六月十五日午前十時三十七分。
「何やってんだ、V。そんなことしたって、何も変わりゃしねえよ」
距離にしてわずか数ミリ手前。おっさんの顔面に振り下ろされた魔剣スパーダは、若によって寸でのところで止められていた。魔剣スパーダがVの腕ごと若によって持ち上げられ、確実に自分の上から離れたことを確認してからおっさんはぼやき、ゆっくりと体を起こす。
「……危うく、串刺しだ」
「俺、は……」
Vは脱力したように魔剣スパーダを手放してその場に座りこみ、何も発言しなくなった。再び手の中に収まった魔剣スパーダを持っている若は何も言わず、おっさんが立ちあがるのを待つ。
「今、何日だ?」
「十五日。……六月な」
問いかけに答えたのは若だ。これを聞いたおっさんはひと月も経っているのかと鼻で笑い、怠そうに体を持ち上げた。
「どおりで、体が硬いワケだ」
ようやっと立ち上がったおっさんは背中を反り、首を回したりして固まった筋肉をほぐす。
「急ごうぜ、おっさん。今、ネロと二代目があいつの元へ向かってる」
「……ネロもか?」
眉をひそめたおっさんはもう一度聞きなおすが、返ってくる答えは当然同じだった。それを知ったおっさんは、魔剣スパーダを寄越すよう指で合図を送る。
「別に、奪う気なんかねえよ」
今の態度で、またネロや自分のことを除け者にしようとしていることを悟った若は苛立ちながら、魔剣スパーダをおっさん目がけて投げた。
六月十五日午前十一時二分。
相当になまった体をほぐしているおっさんの体操に付き合いながら、若は話しかける。
「それより聞かせろよ。一か月前、どうなったのか」
戦いの最中で意識を失ってしまった若は、おっさんが遅れてやってきた時のことから何も知らない。その後にネロとVがやってきたことすら話を聞いた限りでしか知らず、自分の目では見ていない。
だから知りたかった。自分たちが撤退した後、一人残ったおっさんの身に何が起きたのかを。
「……負けたんだよ。リベリオンは砕けちまうし、魔剣スパーダを使っても返り討ちにされた。そんだけだ」
おっさん自身、自分が負けたという事実を認めるのは相応に自尊心が傷つくようで、かなり機嫌が悪い。しつこく聞いてもこれ以上の返答はないだろう。
「とにかく、これは俺の仕事だ。お前は帰ってろ」
「はあ? さっきも言っただろ、二人はあいつの元に向かってるって! なんで俺だけ帰らなきゃなんねえんだよ!」
ここまで来たというのに、いくらなんでもあんまり過ぎる。言いたいことが分からないわけではないが、そんなものはくそくらえだ。
「二代目も二代目だ。ネロのこと託したってのにまた挑みに行くなんて、何考えてるんだか……」
「どこまで俺らのことを除け者にすりゃ気が済むんだ!」
頭に血の上った若がリベリオンを手におっさんへと斬りかかるが、魔剣スパーダを使って難なくいなしたおっさんは、さらに追撃をかけて若を弾いてから歩き出す。
「待て! 俺からも話が……」
座り込んで二人の会話を聞いていたVがおっさんを引き止めようと慌てて立ち上ろうとするものの、バランスを崩してまた地面との距離をなくした。
「いいから休んでな。一応、礼は言っておくぜ」
結局、おっさんは一度として振り返ることなく、若とVを置いて一人でクリフォトを目指して進んでいってしまった。
六月十五日午前十一時十一分。
「クソ……! 一人だけの問題だって本気で思ってんのか?」
先ほどのことを思い出すだけではらわたが煮えくり返る。
何が“帰れ”だ。何が“これは俺の仕事”だ。本当に一人で抱え込もうとしているのだと分かれば分かるほど、おっさんへの苛立ちが募る。それでも、若はおっさんを追いかけるのではなく、倒れ込んだVの体を引っ張り上げ、立たせた。
「何故だ? お前の足なら、追いつけるはず……」
若の足なら、追いかければまだ間に合う。なのに疲弊している自分なんかに気を回してくる若の行動が、Vには分からなかった。
「おっさんに話があるって言ったのはお前じゃねえか。ほら、連れてってやるからおぶされよ」
代わりにリベリオンは持ってもらうと言ってVの背中に移し、有無を言わせないままVをおぶった。背負う時にVの身体から何かが零れ落ち始めていたことに気付いていたが、きっとVから話してくれる時が来ると感じたから、この時は自分から問いかけることはしなかった。
「ハッハー! まさかお前がVちゃんの足代わりになってくれるとは、人生何が起こるか分かったもんじゃねえな。なあ、Vちゃんよ?」
「うるせえから耳元で騒ぐなって」
グリフォンに悪態をついてはいるが、口元は笑っている。今日という時間を共に過ごしているせいか、何だかんだ騒がしいのにも慣れてしまったようだ。
おっさんのことを殺しかけたVを信用しようと思えたのは、実のところ単純だった。
殺そうとしたときにVの口から衝いて出た言葉は心の底から絞り出されたものだと感じ取れたし、自分が止めた後に見せた、脱力しながら安堵している表情も、Vの素直な一面なのだと分かるものだった。そして発言の内容から、Vは間違いなくバージルの一部なんだと確信した。同時に、これがバージルの持っている人間らしさなのだと、ようやっと兄のことを理解出来た瞬間だった。
「飛ばすからな。しっかり掴まってろよ!」
おっさんが何を考えていようが自分は退かない。そして自分が傍にいる限り、Vのことも見捨てない。これが若の出した答えであったから、Vを連れておっさんを追いかけるのは当たり前のことで、たとえ自分の選んだことがどんな未来を築いたとしても、受け入れるだけの覚悟がこの時出来上がるのだった。