第1話

小鳥たちの可愛らしいさえずりを聞きながら、食事をキッチンからリビングへと運ぶ。

「おはようございます。ダイナ様」

そう言って声をかけてきたのは、金色に輝く甲冑に身を固めた乙女──マリアだ。

「おはようございます。朝食の支度が今出来たところです」

先ほど焼き上げたトーストに青々とした緑野菜のサラダに半熟に仕上げたゆで卵を切り分け、飲み物としてコーヒーを用意し、シュガーポットとミルクピッチャーを準備する。

「いつもありがとうございます。では、冷めぬうちにいただきましょう」

先に椅子へ座るマリアに続き、自分も椅子に腰を下ろす。
彼女、マリアは人に近しい姿をしてはいるが、人ならざる異形の存在“悪魔”であり──彼女は天使だが、精霊なども含めてそう総称される──私の仲間……いや、仲魔である。
この帝都と呼ばれる都市には闇と称される場所が事実としてあり、そこには伝承上の存在が現実性を持って存在している。そして、それらと向き合うことを生業にする者たちもまた、存在している。
私はダイナ。フリーの悪魔召喚師(デビルサマナー)であり、神の愛と救済を奉ずる大宗教組織、メシア教団の聖堂騎士(テンプルナイト)であった。
マリアが黙々と食事に手を付けている前で、私はコーヒーに砂糖とミルクを少しだけ入れてゆっくりと混ぜ、一口つける。
口の中に広がる苦味に、つい眉間にしわを寄せてしまった。

「ごちそうさまでした。今日も良い腕前でした」

食事と、それを作ってくれた人に対してきちんと感謝し味わうために、食前の祈りから“ごちそうさま”までは極力言葉を発さないようにしている。とはいえ状況次第ではあるし、さほど強固な習慣にしているわけでもない。
ただ……そう。お互いの性格も相まって、純粋に言葉数が少ないだけなのも、否定はしない。

「時にダイナ様。それほどに砂糖とミルクを入れては、コーヒーというよりカフェオレです」

「……コーヒーは苦手です」

「私に合わせる必要はないといつも言っております。ご自身のお口に合うものをご用意くださいませ」

成人をしてからしばらく経つというのにいまだにコーヒーも紅茶も美味しいとは思えず、好んで口にするのは水やお茶など無難なものばかり。別にコーヒーを飲めるようになれば大人になる、というわけでもないことは重々承知しているが、それでも依頼を受ける場などで自分だけお茶というのも気が引ける。
だから、ブラックとは言わずとも普通に飲める程度には慣らしたいと思っているのだが、いざ飲むとなるとどうしても砂糖とミルクをたっぷりと入れてしまう。

「流石に、諦め時なのかな」

「何事も無理はいけません。飲めないのであるならば最初からお断りするのも、大切なことかと」

まったくだ。人の命がかかっているならばいざ知らず、コーヒーが飲める飲めないで悪戦苦闘しているとは我ながら呆れる。ただ、そうしたことに気を悩ませていられるのも平和であるが故と思えば、それも悪くはない。

「さて、ダイナ様。今日のご予定は?」

「困ったことに、何も。仕事柄、ない方が良いことも否定しないけど、自由業故の辛い部分だということも否定できないですね」

稼業の景気はそこそこ。一度にたくさんの仕事が舞い込んでくることもあれば、時には仕事の無い日も続く。そのため贅沢などは出来るはずもなく、こうして暇を持て余すことが多分にある。自分にもう少し名声や実力と言ったものがあればまた違ったのかもしれないが……たらればを言っても仕方がない。

「ごめんなさい、マリア。私がメシア教団を抜ける際、わがままで貴女まで連れ出してしまったばかりにこのような苦労を」

「お気遣いなく。私はそのように思っていません。それに何より、ダイナ様のお傍にお仕えする事こそが、あの方と交わした最期の約束なのですから」

──最期の約束。
今から十数年前に起きた、野良悪魔の大暴動。一体どうやって契約すらされていない悪魔たちがあれほどの軍勢を率いて帝都で暴れたのか、原因は未だ謎に包まれている。
この事件を鎮圧するために大きく動いたのは神の愛と救済を奉ずるメシア教団と、自由を重んじ実力主義を掲げるガイア教団であった。
相反する思想を持つために分かりあうことはなく、顔を合わせるだけでも一触即発になることもある裏社会のトップ組織が独自に野良悪魔の暴動を鎮圧しようとしたために入り乱れの混戦となり、お互いに大きな被害を与えた。
もちろん、こうなった原因はただメシア教とガイア教の者たちが顔を合わせたから、という簡単な話ではない。野良悪魔たちが暴れ出した原因が分からない、というところが大きな要因となってしまったのだ。
互いを敵視するあまり、メシア教はこの事件の背景にガイア教が絡んでいると考え、また同じようにガイア教もこの事件の背景にメシア教が絡んでいると考えたため、被害は拡大した。
当時小学生にも満たない年であった自分が現場に向かわせてもらえるわけはなく、聖堂騎士であった両親の無事を願いながら見送ったことを今も覚えている。
しかし、いくら待てども母も、父も戻ってくることはなかった。
戻ってきたのは母の仲魔であった≪天使≫パワーであるマリアと、母が愛用していた多節槍レヴェヨンだけだった。父に関しては遺骨はおろか、遺品すら一つとして見つかることはなかったそうだ。

「私たち悪魔とは概念そのものであり、この地上……人間界とでも呼びましょうか。概念を元に人間界へ姿を体現しています。元としている概念は同じで、その部分が≪天使≫パワーという存在です。ですが、ダイナ様が契約している≪天使≫パワーと、他の召喚師が契約している≪天使≫パワーは概念としては同じでありながら、別個体として主にお仕え致しております」

「別個体であることを確固たるものにするために、召喚師(サマナー)が仲魔にした悪魔は“名前”を持って現出する、でしたね。野良悪魔の時の姿と、契約後に召喚した悪魔の姿が異なるのもこれが起因していると」

「そのとおりです。そして一度現出してしまえば、自分の元いた世界に分霊が帰還することがない限り、どのような事があってもこの姿が変わることはありません。ですから、次はこの姿を望む者と契約を結ぶのですよ。我が主」

私のことを主と呼ぶマリアの言葉に繕いはない。本心からの真っ直ぐな、それでいて私の考えていることも分かっているという表情を向けられては──。
自身が未熟であるということを実感せざるを得ない。

「私はダイナ様の母君、エイル様と契約を結んだ時にマリアという名を持って現出しましたが、元は大天使パワー。神の意志を人間に伝える役目を担っている天使であるのです」

目を細めながら私を見つめるマリアは、さらに言葉を続けた。

「どうぞ臆することなく、前へとお進みください。ダイナ様は間違いなくエイル様の娘であり、私が仕えるに値するお方であると確信しております」

本当にどこまでも気品ある振る舞いで、それでいて厳かで……。

「ありがとう。貴女が傍にいてくれて、本当に良かった」

「そのような言葉をかけていただき、痛み入ります」

「私も、その言葉を裏切らないよう努力を──」

言葉に重なるように、携帯の呼び出し音が部屋に響く。
さっと携帯の画面を確認すれば、それが仕事の依頼であることがすぐに分かった。マリアは何も言うことなく、連絡に出るよう目線で促してくれる。私もそれに軽く頷き、電話に出た。

「こちらダイナ。……はい、妖精郷のほうから──はい。では現地で」

手短に用件を聞き終えて通話を切れば、既にマリアは席を立ち、どういった旨の依頼内容でも動けるように準備を始めてくれていた。

「マリア、仕事」

「妖精郷となると、野崎様と佐倉様ですね」

妖精郷は言葉どおり、悪魔の中でも≪妖精≫という種族たちで構成されている。
その郷を治める≪妖精≫オベロンである野崎梅太郎王と≪妖精≫ティターニアである佐倉千代女王はそこらの悪魔に引けを取らない程度には実力も、政治力も持ち合わせている。
それに妖精という種族そのものが基本的には温和であるため、これと言った敵外勢力がいないというのも大きな特徴である。もちろん、お二方の手腕があってこそ成り立っている面も見逃してはならない。

「緊急の荒事。相手はガイア教団絡みの可能性があるとのこと」

「それは、気合を入れなくてはいけませんね」

「誰が相手でも油断はない」

裏稼業なんてものに手を染めている以上、どんな小さな依頼でも気を抜けば足元をすくわれる。それだけで済むなら、むしろ運が良すぎるぐらいだ。

「ええ、そうでなくてはいけません。……では、行きましょうか」

マリアの言葉に私は頷き返し、ケースに母の形見──多節槍レヴェヨンが入っていることをきっちりと確認し、家を後にした。