「真っ白な空間だけど、夜になると暗くなって月だけは昇ってくれる……。
おかげで体内時計はかろうじてイカれたりしないし、ありがたい話だよ」
「月齢は悪魔の凶暴性や、悪魔合体の事故率にも関わります。
ですから、常に注意を払わねばならない重要事項……」
……マリアと、こうしてゆっくり話すのはいつ振りだろうか。
少し前まではこれが当たり前だったはずなのに、最近は忙しかったことと、
私の周りに少し、人が増えたこと。
この2つが重なって、本当に久しく感じる。
「ダイナさま」
「ん? どうかしましたか?」
「ダイナさまが『正義』を信じて戦うならば、
私はその正義を貫けるように体現する。
それが『権天使』の務めであり、誇りです」
「突然何を言い出すかと思えば……、マリアの意思の硬さには敵いませんよ。
では私からも急ですが、改めてお礼くらいは言わせてください。
涼太の件でも随分苦労をかけましたし、これからも苦労が重なるでしょうから……」
「いえ。重なりはしないでしょう。……重ねてはならないのです、我が主」
「マリア……」
「私はいずれ、貴女の成長に追いつけなくなる。
悪魔とは基本的に完成度の高い存在、人間ほどの豊かな可変性を有しません。
これから先も『天塔』を登られるならば、私のことも合体の素材として、お使い頂さい」
「い、いやでも、急にそんな……」
「足手まといを連れて登れる道行きとお思いですか?
……主ならば、分かっておいでです」
急にそういわれても、すぐに飲み込めない。
頭では分かっている。分かっているよ。だけど、マリア……。
「心配には及びません。私はしょせん分霊の身。
他の悪魔との融合儀式に供されようと、なんら恐怖も嫌悪もありません。
『その時』が来たらどうか、躊躇わぬよう。それが私の、最後のご奉公となるでしょう」
残ってほしいと思うのは、私のわがままだ。そしてそれを実現できる権限を、私は持っている。
だが、それをしてしまえばもっとたくさんのものを失う可能性が高く……いや、必ず何かは失う。
それに、マリアはそんなことをする私を望んではいない。
「貴女の言うとおり、です。マリア……。
その時までよろしくと、そう言うしか……。
……マリアが居なくなると寂しくなりますね。
それに家事をしてくれる者がいなくなってしまう。
今考えると、私は女らしい事なんて何一つしてこなかったですから……」
「女だから、男だから。というものに縛られる必要はありません。
どんなものも、適材適所です。家事のことは、今のうちに涼太さまにお願いしておきましょう。
……不思議なものです。
私に消滅を恐れるような感性は、存在しないはずなのですが。
それでも少し、寂寥(せきりょう)感のようなものは──あるような気がします」
「……悪魔召喚師などという職の宿業を、今ひしひしと感じています。
出会った頃から迷惑をかけどおしで……沢山の負担も、かけてしまって。
私は、マリアの忠義に相応しいものを、返せていましたか?」
「──……確かに、昔は大概でしたね。
戦士としての完成度は高かったですが
聖堂騎士としては、少々難アリというか……」
「あー……あの頃は本当その……お恥ずかしい」
「今だから聞きますが、あれはどうしてそうなったのです?」
「その……まぁ、別に珍しい話ではないのですが。
生まれつき『風を操る能力』なんて持った子供が、どんな育ちをするかというと、ね?
お察しというか、そんな具合でして」
どこかに自分の居場所があるわけでもなく。
ただ、たまたまふらりと入った路地裏で悪魔と対峙して。
で、たまたまそいつらを引き裂ける程度の能力はあったから、
『ああ、なんだ。これで食べていけるじゃないか──と』
「そういう独覚の異能者は、たいていどこかの組織が拾うわけですが。
たまたま私を見出したのがメシアンだった。メシア教に属したのは、ただそれだけ。
丸暗記のノリで教義も覚えて、適当にそれっぽいことを言えるようになって。
“師匠”の教えよろしく、異能の制御技術を磨いた結果が……
うん、大概へその曲がった子だったわけで……。
本当、あんな状態の私を押し付けられて……マリア、大変でしたね」
「……そうとは知らず。当時はずいぶん無礼な言動を」
「確かに衝突もしたけど、マリアと、アティのおかげです。
曲がり者なりに、まっとうな道に立ち返れたのは」
「……その、彼女のことは」
「……生きていたら、数々の無礼を謝罪したいのですが。
一度、激昂して胸倉を掴みあげてしまったから……。
時間はあったのに、あの時は素直になれなくて。
だから謝って、それからどこかに連れ出して。
……なんて夢を見てしまいます」
あの時、彼女は許してくれた。なのに私は意地を張って、結局最期まで謝れずじまい。
「……彼女は死んだ。 認めていますよ、マリア。
死体を見たわけではないとはいえ、特に偽報を流す理由も思い浮かびません……。
当時の彼女は既に、『歌』に蝕まれて死に体だった。
どう考えても、そのまま死んだと見るのが妥当なのも分かっています。
「私もまた……貴方を置いてゆくことに、なりますか」
「違いますよ」
単なるクズだった私に、まっとうな知識と教養を仕込んでくれたのも。
所作や立ち居振る舞いを教えてくれたのも。
すべて、マリアのおかげですから。
「貴女は私に『遺していって』くれる。
断じて、『置いていく』わけじゃありません」
「…………」
「この振る舞いも頭の中身も全部、貴女が遺していくもの。
まさに『権天使』という、名前のままに」
「そうですね。ええ、それでこそ、問題児を相手に苦労した甲斐があるというものです」
本当に、感謝していますよ。
だけどもう少しだけ、私の傍で、私とともに歩んでほしい……。