現在事務所では床に正座をさせられているダイナの前に二代目とおっさん、そして初代が鬼の形相で腕組をしながら彼女を見下ろしていた。
「ダイナ、今日は言わせてもらうぞ」
「はい」
二代目のあまりの声色の低さに、今なら呪詛も吐けそうだなと横にいるおっさんは呑気なことを考えている。ダイナに向けている表情はいまだ鬼の形相だが。
「俺たちを守ること自体には何も言わない。……が、守り方を変えろと、常日頃から言っている」
「……はい」
「いつ、変えてくれるんだ?」
「…………ごめんなさい」
実は今日、全員で取り掛かるほどの依頼があった。強大な悪魔が出てきていたわけではなかったわりに、その数の多さに全員が各地へ散らばる騒動だった。
たまたまダイナが担当した地域は他と比べて悪魔の数が少なかったため、掃討し終えた後は急いで別の地域にいる仲間たちとの合流を目指した。……までは良かったのだが、急ぎすぎるあまりに道中の悪魔どもの処理を特攻同然で済ませるという、凄まじく荒い手段を取っていたことが発覚。結果、今に至っている。
「おっさん、買ってきたぞ」
「いいタイミングだな、坊や」
説教部屋となっている事務所へ帰ってきたのはネロ。買ってきたものを袋ごとおっさんに投げ渡せば、中身を確認して満足そうにおっさんが口元を緩める。
「それ、何に使うんだよ」
「聞いて喜べ。坊やにも一本分けてやる」
おっさんは袋から一本取り出し、ネロに投げ返す。そのまま流れるようにまた一本取り出し、それは初代に手渡される。後はお怒り状態の二代目にもだ。
「これは……なかなかにパンチの効いた……」
手渡されたそれを見た初代は若干の哀れみと、これは楽しくなるという期待に胸を膨らませる。
「髭よ、これを考えたのは」
「今回は俺と若の案を採用した。ただ、一本じゃ懲りないだろうということで一人一本ずつ、計六本の原液を坊やに買ってきてもらった」
原液という言葉に、ダイナは何をされるのかと背筋を凍らせた。説教された後の流れは今までにも嫌というほど経験している。初めての時は初代とおっさんの考えた、情け容赦のないお仕置き。その次は二代目の息もさせぬほどの、二度と思い出したくないお仕置き。
そして今日は若が考えた──ついでにおっさん──という、鬼が出るか蛇が出るかのお仕置きを施されるのである。
「おっ、買ってきてくれたのか! 悪いなネロ、こっちも準備で行けなくてさ」
「ああいや、買い物ぐらい別にいいけど……。本当に何するんだよ」
準備がどうだの一人一本だの聞かされても、そもそもの概要を聞かされていないためネロにとってはさっぱりだ。これはたまたま若と一緒に二階から降りてきたバージルも同様で、おっさんから投げ渡されたそれを受け止め、一体何だと顔をしかめている。
「よし、じゃあダイナ。今回のお仕置きの内容を発表するぜ」
「出来ることなら、聞きたくない」
「俺たちは全員、さっきネロに買ってきてもらったとある飲み物の原液を一人一本持っている。これを使って今日中に何かをダイナに仕掛けるから、そういうことでよろしくな」
まったくもってよろしい内容でもなければあまりにも漠然としすぎているため、これでは本当に何を仕掛けられるか一切分からない。挙句、そんなのは今初めて聞いたという顔をしているバージルとネロ、そして二代目は手に持った飲み物とダイナを見比べている。
「下らん。仕置きをしたいのなら、貴様らで勝手にしていろ」
「俺らもするんだって」
「……チッ」
ここで自分が何を言っても、おっさんたちがあれやこれやと言いくるめにくる未来を想像したバージルは舌打ちし、閻魔刀を抜いたかと思えば飲み物の口元部分をばっさり切り落とした。
「おい、口を開けて上を向け」
「え……んぶっ!」
正座をしていたため、バージルに声をかけられたら自然と上を向くことになる。そして、何故と問いかけるために開けかけた口に無理やり入れ物をねじ込まれ、目を白黒させる。
「さっさと飲み干せ」
「んぐっ、ぅ……ごほっ……ん゛ん゛っ!」
吐き出したくても口を塞がれているために吐き出せず、飲み下そうにも液体が喉奥に絡むため、思うように喉を通らない。それでも容赦なく流し込まれる液は口角から溢れ、ダイナの上着が吸い取っていく。
何とかして逃げ出そうにも足は痺れて立ち上がれず、バージルの腕を引き剥がそうにも力が及ばず。段々と脳にまで酸素が回りきらなくなり、意識が怪しくなってくる。
「……これでいいんだろう」
「はっ! げほっ! う゛……あ゛……きつ、い……」
容器が口から外されるのと同時に、あまりの苦しさにダイナは胸を片手で押さえ、何度も咳きこむ。喉に絡んだ何とも言えない感覚に顔をしかめ、もう片方の手を床につける。
「一番エグイ飲ませ方を躊躇いなくしやがった……」
まさに外道とも言える原液流し込みをやってのけたバージルは、ポツリと呟いた若にいつもの如く幻影剣を叩き込み、飲み干された入れ物を投げ捨てて自室へと引っ込んでいった。
「これ……後、五本……?」
今の出来事がまだ五回も繰り返されるのかと思うと、顔から血の気が引いていく。今までのお仕置きは精神的に追いつめられるものばかりだったため、初めての物理的なお仕置きに今までとは違う恐怖を覚える。
「いや、あそこまできついのはしないって。……まあ、他にもいろいろと考えてはあるけど」
「…………お仕置き、嫌い」
元凶を作ったのはダイナなので、何を言ってもお仕置きは執行される。これに懲りたら二代目に指摘されたとおり、戦い方を改めるしかない。
「それにしても……いい眺めだって言ったら怒られるか?」
今のダイナの状態を見て初代はそんな言葉を漏らす。
口角から白い液体を流しており、上着に至っては流れ落ちた液体を吸い上げたため肌に張り付いている。ただ、本人は苦しさでそんなところまで気が回っておらず、今も息を整えるので必死だ。
「タオル持ってきたから、使えよ」
「ネロ、ありがとう……」
喉のえぐみが取れず、声を出すのも辛そうなダイナはタオルを受け取り、ようやく口元を拭き取る。そしてべたつく上着に目を向け、初めて周りの視線に気づく。
透けた部分から覗く下着をこれでもかと凝視するおっさん、初代、若の変態三人組と、一切見ないようにしているネロと、誘惑に負けて横目で見ている二代目。綺麗に性格が反映されている。
「まあ、今日もいつもどおり過ごしてくれよ。適当にタイミング見て、仕掛けるからさ」
「堂々と宣言されて、警戒しないわけがない。……取りあえず、着替えてくる」
タオルで胸元を隠し、上着を取りに自室へ戻っていくダイナを見送った彼らもそれぞれお仕置きを実行するため、持ち場へと散開していくのだった。
「……俺はどうしたらいいんだよ」
何も知らされていなかったネロは今回のことに興味なさげ。とりあえず、汚れた床を拭くためにぞうきんを取りに行くのだった。
着替え終わったダイナが自室を出ておっさんの自室前を通り過ぎようとした時、それは起きた。声を上げる暇もなく部屋に引きずり込まれ、あまりの手際の良さに襲撃かと二丁拳銃を構えると、目の前にいるのはおっさんだった。
「……おっさん。今のは、暗殺のそれ」
「悪い悪い。だが、手を抜くとダイナに逃げられちまうからな」
部屋に連れ込まれてしまった以上は袋小路なので、抵抗するよりはさっさとお仕置きを受けて解放してもらう方が良いと判断したのか、二丁拳銃をホルスターに戻し、おっさんの元へ近寄る。
「今度も、一気飲み?」
「あんな鬼畜なことはしないさ。俺からのお仕置きは……これだ」
そういって取り出したのは、いくつかの小さな袋。その中には白い液体が入っており、先ほどの原液であることが見て取れる。おっさんはその一つをおもむろにダイナの頭上で破った。
「っ……! 背中に……」
冷たいものが背中を伝っていくため、身震いしてしまう。それだけでなく髪の毛からもゆっくりと滴り、落ちた水滴は床だけでなく、先ほど着替えた上着も濡らしていく。
「ほら、今度は自分で噛み千切って見せてくれ」
「……うん」
普段なら絶対に断る。しかし今はお仕置き中なので、否が応でも聞くしかない。……断ったら? もっと過激になっていくことを学習済みである。
言われたとおりに袋を咥えれば、ゴム製だということが分かる。とはいえかなり薄く、少し歯を立てればすぐに噛み千切ることが出来た。袋に穴が開けば、当然中に入っていた白い液体が溢れ出る。それは胸元に落ち、滴っていく。
「最高にエロイぜ」
「せっかく着替えたのに」
着替えた上着は一瞬にして先ほどの二の舞。再び肌に張り付く上着に不快感を覚えながら、おっさんが満足したか表情を見る。
「ダイナ、今のお前は上半身に満遍なく白濁の液体をぶっかけられた状態だ。……これの意味しているところが分かるか?」
「分からない。個人の感想を述べるなら、不快なので着替えたい」
「……ああ、そうか。アブノーマルな知識は持ってないのか」
自分の状況に理解を示さないダイナにがっかりしつつ、それはそれで無垢な彼女を汚してやったという勝手な高揚感がおっさんの心を満たす。
「このゴム製の袋が何か、知りたいか?」
「知りたくない。……大体何なのか、察してしまった」
「ほう? ぜひ見解を聞かせてくれ」
「それ、は……。もう、お仕置きは終わった。次を……受けてくる」
さっと顔を下に向け、濡れた部分を隠すように手を当て、急いでおっさんの自室から出て行こうとする。そんなダイナを逃がすまいと、おっさんは彼女を後ろから抱きとめる。
「こら、何勝手に終わったことにしてんだ。まだ残ってるんだぞ?」
わざとらしくダイナの目の前で残っている袋を振り子のようにしながら見せてやると、彼女の頬は紅く染まっていく。彼女の意識している姿におっさんは嬉しくなりながら、お仕置きを続ける。
「さてお次は……俺の方を見てもらおうか」
後ろから抱きしめられているので、おっさんを見るためには束縛から逃れるか、顔を上に向けるぐらいしか思いつかない。前者を試みようにもあからさまに腕に力を入れているので、遠回しに上を向けと言っているようなものだ。
相変わらず意地の悪い言い方をしてくる、なんて思いながら上を向けば、丁度おっさんと目が合う。
「……それ、どうする気」
「ほら、口を開けて舌を出しな」
おっさんが見ている前で舌を突き出すというのは恥ずかしい。
嫌だと首を小さく振れば、ダメだと無理やり口を開かされ、舌を引っ張り出される。そこへ手に持っていたゴム袋を器用に破り、彼女の口へ流し込んでいく。
「んっ、ふ……あ……んくっ」
流し込まれる液体は大した量ではない。ただ無理やり舌を引っ張り出され、それを見られているというのはとても恥ずかしい。どこに視線を向けたらいいのか分からず、見つめ合っているこの状況に耐えられなくて目を瞑る。
……それが、仇になった。
「んうぅ! はっ……あ、あ……!」
追加で液体を流し込まれるだけに留まらず、口内に指を入れられ、舌苔を擦られる。驚き、目を見開けば、妖艶の笑みを浮かべるおっさんが視界に入る。あまりにも情欲をそそる表情と行為に、自分の奥底から求めてはいけない何かが湧き上がってくる。いけないと必死に抑制しても、次から次へと与えられる甘美さに心と身体が絆されていく。
気づくと、抵抗の二文字を忘れておっさんに身体を預けているダイナが、そこにはいた。
「骨抜きにしちまったか? まあ、これだけイイ男に迫られたんだ。当然と言えば当然だな」
「……っ、あ……う、許して……」
からかわれ、ようやく我に返ったダイナが口にしたのは普段の彼女からは想像も出来ない、弱りきった言葉だった。
今までにだってからかれることは腐るほどあったが、今度ばかりはおっさんの本気に一種の恐怖を覚えた。まるで、いつでも俺の思うがままに出来ると言われているようで。
そして、それを証明されたようで。
「次はこれよりももっと恥ずかしい思いをさせるから、そのつもりでな」
放心状態のダイナに届いたのかおっさんには分からないが、彼の心理を語るなら届いていない方が今度もまた過激ないたずらが出来るというものだ。もっとも、そうなった原因のことを考えると頭の痛い案件でもあるため、喜んでばかりいられないのもまた事実だったりするが。
「もう……しない、から……」
部屋に連れ込んだ当初の気丈さは鳴りを潜め、今おっさんの目の前にいるのは悪いことをして親に怒られた後の子どもそのものだ。今回ばかりは相当に堪えたようで、本当に反省していることが見て取れる。
これで懲りてくれることを願いながら、おっさんは彼女に俺からのお仕置きは終わりだと告げた。
おっさんの部屋の扉を背に、首を左右に振って滴を飛ばす。
先ほどのような内容が後四回も残っているのかと思うと、心に影が差す。
「私は……何を考えているの? 皆の傍にいるために必要なのは……っ!」
考え事をしていたため、今度も抵抗する暇もなく初代の部屋へ連れ込まれる。
「これはこれは……派手に汚されたな?」
「……おっさんにやられた。初代は、何をする」
こうも立て続けにされると気が滅入ってしまいそうだが、終わったことを引きずるわけにはいかない。とにかく先ほど感じてしまった想いに蓋をし、初代のお仕置きを受けることにする。
ダイナがそんなことを考えているとは露知らず。初代は着替えに行ったというのに汚れているダイナの姿を見て、大体何が行われたのかを察したようだ。そんな彼女を後ろから抱きしめ、ダイナの口元にそっと飲み口を近づける。
「色々と考えたんだが、楽な内容じゃお仕置きにならないからな。ちょいと辛いだろうが、バージルと同じで原液を飲ませるという発想に至った」
「……把握した。飲み切る」
またえぐみが喉に引っかかる感覚を思い出すのは憂鬱だが、バージルのような不意を突いた飲まされ方でなければ、ある程度堪えることが出来ると考える。
「いい子だ。じゃあ、口を開けてくれ」
言われたとおりに口を開けると、初代に飲み口を咥えさせられる。そして顎を持ち上げられ、少し苦しくもバージルより優しく、ゆっくりと流し込まれる。
角度の問題で飲み込む際に何度もはしたなく喉を鳴らしてしまう。加えて、喉奥に絡む何とも言えない感覚に段々と飲み込みきれなくなってくる。
「んっ……ぅ……んん、う……あ、はっ……」
ダイナが苦しそうにしているのを見て、初代は彼女の口から入れ物を抜いて休憩を取れるようにする。これには驚いたが、初代がくれた休憩をありがたく受け、一息つく。
「どうした? 驚いた顔して。無理やり飲まされる方が好みだったか?」
「そんなわけない。ただ、今までと比べれば……その、優しいから」
「くく……優しい、か。それはこれを全部飲み切ってから聞かせてほしいね。……ほら、続きといこうか」
楽観な考えを持つダイナを見て、愉快な笑みを浮かべる初代。それを横目で見てしまった彼女は嫌な思考にとらわれる。……あれだけ悪い顔をするということは、間違いなくこれにも何か意図があるはずだ。
とはいえ、抵抗なんてしても逃げられないのは分かっているし、下手なことをすればお仕置きの内容が本当に手の付けられないところまで加速する。だから今は、原液を飲み干すしかない。
「う、ん……んぅ、う゛……んんっ、げほっ……」
何度か休憩を挟みながら、ようやくすべてを飲み切った。それは良かったのだが今のダイナは顔面蒼白で、初代に支えてもらってないと座ってすらいられないほどだった。
そうなった理由はバージルのよりも何倍もきつかった、というのが単純でありながら明確な答え。
短期間を見れば窒息寸前まで口に液体を注ぎ込まれる方がきついのだが、そのほとんどは飲み干せるわけがないので、結果だけを見れば大して飲んでいない。一方こちらは丁寧にすべてをゆっくり飲まされたので、とにかく喉のえぐみがきつい。
「どうだ。優しく飲ませてもらった感想は」
「…………鬼」
「それはバージルだろ。……これに懲りたら、もう二度とするなよ。今度特攻なんかしてみろ。冗談じゃなく部屋に閉じ込めるぞ」
「心配かけたことは、申し訳ないと思っている。だけどあの程度……」
「死ななかったら何してもいいのか? 俺が同じことしたら、ダイナはどうするんだ」
「ありえない。初代ほどなら、必要性がない」
どうにも現実的でない展開だと、たとえ仮定の話だったとしても想像しきれないのはダイナの良い部分であり、悪い部分だ。必要のない不安を覚えないというのは強みだが、如何せん相手の心に寄り添えないのはよろしくない。
「なあ、俺はダイナのこと、本当の家族のように思ってる。大事なんだよ」
「私もみんなのこと、家族のように思っている。だから守りたい」
「それは嬉しいんだが、そうじゃなくてだな……。あー! どういえば伝わるんだよ」
珍しく初代が声を荒げるから、ダイナもどうしたらいいのかと困っている。そんな彼女の頭を乱暴に撫でまわせば、乾ききっていない髪の毛があちこちにはねて、跡を残した。
「……終わり?」
「ああ、終わりだ。次はないと思っておけよ」
「肝に、銘じておく」
なんて言っているが、また大きな事件が起きたらダイナは同じようなことを繰り返すのだろう。そう考えると不安でたまらない。
今までにも相当にきついお仕置きはしたわけだし、実際それに懲りて“まったく同じ”場面での無茶はしなくなった。しかし、少しでも事象が変わると無茶をするから困ったものだ。
「その言葉、信じるぞ。……よし、顔色もよくなったな。これで次のお仕置きも受けに行けるだろ」
受けたいわけではないが行かないと終わらないし、終わらせないと後が怖い。何とも言いづらい複雑な表情を浮かべながら、ダイナは一つ頷いて初代の部屋を後にした。
休ませてもらったおかげで体調の方は万全とは言えずとも、次のお仕置きもある程度耐えられるだろうと考えていると、まるで入ってこいと言わんばかりに二代目の部屋の扉が開く。その先は清潔感溢れる部屋であるはずなのに、深淵の闇が広がっているようにしか見えない。
行ったら最期になるんじゃないか。そんな考えしか浮かんでこない。だが、行かなかったとしても最期になってしまう。どちらに転んでもどうにもならないなら、早くお仕置きを受けて楽になった方がいいと震える身体に鞭を打ち、心を奮い立たせて一歩、足を踏み出す。
刹那、視界が回る。あまりの滑らかさに自分の身体に何が起きたのかすら理解できず、ようやく我を取り戻して何事かと辺りを見渡せば、うつ伏せにされた挙句後ろ手に縛られ、身動きを取れなくされていた。
「ダイナ。今日という今日は加減なしだ」
ずっしりとした重みを感じ、またその方向から部屋を凍らせてしまうのではないかと思わせるほどの二代目の声が降ってくる。自分の背に二代目が乗っていることをようやっと理解したダイナは一体何をされるのかと顔を上げると、目の前に銀の皿が一枚置かれていることに気づく。
そこへ上空から原液が注がれていき、どういうことだと思案していると二代目がたった一言、こういった。
「どうした? 早く飲まないと、こぼれるぞ」
悪寒が全身を駆け巡った。
この皿に満たされていく液が零れたとき、一体どうなるのか。想像をしてしまった瞬間には身体が動き、必死に舌を突き出し飲みあげるダイナがいた。起き上がれない以上、何度も舌を出して液体を口に運ぶしかない。
「ふっ……ぅ……ん、ん……」
どれだけ苦しくても、辛くても、こぼしてはいけないという使命にかられ、疲れても絶対に止めず、永遠とも思えるような時間を過ごした。
肉体は当然苦しいが、皿に満たされる飲み物を動物のようにただひたすらに舐めとり続けていることが、何よりも精神的にきつかった。あまりの辛さに体が悲鳴を上げるが、そんなものは服従を強要されているような、心にのしかかるそれと比べればわけなかった。
「……これぐらいでいいだろう」
一体どれほどの時間、そうしていただろうか。全部を飲み切ったのか、それとも二代目の温情なのかまでは分からないが、とにかく今は解放されるという事実が堪らなく嬉しかった。
両腕を自由にして馬乗りを解いた二代目がそっとダイナを抱き上げ、立たせる。目を合わせるのが怖くて俯いていると顔を持ち上げられ、視線を合わせられた。
「ダイナは十分強い。だというのに無茶をするのは何故だ?」
「私、は……」
二代目の問いに、ダイナは答えられなかった。
そもそも、自分が強いだなんてダイナは一度として思ったことがない。弱いから、力が足りないから、彼らと同じ戦い方では守れない。何もかもが彼らに劣っている中で自分に出来ることと言えば文字通り、身体を張って守ることだけだ。
「俺と初めて依頼をこなした日のことを、覚えているか」
「覚えている。あの時は、二代目まで危険に巻き込んで……皆を守ると、言っていたのに」
「俺はあの日のダイナの方が強かったと思うが」
そんなはずはないと反論すれば、二代目は小さく首を横に振るばかりだった。
今なら慢心や驕りなんて持たないし、何よりも純粋な力量は当時と比べれば格段に上がっている。だというのに、あの時の方が強いなど……。
「ダイナ、焦る必要はない」
「私は焦ってなど……」
言いかけて、止めた。
確かにここ最近、彼らが傷ついて帰ってくる場面を見ることが多々あった。自分たちが請け負う仕事の性質上、無傷で帰ってくることは滅多にない。いくら守るなどと言っていても、すべての仕事についていけるわけでもない。
理屈としては分かっていても傷つく彼らを見て、もっと力をつけなくてはいけないという焦りがあったのかもしれない。
「頭は冷えたか?」
「……うん」
ならばお仕置きはこれで終わりだと、二代目はダイナを解放する。その言葉に甘えて部屋を後にする。
いつも、二代目には諭されてばかりだ。彼だって、守るべき一人であるはずなのに……どうしても二代目にだけは甘えてしまうと、ダイナは複雑な心情を抱く。
力に溺れているつもりはなかった。だが事実として、これぐらいなら平気だと特攻したのは、間違いなく実力が付いたという傲慢さがあったからだと、今になって思う。
「皆の傍にいるために、必要なものは力だけではないと……教えてもらったはずなのに」
気が付くと大切なことを忘れて、昔のようにただ力を追い求めている自分がいる。何度も同じことを繰り返してしまうのは、心のどこかでそれを良しとしているからだと、ダイナは己の思考を嫌悪した。
二代目の部屋の前で立ち尽くし、苛立ちを覚えているダイナを誘うように若の部屋の扉が開き、本人も顔を出した。
「丁度準備が整ったんだ、来いよ」
若が終われば残すところネロだけになる。さらに付け足すなら、二代目のおかげで──相当にきつかったが──頭も冷えたので、今なら若の伝えたいとする事柄にも気づけるかもしれない。
なんて考えながら若の部屋に足を運べば、二代目とは対照的な部屋の様相に一瞬のめまいを覚える。魔具は乱雑に置かれ、他にも楽器が所狭しと並べられている。
また今度、片付けを手伝おうという思いを胸に抱きながら若の方を見ると、何故か上半身裸になっている。
「わ、若……?」
普段から地肌にトレードマークである赤いコートを羽織っているので、見慣れていないわけではない。それでも間近で半裸になられると、どこに視線を向けたらいいか困る。
さらに、何も言わずに飲み物の容器を差し出されるから、受け取れという意味なのだろうかと訝しみながら手を伸ばすと……。
「くく! 引っかかった!」
「……分かってて、やったんだ」
次の瞬間には二人して原液まみれになっていた。ダイナは容器を受け取ろうと手を伸ばしていたため、身を守ることが出来ず顔にまでかかっている。若は身長差で顔にはかかっていないものの、容器を握りつぶした右手はもちろんのこと、上半身のあちこちに飛び散っている。ズボンに関しては二人ともなかなかの濡れ具合だ。
「さて、お仕置きの内容はもちろん、これを飲んでもらう」
「飲むことに異論はない、けど……」
先ほど若が握り潰して盛大にぶちまけたのだから、残念ながら飲むべきそれはない。脳裏によぎるのは二代目にさせられた内容だが、まさか若は床に零れたものを飲めと言っているのだろうか。
「ほら、ついてるだろ。ここに」
若が指差す先。それは自分の身体。……つまり、若の上半身に飛んでいる液体を飲めと、彼はそういっている。
「…………ほんと、に?」
「早くしてくれよ。じゃないと垂れちまう」
それともズボンの濡れた部分を吸うか? なんてわざとらしく別の条件をちらつかせれば、ダイナは動悸を激しくしながら躊躇い、やがて決心したのか、そっと唇を若のお腹につけた。
遠慮がちに、雫だけを綺麗に取るように唇を丁寧に離しては軽く触れさせ、接触を最低限に減らしていると、若のお腹が震えだした。
「ダイナ……それ、すげえくすぐったい」
「あっ、ごめん」
「もっとがっつり触れてくれよ。何なら、舌で嘗め回してくれてもいいんだぜ」
いくら何でもそこまでは踏ん切りがつかない。どうしても無理だと伝えれば、若は残念そうに表情を曇らせた後、ダイナを抱きしめて言った。
「ま、ダイナにしちゃよく頑張ったしな。これぐらいで勘弁してやるよ。……懲りたか?」
「かなり」
今日のお仕置きは今までの中で一番と言っていいぐらい、過激だった。肉体的に追いつめられるなら、どれだけされても耐えきる自信がある。しかし、ことこういう精神的なものは相当堪える。特に今回のような、辱めを受けるタイプの内容は経験のないダイナにとって、効果は絶大だ。
無論、これは相手がダンテたちだったからというのが何よりも大きい要因になっている。
「ねえ、若」
「何だ? 実は物足りなかったり?」
「そうじゃない。どうして皆、その……こんな恥ずかしい内容なの」
バージルに関しては完全に不意打ちからの一気飲みだったので例外として、ダンテたちに関しては揃いも揃ってド派手なものばかりだった。いくら同一人物とはいえ、ここまで色んな展開を被らずに即興で考えてくるとは思えない。
「俺らは結構頻繁に話してるぜ、ダイナへのお仕置き内容。今回、二代目には言いそびれたから、何したのかは知らねえけど」
とんでもないことを普段から考えてくれていることを知ったダイナは頭を抱え、それと同時に今度からは絶対に特攻なんてしないと胸に誓う。今度やろうものなら初代の言っていた、部屋に閉じ込めるという内容が現実として起こり得てしまうだろう。
「でも、お仕置きなら他にもいくらでもある。拷問や監禁、絶食とか」
「エグイものを自ら提案するなよ……。別に、ダイナを痛めつけたいわけじゃないし、仮にそれらを決行しても、ダイナは平気だろ?」
「……まあ、うん」
平気かと問われたら、確かに平気だという答えになる。例え敵に拉致監禁され、その場で拷問を受けようが口を割らない自信があるし、何なら死ぬまで殴り続けられても弱音は吐かないだろう。もしも、今回のような辱め……いや、もっとひどい凌辱をされることになったとしても、結果は変わらない。絶食に関しても、食うなと言われたら何日間でも平気で飯を抜くような奴だ。それを苦に感じることはないというのはやらずとも分かる。
「だが、こう言ったちょっとエッチな内容は効果てきめんだろ?」
「うっ……。ちょっとどころでは、ないと思う」
一体どこら辺がちょっとなのか問いただしたいが、本当に軽いものだったとしてもダイナには効果ありだ。前提としてはダンテが行わないと効力を発揮しないことが難点か。
「まあ、俺らも自分の首を絞めてるんだけどさ」
「嘘。楽しんでる」
「さて、どうだろうな?」
彼らの本音を語るならお仕置き半分、自分たちの願望半分といったところか。もちろん、これだけ過激なことをさせた後は色々と溜まってしまうわけなので、嘘はついていない。しかし、それがダイナに分かってもらえる日が来ることは……あるのか否か。
そんなわけでようやっと解放されたダイナは最後の関門、ネロのお仕置きを受けるべく、もう一度自室で着替えなおしてからリビングに戻れば一杯の飲み物を用意したネロが待っていた。
「俺が最後か?」
「うん。……ひどい目にあった」
「まあ、そうだろうな」
軽く言葉を交わして、ネロは用意していたコップをダイナに渡す。
「安心しろよ。それ飲んだら、俺からのお仕置きは終わりだから」
そもそも乗り気じゃないと言葉を足しながら面倒くさそうにしているネロを横目に、手渡されたそれをダイナは一気に煽る。正直、これが原液だったとしても今までに飲んできた量に比べれば、なんてことはない。
「普通」
「ちゃんとレシピ通りに作ったんだから、当たり前だ」
最後の最後にちゃんとした飲料水を口に出来て、ダイナは一息つく。やっぱり、ネロだけはこの事務所の良心そのものだ。
「ありがとう、落ち着いた」
「おう。……ただ、今回のことは俺も怒ってるからな。おっさんらも凄い剣幕だったし、二度とするなよ」
「うん。焦っていたことに気づかせてもらったから、もう大丈夫」
「……そうか。分かったんなら俺からは何もねえよ」
ネロとしては自分が言うよりもおっさんたちに任せた方が良いと考えたようで、実際それで良かったと思っている。とりあえず濡れた頭を洗って来いとバスルームに押し込み、さっぱりしたら料理を手伝ってくれということで、今日のお仕置き騒動は終わる。
ダイナが今日のお仕置きを通して何を感じたのか。それは彼女以外には分からない。だが少なくとも力を追い求めすぎるあまり、取り返しのつかないことになる未来は避けられそうだ。