Please speak in Japanese!

 小暗がりな路地で、一人の女の子が何かから逃げるように走っていた。
「──っ! ──、──! ────」
 大声で叫んでいるということは伝わってくるものの、何を言っているのかは分からない。
 そんな女の子に、不気味な影が飛び掛かった。
「────! ────!」
 今まで以上に大きな声で叫び、女の子はその場に縮こまった。
「……おいあんた。大丈夫か?」
「──!? ──!」
「何言ってんだ……? と、ちょっと待ってろ。すぐ片付ける」
 右手を見られないように庇いながら戦うはネロ。左手で器用にレッドクイーンを振り回し、女の子に襲い掛かっていた悪魔どもを灰へと還す。数分も経たないうちに悪魔を全部片付けたネロは、いまだに縮こまっている女の子に声をかける。
「もういいぜ」
「──? ──、──」
「……なんだ、何が言いたいんだ?」
「────! ──、──。サンキュー!」
 どうやらこの女の子は外国人のようだ。そのため、ネロが聞き取れたのはお礼の言葉だけだった。
「あんた、どこの人? ……って、これも伝わってないのか。あー……Where is your house?」
「ウェアー……ホー、ム……。アイドントノー。──、ウェアーアムアイ?」
 明らかにカタコトの英語で話され、ネロは困ったと頭を掻く。時たま入る謎の言語も気になるが、今はこの女の子が必死に繋いだ英文が問題だ。
「分かりません。ここはどこですか?」
 ここはどこ? と聞く人物は決まっている。
 ……この女の子は、迷子だ。
「マジかよ。……つっても、こんな悪魔がうろついてる所に置いていくわけにも……」
 どうしたものかと悩みに悩んだ結果、ネロはこう決断したようだ。
「OK. c’mon.」
「──? カモン……──、サンキュー!」
 ついてこいと言われ、女の子はさっきと同じように元気にサンキューとお礼を述べた。

「ただいま」
「──、──。ハ、ハロー?」
 ネロに連れてこられた女の子は建物の中に入ると挨拶をした。お邪魔しますとか、初めましてみたいなことを言いたかったのだろうが英語に不慣れなため、躊躇いながらハローと言った。
「お、帰ったのかネロ! 俺、腹へ……って……」
 一番に出迎えてくれたのは若。お腹が空いたといいかけ、ネロの後ろにいる女の子に気付いて言葉を詰まらせた。かと思えば、今度は指を差しながら叫び出した。
「ネロには彼女がいただろ! なのになんで別の女の子とそんなすぐに仲良くなれるんだよ!」
「はあ!? 何言ってんだよ若! こいつは──」
「この前の美人な彼女に言いつけてやるからな!」
「若はキリエの家知らねえだろ!」
 虫の居所が悪かったのか、若がネロに食って掛かる。それに対してキリエは関係ないだろ、と言い合いを始めるネロ。このやり取りも女の子には何一つ分からないわけで、どうすればいいのか困っている。
「帰ってきて早々に暴れ出すなよ若い衆。ほら、お嬢さんが固まってるだろ?」
 呆れながら二階から降りてきたのは初代。下の階が騒がしいから様子を見に来たようだ。
「で、依頼人か?」
「いや、そうじゃない。路地で悪魔に襲われてたから助けたんだ。ただ……」
 ことのあらましを話していると、女の子が初代にすっと手を差し出した。
「マ、マイネームイズ、シノノメ、マイ。ナイストゥミートゥー」
「Nice to meet you too. ネロのいうとおり、カタコトだな」
 シノノメマイと名乗った女の子の握手に応じながら、初代はネロに釘をさす。
「連れてきた以上は責任持てよ?」
「分かってるよ。それでも、分かる言葉かどうかぐらいは聞いてくれてもいいだろ?」
「……ま、それぐらいは協力してやるか。見たところ、東洋人って感じだが」
 短めの茶髪と、何よりも特徴的な薄橙色が、こことは違う人種であることを物語っている。
「えっと、マイ? Can you speak a native language?」
「ネイティブ……? ──? ランゲージ……ランゲージ、オーケー」
 これはひどい。
 ネロはかなり簡単な英単語を選んで話してくれているのだが、まるで伝わっていない。 
 何がオーケーなのか、さっぱり分からない。
「ネロ、この女の子は何言ってんだ?」
「わかんねえ。一生懸命英単語並べてるってことしか伝わってこないんだよな」
「ちょろっと母国語っぽいものも言ってたが、ダメだな。俺の知らない言葉だ。バージルなら分かるかもしれないが……」
 初代が知らないとなれば、若だけでなくおっさんや二代目も望み薄だろう。
 一番可能性があるとすれば、いろんな書物を読んでいるバージルだが、果たして……。
「ただいま」
 そこへ帰ってきたのはダイナとバージル。二人の手には大量の袋が提げられている。
「おかえり。……どうしたんだ、その買い物袋」
「冷蔵庫、空っぽだったから、買い出し」
「はっ? ……おい若! 俺は仕事だから買い物代わりに行っとけって頼んだだろ!」
「……なんか忘れてると思ってたけど、買い物行くの忘れてた」
 腹が減っただのと言っていたのに買い物に行っていないとはこれいかに。そんな若に完全に切れたネロがお説教モード。バージルは興味なしと台所に姿を消し、ダイナもそれに続く。
 いつもどおりだと微笑ましく眺める初代の横で、マイだけが言葉を伝わらなければ目の前の喧嘩を止められるわけでもないため、終始困り顔だった。

 客人がいるというのに暴れていた若とネロはあの後帰ってきた二代目にこっぴどく怒られ、おっさんはそれを聞いて笑い転げていた。
 居心地の悪そうなマイはただただ愛想笑いを浮かべるだけだったが、どうやら空腹には勝てなかったようで腹の虫が鳴いた。これがきっかけとなり、ダイナとバージルが作った料理が並べられ、八人で食事を取り囲む珍しい構図となった。
「イート……メアアイイート?」
「Of course.」
「──! ────!」
 食べてもいいかと尋ねるマイにダイナがもちろんと答えると、かなり嬉しそうに何かを喋った後、料理に手を付けた。
「──、──! ──、デリシャス!」
 満足いただけたようで、再び何かを言ったあとに英語で美味しいと何度も口にする。
「テンションが高いってことは伝わってくるんだけどな」
 ぶつ切りの簡単な英単語ならある程度伝わることはわかったのだが、やはり肝心なところの話になると意思疎通が図れない。
 結局のところバージルにも知らないと言われてしまい、だからといってそこら辺に放っておくわけにもいかず、ネロはかなり頭を悩ませていた。そんな心配をされているとも知らずに、マイは振る舞われた料理を綺麗に平らげるのだった。
「────」
 皿の中身がなくなるとマイは両手を合わせ、何か言った。おそらく彼女の生まれ故郷の習慣だろう。それを見たダイナが何かを確信し、マイと同じように両手を合わせて言った。
「ごちそうさまでした」
「えっ……そ、それ……!」
「ダイナ、今なんて?」
 これには全員が驚き、何が起こったと困惑している。
「この子はおそらく東洋の……日本人。今の習慣で確信した」
「い、いやいや! なんでダイナが日本語を喋れるんだ!?」
 どこの国の習慣かを当てるだけならともかく、先ほどの言葉は間違いなくマイが今までに話していた謎の言語と一致している。
「あ……言ってない? 私の父は人間で、日本人。たくさんは喋れないけど、軽くなら……」
「ああああ、あの、あの! 私の言葉分かります!? いやもう本当言葉通じなくてどうしようかと思ってたんですよ! というか話せるなら最初から話してくださいよ姐御!」
「ま、待って。早くは、話せない。ゆっくり、お願い。……後、姐御?」
「聞いてないぜダイナ! なんだよ、もっと早く教えてくれよ……」
「自信がなかったから……。だけどこれで、ネロの力に──」
「あ、ごめんなさい。いやでもほら、言葉が通じるってすんごい安心感あるんですよ! 私最近こっちに来たばっかりで土地もよくわかんないし、おまけに言葉も通じないもんだから──」
「……まあ、本当助かる。なら早速だけど、マイからなんであんなところにいたとか、家はどことか……」
「あ、姐御っていうのはなんかこう……そんな感じがするんで、そう呼ばせてください! でもどうしても嫌なら──」
「Stop!」
 言葉が通じるという嬉しさから喋り続けるマイと、なんとか問題解決できそうだと張り切るネロが同時に喋るせいでダイナのキャパシティは爆発寸前だ。というか二人の会話を同時に聞き取れない。
「一人ずつ、話して」
 ダイナのおかげでなんとか話が好転し、いろいろと情報整理が始まるのだった。

「ネロが大変な拾い物をしてきたときは正直どうするつもりなんだと思ってたが……ダイナに感謝しとけよ?」
「なんで初代が偉そうに言うんだよ。……ダイナ、今回はその、本当助かった」
 ネロが連れてきた女の子──真依は、今晩はもう遅いということでダイナの部屋で一泊することに。部屋だけでなく通訳までしてもらっている以上、今回に関しては完全にダイナ頼りだ。
「構わない。今晩話を聞いて、明日家に連れて行こう」
「ああ。それじゃ、頼む」
「おやすみ」
 メンバーたちに寝る挨拶をしたダイナは、真依を連れて自室に戻る。
 案内された部屋に入ると、真依はベッドにダイブした。
「ふかふか……ではなく、普通だ!」
「良いものじゃなくて、ごめん」
「ああいや! 決してそういうつもりでは! ……しっかし、海外に引っ越して来て早々やべー奴に襲われるとは思ってもみなくて」
 やべー奴とは、悪魔のことだろう。
 普通あんなものに襲われれば現実を受け入れられずに拒否したり、気を失ったりしてもおかしくないものだが、ネロの報告を聞いたところ、ただ何かを大声で叫びながら走って逃げていたという。
「悪魔って聞いて、驚かなかった?」
「驚いてますよ! 危うく殺されかけたし……。助けてもらったことは本当に感謝してるんです。……そう! 感謝といえば、私を助けてくれたあの男の子! えっと……」
「ネロのこと、かな」
「そう! ネロ君! 言葉が通じなくて、まだちゃんとお礼を言えてないんですよ。……なんて言えば伝わります?」
 本当に悪魔に驚いているのかと疑いたくなるほど、真依は前向きで明るい。しかし、性格がそうさせているのか、極度の恐怖状態を経験したせいでタガが外れているのかは、定かでない。
「サンキューで、十分伝わるよ」
「そういうものなのか……。じゃあいいや!」
 気になっていたことが解決したためか、まるで自分の部屋のように真依はベッドの上を転がってくつろいでいる。
「どうして、路地なんて危ないところに居たの?」
 ダイナの問いで、先ほどまで楽しそうだった真依の表情が硬くなった。どういったものかと悩んでいるようだ。
「いやあ……その、何と言いますか」
「……言いたくないなら、言わなくていい。家はどこら辺とか、分かる?」
「え、あ……言わなくていいの?」
 こういうのは嫌がっても根掘り葉掘り聞いてくるものだと思っていた真依にとって、さらりと流されたのはまさかの展開だったらしい。
「無理に聞いても、仕方ないこと」
「はー……。なんていうか、サッパリしてるというか大人というか……」
 私の周りにはいないタイプだと言って、真依は観念したように話し出した。
「両親と喧嘩して、家出したんです。それでよく知らない道を選んでたら、迷っちゃって……」
「挙句、悪魔に襲われた、と」
 イエス! と親指を立てながら真依は大きく頷く。後の流れはネロに聞いたとおりだ。
「ということで、家に帰りたくないんですけど……ダメですかね?」
「ご両親、心配してる」
 ここで相手が若やおっさんだったならば泣き寝入りも出来ただろうが、残念なことにダイナにその手は通用しない。
 ただ、真依はダイナの言葉に対して、そんなことはないと言葉を返した。
「……よく、親は子供が一番大事だって言いますけど、あれウソだと思うわけですよ。私の両親は今でも仲良しで、正直私なんかよりお互いのことのほうが好きなんだなーって。……姐御の両親はどうです? 大事にしてもらえてるって、感じます?」
 今までのおちゃらけた感じはなく、真依が真剣に聞いてきていることは言われずとも分かるほどだった。だからダイナは小さい頃を思い出しながら、両親のことを考え、そして答えた。
「想われていないと、周りが見ればそのように見て取れる行動は多々あったように感じる」
「親ってそんなものですよ。親の心子知らず、なんて言いますけど、こっちからすれば子の心親知らずですよ」
「……そう」
 家族と一言で言い表しても、家庭内環境は千差万別だ。
 ダイナのように両親に憧れを抱いている子がいれば、ダンテのように両親を誇りに思っている子もいる。
 それと同じことで、真依のように両親を疎ましく思っている子がいたって不思議なことではない。また、こういった考えに陥ってしまうのは全て両親に責任がある、という問題でもない。
 感情的になっている真依に親の話をするのはご法度だと察したダイナはそれ以上何も言わず、彼女に寝るよう促した。
「なんか、ごめんなさい」
「疲れているから、仕方ない。……おやすみ」
「おやすみなさい」
 ダイナのベッドでうずくまって目を閉じた真依を見て、ダイナも少しの間椅子に座って静かに目を閉じるのだった。

 真依が寝静まった後、ダイナはゆっくりと部屋を抜け出し、別の部屋の扉を叩いた。
「こんな時間に何の……って、ダイナか」
「今、時間ある?」
「大丈夫だ。とりあえず入ってくれ」
 顔を出したのはネロ。彼に言われたとおり部屋に入ると、若やおっさんとか比べるのも失礼なほどに綺麗な部屋だった。サイドテーブルを挟んでお互いに座ると、ネロが口を開いた。
「どうだった?」
「家出。両親と喧嘩していて、帰るのは気まずいと言っていた」
「んなこと言われてもな……」
「理由はともあれ、帰すべきだと思う」
 初めてきた土地でいきなり家出とは行動力がありすぎる。というより、今頃は警察沙汰になっていそうだ。
「家の場所は聞けたか?」
「本人自体が土地勘ゼロ。だけど、彼女は一度悪魔に襲われている。早く日の当たるところに帰るべき」
「俺らと一緒に居たって、危険が増すだけだからな」
 しかし、どうしたものか。肝心の目的地が分からないのではお手上げだ。
「あんま気乗りはしないが……警察に行くか」
「異論なし」
 普通の結論に至って解散した後、ダイナが自室に戻ると真依が布団に包まりながら起き上がっていた。
「……私のことで相談、ですかね」
「そう」
「結果を聞いても?」
「明日、警察に連れていく」
 警察と聞いた真依は動揺し、目があちこちに泳いでいる。
「やっぱ、大事……ですか、ね」
「ご両親は、気が気じゃないと思う。……貴女がどう考えているかは、別問題」
「はは……手厳しい」
 今の真依を見ていると、昼に出会った頃の元気な姿は幻だったのかと思えるほどに弱々しい。
「本当は、家の場所を知ってるって言ったら……怒りますか?」
 ここまで話が大きくなってしまったことへの罪悪感からなのか、それともやはり両親が恋しいからなのか……。ようやく本当のことを喋った真依に、ダイナは先ほどと何も変わらぬ調子で言った。
「怒らない。真依が望むなら、今から送り届ける」
「どうしてそんなに、優しく……」
「気まずいから会いたくないと思うのは、おかしいことじゃない。今の私なら、その感情を理解できる。……待っていて、ネロを呼んでくる」
 先ほど閉めた扉を再び開き、ネロの部屋へと向かうダイナ。
「ありがとう……ありがとう、ございます……」
 彼女の部屋に残された真依は、手の甲で目元を何度もこすりながら、聞こえるはずもないお礼を何度も繰り返した……。

「暗いけど、道はわかる?」
「なんとか大丈夫! えっと……こっち」
「なんて言ってる?」
「大丈夫だって。……行こう」
 真依を先頭に、ダイナとネロが続く。
 ここら一帯は所々に置かれている外灯だけが道しるべなのだが、ついたり消えたりを繰り返していて心もとない。それに臆することなくどんどん進んでいく真依は、やはり肝が据わりすぎである。
「ここは、俺が昼に助けた路地だ」
 見覚えのある場所に出たということは、真依が家を知っているというのにも真実味を帯びてきた。
 ……本当のことを言うなら、ちょっぴり疑っていたのは内緒だ。
「次を左に曲がるんだけど……」
 張り切って進んでいた真依の足が止まる。この先に、何かがあるようだ。
「……ここで、襲われた?」
「うん。それで必死に逃げてたら、ネロ君が助けてくれたんだ」
「把握。私が先陣を切る。ここでネロと待っていて」
 真依には言葉で、ネロとはアイコンタクトで事を伝え、ジェラルミンケースを構えてダイナが角を左に曲がる。
 たったの数秒の出来事ではあったが緊張が走るこの空気に耐え切れなかったのか、真依がゴクリと唾を飲み込む音が漏れる。その音に誘われるようにして、角から何かが出てきた。
「な、なにっ!?」
「安心して、何もいなかったから」
 出てきたのはダイナ。どうやら杞憂だったようで、悪魔はいないようだ。
「俺の右腕も光ってなかったし、可能性は低いって分かってたけど」
「今は護衛対象がいるから、安全第一」
 ダイナは器用に言語を切り替えながら、ネロと真依と会話をこなしていく。小さい頃、父に教えられた日本語がこうして役に立っているというのは彼女としても嬉しいみたいだ。
 その様子に真依は何か言おうとして、その口を閉ざした。辺りが暗いせいで、表情は窺えない。
「安全は確認したけど……行ける?」
「いないって分かってるなら怖くないんで、大丈夫です!」
 気持ちを高めて、いざ出発と進みだす。それからしばらく道なりを進んでいくと、住宅街に出た。
「とうとう……帰ってきてしまった……」
 事務所を出る前までは逸る気持ちを抑えてここまで来た真依だったが、いざ帰ってきたとなると家出したという事実を思い出すようで、足踏みをしている。
「真依……? 真依! お前、どこに行ってたんだ! 探したんだぞ!」
「げっ、お父さん!」
 そんな娘の気持ちを知るわけもなく、額に汗を滲ませた真依の父が駆け寄ってきた。
「この大馬鹿者! 一体何時だと思ってるんだ!」
「うっさい! 誰のせいで家出したと思ってるのよ!」
 始まるのは盛大な親子喧嘩。
 送り届けただけだというのにこんなものまで見せられるとは、二人も運がない。ネロに関しては言葉も分からないため、完全に蚊帳の外だ。
「いいから家に入れ! 母さんに謝ってこい!」
「なんで私が謝らないといけないの? 謝るのはそっちの方でしょ!」
「どれだけ俺たちが探し回ったか、知ってて言っているのか!」
「知らないわよ! そっちこそ、いつも私のことよりお母さんのことばっか大事にしてるくせに、こんな時だけ父親ぶってるんじゃないわよ!」
 こうなってしまってはもう収拾がつかない。互いが互いに罵詈雑言を浴びせあうだけだ。
「ま、まあ落ち着けよ。ちゃんと話し合おうぜ?」
「落ち着いて。一つずつ、状況を整理しよう」
 一応止めには入ってみるものの、実の両親との思い出が全くないネロと、小さかった頃の思い出しかないダイナにとって親子喧嘩というものがここまで激しいものだとは想像できなかったようで、こちらもかなり動揺している。
「誰だあんたたちは? 悪いが家族の問題なんだ。首を突っ込まないでくれ」
「ちょっと! 私をここまで連れてきてくれた人たちに、その言い方はないでしょ!」
「真依、落ち着いて。私たちは気にしていない。それよりも、二人が仲直りする手助けをしたい」
 興奮状態であるため、ちょっとした言動にも過敏に反応して攻撃的な言葉を吐く真依をなだめながら、どうにか話が出来ないものかと父親のほうに意見を求める。
「真依を……? ……それは、失礼した」
 荒れに荒れていた父親だったが、娘が世話になったと聞いて冷静さを取り戻してきたのか、なんとか話が通じそうだ。
「落ち着いた……のか?」
「なんとか。後は相互の話を聞いて、解決するだけ」
 よく分からないままだが、落ち着いたのならそれで良しとしたのか、ネロは胸を撫で下ろした。
「まず、家出した原因を」
 ダイナが問うと、真依はぶっきらぼうに答えた。
「何の相談もなしに、海外に引っ越すって決まって。仕事の都合だからってことで、最初は無理やり納得してた。……けど、友達もみんないなくなっちゃったし、言葉も通じないし。挙句にお父さんはお母さんのことばっかり気にかけて。……それで、頭に来たの」
「……なんて、言ったの?」
「私のいないところで、また二人が何か計画を立ててたから“また私に秘密事ですか。そんなに私が邪魔なら、産まなきゃよかったんじゃない?”って。そうしたらお母さんが泣き出して、お父さんが怒って……。だから、家出したの」
 これを聞いていたダイナは、チラリと父親を見る。
 黙ったまま目を瞑っているところを見るに、嘘はなさそうだ。
「何を話していた?」
 涙を堪えて鼻をすする真依の背中を優しく撫でながら、ダイナは父親の話を聞く。
 問われた父は言うべきかどうかを悩んでいたようだが、決意したように口を開いた。
「……娘のことです」
「はっ……? わた、し……?」
「急な引っ越しだったために、きちんと説明もしてやれないままこちらに来ました。言葉に不便していることも、友達とお別れが出来なかったことを悔やんでいたことも知っていました。……だから、どうしてやるのがいいのか、妻と相談していたのです」
 思い込みとすれ違いから始まった今回の事件。
 娘に申し訳ないと思う両親の行動が、さらに傷つける結果となってしまった。それに耐え切れなくなった娘から、両親を深く傷つける言葉が出し、事態は大きく膨らんだ。
 飛び出していった娘を引き留められなかったのは、どれだけ辛かっただろうか? 下手をすれば、真依は命すらも落としかねなかった。
「お互い、事情は分かったと思う。……後は、家族の問題」
 手伝えるのはここまでだと言い、ダイナはそっと真依の背中を押す。
 よろよろとふらつく娘を父が支え、ダイナとネロに向き合っていった。
「Thank you very much.」
「あ、いや。俺は別に……」
「どうか、良い家庭を」
 こうして、家出娘の事件は解決したのだった──。

「なんか、今回はずっと頼りっぱなしだったな」
「役に立てたなら、良かった」
「むしろ、俺なんかいらなかったんじゃないのか?」
 少ない外灯を頼りに、事務所へ足を延ばす。今回の件では何も出来なかったと言うネロに、ダイナは言った。
「ネロが助けていなかったら、彼女は今頃この世にいない」
「それに関しては……まあ……」
「なら、ネロは必要だった」
 きっぱりと言い切られてしまったので、ネロもそういうものだと割り切る。そして、先ほどのやり取りのことを口にした。
「なあ、ダイナはどう思った? さっきの喧嘩を見て」
「親子喧嘩、というものを初めて目の当たりにして、あそこまで感情的に口論するものなのだと、驚いた」
「俺も。……親子喧嘩なんて、したことねえから」
「ネロの場合は、喧嘩したら大怪我で済まない」
 実の両親と過ごした思い出はないが、現在進行形で若い頃の親……つまりはバージルと生活をしているため、ネロも親子喧嘩をしようと思えばできる状態ではある。
 もっとも、命の保障はしかねるが。
「ただ、親は不器用、とも感じた。……それで、合点がいくこともあった」
「合点?」
 ダイナは両親のことで、つい最近にも辛いことを経験したばかりだ。そんな中、何を感じ取ったのだろうか。
「両親が最期までスパーダの家族を守り続けたこと。……私は心のどこかで、最期ぐらいは私を守ってほしかったと、思っていた」
「それは……」
 あの日──。
 ダイナが全てを失った日。大量の悪魔が人間界へとやってきて、それを止めるためにスパーダは一人魔界へと赴いていった。その時に置いて行った妻と息子たちを守る任についていたのが、ダイナの両親だ。
 自分の娘であるダイナではなく、スパーダの家族を守り続けて命を落とした父と母。
 父は先に息絶え、母が最期に残してくれた言葉はスパーダの家族を守れ、というものだけ。
「それでもずっと、ダンテとバージルをもう一度守りたいと願い続けた。だけど、父と母に生き返ってほしいとは、思わなかった」
 地獄の世界を当てもなく生き延び続けたダイナが願ったのは両親に会いたいではなく、スパーダの家族を守りたいだった。
 ……それが何故なのか。
「両親は確かに憧れだった。だけど同時に、居場所ではなかった」
「居場所じゃない……か」
「多忙だった両親が、私に割いてくれる時間はほとんどなかった。だからいつも一緒に居たのはエヴァ様と、ダンテとバージル」
 親が家を長く空けているときは決まってダンテとバージルの家に遊びに行っていたダイナ。その回数があまりにもかさみすぎたせいで、自分の居場所を別のところに確立してしまっていた。
「きっとそれを知っていたから、母は最期にああ言ったんだって。……今なら、少し分かる気がする」
 仕事詰めで自分の娘をあまり可愛がれなかったものの、娘にとっての必要な場所をきちんと把握していた母はその場所を守れと言い残してくれていたのだと、ダイナは考える。
「親は不器用……か。本当にそうだな」
 もっと家族の時間があれば、こうはならなかったのかもしれない。
 だが、いろんな要因が重なり、素直に自分の子供を可愛がれない不器用な親の願いを汲み取るのが、子供の役目なのかもしれない。
「私はそれが分からなくて、ただ遺言を果たすだけの悪魔だった。だけど今は、人間としての私を見出してくれた仲間がいる。そんな皆を……心の底から守りたいと考えている」
「……俺もだ。キリエを守る。そのためにこうしておっさんのところに腕を磨きに来てるんだからな」
 若い二人の大きな誓い。
 これを成し遂げるため、まだまだ精進しなくてはならなそうだ。