったらしい。しかし、敵にとっても南側を抜けられるというのは想定外だったようで、明らかに動揺している。
「二人とも、そいつたちはグランオルグ兵だ! 気を付けろ!」
「ストック! あたしたちも早く加勢を……!」
声を荒げながらストックとその部下たちがダイナたちの元へ駆け寄るが、おっさんがそれを静止した。
「ここは俺たちに任せてもらおうか。……目の前の奴らに聞きたいこともあるんでな」
「いくらなんでも無茶だよ!」
「おっさんがいるから平気。それに貴方達には護衛者がいる。……違う?」
護衛しなくてはならない人物がいるという言葉にストックは躊躇う。
見ず知らずの彼らを本当に信じていいのか? レイニーやマルコのように、何も出来ずに見殺しにしてしまうのではないか? そんな不安がストックを襲う。
そうして、彼が下した決断は……。
「……すまないがここを頼む! 決して無理はするな!」
「ストック! 本気なの……!?」
「走れレイニー! マルコも急げ!」
二人にここを託し、部下を連れて護衛対象を保護することを優先したようだ。レイニーとマルコは納得していない様子だが、隊長であるストックに従い走る。
「良い選択だ。どうやら見た目もさることながら、頭も切れるようだな」
「気を付けて」
おっさんは皮肉を忘れず投げかける。ダイナは敵とストック達の間に立ち、先へ行くための道を作る。
「行かせるな! ここを突破されたら逃げられるぞ!」
無論、敵側もこちらを逃がさんとばかりに道を阻もうとしてくる。
「おっと、動くなよ? 動いたらこの剣がお前たちを貫く」
敵は、こちら側からやってくる想定をしていなかったために人数が少ない。そのため、無尽剣ルシフェルによって作り出された宙に浮く無数の赤い剣が周囲に設置され、身動きを取れなくなってしまう。
「なんだこれは……?」
「質問に答えてもらおうか。……お前たちは何だ。何故さっきの男を狙う?」
敵が目の前にいるというのに、おっさんは相変わらず余裕の態度で声をかける。ダイナもそれを止めることなく、相手の言葉に耳を傾けている。
「ふさげるな! 我々グランオルグとアリステルが、緑地を求めて戦争をしているということを貴様らは知らんのか!」
「そうだ! 我々は常に砂漠に飲まれる恐怖に怯えているというのに、貴様らアリステルの住民どもは緑豊かな土地で裕福に暮らしている! そんなことが許されるものか!」
残り少ない緑の土地を求めて戦争をしているということを知った二人。……だが、このグランオルグ兵達の言葉はどこか、引っかかるものがある。
「……緑を求めて戦っている割には、随分と大掛かり」
「当然だ。グランオルグの土地を捨て、自分たちだけ良い暮らしをしようとしている貴様らには、地獄を見せてやらなきゃならないからな!」
一人の兵士の言葉に、周りの人間たちの士気も上がる。
……どうやらグランオルグ兵達は本来の目的以上に、自分たちより質の高い生活をしている相手を叩き潰したいという欲求を満たすために戦っているということがよく分かる。
これにはおっさんは呆れ、ダイナは蔑んだ目でグランオルグ兵を見る。
「人間のような悪魔もいるが、悪魔のような人間もいるとは、よく言ったもんだな」
「おっさん、私たちはデビルハンター。……悪魔を狩るのが仕事」
「ああ。……相手が悪魔であるなら遠慮はいらない。ダイナの言う通りだ」
聞きたいことを聞き終え答えを出した二人は、グランオルグ兵に対して改めて武器を構え直す。その中でおっさんはフェアに戦えるようにとルシフェルをしまおうとしたとき、相手は動いた。
「こんなものハッタリだ! 幻覚か何かを見せているだけだ、惑わされるな!」
隊長と思しき人物はそう言って、宙に浮く赤い剣を無視しておっさんに斬りかかろうとした。
隊長が剣に触れた瞬間爆発が起こり、そこには人間と思われるものが散らばり、周囲の者たちは赤い液体をその身体で受けた。赤い液体はおっさんの顔に飛んだり、ダイナの白いブラウスを赤色に染めた。
兵隊たちは一瞬事態が把握できなかったが、次第に何が起こったのかを悟り、身体を強張らせた。
「おいおい、折角どけてやろうとしてたのに突っ込むなよ。……ま、手間が省けていいか」
「残りも掃討する」
物騒な言葉を淡々と言い、ダイナは左手で腰に提げている拳銃──ブランを手に取り、他に浮いている赤い剣を撃ち抜く。
刺激を与えられた宙に浮く赤い剣たちは先ほどと同じように爆発する。その中心に囲まれる形でいた兵士たちは逃げることはおろか、悲鳴を上げることさえ出来ずに人としての形を失った。
「さて、掃除は終わったわけだが、この後どうすればいいんだ?」
「ストックの後を追う?」
二人が頼まれていることはストックを危機的状況から守ってほしいということ。今それを成し遂げたため、これからどうするべきかの方針が定まらない。ストックの後を追ってもいいが、彼らが進んだ先の方からは敵の気配を感じられないため、無事に突破していると思われるが……。
するといきなり、二人はまばゆい光に包まれる。……どうやら目的が達成されたため、リプティとティオの方で二人のことを回収してくれるようだ。
つまりそれは、ストックたちも無事にアリステルへ帰還したということの証拠だ。
こうして、ラズウィル丘陵には誰もいなくなった。
ヒストリアへと戻ると、ストックが先にリプティとティオと話していた。どうやら、このヒストリアや白示録、そして幼い二人についての詳しい話をしている様子。
過去を変えられたのはこの幼い二人の力ではなく、白示録の力であるということ。リプティとティオはヒストリアの案内人というだけで、彼女たち自身がストックを過去に戻したわけではないという。
ヒストリアの案内人たちは書の所有者に、書の正しい使い方を教えるのが役目だそうだ。しかし、ストックはそれを拒んだ。彼自身がこの力を望んで使ったのは、変えたい過去……つまり守りたいものがあったからこそだ。そうして彼は見事過去を変え、守りたいものを守った。
……守ったこと自体は喜ばしい事でも、そもそも歴史を変えられるという凄まじい力を秘めたものが、何故存在しているのか? 時間を自由に行き来し、歴史を変え放題……。
そんなものがあっていいのか? これはストックだけでなく、おっさんやダイナも気になることであった。
「その言い方は正確じゃないね」
歴史を変え放題という言葉に否定の意を示したのはティオだった。
彼が言うには“自由に”行き来することは白示録をもってしても不可能だという。
どういった基準で決められているのかは白示録にしか分からないというが、どうやら“この時間になら戻れる”というポイントがあるらしい。それを歴史が決定される所……と呼んでいるそうだ。
つまりそれは、白示録が世界を救うために“必要でない”と判断した過去は変えられないということだ。……たとえ、そこでどれだけの人の死が関わっていたとしても。
だが、そういった制約があるのも頷ける。たとえピンポイントだったとして過去を変えられるというのは、今でも信じがたいほどに強力な力だ。
「決して万能ではないんだな」
「万能の力はあまりにも危険です。何か“間違い”があった時、万能の力では止めようもありません。だから、書を作ったものが制約を与えたのです」
書を作ったものがいる。……これにピクリと反応を示したのはダイナだった。
先ほどの兵達からの話をまとめれば、この大陸は砂漠化が進んでいるせいで緑を求めて戦争をしているという。ならば何故、これほどの書物を作れる人間がいながら、砂漠化を止める原因が見つかっていないのか? これが分からなかった。
「それと、重要なことが一つある。歴史が決定される所は、キミの体験によって生まれるんだ」
「となると……俺が体験していない歴史には移動できないのか」
「そういうことだね。……あと、今回キミのことを助けてくれた後ろの守護者二人も同じだ。ストックが体験していない歴史には行けず、手伝うことは出来ない」
ティオの言葉にストックは後ろをチラリと見やる。どうやら今回は気づいていたようで、驚いている様子はない。
驚かないストックを見ておっさんはバレていたか、なんて調子で、バレているなら口を挟むかと質問した。
「なんで俺たちはこいつの体験した過去には行けて、自分たちが体験した過去には行けないんだ?」
「……詳しくは分かりません。恐らく白示録の正当な所持者ではないことと、異世界から来てしまったが故の事態。……わたし達はそう見ています」
「……妥当な見解、仕方のないこと」
ヒストリアの案内人であるリプティ達ですら分からないというのであれば、今のダイナ達にどうにか出来ることではない。なら、今は頼まれたようにストックに協力し、自分たちの世界へ帰る為の手段を失わないことが先決だ。
「待て。……異世界とはなんだ?」
「彼らはヴァンクールの住民ではありません。……どこか遠い、砂漠化していない世界から……どういうわけかこの世界へ来てしまった人達」
「だけど安心して。彼らはストックを助けてくれると言ってくれた。……キミの仲間として、迎えてあげてほしい」
「砂漠化していない世界が……存在するというのか」
後ろに立つ二人もヒストリアの案内人と同じく、かなり普通の人とは違う感じがあるが、ストック自身も白示録という書の使い手として選ばれただけはあるようで、このとんでもない現実を受け入れつつあるようだ。
「ま、お互い深い詮索はなしにしようぜ? というか、俺たちも分かってないことだらけだからな」
「……分かった、先ほど助けてもらったこともある。深くは問わない」
「ありがとう。こちらも貴方のやり方には口を挟まないこと、約束する」
お互いに条件を了承したようで、ヒストリアの住人に視線を戻す。
「それからストック。キミの身体の傷のことを話しておこうか」
ストックは今回の歴史の選択で、パロミデスと戦う歴史を歩まなかった。それでも、身体に付けられた傷は消えていない。そのため、アリステルにたどり着いたときに気絶してしまったという。
「時間には二種類ある。世界の時間と、キミの時間だ。白示録で世界の時間を過去に戻しても、キミの時間は戻らない」
「俺の傷は、俺の時間……。だから消えないのか」
「そうです。あなたはいくらでも過去をやり直せますが、もしあなた自身が倒れた時は、もう二度とやり直せない」
「……なるほどな、だから俺たちにストックを守ってほしいと頼むわけか」
“間違った”歴史を変えられるストックが死んでしまった場合、世界は“正しい”歴史を辿れなくなる。どうやらヒストリアの住人はそれを恐れ、ダイナとおっさんにストックの守護者を頼んだようだ。
……得体のしれない人物にそんな大事なことを頼んでいいのか? 普通のものならばそう考えるのだろう。
だがリプティとティオは、今までに一度として存在していなかった二人だからこそ、ストックの手助けを……そして世界を救うための鍵であると信じ、お願いした。
頼まれた二人はリプティとティオの真意までは分からない。それでもストックが死ねば自分たちも元の世界に帰れないと言われている以上、協力しないという選択はない。
それにどことなくだが、彼は放っておけない。目を離すと全て一人でこなしてしまおうとするような、そんな危うさがストックにはある。
「あと、キミ達にお願いがある」
「この白示録のことを誰にも口外しないで欲しいのです。たとえそれが、どんなに近しい人であっても」
「人々がこの書のことを知ることは決して、いい結果を生まないでしょう」
この書の力を人々が知れば、この力をめぐって新たな争いが起こるだろう。ただでさえ少ない緑を求めて戦争をしているような世界だ。当然、そういった危険は安易に考えられる。
「分かった。……だが、元の持ち主はどうする? もともと白示録は俺の上司から渡された物だ。奴がこのことを知らないとは考えにくい」
白示録を所持していた人物がストックに譲ったというのは、何やら気になる。過去に戻れるという力を知っているならばなおさらだ。
「それでも話すべきではありません。その理由を……わたしたちからは言えませんが」
「貴方の上司を私は知らない。だけど、その本を譲ったというのは、引っかかる」
リプティの意見に賛成だと、ダイナは口を開いた。その言い分にはストックも同じことを考えていたようだ。
「……黙っていることは承知しよう。だが、何を隠している?」
この書には、他にどれだけの秘密があるのか。そして何故、持ち主であったストックの上司に言うべきではないのか。
「ごめん、それは話すことが出来ない。話せないことと、ボクらの事情が関係することは認めるけどね。制約上、ボクらは必要以上に誰かに肩入れすることは出来ないんだ」
「ここでわたしたちが話さないことが、あなたの身を守ることにつながる……それが今言える、ギリギリのところだと思ってください」
これ以上はもう言うことがないと、リプティとティオが目を閉じる。……これ以上はどれだけ聞いても、答えてくれないだろう。
「誰にでも言えないことはあるものさ。そう干渉してやるな」
意外にも根掘り葉掘り聞いてこないおっさんの態度に、リプティとティオはホッとした表情を浮かべ、他の話題に入った。
「白示録を使って過去に戻ったとき、歴史を変えるときは、あくまであなた自身の意志でなくてはなりません」
「……」
しかしストックは違う。おっさんやダイナと違って彼は当人だ。リプティとティオを見つめる目には、疑いの色が見える。
「疑う気持ちはよく分かる。だけど世界はキミの力を必要としている。これだけは、間違いない事実だ」
「お願いです……。わたしたちも、出来る限りあなたを導くから……」
「ついでに俺らが守ってやる」
そうして沈黙が訪れる。
ストックは一人一人の顔をじっと見て、ゆっくりと口を開いた。
「……いろいろと信じがたいし、お前たちがまだ何かを隠しているようだが……とりあえずは分かった。俺は白示録を使って歴史を変えられる。そしてこのことを秘密にする。……これでいいな?」
それに合わせるように、ダイナも喋った。
「私とおっさんも口外しないこと、誓う」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」
「ではストック。いずれまた、会いましょう……」
そうしてストックは光に包まれ、姿を消した。
「守護者たちは、ストックに危険が迫るまでここで待機だ」
「だったら、出番がないことを祈るばかりだな」
なんて呑気なことを言っておっさんはその場に座る。完全にお休みモードだ。
「……自己紹介、忘れてた」
そんな中ダイナは一人、ストックに自分の名を名乗っていないことを思い出すのだった……。