昨日と同じ今日。今日と同じ明日。
世界は繰り返し時を刻み、変わらないように見えた。
──だが、世界は既に変貌していた。
数か月の間にたくさんの変化があった。季節が変わり植物たちは活気づいた。人々は照りつける日差しの元、汗水を流して働く環境になった。
Devil May Cry事務所ではオーヴァードになったばかりの青年と、生粋の人間である彼女を新たな仲間として迎え入れた。他には神格として生まれた珍しいレネゲイドビーイングの女性がメンバーの一人と恋仲となった。
レネゲイドウィルスという存在は皮肉にも人同士が繋がりを持つきっかけにもなり得ており、それは決して不快なものではなかった。
だかこのウィルスによって紡がれた縁の全てが喜ばしいものである保障もまた、何処にも存在しないのだ──。
ダブルクロス──それは裏切りを意味する言葉。
Opening 00 ──── Master Scene
地球という惑星を熱く照らす太陽がようやく沈みかける時刻に開店を知らせる鐘が鳴る。店の入り口が地下に続いているためこだまし、音が耳に残る。首を長くして店が開くのを待っていた客たちは扉を開き足早に所定地へつめていくため、鐘の音が今も音を小さくしながらこだまし続けていることを気に止める者はいなかった。
開店前からほんの少しではあるが人が待ち並んでいたここはバーである。内装は至ってシンプルで、物語の中にあるような、誰もが一度は思い描いたことのある様相であった。利用客も常連から新参者まで幅広く、毎日のように様々な人が出入りしている。利用層の幅が広いとは言ったが、開店時間前から並んでいるような連中は普段から利用している者たちばかりであり、事実として開店直後はいつもの顔ぶればかりだ。
常連客がいつも利用している席に腰を下ろし、それぞれが口を揃えてマスターにいつものと言って酒を頼む。注文を受けたマスターは言葉を発することなくただ一礼し、いつもの客にいつもの酒を、いつものように一つずつ用意した。
再び鐘がなる。常連客にしては来るのが遅く、初めての客人にしては足を運ぶのが早い時間であった。左目に眼帯をつけている男はまるで実家に帰ってきた子供のような態度でカウンター席に腰を下ろした。短く切りそろえられた緑髪は珍しいもので、事実として人の目を引く色ではあったが、今やってきた男が他の客からの注目を浴びているのは髪の色が理由ではなかった。
左目に眼帯をつけた男には連れがいた。二人いて、風貌からどちらも女であることはすぐに分かる。しかし、それだけのことしか分からなかった。何故なら女たちはどちらも不気味な仮面を被っていたからだ。
「こいつらを知っているか」
バーであるというのに酒を頼むこともないまま、眼帯の男は手に持っていた写真に写っている二人の人物を指さし、マスターに見せる。あまりの横暴な態度にマスターはため息をつき、一言申してやろうと口を開いた。
「聞きたいことがあるなら注文してからだ。しないなら出ていって……」
いきなり、何かが砕ける音が部屋を満たしたために最後まで言い切った言葉は誰の耳にも届かなかった。一体何の音だとマスターがカウンターから身を乗り出して周りを確認すれば、仮面をつけた女が立っている近くの床板が大きく抉られ、何故か赤黒く汚れていた。
「問いにだけ答えろ。でないと次はお前の体に穴が開く」
有無を言わせない語気と、事実として目の前に開いた床を見て、マスターだけでなく常連達も異様な空気を肌で感じ取っていた。面倒ごとに巻き込まれたくないのでこの場を去りたいと誰もが願ったが、あまりの恐怖に身体は強張り、物音一つ立てることが出来なかった。
「こいつらを、知っているか」
もう一度、男は聞く。口調は根気よくありながら、怒りが深く刻まれていた。
恐怖に顔を歪ませたマスターはおずおずと写真を見る。写っているのは目の前にいる、眼帯をする前であっただろう緑髪の男と、女が二人。後は赤い服がよく目立つ銀髪の男が二人の計五人であった。特にポーズなども決めていないところを見るに、何かの集合写真であろうことが見て取れる。
眼帯の男が指をさしているのは男の方二人だった。どちらも長身だが一人は細身であること以外に取り上げられそうなことはない。もう一人はかなりがたいがよく、無精ひげを生やしているのが印象的だ。
マスターは見たことがあるかどうか、必死に記憶を辿った。たとえ形式的なものであったとしても、よく考えもしないまま適当なことを言ってはいけないと全身が危険信号を出していたからだ。そして生存本能が働いた結果、マスターは思い出す。
「何度か、この店に来たことがあるはず」
「いつ頃?」
あれはいつ頃だっただろうか。確実に言えるのはここ一年は来ていないことぐらいで、当時足を運んでくれていたのがどれぐらい前だったかを思い出すことは叶わなかった。
「……そこまでは。ただ、ここしばらくは見ていない。恐らく……五年以上前だったと思う」
漠然とした月日を聞いた眼帯の男は外に晒している右目にかすかな闇を見せた後、何も言わないままに席を立って玄関扉へと向かって行く。当然のようについて行く二人の女も相変わらず不気味で、この場にいる誰もが早く出ていってくれと切に願っていた。
「ああ。こいつは教えてくれた礼だ。遠慮せず、受け取ってくれ」
懐から投げ出されたのは紙束だった。何だろうかと近場にいた客の一人が目を凝らし、口にした。
「金だ」
目算でも百ドルは優に超えるほどの分厚い札束に、気付けば客たちがゆっくりと腰を上げて向かって行く。これだけあれば、どれだけ遊べるだろうか? 誰しもがそんなことを考えて。
刹那、何かが常連たちの頭上を通り過ぎて、それは落ちた。時を同じくして、一番札束に近かった常連の男は崩れるように倒れ込む。
倒れた男には、絶対になくてはならないものが無くなっていた。
「そう言えば、この世で強い動物はなんだと聞かれたら、何を挙げる?」
一人、また一人と何かが通り過ぎる度に事切れ、倒れていく。あまりに異常過ぎる光景を目撃してしまったマスターはただ嗚咽を漏らし、体を震わせていた。
「ライオンか? 確かに百獣の王なんて呼ばれているな。それともトラか? 奴らはたった一匹でそのほとんどを過ごす力を持つな。何ならゾウか? 全てを己の巨体で薙ぎ払うだろうな」
金に釣られた常連たちがついに全員床板に転がった。──頭と体が離ればなれになった状態で。
「残念だが、どれも不正解だ」
マスターが聞いた最期の言葉は人生の幕を下ろすにはあまりにも味気ないものであった。しかし、己の目で見たものは魂に刻みこまれるような、羊に似た化け物であった。
Opening 01 Scene Player ──── 初代
朝の目覚めとしてもっともふさわしくない事とは何だろうか。
悪夢にうなされて目を覚ますこと? 興奮が冷めずろくに眠れなかった時? それとも快眠を誰かに妨害された瞬間か?
はっきり言おう。どれも朝にふさわしくない。
初代の本日の目覚めは本当にひどいものだった。理由は隣の部屋から信じられない轟音が鳴り響いてきたからだ。
ガラスが壊れた特有の耳に残る音と、明らかに家の中で起こってはいけない爆発音に叩き起こされた初代は飛び起き、寝間着のまま自室を出て隣の部屋の扉を開いた。
「どうした! 何があった!」
この部屋を利用しているのはダイナだ。彼女も正式な事務所のメンバーになり、二代目に部屋を手配してもらっていた。
中には黒い煙が立ち込めており、何も見えない。一体何があったのかと初代が声をかけると、至って冷静な声が返ってきた。
「問題ない。少し失敗しただけ」
敵襲ではなかったことに安堵した初代が次に考えたことは、何を失敗したのかについてだった。ほんの少し失敗した程度でこの惨事を引き起こせるものなのだろうか? というより、ダイナは何をしていたのだ?
「うわっ! 何だこれ!」
先ほどの爆発音で目を覚ましたのは初代だけではない。若とバージルも何事だと飛び起きてきていて、寝間着のままだ。
ダイナの部屋の扉を開け放ってしまったためにリビング内にも大量の黒い煙が入り込んできていて、ものすごく視界が悪い。この元凶を作った部屋から一際黒い影が出てきたかと思うと、全身真っ黒になったダイナが姿を現した。
「なに、してたんだ?」
「職場の同僚に頼まれたものを作っていた。……失敗しちゃったけど」
実験に失敗したことには落胆しているようだが、爆発させたことや研究道具が壊れたことに関しては特に気に留めている様子はない。当然、悪びれる様子もなければ謝罪すらなかった。
「おいこらダイナ。何か言うことがあるだろ」
そそくさとシャワーを浴びに行こうとするダイナを捕まえた初代は笑顔を引きつらせながら、腰を落として視線を合わせる。目が笑っていないことを察したダイナはこの時になってようやっと何かまずいことをしたと理解したようで、慌てふためきだした。
「実験に失敗は付きものだから、その、怒らないでほしい」
「こんな惨状を作りだしておいて怒られないわけないだろ!」
初代の拳骨がダイナの頭を直撃した。あまりの痛さに頭を抱えて悶絶するダイナを横目に、初代は盛大な溜息を吐く。
「悪いな、二人とも」
「ああ、いや……。なんつーかその、初代もよく付き合ってるよな」
「同情する。必要ならいつでも斬る準備は出来ている」
「悪い奴じゃないんだがな。こう見えて可愛い部分もあるし。……ただ、なあ」
さらりと惚気話をぶちこまれたような気もするが双子は華麗に流し、初代が頭を悩ませている原因を見た。
ダイナはレネゲイドビーイングだ。人に酷似した姿を持ち合わせている自立型であるとはいえ、本質は人間と大きく違う。ただ彼女の思想はかなり温厚なもので、人への好奇心が強すぎる部分はあれど、基本的に危害を加えたりなどしない。何なら自分が出来る範囲で手助けをしたりと、人間以上に人間らしい一面があるとも言える。
同時に、自分が人間ではないということもしっかりと自覚しているから、信じられない無茶をすることが多々ある。
人間であれば死んでしまうような事に手を出すのは日常茶飯事で、本来なら作れないような物や手に入らない物もどうにか生成しようとするという、ある意味災害とも呼べるようなことを平気でしでかすから、初代は毎度振り回されていた。
「今回は何を作るつもりだったんだ?」
「好きな人が振り向いてくれるものが欲しいと言われた。だからホレ薬を作ろうと考えていた」
これはまた難儀なものを作ろうとしたものだと初代は首を横に振るが、少し考えるとそれはとてもまずいもののような気がしてきた。
一応、世間にもホレ薬などと呼ばれるいかがわしいものは存在している。とはいっても蓋を開けてみればただのインチキ商品だったり、活力剤に近いものだったりと、結局のところは名前で釣っているだけの商品ばかりだ。
しかし、世間の者たちが所望してやまない、正真正銘、本物のホレ薬を作りだすことは……ダイナであれば、恐らく可能だ。
「もし出来上がっていたら、効果はどの程度だったんだ?」
「目算では、使われた相手は確実に異性と共に居たくなるはず」
「金輪際、ホレ薬を作ろうとするなよ」
作ろうとしていた物を全否定されたダイナはショックを受けていた。ただ、一体何がダメだったのかと小言を言いながらも素直に聞き入れていた。また切り替えも早いようで、立ち上がったかと思うと今度こそシャワーを浴びるために浴室へ姿を消した。
知らない者が見れば、ダイナのやっていることはただの実験だ。もちろん、その実験で何が生み出されるだとか、使われている物質の成分など分かるはずもない。だから詳しい成分の話を聞いても一般人からすれば右から左に流れていくようなものだろう。
つまり、使われている成分が世間的に非合法とされている物質であろうとも、容量過多であろうとも、専門知識を持っていない普通の人にはなかなか理解出来ないものである可能性も多分にあるということだ。
「そんなにすげえのを作るつもりだったのか?」
素朴な疑問を抱いている若に、絶対にそんなものに頼るなよと初代は念を押しながら答えた。
「普通の人間に使ったら、十中八九性犯罪者になるぞ」
「どんだけ効力を強める気だったんだよ」
「悪気がないだけに性質が悪いと言わざるを得ん。初代の言うことを聞くだけマシだが」
「はー……。部屋を元に戻すの、やめておくか」
物質を自由自在に変化させることの出来る初代はいつもこういった雑用を任される。今までは若とバージルが喧嘩の果てに壊した部屋や物を直すのが圧倒的に多かったのだが、最近はこれに加えてダイナの怪しげな実験で壊れる彼女の部屋を直すことも多い。
だからいっそのこと、直さないでやれば懲りるのではないかと考える初代だった。
Opening 02 Scene Player ──── 二代目
朝から事務所を留守にしていた二代目は現在、とあるバーに足を運んでいた。隣には気だるげにあくびをしているおっさんもいる。
「ねみい。……こんな朝っぱらから呼び出さなくてもいいだろ」
「朝っぱらと言ってももう七時だ。活動を始めるのに遅い時間帯でもあるまい」
これを聞いたおっさんは信じられないと言いたげな顔で二代目を見た後、もう一度大きなあくびをした。何もなければ今も自室で惰眠を貪れていたというのに、とある組織からの呼び出しとなれば無視も出来ない。
ただし、本日に限っては事務所にいたとしても轟音で叩き起こされる羽目になっていただろうから大差はなかったかもしれないが、二人には知る由もない。
目的地には大勢の人だかりが出来ていて、地下にある店の入り口には黄色いテープが何重にも貼られて立ち入れないようになっていた。人を入れないようにしているのは見て分かるとおり、警官だった。
現状を見て帰りたくなった気持ちを抑え、野次馬たちをかき分けて先頭に出た二代目とおっさんは立ち塞がる警官に話しかけた。
「ヘールズ警部補に呼ばれている者だ」
適当に作った、一見してそれらしく偽造した書類を見せてやればすぐに中へと通してくれた。変に足止めされるのは事実として厄介だが、こうも簡単に通れてしまうと先ほどの彼の昇進はまだ先なのだろうなと考えてしまう。
逡巡の迷いもなく、おっさんは立ち入り禁止となっているバーの中に入る。中はひどい有様で、空気に触れて乾燥した赤黒い血が床から壁までびっしりとこびりついていた。中で作業している警官たちも皆マスクと手袋をつけ、滅入った様子で作業をしている。
また床には大量の紙がばら撒かれていて、よく見るとそれは全て紙幣であった。
「よお。久しぶりだな」
事件現場に入ると一人の男がおっさんに声をかけた。白髪交じりの髪と髭を蓄えた相手はこちらを向いていて、ようやく来たと言わんばかりの顔を見せている。
「相変わらず、何も変わりはなさそうだな」
「あんたは性格がさらに悪くなったな。こんな場所に人を呼び出すなんて、どうかしてるぜ」
恐らく、この相手がヘールズなのだろう。おっさんと軽くやり取りをしているのを見る限り、知人といった具合か。
「これぐらいの惨状、見慣れたもんだろ? そんなことより、お前が引き取ったガキ共は元気にやってるか?」
「お陰様で。……それで、今回は何の用だ」
知人とはいっても仲が良いわけではなさそうだ。あの二代目が当たり前のように警戒心をむき出しにしているし、先ほどまで親しそうに話していたおっさんも一変して、ヘールズに向ける視線は冷たいものになっていた。
「お前たちの心情は分からんではない。UGNを脱退したってのに、またこうしてUGNの人間に呼び出されるのは気分が良いものではないだろう」
ヘールズは警部補の地位にいるわけだが、どうやらそれ自体も表の顔に過ぎないようだ。事実、己をUGNの一員だと認識しているし、二代目やおっさんのこともそれなりに知っている様子だ。つまりはUGNの一員としても、経歴はそこそこに長い。
それでも二人は微動だにせず、口を開かなかった。ヘールズの要らぬ気遣いに若干の苛立ちを積もらせながらも、用件が話されることだけを待っている。
「気を悪くされる前に、本題と行こう。今回二人を呼んだ理由は他でもない、あの日のことをもう一度聞きたかったからだ」
あの日がいつの日のことを指しているのか、それが忘れられるほどの些細な出来事であればどれだけ良かっただろうか。
残念ながら二人は覚えているから、更なる苛立ちを募らせた。
「殺気立っているところ悪いが、こちらとしても仕事でな。答えてもらうぞ」
「答えることなど何もない。あの日のことは再三聞かせてやった。何度問われようとも、何も変わらん」
二代目がここまで口を開かないというのは大変に珍しい。もちろん相手が嫌いな奴だからというのも一つの要因にはなっているだろうが、それでも彼が拒むのはあまり見れる光景ではない。無論、同じように口を開かないおっさんの姿も同じくだ。
「そう言わず、もう一度話してくれよ。お前たちがUGNを抜ける一年前に起きた、血の雨事件のことをさ」
血の雨事件。
これはUGN内でのみ呼ばれている俗称だ。世間的にはとある工場から排出された有害物質が漏れ出て雨と混ざり、赤黒く見える雨を浴びた多くの人が体調不良などを訴えたという報道がされたものだ。
本当の事件の内容としては、何者かによって作りだされた人工的な雨が都市内部に降り、これを浴びた人間たちの何割かがオーヴァードとして覚醒。そしてレネゲイドウイルスの衝動を抑えられず、そのままジャーム化。これを鎮圧するために出向いた数十名のUGNエージェントは、自分たちの数倍以上のジャームを相手に戦闘し、こちらの被害者を僅か三名で鎮圧を成功させた奇跡の事件とされている。
被害者が出たこと自体はUGNとしても痛手ではあった。それでも当時の状況を考えれば全滅は必至だと言われるほどに最悪な状況だった。全滅していれば、数十名のUGNエージェントの損失だけに留まらず、ジャーム化した者たちがさらに暴れ、人を巻き込み、巻き込まれた人が更なるジャームとなって大混乱となっていたことは想像に容易い。
これほどの大事件を鎮圧した者たちは当然、大いに称えられた。
「何をそんなに嫌がることがある? お前たちの武勇伝じゃないか。そうだろう? 完全勝利に鉄壁の防御」
「それで煽ってるつもりか? 悪いが、俺たちはガキじゃないんでね。安い挑発には乗らねえよ」
「話は終わりだ。……帰ろうか」
「おうよ。全く、くだらねえことに時間を使わされちまったぜ」
事務所に帰ったら絶対に二度寝をすると決めたおっさんはそそくさとバーを出ていった。これに続く二代目もバーを出るために扉を開き、瞳だけをヘールズに向けて言い放った。
「作戦に参加した計十二名の内、死んだのは三名のみ。その事実は何度問われようとも変わらん」
「その死んだ三人はお前たち二人と共に活動していたチームメンバーだった。間違いないな?」
最後に寄越されたヘールズの問いに答えることのないまま、二代目もバーから姿を消した。ただこれを肯定だと捉えたヘールズは今一度バーの様相に目を向け、ため息をついた。
「別に、あの二人が嘘をついているとは思ってないんだが……そうは言っても」
バーで起きた事件のことを調べるうちに浮上した一つの事実。このことで頭を悩ませているのは他の誰でもない、ヘールズ自身であった。
Opening 02 Scene Player ──── ネロ
今日は休日だったから、ネロは久しぶりに実家の方で起床した。ここ最近はずっと事務所の方にこしらえてもらった自室ばかりを使っていたから、少し新鮮な気持ちだった。
「おはよう、ネロ。朝食が出来てるわ」
「ありがとう。すぐ行くよ」
クレドとキリエ、そして自分を入れた三人で取る朝食は事務所とはまた違った安心感があった。いつでも自分のことを無条件に迎えてくれる、そんな温かさを抱きながら黙々とご飯を食べた。
「近いうちに、挨拶に行かねばならんな」
ふいに口を開いたのはクレドだった。話が見えないので、ネロは聞き返すことにした。
「挨拶って、どこに?」
「お前が世話になっているという事務所にだ。オーナーがいるのだろう?」
「そんなことしなくていいって。気にする連中じゃないし」
二代目はともかく、おっさんにはそんな律儀なことをしなくていいと思っているのは本心だ。若干失礼だと思わないこともないが、それ以上におっさんから失礼なことをされているから、ネロからすれば文字通り、そんなことしなくていい相手であると思っている。
「そういうわけにはいかん。こういったことはきちんとしておかねば」
言いだしたら聞かないところはキリエとそっくりというか、それを通り越して頭が硬いというか……。
「でも、いつ行くんだ? いきなりは流石に向こうも困るだろうし」
「そうだな。……もう少し、俺も時間を作れれば良かったんだが」
挨拶に行きたいとは常々考えていたようだが、実際に行動に移すのが中々叶わない状況のようで、クレドは困ったようにため息をついていた。クレドはこの家の大黒柱である以上、それなりに多忙な身である。だから今日のようにゆっくりした時間を作るのだって、実は大変なことなのだ。
「まあ、向こうはそんなこと気にしてないから、無理しない程度で頼む」
「善処しよう」
朝食を食べ終えたネロは今日一日をどう過ごそうかと考えて、ここ最近出来なかった家の手伝いをすることにした。一緒に暮らしていた時は三人で割り振っていた家事なども、自分が抜けてからは当然出来なくなっていたから、今日は二人を家でゆっくりさせてやりたいと思った。
「今日は俺が買い出しに行こうと思ってるんだけど、何か足りないものとかある?」
「行ってくれるの? それじゃ、メモを渡すからちょっと待ってね」
足りていない食材や備品の書かれたメモをキリエから受け取ったネロは玄関に向かい、靴を履く。
「気をつけてね」
「ああ、いってくる」
ネロはキリエから貰ったメモと自分の財布を握りしめ、軽い足取りで街へ買い出しに出かけた。
Middle 01 Scene Player ──── ネロ
いつになつ上機嫌なネロは、鼻歌を歌うまでは行かずともそれに近い状態であった。まずは数の少ない雑貨から買い足して、次にいつも利用しているスーパーに立ち入る。メモに書かれている食材を買い物カゴに入れていき、会計を済ませる。
当たり前の日常を過ごしていると、ふと思った。
春が終わりを迎え始めた頃に起きた、自分とキリエの命を脅かした事件。最悪の事態には至らなかったものの、自分はオーヴァードと呼ばれる存在になってしまった。
レネゲイドウイルス。それは絶大な力を自分に授けてくれる代わりに、自分が死ぬまで理性を食い荒らし続ける悪魔だった。
もし、死ぬ前に理性を食い尽くされてしまった時はかつて自分たちの命を脅かした連中たちと同じ、ジャームという存在になる。そうなったら最後、己が欲望を満たすためだけに生き続け、誰かに殺してもらうまでか事故で死ぬまで止まることはない。
オーヴァードとして覚醒した最初の頃は不安でいっぱいだった。いつか自分もジャームになってしまうのではないかと考え、眠れない日もあった。早く一人前になりたくて、毎日おっさんたちに稽古をつけてもらい、一生懸命レネゲイドをコントロールするための訓練をした。そのおかげもあってか、今では大分と力を抑制出来るようになって、当時ほどの恐怖は感じなくなった。
ただ、今でも二代目にはよく注意される。決して油断はするなと。安心し始めたり、レネゲイドに恐怖を抱かなくなり始めた時こそが正念場であると。
二代目の言うことは間違っていないのだと思う。とはいっても、気が緩んでしまうのも事実だった。だからきっと、一度痛い目を見ないと本当の意味で二代目の言葉を理解することは出来ないことも潜在的に分かっている──気がした。
家に帰る前に、少しだけ事務所に顔を出そうと思ったネロが寄り道をする。普段とは少し違う道を通ると何やら人だかりが出来ていて、荷物を持っている状態で通るのは押し留まるほどだった。
「……別にいいか。どうせすぐに顔を合わせるんだし」
また明日からは事務所に通うのだから、今日一日ぐらい顔を合わせなくてもなんてことはない。そう思うと事務所に向かうのもどうでもよくなってきたので、来た道を引き返そうとした時、人混みから見慣れた人物が二人ほど出てきた。
「おっ? 坊やじゃないか。どうしたんだ、こんな所で」
「おっさんがこんな朝早くから活動してることに、俺は今驚いてる」
まさかこんな所でおっさんと二代目に会うとは思わなかった。ただ不思議だと思ったのは、この二人が出てきた場所だ。人混みの中からこっちへやってきたということは、事務所から出たばかりだろうか?
「ネロは買い出しか? 精が出るな」
「ああ。今日はクレドも家にいるから、ゆっくりしてもらおうと思って」
「そうか。なら早く帰ってやると良い。きっと二人も待っている」
同じことをおっさんが言ったならそんなことないと言い返していただろうが、どうにも二代目に言われると素直に受け取れてしまう。だから早く家に帰ろうという気持ちがむくむくと湧き上がってきた。
「事務所に顔を出そうと思ってたけど二代目に会えたし、また明日な」
「おいおい、俺のことは無視か? 相変わらず冷たいことで」
いつもの茶化しを無視して、今度こそネロは踵を返して家に帰った。
──いや、帰ろうとした。
理由はなかった。直感が働いただけ。それでも、今の自分には最も必要な感覚だった。
帰路につくために振り向いた先にいた一人の女性。まだ距離も遠く、別段不自然な部分はない……ように見える。だが直感が告げた。平然と歩き、こちらへやってきているあの女性はどこかおかしいと。
恐らく、この時ネロが感じ取ったのは微かな殺気。それも自分に向けられているものではなく、自分の後ろにいる二人に向けられているものを感じたのだと思う。ただ当人たちは気付いている様子はなく、ネロが帰るのを見送ろうとしてくれていた。
「どうした坊や? 家に……」
「あいつ、おかしい」
自分が歩みを止めたことを不思議に思ったおっさんがかけてきた言葉を遮り、警告する。何がと問われるとうまく答えられないが、警戒の色を解くことは出来なかった。
普段とは違うネロに中てられた二人も警戒しはじめ、パッと見ではただ普通にこちらへ歩いてきている一人の女性を注視する。
「何だ? 人じゃない」
「──人形に近いな」
異変を認めた二人がネロを庇うように前へ歩み出た。すると女性はワーディングを展開した。
「はあ!? いきなりなんでっ……!」
こちらが何かしたわけではない。だが、よく分からないが襲い掛かってきているということだけは事実だ。だからきっと、相手はジャームなのだろう。今は、そう思うことにした。
「構えろ!」
即座に反応した二代目が領域を展開する。これに合わせておっさんも深く腰を落とし、相手の攻撃に備えた。
「今この場で戦えるのは坊やだけだ。頼むぜ」
おっさんは強靭な肉体を活かして仲間を守ることに長けているが、相手に直接打撃を与えられる力は持っていない。同じく二代目も仲間へ的確な指示を出して勝利へ導く指揮官であるため、己の手で敵を打ち倒せるわけじゃない。
だから二人が戦うには、敵を打ち倒せるだけの力を持った仲間が必要だ。
「やってやるっ!」
荷物を下ろし、ネロも戦闘態勢に入る。右腕を悪魔のそれに変容させ、握る。
ネロはこの数か月の間で自分の力と立ち位置を理解した。自分の力は圧倒的なまでの破壊力を持っていて、それを活かす方法はただ一つ。接敵して殴る。これに尽きる。
ただし、ネロには接敵するために必要な速さがない。だから力を最大限に活かすためには他の仲間たちに足止めしてもらったり、最適な距離を導いてもらう必要があった。
人智を遥かに超えた力を手に入れたというのに、その力を活かすためには協力者が必要だという状況は不思議なものでありながら、無くしてはならないものを繋ぎ止めておくために一役買ってくれている。そんな気がした。
Middle 02 Scene Player ──── おっさん
謎の女が展開したワーディングにより、臨戦態勢を取らざるを得なかった三人は最大限の警戒を払いながら相手の出方を窺っていた。
若干おぼつかないようにも見える足取りでなおもこちらへ近づいてきていた女は少し離れた所まで来ると足を止め、右手の平をこちらへ向けて突きだした。
「狙いは俺か」
二代目が広げる領域の中をネロと共に、女と接敵するため走っていたおっさんが攻撃に勘付き、とっさに身を守る。両腕をクロスして自身の顔などを覆うと大量の赫い弾丸が体を撃ち抜き、凄まじい衝撃に襲われた。
「おっさん!」
「構うな! 行け!」
膝をついて崩れるおっさんに気を取られて足を止めようとするネロを叱責したのは二代目だった。おっさんの身体には無数の傷穴が出来ていて、どれも痛々しい。それでも致命傷は避けているようで、どうにか意識は保っている。
非情にも聞こえるが今の最善はネロが女を止めることである以上、ここで足を止められては困る。そのこと自体はネロも分かってはいるようで、奥歯を噛みしめ、女に振り返り、再び走り出した。
女に近付くほど、異様さが浮き彫りになる。顔には真っ白な仮面をつけていて、三日月のように大きく彫られた口元と、同じく笑顔を称えるような細い目は不気味だった。
「今のは、痛かったぜ」
口角から血を垂らしながらも顔を上げたおっさんの瞳は鋭く、まるで獲物に狙いを定めた者のような力強さがあった。この死神とも見紛うほどの恐怖の瞳に晒された女は仮面をつけているにも関わらず、身体を強張らせた。
「喰らいやがれっ!」
ネロの悪魔の右腕が女の身体を捉え、貫く。
「──はっ?」
まるで水を一杯まで入れた水槽の中に勢いよく手を突っ込んだような感覚に戸惑ったネロが殴りつけた女の身体を見ると、そこには空洞が出来ており、また女自身も身体を保てなくなったようにドロドロと赤い液体に変化しながら崩れ始めた。
どんどん形を崩していく女は水人形──いや、血人形だったようで、ぐずぐずと地面に血だまりを作っていく。そして完全に血だまりに変わる刹那、仮面が外れ、ごく普通の女性の顔を晒した。
「なん、だと……」
「……まさか」
小さな水しぶきを立てて女が完全に崩れるとワーディングも解除され、日常が戻ってきた。
女性の顔を見て驚きの声を上げたおっさんと、この街で起ころうとしている何かに勘付いた二代目を除いて。
「何だったんだよ、一体」
手に付いた血を振り払い、悪魔の右腕を戻して振り返ったネロが目にしたのは放心しているおっさんと、今まで以上に殺気立っている二代目だった。
「ネロ、今日はこのまま帰れ。この件については俺たちで調べておくから」
全身にあったはずの傷がいつの間にか治っているおっさんは立ち上がり、ネロが買った荷物を手渡して早く帰るように背中を押した。二代目も同じ意見のようで、有無を言わせない雰囲気だった。
「だけど……」
「ちゃんと調べが付いて、確証が持てたら話してやるから、な?」
だから今日は帰れと、もう一度念を押されてしまった。
納得はいかなかった。それでも今の自分にはこれ以上何か出来ることがないことも分かっていたし、家には待たせている人もいたから、これ以上遅くなるのも憚られた。
「絶対だからな」
念を押すことしか出来ない自分の無力さを感じる瞬間だった。二人に支えられての勝利だったとはいえ、事実として自分の力で悪意を持った敵を倒したというのに、気分が晴れない。
結局ネロはこのまま帰ったわけだが、その足取りは重いものであった。
Middle 03 Scene Player ──── 若
今朝はろくでもないことで目を覚ます羽目になった若は、適当な漫画を読んで時間を潰していた。同じようにバージルも隣で本を読んでいるが、彼が手にしている物は小説だった。
「……それ、面白いか?」
若も漫画を読んではいるが、残念ながらこれはもう何度も読み返したものだ。だから内容も全部知っている。故に刺激が足りず、最近はちょっと飽き始めていた。
「おーい」
バージルが読んでいる小説のタイトルも、何度も見たことがあるものだ。つまり彼も若と全く同じで、何度も読み返している状態である。それでもバージルは熱心に、じっくりと文字を目で追いながら一ページずつめくっている。
「なあー」
「うるさい。邪魔をするならあっちに行け」
目を合わせることすらなく一蹴されてしまった若は小さな子供のように機嫌を損ねた。かと思えばバージルが構ってくれないなら初代と遊ぶことにしたのか、座っていた場所に漫画を投げ置き、ダイナの部屋を修繕している初代にちょっかいをかけにいった。
文字通り暇である若の行動はとにかく早かった。だから修復中と書かれた札のかけられたダイナの部屋を躊躇いなく開き、中に入った。
部屋の中はまだまだひどい有様で、天井や壁は真っ黒なままだ。きちんと直っている部分は床とクローゼット、後は照明か。初代は自身の能力を使って、ひとまず優先度の高い物から直しているようだ。
「初代! 遊ぼ──」
「どうだ?」
「んっ、良い感じ」
若の目に飛び込んできたのは、ベッドの上で仰向けになっているダイナに覆いかぶさっている初代の姿だった。黒い薄手の手袋がはめられた初代の左手は自身を支えるために、そして右手はダイナの頭の近くに降ろされている。
「しょ……初代が……っ」
生唾を飲みこみ、言葉を詰まらせる若。この時になってようやく人の気配を感じ取った初代が扉の方を見ると、呆然と立ち尽くしている若と目が合った。
「何入ってきてるんだ。修復中だって札をかけて……」
「初代が……! 初代がエロイことしてる!」
「はっ? い、いやこれは!」
「わああああ! バージルーーー!」
多感な時期の若にとってはあまりにも刺激の強すぎる光景だったらしい。興味津々ではありながら、兄と慕っている人物の情事というのはそれなりに衝撃も大きかったようで、大慌てで部屋を飛び出して行ってしまった。
「若は何を勘違いしたの?」
疑問符を浮かべながら首を傾げているダイナはベッドから降り、何事もなかったように次の掃除を始めている。一方で初代はとんでもない誤解を生んでしまったと頭を抱えずにはいられなかった。
実のところ、二人が何をしていたのかと言えば、ただベッドを直していただけだ。まず適当にこしらえたベッドへダイナに横になってもらい、感触などを確かめてもらっていた。そして先ほどは枕を作っていただけに過ぎない。覆い被さっていた理由はただたんに無精しただけで、深い意味は一切ない。
「続けてヘッドボードも作るからって、面倒くさがってベッドの上に乗ったのが間違いだったか……」
リビングからは相変わらず喧しいと怒るバージルの声と、いいから聞いてくれと切羽詰まった若の声が聞こえてくるのだった。
Middle 04 Scene Player ──── バージル
今日は騒々しい一日だったと、バージルは深いため息をついた。挙句、朝から出かけている二代目とおっさんも帰って来ず、連絡もない。全員がそろって食事を取るのが通例であったから、二人が帰って来ないために夕飯がどんどん遅くなっていく。もう少ししたら、若がまた騒ぎ始めるだろう。腹が減ったと。
だから、バージルの眉間にしわが寄ってしまうのは仕方のないことであった。
「先に食べちまうか」
遅くなったと、申し訳なさそうにしながら初代が手料理を運んできた。出来る限りみんなで揃ってご飯を食べるようにしていても、いつまでも待っているわけにはいかないと判断したようだ。
「……いや」
「はああ……腹減った……」
おっさんはともかく、マメな二代目からも連絡がないというのはどうにも不安になってしまう。まるでUGNに所属していた時に戻ってしまったようだ。
当時の二代目は信じられないほどに多忙な人で、連絡がないどころか、数日帰ってこないなんていうのもざらだった。そして家に帰って来てくれたかと思えば、開幕一番の言葉は謝罪ばかりで、これに息子たちは随分と心を痛めたものだ。
そんな二代目に心配をかけまいと、家のほとんどのことは初代が担い、双子たちも寂しい思いをしながらも出来るだけ顔には出さないようにしていたほどだ。
だから本当に嬉しかった。UGNを脱退し、自分たちのためだけの事務所を設立するという話を聞かされた時は、情けなくも涙が込み上げてきたほどだ。
それほどまでに普段から自分たちのことを気にかけてくれている二代目が連絡一つ寄越さないというのは、はっきり言って心配だ。何か、あったのだろうか。
何とも言えない気分のまま食事を取る。初代が作ってくれた料理はいつもと変わらず美味しいはずなのに、どうにも味気なく感じてしまう。どうやら初代と若も同じことを感じているようで、口には出さずとも食事の手はあまり進んでいなかった。
普段と変わらないのはダイナだけであった。ただ良くも悪くも日常を保っている唯一の存在であってくれたお陰で、下手に焦ったりする姿を晒さずに済んだのもまた事実だった。
あまり気乗りしない食事を取っていると、黒電話が存在を主張した。まだ日付が変わるほどの時刻ではないが、それでも夜分と言って差し支えない。こんな時間に電話をかけてくるのは一体誰だという疑問と、もしかしたら二代目たちからかもしれないという期待を胸に、受話器を取ったのはバージルだった。
『Devil May Cry』
『バージルか?』
『今頃になってようやく連絡を寄越してくるとは』
『悪いが説教は今度にしてくれ。ちょいと用事が出来てな、二代目と俺は数日帰れそうにない。事務所のことは頼むとのことだ。じゃあな』
電話をかけてきたのは待望していた相手からだったわけだがこちらの話を聞くこともないまま、用件を伝えるだけ伝えて切られてしまった。何度呼びかけようとも切られた受話器から聞こえてくるのは無機質な音だけで、
これ以上得られるものは何もないと通達された気分だった。
「誰からだった?」
「髭だ。二人とも数日帰れないから、事務所は頼んだと」
報告を聞いた初代は顔をしかめた。若に至っては他に何か言ってなかったのかと何度もバージルに迫る始末。だが何度聞かれようともたったこれだけしか聞かされなかったから、バージルに答えられることなど何もなかった。
「まだ事務所に来て日が浅い私が言うのもあれだけど、あの二人はよく抱え込む」
全くもってダイナの言うとおりだ。あの二人はいつも自分たちだけで解決しようとする。
もっと頼ってくれたら良いのに、そんなにも頼りないのだろうか? 二代目に教えてもらうだけでなく、日々努力してレネゲイドをコントロールしている自分たちの実力は、UGNエージェントにだって勝るとも劣らないと自負している。
だというのに、まだ何か足りないというのか?
「気負うなよ、バージル。取りあえず明日は普通に学校に行ってこい。ネロにも伝えなきゃいけないからな」
「分かった。初代は?」
「二人が指してる用事ってものが何かを調べるつもりだが……安心しろ。明日にするから」
「──なら、いい」
初代も二代目と同じように無茶することはよく知っている。ことこういうことになれば、徹夜なんてのはざらだ。いつもは二代目が止めているから素直に聞いているが、自分の想いもきちんと汲み取ってもらえたのはバージルとしても嬉しいことだった。
「若もそれでいいか?」
「初代が無理しないなら、いい」
「よし、聞き分けのいい子だ。ダイナは……」
「私は仕事。一応、合間を縫って出来る限りのことはしておく。何かあればここに連絡して」
本来であれば社外秘であろう会社用のメールアドレスをさらりと初代に渡すあたり、ダイナはそこらへの頓着があまりないようだ。しかし、本当はいけないことだが誰も咎めなかった。
「今日はもう遅い。寝よう」
それぞれが自室へと戻っていったリビングに残ったのは真っ暗闇の静寂だった。
Middle 05 Scene Player ──── 二代目
真夜中に、一軒のバーが鐘を鳴らした。
乾いたブーツの音がやけにこだまして聞こえるのは中に人がいないことと、音が一つではないことが起因していた。
ここは早朝に来た、事件現場のバーである。死体などはすでに回収されているが、現場保存のため血飛沫などがそこら中に付着したままだ。
時間も時間だから、警官と言えども誰も残ってはいない。──ヘールズ警部補を除いて。
「本当に来るとは思わなかった。いやあ、待っていた甲斐があったよ」
しらじらしい、と言う他ない。下手な芝居だ。
「改めてここを訪ねてくれたということは、俺の話を聞く気になったというわけだな? まあ、朝は他の警官たちもいたから、話しづらくはあったか」
「最初から、これぐらいの時間帯に呼び出してもらいたかったもんだ」
小言を並べているのはおっさんだ。二代目はただ黙って、部屋の中を見て回っている。そして一通り見終わった後、口を開いた。
「血の雨事件で出た三名の死者。現場の指揮を受け持っていたのは俺だから、当時の事件内容の報告をしたのは無論、自分だ。だからお前は今回の事件を担当した際、真っ先に俺のことを疑った」
虚偽の申告をしたのではないか、と。
「おいおい。いきなり何のことだ? 主語のない会話は、天才にしか理解できんよ」
「そうだ。お前は天才じゃない。ただの人間で、オーヴァードですらない。だから理解出来ない」
二代目が息をはくようにつく悪態はなかなかにきつい。はっきり言って、言葉の刃だ。隣で聞いていたおっさん自身、自分に向けられていないと分かっていても居心地の良いものではないほどだった。
「だが、よく知っているはずだ。対ジャーム専属チーム、エリミネーターを結成したのは他でもない、お前なのだからな」
対ジャーム専属チーム、エリミネーター。
排除する者の意味から名をつけられたこのチームは、今から七年前にUGNの特殊部隊として結成された。
完全勝利、二代目。鉄壁の防御、おっさん。羊の反逆、ラム。庭の薔薇、シェリル。薔薇の掟、ティア。
選ばれたのはこの五名であった。そしてこの五名を名指ししたのは他でもない、ヘールズである。
仕事内容は至ってシンプル。ジャーム化した中でも凶悪だとされる者を専門に相手する、戦闘に特化した部隊。そして数ある特殊部隊の中でもその身を危険に晒すことが多い部隊として、UGNの中でも有名であった。だからこそ、選ばれた人物たちはみなUGNの中でも実力のある者たちばかりだった。
「ああ、そうだ。最高のチームだったと、今でも思っているよ。だからこそ、欠員が三名も出たことは大変に悔やまれた」
「半数が死んで、チームは事実上の解散。以来、再び結成されることもなかった」
「お前たちまでUNGを辞めちまったんだ。後釜なんて、早々には見つからないさ」
お陰でジャームが事件を起こした時の対応も、最近では後手に回ってばかりだとヘールズは愚痴をこぼす。このヘールズの態度に苛立ったのは、おっさんだった。
「あんなチームは二度と結成されないに限る。少なくとも、あんたが指令を出し続ける限りは」
自分がオーヴァードではないからと、オーヴァードをただの道具のように扱うあんたがいる間は絶対に止めた方が良いと、おっさんはもう一度同じことを繰り返した。
「そんなつもりは毛頭ないが……」
「チームの再結成などと言った世迷言はどうでもいい。──答えろ。今になって俺たちをここに呼んだ理由を、お前が喋るんだ」
二代目の言葉は絶対だった。口を閉ざすことなど許されず、否定などもってのほかだ。話を逸らそうとすれば、二度と普通の人間としての人生を歩めなくなる……そう思わせるほどの迫力が確かにあった。
「お前はやはり、天才だよ。エリミネーターのリーダーとして、これ以上の適材は金輪際、現れることはないだろう。……そうだ、お前が最初に言ったとおり、このバーで起きた事件を調べていくうちに、信じられない結果が浮上した」
バーで起きた大量殺人事件。現在も調査中ではあるが、分かっていることはこれは計画されたものではなく、ほとんど愉快犯に近い犯行であるということ。そして死体の状況から、一般人には分からないが、社会の裏のことを知っている者であればすぐに行きつける答えがあった。
十中八九、オーヴァードの仕業である、と。
「愉快犯というと語弊が生まれそうだな。もっと正確に言うなら、別に殺さなくても良かったが、目障りだったから殺したといった具合だ。そしてこの場にあった死体の全てが頭と胴体が離れている状態。首が、人間ではかけられないような強い力で潰されていた」
惨い殺し方をするのはジャーム特有の行為にも聞こえるが、実際はそういうわけではない。ジャームになった者は己の衝動に従って行動を起こすから、中には殺しをしない者も稀にはいる。
ただ、今回の殺し方にはここにいる全員に覚えがあった。
「悪趣味な殺し方だが、一時は毎日のように見た光景だな」
「ジャームの息の根を確実に止めるため、ラムが必ず最後に行っていた」
「過激だと、UGNの中でも随分と煙たがられてはいたが腕は本物だった。だからこそ、俺はジャーム相手に持って来いだと思い、メンバーに加えた。他の連中からは厄介払いが出来ると喜ばれまでしたよ」
同じチームになったこちらとしては面倒ごとを抱えさせられて大変に迷惑な話ではあったが、ヘールズの言うとおり実力に申し分はなかった。だからこそ、ジャームを相手にするには必要な戦力であったことは間違いない。
「奴は、生きていたのか」
「そこらについては現在も調査中だ。当時の報告通り、鎮圧された現場を見に行った時にはひどい惨状だったからな。どの死体が誰であるかなんて、とてもじゃないが判断がつかなかった。だからUGNはお前の報告を信じ、三人は死んだと処理した。嘘をつく理由もないし、そもそも生きてたら帰還すればいいからな」
だから今でも当時の報告に虚偽があったとはあまり考えていなかったと、ヘールズは言葉を足した。
「しかし、奴と同じ手法を用いて殺戮をする人物が現れた。ただの模倣者であるのか、本人であるのか。お前たちに確認を取りたかったのは、そこだ」
とは言え、こうして聞きに来るということは無駄足だったようだなとヘールズはため息をつき、帰り支度を始めた。
「じゃあな。今度こそ、もう会うこともないだろう」
去っていくヘールズの背は寂しさも含みながら、これで良かったんだと安心しているような、何とも言い難いものであった。そして血まみれのバーには二代目とおっさんだけが残された。
「二代目はどう思う? ラムは本当に蘇ったと、そう思ってるか?」
「蘇ったのか、あるいは何かしらの奇跡で生き残っていたのか、それについては分からない」
しかし、奴は必ず生きている。生きて、このバーを襲い、何かを成し遂げようとしている。それを二人はひしひしと感じていた。
そう確信するに至ったのはもう一度この場に戻って来て、血まみれになった現場を見直したからだ。一種の演出のように、これだけ派手に血を飛ばすのを模倣するのは中々に難しい。もしも同じことをしようとすれば、それだけの練習が必要になる。とてもじゃないが、見よう見まねでは出来ない。
だが何より、現場にもう一度戻るきっかけとなったのは、今朝に襲い掛かってきた血の人形がきっかけである。
崩れて血だまりに戻る時に仮面が外れて見えた顔。あれは間違いなく、かつての同胞──ティアその人であったからだ。
もちろん、生前の彼女は生身の肉体を持っていて、血で出来た人形ではない。だから何者かが彼女の肉体を使って──或いは模倣して──ティアに酷似した人形を作り上げた。
「ラムには協力者がいると見ていい。恐らくはFHか、それに近いことをしている犯罪組織」
「面倒なことになったな」
ただ平穏に過ごしていたいだけであるというのに、過去のしがらみはそれすらも許してはくれないというのか。
オーヴァードになった者は理性を食い荒らすレネゲイドに恐怖し続けるだけでなく、それによってもたらされた縁にすら苦しめられねばならぬというのか。
何事も、世の中は上手くいってくれないものだ。
Middle 06 Scene Player ──── ネロ
せっかくの休日を訳の分からない人形に害されてしまった、次の日。
今日からまた長い一週間の幕開けだと、普段ならやる気の削がれる月曜日だが、そんなこともいってられない。おっさんたちなら絶対に昨日の段階で調べはつけているだろうし、その内容はきっと若やバージルたちも聞き及んでいるはず。
だから一刻も早く、二人から話を聞きたかった。
本当はキリエと登校したかった。ただ昨日のことは聞かせていないし、流石に聞かせる気にもならなかったので、今日は少し学校で用事があると嘘ではないが本当でもないことを言い、慌てて家を飛び出して来た。
登校路を駆けていると、二つのそっくりな後姿がある。これは捕まえなくては──。
「帰って来てない?」
偶然にも登校途中で若とバージルを見つけることが出来た時は、ついていると思った。だが聞いてみれば、朝から出かけて以来二人は今も帰って来ていないどころか、数日間留守にするという電話だけ寄越して来ただけだという。
「つか、ネロは何か知ってんのか? 昨日はキリエちゃんたちと家族団らんしてたんだろ?」
ちょっと怪しい言葉使いだが、そんなことはこの際どうでもいい。昨日の朝に起きたことを話せば、今度は自分が若とバージルに迫られる羽目になった。
「人形みたいな奴に襲われたとは、どういうことだ」
「二代目とおっさんは、その後何処に行っちまったんだ?」
「お、落ち着けよ! 俺もよく分かってねえんだって。おっさんにはさっさと帰れとしか言われなかったし、それに……」
横目で二代目を視界に入れた時、彼は何かを悟っているようだった。二人がかき分けて出てきたであろう人混みの方に、正確には人混みに隠された先にある場所を見て、確信を得ているような──。
「なんていうか、関わらせたくなさそうだった」
「帰る。初代に怒られても、絶対」
「一人で行動するな。──俺も行く」
ネロの最後の言葉を聞いた双子は即決だった。来た道を戻りはじめ、事務所に向かい始める……のではなく、さらにネロに迫った。
「昨日襲われた場所は?」
「事務所を背にして左手側の道を少し行った先にある、バーが立ち並んでる地区だ。何かあったのか、人だかりも出来てた」
「そうか。お前は学校に行っておけ。俺と若で調べる」
「待てよ、俺も気になってるから行く。おっさんは分かったら教えてやるって言ったくせに帰ってないとか、話が違う」
こうなった以上、おっさんに会って直々に文句を言ってやるしかない。それにどうにも、この二人だけに行かせるのは不安が残る。実力の方じゃなくて、心労の方で。
「責任は取らんぞ」
「お互い様だろ」
「早く行こうぜ」
自分で言うのもなんだが、目的を決めてからの行動の早さは流石だと思う。双子然り、自分然り。
二人について行くことを決めたのは先ほども言ったとおり、自分としても昨日の出来事はずっと気にかかっていたからだ。だがそれと同時に、若干の申し訳なさと後悔があることも否定出来ない。
あの時に自分が無理を言ってでも二人についていこうとしていれば、きっと呆れながらも事務所に帰っていたのではないだろうか。門前払いされるだけだったかもしれないが、何もせずに帰ってしまった手前、そう考えずにはいられなかった。
後は……見返したかったのかもしれない。
大人の力を借りなくても、これぐらいは出来るようになったのだと、誰かに認めさせたかった。
Middle 07 Scene Player ──── ダイナ
学校組と同じように、いつもどおり出勤したダイナは現在、何も手がつかない状態であった。
当たり前のことを言うが、従業員であるダイナは自身に課せられた職務を全うしなくてはならない。しかし今日に限っては別のことをずっと考えているから仕事など、進むはずもなかった。
「どうしたの? いつも仕事速いのに、今日は何もしてないじゃない」
隣の席にいる同僚がこちらの作業場を覗きこみながら声をかけてきた。
「どうにも、興が乗らない」
そんな理由で仕事を反故されるのは大変に迷惑な話だ。とはいえ、ダイナの日ごろの仕事ぶりを知っていれば何かあったのかと心配する方が先に出てくる。
それだけ普段のダイナは仕事に対して真面目で、実直かつ丁寧な出来上がりに定評があるからだ。
「確か、ダイナが今担当しているのって、まだ納期まで時間があったよね。あれだったら、今日は休んだら?」
「それも視野に入れた。ただ、家にいても仕方がないのも事実だったから、職場に来た」
改めて事実を口にして、こんな風に黄昏ているなど無駄なことだと再確認したダイナは手を動かし始めた。いつものペースで仕事が出来ているとは言えないが、何もしていないよりは有意義な時間に変わった気がした。
「家の人と喧嘩したとか?」
「ううん。知り合いが家に帰っていないだけ」
「えっ? なんも連絡もなく?」
何気なく聞いただけだった同僚は、思いもよらぬ深刻な返事に驚いている。普通なら誰よりもダイナ自身が心配しているだろうに、いつもと変わらぬ起伏のなさは少し、怖いと思った。
「もしかして、昨日の事件に巻き込まれてたりとかしてないよね?」
「事件? ここらで何かあった?」
テレビでニュースを見た方が良いと同僚は注意しながらも、この街で起きた昨日の事件を軽く教えてくれた。
事件が起きたのは繁華街の中でもバーが多く立ち並ぶ地区で、その中の一軒で大量殺人があった。死亡したのはバーの店長と常連客数名。開店して数十分としない時間に事件は起こったと報道されていたそうだ。
「後は、バーから盗まれたものは何もなかったんだって。それどころか、犯人が持ちこんだと思しきお金がたくさん地面に落ちてたとか。だから何かの取引をしようとしてて、交渉で揉めちゃって、証拠を残さないために現場にいた人たちを全部殺しちゃったんじゃないか……とか。これは根も葉もないことなんだけど」
相変わらずこの子は噂好きだなと思い、ダイナは適当に話を合わせながらバーの事件について考えてみた。
開店したばかりの店の中は、特別多くの人で賑わっていたわけではないだろう。それでも常連客が数名いて、かつバーの店長もいたのだから、計画的な犯行でもなければ普通の人間が何人も人を殺せるとは考えにくい。
そして、何かの取引で揉めてだとかも、それだけの大金が動くほどの取引となれば、もっと別の店を選ぶはずだ。少なくとも、個室がある店にする。だからきっと、そうじゃない。
ここはまず、余分な情報を省き、人を殺すことだけを考えてみよう。
犯行に及んだ人間が一人ではなかったという発想は、ありだとう思う。そもそもとして犯人側に数の利があったならば、十分に可能だろう。では、複数人の犯行だったと仮定して、さらに話を広げてみる。
まずは動機。
…………。
ここまで考えて、ダイナは思考を停止した。
バーの事件が、今だ事務所に戻らない二代目やおっさんと繋がっている可能性がなかったからだ。
「まだ犯人も捕まってないっていうし、無事だといいんだけど」
「うん。お酒を飲む人たちではないから、きっとどこかで遊んでるんだと思う」
真っ赤な嘘だが、細かいことは気にしないでおいた。それよりも今は、おっさんが連絡をしてきた際に残した用事という単語が何を指しているのかと突き止める方が先決だ。
「そうは言っても……」
呟いた声は自身のため息ですぐにかき消える。
ここまで指標がない状態で何をすればいいのかなんて、空を掴むようなものだった。
Middle 08 Scene Player ──── 初代
弟たちに言った手前、嘘をつくわけにもいかず。
早く調べなくては本当に二人の居場所に辿り着けなくなってしまうという焦燥に駆られながらもどうにか寝つき、迎えた次の日。
双子とダイナを送り出した初代はすぐにノートパソコンなどを引っ張り出し、情報収集に励んだ。
一番欲しい情報は当然、二人の居場所だ。しかし、そんな直接的なものがあるはずもない。だから今出来ることは些細なことにも疑ってかかることと、そこから導き出せる可能性にどれだけの信ぴょう性を持たせることが出来るか。そして、それらをあの二人が指した用事に結び付けることが出来るか。
全ては自分の情報網と、今まで二代目を横目に見て盗み続けてきた技術を活かせるかにかかっていた。
調べ始めてから一時間ほど経った。
はっきり言おう。有益な情報など、何処にもなかった。
当たり前と言えば当たり前である。何故なら、あの二人が何かしらの痕跡を残すというのは考えにくいし、そもそも用事と示唆されたものが何であるのか、一切分からないのだから。
何かしらの事件を追っているのか、旧友たちと遊びに出かけているのか、まるで分からない。だからこんなもの、調べられるはずがなかった。
それでも、長年共に過ごしてきた家族には分かるのだ。絶対に、良くないことに首を突っ込んでいるということだけは嫌というほどに。
証拠は自分たちだ。本当に何でもないことなら、自分たちを遠ざける理由も、ましてや用事などと言った漠然とした言葉で濁す必要もない。だからこそ──分かってしまうからこそ、こちらも焦らずにはいられなかった。
二人の足取りを追えない自分に苛立っていると、一通のメールがパソコンに届いた。誰からだと思って送り主を確認すれば、ダイナからだった。
『何か有益なことは分かった? こちらははっきり言って、何を調べればいいのかすら分からない。耳に入れられたことといえば、バーの集合地区にあるフォールンというお店で殺人事件があったことぐらい。
双子たちはきちんと学校に行っている? 今は二人を探すより、何をしでかすか分からない彼らに気を配る方が得策なのかもしれない。
今日は早めに仕事を切り上げて帰る。無理はしないで』
簡素というか、このメールも淡々と作ったのだろうということが何となく伝わってくる文章だった。それでも彼女なりに心配してくれていて、他にも出来ることがあるのではないかと訴えてくれる存在は、とてもありがたかった。
ダイナのいうとおり、いなくなった二人のことを心配しているのは自分だけじゃない。むしろ、学校に行っている双子の方が心中穏やかではないことを見落としていた。
自分が調べるからと昨日に言って利かせた際は了承してくれいたが、それは決して納得していたものではなかった。理解はしているからどうにか自分を抑え込んで、言い聞かせているような──いや、事実そうだった。
「俺はまだまだだな……」
二代目がいなくなっただけで、自分は何も出来なくなる。彼がUGNエージェントとして活動していた時から、嫌というほど痛感していることだった。
いつになれば、同じ土俵に立てるのだろうか。そんな日は本当に来るのだろうか。こんな体たらくで、肩を並べられる日など……。
ため息が出る。力の及ばない自分に、嫌気がさした。
こんな時に思い出すのはいつもあの頃──自分がオーヴァードとして覚醒してから、二代目に引き取られて双子がやってくるまでの日々だ。
不慮の事故に巻き込まれ、自分の目の前で息を引き取った両親。そのショックからオーヴァードとして覚醒し、意味も分からないままに暴れていた時の記憶は、ぼんやりとだけ思いだせる程度のものしかない。
そんな暴れ回る自分を抑え込み、保護してくれたのは二代目だった。保護されてから随分と月日が経ったときに聞けば、彼曰く、あの日は私用で街へ出ていて、偶然居合わせただけだったらしい。
ジャーム化せずに済んだ自分はそのままUGNに保護されることになった。一時期は自分と同じような境遇からUGNに保護された子どもたちと一緒になって、レネゲイドをコントロールする方法からオーヴァードとしてのルールなどを学ばされた。だが当時の自分は両親を失って天涯孤独になった恐怖から、何も手を付けることが出来なかった。
ろくにレネゲイドもコントロール出来ず、時折暴走をしては鎮圧される日々。根気よく教えようとする教官もいたが、大抵の大人たちは出来損ないを見るような目をしていた気がする。同じような境遇の子からたちからも、疎まれていたと思う。
周りには馴染めず、オーヴァードとしても生きていけず。UGN側としても、この支部ではもうどうすることも出来ないと判断し、自分はもっと専門的な場所に移転されることが決まったことを伝えられた日の夕刻。
自分を助けてくれたあの男が、自分の元にやってきた。
教官たちに短く用件を伝えた男は実習中である部屋に入ってきて、自分の前まで来て足を止め、目線を自分に合わせて、言った。
──今日から君は俺の息子だ。さあ、家に帰ろう。
全くもって意味が分からなかった。教官たちも困るだのなんだのと言って男を止めようとしていたが、男はその全てを意に介することなく俺の手を引き、帰宅した。
家に着くと、男は聞いてきた。何が食べたい? と。
何でもいいと、答えた気がする。それよりも、どうして自分なんかを引き取りに来たのかの方が遥かに気になっていたからだ。
最初は、この男の元に行くことが専門的な場所に移転されるために必要なことだったのかとも考えたが、先ほどの教官たちの反応を思い起こすと、そうではなさそうだった。
適当な飯をこしらえてくれた男は名乗った。そして自分を迎えてくれた理由を簡単にだが話してくれた。
──この間、君を保護した時。俺は大切なことを君のお陰で思いだした。オーヴァードの、レネゲイドウイルスに侵されることの恐怖を。だから今度は、俺が君に家族の温かさを与える番だ。
超人の考えることは理解出来ないものだと思った。だけど不思議と嘘をついているとは感じなかった。嘘をついてまでこんなことをする意味がないし、二代目と名乗ったこの人も……ずっと一人だったんだと、どことなく感じ取れたから。
もちろん、いきなり引き取られて心を開くことなどできなかった。しかも引き取っておきながら二代目は多忙な人だったから、一人でいる時間の方が遥かに長くなった。
でも、今の自分には一番必要だった。一人になって、一人で考える時間が。
UGNの保護教育機関にいる間は、良くも悪くも過干渉だった。必ず誰かが傍にいて、何かあったら世話をされる。しかし、それはどこまでも事務的だと感じるものだった。
当然だ。同胞としてのよしみもあるだろうが、それでもあそこにいる大人たちは仕事だから手を貸してくれているに過ぎなかったから。
それから半年ほどが経って、少しだけ二代目に気を許し始めた頃。彼はまた、自分と同じような境遇の双子を連れて帰ってきた。名前は若とバージル。生まれた時からオーヴァードで、親戚の家をたらい回しにされた末、UGNに保護されているところを引き取ってきたらしい。
滅茶苦茶な人だと思った。何を考えているかを理解するなど不可能。
双子を紹介されて頭を抱えていると、二代目はほんの少しだけ笑い、言った。
──今日はお祝いだ。これからは四人で、頑張っていこう。
ただ、二代目は絶対に言わなかったことがある。家族が増えたとは言っても、これからお前はお兄ちゃんだとは言わなかった。
嬉しかった。自分よりも下の子が二人も来て、正直取られてしまうと思っていたから、自分を引き取ってくれた時と何も変わらない態度で接してもらえて、本当に嬉しかった。
懐かしい気持ちになった。
両親を失った事件のことは今でも心に穴を開けたままだ。それでも二代目に始まり、若とバージル、そして二代目の同僚だと言って突然転がり込んできたなんでも屋こと居候のおっさんと、おっさんが保護した青年ネロ。さらに最近では恋仲になったダイナのお陰で、自分は地に足をつけ、ここまで生きてこられた。
「出来ることから、確実に……ってな」
事務所にこもってパソコンを叩いていたって何も始まらないのなら、己の足を使って現場を駆けまわるまでだ。
まずは双子とネロを迎えてから、ダイナから送られてきていたメールにあったフォールンという店を調べてみようと考えた。
帰って来ていない二人との関連性は、現時点では皆無。しかし、世間的に見れば十分すぎるほどの大事件だ。もしかしたらジャームが関わっている可能性がある。今はもう、なんでも調べてみるだけだ。
立ち上がり、いつもの赤いコートを羽織る。成人した時に二代目から贈られた、お気に入りのコート。
二代目が危険なことに首を突っ込もうとしているなら、自分だってついていくまでだ。彼に救われて、心を開いた時に、そう決めた。
だからもう、迷いはなかった。
Middle 09 Scene Player ──── 若
ネロに案内されながらやってきたバーが密集している地区の人波はまばらだった。
時刻としては一限目が終わったぐらいか。そう考えれば人の数が少ないのも自然なことだ。開いている店を探す方が難しい時間帯なのだから。
後は、二日前に起きたという事件も関係していないとは言えないだろう。大量殺人が起きた地区で酒を飲もうと考える奴など、中毒者ぐらいのものだ。犯人が捕まっていないとなれば、尚更。
「こっちだ」
ネロが先導してくれる。昨日人だかりが出来ていた場所に近付いていることを実感するにつれ、少しずつ緊張が高まっていく。
「どうした、怖気づいたのか?」
「ハッ! 馬鹿言うなよ、バージル。絶対に痕跡を見つけて、二代目の元に行くんだ」
若の意思は揺るぎない。昨日の早朝にネロが出会っているのだから、何かあることは間違いない確信があるだけに、なまじ期待も強かった。
「ここだ。……流石に、今日はもう野次馬はいねえみたいだな」
昨日の人だかりがまるで嘘のように、向こう側までよく見渡せる。しかし、バーの入り口には黄色いテープが張られているし、警官自体はまだ何人もうろついているから事件が解決したわけではなさそうだ。
「血の人形に襲われたってのは?」
「もう少しあっちだ。…………ここら辺、かな」
人形を倒した際に出来上がった血だまりは残っていなかった。所々赤い跡のような物は残っているが、それだけ。
「ここで戦い、その後二代目たちは野次馬たちの中に入っていったんだな?」
「ああ。そこまでは自分で確認してるから、間違いない」
バージルの確認にネロは頷く。あの時は事務所に帰るためだと思っていたが、帰って来ていないという話を聞かされた以上、別のところに向かったと考えるのが妥当だろう。
「あのバーに用事があったとか?」
「殺人現場に? どんな?」
「二代目もおっさんも妙に顔が広いから、警察に知り合いぐらいいてもおかしくないって」
「それでも現場には入れないだろ」
思って見たことを口にしてみた若だったが、ネロに否定されてそれもそうかと考えを改めた。それにもし先ほどの推測が当たっていたとしても、自分たちではどう頑張っても事件現場に踏み入ることは出来ない。オーヴァードの力を使えば簡単だが、そこまでする理由が今のところない。
「君たち、少しいいか」
いきなり後ろから声をかけられて驚いた三人が振り向くと、一人の男が立っていた。
見た感じ、歳は四十に差し掛かったぐらいだろうか。どうにも左目を眼帯で隠しているため、はっきりとしたことは分からない。短く切りそろえられた緑髪は珍しく、がたいの良いおじさんといった感じだ。
「何かようか?」
ごく自然な感じで若は聞き返した。すると男は口元を緩めながら、この人物たちを知らないかと言って一枚の写真を見せてきた。
そこに写っていたのは目の前にいる、眼帯をする前であっただろう緑髪の男と、女が二人。後は赤い服がよく目立つ銀髪の男が二人の計五人であった。特にポーズなども決めていないところを見るに、何かの集合写真であろうことが見て取れる。
「ちょっと若いけど……二代目とおっさんじゃね?」
「知っているのか。どこにいる?」
明らかに語気が強くなった男に逸早く警戒の色を出したのはバージルだった。写真を覗き込んでいる若とネロの襟首を掴んで引っ張り、数歩後ろに下がらせる。そして自分が一歩前に出て、逆に男に問いかけた。
「何故この二人を探している」
「庇うのか。この裏切者どもを」
外に晒されている男の左目が細められていく。声は怒りに震え、庇い立てするバージルに憎悪を向けながらも、どうにか平静を保とうと、深呼吸を繰り返し始めた。
「何だよ。裏切者って」
「──なるほど、知らないのか。ならば教えてやろう。お前たちが如何に騙され、利用されているのかを」
若の疑問を聞き、写真に写っていた二人を庇う理由を知った男はまた口元を緩ませ、話しだした。
「今から四年前。ある地区で起きた有害物質漏出事件を覚えているか?」
当時、相当に問題となった事件だ。詳細まではもう覚えていなくても、概要ぐらいは今でも思いだせる。それぐらいの大事件だった。
「有害物質が雨に混ざっちまって、それを浴びた人が体調不良を訴えたやつだろ?」
「そうだ。あの事件はUGNの間では血の雨事件と呼ばれていてな。それを鎮圧するために動いた部隊があった」
それが先ほど見せた写真に写っていた五名だと男が伝えるとともに、ワーディングが展開されていく。
「他の応援もいた。自分たちを含め、総勢十二名。たったこれだけの人数で、三倍は優に超えるジャームとの戦いを強いられた」
勝算のない戦い。疲弊していく仲間たち。許されない撤退。絶望的な中でもある男は最後まで指揮を取り続け、そして奇跡の勝利をもたらした。
──三名の犠牲と引き換えに。
「あの男は、完全勝利は見殺しにした! 共にチームとして活動し続けてきたシェリルを! ティアを! そしてこの俺すらもだ! 鉄壁の防御だけ目にかけて、最期は俺たちに見向きもしなかった」
男は吠え猛り、目の前にいる三人の子どもを威圧した。復讐者と呼ぶにふさわしい男の狂気に怯みそうになったが、それ以上の反論が喉を衝いた。
「見殺しにしたって……生きてるじゃねえか。二代目は絶対、仲間を見捨てたりしねえ」
「なるほど、確かに一理あるな。俺は生きている。もっとも、この命はあいつらに助けられたのではなく、別の者に助けられて、だがな」
若の言葉をわざと肯定した上で否定する男に怒りを覚えたのはバージルだった。両目は鋭く尖り、今にも男に斬りかかりそうなほどだ。
「失せろ。貴様の言葉など、もはや聞く価値もない。これ以上下らん戯言をのたまうと言うのならば、その首を斬り落とすぞ」
若のことだけではない。二代目のことを悪く言われることをもっとも嫌っているのは間違いなく、彼が引き取って育てた息子たちだ。だからバージルは若やネロの前に立っているがその実、一番危うくもあった。
「可愛そうに。君たちも奴の口車に踊らされ、洗脳されてしまったか。かつての俺のようだな」
ならば救いの道はただ一つだと言い切り、男は体を変形させ始めた。二足歩行から四足歩行へと変わっていき、身体は白く、びっしりとした体毛に覆われていく。
「最期の手向けとして、教えてやろう。この世でもっとも強い動物が何であるかを」
完全に体を羊に似た何かへと変えた男は咆えた。それは世間一般の人間が認知しているような、可愛らしい鳴き声などではない。
猛獣すらも尻尾を巻いて逃げだす程の、獰猛かつ邪悪な咆哮。オーヴァードを縮み上がらせることすら可能なほどの、悪意の雄たけびだった。
しかし、その程度のことで引き下がるほど、この三人は柔ではなかった。
「言ったはずだ。戯言をのたまうなら首を斬ると」
閻魔刀を呼び出し、深く腰を落として居合いの構えを取るはバージル。怒り心頭の彼はもう、目の前の男を両断するまで止まることはないだろう。同じように若もリベリオンを背負っており、眼には怒りを宿していた。
「完全勝利の番犬にでもなったつもりか? 毒を盛られていることにも気付かず哀れに死を待つ子犬共がっ!」
男の声を聞きつけるように現れたのは一人の女性だった。顔には不気味な仮面をつけていて、素顔は全く分からない。
「あの女、昨日の──っ! てめえ、生きてやがったのか!」
間違いなく己の拳で貫いたというのに、全く同じ女が現れたことでネロも右腕を変容させ、戦いの構えを取る。もう一度、血だまりに変えるために。
「まずはお前たちを血祭りにあげ、奴らへの手土産にしてやろう!」
奇しくも二代目とおっさんをつけ狙う男と出会ってしまった三人に、引き下がるなどといった選択肢は端から無い。
二代目のことを悪く言ったこいつを絶対に許さないという思いと、昨日のけりを今度こそつけるという思いをそれぞれが胸に抱き、激闘の中に身を投じた。
Middle 10 Scene Player ──── 初代
他の学生たちに見つからないよう学園内に侵入した初代は現在、堤防を駆け抜けバーの集合地区を目指して全力疾走していた。
若とバージル、そしてネロまでもが無断欠席をしていると知ったからだ。
一限目の授業はどうやら体育だったようで、クラスメイトたちは外のグラウンドで準備運動を行っていた。しかし、どこを探しても肝心の三人は見つからず、教師の点呼で三人は学校を休んだことを把握した初代は即刻校内を後にし、今に至る。
挙句、嫌なことはとことん重なってくれるものだ。数十分前にはワーディングを感知する始末で、方角からしてバーの集合地区周辺。十中八九、学校を無断欠席した三人組が何かに絡まれているか……或いは、帰って来ないあの二人かもしれない。
何を言っても今は急ぐしかないとして一本の道を曲がると、見慣れた後姿を捉えた。
「ダイナ!」
「あっ、初代。ワーディングを張ったのは、貴方じゃなかったのね」
早めに仕事を切り上げた彼女もまたワーディングを感知していたようで、今現場に向かおうとしていたところだったという。
「本当は一度、事務所に帰らなきゃいけないんだが」
「今は緊急事態。……いつも緊急事態な気もするけど、それについては今後議論すればいい。今は急ごう」
元より、こんな事態になったのは二代目がおっさんに連絡を入れさせ、はっきりしたことを言わずに事務所を空けたのが原因だ。だから、小言は彼らが帰ってきた時にたくさんぶつけてやればいい。
「ついてきて、くれるか?」
「確認を取るまでもない。私はレネゲイドビーイングである以前に初代の恋人であり、DMC事務所のメンバーである。何より、困っている人がいたら助けるのは、人として当然のこと」
「──ありがとよ。事件のあった店までもう少しだ。行くぜ」
頷き返してくれたダイナと共にワーディングが展開されている場所へと急ぐ。
全員の無事を祈りながら、二人が見つかることを祈って。
Middle 11 Scene Player ──── おっさん
おっさんはある街の中心部に仁王立ちしていた。無論、その隣には二代目が悠然とした態度で立っている。
「さて、と。あいつはいつ頃、ここに来るか」
「夕刻時だろう。あの日と同じ場所、同じ時間に、奴は現れる……はずだ」
珍しく言い淀む二代目に、おっさんは肩をすくめた。
ラムは生きていた。そして今度は自分たちを探し出そうとしている。そこまでの足取りを掴んだ。ただ足取りは掴めても、本人を見つけるには至らなかった。だからこうして、後手に回ることを覚悟で奴が現れそうな場所に自分たちが赴くことにした。
「──復讐、なんだろうな」
「間違いなく。それ以外で奴が俺たちを探す理由など、俺には思い当たらん」
随分と恨みを買ったものだと、再びおっさんが肩をすくめる。
はっきり言おう。エリミネーターは問題の多いチームだった。ジャームへの対応力の高さがずば抜けていたからUGNとしても解雇できなかっただけで、言ってしまえば実力がなければ三日と持たずしてUGNの中でも歴史の影として消されても文句が言えない、お粗末な部隊。
その筆頭として挙げられることは、とにかく問題行動が多かったのが主な原因だ。ラムを筆頭に、おっさんも、そして二代目も。唯一まともだったのは姉妹でチームに配属されたシェリルとティアぐらいのものだった。
言うまでもなく、一番素行が悪かったのはラムである。ヘールズも指摘していたとおり、いくらジャームが相手であっても褒められるような殺し方ではない。それに限らず、他のエージェントたちとの衝突もままあった。
おっさんも仕事への誠意の低さはひどいものだった。命令違反など当たり前で、現場に来ても終始気の抜けた姿を晒しては、共に仕事をこなすことになったその時々の他のエージェントに指摘されるほど。
その点、仕事に関しての二代目の姿勢は完璧だった。リーダーとしての腕はもちろんのこと、被害を最小限に止めるなどといった細部までの配慮も高水準のものであった。これもエミリネーターが解散しなかったことの一つの要因にはなっていた。
ただ二代目も二度ほど、UGN側の静止を無視して強行したことがある。それが初代を勝手に引き取ったことと、双子を引き取ったことだ。
結果として彼らはオーヴァードとしてもまともに育ち、日常を送れている。しかし、一歩間違えればジャームと化し、惨事を引き起こしていた可能性が大いにあった。だからこれを問題行動と判断するのは至極当然のことであった。
特殊部隊などと銘打たれていたが、蓋を開ければ異端児収容チームでしかなく、内容も対ジャーム専用だったのは……別にUGN側としても、死のうが痛手ではない──むしろ、死んだ方が手間が省ける──というのが実情だったのだろう。そのことを知っているのはエリミネーターを結成させた張本人ヘールズと、一部の上層部の人間、後はチームリーダーを担っていた二代目と、二代目に酒を飲ませて情報を引き出したおっさんぐらいか。
だというのにそのことを知らない他のオーヴァードたちは彼らに羨望の眼差しを向け──共に仕事をした者は蔑みの目を向け──何も知らないUGNチルドレンの中にはこの隊に所属されることを夢見て鍛錬に励む子もいたのだから、やるせない限りだ。
「今になっても、最低最悪の部隊だったと思うぜ」
「血の雨事件がなかったとしても、いずれああなる運命ではあっただろう。死者のブレはあったかもしれんが」
思い出すは、血の雨事件を鎮圧するために指揮を取り続けた光景。
指揮にミスはなかったと、今でもそう思っている。だが事実として死者を三名出した。この現実は何を以ってしても覆ることはない。
「どうあがいたって救うことは出来なかったんだ。あんま、自分を責めるなよ」
「心配には及ばん。お前の方こそ、たらればは考えるな」
二人は目を伏せる。そして己に言い聞かせた。
──助けることは、不可能だったのだと。
この時どこかからワーディングが展開されたことを感知した二人は目を開け、周囲を探る。方角はバーの集合地帯付近からだ。
「妙だな。他にも何か紛れ込んでいたのか?」
「それは考えにくい。ラムが動いたとみておいた方がいいだろう。しかし、何故ここじゃない?」
時間はまだ朝と言って差し支えないぐらいだ。こんな早くに動くのはどうしてなのか、思考を巡らせ、二代目の顔が強張った。
「まさか、事務所の誰かと鉢合わせしたなんてことは……」
「初代もダイナも早まる奴じゃないだろ。それに、この時間ならガキ共は学校に……行ってない、かもしれん、な」
実に簡単なことを失念していたと、今になって悪寒が走った。子どもたちが素直に学校に行くなどという保証が、一体どこにあったというのだ? むしろ、あいつらはこぞって自分たちを探そうとするに決まっているではないか。
こんな単純なことすらも見落としてしまったのは、自分たちも今回のことには動揺を隠しきれていないからなのだろう。あまりの愚かさに二人は己を叱責しながらすぐに人気のない場所へ移り、おっさんの作ったゲートをくぐるのだった。
Climax 01 Scene Player ──── 二代目
空間を捻じ曲げて作られたゲートを通ると、血まみれの店内に出た。場所は言うまでもなく、殺人現場となったバー、フォールンだ。
中には二名の警官とヘールズの姿があったが、近くでワーディングが展開された影響を受け、気を失っていた。倒れている警官たちに構うことなくフォールンを出ると、二代目とおっさんが探し求めていた人物たちが勢ぞろいしていた。
二代目が半径一キロメートルはくだらない広範囲の領域を瞬時に構築すると、憎悪を滾らせた羊が二代目の息子たちに飛びかかろうとするのを寸でのところで止め、大きく距離を取った。もちろん、これに気付いたのは羊だけではない。
「二代目っ!」
「無事だと信じていた」
敵がいるので二代目に飛びつきそうになる衝動を一生懸命抑え込んでいるのは若だ。同じく敵への警戒を解くことはないまでも、二代目をようやく見つけられて安堵しているのはバージルもだった。
「おっさん! 昨日のこと、説明しろよ!」
一緒に姿を現したおっさんに声をかけたのはネロだ。昨日のことなんて言い方をしたが、何なら今目の前にいる敵のことについても聞く気満々である。
「探したぜ、二代目。……どうにも、俺だけじゃこいつらを抑え込めなくてな」
先走った学生たちを指さしながら困ったように初代は言う。ダイナだけは口を開くことはなかったが、心配の種が一つ減ったと言いたげな顔をしていた。
「お前たち……」
「こらガキ共。何学校サボってこんなところうろついてやがる」
何から伝えれば良いかを思案する二代目が言葉を詰まらせていると、代わりにおっさんがお怒りの言葉をかけた。そして一番前に躍り出て、歩みを止める。
数十メートル先には、見慣れた羊がいた。
「お前の目的は俺と二代目だろ? 何子供に手を出してるんだ?」
「探したぞ……。この裏切者共がっ!」
羊の姿でも言葉を発することが出来るようで、男は──ラムは怒りを露わにしておっさんに罵声を浴びせた。
「質問に答えろよ。それとも、相手の言葉が理解出来ないぐらいまで脳みそが縮んだか?」
「止せ。俺やお前が声をかけたところで、もはやラムの耳には届くまい」
二代目に静止されたおっさんは素直に口を閉ざす。
今のやり取りは、昔一緒に戦っていた仲間同士の人間がするものではない。もはや、互いを敵としか認識し合っていないようだ。
「お前らがあのチームをダメにしたんだ。ならば俺も、お前のチームをダメにするのは当然の権利だ」
「不憫だな。どのような経緯を経て生き残ったのかは分からんが──」
──今の姿を晒すくらいなら、あの時死んでいた方がマシだ。
二代目の最後の言葉に、ラムは切れた。吠え猛り、羊である自身の肉体をさらに肥大化させ、普通の羊なら生えていない犬歯をむき出しにして、怒る。
「死すべきなのは貴様だ! シェリルとティアの好意を無下にし、最期には犠牲になることを強いた!」
ラムの言葉に、二人は疑問を抱く。
シェリルとティアの好意というものについては心当たりがある。
彼女たちは姉妹揃って二代目に好意を抱いていた。直接告白されたわけではないが、誰が見たってすぐに分かるそれだった。無論、好意を向けられている二代目本人も気付いてはいた。しかし、二人と同時に付き合うことが出来ない以上、どちらを選んでもチームの亀裂になるであろうことは言わずとも分かることであったし、何より二代目自身から姉妹に対する愛情はなかった。
二代目の中ではどこまでいってもただのチームメンバー。そこどまりであった。
だが、先ほどラムが口にした、犠牲になることを強いたというのはよく分からない。姉妹が死んだ原因は──決して口にすることはないが、ラムにあったと言わざるを得なかったからだ。
「黙って聞いてりゃ、二代目のこと悪く言いやがって……!」
「同感だ。奴の言葉は耳障りでしかない」
切れていたのはラムだけではなかった。こちらはこちらで二代目のことを好き放題言われ、腸が煮えくり返っている人物が三名ほどいた。
「指揮を頼むぜ、二代目。俺たちが手足になるから」
初代も二丁拳銃を構えて二代目と肩を並べている。同じようにおっさんと肩を並べたのはネロで、これに若干の呆れを見せながらも支援体制に入るのはダイナだ。
「今からおっさんの知り合いをぶっ飛ばすけど、いいよな」
「好きにしな。ただし、油断はするなよ。ジャームになる前から素行の悪かった奴だ。どんなことでもしてくると思っとけ」
相手がおっさんにとって大切な人であったというなら、ネロも躊躇っただろう。だが最初のやり取りを見て、知り合いではあっても敵という意味での知り合いなら、遠慮する必要はない。本人からの許可も貰ったので右腕を変容させ、指先の骨を鳴らした。
「お前はそうやって数多のオーヴァードどもを洗脳し、自身の駒として使い潰していくんだな。可哀想なガキ共だ。だが同情はしねえ。俺がこうして教えてやったのになおもそいつらを信じるなんざ、どの道おつむも空っぽだろうからな」
ラムが言い切ると、二代目の雰囲気が変わった。表情に浮かんでいた憐憫は消え、敵愾心と憎悪を露わにした。
「俺のことをなじるのは構わんが、この子たちを悪く言うのなら相応の報いは受けてもらおう」
さらに二代目が領域を広げるとラムも戦闘態勢に入り、羊に似合わない犬歯を見せながら襲い掛かってきた。だが、誰よりも早く相手へ攻撃を届かせたのはラムでも二代目たちでもない、ラムの後ろに黙って立ち続けていた不気味な仮面をつけている女だった。
女の手から発射されるのはネロが昨日見たものと全く同じ、無数の赫い弾丸。
「おっと、司令塔を潰そうってか?」
狙いは確かだと敵を褒めながら、さもありなんといった様子でおっさんが庇いきる。二代目の指示で若も動いていて、炎で作られた壁とおっさん自身の強靭な肉体が赫い弾丸を全て弾き落とした。
「雑魚の攻撃を防いだぐらいで何をいい気になっているっ!」
炎の壁が消えるのと同時に詰め寄ってきていたラムが渾身の一撃をおっさんに叩きこむ。羊の反逆には流石のおっさんも堪えたのか、倒れてはいないものの頭から血を流している。
「てめえの相手はこっちだ!」
おっさんを殴ったことで受け身の体勢に入れないラムに向かって若とネロが攻撃を仕掛ける。若はこの間手に入れたリベリオンを使い、ネロは慣れた悪魔の右腕を使い、ラムと白兵戦を行っている。
二代目の支援を受けている二人とおっさんにラムは任せ、その間に初代とバージルは仮面の女を叩いていた。
「がんばって」
何とも雑な応援だが、ダイナの発言に対した意味はない。
彼女は言葉で仲間を鼓舞するより、せっせと現状にあった薬品を生成して仲間に投与、或いは敵にぶちまけて悪影響を与えるというのが貢献のしかただ。だから今も強力な覚醒物質を作りだしては仲間たちに使っていて、充分に仕事をしている。
「女を打つ趣味はねえが、悪く思わないでくれよ」
二丁の拳銃を器用に操り、仮面の女を撃ち抜く。その瞬間、ラムとの戦いに気を配りながらも二代目が領域による支援を初代にまで及ぼし、仮面の女の急所を捉えさせた。
ぐずぐずと体を崩していく仮面の女は昨日と同じ、血で作られた人形であったようだ。崩れた場所には段々と血だまりが出来はじめ、完全に肉体が失われる時に仮面が外れた時に見せた顔は、昨日の人形とよく似た顔であった。
「──どういうことだ?」
血の人形の顔を見たラムは狼狽えた。おっさんたちから距離を取り、血だまりに近付く。
「何故、シェリルと同じ顔をしていた?」
「何の冗談だ。お前が連れてたんだろ」
「黙れっ! 貴様には……関係ないっ! 見殺しにした貴様には……!」
いまだおっさんに向ける憎悪は凄まじいものだ。だが、明らかに先の血の人形の顔に動揺しているのも、間違いない。
従者として連れていたラムが、血の人形の正体を知らないというのはどういうことかと二代目は考えを巡らせる。しかし、戦いの場に身を置いている以上、簡単には答えを出すことは難しかった。
何故なら先ほど出来た血だまりが動き出し、一体、また一体と泥人形のような出来損ないを生み出し始めたからだ。
「数が増えるのは面倒だな。バージル!」
「全て斬り伏せる」
考えを一旦頭から追い出し、二代目はバージルに指示を出す。バージルは深く腰を落とし、閻魔刀の柄に手をかける。
「初代はバージルの援護だ。若とネロは下がれ」
バージルの神速から繰り出される攻撃に巻き込まれたらひとたまりもない。ラムと白兵戦していた二人も支援を受けながら一度距離を取ると、納刀する金属音が耳に届いた。
刹那、まるで空間を引き裂いたかのような無数の斬撃が全ての敵を襲った。出来損ないの人形どもは再び崩れ去り、同じくラムも身体中に斬撃の跡を残した。
「クソがっ……邪魔をするな、ガキ……!」
頑丈さはおっさんに負けず劣らずといったところか。もしかすると、ジャーム化したことによってさらにタフさが増しているのかもしれない。どちらにせよラムはまだ地に足をつけ、先ほどと変わりなくおっさんと二代目を執拗に狙った。
破壊力は確かにある。当たればひとたまりもないのも、間違いない。しかし、あまりにも単調過ぎた。狙われるのが誰なのかが明確で、かつラムには援護してくれる誰かがいるわけでもない。
ほんの少しだけ強さを垣間見た所を上げるなら、弱らせるためにネロと若が一度ずつラムを思いきり殴った時に、恐ろしい執念でやり返してきたことぐらいか。
それでも勝負はもう、火を見るより明らかな状態にまで追い詰めた。
「初代。その拳銃を貸してもらえるか」
二代目に言われたとおり、初代が一丁を手渡す。受け取った二代目はきちんと銃弾が入っていることを入念に確認した上で、横たわって息も絶え絶えのラムに近付いた。
「お前を助けたのは誰だ?」
「貴様に……答える、ことなど……!」
喋るのだってやっとのはずだというのに、ラムはなおも憎悪の宿った瞳を二代目に向け、お前に話すことなど何もないと拒絶し続けた。
「質問を変えよう。……あの時は何故、俺の命令に背いた?」
「てめえの命令なんぞ……いちいち聞いてたら……! 命がいくつあっても足りねえだろうがあああ!」
怨念ともいうべき執念の一打をラムが放つ。危ないと悟った仲間たちはとっさに駆け出し、二代目を庇おうと誰もが走り、駆け寄ってきていた。
「──そうか」
銃声音が響く。寸分の狂いもなく脳幹に撃ちこまれたラムは体を大きく後ろに倒し、もう二度と、動くことはなかった。
「帰ろうか」
駆け寄ってきていた仲間たちに顔を見せることなく、二代目は去っていく。向かう場所は己が建設した事務所だ。
「ったく、肝が冷えた」
そんな二代目に小言を言えるのはおっさんだけで、他の面々はこの重苦しい空気に顔を曇らせてながら、自分たちも事務所に帰還するのだった。
Ending 01 Scene Player ──── 二代目
大変に反省の多い出陣となってしまった。
自責の念に苛まれている二代目の元に一つ、カップが差し出された。
「今回の件について、話してくれるよな」
カップを受け取るために顔を上げるとみんなが心配そうな顔をこちらに向けていることに、二代目は今になってようやく気付いた。
しかし、申し訳ないと思いながら、話す気はなかった。この件に関しては完全に自分とおっさんの問題だと、今でも思っているからだ。
小さなため息を吐き、せっかく入れてもらったのだからと思って飲んでみると、初代の入れてくれたコーヒーは美味しかった。
「おっさんもだぞ。俺に話すって約束、反故にしたらマジでぶっ飛ばすからな」
「もう何度もぶっ飛ばされてるっての。そんなことより、お前らは学校を無断欠席したお仕置きを受けなきゃ、だろ?」
三人の血の気がさっと引いた。成り行きだったとはいえ、無断欠席したのは事実だ。世にも恐ろしい二代目のお叱りを受けることを考えてしまった若とバージルは柄にもなく震えあがっている。そしてそんな恐ろしいお叱りを初めて受けるのだと、ネロも口の中が渇いていくのがよく分かった。
「説教については俺も擁護は出来ないな。だが、今は二代目の話が先だ」
明らかにおっさんが話をはぐらかそうとしているのは分かっている。だから初代は食い下がらず、何度も同じ言葉を繰り返した。二代目か、おっさんが折れるまで。
「貴方たちは妙に隠し事が多い気がする。もう少し、お互いを頼っても良いと思う」
まだ新人である自分が口を挟むのもあれだと思っていたダイナも進言した。
──どうにも、このチームは歪だ。
皆が家族のように想いあっていて、それは素敵なことであるはずなのに、何故かお互いのことを知らない。相手を想いすぎているあまりに自分の過去を知られたくないのか、或いは欠点を見せてはいけないという強迫概念に近い何かに囚われているのか。うまく言えないが──そう。彼らはお互いの為に完璧であろうとし続けている。
誰も弱さを見せてはいけないなんて雰囲気は出していないし、何ならいくらだって甘えて良い環境であるはずだ。
なのに、誰もそれをしない。
二代目は言わずもがな、意外とおっさんも自分の弱さというものは見せない。それに倣うように初代はもちろんのこと、バージルだけでなく若だってそうだ。そんな謎の概念に囚われていないのは、最近メンバーになったネロと、ダイナぐらいか。
「本当に、大したことではない。俺がUGNに所属していた時の同僚がジャームになっていたというだけだ」
何とも分かりやすい嘘だ。いや、嘘と断言するのは語弊があるか。本当ではないが嘘でもない、都合のいい言葉と言うのが言い得て妙。
「なあ、二代目。俺たちって、そんなに頼りないか?」
若が視線を落として言った。自分の言葉に相当傷ついたのか、強く目を瞑って何かを耐えだす始末だった。
「そういうわけでは……。今回もきちんとお前たちに待機命令を出しておけばと」
「やめてくれよ! そうやっていつも、除け者に……っ」
「若の言うとおりだ。何故頼ってくれない? 俺たちの、何が足りない?」
感極まって顔を隠してしまった若に続き、二代目に対しては滅多に意見しないバージルが思いの丈を吐き出した。これには二代目もかなり動揺したようで、困った表情を浮かべた。
「あまり、良い話じゃないんだ。お前たちに聞かせられるような話が……俺には、なくてな」
「別に楽しい話じゃなくていい。俺たちは二代目に抱え込んでほしくないだけなんだ。……だってよ、あんなにも辛そうにしている二代目を見たのは、初めてだったから」
──だから、俺たちが力になりたい。話すことで楽になることだってあるはずだ。
初代に言われて初めて気づく。自分はそんなにも苦悩の表情を浮かべていたのだろうか、と。
それはどうやらネロも同じように感じていたことらしく、おっさんもだぞと声をかけていた。確かに、おっさんも今回の件については随分と思い悩んでいたと、二代目は思い出す。
そしてきっと、おっさんも自分に対して同じことを考えていたのだろうということも。
「……なら、少しだけ、聞いてくれるか? 楽しい話ではないが」
皆が首を縦に振ってくれていた。それに促されるように、二代目はゆっくりと、ほんの少しだけ、昔の話をした。
Ending 02 Scene Player ──── おっさん
二日ぶりに帰ってきた事務所は何も変わっていなかった。そのことに安心感を覚え、自室で堕落の限りを噛みしめていると、ノックもなしに誰かが部屋に入ってきた。
「おいおい、随分と行儀の悪い奴がいたもんだ」
「あんたにだけは言われたくない」
やっぱり来たといった様子のおっさんはネロのことをちらりと見た後は興味を無くしたように視線を外し、ふわふわと宙に浮きながらあくびをして、頭をかいていた。
「つか、なんで浮いてんの」
「重力を自在に操れるバロールにとっちゃこれぐらい朝飯前だって。後はまあ、そういう気分なんだ」
相変わらずよく分からない気分屋だと、ネロはこれを流した。
「なあ、おっさん」
「んー、なんだー」
呼べば、いつもどおりの間延びした声が返ってくる。ここで別にと言えば怒ったりなどせず、ただ“そうか”とだけ言って流してくれるだろう。
「仲間だった奴と戦うって、どんな感じ」
「……ふむ、そうだな」
宙に寝転がっていたおっさんが体を起こし、あぐらをかいた。そして少しの沈黙をわざとこしらえ、口を開いた。
「良いもんじゃないな。俺はラムと特別仲が良かったわけじゃないにも関わらず、だ」
言いながらもへらへら笑っているから、どこまでが本心なのかはっきりしなかった。だからネロはたらればで、相手が二代目だったらと、軽い気持ちで言った。
「────……、どう、だろうな」
数瞬、おっさんが真顔になった。だがそれもすぐに曖昧な笑顔でごまかされた。
「あ……、わりい」
「なーに謝ってんだ。ありえないことじゃないだろ。ここにいる誰かが、ジャームになっちまうってのもな」
その時は覚悟を決めるまでだとおっさんは言いきっているが、心の奥底では絶対までの拒絶を感じた。
当然だ。毎日楽しく馬鹿をしながら顔をつき合わせている誰かがある日ジャームになって、殺し合いをしなくてはならないなんて。そんなこと、たらればであっても考えたくない。
「好きでこちら側の世界に来た奴なんてのは早々いねえが、覚悟はしておけよ。……そういうこともあるんだって」
「ああ。……分かってる」
本当に、分かっているのだろうか。
分かるはずもないか。だが、そんなものは分からないままでいい。だからどうか、ネロが自分と同じ思いをしないように、出来る限り周りの奴らにも気を遣ってやらないと、なんておっさんは考えていた。
「あんま、抱え込むなよ」
「なんだ? 俺の心配してくれんのか? 坊やは優しいな」
「当たり前だろ。なんだかんだ言ったって、俺の命の恩人なんだから」
思っても見なかった言葉に度肝を抜かれたおっさんは目を丸くして、ゆっくりと宙から降りてきた。そして二本の足でしっかりと着地して、ネロを顔を覗き込む。
「俺のこと、認めてくれているのか?」
「べ、別にっ! あんたがジャームになりでもしたら、手に負えねえってだけだ!」
完全に照れてしまったネロはぶっきらぼうにおやすみだけを言い残し、そそくさと部屋を出ていってしまった。一人になった自室でおっさんはソファに腰を下ろし、天井を見る。
「どうやら、俺の勘は当たりだったな」
近い将来、ネロという存在が自分にとって必要になる。それがまさに今だと思った。
Ending 03 Scene Player ──── 初代
二代目の話を聞いた夜。
初代はベッドの中に体を滑り込ませ、ぼんやりと考え込んでいた。
ちなみに、学生の三人は現在お叱りを受けている。恐らく……というか間違いなく、明日の朝は目の下を腫らしていることだろう。
UGNの間で血の雨事件と称されている事件の話を聞いた時、初代は悔しくてたまらなかった。
それは血の雨事件が起きた当時の時点で、自分も十分に戦えるだけの力を持っていたにも関わらず、何も知らなかったということだ。
昔から二代目は一切UGNの話をすることはなかった。つまり、仕事についての話は絶対にしなかったということだ。
それは少なからず、自分や双子への配慮もあったのだとは思う。自分はUGNの施設に対して良い思い出がないし、若とバージルも二代目に保護されなかったら、今頃はきっと別々の施設に入れられて、UGNチルドレンとしての活動を強いられていただろう。
二代目が若とバージルを引き取ってきたのは、彼らが保護されてきた時の話をたまたま聞いたからだと言っていた。生まれた時からオーヴァードだった双子は親戚の家をたらい回しにされた挙句、UGNに保護された。そこまでは良かったのだが、二人がいつも一緒にために、どちらかがふとした瞬間に力を使うともう片方も力を使ってしまうという、ある種の共鳴のような状態が頻発したらしい。
そのためUGN側は二人を物理的に離すことによって共鳴を減らし、レネゲイドコントロールの力をつけさせようと考えていたそうだ。
それを耳にした二代目は二人を離すべきではないと、自分の管轄外であるにも関わらず抗議して、挙句の果てには家に連れ帰ってきたのだという。
相変わらずとんでもないことをする人だと思った。でも、本当に感謝している。自分も無理やりにでも連れ出されていなかったら、今頃どうなっていたか分からない。
だから、二代目の話を聞いて、もっと力になりたいと思った。
血の雨事件のこと自体は知っていた。残念ながら事件として起きた内容がジャーム絡みだったということまでは知らなかったが、少なくともそういった雨が降ったという世間的な事件については当時のニュースで大々的に取り上げられていたから、若干記憶にある。
それに関しては若やバージルだけでなく、普通にこの街で生きている人間ならそんな事件もあったと話せるだろう。
だが、その現場でもっと悲惨な事件があったことを知っているのはUGNの人間と、その事件を引き起こした人物ぐらいだ。
大量にジャーム化した人間と、ワーディングの影響を受けて意識を手放している一般人。はっきり言って最悪の状態だ。
ジャームは見境なく人間を殺す。相手が動かないのであれば尚更殺しやすい。そんな現場に到着したのはたったの十二名という小規模で、しかもただの寄せ集めのような部隊だ。出来ることなどたかが知れている。
だが二代目はやり遂げた。全ての者に指示を出し、UGNエージェントだけでなく、倒れている一般人すらをも全て救う道を算出し、己の体を酷使して任務に励んだ。最悪の状況に、最高の結果をもたらしていた──はずだった。
今でも理由は分からないと二代目は言っていた。一般人が危険に晒された時、もっとも有効な対処法がラムに庇わせることだったと判断した二代目は即座に指示を出した。だが、ラムはそれを無視してジャームに攻撃した。
確かに、理屈としてはわざわざ庇うよりも敵の数を減らせた方が有為に立てるだろう。他に一般人を襲おうとしているジャームがいなければ。
ラムにはそこまでの視野がなかった。目の前のジャームを討てばそれでこの場を切り抜けられると思っていたのかもしれない。真相は闇の中だが、別のジャームが一般人に襲い掛かっているという現実だけが残った。
そして悲劇は起きた。一般人を守るために今度はティアが二代目の指示を無視した。無視してジャームの攻撃から一般人を庇ったティアはそのまま死亡。これによって大きく心が揺らいだシェリルもレネゲイドの衝動に飲まれ、ジャーム化。近くにいたジャーム数匹を巻き添えにして死んだ。
これに中てられたラムも暴走状態となり、複数匹のジャームに囲まれて瀕死。最期におっさんに助けを求めたが、二代目はラムを助ける指示をおっさんには出さなかった。
苦渋の決断だった。確かにおっさんを向かわせていれば、ラムは助かっていたかもしれない。
代わりにおっさんの死は確実。そしてこの部隊の仲間たちを守り、ほぼ全ての攻撃を一手に引き受けていたおっさんを失うということは、隊の全滅を意味していた。無論、一般人も全員死ぬだけに留まらず、ジャームたちはさらに別の場所へ行き、被害を増やすだろう。
そして事件が鎮圧された時の現場は見るも無残なものだった。どれが誰の身体の一部なのか分からないほどに死体の山で覆い尽くされていて、凄惨を極めていた。
これが、今回の事件の発端だと二代目は語ってくれた。
今でも、何故ラムが生き残っていたのかは分からないという。本人が口を割らなかったのもあるが、恐らくは何か強大な組織がバックについているのではないかと睨んでいるそうだ。しかし、そこまでは二代目もまだつかめていない。
「これからも力になるぜ、二代目」
自分へ向けた決意だから、別に本人の耳に届かなくたっていい。そんな風に考えながら、初代は目を閉じるのだった。
Ending 04 ──── Master Scene
ワーディングが解かれ、人がいなくなった後。
一人の少女が大きな男の死体をずるずると引きづっていた。
「この男も“マスター”の役に立ちませんでした。本当に、どいつもこいつも出来損ないばかり。せっかく貸し与えてやった私の大切な人形たちもろくに扱えないなんて」
愚痴をこぼす少女ははきはきと喋っていて、この間の蚊の鳴くような声とは大違いだった。
「ああ、でも。人形の顔を見た時のこいつは傑作でした。自分のかつての同僚と共に戦えたことは最高だったでしょう」
そして同僚同士の殺し合いも最高だったと独り言を口にする少女の顔は恍惚としていて、心の底から嬉しそうだった。
「あー! やっと見つけた! お姉ちゃん、探したんだよ!」
死体を引きずっている少女に声をかけたのは幼い女の子だった。歳は見た感じ、八歳前後。
「また死体漁り? 今度僕が作ってあげようか?」
「それもいいかも。お願いしようかな。それで、私を探してどうしたの?」
女の子とうり二つの顔をした男の子の提案に、少女は微笑んだ。男の子も歳は見た感じ、八歳前後。
「あのね、“お父さん”が呼んでるの。そろそろあの青年を手に入れるために、本格的に動くんだってー」
「そのための作戦会議をするんだって。僕たちはただ、殺して殺して殺しまくるだけなんだけど……」
今度はそれじゃだめなんだと言われたことを伝える男の子は物凄く残念そうにしている。
「“マスター”がお呼びなのね。分かった、すぐ行くわ。……ふふ、大丈夫よ。青年は殺しちゃダメだけど、その周りにいるお邪魔虫はぜーんぶ、殺しちゃっていいんだから」
「ほんと? わああい! お兄様、全部殺しちゃイヤよ? 私にも半分頂戴ね? 約束よ!」
「もちろんだよ。そういう姉様こそ、僕の分まで殺しちゃわないでね? あ、出来た死体はお姉ちゃんにあげるからね!」
どこまでも無邪気に笑う双子と、それを容認する血に塗れた少女はいつまでも楽しそうに話しながら、自身たちの慕う者の元へと帰っていった。
第三話「裏切者の烙印」 了