The sender

 冒険者として復帰を果たし、見事依頼をこなした日の夜。一足先に部屋で休息を取っていたバージルとリエルは用意されたそれぞれの寝具に身を預けていた。
「まだ、起きていますか?」
 目を閉じたまま声をかけたのはリエルだった。これに対して返事は無く、バージルはもう眠っているのだと解釈したリエルは少し寂しそうな、それでいてどこか安堵した様子で自身も眠りにつこうとした。
「今回の件、俺とダンテに関連することだと言えば、聡明なお前なら理解が及ぶだろう」
 寝ていると思っていたから、まさかの返答にびっくりしてリエルは飛び起きた。そしてバージルの方を見ると赤く光っている瞳が鮮明に映った。
 声に驚いてしまったことを恥じらいつつ、バージルが何を伝えたいのかを悟ったリエルは理解を示し、わざわざ確認を取ることも、深く言及することもなかった。
「起きているなら起きていると、返事をしてくだされば驚かずに済んだのに」
 代わりに小言を一つ言えば、赤い瞳が伏せられた。しかし口角が若干上がっているところを見るに、どうやら確信犯であるようだ。
 リエルは呆れたように小さなため息を漏らした後、優しくおやすみなさいと声をかけるのだった。

 国宝を見つけた翌日。
 朝一で身支度を済ませた六人は世話になったウェルヒンの店主に挨拶をし、国宝であるネックレスを受け取って港町ポートピアを発った。
 話を聞く限りでは、舗装された道を辿っていけば至って安全な旅路になるだろうとのことだった。事実、今までにたくさんの人が通ったであろう跡を随所で見つけることが出来るし、何なら他所から来た冒険者や商人とすれ違うこともあれば、自分たちと同じくハーヴェス王国を目指している者たちがポートピアを後にする姿も見受けられた。
 早朝から歩を進めていた一行は昼頃に一旦休憩を挟むため、舗装された道からほんの少し離れた草原で腰を下ろしていた。周りにも同じ考えの者たちがちらほらといるようで、簡易な食事を取っている者や仲間内で楽しく談笑している声、中には仮眠を取っている者などがいた。
「連日、これだけの人族が行き来してるなら安心だな」
 ダンテは水分補給をしながら額に滲む汗を拭う。先の発言にしても蛮族との戦いを避けられることを好意的に取っているようで、どこか肩の荷が下りた様子だった。
「預かっている物もありますから、戦いを避けたいのは私としても本音です」
 今は何よりも優先すべきことがあるとキリエも同調する。もちろん、目の前で困っている人がいれば放ってなどおけないだろうが、必要以上の厄介事を抱え込むべきではないと考えてはいるようだ。
「時間が惜しい、行くぞ」
 休憩を始めてからまだそれほどの時間は経っていないのだが、バージルは立ち上がって先へ進むように促した。これに対して一番文句を垂れたのはダンテで、他の面々は意外にも苦言を申し立てることはなかった。
 キリエはその責任感の強さから届けられるなら早い方が良いと考えているし、そんな彼女に付き従うダイナも然りだ。リエルに至ってはバージルの唯我独尊な性格が今に始まったことではないことを良く知っていて、それを受け入れた上で共にいるから文句はなく、ネロも好んではいないが今更言ってもどうにもならないので諦めているという実情があったから、何か言うことはなかった。
 無論、ダンテがバージルの性格を知らないわけではない。分かっている上で、文句を垂れているのだ。それは思いの丈をぶつけているのも確かでありながら、同時にじゃれついているようなものでもあった。
「何もこんな炎天下の中、歩かなくてもいいだろ」
「うるさいぞダンテ。黙って歩け」
 季節はまだ日照りを厳しく感じるような時期ではない。それをダンテは炎天下なんて誇張表現をするものだから、これにはネロも否定の言葉を投げかけたぐらいだ。
「どんだけ日差しが嫌いなんだよ。夏になったらどーすんだ?」
「おっと坊や。勘違いをしているようだが俺はお日様のこと、大好きなんだぜ? ただ、お日様が俺のことを嫌いだそうでな。俺にだけは一際強い光を浴びせてくるのさ」
 あまりにもくだらないことを言うのでネロは盛大な溜息を吐いた後、これを無視した。
 四人にとってはいつものやり取りでしかなかったが、新米の二人にとっては新鮮だった。だからキリエは口元に手をあてて笑いをこらえていたし、ダイナもどこか呆れた様子で見守っていた。
 こうして、導きの港ハーヴェス王国へ向かうまでのほとんどを歩くことに費やしたお陰で予定していたよりも早く辿り着いたので、検問所にもなっている正門で冒険者の証である冒険の紋章を見せればすんなりと入ることが出来た。
 正門を超えると、港町でしかなかったポートピアと比べるにはとても申し訳ないほど、たくさんの建物やお店が立ち並んでいた。
 豊かな水源と共に発展を遂げてきたこの都市は街中に水路が張り巡らされており、国からの認可を得て船を浮かべる“渡し屋”と呼ばれる職業が成り立っていることが、最も珍しいことであると言えるだろう。他にも国営の大衆浴場や路地と水面両面に隣接する形で商店がいくつも並ぶ青空市場、市街地中央の大広場で不定期的に開かれる競売市も有名であり、質の良い飲食店では無料で飲み水が提供されることも特徴的だ。
「こんな大きい都市に来たのは初めてです」
 歩いては到底一日で端から端までを見て回ることは出来ないであろうほどに広大で、道に迷ったり、入り組んだ路地に入らなかったとしても、結果は歴然だった。
 キリエが大きな都市に来たことがないということは、必然的にダイナもそうであるということだ。従者として片時も離れることのない彼女がキリエの目を盗んで一人出歩くというのは、とても考えにくいことだったから。
「なんか、よく分かんねえ店ばっかだな。何が売ってんだ?」
「生活必需品以外の物が出回るってことは、それだけ豊かであるという証拠さ。娯楽にまで金を回せる余裕が一般人にあるってことだからな」
 娯楽と一言で表しても絵画から陶芸品、彫刻あるいは書籍、少し洒落た家具、果てにはどこかの小さな集落の間でのみ出回っているような用途の分からないものまで店頭に並んでいる。これらは各地を巡る商人たちによってどこからともなく運び込まれたものたちで、同時に経済が回っている証拠でもあった。
 並んでいるのは娯楽関連の店ばかりではなく、飲食店は数多く見受けられるし、冒険者たちを支えるギルドを初めとした建物もある。ポートピアにもあった宿屋兼酒場になっている所から魔術師ギルドと呼ばれる魔術師育成を担っている建物に、魔動機術の復活と保全のために活動しているマギテック教会もあった。
「あれ、可愛いですね」
 王宮を目指す通りすがらに立ち並ぶ店の品々を見ながら、ふと視界に入った赤色の置物をキリエが褒めた。
「アカベコ……って、なんだ?」
 商品札に書かれている金額は小物相応の値段といった具合だが、如何せん聞いたことのない品物の名前にネロは首を傾げている。
「さあ、俺も聞いたことねえな。民芸品だとは思うが」
 足を止めてしっかりと観察をしたわけではないので細部までは分からないが、全身を赤く塗られた牛のようで、どうやら首の部分がお辞儀をするように揺れるような構造になっているようだった。
 他にも見て回りたい気持ちはあるが、今は何よりも優先すべきことがあることは誰もがよく分かっていたから、目はせわしなく動いても誰も足を止めることはせず、目的地である王宮に続く道をきちんと進んでいくのだった。

 王宮へと続く道は大きく、そして綺麗に舗装されているため歩きやすいものだった。中心街とは違ってお店の賑わいは徐々に薄れ、代わりに貴族たちが住んでいると思われる豪勢な建物が多く立ち並んでいる景色へと変わっていく。
「気のせいか?」
 観光する場所ではないにしては少し、人通りが少ない。そう感じたバージルは周囲に気を配りながら歩いていたが、特に気になるようなことはなかった。他の者は別段気にしている感じではないし、ダンテとキリエに至っては先ほどのアカベコなる民芸品の話で盛り上がっているほどで、周りのことは気にもとめていない様子だった。
 結局、王宮へ入るために通らなければならない門に辿り着くまでの間の違和感はただ単に人の数が少ないというものだけで、人混みの中を通り過ぎてきたが故に過敏になってしまっていただけだとしてバージルは片付けることにするのだった。
「何か御用でしょうか」
 鎧を着こみ、槍を握っている門番二人が皆の前に立ち塞がった。
「王様に用事があるから、会わせてほしいんだ」
 ダンテが身分証明書である冒険の紋章を提示すると門番は受け取り、中身を確認して返してくれた。
「冒険者であることは認められても、王への謁見を認めることは出来ません。それ以前に、無名の冒険者が王宮に入れると思ってここまで来たということを本気で主張するなら、著名人の招待状などがありませんと」
「まあ、そうだよな。一応依頼を受けている証明は出来るんだが」
 そう言って、ダンテが次に取り出したのはポートピアにあるギルド支部ウェルヒンで依頼を受けている旨が書かれた羊皮紙を手渡したが、これを読んだ門番はさらに顔をしかめた。
「確かに各ギルドが正式に依頼を出したことを証明する印を確認することは出来ました。ですが、失礼ながらこんな内容の依頼を受けた貴方たちが正気であるとはとても思えませんよ」
 普通の依頼であれば、知り得る限りの情報が全て書き込まれている。
 討伐依頼であれば対象の蛮族の名前や数、場所、その他の注意事項など。捜索依頼も探しだす対象物のことや、可能であれば場所の言及がある。つまり、どんな依頼も何かしら記入があるということだ。
 だが残念なことに、ダンテが見せた依頼を受けていることを証明することの出来る羊皮紙には、ただ依頼を発行したという印が押されているだけで、依頼主の名前は当然のこと、目的も、報酬も書かれていない。これではいくら正式な依頼であったとしても、信頼してもらうにはあまりにも難しいことであった。
 依頼を受けたダンテたちは、何故書かれていないのかも把握済みではある。しかし、その事実を喋るということはわざと書き記さなかったことを無下にする行為でしかない。
「時間を取って悪かった。出直すことにする」
 何か言おうとしているネロをさっさと連れて門の前を後にするダンテに続いて、他の者たちも王宮前を立ち去り、城下町まで戻るのだった。

 夕刻となったためか、あちこちにある酒場が繁盛しだしたようで店の中は大変賑わっていた。適当に近くにあった酒場にダンテたちも入り、空いている席を探すが見つけることは叶わず、先客たちに確認を取って相席という形でどうにか食事にありつけるぐらいだった。
 相席を了承してくれた人物たちは冒険者ではなく、ブルライト地方内で商いをしている商人たちだったようで、こちらに構うことなく仲間内で噂話を口にしたり、情報を交換し合っていた。
「今回の旅路はどうでしたかな?」
「ユーシズ魔導公国は相も変わらず治安が良かったですよ。お陰で商売もやりやすいってもんです。そうは言っても“マグヌスの目”を居心地が良いものであるかと問われると、口を噤みますがね」
「ああ、噂には聞いていますよ。何でも魔導公国トップであるヴァンデルケン・マグヌスその人が、何らかの魔法を用いて街の至る所にいらっしゃるとか……」
 どうやら一人の商人はここ、導きの港ハーヴェス王国より北東へと進み、コロロポッカの森と呼ばれる場所を超えた先に位置するユーシズ魔導公国から長い旅を終えて帰ってきたようだ。食事をしながら親睦を深め合っているキリエやリエルたちの話に適当な相槌を打ちながら、ダンテはさらに商人たちの会話に耳を傾けた。
「そちらはどうでした?」
「私はマカジャハット王国からつい先日、戻ってきたんだ。今回もまた、良質な絵画や陶器などを手に入れられたよ。そうそう、なかなかに美しい踊り子を見つけてね」
「この間も、若い踊り子に手を出して痛い目を見たばかりじゃありませんか。貴方も懲りませんね」
 マカジャハット王国はここから北西へと向かい、途中にあるジニアスタ闘技場をさらに西へ行くと辿り着くことが出来る。
 芸術が盛んな都市国家として名を馳せており、美術館や劇場が町中の至る所に立ち、一日中なんらかの出し物が催されているのが特徴的だ。また昼と夜で表情を変えることでも知られているマカジャハットは、少し入った裏通りに行くと前衛的なデザインのバーや娼館が立ち並んでいると言われている。
「良いじゃないか。それより、ここでは何か変わったことは?」
「特に変わり種はありませんが……そうそう。またアイリス姫が城を抜け出してはここらの冒険者ギルドで有望そうな者を探しているらしいですよ? まったく、いつ城内の者にバレて怒られますやら……」
「またか。あのひどい変装で本人は身分を隠せているつもりだというのだから、幼子だと言わざるを得んな」
「まあ、歳も十四やそこらだったはずですから、大方外の世界に憧れを抱いているのでしょうよ」
「ヴァイス王も妹君に手を焼いているという噂もありますから、相当にお転婆なのでしょう」
 ダンテたちが相席を頼むよりも前からお酒を飲んでいた商人たちは随分と機嫌がよくなっているようで、その後も国の情勢についてや今後の商売の話などに花を咲かせていた。
 そんな商人たちよりも先に食事を終えた一行は礼を言って席を立ち、酒場を後にした。

 陽が沈み、月が夜の街を照らす時間帯になった。外灯は充分にあるため、昼とは違った光源ではあるが街は十分に明るい。
「ちょいと、近くにあるギルドを何軒か回りたいんだがいいか?」
 まだ今晩泊まる宿を探していないことは重々承知の上で、ダンテは提案した。
 理由は先ほど商人たちが噂していたアイリスという人物を探しだしたいからだった。聞こえてきた話が本当だとすると、アイリスは王宮内で暮らしていて、何なら国王であるヴァイス・ハーヴェスの妹に当たる人物ということになる。国王直々に返すことは不可能でも、その妹に返せるなら文句はないだろう。
 アイリスが国宝の所在を知らなくとも国宝自体の存在は知っているはずだから、見せて驚きの反応を返せば商人たちが言っていたことは本当ということになるし、反応がなければまた別を当たればいいと、ダンテは考えていた。
「ダンテが会話に入って来ないから珍しいとは思っていましたが、そういうことでしたか」
 淡々と述べながらもリエルは理解を示していたが、頭部に満開で咲いている花を見たダンテは何も言わず、ただ笑っていた。
「ネロ、お前は宿を探しておけ。依頼の件はこちらで片付けておく」
「では私も宿探しの方に回りますね。ダイナはリエルさんたちについていって、話を聞いてきてくれますか?」
 最初に指示を受けたネロは最初こそ嫌そうな顔をしていたが、キリエがついてきてくれると聞いた途端にフードを深くかぶり直して顔を隠してしまった。
 一方、指示されてしまった以上は従うしかないダイナは否定の言葉を口にすることはなかったものの、キリエの傍を離れることは不服だと顔に書いてあった。
「大丈夫だって。何かあれば坊やが守るから、な?」
「街の中だし、滅多なことは起きないだろうけど……見捨てることはしねえよ」
 ぶっきらぼうな言い方しか出来ないネロのことを理解しつつあるキリエは、先の言葉が彼なりの誠意なのだと分かったから微笑むばかりだったが、言葉どおりの意味に捉えたダイナはますます怪訝な顔をした。
「何故、キリエ様が私をリエルさんたちの方へ同行させるのか、その意味は分かっているつもりです」
 キリエの指示は厄介払いだとか、ダイナの目を盗んで羽目を外してみたいなどといった邪な思いがあってのものではないということはきちんと分かっている。
 現在共に行動している六人は、確かに一つの依頼を協力してこなす関係にある。しかし、何か有事が起きた際、誰が誰を優先するかは違うのだ。キリエはそれを良しとしていないからこそ、この機会に互いはもっと信頼できるに値する関係になれるということを少しでも伝えたくて、あえてダイナと分かれるように仕向けたのだった。
「成否に関わらず、二時間後。再びここで落ち合おう」
 話はまとまったとして、バージルの一言でそれぞれが目的のために行動を始めた。
 ネロとキリエは本日泊まれる宿屋探しを。他の四人はどこかの冒険者ギルドに顔を出しているらしいアイリスという人物探しを。

 冒険者ギルドを虱潰しに回っている四人の間に流れる空気は、良いものではなかった。原因は言うまでもなくダイナにあり、終始気を荒立たせている姿は見ている者にとっても不快なものであった。
「そんなに坊やが信用ならないか?」
 ここも外れだったと若干気を落としているダンテは次の冒険者ギルドに当てをつけて進みながら、ダイナに質問した。バージルは我関せずを貫いてアイリスを探すことにしか興味を持っていないし、リエルも相手を良くも悪くも気しないため、結局はダンテしか気遣える者がいなかった。
「キリエ様を守る使命を帯びているのはこの世でただ一人、私だけ。だから私が守ることは必然であり、他者に対してその行為を求めているわけでも、ましてや期待しているわけでもない」
「だから託せないって? ……ああ、いや、言い方が悪いか。何だろうな、説教は柄じゃないんだ」
 つい熱くなってあれこれ言ってしまいそうになったダンテは何とか堪えた後、困ったように頭を掻きながら苦笑していた。その姿を見たダイナは視線を落とした後、少しだけ、想いをもらした。
「キリエ様の安全を想うなら、頼れる者が多い方が好ましいことは分かってる。そして、貴方たちにはそれに適うだけの実力があることも、十分に見せてもらった」
 だからこそ、ダイナの心情は穏やかではなかった。
 これから先も彼らと行動を共に出来た方が良いと自分でも分かっているからこそ、いつかやってくる別れの時を迎えた後、自分の力だけでキリエのことを守り通すことが出来るのか、考えずにはいられなかった。
 冒険者の仕事は命を賭けてこなすものが圧倒的に多い。それに、たとえ危険な冒険者を辞めてもキリエが神官を続ける以上、どこかの小さな修道院や教会に身を置いたとしても神の救いを求めて人々は訪れる。そんな人々を救済するためなら、キリエはその身を危険に晒すだろう。
 命の奪い合いは常に非情だ。それを誰よりも理解しているからこそ、ダイナは己の力だけではどうすることも出来ない事態に陥ってしまった時のことを考えては一人、恐怖に苛まれるのだった。
「だったら頼れよ。心の内に秘めてるものについては、もっと俺達のことを信じてくれてからで構わねえから」
 まだ日は浅いものの、こう見えてダイナとキリエのことを結構気に入っていると話すダンテは飄々としているように見えて、相当に気を遣ってくれていると分かるそれだった。
 そんなダンテの心遣いに温かさを覚えるのと同時に、自分が随分と幼いことをしていたのだと知ったダイナは己に対し、憤りを感じずにはいられなかった。
「おい、お前。話がある」
 七軒目の冒険者ギルドにして、ようやっとそれらしい人物を見つけたバージルが相手に声をかけた。
 相手は、噂されるのも仕方がないほどに変装の技術が乏しいようで、本人としては変装しているつもりであっても、むしろ目立っている程度にはお粗末なものだった。それでも他の連中が声をかけないのは元から用事がなかったり、またアイリス姫のお戯れだとして見て見ぬふりをしているからであった。
「あら、私に何か用かしら」
「話があるといった。店主、個室を借りるぞ」
 ギルドの大きさにもよるが、依頼主から直接話を聞けるように小さめの個室が設けられていることがある。その一つを借りるとバージルは独断で決めて部屋へと入っていった。
 あまりの横暴さに驚いたり怪訝な顔をする冒険者もいたが、リエルとダンテがここの支部をまとめている人物に話をつけて、どうにか粗末な変装をしている人物を連れて個室に入ることを許可されたのだった。

「随分と自分勝手な方みたいですけど、私が誰か分かっていてこのような態度を取っていると考えてよろしいのかしら?」
 変装道具を外し、部屋に置かれているソファに腰を下ろしている少女は気丈に振る舞っていたが、小刻みに体を震わせていた。
 一つ壁を隔てた先には自分に力を貸してくれる冒険者たちが数多く存在しているとはいえ、今目の前にいる四人は初めてみる顔であることぐらいは分かる。もしも、悪事に手を染めているような相手だったら……。
「これを返しに来た」
 少女の様子に気遣うことなく、バージルは懐から何かを取り出した。いきなりのことで体を強張らせた少女は固く目を閉じたが特に何も起こらないので恐る恐る瞼を上げると、テーブルの上には豪勢に飾られたネックレスが置かれていることに気付き、息を呑んだ。
「どうして、貴方たちがこれを……!」
 ここにあることが信じられないと、少女はテーブルの上に置かれていたネックレスを確かめるため、手に取った。すると、さらに驚くべきことが起こったような顔をした後、放心し、先ほどとは別人のようにしおらしくなってしまった。
「あーっと、取りあえず、そのネックレスに見覚えがあるんだよな」
「これはね、テルズメモリアって言うの。……ヴァイスお兄様の所有物。つまり、国宝よ」
 国宝の正式名称がさらりと出てくるところから現国王のことを兄と呼んだ、目の前にいる少女はアイリス姫で間違いないだろう。
 ようやっと確信を得ることが出来た四人は今までの非礼を詫びた後、改めて事の顛末を話した。
 数日前に港町ポートピアで受けた蛮族討伐をこなした際に国宝を見つけたこと。このネックレスには差出人は不明だが書き手紙が添えられていたことを伝えた上で、依頼達成のために渡したことを証明する国王直筆の証明書が必要だと頼めば、アイリスから別の条件を提示された。
 テルズメモリアは現国王であるヴァイスが秘密裏にある人物へ貸していた物であるという。その相手とは、数年前まで王直属の近衛兵だった魔術師で、退任した今は冒険の国グランゼールに赴いて、今もなお新たに掘り起こされている様々な魔術関連の文献を読み解いているらしい。
「だけどある日、ギーシェが王宮にやってきて、真偽を確かめないといけない文献を見つけたけどとても危険な物かもしれないから、無理を承知でテルズメモリアを貸してほしいと頼みに来たの」
 曰く、テルズメモリアは魔法の道具だという。効果は一文程度の短い言葉を記憶させるというものだが、残念なことにその言葉を聞くことが出来るのは言葉を覚えさせた本人と、記憶させた事柄に関連する者なため、扱いが難しいものでもあった。
 それを承知で借りたギーシェは今、どうしているのか? それを確かめてほしいというのがアイリスからの依頼だった。
「もちろん、これは正式に私からの依頼として扱うわ。報酬は国王直筆の証明書でどうかしら」
 変装が下手だろうがお転婆だろうが、アイリスは愚者ではない。然るべきことは判断できるし、それに見合った提案もする。
 これに対し、ダンテたちは断る選択肢が一応与えられている。
 自らの手で国王に届けるという道だ。無論、今のままではとてもじゃないが達成することは叶わないが、何かしらの手段を講じるというのであれば試してみてもいい。もっとも、アイリスの依頼を断るという行為が悪手で、あまりにも愚行だということは否定できない。
「受けざるを得ないよな。こっちとしても、国宝を持ち歩いて紛失するなんてヘマは何としても避けたい」
「交渉成立ね。じゃあテルズメモリアは私が責任を持ってヴァイスお兄様に返しておくから、その点は安心して」
 その代わり、必ずギージェの安否を確認してくれと念を押された。
「ご依頼、確かに承ったぜ」
 アイリスとしては、もっと実力のある冒険者に改めて依頼を出したかったというのが本音だろう。しかし、それが叶わないことであることもまた、理解していた。
 いくら昔に王直属の近衛兵を務めていたとはいえ、退任した相手にあろうことか国宝を王が自ら預けたなんてことは、出来うる限り極秘として扱いたい。事実、このことを知っていたのはヴァイス王と妹であるアイリス、そしてギーシェの三人だけであったから、これ以上他者に広めることは何としても避けたかった。
 個室から去った四人の冒険者が信用に値するかは分からない。だが今のアイリスには彼ら以上に頼れる冒険者はいない。
 どちらの立場としても、互いのことを信用するしかない状況なのは同じであった。

 新たな依頼を引き受けることにはなったが、結果として国宝を所有者の元へ届けることが出来たのは心の安寧を保つという意味で大変に効果があった。まだまだ一介の冒険者でしかない彼らにとってはあまりにも責任が伴う品物であったことは間違いなく、神経をすり減らす必要が一先ず無くなったというのはとても喜ばしかった。
「おせえよ、いつまで待たせんだ」
「怒るなよ坊や。キリエちゃんと親睦を深めるいい機会になっただろ?」
 ネロはダンテに怒ったというより、時間指定をしたにも関わらず遅れてきた父に向かって言ったつもりだったが、いつもの調子で茶化してくるダンテにいつの間にか言葉巧みに踊らされ、気付いた時にはウンザリして言い返す気力がなくなっていた。
「お待たせしてしまい、大変申し訳ございません」
「大丈夫よ。さあ、宿屋は見つけられましたから、今日はゆっくり休みましょう」
 どうにか宿は取ることが出来たそうで、ネロとキリエに先導された先の宿屋で今後の方針を話しあった。
 国宝については時期に王の手元に届くだろうが、残念ながら依頼を達成するために納品しなくてはならない国王直筆の証明書を手に入れることは出来なかったので、依頼はまだ未完結のままだ。
 アイリスから新たに受けた依頼はギーシェという魔術師の捜索になるが、彼は冒険の国グランゼールという、ここから少し北に行った所に拠点を置いているという。出来る限り早く探し出してほしいと頼まれているものの、残念ながら今のダンテたちには先立つものがないため、しばらくはハーヴェス王国で依頼をこなし、準備を整えてからの出発となることをキリエとダイナに説明した。
 港町ポートピアで受けた依頼が未達成ということは、まだ行動を共にしなくてはならないということでもある。キリエとしてはギーシェ捜索に対しても積極的であったから、勝手に依頼を受けたことにダンテが頭を下げようとした時には優しく微笑み、必要ないと言い切ったほどであった。

 ──画して、彼らの冒険は本格的に始動した。
 それは、水面に小石が落ちるが如く、小さかった波紋は徐々に広がりを見せ、やがて大きな波となる。
 往くが良い。自身の命を預けられる仲間たちと共に……。