「待てー!」
叫びとともに野原を走っているのはリエル。彼女の前には何やら半透明のぶよぶよした青い生き物。……世間一般で呼ばれる名称としてはスライムだろうか。それを追いかけ回していた。
「えーい!」
掛け声とともに、リエルは半透明のスライムに向かって思いっきり飛びかかる。
「Catch!」
身体の前面を地面に打ち付けながら、その手の中にはしっかりと半透明のスライムを掴んでいる。すると、掴まれたスライムはフワフワと宙を舞い始め、何やら真っ黒焦げになっている本来の身体へと吸い込まれていった。
「スライム、救出するでチュ。チュピピピピピ」
今度はヘンテコなUFOが飛んできて、元に戻ったスライムをどこかへと連れて行ってしまった。
「バージルさん! なんとか助けてあげることが出来ました!」
服に着いた土を払いながら、笑顔でバージルに駆け寄る。痛かった以上に先ほどのスライムを助けることが出来て、嬉しさの方が勝っているようだ。
「あの程度の動きにいつまで翻弄されている」
「バージルさんが手伝ってくれたら、もっと早く済んでいたんですよ?」
「くだらん。……そもそも、なんだここは」
二人が今いる場所。それはなんともヘンテコな世界だった。
力を求め続けるバージルの、当てのない旅に同行していたリエル。彼の力になりたくて一生懸命ついてきていたと思えば、何故か変な世界に迷い込んでしまったらしい。
ここでは『勇者』という人物が、何の罪もない『アニマル』と呼ばれる生き物たちを殺して経験値を積んでいるというのだ。そんな恐ろしい事をする勇者を止められるものはどこにもいない。
だが、殺されてしまったアニマルたちの魂……先ほどの半透明な姿の彼らをどういう理屈かは知らないが、リエルとバージルであれば元に戻してあげられるというのだ。
……とかいう全く意味の分からない説明を受けた二人。そもそもここは何処だよ、という肝心な説明もないままに、何故かアニマルたちの魂を集める羽目に。
あまりにもくだらない世界にバージルは完全に意気消沈。せめて誰にも止められないと言われている勇者と戦えるならば、多少なりともやる気が出るものだというのに、そいつがどこに行ったかはさっぱり分からない。
そしてバージルの後をついてきているリエルは、何をそんなに奮闘しているのだと理解に苦しむ程度には、アニマル救出に精を出している。
「ここがどういった世界なのかは私にもわかりませんけど……。でもでも、アニマルさんたちを助けたら『ラブ』が頂けるっていうじゃないですか。それって、とっても素敵じゃあありませんか?」
何やら、人と交流したりアニマルを救うと、ラブが貰えるらしい。
ラブを集める。その素敵な言葉の響きにリエルは惹かれたようで、こうしてバージルへ一緒にアニマル助けをしようと持ち掛けているようだ。
もちろん力以外に興味のないバージルが乗ってくれるわけもなく、先ほども一人で追いかけっこをしていたのだが。
「ラブだと? 笑わせる。そんなもので一体何が守れるというんだ」
「少なくとも、私はバージルさんに心を守っていただきました。……それもラブじゃありませんか?」
リエルは自分が半人半魔であることを嫌っていたが、バージルにそれを受け入れてもらえたことが──バージル自身は受け入れたつもりはない──嬉しかったようで、こうして共に旅をしている。……それまでにもかなり強引な手段でバージルを折れさせているのだから、リエルはなかなかのやり手である。
「勝手に言っていろ」
何を言ってもリエルが折れないことをここしばらくの間で嫌というほど思い知ったバージルは話を切り、行く当てもなく歩き出す。
「あ……バージルさん! どこに行くんですか?」
「勇者とかいう奴を探す。……そいつを殺せば全て解決するのだろう」
「えぇっ!? そ、そうでしょうか……って! 待ってくださいよー!」
確かに、アニマルを殺して回る勇者がいなくなれば、このような魂集めをしなくて済むという理屈は通っている。しかもバージルであれば、誰にも止められないとか言われている勇者が相手であろうと、後れを取るとは思えない。
しかし、勇者はこの世界から『月の光』を奪ったとされる『ドラゴン』を倒すために、街からの代表として戦いの地へ赴いているのだ。そんな相手を殺してしまっていいのだろうか……?
いや、いいわけがないだろう。
こうしてリエルはアニマルたちの魂集めよりも、バージルを止めるべく後を追いかけるのだった……。
結局、勇者を見つけられないまま数日が経った。その代わり、この数日でリエルには二つの変化があった。
そうなった経緯は、この数日間で見た夢がきっかけだった。
はじめは幼い男の子が泣いている夢だった。その男の子は……。
「毎日毎日、怪物に襲われる夢を見るの。怖いよ、助けて」
と、自分のおばあちゃんに泣きじゃくりながら助けを求めているものだった。
あまりにも鮮明過ぎる夢に嫌悪感を覚えたリエルだったが、残念なことに夢に出てきた男の子には全く知らない子であったため、深くは考えなかった。
しかし、その夢は毎晩続いた。毎回、男の子が泣いているところから始まり、おばあちゃんに助けを求める。そして日を追うごとに、その夢は男の子の続きが見えるものへとなった。
二日目に見た夢は、そんな泣きじゃくる男の子に、おばあちゃんから冷たい言葉が掛けられるところだった。
「残念ですが、それは夢ではありません。小さな英雄さん……。あなたは、今まで数えきれないモンスターたちを殺してきたのですよ」
三日目は、そんなおばあちゃんに抗議する男の子と、それに対してさらに冷たい言葉を投げかけるシーン。
「自分の殻に逃げ込もうとしても無駄です。私はあなたに心の準備をしてもらうためにやってきました。これからあなたは百八の傷ついた者たちを癒やし、嵐の日……」
三日目はここで目が覚め、夢の続きは分からなかった。……分からなかったが、これ以上こんな夢を見続ければ、自分がおかしくなってしまいそうだと思ったリエルは、くだらないと一蹴されると思いながらもバージルに相談した。
すると意外にも話を聞いてくれたバージル。どうしてだろうかと疑問に思っていると、彼はこういった。
「……俺も全く同じ夢をここ最近見ている」
まさか、二人して同じ夢を見ているとは……。
これには流石に『偶然』という言葉では片づけられなくなった二人。気分が悪くなる夢ではあるが、続きを知ることは、このヘンテコ世界から抜け出すきっかけになる可能性もあるため、二人は同じように4日目も眠った。
四日目の夢は、過激だった。
数え切れないモンスターたちを殺したと言われている男の子は、嵐の日……。
「……殺されます」
これだけでは終わらない。おばあちゃんは無情にも、言葉を続ける。
「けれど、あなたは逃げることは出来ません。あなたは償わなくてはならないのです。覚悟なさい、そして死を受け入れなさい」
聞いているだけで辛くなる夢に耐えられず、リエルは飛び起きた。別の部屋で寝ているバージルの元へ駆け寄った。……しかし、起こすことはしなかった。
……いや、出来なかった。
バージルは寝ている。そして恐らく、自分と同じ夢を見ているだろうその顔は、まるで悪夢にうなされているように険しかった。険しいものであったが、バージルは自分のように起きたりせず、夢を見続けている。
この夢が、ヘンテコ世界から抜け出すための重要な情報。……そう考えているから。
そのバージルの姿を見て、リエルは自室に戻り、目を瞑った。
夢を見るために。
布団に入ってすぐに意識を失ったリエルは、今までと違う夢を見た。
そこはまるで謁見の間のようで、玉座と思しき椅子には先日からずっと出てきている男の子が座っている。そんな男の子の元に、1匹のモンスターがやって来た。
「病を治してくださいな」
「僕、そんなこと出来ないもん」
「いつものように袋から薬草、出してくださいな……」
「……?」
男の子は不思議そうに首を傾げながら、モンスターに言われた通り、袋から薬草を取り出して与えた。すると、ボロボロだったモンスターの身体は綺麗すっかり治り、ありがとうと言い残して去っていった。
……ここでリエルはゾッとした。
そのモンスターとは、リエルがこのヘンテコ世界に来て初めて助けたアニマルのスライムだったからだ。そうして何度も、何度も、何度も。新しいモンスターがやってきては、男の子は言われたとおりのアイテムを袋から取り出し、与え続けた。
そうしていく内に男の子は少しずつ、身体が変化していった。そうして百八のモンスターたちを癒やした男の子は、完全に姿を変えた。
その姿は……そう。『ドラゴン』と言うべきだろう。この世界から『月の光』を奪った、あの『ドラゴン』だ。
ここで、4日目の夢は終わった。
目を覚ましたリエルは全身を汗で濡らしていた。しかしそれにも構わず、バージルの部屋へと駆け込んだ。
「バージルさん……!」
「騒々しい……なんだ! 急に引っ付くな!」
部屋の扉を開けるや否や、バージルの胸へと飛び込んだリエル。先ほどの見た夢が、一体誰のものであったのかが分かってしまい、怖くてたまらないのだ。
「バージルさっ……! 私、どうしよう! やだっ……ドラゴンになんてなりたくないよっ……!」
「落ち着け。お前はアニマルとやらを救っただけで、殺してはいない。それをしているのは勇者と呼ばれる男だけだ」
バージルが引き剥がそうとしていることもお構いなしに、リエルはグズグズと泣きながら訴える。
「でもっ、でもぉ……! 何匹か助けちゃいましたよ!?」
「フンッ。ラブが貰えるのは素敵なことだと言っていたのは何処のどいつだ」
何とも冷たい言葉ばかりが返ってくるが、まあバージルはこれが通常運転だから仕方がない。むしろここで慰められたらドン引きだ。リエルは更なる恐怖へ叩き落される事だろう。そういう意味では、いつも通りの返答が返ってくるのは心地よいものだ。……こんなやり取りになれてしまったリエルは、多少なりとも不憫だと思うが。
……彼らの見ていた夢。それは『勇者と竜の物語』の真実だった。
勇者が月の光を奪ったドラゴンを殺すために、経験を積むという目的でモンスターたちを殺す。そして経験を積み終えた勇者がドラゴンの元へとたどり着き、ドラゴンを殺す。
そうして役目を終えた勇者は夢から覚める。それは幼い男の子だ。だが、モンスターたちを殺したのは夢ではない。だから勇者に殺されたモンスターたちは、癒やしてもらうために『男の子』の元へやってくる。
訳が分からないままに、何故か持っている袋からアイテムを取り出し、モンスターたちに与えて癒やしていく。そうしてモンスターを癒やし続ける男の子はドラゴンへと姿を変える。
ドラゴンが再び現れたことによって、このヘンテコ世界からは月の光が失われる。
何度も、何度も。自分が自分を殺しにくる物語。自分というドラゴンを殺した勇者がドラゴンになり、またドラゴンを殺すために自分という勇者がやってくる。
これが『勇者と竜の物語』の結末だ。
そんなことだとは知らなかったリエルは不幸にも、ドラゴンとなる男の子と同じことをしてしまった。
「だったら今からでもやめるんだな」
「やめます! もう絶対しません!」
これがきっかけで、リエルはアニマルたちを救出しなくなった。そして、勇者を殺そうしているバージルを止めなくなった。
この『勇者と竜の物語』は、勇者がドラゴンを殺すから永遠と繰り返してしまっている。
ならば、どういう因果でここに来たかは分からないが、明らかに部外者である自分たちがその二人を殺せば、この永遠に繰り返されている世界から抜け出せるのではないか。
それが二人の出した答えだった。
向かうはドラゴンが棲んでいると言われる古城。そこに行けばおのずと勇者とも出会えるだろう。
「まさか、勇者以外の者がここへやってくることがあるとは……」
リエルとバージルにそう声をかけたのはドラゴン。
二人は目的地が決まってからの行動は随分と早いもので、夢を見て、そこから答えを弾きだした日の夕方にはもう古城へとやってきていた。
「ドラゴンさん。あなたに恨みはありませんが……ここで討ち取らせていただきます」
真剣な眼差しでドラゴンを見据えながら、リエルは右手を突き出す。中指に付けている指輪がキラリと光り、リエルとバージルを包み込む。
リエルは戦闘能力はないが、絶対防御の使い手。彼女の付けている指輪は魔具であり、その効果は彼女自身の持つ防御をさらに強固にするものだ。
そんな彼女の行動に特別興味もなさそうなバージルは、自分のすべきことをするだけだと閻魔刀の柄に手をかける。刹那、閻魔刀が一太刀振られた。
崩れ去る金属音が部屋に響く。それを合図にバージルがもう一太刀入れれば、今度はどさりと重いものが地面に転がる音がする。そして静寂が訪れ、最後にカチンと閻魔刀が鞘にしまわれる音が鳴った。
「……私の防御、いらなかったですね」
「この程度の雑魚を閻魔刀が切れぬわけがない」
部屋に転がるは目の前にドラゴンの首。そして背後に勇者の鎧。
異界の者の手によって、あっけない結末を迎えた『勇者と竜の物語』。それは同時に、永遠と繰り返される輪廻から解放された事を意味する。
解放された世界は、終わりを迎える。突然世界が光だし、あまりの眩しさに二人は目を瞑った。
光が収まり目を開けば、元の世界。
さっきのヘンテコ世界に行く前の森の中。どうやら帰ってこれたようだ。
「無駄なことに時間を使った」
大した敵もいなかったため、バージルにとってはまさに無駄な時間を過ごす羽目となった数日間。それを取り戻すために、バージルは足早に先へ進んでいってしまった。
だがリエルにとっては、ちょっぴり楽しくもあった。
怖い夢ではあったが、バージルと同じ夢を見れたこと。そして自分がドラゴンになってしまうかもしれないと思った時、お前はドラゴンにならないと言ってもらえたことは、すごく嬉しかった。
もちろん、それは物事を見た結果として導き出された答えだというのは分かっている。それでも、嬉しかったのは事実だ。
「あれもラブ。これもラブ。……って、思ってもいいですよね」
そんな小さな呟きを残し、いつものように待ってくださいと声を張り上げながらバージルの後を追うリエルがいるのだった。