Soul to long for spirit

 初代が冷静さを取り戻した時には、日付が変わっていた。
「情けないところ、見せたな」
 申し訳なかったと初代は謝るが、誰もが気にするなと励ました。頼れる仲間がいることがこれほどまでに心強いものであったのかと初代は胸に刻み、問題の二人のことを話しあうべく、気持ちを切り替える。
 今の二人は顔を見れば斬りかかるという、通り魔もびっくりの殺意を宿している。片方ずつばらけて目を覚ましてくれるのが一番ありがたいのだが、こいつらはほとんど同時に起きてくるから一人では対処しきれない。次も起き上がるや否や己が半身を探し、斬ろうとするだろう。
 そこで取った対策は簡単でありながら、確実に効果を期待出来るものだった。
 それぞれの自室に寝かしつけ、見張るだけ。ひねりも何もないが、誰も異論はなかった。バージルの方には二代目とネロが付き添い、若の方には残りの三人が付き添う形となった。
 ネロは、初めてバージルの自室に足を踏み入れるきっかけに複雑な心境を抱きながらも黙って二代目に続いた。
 本は所狭しと並べられているが、どれも大切に保管されていることが分かる。それでも本自体が古いためか、手にしたら形を失ってしまいそうなものもあった。内容については手に取らずとも分かるので、興味をそそられることは無かった。
 二代目がバージルをベッドに降ろす。目は覚まさない。辛そうな呼吸音が耳に残った。
「俺が見ている。疲れたなら休んでいていいぞ」
 疲れていないとは言えなかった。ただでさえ昨日の晩から今日の明け方まで船に揺られ、昼過ぎまで乗り物を幾つか乗り継いで帰ってきたというのに事務所掃除までさせられ、極め付けにはこんなにも重い話を聞かされることになったのだ。はっきり言って疲労困憊ではある。
「ここにいる。疲れてるのはみんな一緒だし」
 だけど、断った。自分だけ楽をしたいわけじゃない。それに今は、絶好の機会でもある。二代目と話せる、絶好の機会。
 ベッドの傍に椅子を並べて、その一つに座る。二代目ももう一つの椅子に腰かけた。お互いに視線はバージルに向けたまま、なんてない話をした。
 最初はぎこちなくそれぞれが言葉を投げるだけで、会話とは呼べないものだった。まだ心のどこかで自分が距離を感じているんだと思ったネロは、おっさんの話をすることにした。失礼なことだが彼のことなら多少悪く言っても笑い話になるし、二代目も親しみやすいだろうと考えての話題選びだった。
 結果は上々で、投げていただけに過ぎなかった言葉たちは列をなし、会話と呼べるものに仕上がった。誤算だったのは二代目がネロの考えている以上に聞き上手で、自分ばかりが喋っていることに気付くのに時間がかかったことぐらいだ。
 言葉を交わせば交わす程、改めて二代目の偉大さに触れることが出来た。この人は、本人すらも気付いていないような小さな物事にすら目を配っている、優しさの塊であることを改めて知った。かと思えば自分に対してだけは異様に厳しく、どうしてそこまで己を酷使するのか分からない。理由を聞いたら習慣だと返してくるのだから、本当にどうなっているんだと心配した。
「そんなに溜めこんで、辛いとか思わないのか?」
「慣れてしまったからな。……ああ、皆と過ごすようになってからは随分と和らいだはずだ」
 どの辺りが、という突っ込みを何とか呑みこみ、ネロは提案した。溜めこんでしまわないようたまにで良いから、誰かに二代目から声をかけて、何でもいいから話してみれば、と。
「なら、ネロに聞いてもらうことにしよう」
 あっさりと提案を受け入れられ、しかも自分に話してくれると言われてネロは柄にもなく照れた。自分でも知らぬうちに憧れていたようで、認められたと感じ取れたことが嬉しかった。
 二代目がおっさんの未来の姿でないことは本当にどうでもいいことだった。ただ、それを知るきっかけになってしまった原因が自分という存在で、それを理由に距離を置かれるのは我慢ならなかった。気にしないでくれと言ったところで無理難題を押し付けていることは百も承知だ。でも、やっぱり嫌だった。
「俺、今回のことで思ったんだ。もっと皆のこと知りたいって。どれだけ似た存在でもさ、同じなんてやっぱあり得ねえよ。だって皆は今ここに、自分の意志で生きてるんだぜ? それって、立派な個人だよな」
 返事は無かった。ちょっと不安になって気付かれないように視線を向ければ、今まで誰にも見せたことのないであろう横顔があった。何かから赦されたような……。
 ここで、バージルが意識を取り戻した。何を確認するよりもまず閻魔刀を呼び出そうとするから、ネロは右腕を抑えて抗った。同じく若も目を覚ましたのか隣から物音やらなんやらが聞こえてきて、静まった。
「閻魔刀を渡せ。そして失せろ」
 第一声としてここまでひどいものを聞くことは早々ない。しかし、バージルという男のことを知っていれば通常運転であることも分かる。一度見せられた若との斬り合いの時と比べれば幾分か落ち着いた様子に見えた。
「若を斬っても何も変わらん。失うだけだ」
「俺にはもう、この道しか残されていない」
 意固地になった者の厄介さは相手した者にしか分かりえないだろう。加えて、力を持っている者を相手にするのは骨が折れるものだ。二代目の精悍な目つきはバージルをしっかりと捉えながら、ネロの後ろに立った。意思疎通を図っていないので二代目の行動の全部は分からなかったが、見守られているようで安心できた。
 余裕が出来ると、自然と気持ちも上向く。今ならバージルと言葉を交わせると思った。
「逃げるなよ」
「黙れ」
「自分を守る言い訳を探してるだけだ」
「知ったような口を利くな」
 投げかけられた言葉に反応するのは閻魔刀を取り戻せなくて何も出来ないからなのか、苛立ちをぶつけているだけなのか。どちらにしても、バージルの考えは変わりそうになかった。だが、こちらも引き下がったりはしない。息子も父に似て、頑固者だから。
「若を止めてくれて、ありがとう」
 それでも一つ、大きく違うところがあるとすれば──素直さ。これはバージルになく、ネロだけが持っている特権だと言える。バージルにとって、まさかここにきて感謝されるとは予想だにしないことだったようで目を見開くばかりだった。
「こんなこと言ったら、怒られるけど。相当の理由がなきゃ、誰も元の世界に帰す気はないっていうか」
 本心を伝えたら二代目が肩に手を置いてきた。おっさんとは違う力強さがあって、悪い気はしなかった。バージルも冷静になったのか、気が抜けただけか。とにかく閻魔刀を呼び出そうとするのをやめてくれたので、やっと気を抜くことが出来た。
「ダンテはどうしている」
「他の三人が話をつけている」
 若の部屋がある方の壁を見た後、バージルは視線を落とす。傷が痛むようで、顔は依然険しいままだった。
「今はゆっくり休んで傷を治してくれよ。若を失いたくないのは、みんな同じだから」
 反応は無いが、二人にとっては十分だった。
 ようやくバージルは気を張り詰めることをやめ、後を仲間に託して休むことを選べるようになったのだから。

 同刻、目覚めた瞬間に飛び起きて、どこへともなく去ろうとする若を全員で覆いかぶさって拘束していた。塞がりつつあった傷からはまた血が流れ出し、ダイナの上着を赤く染めたりした。三人に雁字搦めにされては身動きのとりようがなく、落ち着いたというよりは無理やり落ちつけさせられた形ではあったが、暴れなくなったのでおっさんが声をかけた。
「何か話したいことがあるなら聞くぞ」
「離せよ」
「心の内に抱いてるものの話で頼む」
 黙ってしまった。話したくないというより、話すことなどないといった態度だ。どうしたものかと若を抱きしめたままおっさんは思案する。
 その間、若の瞳はせわしなく辺りを見渡していた。逃げ道を模索していると嫌でもいろんな奴の顔が目に映った。真横にはおっさんの顔。両足を掴んでいる初代の顔は膝元に。正面よりやや下、胸元辺りにはダイナの顔がある。
 おっさんはこっちを見ていないので無視した。初代とは目が合ったので、睨み付けたら逃げるように視線を外された。ダイナだけはずっと正面から見つめてきて、目を合わせようと追いかけてきた。
「見るな」
 かぶりを振られた。
「何がしたい」
「話がしたい。目を見て、言葉を交わすの」
 頭にきた。こんな状態で一体何を話すというのだ? 事情も知らないで、何が言葉を交わすだ。きれいごとなんて、うんざりだ。
「話して何が分かるんだよ」
「話してもらえないと、何も……」
「ダイナに俺の何が分かるってんだ。え? おっさんからネックレス貰って、嬉しそうにしてたお前に……!」
 怒りに任せてダイナを睨み付けて、止まった。気づいてしまった以上、かけるつもりの言葉は喉を通らなくなってしまった。
 ダイナが自分と同じ表情を見せた。アミュレットを失ったことを口にした時の自分と同じ、暗い顔。
 あれだけ大切にしていたものを理由なく身につけなくなるのは不自然だ。理由があったとしても、先のような顔を見せる意味がない。だから、身につけていないのではなく、つけられなくなったと考える方が自然である。つまり、それは……。
「砕けて、なくなった」
 殴られたような、鈍い痛みが頭を襲った。聞かされた言葉を理解したくないと、脳が拒んでいる。身体中から力が抜けて、支えてもらわないと立っていられなくなった。おっさんと初代に引きずられ、ベッドに座らされた。
 ダイナはかつてロザリオのあった場所に左手をあて、右手は若のアミュレットがあったであろう場所に触れた。
「大切なものが壊れた時、心は傷を負う。その傷は与えてくれた人に赦されても、癒えない。新しいものを貰っても、隠せない」
 若は反応しない。考えることをやめてしまったかのように、ピクリともしない。
「失ったという事実は、消えない」
 ダイナの右手に痛みが走る。見ると、骨が砕かれるのではないかと感じるほどの力で握りしめられていた。なおも握る力は強まり、骨が折れる音を発した。この音で若は自分が何をしているのかをようやく理解し、恐る恐る手を放す。そこにはあり得ない方向に曲がったダイナの指があった。
「ち、違う……。俺は、傷つけたかったわけ、じゃ……」
 押し寄せてくる。自分が今まで何をしてきたのか、理解してしまったら後悔で押しつぶされてしまうであろう現実が。
「心配してくれて、ありがとう」
 傷つけたというのに、感謝の言葉を聞いて幾分か楽になった自分がいることに若は気付く。ダイナの言う通り、赦されても癒えはしない。だけど、楽にはなった。うまく言い表せないけれど、この感覚が大事なんだと思った。
「私もまだ、完全に立ち直れたわけじゃない」
 一人で背負いきれないのであれば、誰かに助けてと伝えることも必要だ。少なくともここにいる半人半魔たちには頼れる仲間がいるのだから、大いに頼ればいいとダイナが右手を差し出す。手は綺麗なもので、先ほどまで骨が折れていたとは思えない。
 この手を取っていいのか、若は躊躇う。また、傷つけてしまわないか? 自分の重苦を背負わせてしまわないか? 不安が渦巻く。手を伸ばせない。やはり掴むべきではないと考えていた矢先、ダイナがいきなり飛び込んできた。何が起きたのか分からなくて、反射的に彼女を抱きとめることになった。
「何まどろっこしいことしてんだ」
 痺れを切らしたおっさんがダイナの背中を思いきり押したのが原因だった。彼女にとっても想定外だったためバランスを崩し、そのまま若の胸の中に倒れ込んでしまった様子。気まずそうな視線を感じてダイナが上を向くと、考えあぐねている若がいた。
「ショックだったんだ。初代たちと同じように、強くなれるって思ってて。そうなれないって分かって……。違う、そんな話がしたいんじゃない。ここに居る資格がないって思ったんだ。でも俺、ここに居たいんだ。こんな、弱っちい俺だけど……」
 うまく要点が絞れず、若自身、何を言っているのかよく分からなかった。それでも伝えたいことは口にしたような気分になった。聞いていた三人も若の本心が聞けたから、きれいな言葉じゃないことなんて気に留めていない。想いに触れられたのだから、何も文句はなかった。
「好きなだけいろよ。同居人については目を瞑ってくれ」
 おっさんに頭を撫でられ、若は赦されたと感じた。ダイナを強く抱きしめ、自分の居場所を深く刻んだ。

 若も平常に戻り、後はバージルとの拗れを解消すれば晴れて大団円である。
 しかし、謝らなくてはいけないということは重々承知しているが、いざ面を向かってでないといけないと思うと尻込みしてしまう。中々踏ん切りがつかず、今も若は自室で時間を潰していた。
「向こうも落ち着いてたから、今なら謝れるぞ。幻影剣ぐらいは覚悟しておいた方がいいとは思うがね」
 謝りにいった時にバージルがまだ冷静でなかったことを考えると流石に胃が痛いので、おっさんが一足先に様子を見に行っていた。二代目と軽く情報を共有して、いつでも大丈夫であると総意を出した。
「それで済めばいい方だよな。……でも、受け入れてくれるもんなのか? 俺も並行世界の住人だってこと」
「受け入れるも何も、不透明だったものが明確になっただけだしな。……ああそれと、二代目から言伝なんだが、二代目も並行世界の住人だし、そのことはバージルにも伝えたそうだぞ。特に関心は示されなかったらしい」
 さらっと話す内容ではないというのに、何事も無かったかのようにおっさんが言いきるから若と初代は動揺しまくりだった。
「二代目もって……おっさんは知ってたのか? そのこと……」
 おずおずと初代が尋ねれば、フォルトゥナに行っている間に知ったと、あくびを噛み殺しながら答えるという雑なものだった。
「わだかまりもないから、心配ない。……ちょっと、荒れたけど」
 船内での出来事について深くは言わなかった。それを口に出来るのは二代目とネロだけだと思うし、今考えると当時の行動はとても幼稚で恥ずかしいものであったと、ダイナは気にしていたから。
「俺、謝ってくる」
 何はともあれ、若に勇気を与えられたようだ。二代目様々である。立ち上がればコートが翻り、若という存在を主張した。扉を開くと惨状の廊下が映り、約一週間の攻防が走馬灯になって脳裏を巡った。握りこぶしを作って自身を鼓舞した勢いで隣の扉をノックする。
 静かに開いた。中には疲れた顔で目を擦っているネロと、じっと壁を見続けているバージルがいた。扉を開けてくれたのは二代目で、無言のまま中に通された。話が付いているというのは本当のようだった。
 一歩踏み出す。部屋に入った。急速に喉が渇きだし、足が震えているような錯覚を覚える。何を伝えるためにここに来たのか、頭が真っ白になって分からなくなっていく。バージルの前まで行くことも出来ず、忘れてしまう前にこの場で伝えてしまおうと口を開くも声が出ず、さらに焦る。
「大丈夫だ」
 若にだけ聞こえるよう、二代目がそっと声をかけてくれた。また、勇気を貰った。
 もう一歩、踏み出す。今度は立ち止まらなかった。一歩ずつ、しっかりと確かめながらバージルの前まで足を動かす。
「バージル」
 声が出た。名前を呼んだら、バージルが顔を上げた。目が合った。
「その…………悪かった」
 素直にごめんなさいとは言えなかった。それでも頑張った方だと思う。ネロと二代目に見守られる中、若は幻影剣が飛んでくることを覚悟して身構えた。
「もう二度と、俺の前からいなくならないと誓え。出来なくとも帰るなどと、少なくとも俺の前では口にするな」
 真摯な態度で言われ、若は大きく頷いた。その後の空気は気まずさも含んでいたが居心地は悪くなかった。なんて思っていた矢先、扉に幻影剣が数本飛んだので何事かと思って見ると、様子をうかがっていた三つの影が部屋に入ってきた。
「まったく、容赦がないね。バージルは」
 軽口を叩きながら入ってきたおっさんと、まだ少し気を遣っている初代に続いてダイナも入ってきた。とても狭い部屋になってしまったが、やっと七人の半人半魔が事務所に揃った瞬間であった。

 それぞれが自身のことをもう一度伝え終えた頃には太陽が昇りきり、新しい日の朝がやってきていた。ここで新たに発覚したことは初代も並行世界の住人であったこと。二代目や若の話を聞いている内に、自身にも大きく違う点があると彼は認めた。何が違う、という明確な部分についてだけは口を割らなかったが、誰も無理に聞いたりしなかった。
 また、元から並行世界の住人であると分かっていたダイナとバージルも、過去のことはあまり語らなかった。ダイナは来た当初に語ったことぐらいしか言わず、バージルに関してはダンテが死んだことしか記憶として残っていないと言う。バージルがやってきた時はかなりの深手を負っていたらしく、記憶を失った要因なのかもしれないが、今となっては知りようもない。
 この世界──おっさんとネロがいる世界──にそれぞれが来た理由は、今もはっきりとしていない。共通して言えることとすれば、何かしらの大切なものを失っているということぐらいか。それはダンテに限ったことではなく、バージルとダイナも同じである。
 自分が元々いた世界を離れて別の世界に渡るということは、一見すると世界からはじき出されたか、あるいは異物のように見える。しかし、こうも考えられるのではないだろうか。
 魂というものは惹かれ合うものであるのだと。そして世界は、惹かれ合う者同士の出会いを許容した。
 本当に異物であるというのであれば、世界という理が許したりしないだろう。だが事実として、こうして出会い、共に生活することが出来ている。
 世界とは人が考えている以上に偉大で、寛容である。きっと、また新たな世界が今、この瞬間にも開かれているだろう。
 だから、この世界も間違いではないはずだ。少なくとも、ここにいる七人の半人半魔にとってはこの世界こそが自分たちの居場所なのだから──。