妖精郷から連絡を受けて一時間かかったかどうか。帝都某所の裏路地を手順通りに曲がっていけば、開けた場所に出ることができる。
「あ、ダイナだ! こっちこっち、王様と女王様が呼んでるよっ!」
私の姿を見つけた一体の≪妖精≫ピクシーが、こちらへ急ぎ気味に飛んでくる。
「マリアも久しぶりー!」
「ご無沙汰しております」
マリアと私は軽く頭を下げ、ピクシーに声をかけた。
「お忙しい中ご案内頂き、ありがとうございます。元気そうでひとまず安心しました」
「アハハ、相変わらず言葉がかたーい! ま、それがダイナらしいんだけど」
敬語を硬いと感じるのは、良くも悪くもフランクな性格が多い≪妖精≫という種族故の感覚だろう。私としては幼い頃から聖堂騎士なんて呼ばれる、まさにお堅い人物たちの中で育ったから相手の立場など関係なく敬語で話すことが癖になっている。
もちろんこれで損をしたこともあるが、それ以上に多くのものを得られたと思っているから変えることはないだろう。
「二人の機嫌は如何で?」
「ダイナを呼んだ件でちょっとピリピリしてる。でも荒れてるわけじゃないから、とばっちりとかは大丈夫だと思うよ?」
「そう……ですか。ありがとうございます」
今から面接する相手は圧倒的に格上の悪魔。どちらかといえば友好的な関係であるとはいえ、相手側の機嫌を伺っておいて損はない。
この“妖精郷”は帝都にあっても強力な、妖精王とその妻が治める大型の異界。その力ゆえに諸方面と無関係な孤立ではいられず、中立の緩衝地帯としてその立場を保っている。
メシア教、ガイア教、ヤタガラス、あるいは犯罪結社、または自衛隊──。
基本的にどことも浅くは繋がりがあり、逆にどこからも深い支援は受けていない。多少の情報交換、鍛錬、仲魔集め……。
あらゆる者が様々な目的で出入りする、全てにおいて中立の志向を有する、妖精たちらしいスタンスの異界がここ、妖精郷。
改めて思うが、どことも浅く繋がりを持っているというのはすごいことだ。……と、そろそろ御二方との対面だ。まずは最初の引き締め時ですね。
「ご無沙汰しております。妖精王、野崎様。そして妖精女王、佐倉様」
私のあいさつに合わせ、マリアもお辞儀してくれた。
「ああ、よく来てくれた。歓迎……したい所なんだが」
「早速なんだけど、依頼の話をしてもいいかな?」
「伺います」
≪妖精≫オベロンこと野崎梅太郎王と≪妖精≫ティターニアこと佐倉千代女王が、私に依頼の説明を始めてくれる。
「概略を説明すると、妖精郷に属する異界の一つがガイア教団系の集団に襲撃されたという報が入った。連絡は途絶してるが、異界の主はセタンタだと分かってる。恐らくもう、やられて霧散しているだろう」
「なるほど」
仲間の死に対する感傷の無さは“消滅”というものに関する価値観が異なるから、これは当然の反応だったりする。
彼らはあくまで分霊であり、本体は魔界や天界と呼ばれる場所にいて、そこから弱体化させた己の身体一部分をこの人間界に現出させているような感じであるため、たとえ討ち取られて霧散したとしても、それまでに経験してきたことは本体の元へいずれ帰る仕組みとなっている……らしい。
そこらに関しては残念ながら現代の科学をもってしても、証明し切れていないのが事実だ。
とにかく、そういった存在であるためか、彼らは自己の存在が消滅することにもあまり頓着しない。悪魔同士を合体させるといった外法に供されることも、むしろ“より力が増す”と喜ぶフシすらある。
「では依頼内容として、参加者を探し出し“落とし前をつけさせる”と言った感じで?」
「普通なら、そういう依頼になる所なんだが──奴ら【主を殺した異界に居座っている】らしいんだ」
「殺して……居座った?」
こちらの業界のことを知っている者であれば、妖精郷が治めている異界を襲う、などという発想には至らない。それをするのは強い力を手に入れて浮かれている大馬鹿者ぐらいだ。
それ以外でとなると、明確な目的がそこに存在することになる。
つまり今回の首謀者は異界の主を殺すことが目的ではなく、異界そのものを手に入れる、または何かに利用することを目的にしている、ということだ。
「異界というのは、悪魔たちにとっては住み心地の良い家のようなもの。それは魔界に限りなく近い性質を持っているからなんだけど、あそこはセタンタに任せるには勿体無いくらい、かなり質の高い異界だったの」
「住み心地の良い異界は概して、強力な悪魔が主であるのが常です。今回はミスマッチを狙って奪いにかかったといった具合ですか……」
「多分、異界を通して何かしらの大悪魔を人間界に召喚したいんだと踏んでる」
「安定しない場所で呼び出しても力が削がれちゃうから、良い環境で呼び出したい……。理屈は分かるんだけど、こちらにも面子というものがあるから……ね?」
佐倉女王も野崎王もあからさまにしているわけではないが、怒っていることは見て取れる。それなりのお灸は添えてやる必要性がありそうだ。
「端的に述べて、セタンタを撃破するような相手は私には荷が重いというのが正直なところです」
「殺してください。……とまでは言いません」
「今のところ、相手の動きが迅速で状況が掴み切れていないんだ。だから足回りが軽くて契約に忠実で、ガイアーズ相手に情でほだされないダイナに、偵察を頼もうってことになった」
確かに秩序志向の自分は契約への忠実さが売りではある。
しかし、どうしたものか。
「それはまた、ハードな依頼で……」
「悪いとは思っている。だから報酬も弾むつもりだ。依頼内容は威力偵察。敵戦力と陣容を調査、できれば多少削って欲しい。敵が儀式を始めている場合──」
「召喚妨害して一泡吹かせてくれたら、さらに報酬を上乗せ!」
戻ってこればそれでよし。戻ってこなければ私レベルで対処できない強さの敵がいると“分かる”。二流程度のフリーランスへの待遇としては、妥当な依頼内容ですね。
「説明はこれで終わりなんだけど、何か質問があれば分かる範囲で答えるよ」
御二方の一応の説明が終わると、マリアがそっと耳打ちをしてきた。
「条件的には厳しい所ですが、妥当な範囲かと」
「……ええ。危険であることに、かわりはないけど」
まず、威力偵察という時点で一戦交えるのは確定。そうなるといくつか知りたいことと、欲しいものがある。
「事件発生からの時間経過を」
「三時間前後ってとこか? 向こうから妖精が逃げてきて発覚。興奮と混乱気味だったから、この場には同席させてない。刺激的なことが起こると感情的になりやすいのは、妖精の悪い癖だ」
「では、戦力について」
「出入口を封鎖してたのは、数を合わせても三流程度のガイアーズ。それくらいしか分かってないので、そこは問題なく突破できそうなダイナさんに連絡したの」
「引き際の判断は、独断でも? また、それに関して支援が貰えれば」
「撤退支援に関しては姿隠しなんかが得意な妖精を異界の入口近くに待機させる予定だ。情報が入るに越したことはないから、逃げる分には支援する」
攻める分の戦力は相手の戦力次第で動かすために温存したい。ただし情報が入る分には今後が動きやすくなるから支援すると、実に分かりやすい。後は……裏がない、というところも大きな利点として見れる。
「──最後に。報酬の具体額は」
「こちらの業界で重要視される物資を一通り。後は、儀式も妨害出来ればさらにこれを」
「これはまた、随分と豪華ですね」
控えめに言って、贅沢をしなければ数年は軽く生活できる程度の額。とはいえ、この業界にいる限りは入用も多いから、この程度の額は数か月と持たずに消えるのが関の山。
しかし命を懸けている以上、そこの手を抜くとただでさえ短いであろう命をさらに縮めることになる。……何とも世知辛い業界だ。
「危険も多いから……。出来ることなら、ダイナさんとはこれからも仲良くしたいし」
「それは、ありがたいお言葉です」
撤退は任意のタイミングで無問題。戦闘も出入り口のみであれば負けることも少ないはず。それに、この依頼を成功させれば妖精郷への信頼も上げられる。
邪な考えと思われるかもしれないが、この業界でどこかしらの組織に貸しを作れるというのはとても大きい。気に入られすぎるとそれはそれで別の問題を生んでしまうこともあるが、駆け出しから脱した程度の実力しか持たないような自分にとっては、またとない機会。
「質問は以上です。……この依頼、確かにお受けいたします」
「必ずや、朗報を」
「ありがとう。期待してるからね!」
依頼を受け、妖精郷を後にした足で早速例の異界へと向かう。
「今回、敵戦力を調査する時間はない。というより、敵戦力をぶっつけで調べるのが依頼内容です。危険は承知の上、こちらから仕掛けて様子を見ます」
「ええ。深入りしすぎなければ問題はありません。慎重に判断しつつ、戦闘時は果断に……いつもどおりです」
この業界にいれば罪を罪と思わず、弱き者を食いものとし、さらに罪を重ね続ける者は多い。そして、自分もそういった者たちを手にかけている。この世界に足を踏み入れてからどれほどの命を奪ってきたか……もう、分からない。
それでも……。
メシア教を抜けた私は今でも神を信じ、困っている人がいるならば手を差し伸べ、罪を償おうとする人がいればその機会は与えられるべきだと、私はそう信じている。