ルルアノ・パトリエ 第3話

「緑間さん、おはようございます。今日も一日よろしくお願いします」
「……おはよう。さっさとついてくるのだよ」
挨拶を交わし、一つお辞儀をして緑間の後を追う。
「(しっかしこの人、本当無愛想。何考えてるんだろ)」
「(アンカルジア、失礼なこと言っちゃダメだよ)」

「おはよう、ララク!」
「……おはよう」
「おはよ、ララクちゃん。篠菜には変なことされてないか?」
「三人とも、おはようございます。何もされていませんから大丈夫ですよ」
教室で昨日知り合った三人と挨拶をする。
「何々? 緑間と登校してきたの?」
「あ、はい。まだ学校までへの道を覚えられなくて……」
「おいおい、大丈夫かよ」
「がんばります……」
隆二に心配され、苦笑いを浮かべながら返事する。
いつの間にか緑間は自分の席に座り、本を読んでいる。
しかし、そんなことはお構いなしに
「今日もここまで連れてきてくださって、ありがとうございました。
 がんばって道を覚えますから、もう少しだけご同行お願いします」
緑間にお辞儀をして、感謝を伝える。
「……フン」
特に返事がくるわけではなかったが、ララクは気にしなかった。
「ララクって、思った以上に度胸あるよね。
 あんな雰囲気出してる緑間に顔色一つ変えずにお礼言うなんてさ」
「そうですか? 緑間さんがいないと私、
 今ここに来られていませんから、感謝しても足りないですよ」
柔らかく笑うララクを見て、篠菜は何やらたくらんだ顔をして
「それなら、何か作ってあげるとかどうよ? これからもよろしくって意味を込めてさ!」
「あ……それ、いいですね!」
「(うわぁ、始まった。ララクちゃん素直な子だから、
 ぜってー篠菜のいいようにされちまうって……)」
「(……これもまた、運命)」
隆二と朱夏は篠菜の犠牲になってしまうであろうララクを見ながら、
何を作るかで悩みながらも楽しそうにしている二人を見ているのであった……。

なんやかんやと時間が流れるのは早く、気が付けばお昼。
クラスの子はお弁当を持って外に行ったり購買に食べに行ったりで、
教室にはほとんど人がいない。
「(お弁当を作っては来たけど、どこで食べよっか?
 人に見られるとまずいし……)」
「(どこでもいいからお外の空気が吸いたいー。ララク、まだぁー?)」
「(待って、アンカルジア。すぐに出せる場所を探すからね)」
お弁当箱を持って教室から出ようとしたとき……
「あ、ララクもお弁当組なんだ? こっちおいで」
「……みんなでお弁当、食べよ」
「おー、やっぱ女子は弁当なんだなぁ」
「そういうあんたも弁当でしょ」
3人につかまってしまい、教室から出るに出れない空気になる。
「(ご……、ごめん。アンカルジア……)」
「(えー! もう朝からずっとこの中なんだよー!?)」
「(そ、そう言われても……)」
アンカルジアはかなり機嫌が悪いのか、カバンの中でごそごそしている。
「おーい真ちゃん !一緒に飯……って、真ちゃんも弁当なんだ?」
そこにやってきたのは昨日バスケ部に案内してくれた高尾だった。
「……何の用なのだよ」
「いやだから一緒に飯でも……おっ、ララクちゃんもいんじゃん!
 そういや一緒のクラスだって言ってたっけか。ちょうどいいや、一緒に飯くおーぜ」
「あの、私その、えっと……」
篠菜たちに誘われているため断ろうとしているのだが、
今は早く教室から出たいことで頭がいっぱいで、うまく言葉が出てこない。
「何? ララクの友達?」
「んぉ? あー、もう飯食う予定入ってんのか……。
 んじゃ、オレと真ちゃんもそっち混ざっていいか?」
「いーよいーよ! あんたやるね! 緑間巻き込むなんて」
「勝手に話を進めるな」
いつの間にか高尾と篠菜が意気投合してしまい、
もう抜けるに抜けれない状況になってしまった。
みんなで机を寄せ合い、ララクを入れた6人で弁当箱を広げようとしたとき……
「んもー! いい加減にしてよね!
 朝からカバンの中に入れられてろくな空気吸ってないし、
 私だってお腹空いてるんだから!」
ララクのカバンから勢いよくアンカルジアが飛び出す。
一瞬、謎の声にみんなが沈黙をするが、妖精を見て目が点になる。
ただ一人、ララクは青ざめた顔をして、瞬時にアンカルジアを捕まえてカバンに入れる。
「い……、今何か……いなかった……?」
「……虫?」
「いや、喋ってたぞ……」
「ララクちゃん……今の……」
「な、な……なんのことか分からないです! 妖精なんて飛んでないです!」
嘘のつき方があまりにも下手すぎるのはあるが、それを抜いても弁解しきれない。
「ララク! そのカバンの中、見せなさい!」
「ダ……ダメです! 何も入ってないです!」
「じゃぁ見せれるはずよね!」
「うぅ……それは……」
「(苦しい苦しい! ララクのバカ、カバン抱きしめすぎ! 息が出来ない!)」
今度はカバンの中からくぐもった声がする。
そして一人でにチャックが開いたかと思うと、何かが顔を出す。
「ぷはぁ。あー、外の空気おいしいー」
「……。ララク、その生き物、何?」
みんなにばれてしまい、ララクはもう気絶寸前。
そんなことお構いなしにアンカルジアはカバンから出てララクのお弁当箱を開け
「やっぱり苺入ってる! いい匂いしてたんだよねー。いただきまーす」
自分の体と同じぐらいの苺を頬張る。
「……あ」
あまりの窮屈さと空腹に、
つい勝手な行動をしてしまったとようやく自覚したアンカルジア。
「……何これ何これ!? 生き物!? ねえララク! この子なんなの!?
 妖精さん? 妖精さんなの!? うわああ……すごいね! 何々、どこから来たの!?」
篠菜は初めて見る生き物に興奮して、ララクに質問を浴びせる。
「あ……あぁ……それは、そのぅ……えっと……あの……」
「……篠菜。落ち着いて、ララクちゃん困ってる。で、この子妖精?」
朱夏も興奮しているのかふんふんと鼻息が聞こえそうな勢いで、さらに目が輝いている。それに対し男性陣は……
「なんだこれ、生き物なのか……?」
「虫みたいにぱたぱた飛んでたぜ……?」
「理解に苦しむのだよ」
あまり良い印象ではないようだったが……
「きゃあ! 何すんのよ、離しなさい!」
「お……おぉ……。フィギュアみたいに硬いのかと思ったら、人肌にちけーぞ、これ」
「ブハッ、マジ!? ちょ、オレにも貸してくれよ」
「ちょっと! アタシで遊ばないでよ!」
隆二と高尾に体を触られて怒るアンカルジア。その様子を見て我に帰ったララクは二人からアンカルジアを奪還し
「ダ、ダメです! アンカルジアは食べ物じゃありません!」
「ギャハハハハ! んなの分かってるって! ララクちゃん、マジ天然すぎ!」
「えっ……えっ。アンカルジア! 嘘をついたのですか!?」
「う、嘘じゃないもん! 本当だよ! ちょっとだけ……」
「いい加減にするのだよ! 新崎、その……奇妙な生き物について説明しろ」
怒涛の勢いで物事が起こりすぎて、収拾がつかなくなってきてしまったところに、鶴の一声でみんなが静かになる。
「奇妙な生き物だなんて失礼ね! アタシにはアンカルジアっていう、ちゃんとした名前があるんだから!」
緑間の言葉にカチンと来たのか、今にも噛みつく勢いである。
「えっと、その……アンカルジアは、妖精……なんです」
ここまで来てしまった以上、真実を語る他ない。まさかこんなに早くアンカルジアのことがばれてしまうとは思わなかった。
「ほんとに!? ほんとに本当の妖精? はあー、すっごいわね! えっと……アンカルジアちゃんだっけ? こっちおいでー」
「……篠菜ずるい。私もアンカルジアちゃんとお話ししたい」
「アタシ、ペットじゃないんだから! あなたたちみたいに考えることも、こうやってお話しすることも出来るんだからね」
ペット扱いされたのが気に障ったようで、ララクの手から出ようとしない。
「むむ、そうなのか……。じゃ、今日からあたし達、友達ね!」
「えっ?」
「……よろしくね、アンカルジアちゃん」
「う……うん。……アタシのこと、怖くないの?」
「「可愛い」」
どうやら篠菜と朱夏にとってアンカルジアは、可愛い子としてしか認識されておらず、妖精がどうとかはそこまで気にしていないらしい。
「あ、あの……高尾さんは……」
「んー? いいんじゃねーの、別に。なんか危害加えてくる感じでもねーし」
「俺も別に構わないぜ。……つか、あの状態になった二人を止められる自信が俺にはない」
「ありがとうございます……。えっと……その、緑間さん……ごめんなさい」
言わずとも伝わってくる謎の生き物に対する嫌悪がダダ漏れの緑間には、謝らずにはいられなかった。
「……信じられないことだが、目の前にいるからな……。信じないわけにもいかないのだよ」
「うぅ……。本当、ご迷惑ばかりかけてすみません……」
一気に脱力したララクは、机にへばりつく。
「あ、そうそう。アタシのこと、他の人には言わないでね。ララクの友達だから特別に出てきてあげてるんだから」
周りの人たちの順応性があまりにも高すぎて、アンカルジアは自分のわがままで飛び出たことを忘れている。
「そこら辺は安心して。誰にも言うつもりないから」
「つか言っても信じてもらえねーって。オレも言葉だけだったらぜってーしんじねーし」
「やっぱそういうもんなのかぁ……。まあアタシとしては好都合だけど。ララク、のびてないで早くご飯食べよ。アタシお腹空いた!」
「そうですね……。ごはん、食べましょうか……」
こうして長い長い昼休みは終わった……

放課後にはなったが今日は掃除当番のため、教室に残る。掃除班は四人で、決められた場所をローテーションで回しながら担当する。
「よ……っと」
床を掃いてはせっせと机を運ぶ。単調な作業ではあるが、40個の机と椅子となるとなかなかにしんどかったりもする。
「あーあ、なんで掃除なんてだりーことしなきゃいけねーんだよ」
「ホントだよな、先生も使ってるんだから生徒だけにやらせるとか不公平じゃん」
一緒に掃除をするはずである男子二人はやる気がないのか、箒は手に持っているものの動こうとしない。その姿を見て篠菜は
「ちょっと! あんたたちも手伝いなさいよ!」
もっともな言葉を投げかけたのだが……
「はぁー? やだよ面倒くさい。お前らやっといてくんね?」
「あのね、文句ひとつ言わずに掃除してくれてるララクのこと、見習いなさいよ」
「そういうお前も新崎さんを見習ってそのぺちゃぱい、なんとかしてみろよ」
「なんですってー!?」
男子の一言にぶち切れた雫石は掴みかかる。
「いって、何すんだよてめぇ!」
「喧嘩売ったこと、後悔させてやる!」
「よいしょ……、うんとこしょ……」
ララクは掃除に夢中で、男子と篠菜が取っ組み合いの喧嘩を始めたことに気づいていない。
そんな喧嘩はますますエスカレートし
「こいつ……こうしてやる!」
「髪の毛引っ張んなよ……、このクソ女!」
「うわっ!」
「ひゃあぁ!? ……うぶっ」
篠菜が突き飛ばされララクにぶつかり、ララクはそのまま扉に向かって倒れこんだ時、誰かにぶつかった。
「ご……ごめんなひゃい!」
痛みで鼻を抑えながら慌てて相手から離れ謝ると、そこには見慣れた顔があった。
「……何をしているのだよ」
「あ、緑間いいところに! 男子が掃除してくれないからちゃんとしてって言ったら文句ばっか言ってくるのよ?」
「仮にその話が本当だったとしても、さっきまでの騒ぎは何だったのだよ」
「雫石の方から突っかかってきたんだよ。おかげで何本か髪の毛抜かれたっつーの、ハゲたらどーすんだよ!」
「ハゲるも何も、あんたなんてほとんど髪の毛ないじゃない。人の胸のこと言う暇あったら、髪の毛でも生やしてなさいよ!」
こうしてまた篠菜と男子はギャーギャーと言い合いになる。
「フーッ……新崎、こんな奴らは放っておいて、さっさと掃除を済ませてしまうのだよ」
「えぇっ、喧嘩は止めなくちゃ……」
「やめておけ、また飛ばされて今度は本当に怪我をするのだよ。手伝ってやるから、終わってない所を教えるのだよ」
「あ、ありがとうございます。後は黒板をきれいにしたら終わりなんですけど、どうしても上の方が届かなくて……」
小柄なララクにとっては、黒板をきれいに消すのも一苦労だ。
「おいオマエたち、後はもうやっておくから教室から出ていくのだよ。じゃないとまた汚されかねんからな」
「あーはいはい、後は優等生さんにお任せしますよっと、帰ろーぜ」
「ったく、掃除だけでこんな時間食うかよ普通。てかお前マジでハゲてんな」
「うっせーな! それ以上言うとお前でも切れんぞ」
髪の毛の話をしながら二人の男子は出ていった。
「ホントムカつく! あんな奴らと一年間一緒の掃除班とか考えたくないなぁ……。ララク、さっきはぶつかってごめんね」
「いえ、私は平気ですから気にしないでください。それより喧嘩はいけませんよ? 雫石さんがケガしちゃいます……」
「へーきへーき! あたしいっつもこんなんだからねー。それよりララク、雫石さんって呼び方禁止! 友達なんだから下の名前でいいよ」
「あ、はい。えっと……篠菜さん?」
「さん付けもいらないんだけどなぁ……。まあララクのさん付けはなんか癖っぽいし、うん……。そこは妥協してあげよう」
ひとりでうんうんと勝手に納得をする篠菜に怒ったのは緑間だった。
「何も平気ではないのだよ。周りが迷惑するから暴れるのはやめろ」
「あーあー、分かりましたよー。男子は頭固い奴ばかりだからいけないね。隆二もこういうことにすんごいうるさいからなあ」
幼馴染の顔を思い浮かべ、グチグチ言っている。
「それはきっと篠菜さんのことが心配だからですよ。私としてもその、喧嘩はやめてほしいです……」
「むー、こんなに可愛い子の頼みとあれば、聞かないわけにもいかないか……。出来るだけやめるよ、うん」
コクコクと自分の言い聞かせるように頷いてはいるが、どこまで信じていいものやら。
「終わったぞ」
「ありがとうございます。そういえば緑間さんはどうして教室に?」
黒板消しを受け取りながら、緑間が教室に来た理由を尋ねる。
「頼まれごとに気を取られていてな、忘れ物をしたから取りに来たのだよ」
「忘れ物……、教科書ですか?」
「いや、これだ」
そういって机の中から取り出されたのは……
「みかん……ですか」
「それさ、忘れたまま帰って次の日机の中に手を入れたら……悲劇が起こる奴じゃん……」
「思い出してよかったですね……」
「本当によかったと、今心底思っているのだよ」
こうして大騒ぎの掃除は終わった。

掃除の後、特にすることもないので高尾に誘われたとおり今日もバスケ部の見学をしに緑間と一緒に体育館に来た。二階に上がり、昨日と同じ場所の椅子に座る。
「しっかしまぁ、今日のお昼はどうなるかと思った!」
「本当ですよ! もう勝手に飛び出ちゃいけませんからね?」
「ごめんって。これでも反省してるから……ね?」
カバンから出て、ララクの前で掌同士をくっつけて許してのポーズをとりながらララクの顔色を窺うアンカルジア。
「むぅ……、でもみんなが理解してくれてよかった……」
「大丈夫だってー。みんなアタシが神器の一つ、アンカルジアだなんて夢にも思わないよ。それに何かしてきたって返り討ちだって!」
「それは……そうですけど……」
今は妖精の姿をしてはいるが、アンカルジアは天界の国宝である。本来の力を発揮したときには魔力を持たない人など、取るに足らない。
「でも不思議だなぁ。妖精と一緒に居るってなったら、ララクのこと疑うのが普通なのに」
「そう……ですね。ねぇアンカルジア。私、みんなを信じてみたいんです」
「……いいの?」
「はい。だってアンカルジアのこと、受け入れてくれましたから」
「本当にお人好しだなぁ、ララクは。そういうところがララクらしいんだけど」
「ありがとう……、アンカルジア」
強い力というのは、ただそこにあるというだけで争いごとを生む。もしアンカルジアが悪用されることがあれば、大惨事になることは目に見えている。だからこそ早く姉と合流し、元の地へと帰らなくてはならないのだ。しかし情報が何一つない今、こうやって毎日を消化していくしかない。自分の正体を知った時、友達はどう思うのだろうか。不安は残るが、それでもララクは友達を信じることにした。

「これは……何?」
「見たところ、繭のようですが……」
大きな円形の建物内に若紫色の髪をした少女がいる。その中心部には見上げてもすべてが視界に入りきらないほどの大きな繭がある。
「不思議ね……、それとも不気味と言った方が良いのかしら? これだけ大きなもので意味深げに存在しているのに、何も感じられないなんて……」
「この中身はどうなっているのでしょうか?」
来たところもない場所に見たこともない物があり、疑問を投げ合うことしかできず、答えを得ることは叶わない状況。
「……やめておきましょう。気にはなるけれども、私たちの目的はこれではないもの。藪蛇なんてごめんだわ」
「ワタシもその意見に賛成です」
辺りを見渡してみるものの、繭以外には特にこれといったものもない。そう踏んだ若紫色の髪をした少女は建物の中から去ろうとした……。その時、
「誰!?」
凄まじい気配を感じ取り、即座にその場から離れる。
「すごい量の魔力です……!」
「モーントクライン!」
「はい!」
少女の横でふわふわと青紫色の羽で飛んでいる、眼鏡をかけて紫色の髪を三つ編みにした妖精が武器に変わる。その武器は少女と同じか、それ以上の大きさを持った鎌。薄い紫色をした頭の部分には大きな透き通る黒色の雫のようにかたどられた宝石が1つついており、それも黒い。刃自体は三日月のように反り返り、色も薄い紫色でその刃と柄をつなぐ部分にはの大きな白色の宝石が埋め込まれている。
「天使ともあろう者が持つ武器とは思えないな?」
「姿を見せなさい!」
どこからか声がする……が、姿が見えない。その場は一気に緊張感に包まれた……。

「よぉーし! 今日の練習はここまでだ!」
「「お疲れ様でした!」」
夜7時。ようやく練習が終わり、帰宅準備をしだす。
「あー……やっと終わった。ララクちゃんワリィ、こんな遅くなるとは思ってなくてさ」
高尾が2階までララクを迎えに来る。
「いえ、練習お疲れ様でした。これ、タオルです」
「お、いいの? サンキュー助かるわ」
タオルを受け取り、顔の汗を拭いている。
「明日洗って返すわ」
「いいんですよ、これぐらい気にしないでください」
「んじゃ、お言葉に甘えて……」
そういってララクにタオルを返した高尾は何かが視界に入ったのか焦った顔つきに変わる。
「ちょっ、真ちゃん帰っちまう! 行こうぜララクちゃん!」
「あ、はい!」
体育館から出ていく緑間を追いかけるため、二人は急いで階段を駆け下りた……。

「やっと追いついた……、水臭いぜ真ちゃん。一人で帰るなんてよ」
「はっ……はっ……もうダメ……、走れません……」
「そこまで無理して追いかけてこなくてもいいのだよ」
「ララクちゃんをここまで走らせたくないなら、待ってろよなー」
なんだかんだと文句は言うがララクの息が整うまで待っていてくれるあたり、緑間も心底嫌がっているわけではないようだ。
「しっかし、今日は本当驚いたよなぁ」
ララクの息が整い、三人が足をそろえて家に向かって歩く。
「……あれは本当に生き物なのか?」
「失礼ね! だからアタシは妖精だって言ってるでしょ!?」
「耳元で叫ぶな、うるさいのだよ」
「そうさせてるのは誰のせいよ!」
ギャーギャーと言い合いを始めてしまう緑間とアンカルジア。仲が悪いのは目に見えてわかることだが、今日知り合った中で一番話している時間が多いのも二人という、なんとも皮肉めいた事実もついてくる。
「本当嫌になっちゃう! 大体ララク、なんでこんな奴と仲良くするのよ!」
「アンカルジア、それは言い過ぎですよ。緑間さんはいい人じゃないですか、今朝も学校までの道を教えてくださいましたし」
「あんなのは教えたって言わないの。こっちが勝手に後をついて行ってるだけなんだから」
「それストーカーじゃん!」
アンカルジアと絡むララクや緑間のやり取りが面白すぎて、過呼吸になりながら笑い続ける高尾。この二人に妖精を足したメンツで一緒に居れば、毎日高尾は過呼吸手前まで笑わされることになるだろう。
「あー……、今日も死ぬほど笑ったわ……。んじゃ、また明日な」
「はい、気を付けて帰ってくださいね」
「またね高尾!」
高尾とさよならし、緑間と二人きりになる。
「あの、緑間さん」
「なんだ」
「どうしてバスケを始めたのですか?」
ふと思った疑問を投げかける。どうして今、この疑問が浮かんだのかと聞かれると自分でもわからないから答えられないが……。
「勉強の息抜きで始めたのだよ。……今は極めたい、極めるべきものだが」
「極めたい……ですか……」
「そういう新崎はどうなのだよ」
「ん……んー……、お菓子作りは好きですね。後は……お花を見るのが大好きです」
「……料理か……」
「もしかして、苦手ですか? ……あぁでも、私もお菓子は好きですけど、普通の料理は人並みというか……、そこまで上手では…」
もし良ければお教えいたしますよ。と言いたいところではあるが、自分が出来ないことを人に教えることなど出来るわけもなく、断念する。
「えー、ララクの料理おいしいのになぁ。謙遜しすぎじゃない?」
「ありがとう、アンカルジア」
毎日食べてくれているアンカルジアにそう言ってもらえると、やはり嬉しい。
「さて、家に着いたのだよ。…………また明日」
「あ……、はい! 今日もありがとうございました。また明日です」
緑間が家に入っていく姿を見て、自分も家に上がる。
「……ちょっと意外だったかも」
「ん、何かありました?」
「だって、あの緑間が『また明日』なんて言うと思ってなかったから……」
「……少しは、仲良くなれていると思っていいのでしょうか?」
「少しだけね! 少しだけ」
「うっ……そこを強調されると自信がなくなります……」
「大体、家が近所だったりクラスが一緒だからって、嫌な奴と仲良くする必要ないんだよ?」
アンカルジアの言っていることはもっともだ。嫌な奴であればどれだけ顔を合わせる機会が多かったとしても、縁を保ち続ける対象にする理由にはならない。
「だから、私は緑間さんを嫌な人だなんて思っていませんし。……姉様と同じで、少し不器用なだけなんですよ、きっと。私が息を切らしていた時も、文句を言いながらも待っていてくれたでしょう? 普通に嫌っているなら待ってはくれません」
「むー……。まぁ、ララクがいいならアタシがとやかく言うことじゃないけどさ。……あんまり仲良くなりすぎると、別れがつらいだけだよ?」
「それは……はい、気を付けます」
この地を離れることは決まっている。決まっていないのはその期間がどれだけ前後するかぐらいなのだ。親しい者との別れというのはどれだけの数を重ねても慣れない、慣れてはいけないものである。
「ま、今はそのことをグダグダ考えても仕方ない! さぁ晩御飯を作ろう、アタシお腹空いちゃった」
「そうですね、作りましょうか。……そういえば篠菜さんに、お世話になっている緑間さんに何か作ってあげなさいって言われましたね。なにがいいでしょうか……?」
「うーん……。ララクが得意なものでいいんじゃない?」
ぱたぱたと飛びながら調味料を運んだり、テーブルに自分用の皿を並べている。さすがにララクのお皿は大きすぎて、アンカルジアは運べない。
「私が得意なもの……となるとお菓子なのですが、緑間さんって甘い物大丈夫でしょうか……?」
「……嫌いなもの渡したら躊躇いなく『いらないのだよ』とか言いそう」
「それは避けたいですね……」
晩御飯を作りながら、誰でも食べられるようなお菓子を考える。
「……そこまで甘くならないものとなると、やっぱり無難なクッキーになりそうです」
「うんうん、それでいいと思うよ。無理に背伸びしなくていいんだって」
「そうですね。よーし、そうと決まったら作りましょうか」
「晩御飯食べてからね!」
軽く晩御飯を作り終え、お皿に並べ、礼儀正しくいただきますと手を合わせる。数十分後に完食し、片づけをして今度はお菓子作りに励んだ。

「……よし、後は焼きあがったら綺麗にラッピングして完成ですね」
夜10時を過ぎた頃、いつもならもう布団の中でぐっすりの時間帯だがクッキー作りに奮闘していたため、寝る時間をおしている。
「アンカルジア、テーブルの上で寝ていると風邪を引いてしまいますよ」
「うー……、ふあぁ……。先にお布団で寝てるね……」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみぃー……」
クッキーを味見する。と言って待っていたアンカルジアだったが、睡魔にはかなわずテーブルの上で舟をこいでいた。そんなアンカルジアを起こしてお布団に促すララク。ふらふらと今にも壁にぶつかりそうになりながら寝室へアンカルジアは姿を消した。
「ふぁ……。私も眠たくなってきちゃった……。焼けるまでまだ少し時間があるし、ゆっくり外の空気でも吸おうかな」
玄関に向かい、扉を開ける。
「すーっ……。はーっ……」
ぐっと両手を空に上げ、外の空気を胸いっぱいに吸って、はく。
「んーっ。気持ちいい!」
上げていた手をおろし、ふと横を見る。
「何をしているのだよ」
そこには自分と同じように玄関の前に立っている人物とばっちり目が合った。
「……、見ていました?」
「あぁ、全部な」
「そうですか……」
徐々に顔は赤くなり、頬に手をあてる。
「ど、どうして言ってくれなかったのですか!」
「何を言ってほしかったのだよ」
「むうぅぅ……!」
言い返す言葉もなく、気を紛らわすために空を見上げる。
「え……?」
あまりの美しい光景に息をのんだ。
「あんなに金色に輝いて……月が欠けて溶けているのなんて、初めて……」
天界でも月は見られる。しかし、こんな風に月が欠けて、ましてや幻想的に溶けている様子は見たことがない。
「……三日月、か。ここ最近はもう満月を見ていないな。それに、ずっと三日月だったかと思えばあんなに溶けたように見えるなど、不気味なのだよ」
「不気味……ですか。うーん、そう言われるとそう見えてきます……」
ずっと見ていると、吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。
「今日はもう遅い、さっさと寝るのだよ」
そう言い残し、緑間は家に入っていった。
「あ……、挨拶し損ねちゃった」
桜の木々にもちらほらと緑の葉が月に照らされ目立つ夜だった……。

「まさか……貴方ほどの大物に出会える日が来るとは、思ってもみなかったわ」
少女の前には色のチェスターコートのボタンを上2つだけ止め、中には黒い質のよさそうな服を着ている。ズボンもコートと同じ色のものを着た、セミロングほどの銀髪の男が立っている。
「全く以て同感だ。……天界14代目次期皇女候補、ラクア・ルルアノ・パトリエ」
「随分な挨拶なのね? 魔界現14代目魔王、アクセル・フォン・ローゼンバウム」

―――この世界は大きく分けて三層に分かれている。「地上界」と、地上界を挟むように存在する「天界」と「魔界」である。地上には人間という種族が住み、天界には天使が、魔界には悪魔がそれぞれ住んでいる。地上とは違い、天界は皇女が国を治め、魔界は魔王が国を治める。この2種族は今までに何度も戦争をし、血を血で洗い続けてきた。今ここにいる2人は、まさに相容れぬ存在である。
「……天界の者は、白などの明るい色を好む傾向があったと思うのだが?」
ラクアは黒を基調としたドレスに薄紫色のレースとフリルがついている。靴は膝下まである編み上げのブーツを履いており、右側頭部に大きな一輪の黒い薔薇を基に作られた髪飾りをつけている。……明るい色とは程遠い。
「傾向があるだけだもの、みなが同じなわけではないわ」
「そうだな。……本当にそれだけならな」
「あら……、随分と嫌な言い回しをするのね」
含みのある言い方をされ不快に感じたのか、アクセルを睨み武器を構え直す。
「手荒な真似は好きではないけれど、嫌味を言う子は少しお仕置きをしなくてはね?」
「ほう……? この俺に歯向かう気か。だが今はお前如きを相手している暇はないのだ」
「随分と舐めたこと言ってくれるじゃない!」
先に行動を起こしたのはラクアだった。一気に間合いを詰め一太刀入れる。金属同士のこすれ合う音が建物内に響く。アクセルの手には1m強の槍が握られている。両方に穂先があり先端は青く、柄に近づくにつれ黒になっている。
「今は争っている場合ではないのだ」
「くっ……!」
たった一度武器を交えただけではあったが、ラクアの手から武器が吹き飛ばされる。鎌は宙を舞い、かなり遠い場所に刺さった。
「皇女候補とは、ここまで弱いものなのか……」
アクセルは残念そうに目を閉じ、左右に首を振る。
「それはどうかしら」
「何!?」
アクセルはとっさに後ろを向き、柄の中心部分を両手で持ち捻る。すると同士が外れ、双剣のようになった。アクセルの後ろには鎌を持ち、飛びかかるラクアがいた。間一髪のところで致命傷を避けたアクセルではあるが、鎌の先端が左肩に少し食い込んでいる。しかしそれをもろともせずにラクアを弾く。
「まさか、魔王である俺を相手に弱者の振りをするとは……先ほどの言葉は取り消そう」
「お褒めの言葉と、そう受け取っておくわ」
魔王に褒められたことがまんざらでもないのか嬉しそうに口元が緩み、右手を頬に当てている。
「さきほどの一瞬で、何故もう武器が手の中にあるのかと疑問に思ったが……なるほど、それがモーントクラインというわけか。随分と仲がいいみたいだな?」
「当然よ、己を守ってくれる存在……、相棒だもの。私だってこの子の危機には命を懸けて守るわ。……あなたが使っているのも魔槍ラースフェルドじゃない。誰にも懐かない双切槍……。かなり無口な子のようね? どうやって信頼を得たのか、教えてほしいものだわ」
二人は何を思ったのか、相手を褒め合っている。
「ふっ……ふふ、やだ、魔王だなんていうからどれだけ血の気が多くて殺戮好きの変態野郎なのか、なんて考えていたのに……普通に話の出来る面白い方じゃない」
「そちらこそ、たかだか皇女候補程度の存在にも関わらず独断で行動した挙句に、この俺を捕まえて面白いと言うか……。気に入ったぞ、先代の話だと歴代皇女は頭の固い奴らばかりでまともに話し合いも出来ず、いつも戦争を吹っ掛けてきたと言っていたからな」
何かこと切れたように二人はしばらく大笑いしていた。
「はぁ……笑った。モーントクライン、元に戻っていいわよ」
ラクアの声に応えて武器が妖精の姿に戻る。
「ラクア様、良いのですか? 相手は悪魔の長、魔王なのですよ? 今ここで討てば皇女も目の前です」
「モーントクライン、その話はおやめなさい。別にあなたが気に病むことではないわ。もとより私は、皇女などという肩書きに興味はないのだから」
何か込み入った事情があるのだろう。モーントクラインはまだ何か言いたそうだが、ラクアに一喝され、言葉を飲む。
「ラースフェルド、お前も元に戻っていい。……もし相手が裏切った時は、いいな?」
「……御意」
アクセルの双切槍も妖精の姿に戻る。青色の羽を羽ばたかせ、アクセルの肩に降りる。短い黒髪を左分けし、少し近寄りにくい雰囲気を出している。
「さて……、今は争っている場合ではないという言葉の真意、教えてもらいましょうか」
すっと話を戻すと、アクセルの顔も真剣なものになった。
「そこの繭が何か……、分かるか?」
「さぁ、見当がまるで…………、ないこともないわね。何かの書物で、誰かが繭になった……って話を読んだことがある気がするわ」
「ふむ、俺と同じだな。確かあれは昔話の“ヴェルメリオ”だった気がするが、どうだ?」
「あぁ……、そんな昔話もあったわね。あまりいいお話じゃなかったと…………!? 何……この魔力の量は!」
「まさか……羽化するのか!?」
「オオオオオォォ……!」
繭の中から咆哮を上げるだけで地面が震える。この世の同じ生き物とは思えない存在が二人を圧倒する。先ほどの繭が少しずつ割れ、中から何かが、ゆっくりと這いずり出てくる。その姿は赤い肌が特徴的で、顔のパーツは口しかない……が、その口はとても大きい。さらに金髪で翼は骨格のみと、天使とも悪魔とも言えない外見をしている。
「う……そ……、本当にあの昔話に出てくる“新生メロド・メルギス”だというの……? あれはお話の中の人物でしょう!?」
「まさか、本物だとはな……! おい、生まれたばかりならまだ勝機があるぞ。手を貸せ!」
「存在しているだけでも冗談だと思いたいのに、それを討伐する役目を担う日が来るとはね! いいわ、さっきの失言分、しっかり働いてちょうだいな!」
「ラクア様!」
「主よ、ご命令を」
あまりにも強大すぎる敵に対してラクアは逃げ出してしまいそうな気持ちを奮い立たせ、アクセルの提案を呑む。アクセルも天界の者であるラクアとの共闘を誓う。お互いの種族は違っても、感じることは同じだった。
「オオオオオ!」
―――このままでは世界は滅びると。