第2話

男たちの後を追って城の内部へと足を踏み入れたダイナの前に広がったのは、まるで海の中に潜っているかのような一面青い光景であった。
「もう来たのか? ククッ。せっかちなのは嫌いじゃないぜ。そんなに俺とヤリたいってんなら、早く俺の元まで来いよ。無事に済むかは知らねえが……ま、命の保証だけはしてやる」
総帥がしていたのと同じ機能がこの部屋でも使えるのか、どこからともなく若の声だけが聞こえてきた。ただし一方的なものな為か、以降何も聞こえてこなくなった。
若の言い回しには含みが多い。そしてその言葉たちによって、不安をかき立てられている。正直に言って、この廊下を進んでいくことが怖い。
それでもいかねばならない。影の世界において、弱者の立場に成り下がってしまうということは死と同義である。戦わないという選択をした時点で己の命は尽きてしまうのだ。
だからこそ、歩みを止めることは許されない。
己を鼓舞して前へと進み始めたダイナの手には魔力で作りだした槍の武器が握られている。この武器を使って数多の悪魔を葬り去り、強者の立場に居座り続けていた彼女にとっては最も信頼の寄せられる存在。それはこれまでも、そしてこれからも変わらない。
廊下を進み続けてどれぐらい経ったか。いつ来るか分からない敵襲に備えて集中力を保ったままここまで来たが、そろそろ休息を挟まなくてはならないと感じていた。
何が起きても不思議ではないここでは一瞬の油断が命取り。体調は整えられる時に万全にしておくのが定石だ。
辺りを一度見渡す。特に何かが隠れられるような場所はない。もう一度念入りに確認を取った後、何かの気配を感じることもなかったダイナはすぐ傍にある柱に背中を預けて座り込んだ。
息を吐き、集中力を切る。どれだけの鍛錬を積もうとも人間の限界などたかが知れている。大事なのは己の限界を見極め、出来る限り好調を維持することだ。
当然ながら、ここが敵地であるということも忘れてはいない。いつでも万全の状態を保たせてくれるほど、相手も甘くないだろう。ダイナはそのことを理解しているからこそ、早めの休息を取った。
警戒に割く意識を減らし、ぼんやりと天井を見上げた。
深海のような深い場所ではなく、しかし浅瀬とも違う。まさに海水浴に来て人々が楽しむような綺麗な海に潜っているような感覚を与えてくる。時たま上から降り注ぐ光は人工照明なのだろうが、それすらも海面に反射して屈折しながらこの廊下を照らしていると思わせるこの風景は、海といって差し支えない。
もしも人が海の中で呼吸を出来たなら、この景色を何不自由なく体験出来るのだろう。なんて、あまりにも普通の人らしい考え事をしているダイナの身体に、一切の気配を感じさせなかった何かが背後から大量に纏わりつき、彼女の自由を奪った。
「なっ──……。一体どこから!」
あれだけ注意深く辺りの安全を確認したというのに、まさか背後から奇襲を受けることになると思っていなかったダイナは慌てふためく。そのせいで判断が遅れ、武器を手から弾き落とされた挙句、何かに四肢を縛りつけられてしまった。
それは一体どこから現れたのか? 答えは単純で、ダイナが背中を預けた柱そのものが生き物であったのだ。もう少し具体的に言うならその生き物は柱に擬態して、ずっと得物を監視していた。
ダイナの身体を縛り上げたそれはどうにも滑っていて、何とも言えない気持ち悪さがあった。色は赤く、さらには吸盤が大量についていて、どこかで見たことがある風貌だった。
「タ、タコ?」
そう、タコだ。
大きさは食卓に並ぶようなものとは比べ物にならないほどに巨大だが、まさしくタコ。
こんな悪魔は見たことがないと、何よりも力を誇示することこそを美徳だとする悪魔が、まさか擬態などしてくるなど考えたこともなかった。
完全に裏をかかれてしまっただけでなく、相手の思うつぼにハマってしまったダイナはどうにか現状を打開しようと必死にもがく。しかしタコの足によって両手は万歳をするように持ち上げられ、両足は開けないように雁字搦めに縛られてしまっているダイナに出来ることは、ただ全身を揺らすことだけであった。
間違いなく優勢であるというのにダイナが暴れ出したことでタコも何かしらの危機感を抱いたのか、或いは単に気にいらなかっただけか。言葉を持たぬ相手の思想など分かるはずもないが、確かに分かることはタコがさらに自身の足の一本をダイナの顔にこすりつけてきたことであった。
「うっ、んんっ、何なの……! や、やめてっ!」
否定の言葉を口にしながら首を左右に振ってどうにか滑る足から逃れようとするも、所詮は焼け石に水。努力も空しく顔中をベタベタにされてしまった。
だが、このタコの目的が見えない。
普通の悪魔であれば力を見せつけるために相手を殺すのが常である。たまにこうして相手の自由を奪ってから徐々に嬲り殺すことを好んでいる残虐性の高い悪魔もいるが、このタコが今までの悪魔が見せたことのない擬態という手段を用いてきたことを考えると、自分が持ち合わせている悪魔の常識を覆すことをしてくることも視野に入れなくてはならなかった。
どうにかしなくてはと今もなおもがいていると、先ほど顔を粘液でベタベタにしてきた足が再びダイナの顔に近付き、今度は口をこじ開けようとしてきた。これに危機感を抱いたダイナは一生懸命に顔を背けたり唇を固く閉ざして抵抗したがそれも叶わず。押し開けられた隙間に滑った足はすんなりと入りこみ、彼女の口内をいっぱいに満たしたかと思えば喉奥にめがけて何かを噴き出し始めた。
「んんぅ! んぐっ、ふ、ぁ……んっんっ……!」
まさか、タコの足の先端から勢いよく液体が噴射されるなど思いもよらなかった。しかし、現状ではたとえその事実を知っていたとしても喉奥に直接流しこまれているため体内に入れられてしまうことから逃れることは出来なかっただろう。
ただそうであったとしても、来ることが予測できれば多少の抵抗も出来たものを今回はそれすらもさせてもらえず、ただごくごくと情けなく飲み干すことしか出来なかった。
「は、あぁ。う、ぁ……」
ずるりと口から足が引き抜かれるとダイナは頭を垂れ、脳みそが求めるままに足りない酸素を取り入れる。そして朦朧とした意識をどうにか繋ぎ止めながら先ほど飲まされた液体が何だったのかを考え、顔を恐怖に歪ませた。
相手の体内に直接流し込む液体で考えられることなど、毒しかない。これが神経系に害を及ぼす物質で出来たものなのか、直に内部を腐敗させてしまうような物質で出来たものなのか……。それは今に分かるだろう。
自分の身体に訪れる変化であるから。
死ぬことに恐怖しているダイナのことなど露ほども知る由の無いタコは軟体を揺らす。すると何処から出てきたのか、十センチ程度の大きさしかないタコが一匹、ふよふよと浮いてダイナに近付いてきた。
まだ幼い小さなタコは浮いている姿も相まってヒトデにも見えるが、今のダイナにとってはどれだけ弱そうに見える生き物も強敵でしかなかった。
そうしてゆっくりと近づいてきた子タコはダイナの身体に張り付き、何かを探し始めた。
「っ……はぁ、んっ」
吸盤がついていても所詮は子どもで、張り付いてくる力ははっきり言って弱い。しかしその弱さが逆にくずくったくて、ダイナは堪らずに身を捩った。
「ちょ、ちょっと……どこに潜りこんで……ひぁぁ!」
最初は服の上を這いずっていた子タコはダイナの首元にまで来ると、軟体であるために布の妨害をもろともせずにもぞもぞと服の中へと潜りこんで来た。そしてあろうことか、乳房を包みこむように短い八本の足を限界まで伸ばして吸盤で張り付き、タコの口と思われる部分で乳首を吸い始めた。
「やあぁ! そんな所吸っちゃ……あっ! あぁん!」
情けない声ばかりがダイナの口から出てくる。自分ですらろくに触ったことのない乳首を、あろうことか悪魔に吸われる日が来るなど誰が考えるというのか。
どうにかして与えられる感覚から逃れようとしても、動くことの出来ない身体では小さなタコを引きはがすことすら夢のまた夢。何より、命の奪い合いをするはずである敵にあろうことか乳首を吸われて不快感でいっぱいであるはずなのに、甘い感覚を覚え始めている自分の身体に当惑するしかなかった。
「ふっぁ……ん……はぁ。……っ! いっ……!」
突然、吸われている場所から鋭い痛みが与えられた。おかげで惚けそうになる顔を正すことは出来たが、部位が部位なだけに噛み千切られたりするのではないかという恐怖に身体が震えた。
一方で噛みついてきた子タコは何故か暴れ出し、乳首から口を離して服の中で何かをしようとしている。乳房に吸盤を張り付けては離すを繰り返していて、服の上から確認できる感じだともがいているように見えた。
それは大きなタコも同じことを考えたようで、ずるずると余っている足をダイナの身体に這わせたかと思えば、まるで人の手と遜色のない動きでワイシャツのボタンを一つずつ綺麗に取るだけに終わらず、背中にも足を回してブラジャーのホックすらも丁寧に外してきた。
あまりの手際に素肌を露わにされたことを忘れてしまっているダイナは、相手が悪魔であるというのにタコの見た目に騙され、その大きな足でこんな細かい芸当も難なくこなせてしまうのかと、意味の無い感心をしていた。
「あっ! あ、あぁ、ああっ! ひゃぅ……ん、あぁぁっ!」
感心していたのもつかの間。再び子タコによって乳首を吸引される。気を抜いていたせいもあってダイナの口からとめどなく甘い声が溢れだし、一度漏れてしまったために歯止めが利かず、喘ぎ声が抑えられなくなっていく。
子タコはブラジャーのせいで締め付けられる苦しさから解放されたことで活き活きしはじめ、責め方に工夫を加えてきた。
優しく食むように咥えこんできたり、少し力を入れて吸引したりと緩急をつけ、ダイナを翻弄していく。
「あん、あっ……あっ! んぅ、んぁ……あぁ……はぁっ、はぁ……ひっ! やだぁ……何か、でて……っ」
ゾクゾクした感覚が背中から上りつめてきて、その感覚は乳首に集中していく。一体何が起こったのか、朦朧とし始めている意識の中で自身の乳首を見て見ると、痛いほどに主張しているそこから白い液体がトロトロを溢れ始めていた。
そんなバカなことが起こり得るはずないとどれだけ否定しても、事実として乳首から排出されていく白い液体を母乳だと認識するのに大して時間は掛からなかった。
どうしてこんなことがと考えて、ふと直感する。
最初に飲まされた謎の液体。あれが作用したのだと考えれば辻褄があう。どういった成分かは知らないが、きっとあの液体には母乳が出るようになる効力があるものだったのだ。そして相手の身体を作り変えた理由は恐らく……今も胸に張り付いて啄んでくる子タコに餌を与えるため。
「ふあぁぁっ……ダメ……。こんなの……ダメぇ……ぁぁっ」
悪魔との真剣勝負だと思っていたのに、こんなふざけたことばかりをされて最初は怒りを覚えていた。憎悪もしっかりあって、さらには自己を肯定するために必要であるとも理解出来ていた。
しかしもう、今はそれらがすっぽりと抜け落ちてしまった。
子タコが音を立てて母乳を吸う度に削られていく理性は既に崩壊し、今では体裁を保つために抵抗しているようなものだった。
相手の目を完璧にごまかす擬態能力に、純粋なまでの力の差。圧倒的なまでの実力差を見せつけられ、極め付けには身体までをも作り変えられてしまい、もう勝ち目はないとダイナは悟ってしまった。
「ふぁっ、あぁ……は、ひぁ」
蕩けていく。
「ああ! んんっ、くっ……ふぅ……あ、あぁ……はあ、ん……」
身体だけではなく、心までもが──。
今まで命を賭して戦ってきたこと全てがバカバカしくなっていく。己の存在全てを、己自身が否定し始めている。そしてそれに代わるものを、今与えられている快楽に居場所を求め始めていることにダイナはまだ、気付けていない。
気付けていないから、喘いでしまう。その声一つ一つが快楽の虜になっていく一歩であることも知らずに。
「うあぁ……。これ以上、はぁ……で、出ないっ……んはぁ……」
今だって子タコに吸われて溢れ続けているというのに、全く説得力の無い言葉で抵抗することしか出来ない。しかも抵抗している傍から嬌声を上げていては誰にも耳を貸してもらえないだろう。
こんな調子で、完全に意識が吸い続けられる乳首に向いてしまっているダイナには何者かが近づいて来る気配に気付くことはおろか、ダイナを縛っている大きなタコの足が蠢いたことにも注意を払えなかった。
「──随分と盛り上がってるみたいだな」
「んあぁぁ! やっ、あ! はげしっ……!」
唯一動かすことの出来る上半身がはねる。
「おいおい、ちょっと触っただけじゃねえか。そんなに気持ちよかったか?」
不意であったから仕方がないなんて言い訳をしても、一切の刺激を与えられていなかった片方の乳首を軽く摘み上げられただけで悦んでしまう身体になってしまったのだと思い知る瞬間だった。
だから、否定の言葉が出てこないどころか艶めかしい声ばかりが溢れた。
「くぅ、ふっ……いつの、間に……」
「いつって、ついさっきだが……気付かなかったのか? ククッ、胸を吸われた程度でこんな風になってちゃ、先が思いやられるな」
背後から胸を揉まれ、耳元で囁かれるだけで身体がびくつく。明確な敵が現れたことで微かに闘争心が戻ってきたというのに、もう身体は自分の意志を反映してはくれなかった。
「こんなっ……ことをして……何が目的、なの……」
「ん? いや、別に目的はねえけどな。啖呵を切って俺らの城に攻め込んできたのはそっちだし」
若の言葉に嘘は混じっていないということは声色で分かる。だからなのか、これ以上答えることはないと言った様子で乳首を軽く扱いてきた。
「はあぁ、ぁんっ、ああ、あぁ……! ダメッ……とめ、て……」
「すげえ溢れてくる」
「それは……身体を作り……あ、はぁ……変えられたからで……あぅ」
「タコスケ、そんなに飲ませたのか?」
乳首をいじっている指が母乳で濡れていく感じを愉しみながら若が聞くと、名前を呼ばれた大きなタコは頭を左右に振って否定する。だったらどれぐらい飲ませたのかとさらに若が問いかければ、タコスケは人に不可解な音を立てた。
「コップ一杯も飲ませてないって言ってるぞ。つーことは、母乳が出るようになった原因はタコスケにあるが、ここまで大量に溢れさせちまうのは素質だな」
「そんな、こと……! 私の身体は、そんな……」
囁かれる言葉がどこまで本当のことなのかは分からない。だからどんな言葉も聞き流しておけばいい。しかし、余裕のないダイナにとっては意地の悪い言葉であっても鵜呑みにしてしまうほどに追いつめられていて、それらの事実がさらに彼女を追い立てた。
「ひぁっ、ああ、ふっ……両方を責めるのはっ……んあっ、あ、おかし……く、んっ」
「戦いを挑んできたのはダイナの方だろ? ほら、抵抗しないと俺とタコチューに全部搾り取られちまうぜ」
若が来る前から変わらずに片乳に吸盤で張り付いて吸引を続ける子タコ──タコチューがちらりと片目を開ける。そんなタコチューの頭を、まるで弟の頭を撫でまわすように若が少し乱暴にさすってやると、さぞ嬉しかったのか今まで以上の強さで吸いついてきた。
「あぁんっ! んあ、あぁぁっ! こん、なのぉ……んやぁぁ、戦いじゃないぃ! 悪魔が、どうしてぇ……」
「アクマだぁ?」
心外だと吐き捨てる若は明らかに気分を害していた。そのことを思い知らせるように乳首が少し痛むような力加減でこねくり回され、快感と痛みに身を焦がすこととなった。
「ひぐっ! いっ、ぁ! くぅぅ、ん……!」
「俺たちをアクマなんていうクソみたいな低俗どもと一緒にしてくれるなよ。俺たちは〝淫魔”っていう立派な種族なんだからな」
得意げに自分たちの種族を口にする時にはもう上機嫌になっていて、責めは優しいものへと戻っていた。これに関してはタコスケも、そしてまだ子供であろうタコチューも誇りに思っているようで、悪魔だと言われた時に無意識の間に加えていた力がいつの間にはなくなっていた。
「淫魔……? う、そ……。だってあの種族は絶滅したって……それに──あぅ、んぁっ、あ!」
「誰だ? そんなつまんねえデマを流した奴と、それを鵜呑みにしてる奴は? ダイナみたいな悪い子か?」
「ひぃん! あ、ふぁっ……! そんなつもり、は……あん!」
身も心も惚けてしまっているダイナの中にはまだ潜在的な何かが最後の砦として残っていた。
それは敵が悪魔であるという事実だ。
ダイナにとってはこの事実が何よりも大切であり、その悪魔を狩り続けることにこそ生きる意味を見出している。
しかし、今の状況を見れば彼らが淫魔であるということは正しいと言う他ない。つまりはダイナがレッドダウンに対して取った行動は愚の骨頂であり、気力を失うには十分過ぎる真実だった。
「……ッ……あっ……ふぁっ、んんっ! っくぅ……ひぅ……ぅぁ、ああ……」
もう、喘ぐことしか出来ない。
自分が如何に愚かなことをしたのか、それを恨む余裕すら与えられないほどに一人と二匹の淫魔に翻弄されている。