スラム街から少し離れたところにある坑道。廃坑になっているだけあって荒れ放題なここは、悪魔の巣窟となりやすい場所としてデビルハンターたちの間では有名な場所だった。一度掃討してもある程度の月日が経つと、他の悪魔たちがまた住処にしてしまうという厄介な場所でもあるが、下手に埋め立てることも出来ないため今もそのまま放置されている。
唯一の救いは一般人が立ち寄らないということなのだが、悪魔たちとてただここが住みやすい場所だから、という理由で身を潜めているわけではない。人間界にその身をなじませるための隠れ蓑として利用し、力を現出させることが出来るようになったら街に来て人を襲うということを繰り返しているのが実情となっていた。
「ここの掃除は久しぶりだな」
悪魔の巣窟に来ているというのに相変わらず呑気に歩くおっさんの後ろには、ジェラルミンケースを持って辺りの警戒を務めるダイナと、不機嫌な様子を一切隠す気のないバージルの姿が見て取れた。
こんな珍しい組み合わせになった理由は簡単。手の空いているメンバーがこの三人だったから。ただそれだけ。
やる気がないおっさんはさておき、バージルの不機嫌な理由は無論、目の前を歩くおっさんが原因だ。依頼はシンプルかつバージルに持ってこいの内容となっているものの、どんな依頼にもおっさんが絡むとややこしく、そして面倒なことになるのが目に見えている。
しなくてもいいことをしでかし、それを謝罪する気のない態度で雑に流す姿に何度殺意を覚え、本気で斬りかかったことか。挙句に今回はダイナまでついてきているため、おっさんに本気で斬りかかればその前に彼女が割り込んでくるのは想像に容易く、さらにバージルのイラつきを助長していた。
「……来た」
どれだけおっさんにやる気が感じられなくても、どれだけバージルが不機嫌だろうともダイナはいつもどおりに武器を構え、奥から物凄い速度でこちらにやって来ている悪魔に備える。そして飛びかかる悪魔の位置にケースを添えてやると、勢いを殺しきれない悪魔はそのままケースにぶち当たり、無念にもその姿を灰に帰した。
「Hmm……。やっぱり、ここのは弱いな」
「なんだ。今の……知能が低い悪魔は」
「自滅するとは、思っていなかった」
勢いを受け止めた後に撲殺すべく高く掲げられていたケースはその打撃を繰り出すまでもなく、振り上げた当人はどうしたものかと気が抜けたようにケースを所定地に戻す。
しかし、どれだけ小さくて弱かろうと悪魔である以上気を抜くのはご法度だとダイナは自分に言い聞かせ、完全にモチベーションを失ったバージルと、はなからやる気のないおっさんの代わりに廃坑を進んでいく。
すると、先ほどとは比べ物にならないほどの大きな音が段々と近付いてくる。今度こそ強力な悪魔かと気を引き締めてケースを構え直すと、飛び込んできたのはさっきと全く同じ、ネズミほどの大きさの悪魔。それでもなお近付いてくる大きな音の正体を確かめるために小さな悪魔を無視して前を見据えると──。
「冗談、きつい」
一体どれだけいるのか。その数は廃坑の道を丸々一本封鎖するほどで、大軍を成して押し寄せてくる小さなネズミ悪魔たちの足音だった。これだけの数となると脅威というか、純粋に気持ちが悪い。
とにかくこの波に呑まれるのは御免なので、急いで脇道へと飛び込む。姿をくらませたダイナに無関心なのか、はたまた曲がるという知能すらないのか、ネズミ悪魔たちは尚も直進を続け、おっさんとバージルに突っ込んでいく。
「戦いは数と言うが、壁にぶつかった程度で息絶えるような悪魔、何匹いても変わらんだろうに」
「鬱陶しい。散れ」
幻影剣と次元斬の雨を降らせるバージルに対し、おっさんはその場を微動だにしない。ぶつかっただけで死ぬような悪魔ならその身に受けても蚊に刺された程度なのだろうが、それでも普通ならこの大軍に呑まれるのは避けたいと思う。
「もう少し、危機感を持って」
避けないおっさんの前を鎖が通り過ぎる。少し奥からネズミ悪魔を灰に還しながらおっさんに迫っていく異常繁殖したネズミ悪魔を正確に片していくそれは、ダイナが操る多節槍レヴェヨン。
またバージルも先と変わらず直進しか脳のないネズミ悪魔を片しているが、かなりご機嫌斜めだ。
「気合入ってるな。だが、いつまでやっててもキリがないぞ」
「さっさと大元がいる場所へ案内しろ」
「そうは言っても、俺自身知らないからな」
ここの掃除は久しぶりだ、なんて格好つけていた最初の言葉は何だったんだと問い詰めたくなる無責任なおっさんの言葉に、バージルの堪忍袋の緒が切れた。幻影剣の雨はおっさんもろとも巻き込むまでに広げられ、ネズミ悪魔にぶつかられる方がまだ安全なのではないかと思わせるほどの惨状を瞬時に生み出す。
「また、やってる」
これで何度目と数えるのもバカらしくなるくらい、特におっさんとバージルは喧嘩が絶えない。喧嘩というよりは一方的にバージルがおっさんに切れているだけだったりするのだが、バージルの全力を受けても飄々とした態度を崩さない。だから毎度のことながらバージルの怒りを引き上げる。
「危ない危ない。……ま、おかげで雑魚は片付いたな。ありがとよ」
「Dei!」
こうして始まる鬼ごっこ。残念ながら捕まったら鬼が交代するのではなく命を刈り取られるという末恐ろしい遊びだが、遊びと称せる程度におっさんは余裕だ。
今日こそは息の根を止めてやると躍起になるバージルに追われ、おっさんは一人廃坑の奥へと逃げていく。もちろん、おっさんを追い回しているバージルも言わずもがなで、こんな二人に振り回されるようにダイナも後を追うのだった。
鬼ごっこを続けている間も相変わらずネズミ悪魔がバカの一つ覚えで突っ込んでくるものだから、各々が得意とする戦法で叩き落としながら足を動かしている。
……そんな時、事件は起きた。
「いい加減に機嫌直せよ、バージル」
「貴様の息の根を止めれば、多少の気も晴れよう」
「そいつは勘弁だ」
突如として現れた、先ほどまでのネズミ悪魔とは非にならないぐらいの魔力を帯びたカマキリのような悪魔が鋭い腕を振り下ろす。これを難なく避けたおっさんは銃弾をプレゼントすべくホルスターから二丁拳銃を引き抜き、違和感を覚える。
「あ……? 俺のアイボリー、何処にいった?」
事務所内でも投げっぱなしの放りっぱなしだが、それでも仕事道具を忘れるほどまでに落ちぶれていない。今日だって出発前にきちんとホルスターへ収納したことは確認している。
しかし、ないものはない。
目の前に迫る鎌のことが完全にすっぽ抜けたおっさんは、アイボリーは何処にいったと探し始める。
「だから、危機感を持って」
遠くからものすごい勢いで飛んできたのはジェラルミンケース。どうやら遠方からダイナが蹴り飛ばしたようで、見事カマキリ悪魔の腕に直撃する。間違いなく打撃を与えたことを証明するようにカマキリ悪魔の腕は片方が消し飛んだのだが、そいつも何が起こったのか理解できていないようで、おっさんと同じように腕は何処にいったと探し始める。
おっさんと同じ動きをしている、というのはバージルを腹立たせるのに爆発的な効果を発揮し、ただでさえ収まらぬ怒りの矛先としてカマキリ悪魔は原形が分からなくなるまで滅多切りにされ、身体を灰に還した。
「なあ、俺のアイボリー知らないか?」
だがそんなことはお構いなし。おっさんはこれまで何十年と共に悪魔を狩り続けてきた相棒探しを今も続けている。
これをバージルはチャンスだとして再び幻影剣と次元斬を浴びせるが、それを何事もなかったかのように避けるせいで怒りが収まることはなかった。
身内同士で殴り合うのもほどほどにして、実際おっさんのアイボリーが見当たらないというのは問題だ。
ダイナ自身はおっさんが探し回るのを援護している状態なので協力的である。一方バージルは一緒に探してやるなどという優しさは一ミリも持ち合わせていないものの、事務所を出る時におっさんが二丁拳銃をホルスターに仕舞っているところは自分の目で見ている。先ほどのカマキリ悪魔が現れるまでおっさんがホルスターに手を伸ばしていないのも知っているため、やはり忽然と武器が消えてなくなるこの現状には不可解さを覚えた。
「何処にいっちまったんだ? 俺のアイボリー」
終始“俺のアイボリー”と呟き続けるおっさんは、この場に無いのなら別の場所だと言わんばかりに何故かさらに奥へと進んでいく。普通落とし物を探すのなら来た道を戻るのがセオリーというか、至極当然の流れなのだが……何故おっさんは前進していくのか、これが分からない。
もちろんダイナは何処へ行くんだと制止するが、今のおっさんに言葉は届かない。届く言葉があるとすれば、アイボリー見つけたよ、ぐらいか。前もろくに見ていないおっさんを一人で先に進ませるわけにいかず、ダイナは仕方ないと諦めたようにおっさんの後をついていく。
バージルもうんざりと言った様子ながらも渋々ついてきてくれる辺り、随分と丸くなったものだ。
そうして最深部へとたどり着いた一同は何とも表現のしづらい表情を浮かべる。
最深部で待ち受けていたのは、食い過ぎで太ったような丸々とした巨大ネズミの悪魔。ただその取り巻きにいるもう一匹の悪魔は空を飛んでおり、その手には……。
「俺のアイボリー!」
何故かおっさんのアイボリーが握られていた。
どうやら、最初に気持ちが悪いほどの量で襲い掛かって来たネズミ悪魔の群れにこの羽の生えたネズミが混ざっていたようで、避けようとしないおっさんからアイボリーを引き抜いていったようなのだ。
これにおっさんは安堵の表情を浮かべて、悪魔にアイボリーを返してくれよなんて呑気に声をかけている。もっとも、言葉が分かるほどの知能を持ち合わせていないため、羽の生えたネズミ悪魔がすることはたった一つ。
体当たりをかますこと。
「物を盗む程度に知能はあるのかと思ったら、これか……」
おっさんに体当たりをかますも、相変わらず避けることも出来ないネズミ悪魔はダイナによって軌道上に置かれたジェラルミンケースにぶち当たる。しかし、耐久力は他のどのネズミ悪魔たちよりもあるようで、ぶつけた体を灰に還すことはなく、尚も体当たりをかましてくる。
「無駄」
何度やっても無駄だということすら学習できないため、永遠と同じことを繰り返し続けるネズミ悪魔にダイナは情け容赦のない脳天割りを繰り出す。
見事に直撃したことにより、羽の生えたネズミ悪魔は灰へと戻り、その場にアイボリーが落とされる。
これでめでたしめでたし。……とはならない。まだ丸々と太った方のネズミ悪魔が残っている。こいつも例に漏れず体当たりをかましてくるのだが、その体格から繰り出されるタックルを喰らうのは冗談でも勘弁願いたい。
おっさんはアイボリーと若干の距離があったために拾うことを諦め、一旦右側へと飛び退く。ダイナはアイボリーをレヴェヨンを使って器用に拾い上げると同時に左側へと回避した。
残るバージルは類稀なる身体能力で跳躍し、ネズミ悪魔を飛び越え、そのまま豚の様に肥えた身体を一刀両断しにかかる。
「決めるぜ!」
「合わせる」
「Dei.」
バージルは兜割りを、おっさんはエボニーでどてっぱらに風穴を、そしてダイナもおっさんと同じようにアイボリーを撃とうとしたとき、何かが自分の背後に来る気配を感じ、慌てて振り向き手に持っている拳銃で殴りつけた。
「ダイナ、無事か?」
一瞬感じ取った気配にバージルとおっさんも気づいたが、ダイナが自身で対処出来ると信じて二人は太ったネズミ悪魔も討ち取った。奇襲を受けたダイナも特に怪我などすることなく、危機を回避していた。
「もう一匹、羽が生えたのがいたみたい。特に支障はない」
「だったら帰るか。見た感じ、さっきのが親玉……おいこらダイナ! どこが支障なしだ!」
会話の途中だというのに急に血相を変えて距離を詰めてくるものだから、一体何事だとダイナが問いかける前におっさんはアイボリーを手に取った。
「アイボリーで敵を殴ったな?」
「私には撃てなかった。だから仕方ない」
アイボリーのハンマー部分の異常を認めたおっさんは相当ショックを受けている。いつも丁寧に整備しているだけに、今回ばかりはかなりのお怒りだ。だが、意外にもダイナの言葉に反応を示したのはバージルだった。
「撃てなかった、とは、どういうことだ」
「言葉どおりの意味。私にアイボリーは、扱い切れない」
拳銃の大きさの関係で、トリガーに指が十分に届かないとダイナは語る。確かにエボニー&アイボリーはおっさん専用にと設計された物であるため、規格がかなり大きいものになっている。しかも対悪魔用となれば、常人にはとてもじゃないが扱えるような代物ではない。
「なるほど。ダイナの手、小さいもんな」
「ノワール&ブランがギリギリ。それ以上の規格で作られた拳銃は、私には扱えない」
そう言ってダイナは二人にノワール&ブランを見せる。これを見たおっさんは少し思案した後、さらにダイナに質問した。
「これも俺のと変わらない大きさがあるように見えるが」
「父の形見だから、当然。ただ、父は人間だったし、男の人でも、小柄だったから」
ダンテの持つエボニーとダイナの持つブランを比べれば、どちらも大型であることは変わりない。だが、比べて見ると一回り程大きさが違うことがはっきりと分かる。それでも、ダイナの小さな手でノワール&ブランを扱えるようになるまで相応に努力しただろう。
「……そうか。大事にしろよ」
「無論、そのつもり。私に扱える魔具はレヴェヨンだけ。これはいつの日か、私にも使えるようにと、母が使役してくれていたおかげ。そして二丁拳銃は、父が自作したノワール&ブラン以外、あり得ない」
死ぬその瞬間まで一緒だと、父と母の形見を握りしめるダイナの姿におっさんとバージルはそれぞれ父から譲り受けた魔具を見る。二人にだって、リベリオンと閻魔刀にはそれぞれ思い入れがあるだろう。だからこそ、ダイナの気持ちは理解できる。
「今度、俺のリベリオンを貸してやってもいいぞ」
「気持ちは嬉しいけど、遠慮しておく。魔具は悪魔の力の結晶。皆より弱い私が、扱えるわけない」
「懸命だな。下手をすればその身を焼かれるだろう」
リベリオンや閻魔刀のように持ち主がきっちりと扱いきれている魔具であれば誰かに譲歩したとしても、そのこと自体が主の想いであるなら特に問題なく貸すことぐらい出来るだろう。しかし、自分を打ち負かしたからこそ力を貸しているような魔具の場合だと、自分より劣っている者に力を貸すことはないどころか、仇名すことだってあり得ないことではない。
だからもし、彼らの魔具を借りる日が来るのだとしたら、少なくとも彼らと同格になってからだとダイナは考えている。もっとも、彼らと同格になったとしても愛用し続けるのは多節槍レヴェヨンと二丁拳銃ノワール&ブランだろう。
これまでも、そしてこれからも。両親が遺した武器たちは彼女を支え続けるのだ。