昨日と同じ今日。今日と同じ明日。
世界は繰り返し時を刻み、変わらないように見えた。
──だが、世界は既に変貌していた。
約二十年前に世界へと解き放たれたレネゲイドウィルス。そのレネゲイド自身が知性を得た結果、動物や植物、果てには都市伝説といったものが形を作り、考えというものを持つようになった。知性を得たレネゲイドはオーヴァードと同等か、それ以上の力を秘めているとされている。そしてそれは“レネゲイドビーイング”と名付けられ、オーヴァートの中でも区別されるようになった。
人智を超えた生まれ方をしている彼らは、近年より爆発的にその数を増やしている。
そして“人間を理解したい”という欲求を一際強く持つようになったレネゲイドビーイングはそれを満たすため、各々が考えた最良の手段を取っている。多様な手段を使って人間と変わらぬ生活を社会に紛れて送っている彼ら、または彼女らだが、人間なのかと問われると、口をそろえてこう返す。
自分はレネゲイドであり、人間ではない──と。
今も謎多きレネゲイドビーイングの一人が、仕事の関係で某国J州にあるダウンタウンよりやや離れた場所に位置する住宅街へ引っ越してくるのだった。
ダブルクロス──それは裏切りを意味する言葉。
Opening 01 Scene Player ──── おっさん
事務所内に響くタイピング音。ノートパソコンの画面を睨み付けるように凝視している二代目に、おっさんが声をかけた。
「二代目。そんなしかめっ面ばかりしてると、しわが増えるぜ」
「一言余計だ。……そんな顔をしていたか」
「それはもう、鬼の形相と言っていいぐらい」
相当集中していたのだろう。おっさんに指摘されるまで自分がそんな表情をしているなんてこれっぽっちも考えていなかった二代目は息を吐き、肩を軽く回す。依然表情が固い二代目を見て、また面倒事がこの街に流れ込んで来たことを察したおっさんは動きたくないことを主張するように、その腰をソファに深々と降ろした。
「お前は相変わらず……。まあ、いい。調査の方は俺が進めるから、若たちが帰ってきたら面倒を見てやってくれ」
特にネロのことを、と念押しする二代目に、露骨に面倒くさいといった態度を見せるおっさんだが二代目はそんなことには目もくれず、事務作業で使っている眼鏡を外し、いつものようにコートを羽織って事務所を後にした。
「面倒を見ろってもなあ。勝手に若いもん同士でバカ騒ぎしてるし、俺が出る幕は……」
「ただいま!」
おっさんの独り言をかき消すように、元気な声で帰って来たあいさつをするのはもちろん若。その後に続くようにバージルとネロも事務所に姿を見せる。
「あれ、二代目と初代は?」
あいさつが帰ってこないので二人がいないことをすぐに察知した若は、ソファを占領しているおっさんに声をかける。これに対しておっさんは説明するのも面倒くさいと思ったのか、手を振り返すだけだ。
「初代は確か、買い出しに行くとか言ってなかったか?」
「おい髭。二代目はどうした」
今朝の会話を思い出しながらネロが口を開けば、そうだったと若は納得する。一方バージルは初代のことより二代目がどこへ出かけたのか、そちらの方が気になるようだ。
「さあな。というか、ついさっき出て行ったばかりだぞ。すれ違わなかったのか?」
「すれ違っていたら問いかけるはずがないだろう」
「……確かに俺は居候の身だが、年長者は敬うべきだぞ。バージル」
バージルの元々の性格も相まって、こういった態度しか取れないことを知らないわけではない。それでもやはり、言葉はもう少し選んだらどうだとおっさんは注意する。
「今に始まったことでもあるまい」
「何調子のいいこと言って開き直ってるんだ。いいか? もう少しガキらしく……」
「なあおっさん! 今日もネロのレネゲイドコントロールの訓練、するのか? するんだったらその後でいいから、俺にも稽古つけてくれよ」
再び発言を遮られたおっさんは渋い顔をする。これを見たバージルは……。
「年相応の振る舞いが愚弟のことを指しているというのならば、俺は年相応でなくていい」
澄ました顔でそう言い残し、自室へと引っ込んでいってしまった。
「……本当、お前らって両極端だよな」
「そうかあ? 本質的には何も変わらないと思ってるけどな」
一体どこら辺が何も変わらないのか、小一時間問いただしたい衝動を抑えてネロは押し黙る。そういったつっこみをすればおっさんが腹立たしい笑顔を浮かべ、こっちの様子をそれはもう鬱陶しいほどに見てくるのが分かりきっているからだ。そう思ったから口を噤んだのだが、意外な発言をしたのはおっさんだった。
「若もバージルも、想ってることが同じなのは知ってるさ。それでももう少し、二代目や初代と同じように俺を扱ってくれてもいいだろ?」
「それは無理だって。俺だって無理だし」
「お前……さりげなく俺の事捨てやがったな」
心にも思っていないことをつらつらを並べるおっさんの姿は、自分に向けられていないものだと分かっていても妙な腹立たしさを覚えさせる。しかし、今はそれ以上に双子の想いが同じという言葉がネロは気になった。
「同じって、どういうことだ?」
「なんだ、気になるのか? ……ま、いつか坊やにも分かる日が来るさ。こっちの世界に居たらいずれ、な」
「だから、そうやって濁すのやめろよ」
「それより、さっそく稽古とするか。ほら坊や、余計なことを考えている暇があるなら今は少しでも早く力を制御して、大事な彼女さんを守らないとだろ?」
「おっし! 俺も付き合うから、一緒に頑張ろうな!」
結局はこうやってのらりくらりと質問はかわされ、答えという答えをくれた試しがない。だから一発、全力を込めたパンチをお見舞いしてやれば、おっさんは気持ちいいぐらいに吹っ飛んでいった。
Opening 02 Scene Player ──── 初代
某国J州の繁華街で一人の女性が買い出しをしていた。どうやら必要な物は買いそろえたようで、足先は自宅の方へと向けられている。そうして歩いていると目の前に広がる人だかり。どうしてこんなにも人が集まっているのか気になって寄ってみるとそこは洋服屋のようで、タイムセールをしているために人がごった返しているのだった。
特別服に興味がない女性はその場を後にしようと踵を返せば、知らない男性が自分を見下ろすように立っていた。
「あ……っ」
本当に突然だった。
何が起きたのか、理解が及ぶよりも先に身体が異変を訴え、口から血を吐いた。妙にお腹が痛むと思って視線を下ろせば、腹部には刃物が突き立てられ、白のブラウスがどんどん赤黒く染まっていく。
「ちょっと! 買う気がないならそこを…………え、あ……?」
タイムセールを逃すまいと人をかき分けている主婦が立ち尽くしている男女に邪魔だと声をかけ、その様相を目の当たりにし、言葉を失った。
そして……。
「きゃあああああ!」
こだまするのは異様な事態を理解してしまった主婦の悲鳴。なんだどうしたと周りの人たちも立ち尽くす男女を見て、徐々に理解を示し始める。
「血……血だ……」
「刺されてる……?」
「人殺しよ……殺される……!」
次の瞬間、蜘蛛の子を散らすように人々は走り出し、逃げまどう。中には恐怖で腰を抜かす者や、未だに何だどうしたと事態を把握できていない者もいた。
男性は突き立てた刃物を女性の腹部から抜き、次の標的を探し出す。まるで品定めをするように周りを見渡し、次はあいつだと、腰を抜かしている一人の男へ足を向けた。
「や……やめっ……! やめてくれっ!」
やめてくれと泣き叫ぶ男を見て何かしらの感情を抱いたのだろう。軽蔑のような……それでいて、どこか残念そうな視線を向ける刃物を持った男性は小さく首を左右に振り、狼狽える男に振り下ろした。
刹那、響き渡る銃声音。撃ち出された弾丸は男性が持っていた刃物を砕き、男に振り下ろされることはなかった。
刃物を失った男性は銃弾が飛んできた方を向き、その手に拳銃を持つ人物を視界に入れた。
「ただ買い物に出かけただけだってのに、とんだ事件に巻き込まれちまったぜ」
今もなお銃口を男性に向けながらそう言い放ったのは赤いコートを身に纏い、その中に黒のアンダーシャツと赤いレザーベストを見え隠れさせる、若い男だった。
「……そうだ。もっと、人間の可能性を見せてくれ」
そう呟いた男性は全身をすっぽりと覆い隠していたコートの中から二つの剣を取り出す。一本は大剣、もう一本は日本刀。これを両手に構えた男は躊躇うことなく、拳銃を持っている若い男に襲い掛かった。
「こいつ……っ!」
銃を撃つのだって、出来ればしたくなかった。それでも罪のない人間が襲われているのを見て見ぬふりをするのは胸糞悪かったし、刺されて倒れている人間が普通に心配だった。だから刃物を使い物にならなくしてやれば大人しくなるかと思って撃ったというのに、目の前の男性は狼狽えるどころか、やる気を出しはじめたではないか。
これ以上戦うところを人に見られるのは厄介だとして、銃を持つ若い男は《ワーディング》を展開する。一瞬にして辺りは静まり返り、現場に居た人間たちは意識を失い、その場に倒れ込んでいく。
これで、愉快犯だろうが快楽犯だろうがその身から意識を手放す。──そう思って。
「……ワーディング」
止まると思っていた全身をコートで隠している男性は止まらなかった。それどころか、ワーディングが展開されたことを察知している。寸でのところで回避した銃を持つ若い男は、口にした。
「お前、オーヴァードか」
「オーヴァードに、用は無い。……退却する」
しかし、全身コートの男性も相手がオーヴァードだと分かるや否や武器をしまい、何処かへ立ち去ろうとする。かと思えば突然辺りを見渡し、何が起こったんだといった様子でふらつき出す。その姿はまるで、目が見えていないようだ。
「何故、人間を襲ったの」
言葉を発したのは、先ほど腹部を刺されて倒れていた女性だった。ただ、何度見ても腹部に穴は開いておらず、何事もなかったかのように振る舞っている。
「……君も、オーヴァードだったか。これは誤算だ」
「何が誤算だか知らないが、この街で悪事を働くってことは相応の報復を受けるってことだ。……覚悟しな」
「貴方は人間の敵? それとも味方?」
それぞれが言いたい放題に喋るせいで、全く収拾がつかない。それでも、女性が若い男に声をかけていることは分かったので、彼は答えた。
「少なくとも、人間に危害は加えない」
「状況把握。では、私は貴方の援護に入る。……目の前のジャームを、討つ」
「そいつはご機嫌だ。……俺は初代。嬢ちゃん、名は」
「ダイナ」
「オーケー、ダイナ。今回に限っては協力、感謝するぜ」
ダイナと名乗る女性が何故自分に協力を申し出てくれたのかはさっぱり分からなかった。それでも今は、目の前にいるイカれたジャームを討つという共通の目的を果たすため、協力し合うのも悪くないと思った。
Middle 01 Scene Player ──── 二代目
事務所を後にした二代目は一人、ダウンタウンよりやや離れた位置する住宅街を目指し、道中にある繁華街に来ていた。今朝から買い物に出かけている初代を迎えるついでに住宅街へ向かう算段のようで、彼が立ち寄りそうな店を回る。
しかし、何ヶ所か回ったものの初代の姿が見当たらない。そんなにもたくさんの入用があったのかと考えていると、どこかしらでワーディングが展開されるのを感じた。
「……近いな」
Devil May Cry事務所の方針は基本、ワーディングが展開された場所へは赴かない。
前回のように家族が標的にされているなら話は別だが、今回に限っては明らかに自分たちに関係ない。自分がまだUGNエージェントの頃だったならいざ知らず、今は事務所のオーナーとして優先すべきことがあり、残念だがその中に一般人を守るというものは含まれていない。
その部分だけを切り取って話せば、力があるのに人助けをしない最低な奴だとなじられるだろう。しかし、勘違いしてはいけない。二代目は決して人助けを仕事にしているわけではない。
それはUGNだって同じだ。犯罪を犯しているのがオーヴァードやジャームだから鎮圧しているだけで、それがただの一般人の抗争だったら関与しない。これはただ、そういった話だというだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
それでも、目の前で人が襲われていれば興が乗ったという理由で助けることもあるだろうし、それよりも別の場所で家族たちが危険に晒されているかもしれないとなれば、助けられるかもしれない目の前の人間を見捨てることも往々にしてある。
これが、二代目の選んだ道。周りに何を言われようが、自分の大切な者たちを第一に考え、行動できるようにと作ったのがあの事務所だ。
確かにUGNでエージェントをしていた時、助けた人物にお礼を言われたことはあるし、それを嬉しく思ったこともある。しかし、人間はそればかりではない。助けても化け物だと蔑まれることの方が格段に多かったし、何より腹立たしかったのは命を懸けて同僚が救った一般人が、何も知らないという免罪符を持って、オーヴァードより自分たちの方が上の存在だとのたうち回ることが、何よりも腹立たしかった。
それらのストレスで一時はFHに寝返ってしまうのも一つの手だと、本気で考えたほどだ。あんな人間たちを守る価値がどこにあるのかと。
そうしなかったのは……髭の存在は大きかった。自分と同じような仕打ちを受けてもお気楽に捉えている姿に、どことなく戦意を削がれたのだと思う。後は、守るべき存在──初代に若、そしてバージル──がいたのも、自分を人たらしめてくれるのに大きく関与していた。
だから、この道を選んだことに後悔もなければ罪悪感もない。無論、初代たちには全うな未来を歩ませたいし、自分のような考えに至って欲しくはないが……自分の傍に置いている時点で、難しいことかもしれない。
なんてことを考えながら、二代目はワーディングが展開されたであろう場所へ足を向ける。
家族を守るために必要な犠牲があると念頭に置きながらも、彼もまた、見て見ぬふりは出来ないお人好しのようだ。もっとも、万能の天才と謳われるノイマンのシンドロームを持つ彼にはもっと先の未来まで見据えての行動なのかもしれないが、それは彼のみぞ知る──。
Middle 02 Scene Player ──── 初代
繁華街であるはすが、不気味なほど静まり返っている。そんな空間の中で鳴り響くのは銃声音。
先ほど対峙した、通り魔と言って差し支えのないジャームに銃弾を打ち込めば、視界を奪われている黒いコートを被った男は躱すことを諦め、大剣の方で自身の身体を守った。
「そちらが手を出すというならば、逃げる時間を稼ぐため、こちらも応戦しよう」
言葉どおり退却を試みていた男性だったが初代たちに逃がしてもらえないことを悟り、戦闘態勢に入る。見ればその瞳に光が戻っており、盲目は既に治っているようだ。そして、一度戦うと決めてからの動きは速かった。
「速いっ──! 下がれ!」
「狙いは元より君の方だ」
ダイナのことを気にかけたのが運の尽きか。
……いや、恐らく全身全霊をもって回避に専念したとしても、初代に躱せる術はなかっただろう。あまりにも速く、かつ的確に初代の身体を捉え、両手に持った剣で太刀筋をいれる。
肉が裂かれ、異物が骨にまで到達したような気味の悪い感覚が上体を襲う。
「っ……そのてい、ど……か……?」
やせ我慢だということが、誰から見ても分かる。はっきり言うならオーヴァードでなければ確実に即死しているほどの傷で、事実オーヴァードである初代ですら、これほどの傷は厳しいものがあった。
相手にだって同じほどの肉体的損傷は与えたはずだというのに、これほどの差が生まれるのはレネゲイドに侵蝕されている度合いが違うからなのか、はたまた相手がただの戦闘マシーンなのか……。
朦朧とする意識を必死に手繰り寄せながらも、初代は膝を地につけることはしなかった。
「庇う必要はない」
そんな中、彼女は淡々と一人で何かを生成し、それを初代に向かってぶちまけた。
何かを避けられるような余裕がない初代にそれがかかった途端、先ほどまで負っていた傷が一体どんな手品を使ったのかと疑いたくなるような速度で塞がっていく。
「先ほどの視界を奪う能力に、傷を治す物質生成。……ソラリスか」
「貴方の動きも、明らかに神経系を刺激して速度を上げていた。……同じシンドローム使い、ということ」
「挙句に使い勝手の違う武器をいとも簡単に扱ってるところを見るに、俺と同じノイマンでもある……ってか」
完全に傷が治っていないにせよ、ここで引き下がるわけにはいかない。再び二丁拳銃を構えジャームに攻撃を仕掛けようとした時、足元に見慣れた“領域”が展開される。
これに気付いた初代は“領域”から距離を取ろうとするダイナを引き留め、同じく距離を取っているジャームに向かって発砲する。先ほどとは比べ物にならないほどの速度で撃ちだされた銃弾をもろに喰らい、男性は大きく後退した。
「初代!」
声を荒げながらジャームと初代の間に立ったのは二代目だった。少し離れた位置にいる男性の動きに注意を払いながら、横目で初代の姿を見て、激高した。
「貴様が初代を傷つけたのだな」
「赤のコートに身を包んだ“領域”の使い手。お前が完全勝利か。……流石に分が悪すぎる。使いたくはなかったが、そうも言っていられないようだ」
二代目のコードネームを口にした男性は二本の武器をコートで覆い隠し、代わりに何かを地面に投げた。それと同時に煙が噴き出したかと思えば、一瞬にして姿を消してしまった。
「逃げたな。……初代、動けるか」
「ああ、なんとか。……ダイナ、悪かったな。巻き込んで」
「助けてもらったのはこっち。それより、早く手当てした方がいい。私も手伝う」
「髭に事務所へのゲートを開かせるから、もう少しだけ我慢してくれ。……それで、君は」
「さっきの男に襲われていたから、俺が気まぐれに助けたんだ。結果的に俺が助けられる羽目になっちまった」
「……そうか。俺からも礼を言おう。本当にありがとう」
二代目は深々とダイナに頭を下げた後、端末を取り出して髭に連絡を入れ始めた。ダイナも別に気にしていないと、初代の傍で自身の体内で生成した治癒効果のある物質を傷に当て始めるのだった。
Middle 03 ──── Master Scene
特殊な道具を使って姿をくらませた男性はどこかにある薄暗い建物の中に退避していた。気を緩めるように息を一つ吐いてフードを取ると、短いブロンドヘアがあちこちにはねていた。
「ああ、帰っていたか。操り人形(マリオネット)」
フードを取った男性のことを操り人形と呼んだ男は一体どこから声をかけているのか、姿が見当たらない。
「コードネームで呼ぶなと言っている。……それより、話と違う」
「これは失礼した。で、話が違うとはどういうことかな、アルフ」
アルフは若干のイラつきを表情に滲ませながらも、こういったやり取り自体は今に始まったことではないと割り切っている様子で、身体に撃ちこまれた弾丸を引き抜きながら言葉を続けた。
「オーヴァードがいるなんて、聞いていない」
「なんだ、そんなことか。……いちいちどの街にどの程度のオーヴァードが潜んでいるということを伝えないと行動が出来ないほど、君は臆病者なのかね」
「僕が知りたいのはあくまで人間の力だ。同族と争うつもりはない」
人間の力を計るために人間を襲ったというアルフ。しかし、そんな彼の中にも一定の制限は設けられているようで、同族……つまりオーヴァードと戦いたいわけではなさそうだ。
「そうは言ってもだね。向こうが邪魔をしてくるなら薙ぎ払わざるを得ないだろう」
一方、アルフと会話している男は今回起きた問題に関して、心底興味がなさそうだ。言いたいことはそれだけかと、口にせずとも伝わってくる。
「僕と貴方は利害が一致したから共に行動している。僕は貴方に必要なものを提供した。ならば、今度は貴方が僕に提供する番だ」
「だから提供しただろう? 人間が多く、かつジャームの少ない地域を。……それに言わせてもらうなら、君から必要なものは全て提供されたわけではない。お互い様だよ」
このご時世、オーヴァードが誰一人として存在していない地域というのを捜すのは逆に至難なほどだ。もちろんそのオーヴァードが人間のために戦っているかは別問題だが、現状では大体UGNかFHのどちらかに所属している。
そしてUGNに所属していれば、アルフがしようとしていた行為を止めに入るのは自然なことだった。例え、アルフがジャームでなかったとしても。
「……ああ、そういうことか。なら、僕もしたいようにするよ」
アルフは自分が声の主に提供したものを思い出し、そういうことだったのかとようやく理解する。そして理解したと同時に、自分のコードネームがまさに的を射ていたのだと自嘲の笑みを浮かべた。
それでもただでは転んではやらないと、あることを決意するのだった……。
Middle 04 Scene Player ──── おっさん
「ほら、どうした? もうギブアップか?」
「うっ……せえ! まだ、いける!」
事務所内の一室に、訓練用の施設が設けられている。そこを利用してネロはレネゲイドのコントロール方法を学ぶため、おっさんと模擬戦をしていた。
「ネロ、気負いすぎだって。俺もいるんだから、頼ってくれよ」
「分かってっけど……ほとんど頼りっぱなしだし……」
いくら模擬戦とはいえ、オーヴァードになって十年経つかといった大ベテランであるおっさんを一人で相手にするのは流石に厳しいということで、今回はサポートとして若も同伴している。しかし、言ってしまえば二人がかりでもどうにかなるような相手ではないので、おっさんは若い衆のじゃれ合いに付き合っているようなものだった。
息も絶え絶えのネロと、同じく肩で息を整えている若に対し、涼しげな表情で何もなかったかのように鼻歌を歌っているおっさん。圧倒的な力量差と未だに慣れないレネゲイドの扱いに苦しんでいると、突然変な音色が流れ出した。
「んん? 俺の端末だな」
「何だよそのだっせえ着メロは!」
こっちは真剣に戦っているというのに、何とも気の抜ける音楽を聞かされ脱力する。そんなネロに手を止めるなと激を飛ばしながら、おっさんは端末を手に取った。
『どうした?』
『今事務所にいるか?』
『いるぞ。坊やと若を相手にしてる』
挙句、誰かと通話をしだしたおっさんの姿にネロの堪忍袋の緒が切れた。絶対に何が何でも一発お見舞いしてやると決意をあらわにし、絶賛通話中のおっさんに殴りかかる。
「おっと、甘いぜ坊や。力任せにやっても当たらないぞ」
「いちいち癪に障るんだよ!」
『悪いが医務室にゲートを開いてくれ。急ぎで頼む。場所は……』
器用にネロと通話越しの二人を相手していたおっさんだったが電話をよこした相手の声色がかなりの焦りと緊急性を含んでいることを察し、分かったと言って通話を切った瞬間、端末を持っていない方の手を頭上にかざした。
「あれは……! ネロ、しゃがめ!」
それが何を意味するのかいち早く察知した若は声を荒げ、ネロの元に急いで駆け寄り地面に伏せさせる。突然のことで理解が追いつかないネロはされるがままに若に押し倒されると同時に、急激な圧を感じ取った。
「なん、だ? 身体が……!」
「悪いな二人とも。緊急の用事が入っちまった。ちょっくらそこでおねんねしててくれ」
「ちょ、おっさん! 重力操ったままどっか行くなよ! おーい!」
若の叫びも空しく、おっさんは訓練施設から出ていってしまう。
取り残されたネロと若は一生懸命その場から移動しようと試みるが、おっさんが操った重力のせいで地面とべったり引っ付いた状態から解放されることはない。
「くっそ……! 次は絶対に一発入れてやる!」
「その意気だぜ! ……だけど、今はここからどうにかして脱出しねえとな」
どうしたものかと頭を悩ませながら、二人は必死にもがき続けるのだった……。
Middle 05 Scene Player ──── 初代
繁華街では未だに初代が張ったワーディングが効果を発揮しており、一般人があちこちで意識を失っているという異様は光景が続いている。そんな光景に目もくれず二代目は端末で誰かとやり取りしている中で、同じくダイナと名乗った女性も辺りを気にすることはなく、手慣れた様子で傷の手当てをこなしていた。
「頼むぞ。…………初代、もう少しの辛抱だ」
連絡を終えた二代目は端末をしまい、初代の様態を気に掛ける。今はもう綺麗に傷口は塞がっており、知らない人が見れば怪我をしていたとは思えないほどにまで回復していた。それでも、先ほどまで負っていた傷の深さを知っている相手に心配するなと言うには無理があった。
「悪いな、へまして。……それにしても、なんで二代目はここに来たんだ?」
ワーディングを感知したら事務所に戻る、というのは二代目も例外ではない。一旦戻ったというには現場への到着が早すぎることを考えると、事前にこちらへ向かっていたというのが一番自然だ。
「気になる情報を手に入れたから、初代を迎えてから一緒に現場に向かおうと思っていたんだ」
「そうしたらワーディングが展開されたから、現場の様子を見に来た、と」
首を突っ込むなと言うわりに、いの一番に現場へ向かうのは二代目だ。家族のためにUGNを脱退し、小さな組織を作ってくれた彼は何だかんだ言いながらもお人好しで、目の前で困っている人がいれば手を差し伸べずにはいられないということは一緒に過ごしてきた彼らは良く知っている。
だからこそ憧れであり、少しでも早く追いついて力になりたいと思う。
「ああ、だがその必要は無くなった」
初代の治療に専念しているダイナを二代目が見つめると、その視線に気付いた彼女は少し居心地を悪そうにしながら口を開いた。
「……私に、何か?」
「ここから少し離れた住宅街に、一人の女性が引っ越してきた。……それが君のことだ」
「……否定はしない。だけど、人が引越しをするぐらい往々にしてあること」
見ず知らずの人間に引っ越し先のことを知られているというのは、控えめに言って気持ちが悪い。とはいえ今のご時世、少し調べればどんな人物が引っ越してきたかまでは正確に分からずとも、空き家だった場所にいつ頃引っ越して来たかぐらいの調べは簡単につくだろう。
問題は、何故そんなことをこの人物が調べているのか、ということだ。
「“レネゲイドビーイング”がこの街にやってきたという情報を耳にした。俺はその人物がジャームなのか否か、見極める必要があった」
「なるほど。……そのレネゲイドビーイングがダイナだってことか」
「…………」
レネゲイドウィルスそのものが自我を持ち、人間と同等か、またはそれ以上の知識を持っているとされる生命体。
形態はまちまちで、何かしらの道具や宝石、或いは武器や機械などといった様々なものを器として自我を保っている者から、伝承や都市伝説、或いは神や悪魔というような存在が曖昧な、それでいて本当に存在していると信じている人間もいるような、そう言った伝説上のものを媒体とし、具現化したレネゲイドビーイングも存在している。
そして彼女──ダイナもまた、レネゲイドビーイングであるという。
「沈黙は肯定と捉えて……良さそうだな」
「ま、ジャームじゃないってところはしっかり見せてもらったし、好きにしろよ」
「えっ……。処分、しないの?」
重苦しい雰囲気で話を進め、挙句に自分の正体まで見破られている以上、腹をくくるしかなかったダイナにとっては予想外の答え。これには疑問を投げかける以外の言葉が浮かばなかった。
「ジャームでないなら好きに生活すればいい。そこまで干渉しない」
「でも、貴方たちはUGNで、私を保護したりとか……」
「あー。俺らはUGN所属の者じゃないからな。ちなみにFHでもねえぞ」
全てのオーヴァードがどこかしらの組織に所属しているわけではない、ということはダイナも知っている。言ってしまえば彼女も無所属の一人だ。しかし、だからこそ彼が、初代が見ず知らずの人を助けるために力を振るったという事実に形容しがたい感情を抱いた。
「もっとも“神格”である以上は……まあ、苦労は察する」
「っ……! そこまで調べがついていながら、見逃すの」
どれだけ正体を隠していても、力を使えば足が付く。そして一度ついてしまえば、その記録が消えることはない。たとえ、自分がこの世から消え去ったとしても情報は残り続けるのだ。
それが希少なものであればあるほど顕著に、本人の意思とは無関係に探求され、記録として残される。
ダイナも例外ではなく、正体がバレる度に引っ越しを繰り返し、足取りをくらませているほどだ。そうしなければ保護という名目で軟禁しようとしてくるUGNか、はたまた希少な実験材料として扱おうとしてくるFHの手先に捕まってしまうからだ。
「レネゲイドビーイングだろうと神格だろうと、人間と仲良くしたいって思ってくれてるなら俺はいいと思うぜ。問題さえ起こさなきゃ、この街でゆっくりと暮らしてればいい」
初代の言葉に、ダイナは衝撃を受けた。
自然とそのような発言が出てくること自体が驚きだったし、何よりも“神格”と聞いてその力を利用したいと考えたりしないどころか、人と仲良くしたいならすればいいと彼は言うのだ。
確かに、ダイナ自身は見た目だけで言えば人間と何ら変わりない姿をしている。さらにはレネゲイドビーイングの中でも自立型であり、人間に最も近しい行動を取ることが出来る。
それでも、オーヴァードである初代ならば知っているはずだ。レネゲイドビーイングは人間ではないということを。どれだけ人間に似ていようと、行動を模倣しようと、自分は人間ではないということを自覚し、理解している。そしてそれはオーヴァードである者たち全ての共通認識であるはず。にも関わらず、彼はこの街に留まることまでも許容してきたのだ。
「この街に居ていいって……本当に──」
今までにかけられたことのない言葉ばかりでなんて返せばいいのか分からず、言われたことを繰り返そうとすれば、突如目の前に現れた歪みに驚いてしまい、口に出来なかった。
「待たせたな。……ふむ、聞いていたほど重症じゃなくて何よりだ」
歪んだ空間から顔を出したのは無精ひげを生やした、まさにおっさんと言うべき人物。しかし、様子を見るに彼らの仲間のようで、初代を見つめる瞳はどこか憂慮を感じさせる。
「ある程度は手当てをしたが、きちんと診断する必要がある。初代、肩を貸そう」
「悪いな、二代目。おっさんにも手間かけさせて……もっと精進しないとな」
「弱音を吐くなんてらしくない。いつも通りあいつらの兄貴分として、しっかりしろよ」
二代目に支えられながら初代は立ち上がり、おっさんが顔を覗かせている歪みに足を向かわせる。そして一度だけ振り返り……。
「ダイナのお陰で死なずに済んだ。……気を付けて帰れよ」
そう言葉を残し、姿を消した。
二代目も初代に肩を貸していたのでその姿を消し、それを確認したおっさんも横目で彼女を見た後、何も言わずに歪みの中に姿を消した。同時に歪み自体も消え、初代がいなくなったことによりワーディングも解除されると繁華街は何事もなかったように日常へと戻っていく。
「……家に、帰ろう」
自分の存在を知られた以上、引っ越してきて早々ではあるがこの街に滞在し続けるのは良くない。しかし、良くないことだと分かっていても、彼に……初代にもう一度会って、少しでいいから話をしてみたいという思いが心を満たす。
人間のことをもっと知りたいという欲求を一個人に対して強く思ったのはこれが初めてで、そんな初めての経験だからこそ、この気持ちを満たしたいとダイナは思った。
だから、この思いを満たすためにもう少しだけ、街に滞在することを決意した。
Middle 06 Scene Player ──── ダイナ
繁華街での事件から数日。
あの日の出来事はテレビなどで報道されることはなく、それどころかあの日に起きたことは誰も覚えてはいなかった。……当事者として事件に巻き込まれたオーヴァードたちを除いて。
時折、噂話程度の話題として上がることはあれど、結局のところは信ぴょう性がなく、また人々の興味を引くようなものにはなりえなかった。そんな、人々から忘れ去られていくような事件の当事者であった彼女、ダイナはこれまた事件に関わっていたなどと微塵も思わせない素振りで会社に出勤している。
しがない企業のOLであるダイナは今日も社内の人たちの言動に飽くなき興味を抱きながら、自分に与えられた業務をこなしていた。
「ダイナさん、休憩まだでしょ? そろそろ取った方がいいんじゃない」
自分と同じように業務をこなしていた隣の席に座っている女性が声をかけてきた。今は何時頃かと時計を見れば、短針が三の数字を差していた。
「もう、こんな時間」
「ダイナさんって声をかけないとずーっと仕事してるんだから。少しは自己管理もした方がいいよ?」
「気を付ける。……じゃあ、軽く休みをもらう」
「しっかり一時間、休んできなさいって」
仕事に追われて休憩が取れないほど切羽詰まっているわけではなく、ただ単純に知りたいことや学びたいこと、引いては業務自体にも苦を感じていないため、気づけば一日が終わっていたなんてことはざらだ。
普通の人間であればたとえ同じ精神状態だったとしても、そんなことをすればいつか身体が限界を迎えて倒れてしまう。だからこそダイナを心配しているのだが、残念なことにダイナの身体は柔くない。ただ、隣の席になっただけであるというのに気にかけてくれる彼女はお人好しなんだという結論を出しながら、そんな彼女の好意を無下にしないよう、ダイナは言われた通り休憩を取ることにした。
昼食という時刻にはいささか遅く、夕飯を言うには早すぎる時間帯なため、食堂はもう閉まっている。何かしらの食事を持参しているわけでもないダイナは仕方がないと、近場にある食事処で適当に済ませるために職場を後にした。
時刻的に街を歩いている人は少なく、ダイナにとっては良い環境ではなかった。
足の踏み場もないほどに人が集まっているのは好きではないが、人がいない場所は嫌いだ。自分はあくまでもレネゲイドビーイングであり、人間を深く知るために生きているというのに、肝心の人間がいなくては話にならない。
人間のことを知る前に、まずは無心で時間を潰す方法を身に着けるのが先かと下を向いて考え込んでいると、ふと目の前に黒い何かが立ち止まったことを感じ取り、視線を上げた。
「オーヴァードに、興味はなかったのでは」
「ああ。僕は君に興味がない。だけど、君に興味を抱いている奴らはごまんといる」
フードのついた黒いコートに全身を包んだ男性がそこにはいた。その姿を見れば、嫌でもこの間の出来事を思い出す。また、男性の発言から自分のことを狙っている人物がいるということを、望む望まざるに関係なく知らされた。
「私を、捕らえるの」
「最初はそのつもりだった。だが──やめた」
どこまでも空虚な、それでいて目的だけはしっかりとしていた男性は突如、口元を歪めた。そしてこの間使用していた二種類の剣を懐から取り出し、ダイナに突き付けた。
「さあ! 闘いを始めよう!」
──別人。
この間の男性とはまるで違う人格になった男は辺りには目もくれず、ただダイナを殺すために刃を振り下ろした。
「っ……!」
間一髪のところで斬撃を避けたダイナは自分の直感に従い、駆けだす。
自分を追い回してくるこの男はとても危険だ。まさにジャームと呼ぶに相応しく、そうであるが故に自分一人では勝ち目がないことも理解する。男を討ち取るには神の御業と比喩するに値する絶対的な力を行使する他ない。
しかし、それをここで使うには余りにも被害が大きく、人間を巻き込むつもりのないダイナにとって、今この場でその力を用いることは憚れた。だから一か八か、まだ慣れぬ街の中を駆けながら人がいない場所を探し始める。
殺人鬼と鬼ごっこをしながら──。
某国J州のダウンタウンを駆ける二つの影。一人はまだ幼さの残る女性。もう一人も童顔ではあるが黒いコートに身を包み、その手には得物を両手に握りしめている男。
時刻は午後三時三十分。いくら外を出歩く人が少ない時間帯とはいえ、得物を持った男が逃げ惑う女性を追いかけているというのは事件以外の何物でもなかった。しかし、一体何事だと理解を示す頃には追いかけっこを続ける二人の姿はなく、一般人はその光景を夢か幻かとしか思わなかった。
「いつまで逃げるつもりだあ? そんな態度なら、俺にも考えがあるぜえ!」
背を向けて逃げ惑うダイナにイラつきを覚えた男は器用に日本刀を投擲する。普通なら日本刀を投げても人に当てることは至難である。それに加えて走っているとなれば、もはや不可能だ。
「う゛……」
だが、その不可能をこの男は可能にした。常人では絶対にあり得ない身体能力を持ち合わせているからこそ、投擲した日本刀がダイナの腹部を綺麗に捉える。
刀が突き刺さってしまったダイナはその場に膝をつき、血を吐く。それでも追いつかれまいと刀を無理やり引き抜き、自身の能力を使って体内で傷口を塞ぐ物質を急造し、再び駆けだした。
「ひゃーははは! 今のはほんの小手調べだ!」
哄笑しながら男は投げ捨てられた刀を拾い上げ、先ほどよりも走る速度の落ちたダイナを先と同じように追いかけ始める。
無理やり身体を治して走り続けるが、傷を負っていなかった状態ですら避けられなかった。つまり、男が繰り出す大剣の一太刀を避けられる道理がなかった。
「ぐっ──! あ、ぁ……」
「おいおい。もう終わりかあ? そうじゃないだろ……? 立ち向かって来いよ。そしてお前の……神格と呼ばれる力を俺に見せてくれよ!」
狂気を含んだ声色で、男は高らかに叫ぶ。俺と闘えと。力を見せろと。何度も、何度も叫んでいる。
その光景に悲鳴を上げる者。あまりの惨劇に目を背ける者。嗚咽する者。恐怖に腰を抜かす者。意識を手放す者。一般人たちは現実離れしたその光景に恐怖し、その場から立ち去っていく。
「……あー?」
それでも男の言葉に耳を貸さず、ダイナはまたも身体を起こして走り出した。血まみれの身体を人間に見られようが、構わなかった。
「いい加減にしろよ……。いつまで逃げ回るつもりだあ!」
男の言う通り、力を使えばここまで苦しい思いはしなかったかもしれない。しかし、結果として人間を巻き込んでしまっては意味がないのだ。ダイナにとって人間とは、自分の知らないものを教えてくれる宝物だから──。
Middle 07 Scene Player ──── ネロ
時刻は午後三時三十分。俗称として帰宅部とも呼ばれる、言ってしまえば何の部活にも所属していない若、バージル、ネロ、そしてキリエの四人は今日も仲良く下校していた。
キリエが部活に所属していない理由は何とかしてあげたい案件であるが、一方のネロは特別話題に上げるようなものではない。では双子はというと……。
「俺とバージルが部活に入ってない理由?」
「体育の授業であれだけ好き勝手出来る程度には上手いんだし、どこかに入ったりとかって考えなかったのか?」
いつも教室内で暴れているだけのことはあり、体育の授業ではどんなことをやらせてもこの二人がワンツーをもぎ取っていく。速度を競う内容であればバージルが、力を競う内容であれば若がトップだ。ちなみに三位はネロである。
「簡単なことだ。俺たちが本気を出せば、今の世界記録など易々と塗り替えられる。だが、それでは意味がない」
「自分の実力で必死に頑張ってる奴らの努力を、レネゲイドのお陰で力をつけちまった俺らが奪っていいものじゃねえと思うんだ。もちろん、手を抜くことはいくらでも出来っけど……なんていうか、それはそれで違うだろ?」
だから、俺たちは帰宅部で良いんだと言い切る若に決して伝えることはないだろうが、改めて先輩のようだと感じた。
普段からおバカ加減が素晴らしいほどに目立つ若と、実の弟だということをいいことに見下げてばかりのバージルだが、実のところは教養が高かったりもする。
入学当初に行われた学力テストでバージルは学年の中で五本指に入るほどだし、若もそこまでは言わなくても順位は上から数えた方が早いほどだ。ネロだってそこそこに良い結果を出しているというのに、何をとっても双子に負けているというのは焦りを感じさせる事柄でもあった。とはいえ、クラスメイト……ひいては仲間になった彼らを妬む暇があるなら自分が強くなればいいだけだということはきちんと理解出来ているので、自暴自棄になることはない。
後は……二代目に育てられたという点が若とバージル、それに初代の教養が高く、また自尊心もしっかりとあることに頷けた。それほどまでに、彼の存在は非の打ちどころがない。
もっとも、ネロの指導係は二代目ではなくおっさんだ。どこまでも自堕落で、教える気が全くもって見受けられない、不甲斐ない人物と言う他ない。
自分をこちら側に巻き込んたジャームを討つ時には攻撃から庇ってくれたし、何ならつい先日も若と二人がかりでも敵わなかったので、実力を認めていないわけではない。ただ、実力だけでなく人間としても出来ている二代目の友人が何故、あんなにも人間としてダメな部分を集めたような奴なのだろうかというのは甚だ疑問である。
そんなダメ人間が自分の指導者であることに、頭を抱えるなというのは無理難題なのであった。
堤防を越え、事務所兼家であるDevil May Cryへ向かってダウンタウンを歩いていると、何やら騒がしい。まるで何かから逃げているように、すれ違う人は揃いも揃って速足だ。
「何かあったのか?」
若が呑気に両手を後頭部に回しながらバージルに問いかけるが、俺が知るわけないだろうとはねつけられていた。だが、何もないわけがないというのは火を見るよりも明らかだ。ただ、ワーディングを感じない以上、オーヴァード同士の衝突というのは考えにくい。精々人身事故か何かだろう。
わざわざ事件に首を突っ込むものではないとして、四人は不思議がりながらもダウンタウンから逃げていく人の波に逆らうように事務所を目指していると、ふいにネロが声を上げた。
「なあ、あの女性。……血、流してないか?」
前方からたどたどしい足取りでやってくる一人の女性は両手で腹部を抑え、前屈みの状態でこちらへとやってくるのをネロは捉えた。
「女性? 血? いや、全然見えねえ」
キュマイラのシンドロームを持ったネロは人間以上の目を手に入れた。そのお陰で視力が良くなり、見えている。
だからキリエは当然のこと、若やバージルも人がやってきていることは分かっても、その人物が女性であるとか、ましてや血を流しているなどのことは残念だが把握出来ない。
まだ完璧に力を使いこなせないネロは若とバージルからの同意を得られなかったため、自分の目で見た現状に疑心暗鬼だ。
「俺、ちょっと見てくるわ」
自分の発言を不安を感じたキリエを見て、彼女を安心させてやろうとネロは一人、一生懸命に目を凝らしている若とさほど興味がなさそうなバージルをその場に置いて、血を流していると思われる女性に近付いていく。
「おい、一人で動くな!」
「別に何もしないって。それに本当に怪我してるなら、放っておけないだろ?」
オーヴァードになったが故に感覚が鈍くなっているのだろう。普通、血を流している人物が街中をうろついているなど尋常ではない。だが、今のネロの頭の中を支配しているのはキリエの不安を取り除きたいという綺麗な想いだけだ。
「ちっ! 仕方のない奴だ……。おい若! ネロについていけ! 俺はキリエを安全なところまで連れて行ったらすぐに合流する」
「分かった。そっちも気をつけろよ」
普段であれば放置していくような場面だというのに、バージルがやけに焦りを見せていることを感じ取った若。バージルの嫌な予感が何かしら働いたことを信じ、若は急いでネロの後を追った。
「あ、あの……」
「事務所に向かうにはここを抜けなければならないが、今は危険だ。誰かが迎えに来るまで、絶対にここを動くな。……分かったな?」
「は、はい」
ネロが見たという光景がただの見間違いならそれでいい。しかし、それが事実だったならばと思うと怖くてたまらない。キリエは一人になる不安を堪え、バージルに言われたとおり少し離れた場所でネロたちの無事を祈るのだった。
ほんの少しの好奇心と、自分の目で見たものを確かめたいという気持ち。そしてキリエの不安を取り除くため、怪我をしていると思われる女性の元へと近づいたネロは軽率な行動をしたと今になって後悔する。
自分の見たものは何も間違っていなかった。しかし、見えていないものがあった。
女性が怪我をするに至った原因。明らかに異常をきたした人物がただ目の前の女性を執拗に、息の根を止めようと何度も両手に持つ得物を振りまわしている光景だった。
そんなイカれた奴を表現する言葉を、今のネロは知っている。
──ジャーム。
「貴方……! 早く、逃げて!」
身体に鞭を打って逃げていた女性がネロの存在に気付き、早く逃げろと声を荒げた。彼女としてはこんな姿をしているような者の傍に、あろうことか近づいてくる人間がいるとは思っていなかったからだ。
「ああ……そうか」
逃げる女性を追い回していた男は突如として脱力したように女性へ向けていた得物を下げる。かと思えば好戦的な瞳が、今度はネロを捉えた。
「なん、だ?」
「お前もレネゲイドビーイングだ。だから根幹にあるものは“人間を知りたい”だよな。だったら……お前から人間を奪えば、お前は闘ってくれるよなあ!」
人間を巻き込むわけにはいかない。
逃げ惑う女性の思考をようやっと理解した男は嬉しそうに口元を歪めながら、ネロに襲い掛かった。大剣を片手で振るい、豪快に地面を抉りながら刃がネロを引き裂かんと迫る。
「あ……ぶっねえ!」
鋭い眼光に当てられたときは一瞬怯んでしまったが己に迫る危険に身体が強張る感じはなく、オーヴァードと覚醒してからまだ間もないとは思えないほどに能力を如何なく発揮し、男が振り抜いた刃先をかわした。
「ネロ! 無事か!」
そこへ慌てて駆けてきたのは若。ネロに危害を加えた男に対して敵意を隠すことなく対峙しながら、ワーディングを展開する。今のダウンタウンに一般人はいないに等しいが、それでも張っておいて損はない。こうすればいつものメンバーたちは気づいてくれるし、人に見られることもない。
「オーヴァードか……。まあ、そうだよな。普通の人間が俺の攻撃を避けられるわけないもんな」
男はワーディングを張られたことに対してイラつき、得物を何度も地面に叩きつけている。一方、逃げていた女性はこれを好機と考えたようで、子どもたちに声をかける。
「君たちがオーヴァードなら、お願いがある。私と共に、このジャームを討ってほしい」
一人では無理でも、先ほどの男の攻撃を避けられるほどの能力を持ち合わせているオーヴァードがいるなら勝機は十分にある。そのように算段を立てた女性はようやく戦闘態勢を取る。
「……悪いけど、あんたを信用出来るだけの何かがない」
しかし、その申し出を若は断った。これに対してネロは何かを言いかけたが、若の真剣な表情に口を噤んだ。
協力が出来るのであれば、もちろんそれに越したことはない。そんなことぐらいは若だって分かっている。状況を見ても、共闘申請をしてきた女性が目の前で武器を振り回している男に襲われ、身体中に傷を負ったことも理解している。
だが、今の若にとって何よりも大切なのはネロが無事であることなのだ。
もしも、この女性が本当は男の仲間で、この一連の出来事全てが仕込まれているものだったとしたら? 男を討った後に背後からの奇襲など、勘弁願いたい。
自分だけだったならばまた違った答えを出せただろうが、今は何よりもネロを守ることが最優先である以上、少しでも分からないものを孕んでいる人物と協力することは出来ない。それが、若の出した答えだった。
「…………。了解した。では、早くここから立ち去って」
女性は断られた事実に失意する。それでも思考を入れ替え、何故という言葉を飲み込み、子どもたちにここを去るように促す。
「行くぞ、ネロ。俺が盾になるから、何も考えずにバージルの元まで走れ。……いいな?」
ネロの意見に耳を貸すつもりはないように、若は言葉をまくしたてた。そしてはやく走れと今来た道の方へ身体を向かせて背中を押す。これに対して、とうとうネロが抗議の声を上げた。
「何一つよくねえよ! あの女性はどうすんだ? 俺だって戦える! もう前みたいに足手まといにはならねえ!」
「そうじゃねえんだよ! オーヴァードは……いや、少なくともDevil May Cryに所属する俺たちは戦うのが目的じゃねえんだ!」
鬼気迫る若に、ネロは今度こそ絶句した。
いつも血気盛んで、それこそ自分から問題事を起こしているようなあの若がDevil May Cryの方針にここまで忠実なのかと、思い知らされた瞬間だった。
「二人とも怪我はないな?」
そこへやってきたのはバージルだった。キリエを安全な場所に置いて、自慢の神速でここまで来たようで息一つ乱れていない。そして状況を見極めるために周囲を見渡し、大体何があったのかを察したようで、ネロを庇うように若の隣に並んだ。
「く、くく……。はーっはっはっは! 飛んで火にいる夏の虫ってかあ? この際闘えるなら誰でもいい! おいガキども! この俺から逃げられると思うなよ?」
ワーディングを張られてしまった以上、この中で動けるのはオーヴァードだけだ。だから後から駆けつけてきたバージルがオーヴァードであることは男にだって分かる。……が、張られた最初こそはイラついていたが、そんなことはどうでもよくなったらしい。
今の男を支配するは闘争心。ただそれだけだ。
「さあ! 最高の闘争を始めよう!」
男の声を引き金に、辺りのレネゲイドが活性していく。それに感化された、自身を侵食しているレネゲイドウィルスをそれぞれが抑え込むように試みる。
「……結局は、こうなるんだよな。俺もいつか、お前みたいになるんだ。……最高の宴を。血で血を洗う闘いを求めるんだ……!」
それぞれが内側から湧き上がる衝動に抗う中、一人だけ目の色が変わった者がいた。先ほどまで強い意志でネロを引き留めていた姿は見る影をなくし、拳を白熱させ、男に好戦的な瞳を向けた。
「若……?」
「レネゲイドに中てられたか……! こうなった以上は……ジャームを殺るしかあるまい」
「そうだ! それでいい! 見ていろよ神格! これがレネゲイドビーイングの在るべき姿だ!」
「私はそれを否定する。……ジャームは、討つ」
男は人間を知るために“闘う”ことを、女性は人間を知るために“共に生活する”ことを選んだ。同じレネゲイドビーイングであったとしても、どのような手段をもって“人間を知る”かはそのレネゲイドビーイング次第だ。
そんな人間と一線を画したレネゲイドビーイング同士の争いに巻き込まれてしまった三人もそれぞれ戦闘態勢に入る。大切な家族を、クラスメイトを、同じ事務所に所属する仲間を守るために。
それぞれの想いが今──交差する。
Middle 08 Scene Player ──── 初代
事務所の中にある医療室で横になっている初代は暇を持て余していた。
数日前に負った傷が重症であったことは認めている。そのせいで二代目とおっさんには迷惑をかけたし、特に二代目には心配をかけた。だが、あの時たまたまではあったが共闘してくれたダイナという女性のお陰で今までとは比べ物にならないほどに傷の治りが早く、もう完治済みだ。だというのに二代目の過保護が出てしまい、まだ安静にしていろと医療室のベッドから出ることを許されずにいた。
「……暇だな」
先ほどから何度この言葉を呟いているだろうか。数えるのも馬鹿らしくなるほどで、それでもそれぐらいしか出来ることがなくて。しかし、そう思えば思うほどに身体を動かしたくなって。
「少しくらいなら、バレないか?」
五分……いや、三分。なんなら、この医療室から出て外の空気を吸えるだけの時間があれば良い。とにかく今は寝転がる以外のことが出来ればいい。
考え始めると身体を動かしたくてたまらなくなった初代は足音を殺してベッドから降り、音をたてないように扉を開ける。
「そろそろ、我慢の限界だろうと思っていた」
扉を開けて一番に飛び込んできたのは二代目の姿だった。完全に思考回路を読まれていることを悟ると同時に、ばつが悪そうな顔を浮かべる初代。
「……暇なんだ」
「あの髭ですら病院で何日も過ごすのは二度とごめんしたいと根を上げるほどだからな。……まあ、気持ちは察する」
だがそれとこれとは別問題だと言葉を足され、初代は肩を落とす。何を言っても二代目の言い分の方が正当性がある以上、大人しくベッドに戻るしかない。
鉛をつけたような足取りでベッドに向かっていると、随分と近い場所でワーディングが展開されたことを感じた。
「この間のジャームか……?」
初代が襲われた事件から数日たった今でも、ジャームが処理されたという情報は入ってない。そのため、二代目は初代に外出許可を出していなかった。
「それはないな。あいつはワーディングを張らずにわざと人間に見せつけるよう、人狩りをしていた。まあ、その標的にたまたまオーヴァードを引いちまったって感じだったが」
先日襲われた不運な女性、ダイナのことを思い出しながら初代は語る。とはいえ、言っては失礼だが襲われたのがオーヴァードである彼女であったのは不幸中の幸いでもあった。
もしも本当に一般人が襲われていれば、その人物は間違いなく死んでいただろう。
対峙しただけの自分と一戦交えている初代の言葉を比べれば、当然初代の言葉の方が信用度は高い。ジャームがワーディングを張ったわけではないことを加味すると、もちろん他のオーヴァードードが張ったわけになるが……。
「今は……丁度下校時間だな」
この時間帯で心配なのは言うまでもなく学生組だ。おっさんに関しては一人で先走るようなことがないのは良く知っている。初代も先日のことがあったとはいえ基本的に無理をする奴ではないし、もっと言ってしまえば今目の前にいるのだから、一番心配がない。
「俺に残れ……って言ったら、恨むぜ」
「言いたいのはやまやまだがな。……置いていっても今のお前はついてくるだろう。それなら傍にいさせた方が安心だ」
お許しをもらった初代は打って変わって軽い足取りで支度を済ませる。これには若干の呆れが混じったため息を漏らす二代目だったが、一度だけ首を左右に振った後にはオーナーとしての表情に切り替わっていた。
「二代目。坊やたちのことだが、帰って……来てないか」
外へ散歩に出かけていたおっさんもワーディングを感じ取り、事務所へ戻ってきたようだ。そして二代目に学生組の所在を聞こうとして、表情で理解する。
「現地の様子を見に行くぞ。何もなければそのまま撤退するが、もし仲間が事件に巻き込まれていたなら……分かっているな」
「当然だ。今度こそ遅れはとらねえ」
「全く、あいつらは本当に手間をかけさせてくれる」
状況を見たわけではないが、大体何が起きているかは想像に容易い。誰かが首を突っ込んだのか、はたまた巻き込まれてしまったのかは定かではないが、どちらにしてもそこに関しては些細な問題でしかない。
「俺が求めるはただ一つ。全員が無事にこの事務所へ戻ってくること。……以上だ」
Devil May Cryメンバーは出陣する。二代目の求めた、ただ一つを願いを叶えるために。
Climax 01 Scene Player ──── ダイナ
人の気配が消えたダウンタウンの大通り。
男は手に持った大剣と日本刀を構え、今に始まる闘争へ胸を躍らせる。女性は自身の傷を己の能力で塞ぎ、男と対峙する。学生の一人はその胸に秘めた闘争の衝動に飲まれ、男と同じように闘いを求めていた。
衝動に飲まれてしまった仲間のフォローをするべく、双子の兄とクラスメイトはそれぞれの能力を具現化させる。
そこへ今、更なる仲間たちが急行していた。
「俺が先攻する。ネロは若のバックアップだ」
「ああ、やってやる!」
闘うことを決めてから、一番最初に行動をしたのはバージルだった。周囲に浅葱色の剣を展開し、相手の出方を窺いながら器用に若へと声をかける。
「おい若、何を衝動に飲まれている。この俺が耐えられたものを、お前が耐えられないわけがないだろう」
「っ……! バー、ジル……俺、は……!」
「さっさと正気に戻れ、愚弟が」
何とも荒々しい言葉かけだが、双子である若には届いたようだ。今もなお好戦的な目をしてはいるが、先ほどまでの見境のなさは鳴りを潜め始めている。
「無駄だ! どれだけ正気を保とうとしても、お前の内にある闘争本能には逆らえん! この場に最もふさわしいもの、それは凄惨な命の奪い合いだ! ……さあ、俺と闘え!」
男が叫ぶと同時に、辺りのレネゲイドはさらに活性化していく。まるでこの男が口にした言葉に同調するように濃度を高めていくレネゲイドウィルスは、闘いを始めようとしているオーヴァードたちの本能を刺激する。
その距離は今まさに現地に着こうとしていた二代目、おっさん、初代すらをも襲った。
「この感覚……! 間違いない、この間のジャームだ!」
前とは比べ物にならないほどに荒くて鋭い、全てのオーヴァードを闘争心を呼び起こす空気の変わりを感じ取った初代は同じ失態をしまいと己を精神統一する。
ただ一瞬、レネゲイドを抑え込む意志にいち早く気づいた男は両手に持つ武器を使って真空刃を作り出した。
「全員引き裂かれろ!」
「間に合わなっ──」
「若っ!」
「──っ!」
男とはまだそれなりの距離があるというのに真空刃は目の前で対峙していたメンバーだけでなく、後方にいる大人たちをも巻き込んでその身体を切り刻み、全てを地に沈めた。
「数多を引き裂くこの感覚……! これだあ! これこそ、俺が求めた快感! だが足りねえ。まだまだ足りねえ! 立ち上がれ! 立って、俺をもっと燃え上がらせろお!」
一面が血の海と化した中、ただ一人立っている男は歓喜に満ち溢れた声を上げる。そんな男の言葉に従ってなのか、それとも己の意志か、どちらにしても一人、また一人と傷だらけの身体を起こしていく。
「悪い。今最高に気分が上がっていてな。間に合わせられなかった」
「すまない初代。援護が遅れてしまった」
「いいって。これぐらいは前に体験済みだ。……若も、ありがとよ」
現地に辿り着くのが今一歩遅かったため、完全に敵の挙動を掴み切れなかった。そのせいでおっさんは仲間たちを庇うことが出来ず、また二代目も領域の展開が間に合わなかった。
「わ、りい。俺、今は……こいつと闘いてえ」
二代目の声掛けに反応した若も先の真空刃の中、瞬時に判断を下して初代の前に炎を纏った防壁を展開したものの、いつも以上にうまく能力を顕現できず初代へ届く衝撃を下げ切ることが出来なかった。
「……衝動に支配されかかっているな。バージル、若のことを頼むぞ」
「ああ、問題ない」
「いってえ……。おいあんた、大丈夫かよ」
「……これで、三度目。まだ、いける」
二代目達の到着にバージルは安堵の表情を浮かべるがすぐに切り替え、再び男を見据える。若もバージルと同じように起き上がっているが、依然その瞳は闘争を求めている。
またネロも起き上がりながら隣で倒れ込んでいる女性に声をかければ彼女もまた、闘うために立ち上がるのだった。
「ネロの隣にいる奴……もしかして、ダイナか?」
見慣れない人物が一人混じっていると思えば、初代は先日に共闘した女性であることを思い出し、声をかける。
「貴方は……初代」
「また襲われてるのか?」
「その見解、肯定する。……良ければ、この間のように力を貸してほしい」
「いいぜ。今度も仲良く共闘と行こうか」
襲われていた女性──ダイナがまさか初代の知り合いだったとは知らなかった学生組は少し驚いていたが、同時にダイナに抱いていた警戒心も消えた。
初代の知り合いならば、信用に値すると判断したのだ。
「好き勝手させてしまったが……次はこちらの番だ」
それぞれの考えは違えど、目標はただ一つ。目の前にいるジャームの男を討つという共通の認識を再確認すると同時に二代目は一足先に若たちと合流を果たし、領域をさらに広げていく。二代目の支援を受けたバージルは即刻判断を下し、幻影剣を発射する。
目にも止まらぬ速さで男の元に迫る幻影剣を避けられないと理解した男は大剣でそれを受け切る。
「その程度かあ? 次は俺の番だなあ!」
受け切ると同時に男は再び真空刃を作り出し、全員を地に沈める。一帯が赤黒い地面となり果て、その地に伏せる者たちは満身創痍だ。それでも先ほどと同じように一人、また一人と立ち上がる。
「全く、お気に入りのコートが汚れちまった」
全身から血を流しているというのに、いつも以上に呑気な発言をするのはおっさんだった。前にネロのことを──厳密にはキリエ──狙っていたジャームと戦った時は相応に気合を入れていたというのに、今回はあの時と比べると対極的だ。
「何呑気なこと言ってんだおっさんは……!」
同じく全身が痛みで悲鳴を上げているネロはおっさんの発言に苛立った。こんな状況下だというのに、いくら何でも危機感がなさすぎる。
「俺としてはようやく心配の種が一つ消えて、安堵しているほどだが……ネロには髭が呑気に見えたか」
「あれが呑気に見えねえのか?」
ここでまさかのまさか、完璧超人の真面目人間である二代目が理解の範疇を超える発言をするのでネロは目まいがした。
どこからどう見ても呑気と言う他ない態度をしているおっさんを見て、あろうことか心配の種が消えただのと……一体どういう思考回路をしているのだろうか?
「……おっさん、悪いけど次は頼むぜ」
「ああ、次は完璧だ。任せときな」
「頼むぞ髭。今の若は冷静さがない」
「はっはっは! バージルからの期待にも答えないとな」
ネロは自分の感覚を間違っていないと思っているのだが、他の面々もおっさんの呑気さに怒っている様子はなく、むしろあのバージルの口からも若を頼むという発言が飛び出すので、頭を抱えるしかなかった。
「ネロもすぐに理解出来るって。それよりも、今はあいつをぶっ飛ばすのが先だぜ!」
二代目が来たという安心感。ダイナという女性が初代の知り合いということが分かり、警戒する必要もなくなった。そしておっさんの状態も把握出来たとなれば、もう己を抑える必要はどこにもない。後のことは全て仲間たちに任せ、若は男の元へと一人走る。
「いいぞ! 来い!」
「決めてやるぜ!」
真正面から突っ込んできた若を避けず、男は真っ向から自身の迫る灼熱の拳を大剣で受ける。
何度も打ち付けられる拳を最初は余裕な顔で受けていた男だったが、段々と振り抜かれる拳の重さに耐えられなくなり、片膝を地面につけた。
「畳みかけろ」
「おらああああ!」
一瞬の好機を逃さなかった二代目の的確な指示を受け、若はこれが全力だと拳を思いきり打ち付ける。最後の一撃を受けると同時に男の手から大剣が弾き飛ばされ、そのまま灼熱の拳が男の上体を捉えた。
瞬く間に燃え広がる炎は確実に男の全身を包み、また殴った若は肋骨を砕く感触を確かに感じる。
「そう……だ……。これで、いい! もっと、もっと闘おう……! もっと、もっとだあ!」
確実に肋骨をへし折り、さらには全身を燃やしたというのに男はどこにそんな力を隠していたのか、次の瞬間には殴られた跡は綺麗になくなっていた。
まさに闘争という名の妄執に取りつかれた男だからこそ成しえた生還。
これが常識など通用しない、オーヴァード同士の闘いだ。
「今のは確実に入ってただろっ……!」
若の圧倒的な力を見せられた後で自分に一体何が出来るのかとも思ったが、気づけば身体が動いていたネロは右手を赤い鱗で覆われた腕へと変形させ、男を殴った。
「ぬるい! お前はその程度かあ?」
「うっせえ! てめえみたいなイカれ野郎と一緒にすんな!」
若と比べられたのは正直に言ってショックだし、自分が全然だという現実を突きつけられたこともイラついたが、だからといって戦闘狂であるこんな男みたいになるのもご免だと素直に思った。
「俺の弟分に、随分と舐めた口聞くじゃねえか──ジャームさんよ」
刹那、男を穿つ二発の銃弾。一発は左肩を抉り、もう一発は右足に撃ちこまれていた。
撃ちこんだのは言うまでもない、初代だ。このメンバーの中では最もこの男に怒りを募らせていると言って過言でない彼は、だからこそ感情を胸に秘め、狙いを定めていた。
「この間もなかなかの威力だったが……今のは効いたぜ……!」
それでも、男はただ嬉しそうに口角を三日月形に歪める。一度は膝をつかせたというのに、まるでそんな事実はなかったかのような振る舞いだ。身体に入り込み、今だ放電しながら身を焦がすような痛みを与えてくる弾丸を引き抜き、ニヤリと笑いと飛ばす。
「……司令塔である貴方に問う。このチームの要は誰」
男と殴り合いをしているネロと若。さらに遠距離から射撃する初代とバージルの攻撃を全身で受けながらも反撃を繰り返してくるジャームと距離を保っているダイナは、辺りの状況を掌握している二代目に声をかける。
「髭……、初代の近くにいる呑気そうな奴だ」
ダイナが治療系の能力に長けたソラリスのシンドロームであることは把握している。先の男から放たれた二連打の真空刃を受け、誰もが怪我をしている状態ではあるが、この中で最も体力を必要としているのは誰かと問われればその人物はおっさんであると、ネロ以外の全員が答えるだろう。
それほどまでにおっさんはこのチームを支える大切な一員なのだ。
「承知した。では、髭と呼ばれる貴方にこれを」
彼女は初代のことをほんの少し知っているだけでしかないため、今この場にいる彼らがどういった力を得意としているのかは分からない。だから全体の指揮を取る二代目なる人物の指示を仰ぎ、チームの勝利へ繋がるように行動する。
「ん? 傷が治っていくな……」
「ああ。ダイナはソラリスだから、傷を塞ぐ物質でも作ってくれたんだろ」
「なるほど。感謝するぜ、嬢ちゃん」
優しく、そしてどことなく甘さを感じさせる匂いがしたかと思えばおっさんの傷がどんどん塞がっていく。最初は何故だと不思議に思ったが、初代の話を聞いて納得したおっさんはダイナにお礼をする。
「初代、俺の後に続いてくれ」
「無理するなよバージル」
おっさんが全快したのを見届け、バージルは先ほどの倍は超えるであろう幻影剣を現出させる。それをきっちりとコントロールし、ネロと若の間を針に糸を通すが如く、男だけを狙って突き刺していく。
後に続くように声をかけられた初代も二丁拳銃で器用に近接の二人を避け、電気を纏った銃弾を男に浴びせていく。
「終わらせねえ……。こんな、最高の宴を……俺が終わらせるわけにはいかねえ!」
オーヴァードであったとしてもこれだけの集中砲火を受けて立っていられる者はそういない。だというのにこの男は闘争という糧だけで身体を動かしている。
「おっと。その闘志には感服するが、もう仲間には傷一つつけさせないぜ」
どこまでも闘いを求めた男が繰り出した渾身の一打が若に届くことはなく、男の目の前には後方にいたはずのおっさんがいた。そしてお得意の魔眼と身体のしなやかさを使い、男の攻撃を受け流した。
「サンキューおっさん!」
「次で決めろよ?」
「ああ! これで……終わりだ!」
おっさんに庇ってもらったおかげで次の攻撃に集中することが出来た若が、燃える拳を男に向かって全力で撃ちこんだ。男の顔面を捉えた拳に全体重を乗せれば男は後方へと大きく吹き飛び、ピクリとも動かなくなった。
「……終わった、のか? 本当に……?」
何度殴ろうと、何度銃弾を撃ち込もうと倒れなかった男が、ようやっと倒れた。
そのことに安堵したネロが胸を撫で下ろすように息を一つ吐いた刹那、頬に切り傷が出来た。
慌てて事態を把握しようと男を再び見据えると、無数の真空刃がこの場にいる全員を一番最初の惨状と同じように地へ沈めんと眼前に迫った。
気づいた時にはどうしようもなく、誰かを庇うことはおろか自分の身を守るための動作すらも間に合わず、身体を刃に切り刻まれる衝撃を受ける。その事実を脳が理解することでいっぱいだった。
もうダメだと考えてしまった時には反射的に瞳を閉じていた。これで痛みが少しでも引けば御の字だ。
……だが、何も変化がなかった。
間違いなく迫ってきていた真空刃は消え、それを起こしていた張本人が起き上がってきた様子も、それこそまだまだこれからだと言った言葉を吐くこともない。
ただ、隣にいるおっさんが先ほどまで涼しげな顔をしていたはずだったのに何があったのか、額に汗を滲ませ息を切らしていた。
「無茶をしたな」
「なに、自分のするべきことも出来ずに全員をこんなにしちまったんだ。だったら、あれぐらいはしないと示しがつかないだろ?」
慌てた様子で駆け寄ってきたのは二代目で、珍しくおっさんの心配をしている。そんな彼に心配するなと言い切るおっさんは、やはり疲れた表情を浮かべていた。
「何が……起きたんだ?」
「俺も分かんねえ……」
ネロが状況を把握しきれていないのはもちろんのこと、一番おっさんの近くにいたはずの若ですら何が起きたのかと辺りを見渡すばかりだ。少し離れた場所にいたバージルもこちらにやってくるが、若やネロと同様に事態を把握しきれていないといった様子だ。
一方、そんな彼らとは離れた場所でダイナは初代と言葉を交わしていた。
「助けてくれて、ありがとう。連携の取れた、良いチームだった」
「俺たちも助けられた、ありがとよ。そういうダイナもとっさに俺たちに合わせてくれただろ」
「必要なことだった、ただそれだけ」
そう言ってダイナは髭と呼ばれていた人物と司令塔を務めていた人物を見て、複雑な表情を浮かべる。
「……あの二人が怖いのか?」
「一歩間違えれば、私は貴方たちと対峙していた。……そう考えると、素直に恐ろしい」
「安心しろよ。悪さをしない限り、俺たちDevil May Cryはオーヴァード……もっと言っちまえばジャームだったとしても手は出さない」
最も、ジャームは見境がないので暴れるなという方が無理難題だったりするが、Devil May Cryの方針はあくまでも平和に暮らすことが第一なので、わざわざこちらから仕掛けることはない。
「そう。それでも、あれだけ悠然と指揮を取れる冷静さを持つ司令官と、一瞬でも“時を止める”ほどの力を持ったバロールのシンドロームを持つ者がタッグを組んでいるというのは……末恐ろしい」
「……まあな。俺は二代目やおっさんと敵対することなんてのは一生来ないと思っているから頼もしいとしか思わないが、敵からしたらとんでもないか」
初代の言葉にダイナは一つ頷き返し、彼らの人情の厚さにただ感謝をするのだった。
Ending 01 Scene Player ──── 初代
ジャームを無事に討ち取った代償として身体を酷使する羽目になった面々は、事務所へ戻る前にダイナからの施しを受けていた。
「流石に、この傷のまま事務所へ戻るのは気が引けるからな」
おっさんがいつも使っている摩訶不思議な時空の歪みで戻ることも可能ではあるが、今のおっさんに負担はかけさせたくないという二代目の配慮により、ダイナに甘えることにしたという。
「私は助けられた。だからこれぐらいの恩返しは、させてほしい」
せっせと傷を塞ぐ物質を生成している彼女は一人ずつにそれを塗り込んでいく。
順番は二代目の指示で年少組から。先に治療してもらった若とバージルは自由に行動し始め、男の傍に落ちている大剣と日本刀を興味深そうにそれぞれ手に持った。
「……? 何だ?」
「貴様も聞こえたのか?」
突然不思議なことを言い出した双子をネロが怪訝そうな顔で見つめている。ネロ以外の面々も誰も声をかけていないと首を横に振った。
「バージルも聞こえたよな? “我が名はリベリオン、汝を力ある者と認め、力を貸し与える”とか何とか……」
「何を言っている。名前は“閻魔刀”だろう」
「はあ? リベリオンだって!」
「いいや、閻魔刀だと俺ははっきり聞いた。この俺が聞き間違えるなどありえん」
音の扱いに長けたハヌマーンのシンドロームを持つバージルは自分の耳に絶対の自信がある。とは言え若も聞き間違えじゃないの一点張りで、他のメンバーはそもそも何も聞こえていないという状態。
では一体、誰が話しかけてきたというのか? もしや新たな襲撃ではないかと二代目とおっさんは警戒を強める。
そんな中、初代の治療を終えたダイナが双子に視線を向けたとき、手に持っている物を見て何が起きたのかを理解し、口を開いた。
「二人が持っているその武器たちが語りかけたのだと思う」
「……はっ? 武器が?」
無機物が話しかけてくるとか何を言っているんだと言わんばかりの表情を浮かべるネロ。これには若とバージルも同意見のようで、ダイナに痛い子を見る目を向けている。その反対に大人組は武器が話しかけたという言葉の意味を理解したようで、納得しだす。
「なるほど、そういうことか」
「力を貸すとか聞こえたんなら、持ってて大丈夫なんじゃないか?」
「思わぬ拾い物をしたな。武器自身が認めたというのなら、二人が持っていると良い」
おっさんは頷いて勝手に一人で自己解決。初代も持ち帰ることに賛同しだすわ、二代目も双子に武器の所持を認めるわで年少組の許容範囲を大きく超えてしまった。
本当に無機物である武器が喋ったというのを信じているのかと疑心暗鬼な彼らに、ダイナは言葉を足した。
「レネゲイドが自我を持った……簡単に言えば私のような存在をレネゲイドビーイング。自我はないけれど物質や動物、果てには何かしらの集合意識や電子情報のような、人間以外の物を侵蝕するレネゲイドは“EXレネゲイド”と区別されている。ちなみに、その二つの違いは己を“レネゲイドの一種”だと自覚しているかどうかで判別している」
だからその武器たちはEXレネゲイドであり、どういう判断を下したのかは謎ではあるものの強き者に使われることを望んでいるようで、見事双子はお眼鏡にかなったというわけだ。
「そんなのまで存在するのかよ……」
レネゲイドウィルスという、どこまでも不思議な存在にいまだ驚かされてばかりのネロ。一方でEXレネゲイドというものを初めて知り、更には認められたことに機嫌を良くした双子はそれぞれの武器を戦利品とする。
若はリベリオンと名乗った大剣を背に、バージルは閻魔刀と名乗った日本刀を腰に提げる。
「……さて、今回の件に首を突っ込んだ主犯者は今のうちに名乗り出るように」
傷も治り、そろそろ帰るかというタイミングで放たれた二代目の一言で空気は一瞬にして凍り付く。
ダイナには大変悪い話ではあるが、今回の事件は避けようと思えば避けられる出来事ではあった。Devil May Cryメンバーの視点から言ってしまえばダイナはあくまでも赤の他人であり、助けるべき対象ではない。もちろん、いろんな事情が重なった結果が今回の事件に繋がったのだが、どこかの誰かさんがもっと慎重に行動していれば、もっと安全に事が運べていた可能性がある。
「早めに申告した方が身のためだぞ」
バージルは誰とは言わないが主犯者に視線を向けながら言い放つ。これに同意するように大きく首を縦に振る若。この時点で誰が犯人か言っているようなものだ。
「その…………俺、です……」
そんな状態にさせられてしまっては言う他ない。背中を伝う嫌な汗を感じながらネロは恐る恐る手を上げると、二代目の盛大な溜息とおっさんの豪快な笑い声をその身で受けることになった。
「軽率な行動は控えるように。今回で分かったと思うが、下手な行動は仲間の命を危機に晒す。無論、それはネロ自身も含まれていることだ」
「悪い……」
「坊やも若に負けず劣らず猪突猛進だったか! ま、次やったら世にも恐ろしい二代目の説教が待ってるだけだ。そう落ち込むなよ」
「励ます気がねえなら黙ってろよ!」
先ほど見せていた疲れの顔はどこへやら。気づけばいつもどおりの憎たらしいおっさんがそこにはいた。これに腹を立てたネロがおっさんに殴りかかるが、ひらりと躱されてしまう。
「迷惑をかけたこと、謝罪する」
「いや、君には一度初代を助けられている。その恩を返しただけだ」
怪我が治ったかと思えばすぐに暴れだす二人のやり取りに野次馬をしに行った若と、傷が治ったので一足先に戻ってキリエを迎えに行ったバージルを横に、ダイナは二代目に謝罪の言葉を口にする。これに対して二代目は特別なことはしていないと言い切った。
「なら、いい。…………あの」
「何だろうか」
何かを言いたげに、それでいて口ごもる彼女に何かと問うと、ダイナは意を決したように言葉を紡ぐ。
「少しだけでいい。初代と話がしたい」
まさかの名指しに、初代は一体何だと頭に疑問符を浮かべる。これに対して二代目はわざわざ俺に許可を取るようなことではないと言葉を返した。
「いいぜ、別に。……で、話ってなんだ?」
「初めて出会った時に共闘して、戦いが終わった後、貴方は私の正体を知った」
二代目がこの街に危険が迫らないようにと調べ上げた情報はダイナの物であり、その内容はダイナの前で初代にも伝えられた。そしてレネゲイドビーイングであるだけでなく、その中でも希少な存在である“神格”と知ったにも関わらず、彼はこう言ってくれた。
「レネゲイドビーイングだろうと神格だろうと、人間と仲良くしたいって思ってくれてるなら俺はいいと思うぜ。問題さえ起こさなきゃ、この街でゆっくりと暮らしてればいい」
確かに、自分の耳で聞いた言葉だ。
「私の存在は、はっきり言って問題を呼び込んでしまう。なのに何故、この街で暮らしていいと……?」
「呼び込むっつーか……勝手に問題がやってきてるだけじゃないのか?」
初代の言うとおり、保護しようと動いているUGNも、実験材料として扱おうとしているFHも、ダイナ自身が求めているものではない。いわば向こうの勝手な都合でやってきているだけだ。だから初代の表現は正しい。
「しかし、この街を守っている初代からすれば、由々しき事態では?」
「いや、別に守ってるわけじゃ……。というか、どこで暮らそうとダイナの自由だし、それを俺がどうこう言う方がおかしいだろ」
「……言われてみれば、そうかも」
正体を知られたらすぐに移住する生活をしていたせいで、感覚が相当ずれていることを知ったダイナは初代のもっともな言い分に納得の意を示す。
「まあ、なんだ。俺たちはオーヴァードってだけで色々と制限も多いんだから、住む場所ぐらいは好きに決めちまえよ」
「ありがとう。……やはり、あの時感じた想いに従って、良かった」
「なんだ? 想いって」
初代という一人の人間に抱いた、彼のことをもっと知りたいという欲求。
自身のことを生まれたと言っていいのかは些か疑問が残る表現だが、これ以外に表現のしようがない自分という存在──エイルと呼ばれる北欧神話に登場した女神を元に生まれた、ダイナという個人の自我を持った己が生きてきてから数年。まだまだ短い人生ではあるが、初めて抱いた一個人を深く知りたいという想い。
この想いを何と呼ぶのか、その表現をダイナは学んだことがある。
「人は、この想いを“恋”と呼んでいる」
これを聞いて噴き出したのは、不覚にも二代目だった。当人である初代に関しては鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
「レネゲイドビーイングが恋をする、か……。面白いこともあるものだ」
「私はこの想いを知りたい。他の誰でもない、初代から学びたい」
「俺、告白されてんのか……?」
初代自身も恋愛がどういったものであるかという知識はあるが、実際に彼女を作ったことは未だにない。
オーヴァードである彼にとっては普通の人と変わらない日常を過ごすことだけでも大変なことなのだ。そんな中でオーヴァードを知らない一般女性と付き合えるなどとは思っていないし、仮に同じオーヴァードの女性がいたとしても、残念ながら甘い話が持ち上がることはない。というか、まず出会いがない。
「返事をしてやれ」
二代目が喝を入れれば、放心状態から初代が戻ってくる。そしてしばらく悩んだ後、意を決した初代が口を開いた。
「苦労、かけるぜ?」
「問題ない。恋というのは、障害が多いほどに燃え上がるものだと聞いている」
「……そうか。なら、これからよろしくな」
「ありがとう。では晴れて、私たちは恋人と呼ばれる関係に昇格した」
「……二代目、俺はどうしたらいいんだ?」
「俺に聞くな。……初代、しっかり守ってやるように」
普通ここは恥ずかしがったり、何なら喜んだりする場面なのだろうが、まだまだ人の感情というものを分かり切っていないダイナにとっては難しいようだ。淡々と事実を述べる彼女に一体何をしてやれば良いのか皆目見当もつかない初代は困った様子で二代目に助けを求めるも、一刀両断されてしまった。
それでも、最後の言葉には力強く返事をした初代を見て、二代目は良しとしたようだ。
Ending 02 ──── Master Scene
Devil May Cryに新たな仲間を迎え、皆が事務所へ帰った後。こと切れた男と、一面の血溜まりを見つめる一人の少女がいた。
「また一人、死んでしまった……」
喉奥から絞り出した声はか細く、なびく程度の風にすらかき消されるほどであった。そんな少女は何を思ったのか血溜まりに両手をつける。すると、まるで意志を持ったかのように血が躍りだし、人の形をかたどっていく。
「相変わらず、気色の悪い人形遊びをしているのだな」
そんな少女に声をかけたのは左目を眼帯で隠している男だった。しかし少女は気にすることなく、黙々と新たな人形を作り上げていく。2体ほど作り上げたかと思うと、少女が眼帯の男に言った。
「これは“マスター”からのプレゼントです。どうぞ、お使いください」
「何の真似だ」
出来上がった人形を見ながら、左目に眼帯をつけた男は意味が分からないと血で作られた人形と少女を交互に見ながら言った。
「“マスター”がお求めなのはネロという青年ただ一人。その周りにいるオーヴァードたちは目障りです。その中でも特に邪魔な二人を貴方が殺してくれると言うなら手を貸すと“マスター”が仰っていました」
「貴様の“マスター”なぞはどうでもいい。……だが、協力には感謝する」
人形となった二体は顔の部分にそれぞれ怪奇な面をつけており、素顔はまるで分らない。つけている面はどちらも同じで口元は大きく三日月型をしており、口角部分が頬にまで到達していて、不気味だ。目元も三日月形で笑っており、それが不気味さを助長した。
「残っているこちらの死体は私が頂きますが……それは問題ないですよね」
「好きにしろ。レネゲイドビーイングの死体なぞ、譲られても困るだけだ。貴様はブラム=ストーカーのシンドロームらしく、血に塗れながら遊んでいるがいい」
「決して遊んでいるわけではありませんが……理解されないことに慣れています。精々“マスター”を失望させないよう、見事に目的を果たしてください」
私が望むのはただそれだけだと少女は言い残し、死体を引きずって去っていく。しかし、理解されないことに慣れているといいながらもその瞳は怒りを宿しており、眼帯の男に良い感情は抱いてなさそうだ。
「……俺は必ず果たす。仇を討つために」
去っていく少女を背に眼帯の男は胸に拳を当て、誓う。そんな決死の誓いを立てている眼帯の男を愚かだと少女が嘲笑っていることも知らずに。
──裏切者である完全勝利と鉄壁の防御に裁きの鉄槌を。
第二話「生まれ方の違い」 了