六月十五日午前十一時四十分。
おっさんの後を追う若たちは中々に快適な道を進むことが出来た。道自体の状態は綺麗ではなかったにしろ、悪魔が一匹も出てこないというのは楽だった。だからVを背負った状態でもおっさんの姿を再び捉え、声を掛けるにまで至れた。
「おっさん! 待てよ!」
待てと言われて待ってくれる相手であれば、どれだけ話は簡単だっただろう。声に釣られるようにこちらのことを目視しても尚、おっさんは足を止めることなく、クリフォトの蔓によって持ち上げられた道路を軽々と跳躍して越えていってしまった。
若だけであればこの程度の障害なんてわけないが、Vを背負っているともなれば話は別だ。どのようにして登ったものかと考えを巡らせながらも決して速度は緩めず、Vに若干の負担は勘弁してもらうことの了承を得ようと首を横に捻って後ろを見ると、目が合った。
「少し、休憩しよう」
「……いいのか? 追いつけなくなるぞ」
まさかここに来てVの方から諦めの言葉が出てくるとは思わず、つい確認をしてしまった。
「ああ。グリフォンが追跡をしているから問題ない。それに……」
ぐったりと体を預けているVは一度言葉を切り、どう言えばいいのだろうかと悩み、言った。
「今追いかけているダンテにではなく、若と呼ばれているダンテ、お前に聞いてほしいと……そう思った」
Vを背負っている間、特に何か話したわけではない。若は走って追いつくことに必死だったから喋る余裕なんてなかったし、VもVで、別に話しかけたりはしなかった。だからきっと、この心情の変化はあの時──Vを連れて行こうと若が決断した時点で起こり得ていたのかもしれないが、真相は闇の中だ。
「聞いてほしい、か。そこまで頼まれて嫌ですとは言えねえな」
適当に座れそうなものを足でこしらえた若はVを降ろし、自分も横に腰を下ろした。そして、聞く準備はいつでも出来ていると態度で示すとVは躊躇いがちに、だがいつしか全てを語っていた。
六月十五日午前十一時四十七分。
Vが語ってくれたのは自身の出自と、魔王ユリゼンのことだった。
今から一ヶ月半ほど前、一人の男は己の肉体が限界を迎え、滅びるのを待つばかりの状態になることに危機感を抱いていた。男には、死ぬ前に成すべきことがあったからだ。
二度と負けることのない絶対の力を。何人であっても傷つけることの出来ない、圧倒的な力を手にすること。
力を手に入れるためなら何だってやってきた男はついに、とある魔具を使って己自身を引き裂いた。滅びゆく肉体と必要の無い人間の心を捨てるために。そうして男は純粋な悪魔となって、絶対的な力を得た。
「俺はその男の……必要の無い部分が集まって出来た、残りカスなのさ」
自嘲するVの体は今にも崩れてしまうのではないかと感じるほどに脆く見える。話を聞き終えた若は、そんなVを慰めるわけでも、憐れむわけでもなく、聞き及べていない事柄についての詳細を求めた。
とある魔具とは閻魔刀のことであるのか。その閻魔刀はネロの右腕と共に奪い去った物で間違いないのか。確認すれば、全てをVは肯定した。
本当に、二代目の言う通りだったのだと今更になって実感が沸いてきて、頭の中で事実を反復させていると何故だか分からないが、笑えてきた。
初めはただの、悪魔絡みの依頼だった。告げられた悪魔の名を聞いた時は驚きもしたが、あまり信じていなかった。疑心に満ちたまま実際に対峙して、自分の目で確かめて、剣を交えて……バージルの成れの果てなのだと悟るには十分だった。
魔王と戦っている最中に感じたことは、昔から思っていたことだが、バージルが悪魔みたいな奴になってしまったんだと衝撃を受けたことはこの先一生忘れないだろう。でも今は、Vから全てを聞いた今なら、自分が感じた想いは何も間違っていなかったんだと自信が持てて、お陰で魔王の存在を受け入れることも出来た。
バージルは悪魔みたいな奴になってしまったんじゃない。本当の悪魔そのものになった。ただ、それだけだった。
「なあ、V。おっさんにユリゼンを……己の半身を討つように依頼したのは、なんでだ?」
予想していたよりも落ち着いている若の真意が掴めないVは得体のしれない不気味さを若に抱きながらも、問いに答えた。
「過ちに気付いたんだ。人の魂だけになって、ようやく。力を得るために捨ててきたものが、どれだけ大事な物だったかを、俺は今になってようやく知った」
「だからおっさんに依頼をした? 自分の過ちを正してくれると思って?」
言葉を先取りされたVは眉をひそめ、喋ることをやめて頷くだけにした。若が次に何を言いだすのか全く分からないし、何を思っているのかが見えてこない。分からないことに人は恐怖するとは、よく言ったものだ。
「取引しないか」
想定出来るはずのない若の発言にVは自分の耳を疑い、ただの一言であったというのに混乱する頭を整理することで手一杯になった。
この男は──若と呼ばれ、自分の目の前にいる人物は本当にダンテなのか? そんな風に疑うのも無理はなかった。
見た目も、気配も、仕草も、確かに自分の良く知る過去のダンテではある。だが、思想が違うというか、何を考えているのかが全く読めない。別に、弟であるダンテの思想全てを理解出来ているとは言わないが、少なくとも目の前にいる若のことよりは分かっているつもりだ。だから同じダンテである若のことも、ある程度理解出来るだろうと思っていただけに、高を括っていたと認めざるを得ない。
「人の魂だけになったあんたが過ちに気付いて、解決するために起こした行動については、悪いが興味ない。俺は、バージルが今も何を求めているのか? それが知りたい」
心の中を見透かしてくるような瞳を向けられ、Vは怯んだ。よもや、内に秘めた想いにこうも近付かれるとは思っていなかったから、どうすれば今の状況を荒波立てずに事なきを得られるのか、そればかり思考していた。
「これは俺の憶測に過ぎねえけど、バージルは今も力を求めているんだと思ってる。純粋な悪魔になっても、人間になっても、そこだけは変わらないんじゃないかって」
俺の考えは間違っているかと問いかけてくる若の言葉は表面ばかりで、憶測とは名ばかりの発言だとすぐに分かるものだった。
若は確信している。ユリゼンもVも、バージルという元は一つであった存在であるが故に、根幹は繋がっているのだと、確信を持っている。
「……お前の、言う通りだ」
だから、力を求めていることを認めるしかなかった。これは言わされたのではなく、本心だ。それだけに、隠しておきたかった。
どれだけそれらしい言葉を並べても、若を欺くことは出来ないと悟るには十分過ぎるやり取りだった。たとえ取りつく島を与えなかったとしても、同じ解に辿り着かれていただろう。少なくとも、自分とユリゼンの出自を語った時点でこの結果は決まっていたようだ。
語弊を生むことを承知でVの真意を語るなら、若なら騙せると思い、出自を語った。魔剣スパーダを担いで先に行ってしまったダンテよりは確実に、自分のことを憐れんでくれるだろうと。
同情を誘えると思ったのだ。野望を叶えるためなら何だって利用する心積もりで、若の思いを利用しようとした。その結果がこれだというのなら、因果応報と言うしかない。
「それを聞いて安心した。やっぱ、あんたはバージルだよ。足りないものを補うために一時の間だけ協力関係になって、最後には自分の求めたものを手に入れようとする貪欲さ、とかな」
随分と直接的な嫌味を口にした若は言われて当然のことだといった態度を崩すことなく、再び問いかけてきた。
取引をしないか、と。