「早いな、ダイナ」
「おはよう、ネロ。今日はオムレツ」
「……あんた、炊事とか一切やったことないっていうから心配だったけど、すげー飲み込み早いのな」
「役に立てている？ それを聞けて安堵」
朝早い時間、キッチンに立っているのはダイナとネロ。ダイナが来る以前は食事をまともに作れるのがネロと最年長のダンテこと二代目、後はバージルぐらいだった。そのため、ダイナという新たな食事当番メンバーが増えたのはネロにとって嬉しい事だった。
「ああ、若とおっさんは絶望的だからな。初代も悪くはないが、一人には出来ないし……」
ネロの愚痴を聞きながら、ダイナは手を動かしつつ返事をする。
「若……が出来ないのは分かる。ただ、初代は出来ている。なのに、おっ……おっさんが出来ないのは、謎」
「全く持って同感だ。なんで年を取ると劣化してんだよ。二代目は完璧だけど。……後、まだ呼び慣れないのな」
コクリと一つ頷き返し、ダイナは出来た料理を運んでいく。ネロもそれに続く。
ダイナが居候を始めてから大分経つのだが、まだダンテたちの呼び名に慣れていないのだ。
四人もダンテがいるため、ダンテと呼ぶことは出来ない。なので、上裸にコートを着ている一番年の若いダンテはそのまま「若」という呼び名。バージルだけは「ダンテ」と呼んでいる。
次に、きちんと中に服を着ている二番目に若いダンテは「初代」。この店の主である無精髭を生やしたダンディなダンテは「おっさん」や「髭」呼び。そして何事にも達観している最年長のダンテを「二代目」と呼ぶことになっている。
ダイナとしては初代と二代目の呼び名には抵抗がないようなのだが、若は少し、おっさん呼びに関してはかなり違和感があるようで、今も呼ぶときに止まってしまうほどだ。
料理を並べ終えると、いいタイミングにバージルと二代目が下りてくる。ここに集まる四人はきちんと朝に起きれるメンバーで、基本家事や料理もここの四人が行っている。
問題は起きてこないダンテ三人組。初代はまだマシな方だが、若とおっさんはとにかくひどい。これを起こすのもまた大変なのだ。
「今日はオムレツか」
「……今度は、サンドイッチの予定」
なんてない会話を二代目と交わし、ダイナは気合を入れる。とはいっても、無表情な所は変わらないのだが。
「じゃ、俺は若を起こすから、ダイナは初代とおっさん頼むわ」
「了解。……気を付けて」
「あんたもな」
そう言って二人は二階へと、いまだに眠りこけるダンテ三人組を叩き起こしに姿を消した。リビングには二代目とバージルのみ。
「ダイナの喋り方は、独特だな」
「……ああ」
珍しく二代目がバージルに話しかける。バージルに話しかけることが珍しいというよりは、二代目が誰かに話すことが珍しいのだ。
だが、そんなことは知らぬ存ぜぬな様子でバージルは一言だけしか返さない。
バージル自身、ダイナに対して興味がないのだ。家の事全般について文句はないが、まだ誰も仕事に彼女を連れて行っていない。そのため、戦えるというのがどこまでのものなのかが分からない。実力の分からない奴を信用する道理がバージルにはないのだ。だから何故、ダイナがあのような独特な話し方をするのかなど、興味がない。
それ以上、リビングにいるどちらもが何かを発することはなかった。……のだが、リビングに響くほど賑やかな音が二階から流れてきた。
「いい加減起きろっつってんだろ若ああぁぁぁ！」
「んあ……！？ や、やめろネロ！ お前の右手はぐふぉぉ！」
さっぱり起きる気配のない若に、ネロが右手で殴りつける音が。それを尻目に、ダイナに起こされた初代がのそのそと階段を下りてくる。
「いつも通りだな」
「そうだな」
そんな初代と二代目の声をかき消すように今度は……。
「なんだダイナ。今日こそ俺と寝る決意が……」
「その発言、毎度痛い目を見ている。……そろそろ学習するべき」
「おっさんも何朝っぱらからエロいこと考えてんだよっっっ！」
「おい、壁突き破るのいつもやめろって言ってるだろ」
「ならそのセクハラ発言をやめろ！」
朝から節操なくダイナに言い寄るおっさんに腹を立てたネロの怒りが爆発した。
もちろん、ネロはダイナが好きなわけではない。彼にはキリエという想い人がいる。だが、おっさんの誰彼構わず女の人に手を出すのは気に食わないようだ。
そんな愉快な音が二階からは流れてくるのだった。
食事を終えた後、ダンテ組はぐーたら、バージルは無言で読書、ネロも何かするわけでもなくダイナは一人家事をする。……のだが、今日は珍しく依頼が多く来ていたようで店に残っているのはネロと初代、ダイナの三人だけ。
人が少ないと家事も捗るのか、今日は珍しくダイナもゆっくりとしている。
「初代」
「あー、なんだ？」
これまた珍しくダイナに声をかけられ、初代は間延びした声をあげる。
「私は、いつ仕事に出れる？」
「さあな。それを決めてるのはおっさんだ。おっさんに聞いてくれ」
ダイナはどうやら皆と仕事もしたいようで、初代の言葉に不服そうだ。
「それは事実。だけど、何故私が仕事に行けないのか、それを初代は知っている。……違う？」
「違うな。確かにおっさんは未来の俺に違いはないが、未来の俺の考えまでは分からねえよ」
「そうではない。……今の言葉は誤魔化し。初代は嘘が下手。……話して」
きっぱりと嘘つきと言われ、初代は動揺する。しかし、動揺するということこそが嘘をついているということの証明に他ならないのだ。それを見かねたネロが助け舟を出す。
「あんた、なんでそんな仕事までしたいんだ？ 家のことだって十分してくれてるだろ」
「……ネロが初代を庇った。黒確定。……話して」
だがそれすらもダイナの前では裏目に出てしまい、逃げ道が完全になくなってしまった二人。
観念した初代が、重そうに口を開く。
「初めてここに来たときに言ってただろ、母の遺言を果たせるって。……それがどうも、おっさんは引っかかってるみたいでな。だから行かせたくないんだとよ」
それはおっさんだけに限らず皆も同意見のようで、ダイナの母が言い残していった言葉の真意を知るまで仕事には連れて行かないということでまとまったらしい。
「話せば、連れて行ってくれる？」
「内容次第だ」
当然の問答に、話さなくては仕事には一生ついていけないことを察したダイナは伝える。
「……母の遺言は、スパーダの家族を守れというもの」
「それだけか？」
「それだけ」
事実、ダイナが母に言われたことはそれだけだ。だが、どうにも初代にはそれが腑に落ちなかった。
「ダメだ。やっぱり連れていくことは出来ない」
「何故？ 私の実力が分からないから？ ならばこそ、それを推し量るため、一度仕事に連れていくべき」
「なら聞くが、ダイナはどうやって俺たちやバージルを守るっていうんだ？」
彼らは伝説の魔剣士スパーダの息子だ。そんな彼らですら太刀打ちのできない悪魔が現れたとなれば、一体どうやってダイナは彼らを守るというのだろうか？
ダイナの無表情だった顔が曇る。どうやら手段については言いたくないようだ。
「話を変えよう。ダイナの母は、どうやって俺たちを守っていたんだ？」
「話、変わっていない」
「だったら、それが答えだ」
初代に図星を突かれ、ダイナは諦めたように息を吐く。そこへ、依頼を終えた二人が店へと帰ってきた。
「いってててっ！ もっと優しく運んでくれよ！」
「知るか。こうして肩を貸してやっているだけありがたいと思え」
「また派手にやったな、若」
体中ボロボロの若。若は性格上すぐに大暴れし、よく怪我をして帰ってくる。そんないつもの姿に初代は呆れ、ネロもいつものように適当に流している。
「お？ ダイナ、手を貸してくれるのか、ありがとよ」
いつの間にやら、初代と話していたダイナは帰ってきた若の元にまで行っており、バージルに支えられている若の身体に触れる。
すると……。
「……あ？」
気付けば、若の傷は綺麗さっぱりなくなっているのである。一瞬にして痛みが消えた若は、意味が分からないといった感じで目をぱちくりさせている。
「どうなっている？」
バージルも何が起こったといった感じで、ゆっくりと若から肩を離す。
「もしかして、ダイナの力か？」
いくら悪魔の血が流れていて常人以上の治癒能力がダンテたちにはあるとはいえ、一瞬で治せるわけではない。となれば、考えられるのはダイナの能力だけだ。
「……そう。傷を治すのが、私の力」
「すっげー！ マジ便利だな！」
そんなバカな、と初代もネロも信じられない様子だが、若の傷が治っているのは紛れもない事実だ。若は傷が治って嬉しいのか、ダイナに抱き着く。
「……っ！ ぁ……！ 若、苦しっ……！」
「ああ、わりい」
いきなり抱きしめられてダイナは驚いたのか、顔をしかめる。だが、バージルはこれを見逃さなかった。
「おい貴様、本当に傷を治す能力なのか？」
「今目の前で見せた。……疑う余地、なし」
「ならば先ほどの痛がりようはなんだ」
「痛がる？ 驚いただけ」
ダイナの嘘に痺れを切らしたバージルは、思い切りダイナの腕をつかんだ。
「あっ……！ がっ、いっ……！」
あまりの痛みにダイナは膝を折る。だが、バージルは別段力を入れているわけではない。バージルがもう片方の手でダイナの袖をまくると、そこには先ほどまで若が負っていたはずの傷があった。
「なっ……これ！ さっき俺の体にあった傷じゃ……！」
「何が傷を治す力だ。治すのではなく、移すの間違いじゃないのか」
バージルに言い当てられ、ダイナは観念したようにしおれている。何も言わなくなったダイナの傷の手当てをするために、ネロたちがソファへ運んで数十分……。
「改めて聞くが……その力を使って母の遺言を果たすべく、俺らを守ろうとしていたんだな？ だから依頼に連れて行けと」
「……そのとおり」
「なんであんな嘘ついたんだよ。ちゃんとこんな能力ですって教えてくれれば……！」
「若……はそうでも、初代たちは頷かない」
「ま、ダイナの考えが変わらない限り、連れていくことは無理だな。挙句にこんな能力じゃ尚更だ」
傷の手当てを受け、しょんぼりしているダイナを囲むように座っている男たち。
そんな中、ネロは何やら物申したいことがあるようだ。
「なあ、あんた。なんでダメって言われてるのか、ほんとに分かってんのか？」
「ダメな理由？ 無論、足を引っ張るから。事実、あの程度の傷を移したぐらいで、弱音を吐いた。バージルの言う通り、足手まとい」
これを聞いた初代とバージルは呆れかえり、ネロと若は怒りを露わにした。
「いい加減にしろよ！ あんた、来た頃からなんか変だとは思ってたが、どんだけ自分を顧みないんだよ！」
「顧みる？ その必要はない。私はスパーダの家族を守る駒なのだから」
これには若が怒った。
「誰がそんなこと頼んだんだよ！ 俺か？ バージルか？ 誰もそんな事求めてねえ！」
「それが私の母の遺言。それ以外に、私が生きている理由はない」
「なんだよそれ……。それじゃあ俺らの事仲間じゃなく、ただ守る対象としてしか見てないってのかよ……」
「仲間だなんて、おこがましい。私は貴方たちの部下。使い潰されても、捨て駒でも、文句はない。元よりそのつもりで、ここに居させてもらっていると、少なくとも私はそう思っている」
ダイナの言葉に、若とネロは項垂れる。彼女の様子を見て虚栄を張っているわけではなく、心の底からそうであると信じて疑っていないことが分かったからだ。
「こりゃ重症だな。あー、どうすっかねえ。おっさんはともかく、二代目にまで聞かれてたら説教で済まないぜ」
初代は困ったと肩を竦め、二代目がいなくてよかったと思っているようだ。が、その安堵はすぐにかき消されるのだった。
「ところがどっこい。そうもいかなかったんだな、初代」
「話は全部聞かせてもらった」
なんというタイミング。おっさんと二代目も帰ってきたようだ。これには初代も頭を抱え、もうどうなっても知らないという様子。明らかに怒っている二代目はダイナの前に座る。そのただならぬ雰囲気に、ダイナは息を呑む。
「ダイナ。……お前の世界のことを俺たちは知らない。だからどういった経緯で、そのような考えにたどり着いたのかは分からん。だが今は、少なくとも俺たちと生活し、苦楽を共にしていると考えている。その中で、我々はダイナのことを見ようとしている。だがお前はどうだ？ 何かを見ようとしていたか？」
「それは……あの、見るという必要性、分からない」
圧倒的な存在感を放つ二代目の前にして、ダイナはしどろもどろだ。常人であれば自分の考えなんて即座に捨てて、相手の意見に合わせてしまいそうだ。
「何故、分からない？」
「あっ……う……。母の遺言が、私の聞いた最後の言葉。それ以外で聞く声は、うめき声や叫び声。それ以来、ここに来るまで、言葉を話すこと、なかった。だから、私の生きる目的は、母の遺言以外存在しない」
人という生き物は他者と関わり、刺激を与えあうことで成長をしていく。だが、ダイナの生きていた世界線ではその他者が圧倒的に欠落していた。
身体は年相応に育っていてもダイナの中身は幼くして母と、守るべき対象全てを失った日で止まっている。そのために考えが意固地であまりにも融通が利かず、幼すぎるのだ。
「ならばさらに問う。母の遺言を果たすのに、何故自分の命をぞんざいに扱う」
「かつての母がそうしたから」
この言葉には、二代目以外固まった。
つまりダイナは、自分の命をなげうつことでしか守る方法を知らないのだ。……身を挺して誰かを庇う。そんな風に言葉を変えれば美談にもなるだろうが、それをされて残されたものはたまったものではない。そのことを何よりも経験している彼女自身が、同じことをしようとしている。
「スパーダの部下だった母は、私と同じ傷を移す能力の使い手。その力を使って、致死量の傷を自身に背負いこみ、死んだ。その結果、一度は守るべき者の命を吹き返すことに成功。……結局その後、別の悪魔に殺されてしまった」
それでもダイナは守らなくてはいけない者を守れず、全てを失った。だから二度とその悲劇を繰り返さないために、何度も仕事に連れて行ってほしいと頼んだのだ。
自分の命で守るべき者を守れるのならば、それ以上に安い代償はない。
──そう信じているから。
「ダイナが母と同じことをする必要は全くない」
「何故」
「ダイナの世界線にいた俺たちのことは知らない。だがここにいる俺たちならばそのようなヘマはしないと、誓って言えるからだ。だからダイナの、自分の命を大切にしないという態度を変えない限り、仕事に連れていくことは出来ない」
二代目にきっぱりと言い切られ、ダイナは困っている。仕事に連れて行ってもらえないこともそうだが、それ以上に困っている理由が……。
「自分を大事にするという概念が、理解できない」
これだ。
自分の身を守るというのは本来、本能だ。理屈で考えてどうにかするものではない。だが、ダイナにはその本能が著しく低下している。今の彼女には至難だろう。
「難しく考える必要はない。ダイナは俺たちのことを命にかえても守りたいと、そう思っているのだろう？」
「その見解、肯定」
「なら、その中に自分も入れるだけでいい」
「……自分も？」
「そうだ。今日の話が理解できた日が来たら、俺に言え。そうすれば依頼にも連れて行ってやる」
言い終えた二代目は立ち上がり、自分の部屋へと戻っていってしまう。他のメンバーたちも二代目の言わんとすることが分かっているようだが、肝心のダイナはいまだに首を傾げている。
「ま、なんつーか。俺らの事をもう少し、信用してくれてもいいよなって話だよ」
「そうそう、おっさんの言う通り！ 二代目はいつも難しい事ばっかいうけど、俺はダイナと仲良くしたいってだけ！」
「仲良くというのは、対等な立場の場合。私は貴方たちの部下。対等ではない」
「そこがおかしいんだよ」
ネロに一喝され、ダイナは困る。一体何がおかしいというのか。
「部下だったのは貴様の母だけだ。貴様の母は、部下としてスパーダの家族を守れと言い残したのか？」
「スパーダの家族を守れ、以外の言葉はなかった。……確かに、私は貴方たちを守ることは使命でも、部下という表現には語弊がある」
バージルの言葉に納得が行ったのか、コクリと頷く。どうやら理屈が通っていることならば、素直に聞き入れられるようだ。
「じゃ、対等だろ？ 対等なら仲良くしていいよな！」
「その理屈、肯定。ただ、仲良くがどういったものか、分からない」
「んー、そうだな。……そういや、小さい頃の俺とかバージルとは遊ばなかったのか？」
ダイナの世界線では二人とも死んでしまっているという話ではあるが、ダイナに面識があるということは小さい頃は何度か出会っているのではないかと、若は口にする。
「ある。……確かに今思えば、よく遊んでいた。あれを仲が良かったと言うなら、今の私にも可能」
「おお！ じゃあそんな感じで頼むぜ！」
「分かった」
と言うなり、ダイナは初代の方に向き直り……。
「今日は、何して遊ぶの？」
あどけない表情でそう言った。
ダイナは、至って真面目だ。真面目に、小さい頃の再現をしている。
よくダンテの家に遊びに行っては今日は何するのと聞くのが日課だった彼女。バージルとは決まって絵本を読み合う遊び。ダンテはその日その日でいろんなことを。
ダイナの世界線では彼らは自分よりも年が上だった。だから自分よりも年上の初代にそう声をかけたのだが……。
「なんで俺じゃないんだよ！」
若は自分じゃないことに納得がいかない様子。
だがそれ以上に、初代には刺激が強すぎた。常日頃から無表情。そして先ほどまであんなにも深刻な話をしていた女性が自分に笑いかけ、何をするかと問うてくるのだ。
まだまだ若さが抜けきらない初代は……。
「いいぜ、ダイナ。今晩はたっぷりと……」
「エロは禁止っつってんだろっっっ！」
ネロの右ストレートを食らう羽目になった。
「……私、間違っていた？」
ネロが怒っている様子を見て、こうではないと悟ったらしい。
「間違っちゃいないさ。ただまあ、なんだ。……そう、刺激が強すぎたな」
おっさんはふっ飛ばされた初代を助けながら、どういったものかと悩んでいる。
「仲良く、難しい。……これから、がんばる」
「今のは反則過ぎるぜ、ダイナ……」
ガクリと倒れ、意識を失った初代。
ダイナがみんなと正しい形で仲良くなるのは、まだまだ時間がかかりそうだ……。