Whereabouts of the dream

 あくる日の正午を過ぎた頃、ダイナが倒れた。何の前触れもなかったために誰もが崩れゆく彼女を受け止められず、鈍い音が事務所に響いた。身体を横たえ苦しそうに息を整えるダイナにバージルを除いた面々が駆け寄ると、倒れ込んだ本人は自力で起き上がり、何でもないと青白い顔で嘘をついた。
 すぐさま自室へと連れ込まれ、問答無用でベッドに寝かせられたダイナは抗議の声を上げるも聞き入れられるわけもなく、瞼を閉じることを余儀なくされた。ダイナが本当に寝たのか、それとも狸寝入りなのか判断はつかなかったものの、ベッドから這い出る気配はないと判断した仲間たちは所定地へと戻っていった。……初代を残して。
 ダイナが突然倒れた原因は分かっていない。推測としては体調不良、ないしそれが引き起こした風邪と言ったところだろうか。確証はないが概ねそうであるという見解ではあった。
 半人半魔は文字通り人ではないが、悪魔でもない。つまり人よりは丈夫でも、悪魔ほど丈夫ではないということでもある。そうは言ってもダンテたちが風邪を引いたなんて話はこれまでに一度として聞いたことがないし、これから先も聞くことはないだろう。
 しかし残念なことに、ダイナはダンテたちほど丈夫ではなかった。本人の口から体調を崩したことがあるという話を耳に入れたことは無いにしても、目の前で熱にうなされているダイナを見れば疑う余地はない。
「ダイナ……」
 苦しそうに呼吸する姿がいたたまれなくて名前を呟く。返事は無い。眠っている相手に何をしているんだと初代は力なくかぶりを振り、自分を否定した。
 一般的な風邪への対応方法を知らないわけじゃない。ダンテたちにとっては必要の無いことでも、知識として持っておく分にはいつか役に立つ時がある。今がまさにその時だ。だから何をしてやればいいのか、理屈としては分かっている。……それでも、心配だった。
 看病して治ったところで、根本の原因が分からないとまたいつか体調を崩す。体調管理も仲間を守るうえで大切なことだと理解しているはずのダイナが、分かっていながら体調を崩すまで無理をした理由。それを取り除いてやらないと、この問題は解決しないと初代は感じていた。
 その為には何をしてやれる? 家事の負担が減れば楽になるだろうか。
 考えてみたが、自由時間が増えればどうせ鍛錬に当てるだけだ。あまり意味がない。それに自分を含め、これ以上家事が出来る人間が増えるとは考えられない。おっさんと若は論外だし、自分とバージルも手際がいいとは言えない。提案したところでネロと二代目の負担が増えるだけなのは目に見えていたし、それをダイナは良しとしないだろう。
 考え方を変えてみる。今までと同じ生活をしていたにも関わらず、ダイナは熱を出した。別に食事が変わったわけでも、急な寒暖差に襲われたわけでもない。要因が外部にないのなら、後は内部しかない。
 ではその内的要因はなんだ? 何がダイナを苦しめているというのだ?
 分かるはずがなかった。ダイナは自分と同じで、目の前に起きたことやその日あったことなどの事実を伝えることはすれど、それについて何を感じたかなどの感情については話さない。だから彼女と生活を共にしてかれこれ一年以上経つはずなのに、ダイナの真意はいつも分からないでいた。嫌というほどに聞かされた思いは仲間を守ることだけだ。
 後は純粋に、弱音を吐くのが下手なんだと思っている。
 一番大切な思春期を、たった一人で過ごしたダイナは誰かを頼るという事柄自体に馴染みがない。加えて、何事も自分の力だけで解決しなくてはならないという思い込みが激しい。
 頼れる者がおらず、自らの力で成しえられなければ待ち受けているものが死であった環境にいたのだから、己の力だけで何とかしなくてはという固定概念が擦りこまれてしまっているのだろう。理解はしているが、それだけに痛ましい事実だった。
「おい、開けろ」
 扉を挟んでいるためくぐもった声の主が分からず、初代は誰が来たのか分からないままに扉を開ける。すると湯気の立ったお粥を持ったバージルが我が物顔で部屋へと入り、サイドテーブルに置いた。
「バージルがくるとは思わなかった」
「あいつらが持っていけとうるさかったから仕方なくだ」
 皆まで言わずとも、バージルが自発的に看病をしに来るとは思っていない。おっさんに茶化されたか、二代目に頼まれたのか……真相は分からずとも、バージルを動かせる人物は二人の内どちらかだろう。若に来させなかったのは心配のしすぎで下手なことをしでかさない保証がなかったからと考えれば、腑に落ちる。ネロは家事に追われているのだろう。
「ごめん、手間をかけさせて」
 謝罪の言葉が聞こえてきたのでまさかと思ってベッドに視線を戻せば、体を起こして布団を剥ぎ、足を床につけて立ち上がろうとしているダイナがいた。
「おいおい、そんな体で何処に行く気だ」
「今日の家事当番は私だから」
 そうは言うが、どうみても無理をしている。ダイナ自身は出来る限り心配をかけないようにと普段通りに振る舞っているようだが顔色は悪いままだし、足元もおぼつかない。一度は立ち上がったもののすぐに膝を折ってしまい、初代に支えられる羽目になった。
「貴様はどこまで馬鹿なんだ? 言ったはずだぞ。足手まといは要らんと」
「……返す言葉が、ない」
 体調が芳しくないのに加え、バージルに怒られたダイナは完全に意気消沈した。一先ずベッドの淵に座らせてもらい、運んできてもらったお粥を食べることになった。
「しょげるなよ。ああ見えてバージルも心配なんだ」
「ああ。家の中をさらに汚されるのではないかとな」
 珍しく肯定の言葉から始まったので、たまには良いことを言ってくれるのかと思えばこれだ。敵味方に関係なく、皮肉を返すセンスは嫌でも同じ血が流れていると実感させられる。とはいえ、先ほどの言葉が本心だとしても、心配しているというのも的外れではないはず。でなければ、ダイナがお粥を食べ終えるまで待つなんてことはしないはずだから。
 ダイナはお粥の大体を食べきるまでに、それなりの時間を費やした。熱すぎて口に入れられないことや、飲みこむ動作が辛いこと。何より、二人に見られている中での食事というのは居心地が悪かった。
 食事中、ずっと頭の中に浮かんでくるのは嫌なことばかりであった。体調を崩してしまったのは自分が弱いことが原因で、弱い自分など皆にとって必要ではない。この考えがちらつくだけで心は乱れ、その乱れに更なる苛立ちを覚える。どれだけ考えても悪循環でしかないと自分に言い聞かせようとも、拒絶されることを何よりも恐れているのだと自覚せざるを得なかった。
「体調を崩した原因に、心当たりとかないか?」
 もうすぐ食べ終えられるといったところで初代に質問された。
 心当たりはある。というより、間違いなく原因はこれだと断言できる程度に、体調には気を配ってきたつもりだ。ただ今回ばかりはどうしようもなくて、結果倒れてしまった。
「……ある、けど」
「言いたくないは無しな」
 言い淀んだダイナに釘を刺せば、期待はしていなかったといった様子で口を割る。
「寝不足」
 バージルの表情が険しくなっていくのが分かり、ダイナは小さい体をさらに縮めていく。情けない理由だというのは、倒れた本人が誰よりも痛感している。それでも倒れてしまった以上、何も言えない。
「夜中に一人で楽しみすぎたのか?」
「何のこと? ただ、少し……眠りが浅いだけ」
 初代の冗談は残念ながら空振り、代わりに真面目な返答が寄越された。
 ここで気になるのは眠りが浅いという表現だ。つまり、ダイナは寝ていないわけじゃない。きちんと布団に入り眠ろうとしているにも関わらず、眠れていないということになる。当然、しっかり寝ている人間と比べれば体の疲れは取れないだろう。それでも横になるだけで多少の疲れは取れているはず。
 ……では、体が限界だと悲鳴を上げて倒れるまで、どれほどの月日が経っているのか。
「いつ頃からだ」
 あからさまに視線を落とした姿を見れば、最近のことではないと分かる。正確な日にまでは辿り着けなくても一週間、或いはもう数日足したぐらいか。二人が妥当な解を導き出していると、ダイナが答え合わせをしてくれた。
「この世界に来た皆が、並行世界の住人って分かった日から」
「お前……! あの日からどれだけ経ってると思って……!」
 この事務所に暮らす全員が単一世界の人間ではなく、並行世界からやってきたのだと発覚した日が今からどれだけ前のことかと考えて、眩暈がした。
 確かにあの日の出来事は皆の心に重くのしかかった。誰も口にはしないが、今でも時折考えているのだろうということはそこはかとなく分かっている。初代だってしばらくの間はしっかりと眠れていたわけではない。それでも十分な時間が過ぎて、今は支障なく毎日を過ごせている。
 ただ一人、ダイナを除いて。
「眠りたいとは思っている。……でも、眠れないのだから、どうしようもない」
 考えている以上に深刻だった。眠ろうとしても眠れないというのは、何か潜在的なものが邪魔をしているのだろう。眠れなくなった日がダンテたちの過去を暴いた日だというのも、間違いなく関係している。
 しかし、分かったところで取り除く方法が見つからない。原因が分かってもどうしようもないというのは歯がゆい。
 だが悠長なことは言っていられない。問題は切羽詰まったところまで来ているのだ。
「バージルが来るまで横になってた時も、眠れなかったか?」
「浅い眠りだった。ぼんやりと、意識がないようである感覚」
 無理に無理を重ねた結果、ダイナは倒れた。体が限界だと悲鳴を上げたに他ならない。冗談などではなく、これ以上眠れない日々が続けば死につながりかねない。今日まで辛うじて動けていたのは浅いなりに少しでも眠ろうと毎日睡眠時間を確保し、横になっていたおかげだ。それが限界を迎えたというのに、なおも眠れないのは非常にまずい。
「……確か、お前の世界では俺もダンテも死んでいるといったな」
 息を呑む音が聞こえた。もっとも認めたくない事実の確認を取られるというのは、相手が誰であったとしても苦しいものだ。
 返事がないことを肯定だと捉えたバージルは話しだした。
「貴様が過去に経験したことの何を俺たちに重ねたかは知らん。だが、ろくでもない夢に囚われているのならさっさと忘れろ。ここに居る俺たちには起こり得ないことだ」
「……そうであって、欲しい」
 ダイナは肯定した。
 彼女は過去に囚われている。それも経験した過去の中で最悪の日の出来事に。
 皆の過去に触れたことで、ダイナの中にある忘れられない日が蘇ってしまっているのだ。一番見たくない日の出来事を数か月に渡って見るなど、体の前に精神の方がイカれてしまいそうだ。それでも一度として過去を口にすることなく、こうして体が限界をむかえなければ初代たちが気付くことすら出来なかったのだから、やはりダイナは無理をしすぎだ。
「後は好きにしろ」
 完全に手が止められた残り少ないお粥を持ってバージルは部屋を後にした。残っているのは初代とダイナだけ。
「寝るか?」
「うん」
 短いやり取りだった。疲れで鉛のように重くなった体を横たえれば、初代が布団をかけてくれた。
 目を閉じる。すぐに意識は消えない。じっと、出来るだけ何も考えないようにして、意識が沈んでいくのを待つ。……一分が経っただろうか。まだ十秒にも満たないか。いや、もう十分以上経ったかもしれない。
 時間の感覚が分からない。今は何時かと確認しようとして、慌てて目を強く閉じた。
 本当に自分は昔のように眠れる日が来るのか、不安になってくる。むしろ、今までどうやって眠っていたのかすらよく分からない。
 くだらない考えは頭から追い出した。今は寝ることだけを意識しなくては……。
 バージルが言ってくれたではないか。ろくでもないことなど忘れてしまえと。ここに居る皆は自分が守れなかった大切な人たちとは違うのだと。
 何か、温かいものが隣に入ってきた気がした。自分は動いていないのに布団が動いている気配がする。どうしても気になったのでうっすらと目を開けると、隣には自分と同じように横になった初代がいた。
「な、何してるの」
「何って、眠くなったから昼寝」
 それ以外に何があるんだと言った答えを口にした初代はあくびをして、目を閉じてしまう。かと思えばすぐに寝返りを打ってダイナを抱き枕のように扱った。
「俺はここにいる」
「ダン、テ」
「触れるだろ」
「うん、うん……」
 いつもなら恥ずかしさが勝って、初代を追い出していた。でも今は……今だけは、この胸を借りていたい。熱があるからという言い訳をして、もう二度と会うことの出来ないはずだった人に──ダンテに甘えたかった。
 目を閉じる。浅い海を漂う感覚を覚えて、欲しいものはここにはないと、さらに奥深くを目指す。深く、もっと深く。
 ──深く静かな場所へ。

 あれからどれほどの時間、眠ったのだろうか。目を覚ました時にはここしばらく感じたことのない爽快感に満たされ、文字通り何でもできそうだと思った。身を捩るとすぐ近くに初代の顔があって、驚きの声を何とか飲みこんだ。
 一緒に寝てもらうだけで夢を見なくなるなんて、自分はどこまで単純な奴なんだと嫌悪するとともに、初代には言い得ぬ包容力を感じるのも確かだった。他のダンテたちは持っていない、安心感。
「初代」
 遠慮がちに名前を呼べば、初代は目を開いてくれた。そのまま何も言わずおでこに手をあてられる。時間にして数秒で、もう少しだけでいいからこの時間が続けばいいとダイナは心の中で思う。
「ちょっと寝るだけで治っちまうのは流石だ」
「いつまでも、心配をかけてはいられないから」
 ゆっくりと体を起こして窓に視線を向ければ、明るさを感じられないことから夜であることが分かる。正確な時間を知るために時計を見れば、そろそろ夕食時であった。
 思った以上に寝ていたわけではなかったらしい。……いや、普段寝ている時刻分は寝ているから、充分か。
「初代、ありがとう」
「俺は昼寝をしてただけだ。感謝されることはしてない」
「じゃあ、そういうことにしておく」
 言われたとおりに流すと頭を乱暴に撫でまわされた。抗議の意味も込めて初代の腕を掴むと安心しきった顔を向けられ、やはり心配をかけていたと改めて実感する。
「……あの、こんなことを頼むのは、恥ずかしいのだけど」
「言ってみな」
「同じことで体調を崩すわけにはいかない。だから、また眠れない日が続いたら、その……」
「いつでも頼れよ」
 最後まで言いきらずとも、真っ赤な顔をして頼んで来ることなんていうのは大体わかる。それに言い切らせないままに了承してしまえば、初代にとって多少都合のいいように解釈しても文句は言われまい。言われた時は最後まではっきり言わなかったことをだしにして、からかってやれる。
 ダイナの見ていた夢の詳細は結局分からずじまいだったが、どういったものに苛まれているのかは知った。彼女も皆と同じで、苦しい過去を乗り越えんと今も必死に生きている。
 だから今度は、俺たちがダイナを支える番だ。