Power

 六月十五日午後零時三十六分。
 今から約一時間前の内に起きた出来事は敢えて省こう。二代目とネロが再びユリゼンと対峙して激闘を繰り広げたことを、ようやっとネロが一撃を与えられたことを、それによってユリゼンが玉座から立ち上がり、更なる力で二人を圧倒したことを省こう。
 おっさんがリベリオンと魔剣スパーダと融合し、真なる悪魔の力を解放することが出来たことも。超人的な力で絶体絶命のネロを救い、彼もまたユリゼンと二度目の対峙を果たしたことも省こう。
 戦いは、クリフォトの樹が完全体となったことでユリゼンに撤退され、一時休戦を余儀なくされた。当然、おっさんは今度こそユリゼンを討つべく、どこへ行ってしまったのか探すためにクリフォトの内部を彷徨っていた。
 戦いの最中で意識を手放してしまったことを気にして居心地悪そうにしているネロと、特別何かをしているわけではない二代目と共に。
「来たか」
 二代目の呟きと視線に釣られたネロが顔を上げると、ゆっくりだが確実に杖を付いて一歩ずつ歩いているVと、そんな彼を気にしているようで気にしていないような、何とも微妙な距離感を保っている若の姿がった。
「おい、ユリゼンはどこに行った?」
 休めそうな場所があるとすぐに腰を下ろしてしまうほどに弱っているVに対して、おっさんは遠慮なく必要なことを聞きだす。奴の目的はなんだ、と。
「恐らく、クリフォトの頂上だろう」
 クリフォトの吸った人間の血は力の結晶となって頂上に実を結ぶ。強大な力を秘めたそれはまさに禁断の果実と呼ぶに相応しく、かつて魔帝とまで呼ばれるようになったムンドゥスもその実を喰らい、魔界の王となったことをVが語ると、おっさんは適当に相槌だけ打った。
「ほー。今は居場所が分かれば十分だ」
 理屈などはどうでもいいと一蹴したおっさんはすぐにクリフォトを登ろうと歩みだしたところを二代目に止められた。
「頂上とは、下のことだ」
 地面を指さしながら教えてくれた二代目に軽くお礼を言おうとして、言わなければならないことがあったことを思い出し、険しい表情で迫った。
「なんでネロを巻き込んだ? あの時の約束、まさか分かりませんでしたなんて言うつもりはないだろ?」
「俺はお前の意見ではなく、ネロの意志を尊重した。それだけのことだ」
 一切動じない二代目におっさんは舌打ちだけしてそそくさとクリフォトの頂上を目指して再び足を進める。その後を追うようにネロが歩いて来るから、ついてくるつもりなんだと悟り、気が重くなった。
 出来ることなら追い返したい。だが、行くと言い出したら聞かないだろうし、二代目がネロの味方に付いている以上、何を言っても無駄だ。そしてあろうことか、体はボロボロで歩くだけでもやっとだという状態のVすら立ち上がり、後について来ようとするのだから、たまったものじゃない。
「おい、お前も来る気か?」
「俺には見届ける義務がある」
 Vの後ろには若も立っていて、最後まで連れて行く腹積もりでいることは目を見れば分かる。呆れたおっさんは静止の言葉を口にすることをやめ、別の言葉を投げやりに言った。
「そうか。だったら勝手にしな、ポエム野郎。二代目と若もだ。俺は俺のやり方でケリをつける。……早い者勝ちだぜ」
 こうして一度は集まった面々は何度目か分からない別々の道を歩む。
 おっさんはたった一人で全ての決着をつける道を、二代目はネロと共に頂上に待ち受けるユリゼンに借りを返す道を、若はVを連れてお互いの思惑を満たすための道を選んだ。
 三つの思いが次に交わる場所はクリフォトの頂上、魔王ユリゼンが待つ場所になるだろう。

 六月十五日午後一時十三分。
 バージルの進言で向かった場所は、かつて大切なものを全て失った森のあった場所だった。当時に燃え尽きたここは枯れ木とひび割れた地面ばかりで森としての原型はなく、荒れ果てた大地という印象しか残らない。
 寂しくなった森の一か所に場違いな物が置かれていて、ダイナと初代の目を引いた。
 それは、少し大きな石だった。綺麗なものではなく、特に定まった形をしているわけでもない。だがそこには確かに文字が彫られていた。掠れてしまっていてほとんど読めないが、そこには確かにダンテとバージルの母の名前と、ダイナの母と父の名が刻まれていた。
「実際に亡骸を埋められたわけではない。それでも……これくらいはしておかねばと思ったんだ」
 墓を作った時のことを思い出しながらバージルは言った。彼としては、起きてしまった現実を受け止めるために必要なことだとして急ごしらえしたもので、作った後も定期的に墓参りに来たりといったことをしたわけではない。
 人は死んだら土に還り、残った者が故人を追悼するために墓を建てるという、当たり前とされる行為を自分が取ることによって日常が帰ってくるのではないかという期待があったことも……否定はしない。
 建てられた経緯はともかく、まさかこのような荒れ果てた世界で両親の墓参りをすることが出来るとは思っていなかったダイナは、今の状況には似つかわしくないものだと分かっていながらも、穏やかな気持ちを抱いた。
「ありがとう、バージル」
 バージルに感謝しながら墓の前に立ち、供えられる物などはないため、両手を胸の前で合わせて目を閉じる。ダイナに倣うようにバージルも墓の前に立ち、手を合わせることはせず目を閉じた。一人、自分は場違いだと思っていた初代も、ダイナの両親の安らかなる眠りと、何処の世界でも自分のことを守ろうとしてくれた愛する母に黙祷を捧げるべく、墓の前に立って目を閉じた。
 周りの人間が見ていたとしたらとても長い時間、しかし本人たちには短い時間と感じる程度に黙祷を捧げた三人が墓を後にしようとした時、ダイナは何かに気付き、しゃがみ込んだ。
 来た時にはなかったはずのものが、何故か供えられていた。それは白い薔薇の髪飾りで、風化などの状態を見るに、まさに今しがた置かれたような真新しいものだった。不思議に思ったダイナが手に取ると髪飾りは吸い込まれるように淡い光を放ち、消えてしまった。
「……消えちまったな」
「うん。母さんが会いに来てくれた、なんて」
 そんなことがあるはずはないと自分の言葉を否定したダイナは立ち上がり、天を見上げる。
 成長限界を迎えたクリフォトは何の変化もなく、どこまでも天に茎を伸ばし続けている。その先はおっさんたちがいる世界の人間界と繋がっていて、今も開き続けている門を使い、魔界からやってきている悪魔たちがこぞって地上を目指している。
 ダイナの生まれた世界の人間界は魔王ダンテによって生きとし生けるもの全てが駆逐されたが、この世界にある魔界には未だたくさんの悪魔たちが勢力争いをしている。だからこそ、人間界に出て力をつけられる絶好の機会である今を逃すまいと、悪魔たちは門を目指しているのだ。
「覚悟は、いいな」
 自分たちに居場所を与えてくれたおっさんと、おっさんの住む世界を守るために。そして自分が生まれた世界に終止符を打つために、出来うる限りのことは全て試した。
「勝って、帰ろう。みんなが待っている世界へ」
「迷いはないさ。誰が相手でもな」
 これから巻き起こる戦いは、二度と起こり得ることのないものになるだろう。三人はそう予感するとともに、これまでの中でもっとも熾烈なものとなると肌で感じていた。