何でも叶える薬

 業務が始まったと同時にブレイクは何も言わずに席を立ったかと思えば、一冊の本を持って帰ってきた。
「今日対応するのはこいつだから、読んでみて」
 渡された本を受け取り、表紙を確認する。
 タイトルには『何でも叶える薬』と書かれており、ブレイクも言っていたとおり模様の近くには確かに宝石がはまっている。
「拝見します」
 開いてみると、内容は至ってシンプルな絵本だった。

 森の奥深くにある小さな村には“何でも叶える薬”と呼ばれる薬があるという噂がありました。
 その薬は村の中にある誰も住んでいない古びた空き家の中に一本、ぽつんと置かれていると言います。
 しかし、その空き家には決して入ってはならないと言い伝えられており、誰もがこの言いつけを守り、空き家には入りませんでした。
 ある日、村に住んでいる一人の子どもが好奇心を抑えられず、その空き家に入ってしまいました。
 空き家の中には古びた机が一つだけ残っていて、その上にぽつんと一本の小瓶が置いてあるだけでした。
 「これが“何でも叶える薬”だ!」
 そう言って、子どもは小瓶の中に入っている液体を全て飲みました。
 この子には病気で苦しんでいるお母さんを助けたいという、叶えたいことがあったので、躊躇うことはありませんでした。
 ──それから。
 “何でも叶える薬”を飲んだ子どもは村から姿を消しました。……一体、何があったのでしょう?

「これで終わりですか?」
 拍子抜けだった。
 絵本なので、たくさんのページ数があるわけではない。だからこそ、こういったものは起承転結がしっかりしていなくてはならないというのに、この終わり方はあまりにも釈然としない。
 それだけではない。フォールンが作った絵本だということも考慮すると、あまりにもレベルが低い。
「終わりだけど。……ああ、もしかして絵本の出来にも期待してた? それについては諦めて。まともな物語の書かれた唯一の本なんてないから。これなんてマシな方だよ」
 ブレイクの説明を聞いたアンジュは目に見えてがっかりしていた。
 もちろんこれは仕事のために必要なことだということを忘れているわけではない。だが危険書庫に指定されて隔離されていたこともあり、内容もそれだけ危険なのだと思っていただけに落差は相当だった。
「まあ、本番はここからだよ。一応、絵本の内容は覚えておいて。もしかしたら君の助けになるヒントになってるかもしれないから」
「分かりました」
「じゃあ、行こうか。本の中に」
 ブレイクがアンジュの手から『何でも叶える薬』の絵本を取り上げ、机の上に置く。そして表紙に触れて本の中に入りたいと強く念じてみてと言われたので、言われたとおりにすると……。

 先ほどまで本棚に囲まれていた場所とは全く違っていた。
 周りには絵本に描かれていた簡素な家屋がいくつかあり、周りはたくさんの木に囲まれている。これを森だと認識するのにそうはかからなかった。
「本当に、絵本の中なの?」
 こんな簡単に先ほど読んだ物語の中に入れることにアンジュが戸惑っていると、後ろに誰かが立つ気配を感じ取り、慌てて振り返った。
「どう?」
「えっ?」
「本の中に入った感想」
 どうやらブレイクも同じように入ってきたみたいで、一人ではないことに安堵するとともに、本当に本の中に入ったんだという時間が沸きはじめ、アンジュはその眼を輝かせながらブレイクに答えた。
「すごいです! 本当に入れてしまうなんて……! あっ、でも、遊びじゃないんですよね」
「遊びじゃないよ。今からこのフォールンの望むことをしてやるんだ。俺はいつも手荒だけど、今回はアンジュもいるし、正攻法で行くつもり」
「いくつか方法があるんですか?」
 ブレイクの言い回しが気になったのでアンジュは問う。するとブレイクは先ほど絵本で読んだ空き家に足を進め始めながら話してくれた。
「フォールンへの対処法はいくつかある。一つ目はそれぞれが望むことをしてやって満足させてやる方法。これは各々で望みが違うから、覚えるのが大変だ。その代わり、危険は少ない」
「唯一の本に住み着いているフォールンは全てが別個体だから、望みが違うんですね」
「もう一つは物理的にダメージを与えて鎮圧する方法。手荒だけど全てのフォールンに有効だ。並みの腕じゃ勝てないけど、出来て損はない」
 思っていた以上に手荒な方法だとアンジュは緊張する。フォールンの実力は今のアンジュには全くもって未知数だ。そしてきっと、レダはその強さを知っているからフォールンたちに怯え、危険だと総じているであろうことは想像がつく。
「ブレイクさんは、いつもどのように?」
「全部鎮圧してる。わざわざ奴らの望みを叶えるなんて、そんなことはしてやらない」
 この時のブレイクは楽しそうに笑っていた。
 圧倒的な力で相手を捻じ伏せることに快感を覚えていると言わんばかりの笑みに、アンジュは初めてブレイクを怖いと思った。
 しかし、その実力があるからこそ今まで専属司書として危険書庫の管理を任され、自信があるから新米である自分を連れて本の中に入ったのだと思えば、頼もしくもあった。
「私もいつか、ブレイクさんのように強くなれますか?」
「それは無理かな。ある程度までは保証するけど、俺と同程度になるのは無理」
「どうしてです?」
「さてね、それは秘密。あと、本の中だからって身体が強化されるとかもないから、気をつけて。君は変わらず普通の人間の能力しかない」
 確かめてみようと思って飛んでみたり、自分の頬を叩いてみたりしたが、ブレイクの言っていることは本当だった。
 飛んでみてもいつも通りの跳躍しかできないし、叩いてみた頬は痛い。
「……もし、本の中で怪我をしたらどうなりますか?」
「普通に血も出るし、痛いよ。致命傷を受ければ普通に死ぬ。でも、それはこの本の中だけの出来事。元の世界に戻ったら五体満足。怪我もないし、死んでもないから」
「それが聞けてすごく安心しました……」
 フォールンと会えることや本の中に入れるという非現実的な経験に胸を躍らせてばかりであったが、これはとても危険な仕事なんだとアンジュは自分に喝を入れる。
 それぞれのフォールンがどういった能力を持っているかは分からないが、どれも固有の能力を持っているということは聞いている。いつまでも遠足気分ではダメだ。
「着いたよ。この中にいる」
 言うが早いか、ブレイクは躊躇いなく空き家の扉を開く。中は埃が溜まっていて、居心地の良い場所とは言えない。中には絵本にあったとおり古びた机が確かに一つあって、その上にはまるで今置かれたかのような綺麗な水色の小瓶が二つ、置かれていた。
「あれ、二つもある……」
「こいつは本の中に入った人数分だけ出てくる。……さて、アンジュ。君ならこの薬をどうする?」
 どうするかと問われ、アンジュは自分なりの答えを出すため、本の中に入る前にブレイクに言われた言葉を思い出す。
 まず、本の中の世界は住み着いたフォールンが作りだしたもの。本の内容すらも書き換え、絵本にしてしまう不可思議な能力を持っていると推察できる。そして、この絵本にはフォールンの望むことのヒントになっていることもある、と。
「絵本に出てきた子どもは飲んでいました。その後どうなったかは分かりませんが……これはつまり、飲まれることを望んでいるのだと、思います」
「なら飲んでみるといい。大丈夫、危険そうだったら助けるよ」
 試してみろと言われると、流石に怖い。結局絵本にかかれていた子どもがどうなったのかは分からずじまいだったわけで、それを口にするというのは躊躇う。
 それに、こう言ったものは大抵何かしらの対価を求めてくるものだ。無償で“何でも叶える”なんていうのはあまりにも怪しい。
 それでも、フォールンの望むことをしなくてはならないのだ。ブレイクも言っていたが、最悪本の中で死んでも現実の自分が死んでしまうわけではないし、何よりブレイクが助けてくれると言っている。
 彼は全てのフォールンをその手で鎮圧し続けている強者だ。絶対、何とかしてくれるはず。
「飲み、ます」
 一瞬ブレイクは笑ったが、緊張しきっているアンジュには分からない。机の上にある小瓶を手に取って、折角なら何か願い事もしようと考え、そして一気に飲んだ。
「……っ、ん……? ……あれ、なんとも、ない?」
「飲んだ瞬間に効果が出るとは限らない。少し、ここで様子を見ようか。わざわざ外に出ていきたいとは思わないよね」
「はい……。子どもが消えた原因が分からないので、下手なことはしたくないです……」
 アンジュが飲み終えたのを見て、ブレイクも自分用の小瓶を手に取って弄びながら机に腰を掛ける。アンジュも釣られるように机に腰を掛け、いつやってくるか分からない変化に恐怖しながら空き家の中で時間を潰す。
「ブレイクさんも、飲むんですよね?」
「俺は飲まないよ」
「えっ!?」
「今飲んで下手なことになったら君を助けられないから」
「あっ。そう、ですよね」
 まさか自分で試したのかと嫌な考えがよぎったが、確かにブレイクの言うとおりだ。ブレイクが先に飲んで何かしらの異常を訴えても今の自分ではどうにもできない。だったらまだ、対処法を熟知しているブレイクが普通の状態でいてくれる方が安心だ。
 とにかく今は、気を紛らわせようと考えたアンジュは適当な話を振ることにした。
「あの、本の中に入ったことのある人って、ブレイク先輩以外にもいるんですか?」
「それは『何でも叶える薬』に限らずってことかな。いるよ、俺以外で今も生きているとすると、レダだけだけど」
「……他の、方は?」
「死んだ。俺が司書になる前は唯一の本の情報が圧倒的に足りなかった。だからたくさんの司書が無謀にも挑戦して、みんな死んだ」
「う、そ……! ブレイク先輩、さっき本の中では死んでも平気だって……!」
 そんなのは冗談じゃない。いくら鵜呑みにした自分が早計だったとはいえ、嘘をつくなんて信じられなかった。それも、薬を飲んだ後になってから明かすなんて……。
「本の中で死んでも元の世界に帰ればなかったことになる。嘘じゃない」
「じゃあどうして皆さんは死んでしまったんですか!」
「肉体的なダメージは消える。ただ“殺された”という精神的ダメージまでは消えない。ここで感じたことは全て引き継がれる。それだけだよ」
 言葉を失った。
 つまり、死んでも肉体は元に戻るが、ここで感じた痛みや恐怖は脳が覚えているということだ。そんな大事なことを何故もっと早く言ってくれなかったか……。
「ひどいです……。薬を飲んだ後に、そんな大事なことを言いだすなんて……」
「レダは君に再三注意を促していた。それでもやると言ったのは君だよ。それに、レダの前でも言ったけど、君のことは俺が守るから」
「それはっ……」
 確かに最終的な判断を下したのは自分だ。レダはあれだけ危険な仕事だと言っていたし、そもそも危険書庫として隔離しているほどなのだから、危ないに決まっている。それを今更になって死ぬかもしれないと聞かされて怖気づくのは、あまりにも覚悟が足りない。
 それでもやはり、怖いものは怖かった。
「ごめん、なさい……。今更になって、怖いなんて言って……」
「別にいいよ。俺も配慮が足りなかった。少なくとも、君は殺されることがないって分かっていたから勝手に大丈夫だと思ってた」
「私は……殺されない? どうしてそう言い切れるんですか?」
 これだけ危険だと言われているのに、何故自分だけは殺されないのだろうか? 慰めのつもりなのかもしれないが、流石に納得できなかった。
「確信してるからだよ。君には才能があるって」
 ゾワリとした感覚が背筋を駆けていく。ブレイクの瞳に心臓を射貫かれたような、奇妙な感覚。恋とかいう甘いものではなく、まるで物として手中に納められてしまったかのような得も言えぬ感覚だった。
「才能って、一体何の……んっ! ふっ、ぁ……!」
 突然変な声を上げたアンジュは顔をしかめて何事かと自身の体を触ると、今までに感じたことのない快楽が駆け巡った。
「ひぁぁ! あっ、やだっ……すみませ、んんっ、ひぅ!」
 いやらしい声が抑えられず、涙目になりながらも謝罪しなくてはと思い必死に言葉を紡ごうとすると、また甘い声が出てしまう。
「どうやら“何でも叶える薬”が動き出したみたいだ。……どんな感じ?」
「どんなって……あ、はぁ……。身体が、熱くてっ……や、あぁぁん! ちが、これは、あぁっ! ちがう、んです……!」
 自分の意志に反して手が動き出し、胸をまさぐる。鷲掴みにしたかと思えば乳房を刺激して乳首を固くしていくような動きにアンジュは驚いて自分の手を止めようと抵抗すると、鈍い痛みが身体を支配してくる。
「うっ、あぁ……。ブレイクせんぱっ……助け……」
「抵抗しないで。拒絶すると痛みで身体の自由を奪ってくる。そいつはアンジュの身体を使って快楽を得ることを選んだようだから、好きにさせてやるといい。痛みはないよ」
 わけのわからない説明に頭が混乱する。しかし、ブレイクの言うように抵抗しようとする度に身体中が痛む。逆に抵抗を辞めれば好き勝手に自分の手が動き回るという気持ち悪さはあれど、それを上回る快感が自身の手によって与えられる。
「なんで、こんな……はぁ、あんっ、んぁぁ」
「その薬自体がフォールン。つまり、この“何でも叶える薬”というのはその名で人を誘惑し、摂取させて体内に入りこむことが望み」
「なっ、なにそれぇ……。そんなの、卑怯じゃない、ですかぁ……!」
「どこまでもフォールン自身の成したいことに忠実なだけ。ちなみにそいつは宿主の体質で成すことを変える。例えば暴力的な人間の体内に入ったなら破壊行動を。臆病な人間の体内に入れば引きこもったりって感じ」
 ブレイクが丁寧に説明をしてくれているが、アンジュにとってはそれどころではない。抵抗するに出来ず、自らの手によってどんどん快感が溜まっていく。
 胸を揉んでいた両手はそれに飽きたかのように新たな場所に手を伸ばす。コリコリに固まった乳首を親指と人差し指が挟めば痺れるような感覚が股を刺激し、キュンとさせる。
「今回に限っては君がやらしいことを考えている女性だったからってわけじゃないけど……って、もう聞こえてないか」
「やあぁん! 乳首、そんなに引っ張っちゃ……! うぁぁ、あっ! み、見ない、でぇ……!」
 自分の手でこんなにも激しく身体をまさぐっているという事実だけでも恥ずかしいというのに、それをあろうことかブレイクの目の前でしているのだ。
 どうしてこうなっているのかをお互いに理解しているとはいえ、傍から見ればアンジュはオナニーをブレイクの前でしているのと変わらない。そんな考えが頭をよぎるとさらにあそこはキュンと切ない悲鳴を上げ、乳首をいじる指の速度は加速していく。
「ちが、違うんです……! わ、私、こんなっ……あああっ、んはぁぁ……」
「分かってるから気にしなくていい。存分に気持ちよくなって。俺は見てるから」
「見ないでくださいぃ! 恥ずかし、あぁぁ!」
「それは出来ない。見張っていないと“そいつ”が何をしでかすか分からないから」
 ブレイクの真剣な表情にアンジュの心が高鳴る。一方で彼女の身体を好き勝手にしているそれは何かを感じ取ったようで、一瞬止まった。そのおかげでアンジュは少しだけ息を整えることが出来た。
 だがそれもほんのわずかな出来事で、再びアンジュは自らの手で乳首をいじめ始めた。
「んはぁ……弾いちゃ、だめ……」
 どれだけ否定しても無駄だとは分かっている。悔しいが、分からされてしまった。
 恥ずかしくておかしくなってしまいそうだが、実を言うと命の危機は感じない。体内に入れてしまったフォールンは、とにかく身体を触りたがっているだけだというのは何となくだが伝わってくるのだ。
 しかし、この状態をブレイクに見られているというのは堪らなく恥ずかしい。目を離すわけには行かないという彼の言い分も確かに分かるが、それでも今だけは見ないでと訴えたくなる。
「あっ、あっ! 先っぽ、刺激しちゃ……! ああんっ!」
 少し痛みの混じった鋭い感覚がじわじわと快感に変わっていく。乳首に与えられる気持ちよさはどんどんと下腹部へ溜まっていき、気づけば自分でも分かってしまうほどにあそこは濡れている。そのことが更なる恥ずかしさを募らせる。
「おねが、い……はやく……満足してぇ……」
 ブレイクの前で遠慮なく乳首を弾き続ける指に、届かぬ願いを口にする。するとその思いが届いたのか、右手が乳首から離れた。
「あ……あっ!? だ、だめ! そこはっ……んあ! ああああっ!」
 びくりと腰が跳ね、あまりの気持ちよさに一瞬頭が真っ白になった。右手は胸から離れた代わりに秘部へと伸び、ズボンの中に入って下着越しから擦り上げたのだ。
「や、やぁ……先輩、の……前なの、に……」
 顔を合わせてまだ二日しか経っていない憧れの先輩の前で、だらしなくはてた自分があまりにも情けなくて涙があふれてくる。
 また、見られているにも関わらず、段々とそのことに気分が上がってきている自分の身体がとてもいやらしいものに思え、このままではいけないと感じた。
「何回かイったら願いを叶えられたことになるから、本の中から出られるけど」
「まだ……足りない……?」
「限界かな。じゃあ俺が片付けるけど、いい?」
 本の中に入った誰かがフォールンの望みを叶えるか、あるいは鎮圧すれば本の中から出られるという。
 つまり、どの道アンジュにはこのフォールンを体内に入れて望みを叶えてやるか、危険を承知で戦いに勝利する以外に本の中から脱出する術は無かったのだ。
 もう一本の小瓶を持って小屋から出ていったブレイクは、何かしらの方法でフォールンを鎮圧した。激しい快感を与えられたアンジュはこの時意識を手放していたため、ブレイクがどういった手立てを打ってくれたのかは分からない。
 しかし、今回のことで自分の考えが如何に甘かったのかというのをアンジュは痛感した。
 ブレイクがいなければ、どれだけ嫌がっても自分でどうにかするしかなかった。今回で言えば、戦いのイロハがないアンジュはさらに自身の体をまさぐらせ、オナニーをしなくてはならなかっただろう。
 そしてそれを成すことこそが、危険書庫管理室の専属司書の仕事なのだと身を以て知った。同時に、これらの仕事を永きに渡って一人で成しえ続けてきたブレイクへ、絶対の信頼と憧れを抱くのだった。