これはダンテたち一行が冒険者ギルド、灯火の守り手にて迷宮<時渡り>に挑み始めてすぐ、同じ迷宮へと挑戦した一人の男の物語である。
駆け出しからベテランまで数多くの冒険者が所属している灯火の守り手の扉を開いたのは一人の男だった。
銀髪が特徴的な男は長身ではあるがどちらかと言えば細身で、戦士と言うよりは魔術師のような体格に思われる。ただ身に纏っているのはローブでも鎧でもなく、まるでグラップラーが好むような軽装で打たれ弱そうな印象を与える見た目だった。
それを例えるなら、深紅のコートといった具合か。黒い胸当てが独特ながらに唯一装甲がありそうな部分に見えるほどに男は身軽で、見たところ武器も持っていなかった。
「迷宮<時渡り>に挑みたい」
男が目的を伝えると、受付は男を見て驚いた後、遠巻きに止めた方が良いのではと困った顔で引き止めた。
原則、冒険者とは自由である。だからこそ、ギルドの受付で働く人たちも基本的には止めたりしない。だが、受付の人たちにも良心というものがあり、その良心がこの男の人は止めた方が良いと思ったため、ついつい引き止めてしまったのだ。
そして、受付が引き止めたことは仕方のないことであった。何故なら男には、死に場所を求めているような危うさがあったからだ。もっとも安全だと言われている迷宮<時渡り>でさえも死んでしまうのではないかと思わせるほどの危うさが。
結局、忠告を聞き入れることもないままに迷宮<時渡り>へと姿を消してしまった男のことを受付は呆れながら、時たまああいった訳の分からない手合いがいることに理解が出来ないといった表情を浮かべた後、すぐに切り替えて次の仕事に取り掛かり始めた。
この時、本来なら提示されなければならない冒険の紋章を見せてもらっていないことを、受付は失念していたのだった。
迷宮に入った男は入口のすぐ近くから魔法の気配を感じ、それを解除した。何かしらの魔法の道具で地下へと続く道が隠されていることをすぐさま突き止めた男はこれを施した人物が誰であるのかを理解し、念のために調べつくされている迷宮内の確認もした。
当然ながら、何か見つかることはなかった。隠されていた先にある地下へと向かったことに確信を持った男は何かを考えているようでいて、どこか上の空であるような無気力さのまま、ゆっくりと階段を下っていった。
そこは明かりの照らされていないことから、ほとんど人が立ち入ったことのない場所であるとすぐに分かるものだった。だが少し進むと下級の蛮族が焼き払われていて、少なくとも一人はこの階層に足を踏み入れているようだった。
「……新しい足跡があるな」
蛮族の死体を調べている最中に見つけたのは、つい最近、それも時間にして三十分も経っていないと思われる数種類の足跡。正確には足跡というよりは死体を踏んだ跡といった具合だが、男にとっては些細な違いでしかなかった。
これに対しても別段興味を抱くことがなかった男は魔法の扉に辿り着き、正規の鍵がないことには開かないことを理解して、鍵を探しにほんの少しだけこの階層を探索した。とはいっても魔法の力を感知しながらだったために最短の道を辿り、ものの十分としない内に再び魔法の扉の前に戻ってきたのだった。
鍵をはめ込むと扉が開き始めると同時に、差しこまれていた鍵は何処かへ消えてしまった。これに対しても興味も持たない男が躊躇うことなく扉の向こうへ足を踏み入れると、奥から何かが飛ばされてきた。
見事に抱きとめたそれは人族であった。頭状花序の青い花を頭部右側に付けた女性は気を失っており、ひどい傷を負っている。
「ミラ?」
迷宮に足を踏み入れてからこの時になって初めて、男は感情を出した。驚きと当惑、そして追想。ミラという名を口にした男は繊細な手で女性を優しく壁に横たえて、女性が飛んできた方向に目を向けた。
視界に映ったのは四体のオーガだった。他には血の中に転がっている人物が五人。オーガたちも自分のことを認識しているようで、明らかにこちらを敵だとみなし、男に対して武器を向けていた。これを見て、相手は殺し合いでしかこちらの存在を認められないと理解した男は深紅のコートを翻し、オーガ四体と対峙した。
そこに居たのは、先ほどの男ではなかった。顔に疲れを浮かべ、やつれた体を鞭打って動いていた老人のような男ではない。
実に若かった。目には生気を感じさせる熱があり、体は生物が迎える中でもっとも全盛期である時のように活力に満ちている。その男が、動いた。
六人の冒険者を一瞬にして葬ったオーガたちに単身で挑んだ男は──圧倒的だった。
先手を取った男は何処からともなく現れた剣と二丁の拳銃をその手に持ち、器用に三つの武器を使い分けながらオーガたちを蹂躙した。
一体を剣で斬った次にはもう一体に二発以上の銃弾を撃ちこむ神速。かと思えば一点に眩い光が集中し、周囲を破壊する高等魔法が既に発動していた。この一連の流れがたった十秒の間に二回行われているという事実を把握できたのは、この現状を生み出した男だけであった。
理解の及ばない内に一体が息絶え、残りの三体も瀕死にまで追いやられたことに気付いたオーガたちはそれでも引き下がる事無く、それぞれが持つ得物を男に向かって振るった。だが残念なことにそのどれもが掠ることすらなく、先ほどの冒険者たちを一撃で瀕死にまで追い詰めた魔法も、男を追いつめるには到底威力が足りていなかった。
この間、男は無表情であった。ただ無機的に、己に刃を向けた蛮族を駆逐した。一体は剣で、もう一体は銃で、最後の一体は魔法で殺した。
全てを片付けた男は汗一つかいておらず、息を乱してもいなかった。代わりに瞳は何も映していないような虚ろさで、倒れている者たちをその場に置いたまま、奥の部屋に行ってしまった。かと思えば数分と経たない内に奥の部屋から古い本を一冊もって出てきた男は倒れている者たちを一か所に集め、しばらくの間何かを唱えると、その場にいた全員の姿が忽然と消え去ったのだった。