良く晴れた日の出来事。朝早くから一階と二階を足音が往復している。
ノックもなしに部屋に入れば、上裸でろくに布団も被っていない若が目に飛び込んだ。が、これはいつもどおりなので特に触れることもなくダイナは若を起こす。
「若、起きて」
「…………」
起きないのも通常運転。本当に寝ているのか、はたまた狸寝入りなのかは分からないが、そんなことはどうでもいい。
「起きて、早く服を脱いで」
「なんだダイナ。とうとう俺を求めてくるようになったのか?」
朝っぱらから大胆発言が飛び出せば、待っていましたと飛びつく勢いで起き上がる若。どうやら狸寝入りだったようだ。
「今日は久しぶりに晴れたから、洗えるだけ洗う。さっさと脱いで」
「はっ……? 洗う?」
ここ最近、天気があまり良くなかったために色々と洗濯物がたまっている様子。そして今日は雲一つない快晴。となればすることは当然、洗濯だろう。
「ダイナ、もうこれで全部かー?」
「後は若のズボンだけ。すぐ持っていく」
「待て! 俺のズボン、今はこれ以外に替えがないんだって!」
「じゃあ、布でも腰に巻いていて」
この後は若のズボンを賭けた熾烈な戦いが始まったのだが、ネロにそこまではいいとダイナが止められ、なんとか若は恥ずかしい格好で過ごすことになるのを逃れるのだった……。
「ダイナから誘ってくるのは嬉しいが、やっぱあれはねえな……」
なんて言葉を漏らすは若。先ほどの一連の出来事を思い出し、不満げな様子。
「むしろそのまま脱いで襲っちまえば良かっただろ。というか俺だったらそうする」
この事務所で隠し事ができるわけもなく、今朝の出来事もすべて筒抜け。ダイナはもちろんネロにこっぴどく怒られた。
「……そういや、俺たちの下着をダイナは知ってるってことになるよな」
急にそんなことを言い出したのは初代。
これを聞いた若とおっさんはぴたりと動きを止め、言われてみればと納得しだす。
「くだらん」
一言で話題を断ち切るのは言わずも分かる、バージルだ。
ダンテーズの下らない話はいつものことだが今回は内容があれなので、永遠と聞かされるのはストレスだと判断したのか長くなる前に話の腰を折ったようだ。
「兄貴のだってダイナに知られてるんだぜ?」
「Be gone.」
それでも話を続ける初代に幻影剣が飛ぶ。全弾直撃は避けたものの、何本か体に刺さっている。
「また余計な事言ったのか?」
血を流す初代を見て、呆れながら声をかけたのは洗濯場から出てきたネロ。同じようにダイナも並んで出てくる。
「ん……待てよ? ダイナが俺たちの下着を知ってるってことは、ネロはダイナの下着を知ってるってことか?」
「は……? はあっ!?」
素っ頓狂な声から、何言ってるんだと困惑の声色へと変わる。おっさんの発言で、話の流れを理解したダイナは顔をしかめながら答えた。
「ネロは私の下着を知らない。付け足すなら、私もみんなの下着は知らない」
洗濯物の配慮はダイナが来た当初にネロと二代目が徹底してくれた。男物の下着類はダイナの視界に入らないように分けられているし、逆にダイナの肌着も分けられている。
ちなみに、バージルは自分でクリーニングに出しているそうな。
「なんだよ、つまんねえ」
残念がる若だったが、これ以上は特に話が膨らむことはなかった。
そんな若干の騒ぎがあったものの、それ以外は本当に何もない一日。それぞれが持て余した時間を好きなように使っていた。昼寝をする者。読書をする者。ボーッとする者……。みんなが一様に違っているが、暇そうだ。
皆は暇そうだが、こののんびり出来る時間が久しぶりなダイナにとってはいい休養。あくびを噛み殺しながら台所に向かい、冷蔵庫を開ける。
「……こんなの、買ったかな」
ふと目についたのは、缶に入ったぶどうジュース。バージルやネロは嗜好品なんて買わないし、彼女ももちろん買わない。ダンテたちの誰かかとも考えるが、彼らならばいちご味の物を購入するだろう。
しばらく悩んだ末、喉が渇いていたことと、誰も飲まないだろうと判断したダイナはそれを取り出してふたを開ける。プシュッと音が鳴るところ、炭酸飲料のようだ。これを一気に飲み干す。
「んっ……けふっ……」
ぶどうの味がした後、独特な苦みが口の中に広がりダイナは少し疑問に思う。だが、この時は普段飲まない炭酸なため、こういった味がするものなのだと深くは考えなかった。
空き缶をすすぎ何をするか思案した後、部屋を掃除することにしたようで、ダイナはリビングを通って階段を上って自室へと姿を消した。
「なあ。俺の酒、知らねえか?」
することがなくて暇なため、初代はおっさんと昼間から飲むことにしたようだったのだが、俺の酒がないと騒ぎ出した。
「いつも酒棚に入れてるんじゃなかったか?」
「いや、昨日二代目が依頼主から缶ビールを貰ったってことで、俺にくれたんだよ」
「……そういえば見慣れないのが入ってるなって思ってたけど、そういうことだったのか」
ネロは朝食を作るときに、そういえば入っていたなと心当たりはあるようだ。……しかし、お酒に手を付けるわけがない。
「若、飲んだか?」
「すぐに俺を疑うの止めろよ! てか、そんなのあるなんて今初めて知ったっての」
疑いの目を向けられてしまうのは日ごろの行いのせいだが、今日は一度も冷蔵庫を開けていない若は缶ビールの存在を知らないので、違うだろう。
「おっさんは自分のがあるし、飲むわけねえよな」
「酒を飲もうぜって俺から誘っておいて、先に飲んでるって意味不明だろ」
ごもっともな意見なので、おっさんも犯人ではない。となると、残るは二代目とバージルだが……?
「二代目は飲みたいならわざわざ俺に譲らないだろうし……」
「だったらバージルしか残っていないんだが……どうなんだ?」
「誰が貴様の酒など飲むか」
おっさんから疑惑をかけられたのに苛立ったのか一蹴した後に何本か幻影剣をお見舞いし、自室に行くために階段を登ろうとしたとき、その足を止めた。
「何を騒いで……る……」
下が騒がしいと思い、自室から出て階段を下りてくるダイナが足を滑らせ、体を宙に浮かせた。
普段であれば足を滑らせることなんてまずあり得ないし、百歩譲ってそういった事態に陥ったとしても、ダイナであれば受け身を取ることぐらい造作もない。……はずなのだが、どこか様子がおかしく、そのまま落下していく。危ないといち早く察知した二代目が階段下に移動し始めるが、間に合わない。
鈍い音がリビングに響き、他のメンバーも慌ててダイナに駆け寄る。
「貴様は何をしている」
「怪我はないか?」
たまたまバージルが階段を登ろうとしていたおかげで抱き留めてもらい、大事には至らなかった。そんな彼女に二代目も声をかけるが、返事がない。
「おい」
「……あ、ごめん。大丈夫」
バージルに半ば突き飛ばされるような勢いで引きはがされたダイナはよろめきながらもお礼を言い、そのまま後ろへと倒れこんで尻餅をついた。
「本当に大丈夫かよ……?」
「目まい、が……急に。……ただ、それだけ」
とは言うものの、立ち上がるまでに何度も転び、立ち上がった後もふらふらと足元がおぼつかない。まるで生まれたての小鹿のようだ。
「ほら、掴まれよ」
「ありがとう」
差し出された若の手を掴んでようやく普通に立っていられるダイナの様子は明らか変だ。……よく見れば、ほんのりと顔全体が赤い。
「風邪でも引いたか?」
「それはない。倦怠感はないし、どこか体調が芳しくないわけでもない。本当にただ、目まいがするだけ」
ネロの問いにはっきりと受け答えしている辺り、ダイナの目まいがするだけというのも嘘ではなさそうだ。ならば、突然の目まいはなんだろうかと模索していると、初代が口を開いた。
「ダイナまさか……酔ってるんじゃないだろうな?」
「酔う……? 私は未成年。だからお酒は口にしていない。今日飲んだのは、ぶどうジュースだけ」
「それだっ!」
ぶどうジュースと聞いてみんなが声をそろえる。ただ一人、ダイナだけがどういうことか分かっていない。
「あれ、ジュースじゃなくて酒な。度数はそこまで高くないが……どんな飲み方したんだ?」
「……一気飲み」
「foolish girl.」
これを聞いたバージルが辛辣な言葉を漏らし、自室へと行ってしまった。ただまあ、酒を飲んだことない人間があろうことか一気飲みとは、呆れを通り越して何か言う気が失せるのも分かる。
またダイナ自身も自分の体に一体何が起こったのかを理解し、申し訳ないとみんなに謝る。
「とりあえず、ソファに座って休んでな」
「そうする。……初代、お酒はまた今度、買って返すから」
「気にすんなって。二代目からの貰い物だし。……さて、消えた酒の在り所も分かったわけだし、俺たちも飲みますかね」
「そうだな。ダイナみたいに俺たちは酔わないしな」
おっさんにからかわれ何か言い返そうとするものの、こんな醜態を晒した後では何を言っても無駄だ。ダイナは若に連れられ、大人しくソファに腰を下ろす。
「ほら、これ」
「ありがとう」
キッチンから水を持ってきてくれたネロからコップを受け取り、ゆっくりと飲む。そんな彼女の前で酒を開けて飲みだす初代とおっさん。会話はもっぱら先ほどのダイナのことで持ち切りだ。
「意識はしっかりしてるんだな」
「うん。頭がふわふわしていることによる足のふらつき以外に、支障はない」
受け答えもしっかりしているし、呂律も回っている。これならば、半日もあれば十分回復するだろう。
「何故飲んだ」
ダイナの背後に立ち、若干声のトーンが低い二代目から問われ、サッと血の気が引いていくのを感じたダイナは、恐る恐る後ろを振り返る。
「何故、飲んだ?」
そこには腕組みをした二代目が、もう一度問いかけてきた。
「見覚えがないものがあったから、自分が間違えて買ったんだと思って……」
「きちんと確認してから手にしろ」
「ごめんなさい……」
ぐうの音も出ない正論で怒られ、しょんぼりとするダイナ。とはいえ今回は明らかにダイナのミスなので、文句は言えない。
「まあまあ二代目。今のダイナは酔ってるんだから、そこらへんにしてやってくれよ」
なんて助け舟を出してくれたのは意外や意外、若である。
「……それもそうだな」
今度から気を付けるようにと釘を刺し、二代目は自室へと階段を上がっていった。
「珍しいな、若が庇うなんて」
普段ならそんなことをしないのに、とネロが言えば、若が少し照れくさそうにしながらこう言った。
「いや、俺もジュースだと思って飲んじまった事あるし。その時はバージルにおもっくそ怒られたけど。……なんつーか、悪気はなかったっていうのはよく分かるから」
「……そういや、そんなこともあったな」
懐かしいなんていいながら、初代とおっさんも思い出しながらケラケラ笑っている。
「やっぱ、ダイナは若と同レベルのバカってことだよな」
「だからそれは違うと、何度も否定してる」
「もう今更だろ。ここまで同じようなことばっかしてるんだから」
大抵若がするような珍行動から発言まで、ダイナも後を追うように常日頃からしている辺り同類だと言って差し支えない。そんな若い三人の言い合いをつまみの代わりにしながら、初代とおっさんは酒を楽しんだ様子。
たまにはこんな平和な日も、悪くない。