第6話

「それじゃあ、報告してもらってもいいかな? まず、依頼自体はどうなった?」

──あの後。
間一髪のところで異界を飛び出ることが出来た私とマリアは情けなくも地べたに座り込み、ただただ息を整えることしか出来なかった。そして今は様子を見に来た佐倉女王に助けられ、ある程度の体力を回復して頂いた。

「身柄の保護、助かりました。……異界内部に入り込んでいた敵は掃討。手下人はガイアーズ。【皇帝】赤司征十郎の意図だと」

「そっか……。セタンタを倒すほどの相手については?」

ここに関しては当然の疑問。依頼を受けるときに、自分からも荷が重いと発言しているから。

「手下人によれば、倒したのは外部からの雇われ者だそうです。しかし、侵入した時には既に姿はありませんでした」

「なるほど。……それは運が良かったですね」

「ええ、本当に」

ここまでは妥当な報告内容でしょう。仮に、佐倉女王が気づいたとしてもフリーの同業者同士の庇い合いはよくあることですし、依頼自体に支障を与えたわけでもないので問題ないはず。

「もういくつだけ質問するね。この異界の状況はどうなっているのか、分かる?」

「異界に潜入した際、既に召喚の儀式が行われていました。そのため契約に沿って攻撃を仕掛けたところ、召喚陣が暴走。結果、異界内の構造が変容するほどの魔力などが逆流した……のだと、思います」

「私も、セタンタに渡した時からこんな様相であったなんて覚えはないんだけど……異界が変容したの? それが本当なら、高等な儀式であったことは間違いなさそう。でも、異界自体を管理する者がいないのに、ここまでの規模になるはず……」

佐倉女王も頭を悩ませているようで、色々と不穏な言葉や耳にしたくない情報が聞こえてきそうで聞こえてこない今の状況も中々に肝が冷える。
ただ、私としてもこんな異界は見たことがない。というより、元々あった異界の規模が大きく変容するなど聞いたこともない。
これ以上、下手なことに巻き込まれないと良いのだけど。

「さっき、儀式に使われていた召喚陣が暴走したって言ったよね? もしかしたらなんだけど、その誤作動でダイナさんが召喚されたとご認識してしまったとか?」

「…………佐倉女王。お言葉ですが、それはどのような悪い冗談でしょうか」

「えっとね。あくまで仮説なんだけど、ないとも言い切れなくて。主を失った異界って、放っておくと大体一日ぐらいで元の土地に戻っちゃうのは知ってるよね?」

「はい。基礎的なことぐらいは」

一般的に、階層が多いものほど質の高い異界と呼ばれる。
次に、異界はどんな人物とでも良いので契約を結び、自身にとっての主を作りださないと現出し続けることが出来ない。
そして、質の高い異界であればあるほどマグネタイトを維持し続けるために契約の力が必要で、契約が結べていない質の高い異界は地上に現出出来たとしてもすぐに消えてなくなってしまう。
だから悪魔はマグネタイトを溜めて異界を作って契約を結んで主になったり、元からマグネタイトが集まって出来上がっている異界と契約を結び、主になる。もちろんこれは、悪魔にとって快適なねぐらであるからというのもある。
ともかく、従来通りの法則が正しいのであれば、これほどまでに質の高い異界は今すぐにでもマグネタイトが霧散して元の土地に戻っていくのが道理なのだが……。

「セタンタが主として切り盛りしていた時も悪魔にとってかなり快適な異界だったんだけど、当然その主がいなくなってしまえば異界は消えてしまう。だから、新しく召喚する〝何か”に、この異界の主となる契約も召喚術に織り交ぜていたんじゃないかなって」

「なるほど。その契約が召喚術の暴走した拍子に、私に移ってしまったかもしれない、と」

「今回のことは何もかもがイレギュラーだから、全てを疑ってかかるぐらいがいいかなって。もしかしたら、マリアさんに契約が飛んでいるかも……。ともかく、一度妖精郷に戻って調べましょ?」

「そうして頂けるとありがたい。ただ……その仮説が立証された場合は?」

「異界を他者に譲るには、異界の主である者が最下層に辿り着いてないとダメだから、そうなった場合はダイナさん自身が一度最下層まで降りてもらって、その後返してもらうって形で大丈夫だよ」

あまりの衝撃的展開に、この時の私はただただ仮説が外れてくれていることを願うことしか出来なかった。放心状態に近い状態の自分がどうやって妖精郷にまで戻ったのか……あまり覚えていないが、多分マリアに引きずられる形だったのだと思う。
その後は野崎王への依頼報告もほどほどに、マリアと一緒に検査を受けることになった。

 

そして、端的に言えば佐倉女王の仮説は大当たりだった。

「なんというか……控えめに言ってご愁傷様だな」

「野崎王。畏れながら、私はどうなるのでしょうか」

「依頼自体はしっかりと果たしてくれた。だから報酬はきちんと払う。……その上で、異界の事なんだが」

「ダイナさんに委託することにしました。無期限であの異界はダイナさんの好きなように使ってもらっていいから、いつの日か最下層に辿り着いて、異界探索に飽きたなあって頃に私たちに返して貰えたらなって」

「この際だからはっきりというが、異界と結んだ契約を切る手段は三つしかない」

「もしかしなくても、一つは異界の最下層に到達して自ら契約を切ることを異界に承認させることで、あっていますか?」

「そうだ。異界としても最下層に辿り着く実力を持っている主の意思を無視することはないからな。後は異界を他者に移す契約もやることは同じだ。最後の一つは、主となっている者の生命が断たれた時だな。主が死ねば当然、異界との契約も切れて消える」

「まあ……そうですよね。ただその方法はちょっと、ご勘弁願いたいなと……」

「もちろんだよ! 私たちがダイナさんを手にかけるなんてこと、それこそ妖精郷にとって見過ごせないようなことをしない限りは大丈夫だからね?」

さらっと釘を刺してくるあたりが怖いです、佐倉女王。
今の私が御二方に手をあげられたら挽肉で済むかどうかも怪しい。つまりそこまでの脅威ではないということなので、満面の笑みに浮かぶ威圧感を抑えてください……! なんて、言える空気じゃないのが胃にきますね。

「全貌も分からないままだが、あの異界は見た限りでも相当にでかい。うまくやればいろんな物資とかがタダで手に入る。決して悪い話ばかりではないと思う」

こんな仕事をしている以上、いつ如何なる時に分を超えた出来事に巻き込まれるかなんて、分かったものじゃない。巻き込まれれば最後、己の骸を晒すことになる。私が生きている裏社会はそういった場所だ。
だからこそ、そういったことに出来る限り巻き込まれないよう、うまく立ち回ってきたというのに、まさかこうもあっさりと今までの努力が水泡に帰すとは……何というか、言葉に出来ない。
とはいえ、嘆いてばかりいられないのが現状だ。とんでもないことになったのは事実だが、死んだわけじゃない。
むしろこれは大きな機転。異界を持つなんてことは願っても早々手に入れられるものじゃない。ちょっと死ぬ気で最下層を目指して、その道中で手に入れられる物資などを頂いて、ささっと異界を妖精郷にお返ししてしまえば良い。
たったそれだけのことじゃないですか。
異界の方からウェルカムといって足を掴んで離してくれないことと、異界が全何層で出来ているのか分からないということにさえ目を瞑れば、千載一遇のチャンスです!

「異界の主とは、具体的に何を」

「まずは踏破した階層に寛げる空間を作って、そこで生活するといい。後は何層まであるのかを把握しておくこと。当面は探索が仕事になるだろう」

「気を付けないといけないのは、異界を留守にし過ぎることかな。空き巣を狙っている悪魔って意外と多いから。それを抜きにしても異界の主になってしまった以上、長くの間戻らないと体に異変が起きちゃうの。使役している悪魔たちとはまた違う種類の契約を結んでいる状態だから、一か月以上異界に戻らないと恐らく異界そのものがダイナさんを食い殺しちゃう」

「契約に沿って、私の生命力を異界が奪い取りに来ると。しかし、契約を切るにしても最下層に辿り着くことが条件だというのに、よく分からない仕様ですね」

「人間のダイナさんには分からない感覚かもだけど、悪魔である私たちと同じように、異界にも意思があるの。それで、異界にとって契約っていうのは、いわば結婚みたいなもの。だけど、結婚したのにずーっと相手が帰ってこないのは、寂しいよね?」

「それは、確かに」

「だから、あなたが帰って来ないのなら私にだって考えがあるんだから! っていうのが、契約に沿った生命の吸収。その後は主を失った自分も消滅って感じかな。もちろん、消失までに他の主が出来ればその限りじゃないけど」

佐倉女王の説明は何というか、とんでもないドロドロとした恋愛模様を語っているようにしか聞こえないのですが、とにかく言いたいことは分かりました。
つまり、これが世に聞くヤンデレというものですね。
……いや、違うか。

「まあ、異界にはマグネタイトの他にも道具や魔貨の宝庫でもあるから、ダイナの都合のいいように利用してやるのが賢い経営方法だと思うぞ」

まとめると、私は先ほど変容を来たした異界の主となってしまった。異界は妖精郷に返す必要があるが、そのためには一度最下層にまで辿り着かなくてはならない。
また、異界そのものと契約を結んでいる状態なので、異界に干渉しないなどといった抵抗を一ヶ月ほど続ければ、契約の力を使って異界そのものが私の生命力を文字どおり死ぬまで奪い続ける。
ただ、メリットを上げるとすればマグネタイトが潤沢なので訓練場としては持って来いの場所であることと、そこ自体に便利な道具やこの業界での通貨である魔貨なども稼げる、といった具合か。
控えめに言って、迷惑極まりない。
あんな地獄と化した場所で住み込みで働くなど、一体なんの冗談だろうか。壁紙は今にも呪詛を吐き出しそうな人の顔で、床は赤黒いと来たものだ。……気が狂いそうですね。

「そうだ! 新居祝いぐらいはさせて? 異界と言ってもきちんと作ればそこらの家より立派な内装に出来ちゃうから」

「それは朗報ですね。どうあがいたところで主になってしまった以上は引き受けざるを得ませんので、今後ともお世話になります。いつになるかは分かりませんが必ずや、お返し致します」

「ダイナは義理堅いから、そこに関しては何も心配してない。うまく切り盛り出来ることを祈らせてもらおう」

「感謝いたします」

こうして、私は異界の主となってしまい、流れるがままに異界経営をすることになった。大変なことなのは間違いないにしろ、ただの大きな異界であるからどうとでもなると、この時は本気で思っていた。
だから、ここが異界などといった生易しいものからさらに別のものへと変容していようとは私を含め、誰一人として知る由はなかった。