The moment of reckoning

 古城を統べる王の玉座が置かれた部屋は魔の力により侵食され、かつての面影は無かった。おどろおどろしい様相へと変わり果てた王の間にはメリアの姿があった。
「遅かったな。今しがた、倒したところだ」
 武器を収めし漆黒の乙女は誇らしげに髪を掻き上げる。足元には亡き冥王の遺骨が転がっており、腐肉が滴っていた。二人も確認を込めて己の目で見る。
 確かに、死んでいる。相見えることは無かったが、冥王は消滅している。……だというのに漠然と漂い続けている波動に、不安が募った。
 ここ、王の間を目指していたつい先ほどまで……いや、正確に言えば今も微かに黒い波動をこの場から感じるのだ。完全には死んでいない、根絶しきれなかったような──。
「手が……」
 身体に異変を感じたダイナが手を見ると、存在が消えていくように薄らぎ始めていた。間違いない。元の世界へ戻れる時がやってきたのだ。つまりは冥王が消えたと、この世界が認めたのだ。
 違和感は拭えない。だが身体が元の世界へと帰り始めている以上、出来ることもない。
「何者なのかとずっと疑問に思っていたが……そうか。この世界の人間でなかったんだな。……どちらにしろ、あたしには関係のないことだ」
 もう用は無いと吐き捨てるメリアから驚いている様子は見て取れない。そういったことも往々にしてあると受け入れているような態度だ。
「私たちは元の世界へ帰る。……短い間だったけど協力、感謝する」
 感謝を伝えども、返事は無かった。メリアはまだ成すべきことがあると言いたげに王の間のさらに奥、月明かりの聖堂へと足を進めていった。
 二人はメリアを追うことはせず、身体が消えるのをしばらく待つ。一分、二分……。
「消える気配がないぞ」
 ネロが声を上げる。ダイナも同意する。
 おかしい。今までは身体が薄れだしたら待つこともなくじわじわと身体が消えていき、気づけば元の世界に帰れていたというのに、今回は一向に姿が消えない。身体全体が希薄になりつつあるのは事実だが、後少しが一向に訪れない。
「まだ何か、足りていないというの?」
 この世界を狂わせた忌まわしき存在は消えたというのに、なおも半人半魔たちを縛り付けようとするそれは何であるというのか……。いくら考えようとも答えは出ず、待てどもことは進まず。
 こうなってしまった以上はメリアを追うのが最善か。二人は逸る気持ちを抑え、希薄な身体を使って古城の頂を目指した。
 

 陽の光は入らず、月明かりのみがここを照らすことができるといわれている聖堂には姿が二つ。
「神々よ……。我が分身を討つこと、どうぞお赦しください……」
「あたしはあたしだ! お前の一部などではないッ!」
 一つは漆黒の甲冑を纏い、薄水色の長い髪を持つ乙女。もう一つは緋色の翼と白き衣を纏いし、金色の長い髪を持つ乙女。二人の乙女は同じ顔であるというのに、対極的であった。
「ある時期から、地上界は管理すべき者の存在を欠き、そのために神界と冥府を隔てる力がひどく衰えた……」
 マリエッタが語るはこの世界の理。
 天冥にとって緩衝区域であるはずの地上界は、ある時から役割を果たさなくなった。それが一体何を生んだのか、語る必要はない。
 月明かりの聖堂に至るまでで見てきたもの。その全てが引き起こされた惨劇なのだから。
 古からの協約が忘れ去られた地上界。何人もが己が位置や立場を見失い、各々の望みだけを空しく交錯させた結果、黄昏の時代を到来させてしまった。全ては己が欲を満たそうと望む者たちの思惑に従い、永年に渡り明確に分け隔てられていた境界が崩されてから地上界が今の姿に変わり果てるまで、短いものだった。
「神界は冥府の接近に危機感を覚え、その恐怖を払拭するために私は……私は更なる力の昇華を望んだ……」
「それが何を招いたか……。あたしはお前を打ち倒し、本当の自分を手に入れる! お前を消去する。マリエッタ!」
 神界を安寧を脅かされることに焦りを覚えたマリエッタは、更なる力を求めた。
 地上界で理が度々破られるのは自分の力が足りないから。そう考えたマリエッタはあろうことか冥府の王と契約を結び、更なる昇華を望んだ。
 それはただ、純然なる思いであった。神界のためにと、心の底から望んだことであった。ただ純粋過ぎる思いは時に脅威となり得る。力を得られるならば何でもするという動機に従い、強き力を秘めたる者と契約した。その頼った先が冥王であったというのだから皮肉な話だ。
 結果、己の中にある不要なもの、悪という部分が捨て去られた。しかし、あろうことか不必要と切り捨てられた部分は意思を持ち、今自分の目に前に立ちはだかっている。
「……。もとより、貴女を倒さないままこの地を離れるつもりはありません」
 必ず打ち倒すという己に忠実な意志を抱くメリアとの戦いを前にして、マリエッタも迷いをなくす。決意を固めたマリエッタは手に持つ武器を構え、力強く言い放つ。
「己の中にあった影の部分を……かつて私の一部であった貴女を討ち、全ての邪念を断ってみせましょう!」
 甲冑の乙女と翼の乙女の己が存在を懸けた戦いが今、始まろうとしている。片や己が自由を得んがため……片や己が犯した過ちを悔い改めんがために……。神界の手が届かぬこの場所で、並び立つことの叶わない両者は運命の対峙をする。
 お互いの譲れないもののために己が生命を賭して……。
 戦いが始まる寸前、元は一つの存在であった者たちのやり取りを見ていた二人の半人半魔の身体が消える。
 この世界が混沌に向かったのか、それとも秩序の蘇りを果たしたのか。それを知る術はどこにも残されてはいない。先ほどの存在たちに想うところは多々あれど、己が意思に従って動き出した者を止める術もまた、持ち合わせてはいないのだ。
 この世界が何を想って半人半魔である二人に、目の前にいる乙女たちがかつては一つの存在であったことを見せたかったのかは分からない。
 だが、これだけは覚えておいてほしい。
 歴史とは、繰り返されるものだ。例え其が光明の時代であったとしても、暗黒の時代であったとしても──。

 浮遊感のようなものを感じて辺りを見れば、殺風景な場所だった。特徴的な物は何もないが、それでもこの場所は見覚えがある。古城アーヴェンヘイムのあった世界へ行く前、悪魔たちと戦いを繰り広げた場所。つまりここは、フォルトゥナの城下街から少し離れた場所だ。
 亜空間に吸い込まれた日から、どれぐらい経っているのだろうか。
 当たり前だが二人を吸い込んだ亜空間はどこにも無く、倒した悪魔たちの存在を匂わせるものも残っていない。処理については二代目とおっさんが抜かりなくしてくれたようだ。
「とりあえず、孤児院に行こう。何日経っているか分かんねえけど、キリエにこれ以上心配をかけたくない」
 キリエ第一なところは相変わらずか。だがそれはダイナも同じこと。ネロの頭の中にキリエの姿しか思い浮かべられていないのと同じように、ダイナの頭の中はおっさんと二代目で埋め尽くされているのも想像に容易い。顔を見合わせ、笑みを交わしあう。
 帰ろう。大切な人たちの元へ。

 孤児院の扉を勢いよく開けば、びっくりした子どもたちの視線を一斉に浴びることになった。その中には二つの大きな瞳も含まれていて、こちらに近付いてきた。
「坊やに、ダイナも……! ったく、心配かけやがって。三日も待ったんだぜ?」
 二つの頭を捕まえ、おっさんは自分の撫でたいように撫でまわす。おかげで二人の髪の毛はあちこちにはね上がってしまった。これを嫌そうに直すネロと、躊躇いがちに伸ばした手を引っ込め、おっさんと視線を合わせないようにするダイナという対極な反応を示された。あからさまに目を合わせようとしないダイナに不信感を抱いたおっさんはネロからだけ手を放し、逃げられないようダイナの両肩を掴む。すると観念したのか、ばつの悪そうな瞳を覗かせた。
 一方、自由になったネロは食事の用意をしているキリエの元へと急ぐ。玄関広間を抜けてキッチンに入れば、キリエと二代目の姿があった。いち早く気配に気付いてくれたのは二代目だったが声をかけてこないので不思議に思っていると、そっとキリエから距離を離して目を瞑るのを見て、気を回してくれているのだと分かった。
「キリエ」
 出来るだけ驚かせないように優しく声をかければ、最愛の人が振り返る。
「ネロ! 無事だったのね。良かった……」
 作業の手を止めて距離を詰めてくれる姿が愛らしくて、自然と両手が背中に回される。キリエは驚き、見られていると思って後ろを振り返れば、目を閉じている二代目を視界に入った。キリエも気を遣ってもらったことを理解したようで、照れくさそうにしながらネロの胸の中に収まった。
 つくづくおっさんと違ってデキるダンテだなんて考えながら、もう少しだけ、二代目の気遣いに甘えるのだった。
 時を同じくして、傍からでは睨み合っているように見える姿を晒すおっさんとダイナを、孤児院の子どもたちは固唾をのんで見守っていた。
 根性比べをするが如く口を開こうとしないダイナの挑戦を受けたおっさんは、ざっと身体を見る。ダイナが口を開こうとしない理由を、怪我を隠していると考えたからだ。服の汚れは認められるものの、深手を負った様子はない。多少の傷は不問にしているので気に留めないようにするとしても、ふと目に映した彼女の首元に在ったはずのものを見つけられず、彼女の胸中を把握する。それでも、自分からは声を開かなかった。
 おっさんの視線が動き、首元を見られたことをダイナは認める。間違いない。もう、バレている。
「ごめ……な、さ……」
 蚊の鳴くような声で謝った途端、膝を折る。涙こそ流しはしないものの、表情を隠すためにおっさんの胸に顔を埋め、何度も謝り続けた。
「何か、あったんだな」
「……壊してしまった。私が、弱いばかりに……!」
 歯を食いしばり、己に対して湧き上がる怒りを抑える。
 あの時もっと、警戒していれば。もっと、相手の出方を読み切れていれば。もっと、力があれば。もっと、もっと──。
「……なに?」
 我を失いそうになった時、首元に重量を感じて現実に引き戻された。何だろうとおっさんの胸の中から這い出て視線を落とすと、自分の指よりも幾分か大きい指輪がかかっていた。
「形あるものはいつか壊れちまうもんだ。だが、大切にしてくれていた気持ちまで壊れるわけじゃない」
 目が合う。不安が全て吸い込まれていくような温かさがあった。
「壊れちまったことを嘆くより、また贈り物が出来ると考えれば悪いことじゃない。……ダイナが無事で、本当に良かった」
 ここに……おっさんの元に帰って来れて良かったと、心の底から思う。新たに付けられた指輪を握りしめ、ダイナは何度目か分からぬ誓いを胸に刻む。
 自分の守るべき者はやはり、彼らである。この先もずっと、我が身朽ち果てるまで──。

 食事を終えた後、四人はキリエに見送られて船に乗っていた。
「おっさん。この指輪はどうしたの?」
 首からチェーンを外し、プラチナで出来たシンプルな指輪を触りながら尋ねる。見たところ、男性物であることまでは分かったが意図はつかめぬままだ。何故持っていたのかも気になる。本当は貰った直ぐに聞きたかったのだが孤児たちに全てを目撃されていたため、孤児院を後にする数時間は永遠とからかわれ続け、それどころではなかった。
「んー……内緒。その意味が分かった時に、ダイナがどうしてくれるのかを楽しみにしてるんだからな」
 つまりはどういう意味だと問いそうになった言葉を飲み込み、必ずいつか答えを見つけて見せるとおっさんに約束し、ダイナは新たな飾りをつけてもらったネックレスをズボンのポケットへ入れる。今度は壊されないよう、帰ったら自室で大切に保管することにしたようだ。
 長かったフォルトゥナでの生活もようやく終わりを告げる。事務所で待っている仲間たちの元へ帰り、みんなで騒がしくも楽しい毎日を送れる日を待ち遠しく思うのだった。