人々に知られぬどこかで、人ならざるものとの戦いを繰り広げている一人の女性がいた。
その女性は愛用の武器を手に、突如として現れた人ならざるもの──悪魔を蹴散らして行く。しかしある日、名も無き世界で好き放題暴れていた悪魔たちを束ね、新たな組織を立ち上げた者たちがいた。
──レッドダウン。
このレッドダウンには総帥と呼ばれる男がいる。
またこの組織には総帥の他にも幹部の男が三人ほどいるとされており、これらの人物の登場によって悪魔たちはその数を減らし始めた。
悪魔たちが世界から消えていくことは一見して、名も無き世界が無秩序から解放されたように思われた。だが名も無き世界で悪魔狩人としてのみ己の存在意義を見出せていた女性にとっては由々しき事態でしかなかった。
己の存在を賭け、レッドダウンを作り上げて総帥となった男に戦いを挑むも、刃は総帥に届くことはなかった。
しかし、このままでは引き下がれない。
こうして自らの意思で新たな戦場の地へと向かった女性──ダイナは今日も愛用の武器を手に、レッドダウンの根城を駆け巡る。
ただしそれは、この戦いが血と硝煙に塗れたものなどではなく、淫欲と快楽に溢れたものであるということも知らずに──。
此処が何処であるのか。それを問うても意味のない処。
ある者は危険な場所だと言う。またある者は世界から捨てられた者どもの集う場所だと言う。だがそれらの表現は全て正しくもありながら、不完全な回答であった。
そんな曖昧な此処に対して、誰かが言った。
──影の世界。
こうして、悪魔たちが蔓延る此処は影の世界と呼ばれるようになった。
そしてこの影の世界ではどれぐらい前からか、毎日のように悪魔と一人の女性の戦いが繰り広げられている場所でもあった。しかし、ここ最近にはめっきりと戦いの足音は消え、悪魔狩人を自称している彼女、ダイナは暇を持て余していた。
悪魔と戦う頻度が減った大きな理由は彼女の中で調べがついている。
原因は、突如として現れたレッドダウンと名乗る謎の組織に悪魔たちが降伏したことにある。以来、今までは影の世界で無秩序に暴れ回っていた悪魔たちのほとんどが忽然と消えてしまったのだ。
時たま見つけることの出来る狡猾かつ傲慢で自分勝手な悪魔が暴れ回ることもあるが、大抵はダイナが現場に向かうよりも先にレッドダウンに所属する何者かが先に狩ってしまうため、最近では完全にダイナは得物を捕らえられなくなっていた。
一見して、無秩序であった影の世界をまとめ上げる組織が出来たことは誰にとっても喜ばしいことのはずであった。だがこの影の世界においては無秩序こそが秩序であると、弱肉強食こそが影の世界の在り方であるのだと考えているダイナにとって、現状は耐え難いものであった。
何の前触れもなく現れた謎の組織連中に、自分の得物をこれ以上奪われては堪らない。そう考えたダイナは今日、レッドダウンの者たちが建てたと思われる城へと足を運んでいた。
「ここが、レッドダウンの本拠地」
仰々しく建てられた城は、まるで影の世界が出来た頃からそこにあったと思わせるほどの風格があった。とはいえ、ここまで来て何もせずに帰るなんて発想は出てこない。意を決して城門を開けようと扉に手をかければ、簡単に開いてダイナを中へと誘った。
急成長している組織だというのに不用心だと思いながら城内に入ると、玄関ホールに三人の人影があった。
「ようこそ、レッドダウンへ」
全員が特徴のある赤いコートに身を包んでいる中で、年長だと思われる男が大きく両手を広げてそういった。
「お嬢さんが一人でこの城にどんな御用で?」
次に口を開いたのは三人の中では一番常識のありそうな男が問うてきた。
「この地で最強が誰であるのか、それを確かめに来た」
不思議なことを口にする奴が来たものだと、男たちは顔を見合わせて首を傾げていた。すると、最も若い男が何かを思い出したかのように両手を合わせた。
「あんた、こっちの世界でずっと悪魔狩りをしてるっていう人間の女か?」
「ええ。貴方たちも影の世界で幅を利かせているのだから、この世界でのルールは知っているはず」
この世界のルール。そんなものは存在しない、というのが影の世界に生きる者たちにとって共通の認識だ。どんなことをしようとも最後まで立ち続けている者こそが絶対の強者であるとされる。そして影の世界においては強者であり続けることこそが生きていくために必要な力であり、また強者であり続ける限りは己の存在を認め続けられる。
影の世界とは、そういう場所であった。
「弱肉強食だって言いたいのか? 別にそれ自体を否定することはねえが、争う理由もねえだろ」
「全くだ。それに俺たちは女子供に手をあげる趣味もないんでね。用がそれだけだっていうなら自分の家に帰りな」
無精ひげを撫でている男は無言でこちらを見つめてくるだけだが、他の二人は興味なさげに女性を一瞥した後、背を向けて城の奥へと足を向けた。
一切の関心を持たれることがなかったダイナは憤り、自身の右手に慣れ親しんだ槍を召喚すれば流石の男たちも身の危険を感じたようで、それぞれが足を止めたり女性の手に現れた槍を視界に入れたりした。
「ほう、なかなかに良い魔具を呼び出すじゃないか」
影の世界では自身の魔力によって武器の強さが決まる。純粋に自身の内にある量が多ければ多いほど、そして質が高ければ高いほど強くなる。
「私はずっとこの世界で戦い続け、そして生き残り続けてきた。それをつい最近現れた得体のしれない貴方たちに、悪魔狩りを邪魔されるのは困ると言いたいの」
ダイナにとって悪魔を狩り続けることは生を実感することと同義だ。だからこそ、レッドダウンなどという訳の分からない組織の存在を認められず、ダイナはこうして啖呵をきりに来たのだ。
「なるほど、お嬢さんの言いたいことが見えてきたぜ。つまり、今まで幅を利かせていた私の許可なく好き勝手してるんじゃないわよ、ってことだな?」
「ダイナよ。……ええ、意味としてはそう取ってもらって構わない」
「オーケー、分かった。それなら、俺たちの実力が本物であるということを証明すれば、納得してお引き取り願えるってことだな」
先ほどまで呑気な顔をして無精ひげを撫でていた男は既に視界から消えていた。そして何が起こったのかを脳が理解するよりも先にダイナの身体が宙に浮いた。
「ぅ、ぇ──」
背後から首を絞められて持ち上げられている。この事実を理解出来た時には武器すらも弾き落とされ、文字通り無抵抗な状態にされてしまった後だった。
「さて。これで降参してくれるよな?」
涼しい顔でダイナを持ち上げている年長の男は窒息させないよう、相手に気を遣えるほどの余裕を見せている。いくら不意を突かれたとはいえ、はっきりとした実力差を見せつけられた瞬間であった。
「や、ぁ……!」
それでも、この時のダイナは素直に己の負けを認めることが出来なかった。だから首に回されている男の腕を掴み、叩いたり爪を立てたりして必死の抵抗を試みていた。
「何の騒ぎだ?」
突如、ここにいる誰でもない者の声が城内に響いた。抑揚の感じられない発音で、そこにどのような感情が込められているのか良く分からない。
「ああ、いや。これは……」
「この女が……あっと、ダイナだっけか? 向こうからいきなりやってきて、宣戦布告してきたんだ」
歯切れ悪く男二人が説明を始めると、再び抑揚のない声でそうかという声を降りてきた。かと思えばさらに言葉が帰ってきた。
「ダイナ? ああ、影の世界においての実力者であるという話は悪魔共から耳にした。──そうか、我々に対して宣戦布告か」
どこからともなく聞こえてくる声に、初めて感情が垣間見えた。何かを心得たかのような毅然とした声はそれだけに終わらず、思いもよらない提案をしてきた。
「我々はその宣戦布告を受けよう。……放してやれ」
指示された年長の男が腕から力を抜くと、ダイナは情けなくも地面に尻餅をついた。そして男たちも今回の件については思うところがあるのか、何かしらの抗議を示そうとする素振りを見せていた。
「戦うことに異論はない。ただし、我々は我々の得意とする手法で狙わせてもらう。これに貴女が勝てたなら、我々はどのようなことでも受け入れよう。だが貴方が負けた暁には……それはその時のお楽しみとしようか」
これを聞いた男たちの顔にはすぐに不敵な笑みが浮かべられた。しかしそれは狡猾で残忍な悪魔の顔ではない。
「彼女と戦う順番はお前たちの好きにすると良い。戦って、俺の元に行かせてよいと思ったら通してやれ」
艶めかしく、色気のある魅惑的な顔を三人の男が浮かべている。ただそれだけの光景であるというのに、どうしてかダイナの奥底に眠っている何かが色づいた気がした。
「では期待しているぞ。──ダイナ」
最後に名を呼ばれ、形容しがたいものが背中に走る。ただそれは悪寒などといった負の感じではなく、まるで身体が何かの喜びを覚えたような感じであった。
「まさかこんなことになるとは思わなかったが、総帥からのお許しが出たんだ。存分に楽しませてもらうぜ?」
「おいおい、あんま無茶して俺の楽しみまで奪うなよ?」
先ほどまで全くと言っていいほどにダイナに興味を示さなかった男たちが今では色めきだち、座り込んでいるダイナを見つめている。これに底知れぬ不安を感じたダイナは逡巡した。
「お前ら慌てるなよ。一応総帥はああ言ってくれたが、提示された条件で俺たちと戦う気はあるか?」
どういうわけか、レッドダウンの総帥と呼ばれる人物によって組織員と戦うことを許された。本来であればそんな許諾を得ずとも力で捻じ伏せれば簡単に事は済むのだが、残念ながら自分にはその力がなかった。
同時に、今与えられた選択肢はチャンスでもある。慢心せず、普段通りの力を最大限に出すことが出来れば、もしかすれば彼らに勝てるかもしれない。そしてそれを叶えることが出来れば、再び己が影の世界においての強者の地位を確立し、生きる意味を見出せる。
この時点で、ダイナにとって断るという選択肢はないも同然であった。
「もちろんよ。二度も同じ手は食わない」
「良い返事だ。なら、ここできちんと今回のルールってやつを確認ておこうか」
その前に自己紹介だと言って、先ほどまでダイナのみ動きを封じていた年長の男が自分の名はおっさんだと名乗った。次に常識のありそうな男は初代、そして半裸にコートという奇抜な着こなし方をしている年少の男は若だと言った。
今回の戦いにおいてのルールは至って単純。
この城には三人の男たちがそれぞれ担当している区画が一つずつある。その三層全てを見事踏破することが出来れば、レッドダウンの総帥を務めるある男の元に辿り着ける。そして見事総帥を倒すことが出来れば、ダイナはレッドダウンに完全勝利したことになり、後はレッドダウンという組織そのものを自由にする権利を得る。
「尋常に一対一の勝負が出来るというわけね」
「ああ。俺たち幹部と戦う時はそういうことになる。最も、俺たちの元にそう簡単に辿り着けるとは思わないことだ」
それなりに緩い条件を提示してくれているが、腐ってもここは敵の本拠地だ。敵を排除するための様々な罠が張り巡らされていることだろう。
だが普段から卑劣な手段を用いて襲い掛かってくる悪魔を狩り続けてきたダイナにとって、それぐらいは想定内だ。罠の一つや二つが凌げなければ、とうの昔に命を落としている。
「問題ないわ。必ず貴方たちを倒して、私は私の存在意義を確固たるものにするだけよ」
「…………。まあ、良い。俺たちも愉しませてもらうぜ」
「準備が整ったらこの先に足を踏み入れな。まずは俺から相手してやるからよ」
そういって真っ先に姿を消したのは若だった。続いて初代とおっさんも姿を消し、玄関広間にはいまだ座り込んだままのダイナだけになった。
「私は負けない。どんなことがあっても、絶対に」
戦うことでしか己の存在を証明できないダイナにとって、敗北の二文字は絶対に許されない。
決死の覚悟を胸に、立ち上がったダイナは幹部たちが姿を消した先に続いている廊下へに足を進めた。──ここから先が、彼女の考えている戦いとは全く違ったものであるとも知らずに。