「さあ、人間界へ向かう新たな魔女たちよ! 勇気があるならば、この煮えたぎるマグマの中へ飛び込むがいい!」
大鍋の中には、ゴポゴポと音を立てるマグマが己を主張している。
それをじっと見つめるのは黒髪の魔女。もう一人の金髪の魔女は、大鍋と黒髪の魔女を交互に見比べている。
「大丈夫だよ! なんとかなる!」
私たちは魔法が使えるんだから。
そう明るく言った金髪の魔女は、黒髪の魔女の手を取り、有無を言わさずに大鍋へとダイブした。
ドプリとマグマに飲まれる二人の魔女。
「わっ……この中、息が出来るんだ! しかもチョコ味で美味しい!」
「胸焼けしそう……」
なんとも呑気な感想を抱く二人。そうして魔界から人間界へ抜けた先は……。
「わああああっ! ダイナ、落ちてる! 私たち落ちてるよ!?」
空から地面へ真っ逆さま。このままいけば、地面に落ちたザクロ決定だ。
「リエル、落ち着いて。飛行魔法を……」
黒髪の魔女──ダイナは冷静に魔法を唱え始める。
「無理だってー! 私何も持ってきてないよー!」
金髪の魔女──リエルはわあわあ騒ぎながらただただ落ちゆくばかり。
「カルディオス=ベルマム!」
パッと夜空が一瞬光り輝く。何やらダイナの魔法が発動したようだ。
「ダイナ! お花が咲いた! いっぱい咲いたよ!」
「風船葛で飛べる……わけないか。ごめん」
結局は飛行魔法を使えないようで、依然として地面へと向かい続けている。何が変わったのかといえば、大量の草花と共になったぐらいか。
「さてと、そろそろ迎えに行ってやるとするか」
情けない二人の魔女を見ていた一人の男が、赤いコートを翻し空を舞う。
「おーちーるー!」
「万事休す……」
打つ手立てのなくなった二人は諦めモード。そんな彼女たちを2本の逞しい腕ががっしりと抱え込んだ。
「少し待たせたか? よく来たな、欲望渦巻く人間界へ」
「貴方は……?」
見ず知らずの男性に助けられたダイナとリエルはそのまま地面へと降ろされる。
そこにはどでかい別荘が建っている。
「俺か? 俺はお前たち二人の教官だ。名乗るほどのものでもないから……そうだな、“おじさん”と呼んでくれて構わないぜ?」
「おじ……さん、ですか」
これにリエルは困った様子。ダイナに関しては完全に警戒モードだ。助けてもらったことを忘れたわけではないが、名乗らない人物へ不信感を抱かないほどお人好しでもない。
「まあそう警戒するなよ。とりあえず屋敷に入れ、改めて自己紹介する」
おじさんと名乗った人物に促されるまま、二人は別荘の中へと入る。そこは外見と同じように豪華なもので、それぞれに一人でいるには広すぎるほどの部屋が用意されていて、バスルームやベッドなどが当然のように完備されている。
「さてと、俺の紹介は済んでいるからな。まずは……現女王陛下の娘、リエル=インプレグナブル」
「あっ……はい!」
「そしてもう一人……ダイナ=ブロッサム」
「……はい」
二人の名前を知っているということは、もちろんおじさんも魔界の住人であり、魔法使いだ。
「二人は何故、この人間界に足を踏み入れることになったのか? 答えは簡単。次期女王候補に選ばれたからだ。俺はそんなお前たちを時に見張り、時に助ける。……そういう存在だと思ってくれ」
この男は──銀髪で無精ひげを生やした、赤を基調としたコートに身を包んている男──そういってウィンクを投げかける。
「えっと……教官、さん? 私たちはこれから、何をすれば?」
「教官は止せよ。今日はこのままゆっくりしてくれればいい。明日からはこちらが手配した高等学校に通ってもらう。そこで、ハート集めだ」
ハート。
それは、人間が持っている思いを結晶化した物。これをより多く手に入れたほうが魔界の女王として君臨する。
「明日……から……」
リエルがゴクリと喉を鳴らす。
「基本中の基本だが、おさらいしておこうか。ハートというのは奪うものであって、決して奪われてはいけない。これが魔界の掟だ。なら、奪ったハートはどうする? ……リエル」
「えっと、魔法で結晶化して集めます」
「その通りだ。まあ、これぐらいは知ってて当然だな。……で、ハートの収納具は持ってきたな?」
「はい。私はクラブのマークがついた指輪です」
リエルが右手を見せれば、その中指には綺麗なグリーンが優しく光る、クラブ型のエメラルドがはめられた指輪がつけられている。
「持ってきてない」
「そうか、持ってきて……ない!? どういうことだ、ダイナ?」
これを聞いたおじさんはダイナに近づき、ガッシリと頭を掴んで思い切り顔を見合わせた。
「怒らないから言ってみな?」
「っ……! 私は……女王になる気がない。必要のないものは、全部置いてきた」
ドクリと波打つダイナの心。これだけ至近距離に異性の顔があれば、それが例え一回り以上年上の人であっても何かしらの感情は沸く。
「なるほど? 実に簡潔な答えで結構だ!」
そんなことは知らぬ存ぜぬな態度で豪快に笑い飛ばすと、おじさんはダイナを指さして言った。
「だが、そういうわけにはいかない。ダイナは次期女王候補として選ばれた。その責務を果たす義務がある……分かるだろ?」
距離が離れたことに安心するのと同時に、おじさんの言葉に反論をしないあたり、言い分が通っていることは理解しているようだ。
……しかし、それ以上に何か、言ってはいけない言葉を堪えているようにも見受けられる。
「それに、だ。一緒に来たご友人は、お見通しのようだぜ?」
「……? どういう意味」
今度はリエルを指さすおじさんを見て、ダイナは訝しむ。
そんな中リエルはそっと何かを取り出し、ダイナに手渡した。
「これは……!」
「輝くブルー、サファイアをスペード型にしたブレスレット。……ダイナのハート収納具、だよね」
「どうしてリエルが……?」
それは間違いなく、魔界で手渡された時に、何十年と過ごした場所へ置いてきたはずの物。それをどういうわけか、リエルが持ってきていたのだ。
「言っただろ? お見通しだって」
「ダイナはきっと、女王にならないっていうと思ってたから、きっと収納具も置いてくるだろうなって。だから……勝手に忍び込んだの」
「……そう、だったの」
考えを見透かされ、こうして持って来られてしまった以上は受け取らないわけにいかなくなったダイナは、そっと左手首に装着する。
「今から二人はライバルとなり、甘く険しい愛の戦いを行ってもらう」
この戦いを制した者が、魔界の女王となるのだ──。
それぞれが明日に備えて自室へ姿を消したリビングに、おじさんはいた。
「ようやく始まる、か。……今度こそ、必ず救ってみせる」
先ほどまではどこにもなかった大剣を手に、今までとは比べられないほどの気迫を身に纏いながら、独り言葉をこぼしていた……。
それと同じ時刻、リエルはダイナの部屋に来ており、こちらも何か話しているようだ。
「ダイナ……怒ってる?」
ちらちらとダイナの横顔を見て機嫌を窺いながら、恐る恐る声をかけるリエル。
「ブレスレットのこと?」
「あ……それもあるけど、その……」
「女王候補のこと?」
「……うん」
ズバリ言い当てられ、リエルの瞳が揺れる。最後の頷きは、部屋が静かだったからこそ聞き取れたぐらいだ。
「正直、分からない。急だったことには確かに困ったけど、感謝の気持ちの方が大きい……ような気もしてる」
「曖昧なんだね。でも私、ダイナには恨まれこそすれ、感謝される筋合いはないよ……」
瞳を伏せたリエルの目頭には涙がたまっている。必死に泣くのを堪えているようだ。
そんな彼女の背中をさすりながら、ダイナは声色を優しくしながら言葉を紡いだ。
「リエル、私は気にしていない。あの日のことは偶然に不幸が重なった事故。それに……安堵していた自分がいたのも、事実だから」
「安堵? あんな場所に何十年も閉じ込められて、一体何に安堵するというの……?」
「その何十年もの間、一度たりとも忘れずに、毎日私に会いに来てくれたのは誰?」
「それは……だって……私のせいで……!」
ぐずぐずと泣き出してしまったリエルをなだめながら、ダイナは何十年もの日々を振り返る。
「たとえそれがリエルにとっての罪滅ぼしだったとしても、自分を正当化するための行動だったとしてもいい。私がそれで救われていたのは、事実だから。……だからもう、自分を責めないで」
ある日起きた不幸な事故。それによって今日まで強いられてきた監禁生活。
来る日も来る日も、身体には冷たい床と光の差し込まない薄暗い牢獄。身体がなまらなかったのは、魔界に溢れる魔力のおかげ。心が廃れなかったのは、毎日面会に来てくれた親友──リエルのおかげ。
それにやましい事があるのはリエルだけではない。
“閉じ込められていることに安堵していた”
この言葉の真意を知っているのはダイナだけ。
今日も親友に本当のことを伝えることが出来なかったダイナは、心の中で謝罪を繰り返すとともに、それでも離れないでほしいというわがままを願ってやまない。
「ごめん、ね。泣くつもりは、なかったんだけど……」
「構わない。……だけど、一体どうやって私を候補に選ばせたの?」
リエルの母は現女王陛下であり、リエル自身も代々名門の一族。女王候補に選ばれることは何ら不自然ではない。
一方ダイナは天涯孤独の独り身魔女。父も母も早い頃に他界してしまい、祖父や祖母もすでに亡くなっている。魔法の才能は確かに高い方ではあるが、それだけで候補に選ばれるというのは考えにくい。
「笑わないで、聞いてくれる?」
「笑うような内容なの?」
「えっ、だって……私、女王候補に選ばれた時、ダイナも一緒じゃなきゃ絶対に受けないって言ったの」
「……フッ……その、よくそんなのが通ったという感想と、何故私なのかっていう疑問が……フフッ」
「あーっ! 笑ってる! ダイナの意地悪!」
「笑わないなんて約束、まだしてないよ」
ダイナの言う通り、勝手に話し始めたのはリエルだ。しかし笑われたことに怒ったリエルはぷくっと頬を膨らませながら、いまだに肩を震わせるダイナのほっぺを引っ張る。
「リエル……! 痛いっ……!」
「ダイナのバカ! 私、本当に真剣だったんだよ!? だって……おかしいじゃない。ダイナが牢獄に閉じ込められている間に、私だけのうのうと人間界に来て女王候補としての試験を受けてるなんて……」
手を放され、つままれていた頬をさすりながら、ダイナは先ほど以上に顔を緩ませている。
「女王候補なんて大変なものを押し付けられちゃったのかと思ってた」
「ち、違うよ! ダイナと切磋琢磨していきたいっていうのは本当だし、やるからには負けたくないって気持ちもしっかりある! ダイナは嫌いかもしれないけど、女王の座は……お母さんは、私の憧れだから」
現女王陛下の話をするときのリエルはいつも力強い。ダイナが監禁されてしまった最初の頃のリエルは、毎日謝罪と共にどうか母のことだけは嫌わないでほしいということばかりだったぐらいだ。
「候補として認めていただけて、牢獄から出してくれて、人間界へ旅立たせてくださった。私の中での現女王陛下様は、寛容なお方って認識じゃ、不満?」
「ううん! ありがとう、ダイナ!」
母のことを良く言われ、弾けたように喜ぶリエル。これだけで、どれだけ母のことを好いているかがよくわかる。
「こちらこそありがとう。人間界へ連れ出してくれて」
「お礼はいいよ。……それに、こっちの生活が思った以上に大変なものかもよ?」
「それは大変。困ったらリエルに甘えちゃおうかな?」
「うん! なんでも頼ってよね!」
“私たち、親友なんだから!”
リエルの温かい言葉を胸に、瞼を閉じる。明日から始まるは、自分は取っても決して取られてはいけない、愛の戦い。相手に思われても、相手を思いすぎてはいけない心の試練。
夜空に輝くは小さな本物の星。魔界の星のように、夜空にハサミで穴をあけたものではない。自ら光を放ち輝く姿はシトリンの如く。
ここはそう──人間界。