Sword errand of silver hair

 ライフストリーム。
 それは、星を巡る命の流れ。星と、星に生きる全ての命の源のこと。
 何十年も昔に、神羅カンパニーはライフストリームを資源として使う方法を見つけた。そのおかげで、人々の生活はとても豊かなものへと様変わりした。
 同時に、神羅カンパニーが行っていることは星の命を削ることだと考える人が大勢出てきたのだった。結果、神羅は自分たちに反対する人々を力で抑ることを決め、ソルジャーという特別な兵士を作り上げた。
 ソルジャーとは、大昔に空から降ってきてこの星を滅ぼそうとした災厄、ジェノバの細胞を埋め込んだ人たちのこと。その中に、セフィロスというとても優秀なソルジャーが誕生した。だが彼は、自分が恐ろしい実験で生まれたことを知って、神羅を憎むようになってしまった。そうして彼の異変に気付いた頃には、彼は全てを憎むようになっていた。
 神羅と、神羅に反対する人たち。憎しみのあまり、星を破壊してしまおうとするセフィロス。セフィロスを止めようとする人たち。
 いくつもの戦いがあり、戦いの数だけ悲しみが溢れた。……そして、あの日。
 運命の日。
 すべての戦いを終わらせたのは、星自身の力だった。
 星はライフストリームを武器として使うことを決断した。地上に吹き出したライフストリームは争い、野望、悲しみ。全てを飲み込み、事態を収束させた。
 悲しみと引きかえに、全部終わったんだよ。
 そう言われたのは二年前のこと。しかし、星は人々が思うよりずっと、ずっと怒っているようだ……。

 静まりかえっている事務所内に電話が鳴り響いた。その音をうるさいと感じたのか、若は不機嫌そうに机を蹴る。相当な力で蹴ったため受話器が宙を浮いたが、綺麗に若の手に収まった。
「Devil May Cry」
 声のトーンが低く、普段の彼を知っている者からすれば機嫌が悪いということは一目瞭然だが、電話越しの相手にそれは分からないので、合言葉もないまま相手は一方的に用件を伝えてくる。若は面倒くさいといった表情を浮かべながら電話を切ろうとしたとき、相手の一言で手が止まった。
「……いいぜ、受けてやっても。……ああ、報酬は奮発してくれよ」
 仕事を受ける旨を伝え、乱暴に受話器を投げて電話を切る。腰に提げているエボニー&アイボリーを確認し、リベリオンを引っ提げて事務所を出て行こうとしたとき、ちょうど風呂から上がった初代に声をかけられた。
「依頼か? 若が受けるなんて珍しいな」
「今回は……ちょっとな」
 歯切れ悪く言う若は依頼内容を聞かれるのが嫌というより、早く現場に向かわせてくれといった様子。それをどことなく悟った初代は何も言わず、行って来いと見送った。
 いってきますの代わりに手を軽く上げてから扉を閉めた若。壁越しであるため、外の状況は初代に分かるわけがないのだが、かすかに聞こえた排気ガスのような音に若干の疑問を持った後、まあいいかと初代はそれを流した。
「さて、と。飯を作るか、二代目の帰りを待つか……」
 少し悩んだ後、大人しく電話番をすることにしたようだ。どうやら今は初代以外は出払っていて、事務所が寂しく感じられる。
 いつもはおっさんが電話番をしているが、彼だって留守にすることはある。その時は手が空いている誰か──基本的にはダンテの誰か──が電話番をする。ここはおっさんの事務所ではあるが、元をたどればダンテの事務所なため、初代がカウンターに座って静かに電話番をしているのも様になっていた。
「I’m home.」
 玄関が開き、ただいまの声とともに帰ってきたのは二代目。事務所の中を見渡せば、いつもおっさんが読んでいる雑誌を顔に乗せ、うたた寝している初代しかいない。
 仕方のない奴だと思ったのか、はたまた若の相手でもして疲れていると思ったのかは定かでないが、二代目は足音を殺して初代を起こさないように気を配りながら、キッチンの方へと姿を消した。
 しばらくして、雑誌が床へとずれ落ちた音で初代は気怠そうに目を開けた。
「寝ちまってたか……」
「目が覚めたか。どうせ飯はまだなんだろう」
 大きなあくびをしている初代に、二代目が声をかけながら料理を運んでくる。ちょうど腹も減っていたんだと思いながらテーブルに並べられる料理を見れば、二人分の缶ビールもあった。
「二代目、飲むのか?」
「たまにはな。お前も飲むだろう?」
 二代目からのお誘いとは珍しいこともあるんだな、なんて言いながら二人で乾杯する。初代は一気に半分以上呷って飲むなか、二代目は軽く一口。
「静かだな」
「ああ。うるさい奴らが全員、出払っちまったからな」
 普段からうるさい人物といえば、若を筆頭におっさん、ダイナ、ネロ、そしてバージルと続く。……とは言うものの、後者三人は大体巻き込まれる形で結果的に騒ぐことになっているのだが、そこに初代も乱入したりしなかったりと毎日が賑やかだ。
 だが、そんな賑やかな日常はもう二週間、おとずれていない。
「おっさんとネロはフォルトゥナに。ダイナは兄貴と一緒に仕事に出て行ってから、若もびっくりするぐらい静かになっちまってよ」
 ダイナとバージルが仕事に出て行ったのが二週間前。最初の三日ぐらいはネロにちょっかいを出したり、おっさんにちょっかいをかけられたりとでそこそこに騒いでいた若だったのだが、それもだんだんと反応が悪くなっていった。そこへ畳みかけるように、構ってくれていた二人がフォルトゥナの様子を見に行ってしまう。後は先ほどの説明どおりだ。
「なんだかんだと騒いでいるが、それはやはり心を許せる仲間がいるからだ。……初代も、そうだろう?」
「仲間っつっても半分は自分なんだが……ま、否定はしないでおくさ」
 料理に手を付けながら普段のことを思い出せば、食事の時間すらも静かなことに違和感を覚えるとともに、こうして話し相手が一人でもいるということにも違和感を覚えた。
 今だからこそ慣れてしまっているが、本来であれば過去や未来の自分が話し相手として目の前にいるなど、とんでもない現象だ。そしてそれはバージルやダイナ、ネロに関してもだ。初代から言えばこの三人は存在しない、またはまだ出会わない人物なのだから。
「ああ見えて若も分かっている。初代も……」
「今日は随分と饒舌だな。もう酔っちまってるのか?」
「……すまない。酔っているのかもしれないな」
 何かを言いかけた二代目が、言葉を飲み込むようにビールに口付けた。それにつられるように初代も飲み、もう一本冷蔵庫から取り出してきた。
「あいつらの兄貴分として、落ち着きがいるってのは分かってるんだがな」
「兄がいるのに歳で言えば自分の方が上というのも、不思議な感覚ではある」
 この感覚をどう伝えたものか、なんて神妙な表情を二代目がするものだから初代は口角を上げ、二本目のビールのプルタブを開けながら言った。
「嫌って程に不思議な感覚は味わわせてもらってるさ。俺も……おっさんも」
 初代もおっさんも二代目と同じ境遇なわけだから、分からないわけがない。そのことにまで頭が回らないのは仕事の疲れからか、酔っているからか……。
 真実は二代目本人にしか分からない。そんな彼は特に顔色を変えることはなく、ビールの残りを飲み干した。
「話は変わるが、俺のバイクを知らないか?」
 ガラリと話題を変えてきたところを見るに、二代目も今の異常な状況をどうすることも出来ないものだと割り切っていることが伺える。初代も蒸し返すことはせず、バイクの話題に乗った。
「俺はいじってない……が、そういえばさっき、若が出ていくときに排気ガスの音が聞こえたな……」
「ということは、若が乗っていったか」
 事務所に帰ってきた時に若がいない時点で仕事に行ったのだろうという予想は立てていた二代目は、考えずとも分かる結論に至る。
「だいぶ焦ってた様子だったからな。恐らくバイクは帰ってこないぜ」
「……そう思っていた方がよさそうだ」
 今のバイクはかなり気に入っていたと言い、二代目は残念そうに目を伏せるのだった……。

 ヒーリンはこちらと書かれた看板がたてられている道を、赤いバイクが法定速度なんてものは度外視した速度で走り去った。その先にはドーム型の質素な白い建物が一つだけ、ポツンと物寂しげに建てられている。
 バイクの持ち主と思われる人物は建物につくなり急ブレーキをかけ、乱暴にバイクを止めた。そして階段を使わず、常人では絶対に出来ない跳躍で扉の前に降り立ち、豪快に開け放った。かと思えば間髪入れずに背中に提げてあった大剣を持ち、何かを受け止めた。
「くっ……うぉりゃ~~!」
 突然、赤色の髪を後ろで一つに束ねているのが特徴的な、スーツを着崩して着用している男が警官棒を振り下ろしながら襲いかかってきた。それを何事もなかったかのように受け流すと、赤髪の男は勢いあまって扉の外へと出て行ってしまう。慌てて部屋の中に戻ろうとする相手を入れないように、大剣を持った男は扉を閉めてしまった。
 数秒の沈黙の後、先ほど閉めた扉がほんの少しだけ開けられ、赤髪の男が顔を覗かせながら言った。
「さすがだぞ、と」
 そんな相手に何も言わず、もう一度扉を閉めてやり、今度は鍵まで掛けて完全に締め出してしまった。するとすぐに部屋の中にある別の扉が開き、キッチリとスーツを着ているグラサンをかけた坊主頭の男がゆっくりと出てきた。
「ルード、カッコいい」
 閉め出された赤髪の男がルードと呼んだ男──今、まさに別の部屋から出てきた──が、人間の中ではかなりの速さで警官棒を構える。しかし、構え終える頃にはすでに首元に剣先が向けられていた。
 これに怯んだルードは戦闘の構えを解き、ネクタイを締めなおした。
「流石だ。なんでも屋の店主」
 ルードが出てきた部屋からもう一人、全身に白い布を被った男が車椅子に乗って出てきた。
「この間に一度依頼をしたときに来てもらった二人組も大した腕だったが、君も別格のようだ」
 布を被っているせいで表情から探りを入れることはできないが、声色を聞く限りでは淡々と述べながらも、どこか安堵しているように聞こえる。
「店主、ね。……あんたが依頼人のルーファウスだな。電話で借り出した挙句、随分なご招待じゃねえか。それとも、これが神羅カンパニーの社長さんならではのやり方なのか?」
 皮肉な言葉を並べながら大剣をしまう上裸に赤いコートを羽織っている人物──若は、早く用件を話せと言わんばかりに焦りが見えた。
「我ら神羅カンパニーは、この地域一帯に大きな借りがある」
 ルーファウスは依頼の話をするのではなく、神羅カンパニーがこの地域一帯とどういった関係があるのかを話し始めた。最初こそ話を聞いていたが、この話が自分を呼ぶ理由になった仕事の話とは無縁のものだと理解した若は腕組みをしながら、出口の扉前を右へ左へと歩き、話が終わるのを待った。
「ミッドガルを中心にしたいくつもの街々をこのような惨めな状態にした責任は、我々にあると言われても仕方がない。よって、この負債は何としても返さなくてはならないのだ」
「開けてくれよ」
 ただでさえ興味のない長話を聞かされてうんざりしてきたいところに、先ほどから締め出されている男の呑気な声が聞こえてきたことにより、若の限界が達した。
「そんなことはどうでもいい。さっさと依頼の話をしな。でないと……」
「私と、私の部下を切り伏せるか? いいや、君はそんなことはしないし、出来ないはずだ。何故なら……」
「俺よりお喋りな奴は嫌いだ。……電話で言っていたことを話さないと、本当に帰っちまうぞ」
 生まれてからこの瞬間まで、ここまでの気迫を感じたことのないルーファウスは言葉を止め、少し思案した後に話し出した。
「……二週間ほど前、我々は『北の大空洞』と呼ばれている土地の調査を行った。目的は先ほど話した、この地域一帯への大きな借りを返すため。だが、調査に向かっていた私の部下である二人が予期せぬ事態に巻き込まれた」
 二週間前と聞いて、ようやく本題に入ったことを理解した若は珍しくも苛立ちを抑えながらルーファウスの話に耳を傾けた。
「一度は我々だけで救助を試みたが失敗に終わった。だから君の店『Devil May Cry』に依頼を出した。結果、重症ではあったが私の部下は帰ってくることが出来、さらに有益な情報を手に入れることも出来た」
「有益な情報?」
「君の仲間である二人は私の部下を救う途中、カダージュと名乗る男を中心とした一味と交戦したらしい。三人組の男たちの猛攻を耐え抜き、負傷者二人の救助を難なくこなすあの腕前は、まさしく本物だ。……その時に、君の仲間内で若干の揉め事があったようだが」
 今日と同じように、二週間前に舞い込んできた神羅カンパニーの社長、ルーファウスからの依頼。これを引き受けたのはダイナとバージルだった。
 その二人のことを良く言われるのは、自分は全く関係がないと分かっていても嬉しいようで若は自然と口元に笑みを浮かべる。しかし、その笑みはすぐに消え、核心へと迫った。
「揉め事、ね。……実際二人は帰ってきていない。それにこうして再び依頼を出して来たってことは、ろくなことになってないってことだろ」
 若の言葉にルーファウスは言い訳をするわけでもなく、淡々と話をつづけた。
「“銀髪の刀使い”は今、ニブルヘイムという町にある神羅屋敷へと向かった」
 事務所で依頼内容を聞いた若をその気にさせた“銀髪の刀使い”という言葉。何故回りくどい言い方をするのか? それが若には分からなかった。
 しかし、あのバージルであれば名乗らないままだということも十分に考えられる。さらに、そんな彼とともに行動しているのがダイナであれば、彼女もバージルの意思を尊重して名前を伝えていないというのはあり得る事態だった。
 だからこそ、バージルが一体何をしようとしているのか。それを確かめる必要があると若は感じていた。
「追加依頼を出すなんて、相応の依頼料がいるぜ。そこんとこ分かってるんだろうな、社長さん?」
 なんて考えているとは思わせない、いつもの軽口。だがこれにはルーファウスが反論した。
「いいや。この件に関しては彼らが自ら調べたいことがあると言ったことだ。私はその調べ物についての情報を与えたに過ぎない」
「……なに?」
「では、今回の依頼内容だ。電話でも話したとおり“銀髪の刀使い”の野望を阻止してほしい」
 絶妙なタイミングでの話の切り替えしに、断れない依頼内容。完全にルーファウスの手のひらで踊らされていたのだと理解した若はしてやられたと眉を潜ませた。
「仕事はきちんとこなしてやるさ。……報酬、期待してるぜ」
「私も良い報告を待っているよ。デビルハンター、ダンテ」
 最後はルーファウスの姿を視界にも入れず、そそくさと扉の鍵を外す。そして扉を開けば外からは日の光とともに、赤髪の男の影が部屋に伸びた。
「期待しているぞ、と」
「レノ」
 若に負けず劣らずのお調子者のようで、レノはルーファウスとルードに咎められ始めた。そんな彼の横を通り過ぎ、若は躊躇いなく二階以上の高さから飛び降り、平然と着地した。そして何事もなかったように乗ってきたバイクにまたがり、発進させる。
 ニブルヘイムにあるという神羅屋敷を目指して。

 二週間前。
 ルーファウスからの依頼を受けたバージルとダイナは『北の大空洞』にて、無事に保護対象を救援し依頼を果たす。その際、謎の集団──カダージュと名乗る男を中心とした三人組と対峙した。
 二対三というだけでなく、重傷者二人を守りながらの攻防は熾烈を極めるものになるかと思われたが、バージルの圧倒的なまでの連撃を前にカダージュ一味は撤退していく。
 逃げる一味に追撃をかけに行けば、先ほど与えた以上の打撃を残すことは可能ではあった。ただ今回の目的は撃退ではない。そのことは依頼内容を聞いている彼にいちいち言わずとも良いことではあったが、ダイナは念を押さずにはいられなかった。バージルならば、邪魔をした者はすべて斬り伏せると言い出すことが目に見えていたから。
 瀕死の状態である保護対象者をそのままに敵へ追撃をかけに行こうものなら、とてもじゃないがダイナ一人の手に負えない事態に発展する。
 彼女にとってはこの場にいる者全員の命を平等に守る使命がある。だからこそ、バージルに傍を離れられては困るのだ。それを知ってか知らずか、この日のバージルは素直に引き下がった。これには驚きを隠せなかったが、とにかく重症者二人の救出を急いだ。
 程なくして怪我人を治療室へと運び込んだ二人は、ルーファウスに今回の報告をしていた。
「よくやってくれた。流石は、なんでも屋と言ったところか」
 どこかの誰かを彷彿とさせる第一声。この場にいたのがおっさんだったら、まるで自分が喋っているみたいだとか言って笑っていそうだが、残念なことに今この場にいるのは無愛想なバージルと、これまたほとんど表情の変わらないダイナだ。お礼がないことへの文句などは一切なく、ルーファウスへ手短に『北の大空洞』の出来事が伝えられた。
 謎の三人組に襲われたこと。その彼らに部下はひどい拷問を受けていたこと。そして最後に言い残された言葉……。
「“母さん”とはなんだ。……奴らは“返してもらう”と言っていた」
 閻魔刀に手をかけながら彼は問う。
 ルーファウスがどのような問題に首を突っ込んでいるのかとやかく言うつもりはないが、もし何かしらの隠し事をしているのはこちらとしても困る。店の沽券に関わるし、何より気分が悪い。だから返答次第では容赦なく斬るつもりでバージルは話している。
「ああ、恐らく彼らが“母さん”と呼んでいるもの。それはジェノバの首だよ」
「ジェノバの、首……?」
 聞いたことのない言葉に、首という単語。何やら訳がありそうだが、知らないことばかりを話されても理解できない。
「君たちはこの地域一帯についての知識は乏しかったね。ジェノバとは約二千年前に宇宙のどこかから『北の大空洞』へ飛来してきた高等生命体だ。目的は諸説挙げられているが、一番有力なのはこの星自体を船として扱い、新たな星へ旅することだと言われている。……なんともはた迷惑な話だ」
「なら、部下を行かせた理由はその高等生命体を手に入れるためか」
「いいや、ジェノバの首が見つかったのはただの偶然だ。しかし、カダージュたちが現れたこととジェノバの首が存在することは偶然ではない。奴らはジェノバの首を使って“リユニオン”を行い、セフィロスの復活を目論んでいる」
 そうなれば悪夢再びだとルーファウスは言う。だから阻止するために、ジェノバの首を隠したのだと。
 とりあえず、母さんと呼ばれるものの正体を知ったダイナはこれ以上首を突っ込む必要はないと判断した。受けた依頼はきちんとこなしたし、後は彼らが自身の力でどうにかするべき問題だ。
「……その首は今、貴様が持っているのだな?」
 普段であれば必要以上のことを頼まれても絶対に断るバージルが、興味を持って問いただすのは初めてのことだった。そんないつもと違う彼にどう接すればいいのか分からず、ダイナはただ事の成り行きを黙ってみているのだった。
「それが何か?」
「預かってやる。後、セフィロスとやらのことも知っている限り話してもらおう」
 バージルにとってここ最近の生活と来たら、仕事は時たま入れど雑魚悪魔を狩るだけの日々。力を欲する彼にとってそんな毎日は退屈以外の何ものでもなかった。
 しかし今はどうだろうか? ジェノバという高等生命体の首を目の前にいる人物が持っている。それを使えば、悪夢と言わしめるほどの強者が蘇らせられる可能性があると聞かされたのだ。
「何を、考えているの?」
 理解したくないような提案に、とうとうダイナが口を挟んだ。
 共に過ごしている彼らの言動に口出しをするつもりはない。それは彼らが、いちいち目くじらを立てて物申すほどの問題を起こさないからだ。降りかかる火の粉を払うのは自然なことだし、大体危険なものは望まずとも向こうからやってくる。こちらに非がないものに対してまで口を挟むのはお互いに疲れるだけだ。何故なら、そこには諸悪の根源が存在していないのだから。
 だが、今回は話が違う。バージルは明らかに危険だと言われているものを自ら呼び出し、それと対峙しようとしているのだ。
 ある程度のことは好きにやってくれて構わない。ただ、自分の守るべき対象が──家族か、それ以上の存在──その身を危険に晒そうとするのであれば、止めるに決まっている。
「君にこの首を渡したとして、私にどんなメリットがある?」
「ジェノバだかセフィロスだか知らないが、すべて討ち滅ぼしてやろう。そうすれば金輪際、奴らの脅威に怯えることもなくなる。……悪い話ではあるまい」
「願ってもみない提案だが、そういった旨の依頼を出すつもりはない。君たちの仕事は終わった」
「金が欲しいわけではない。先ほどの話に出てきた“リユニオン”とやらをカダージュが行うために、ジェノバの首が必要だと言っただろう。だから預けろと言った」
「カダージュ一味を討てばいいだけだというのに、君はわざわざセフィロスを再誕させようというのか? 失敗したとき、どうするつもりだ。君はどう、責任を取る」
 失敗という言葉を聞き、バージルはほくそ笑む。
 己の力量は請け負った仕事で十二分に見せた。その彼の実力を見ても負けの可能性を暗示してくるということは、それだけの強者ということに他ならない。だからこそさらに思う。
 ──戦いたいと。
「私は反対。仕事は終わった。セフィロスという人物が復活する、しない以前に、一旦店へ帰るべき」
「帰りたければ帰れ。元よりお前を巻き込むつもりはない」
 その言葉が優しさから来ていれば嬉しかったが、残念なことに今の言葉は完全に独りよがりの域を出ない。常人の感覚を持ち合わせている者であれば、喧嘩に発展してしまいそうだ。もっとも、バージルと喧嘩などしようものなら、命の保障は出来ないが。
「……賛同できないと言っても聞く耳を持たないこと、理解している。だから私もついていく。足は引っ張らない」
「必要ない」
「私が必要としている。仲間を助けられるなら、自分の身体ぐらい訳ない。……もう、誰も失いたくないから」
 バージルが強者との戦いに固執するように、ダイナにも譲れないものがある。彼女にとっては仲間が第一だ。
 彼らが、半人半魔なために屈強な体を持っていることは承知している。それでも怪我をして帰ってきたら心配するし、自分がその場に居合わせていたら庇うことが出来たのではないかと、いつもやるせなく感じるのだ。その行為が怒られるものだと理解していても、こればかりは直らないだろう。
 だから、今回のバージルの案件についていくと決めた。
「……邪魔はするな」
 一度言い出したら絶対に意見を変えないというダイナの性格は知っている。なんだかんだと言いつつも結局はバージルが折れる形となり、ダイナの同行が認められた。
「勝手に話を進めているところ申し訳ないが、私は首を渡すとは言っていない」
「ならば奪うまでだ」
 ルーファウスが何かを言いかけたが、それが喉を通ることはなかった。いつの間にか喉元には閻魔刀の先端が突きつけられていたからだ。まさに神速と表現するに相応しい手際を前に、ルーファウスは諦めたように肩の力を抜き、何かを差し出した。
「これは?」
「君たちが望んだものだ。……必ず、討ち滅ぼしてくれ」
「負けるなどあり得ん」
 黒い小さな箱をダイナが受け取る。中には液体が入っているようだ。これがジェノバの首から摘出された、ジェノバ細胞と呼ばれるものらしい。
「その細胞やセフィロスについて詳しく知りたければ、ニブルヘイムにある神羅屋敷を訪れるといい」
「カダージュたちは、ここを狙ってくるかもしれない」
「だとしても問題はない。奴らが求めているのは箱の中身だ。それを持っている限り、執拗に後を追われるだろう」
「そうでなくては困る」
 用事は済んだという態度でバージルは閻魔刀を鞘に納め、依頼主に挨拶もせず出て行ってしまった。彼の目的地はもちろん、ニブルヘイム。
「……仲間が無理を言った。だけど、いずれ討つべき相手だとも感じる」
「それに関しては否定しない」
 また何かあれば頼ませてもらうと言われたので、ダイナはご贔屓にとだけ言葉を残してバージルの後を追うために扉を開けた。そうして部屋から出るとき、最後に……と前置きをされながらかけられた言葉で、手のひらの上で踊らされていたのだと気づくのだった。
 ──抜刀された時は少し肝を冷やしたが、うまく話に乗ってくれて助かったよ。

 どこまでも広がる荒野の中を爆音とともに駆けていくは、二代目の赤いバイクに跨った若。己の半身と、家族のように暮らす彼女に会えなかった二週間のことを思えば、たかだか数時間景色が変わらないことなど苦ではなかった。
 それでも若は急ぐ。
 先ほどからずっと、嫌な予感が脳裏に焼き付き離れない。……もし、自分が危惧していることが起こってしまったら? 考えれば考えるほどに事態は好転せず、焦りと苛立ちを生んだ。
 若を焦らせるそれは、バージルの裏切り。自分がいた元々の世界の時のように、力を求め、再び懐を分かつことになったら……。
 バージルがそのようになったら、ダイナは黙ってみていないだろう。止めようとした末、命を落としているかもしれない。そんなことはあり得ないでほしい。……しかし、万が一にも起こってしまったら。
 手を下したバージルを許せないのはもちろん、少しでも可能性を考慮したのに止められなかった自分も許せないだろう。
 アクセルを握っている手に力が入る。それでもバイクはこれ以上のスピードが出ないと言いたげに速度が上がることはない。荒野を走り抜け、目的地であるニブルヘイムに着くまでの間、若は嫌な予感を振り払っては再びそれに飲まれそうになる、長く苦しい時間を味わいながらバイクを走らせ続けた。
 そうして見えてきたのは小さな村。村の地面は綺麗に石畳で舗装されており、村の中心には給水塔が設けられている。後は宿屋に武具屋、それと小さな民家がいくつか経っている程度だが、その中に一件だけ大きな建物が見て取れた。ただ、人はもう住んでいないようで、誰かがいる気配はまるでしない。
「あれが……神羅屋敷か」
 ざっと見ただけでもかなりの大きさがあり、塀も設けられていることを見るにかなり質は高そうだ。一つ問題があるとすれば、他の民家と同じく人の気配がないということ。つまりそれは、この屋敷自体の管理もろくにされていないことを指す。実際、外観を見るだけでも風化が進んでおり、中に入ることを躊躇わせる。
 常人であればここで引き返すという選択肢も十分考慮されるものだったであろうが、残念ながらこの屋敷に足を踏み入れようとしているのはあの若だ。一切の躊躇いもなく乱暴に開かれた屋敷の扉は壊れはしないものの、嫌な音をたてながら若を迎え入れた。
 外気が建物の中に流れ込めば、当然中の淀んだ空気は外へと追いやられる。埃とカビ臭さが鼻をつくが、僅かに外と変わらない綺麗な空気も感じられた。足を踏み入れる前に見える範囲の左右を確認してから足元を見れば、積もった埃が等間隔になくなっているのが見て取れた。それは右手にある扉へと続いており、また二種類あることから若が探し求める二人の足跡だと断定するのにそう時間はかからなかった。
 迷う余地もなく足跡を辿っていくと床に隠された入り口が開け放たれており、螺旋階段が地下へとのびていた。とはいえ若が階段を使って下りるわけもなく、見事な跳躍を見せて最深部へと飛び降りた。
 少し進めば二つほど扉があり、両方とも扉が開け放たれたままだった。明らかに誰かが入った痕跡であるが、若は別段気にすることなく近場の扉から足を踏み入れた。
 そこにはいくつかの棺が並べられており、一つだけ蓋が開けられた状態で放置されていた。異様と言えば異様だが、棺のことを除けばただ暗いだけで何の変哲もない部屋でしかなかった。若はすぐにその部屋を去り、もう一つの部屋に入った。
 中は書斎になっていて、今でも電気が通っているのか、若干薄暗くはあるものの本棚に敷き詰められた書物を読むのに十分な光源は確保されている。他には破壊された二つのビーカーが目立つぐらいで、後は木製のテーブルが置かれている程度だ。そのテーブルの上にはいくつかの資料が開かれたまま放置されていて、つい最近埃が払われた跡も見て取れた。
 小難しい資料に目を通すなんて若の柄ではなかったが、この書物に目を通していた人物が誰なのか予想がついている以上確認しないはずがなく、今までに見せたことのない集中力で資料に目を通し始めた。小難しい書き方がされているが、要約するのには大して手間はかからなかった。
「約二千年前に飛来した謎の高等生命体ジェノバ。それから取り出した細胞を胎児に埋め込み、同じ存在を作る」
 何とも馬鹿げた実験だという感想を若は抱いた。こんなことをするのは悪魔に魂を売った奴がすることだ、と。それと同時に、ジェノバ細胞を埋め込まれて生み出されてしまった赤子がセフィロスだということも知った。過程は違えど人にして人に非ずなところを自分と重ねてしまった若は苦い顔をしながら資料に目を通すことを止め、神羅屋敷を後にする。
 知らない者が見れば突然の行動だろうが、若の中ではもう答えが出きっていた。
 この資料を最近、自分以外の誰かが読んでいること。その人物がこの内容に目を通せばどのような結論に至り、次に何をするのか? 分からないわけがなかった。
 外に出た若は止めてあったバイクを発進させて、ニブルヘイムのさらに奥にあるニブル山、正確に言えばそこに建設されている魔晄炉を目指す。
 探している二人がいると確信を持って。

 ニブル山に設けられている魔晄炉。これは神羅カンパニーが初めて建設した炉で、魔晄……つまりライフストリームをエネルギーとして用いるためのものである。だがこれは数年前から稼働停止しており、現在使われていない。そして剣山とも呼べる険しい立地条件ということもあり、全てが当時のまま放置されている。
 つまりそれは……。
「これが実験の成果か」
「悪魔の所業」
 過去に神羅が行った実験がまるまる残っているということだ。
 強いソルジャーを作るためとして、人間を魔晄漬けにするという恐ろしい実験。それが行われていた場所こそがここ、ニブル山に作られた魔晄炉内だ。
 資料を見て大体の事情は把握していても、目の当たりにすれば相応の思いがこみ上げてくる。あまりの不愉快さに二人は顔をしかめ、辛辣な言葉を吐いた。
 実験に使われていたカプセルは全て機能しておらず、ほとんどは割れて中身も残っていない。それでも、近場に転がるモンスターの残骸を見てどういう結果になったのかは悟れる有様だった。
 実験結果の観察もほどほどに切り上げ、中央の階段を上がって最奥部に立ち入る。
 足場は魔晄を郵送するパイプが何重にも重ねて作られたもので、お世辞にも安定感があるとは言えない。繋がれたパイプの先には割れたカプセルが一つだけ置かれていて、中身はない。ただ、このカプセルの中に安置されていた何かには名前が設けられていたようで『JENOVA』と彫られたプレートがかかっていた。
「ようやく見つけたよ」
 背後から声をかけられ、ダイナは振り向く。バージルは依然カプセルの方に身体を向けたまま視線を声の主に配り、腰に提げてある閻魔刀に手をかけていた。
「どうして、分かったの」
「母さんを感じたんだ。だからここに来た」
 生首……いや、ただの液体と化した細胞如きがどうやってカダージュをここに呼んだのかは分からない。ただ事実として、カダージュは自身が母と呼んでいる細胞を持った二人に辿り着いた。
「どうやら、奴が言っていたことは本当のようだな」
 ジェノバ細胞を持っている限り、執拗に後を追われることになるというルーファウスの言葉は的中した。ともなれば、他にも言っていたリユニオンというものも信憑性が増してくる。
 ようやっと強者と相会うことが出来ると思えば思うほどバージルの心は高まり、自然と口角が上がる。
 そんなバージルの表情を横目で見たダイナは後悔する。不敵な笑みを浮かべる姿は今までにも何度か目撃しているし、矛先が自分に向いたこともある。どれをとっても散々な目にあわされてきたが、だからこそダイナは感じ取ってしまった。
 彼は力を欲している、と。
 己の鈍った力を……感覚を取り戻す足掛かりとして、まずは手始めに最強のソルジャーだと謳われたセフィロスを討ち取る。……では、その後はどうする?
 ダイナも並み以上の力を持ち合わせている。それでも、バージルからすればまだまだひよっこに過ぎない。弱い者に興味がない以上は蚊帳の外。なら次の標的は?
 そんなもの、言わずとも分かる。
 取り返しのつかないことが起こってしまうと考えてからのダイナの行動は早かった。手早くケースからレヴェヨンを取り出し、ルーファウスに手渡された黒い箱を宙へと放り上げ、破壊を試みる。突然のことでカダージュは武器を構えて自分の身を守る素振りを見せたが、ダイナが投げた黒い箱を見た瞬間中身を理解したのか、怒りを露わに突撃してきた。
 ただ、一瞬の判断ミスが致命的だった。カダージュが黒い箱を取り戻すよりも早く、ダイナが振り切ったレヴェヨンが黒い箱を両断せんと迫る。
「母さんっ!」
 カダージュの叫びが届くことはなく、黒い箱は真っ二つに割れ、中から緑色の液体がぶちまけられた。サラサラとした液体はダイナと、駆け込んできていたカダージュの身体にかかる。
 茫然とするカダージュにダイナは切っ先を向けて、喉元めがけて突きを入れる。バージルもまさかここに来てダイナが反旗を翻すとは思っていなかったようで、カダージュを庇おうとするも抜刀が間に合わない。
 狙いは確実だった。この至近距離で外すなどあり得ない。なのにまるで手ごたえを感じられず、ダイナは顔をしかめた。
「残念だったな」
 身の毛がよだつ声が全身を駆け上がる。レヴェヨンの矛先は閻魔刀をも凌ぐ長さを誇る刀に阻まれ、声を出した人物の喉を掻き切ることはなかった。
 目の前にいるのはカダージュに似ているようで、どこをとっても違う者だった。
 バージルと同等か、それ以上の身長。地面につくのではないかと思わせるほどの長髪は銀色で、目は青く瞳孔が長細い。この人物が……目の前にいる者こそがセフィロスであると理解するのに、そう時間はかからなかった。
「どけ」
 数少ない楽しみを奪われそうになった時は本気でダイナを殺してやろうかと殺気立ったバージルだったが、そんなことは既にどうでもよくなっていた。あれだけの至近距離から放たれた渾身の突きに反応したのならば、次は俺のも受けきって見せろとバージルは抜刀する。
 セフィロスは瞬時にダイナのレヴェヨンを弾き返し、抜刀から繰り出される一太刀を自身が操る刀、正宗で受け流して後退した。
「なかなかの速度だ」
「今のを躱すか。……そうでなくては、呼んだ意味がない」
 ようやく現れた強き者。その存在が嬉しくてたまらないのか、バージルは閻魔刀を鞘にしまって再び抜刀の構えを取る。ダイナとしてはこうなる前に片をつけたかったが、結果としてリユニオンさせてしまった以上やるしかない。レヴェヨンを構えてセフィロスと対峙する。
「ダイナ。次はないと思え」
「守るために必要なことだと判断し、行動した。事実、目の前にいる彼は、私たちが考えていた以上に危険」
 一度ずつ攻撃しただけだが、相手の力量を知るだけならそれで十分事足りる。むしろ、一度交えても相手のことが推し量れないようならとっくに命を落としている。
 銀髪の刀使いがそれぞれ愛用する武器を構えてから数分。集中力を絶やすことなく互いの出方を窺う中、最初に集中力を切らしてしまったのはダイナだった。
 彼女自身の中で集中力を切らしてしまったという自覚はない。否、周りから見ても常人であればダイナのそれも見事なものだった。しかし、今目の前に対峙しているセフィロスと刃を交えるのであれば、並では務まらない。緊張感が高まるあまり額から頬へと伝い、地面へと落ちるたった一滴の汗。普通であればそんなもの気にも留めないし、そもそも気づくこともない。
 だが、極限にまで高まった集中力の中では、地面に落ちた水滴の微かな音にすら過敏に反応してしまう。それが引き金となり、セフィロスはバージルではなくダイナに太刀筋を向け、斬りかかってきた。
「っ……そこ!」
 反応が遅れたとはいっても、あくまでも超人たちの感覚での話だ。その超人への道に足を踏み入れつつあるダイナは寸でのところで躱し、レヴェヨンで反撃に出る。それに合わせるようにバージルも抜刀して追撃をかけたが、いきなりの行動であったために若干のズレが生じてしまう。セフィロスからの追撃を防ぐ役割にはなったが、結局は先ほどの出方を窺う状態にまで逆戻りだ。
 しばらくの沈黙の後、次に行動を起こしたのもセフィロスからだった。
 右から仕掛けると思わせ、すかさず左側から横薙ぎを仕掛けてくる。バージルは確実に見切り、大きく飛んでそのままセフィロスに幻影剣を放ちながら距離を詰める。一方フェイントにかかってしまったダイナはバージルと同じように躱せないため、全身を大きく前に倒すことで横薙ぎを避けた。
「俺に合わせろ」
「援護射撃する」
 うつ伏せの状態になったダイナはレヴェヨンをそのまま床に置き、素早くノワール&ブランを手に取り幻影剣に合わせて射撃する。拳銃を扱うのに適した体勢でなくても難なくこなす技術は見事なもので、引き金を引く速度は衰えない。
 バージル自身も幻影剣はあくまでも囮としていて、本命は抜刀を当てることだ。一本でも多くセフィロスに刀で弾かせ、体勢を崩させる。目論見がうまくいけば抜刀だけでなく、そのまま閻魔刀で切り刻むことが出来る。
 実際、この作戦はうまくいった。幻影剣だけならば身体一つで全て避け切っていただろうが、足りなかった部分をカバーしたダイナの銃弾を跳ね飛ばすためにセフィロスは正宗を使った。その一瞬をつき、懐へ入ったバージルが閻魔刀で畳みかける……はずだった。
 一瞬、セフィロスが大きく姿態を左へと寄せ、自ら足場の悪い淵へと立った。かと思えば体勢を立て直すためか、後ろへと上体を反らした。
「バージルッ!」
 怒号をあげながら突如として現れた赤い何かが視界に入ったと思えば、それは全力で大剣を振り下ろしてきた。何者かの接近を逸早く感知していたセフィロスは既にその場から離れており、赤いコートをなびかせるそれと鍔迫り合いをするバージルに斬りかかった。
「やらせはしない!」
 目の前に現れた彼に、何故ここにいるのだとか、どうしてバージルに斬りかかったのだとか聞きたいことは山ほどある。だが今の最優先事項は問いただすことでも、状況を把握することでもない。
 全身全霊を持って、セフィロスの斬撃から二人を守ること。
 在りし日と同じ悲劇を繰り返さないために、無理な姿勢のまま二人とセフィロスの間に割り込む。立ち上がった時の勢いを殺しきれず、挙句に武器を取り替えている暇もなかったためノワール&ブランで無理くり防ぐ。
「残念だが、力不足だ」
 たとえ万全な体勢であったとしても、ダイナがセフィロスの一撃を真正面から受けきることは出来なかっただろう。結局割り込めはしたものの、純粋な力の差で押し負け、後ろに蹴り飛ばされる。もちろん、背後で喧嘩している兄弟を巻き込んで。
「うおっ! なんっ……」
「ダイナ!」
 バージルは、蹴り飛ばされたダイナを背中で受けて体勢を崩した大馬鹿者の弟と、ぶつかってもなお勢いが止まらないダイナをその胸に収め、真下に流れるライフストリームへの落下を防いだ。
「何俺のこと抱き寄せてんだよ! 気持ちわりい!」
「支えるために仕方なくやってやったんだろう! そもそも、何を勘違いしているか知らんが貴様が斬りかかってきたせいで……!」
「喧嘩は後。今は目の前の敵に集中を」
 敵前で言い争いを始める二人を制止しながら、付け入られないよう警戒を強めるダイナのおかげでセフィロスからの追撃を受けることはなかった。
 若はそそくさとバージルから離れ、彼女が警戒する先を見る。視界の先には、まさしく銀髪の刀使いと表現するに相応しい人物が立っているではないか。
「ダイナが倒れこんでいたのはバージルのせいかと思ってたが……なるほど、そういうことか」
 若の存在に前々から気付いていたセフィロスはタイミングを合わせて視界に入らないギリギリの位置に移動し、結果として錯乱を成功させた。事実、若がこの場に来た時、眼界に映ったのはうつ伏せになって二丁拳銃を構えているダイナの姿と、自分に向かって抜刀を仕掛けてくるバージルの姿だけ。後は事前に貰っていた情報と、ここに来るまでの言いようのない焦りが判断を鈍らせ、先ほどの流れを作ってしまった。
「三対一か……。少し分が悪いな」
 本心から出たとは到底思えない言葉を口にしたセフィロスは何を思ったのか構えを解き、笑みを浮かべながらおもむろにダイナへと手を伸ばした。するとダイナは右手に持っていたノワールを取り落とし、ブランを持った左手を胸の前にして苦しみ膝をついた。
 瞳孔が散大と縮小を繰り返すが敵前で目を閉じるわけにもいかず、必死にセフィロスの姿を捉え続けるが……それが良くなかった。
「どうした?」
「っ……! あっ、う……」
 呼びかけに反応したダイナはノワールを落とした手で頭を抑えながらも、若の方をちらりと見る。彼の目に映ったのは、瞳を縦に細長くした……セフィロスと同じ、青い目をしたダイナだった。
「ダイナ、目が……!」
「私に構わず、奴を……」
 明らかに異常だとは分かっていても、現段階でどうにかしてやることも出来ず、今もなおダイナに手を伸ばしているセフィロスに注意を向ける。バージルもダイナの前に立ち、若の横に並ぶようにしてセフィロスと何度目か分からない対峙を果たす。
「力を求めていた割に……女を庇うか」
「勘違いするな。邪魔が入った以上、尋常な勝負は不可能だと踏んだ。ならばさっさと貴様を屠り、帰るだけだ」
 閻魔刀に手をかけ腰を深く落としたバージル。若もリベリオンをセフィロスにつき付け、戦闘態勢だ。一方セフィロスは笑みを絶やすことはなく、さらに言葉を続けた。
「抗うな、受け入れろ。そうすれば楽になれるぞ、女」
「二人を守れる……なら……楽じゃない、道だって……耐えられ、る……!」
 どういった苦しみがダイナを襲っているのかを知ることは出来ない。だが、我慢強い彼女が呻き声を上げ、何かを堪えているのは明白だった。
 これ以上好き勝手な言葉を吹き込まれるのは得策ではないと双子は悟り、合図も無いまま己が動きたいようにそれぞれのテンポでセフィロスに斬りかかる。普通なら同士討ちになってしまいそうな危なっかしい攻撃でも、流石は双子と言うに値する見事な連携で──当人たちにその気はない──彼の者を追い詰めていく。
 しかし、昔のこととはいえ英雄と呼ばれし者の実力も伊達ではない。最小限の動きで躱せるものは躱し、必要なものだけを正宗で受け流して反撃する。剣士にとってまさに理想の動きで二人と互角に渡り合った。
 激しい攻防が繰り広げられる中、一人別の戦いをしていたダイナが動きを止め、落としたノワールを拾い上げてゆっくりと立ち上がった。
「……良い子だ」
 嬉しそうにつぶやいたセフィロスは、一際力の入った斬撃で若を後ろへと吹き飛ばす。別段体勢を崩したわけではないが、若は背後から異様な気配を感じ取り、振り返る。もちろんそこにいるのはダイナだが、言葉にするまでも無く様子がおかしかった。
 二丁拳銃の銃口はセフィロスにではなくダンテとバージルに向けられ、明らかに異変を来した瞳からは正気をまるで感じられない、虚ろなものだった。
「おいバージル。俺はちょっくら用事が出来ちまったから、そいつのことちゃんと片付けとけよ」
「言われるまでもない。お前こそしくじるなよ」
 互いが互いの発言に、失敗なんてするわけがないと言いたげに小馬鹿にしたような息を吐く。言いたいことを伝えた若はセフィロスに背を向け、ダイナの真正面に立つ。逆にバージルは完全にダイナに背を向け、セフィロスとの激闘を再び始めた。
「どうしちまったんだ? 銃口を向ける相手、間違えてないか」
 今にも引き金にかけている指に力を入れそうになっているダイナへ、若は何の躊躇いも見せずに一歩、一歩と近付いていく。
「う、ぐっ……」
 彼女自身の中でまだ何か葛藤があるらしく、若が近付くにつれて先ほどの様に苦しみだし、身悶えた。
「ダイナ──」
 名前を呼びながらもう一歩を踏み出した時、銃声が轟く。ブランから撃ち出された銃弾は若の左頬から数ミリほど左にずれた位置を通り過ぎ、奥の壁に穴をあけた。
「はっ……ぁ……」
 そして、何かに抗い抜いたダイナは事切れたように倒れこんだ。
「おっと。……本当にすげえよ、お前は」
 身体を地面に打ち付ける前に彼女を抱き寄せる。彼の胸の中では時折苦しそうに顔をしかめはするものの、先ほどとは比べ物にならない程に落ち着いた、いつもの表情に戻ったダイナの姿があった。
「怪我、は……」
「ダイナのおかげで傷一つないから安心しろよ。……ったく、精神支配を気力で抑え込むとか、なかなかに荒っぽいことするぜ」
「足を引っ張った……。私のことはいいから、バージルの元へ……」
 セフィロスの精神支配に抵抗したため、ダイナは疲弊しきっている。この状態であの英雄に戦いを挑んだところで二人のお荷物になるだけだと理解しているダイナは自分の身を守ることに専念し、これ以上手を煩わせることはしないと若に伝えた。
「誰も足手まといだなんて思ってねえよ。それに、俺は今、バージルよりもダイナの方が心配だ。だからもう少し、こうやって俺に抱かれてろ」
 元より放す気はさらさらないようで、抱きしめる両腕に力を入れてさらに密着させる。
 敵前で、しかも仲間が交戦中であるにも関わらずふざけてこのような行動を取っているのであれば、誰が相手であろうとダイナだって怒っていたはずだ。というよりは、怒りの声は喉元まで出かかっていた。
 しかし、彼の……真剣な瞳を直視してしまっては、出そうと思っていた声が出るはずはなかった。
「綺麗な黒い瞳だったのに、こんな色になっちまって……。痛みはあるのか?」
 痛みはないと言いながらダイナは若の瞳に映る自分の目を見て、瞳孔が細くなっていることにようやく気付き、慌てて目を閉じた。
「ごめん。こんな……不気味な目を見せて」
「そんな風には思ってないが……早く治しちまわないとな」
 背中を優しく叩かれ、ダイナはそれに答えるように一つ大きく頷いた。
 そこへセフィロスに弾かれて大きく後退したバージルが若の真横に、体勢を崩しながら転がり込んできた。
「いつまでそうしているつもりだ、鬱陶しい」
「おいおい……。今いいところなんだから水差すなよ」
 見れば何ヵ所か切り傷が出来ており、痛々しい。ただそれはセフィロスにも言える事で、バージル同様身体のあちこちに切り傷がつけられ、そこから鮮血が滴っていた。
「貴様もさっさとその目を元通りにしろ。ダンテからそれだけ力を貰っておいて、出来ないとは言わせんぞ」
「これだけの魔力があれば問題ない。……若、ありがとう。有り難く使わせてもらう」
 軽く若の胸を押し返し、腕の中から自由になる。手放した本人は名残惜しそうにしてはいるものの、これ以上は怖い兄貴のお怒りを受けかねないのでぐっと我慢だ。
「女が一人増えたところで、戦況が変わるとは思えんな」
 リベリオンを手に、先頭へ立つ若。コートの乱れを直したバージルがそれに続き、その二人に挟まれるようにダイナが中央に立つ。そんな彼らを嘲笑うかのようにセフィロスは正宗で突きの姿勢を取り、迷いなく中央の彼女を狙った。
「ここからは……マジだぜ」
 若が言い終わるよりも一瞬速く、渾身の突きを放ったセフィロス。ただ手ごたえを感じることが出来ず、すぐに態勢を整えるために距離を取ろうと後退した。だが次の瞬間にはレヴェヨンを手にしたダイナが正宗を構え直すよりも早く突きを繰り出し、彼の者の右肩を深く貫いた。
 痛みはあるようで呻き声をあげていることは確認できたが、追撃を許さない立ち回りは敵ながらあっぱれという他なく、その後に放った攻撃は全て空振りに終わった。
「力を隠していた、か」
 床に放置されていたはずのレヴェヨンが何故彼女の手元にあるのか、その理屈をレヴェヨン自体が放つ独特の雰囲気から理解したセフィロス。彼女の無力化を謀るために再び彼女を操ろうと試み……すぐにそれをやめた。
「状況判断、個人としての戦闘力、どれをとっても貴方は強い。……だからこそ、ここで討ち取る」
 セフィロスに向けられた目は先ほどまでの青く長細い瞳とは違う、一番最初に出会った時の黒い瞳に戻っているが、それ以外に変わった部分は外見にはない。ただ先ほどの瞬発力から攻撃の重みなど、どれをとっても段違い。これを鑑みるに、彼女が何かしらの自己強化を行っているのは火を見るより明らかだった。
「面白い。……ならば恐怖を刻もう」
 操れないのなら実力でねじ伏せればいいとセフィロスは即座に判断を下し、行動に出る。
 右肩に大きな傷を負っているとは思わせない豪快かつ繊細な動きに惑わされないよう、ダイナは集中する。一、二回目の斬撃はその身で難なく躱し、次の三、四回目の斬撃はレヴェヨンで受け流した。ただ、これだけの斬撃を繰り出しても速度の衰えないセフィロスの動きについていけなくなり五、六回目の斬撃が左腕と右足を掠めた。腕だけならばともかく足の方を躱しきれなかったのは致命的で七、八回目の斬撃は左右の横腹へもろに突き刺さった。
 口から血を吐き出すがこれに怯むことなく、ダイナはレヴェヨンの持ち手をばらしてセフィロスを束縛する。それは数秒と持たずして解かれてしまうが、彼らにとっては十分だった。
「メインイベントとしては相応しかったが……幕切れだ」
「こいつにはちゃんと、舞台から降りてもらわなきゃな!」
 身動きを制限されていた間に双子は左右から彼の者を挟み、それぞれの剣で一刀両断した。
「情けはかけない」
 下に流れるライフストリームに正宗を落とし、両手で腹部を押さえて立っているのが精いっぱいのセフィロスに対し、最期の一撃を与えたのはダイナだった。
「次の戦いを……待つとしよう」
 レヴェヨンで心の臓を貫かれながらも最期にそう言い残したセフィロスは肉体をライフストリームへと向かわせ、やがて消失した。それから数分、ライフストリームからセフィロスが飛び出してくるといった現象が起こることもなく、完全に討ち取ったことを確認したダイナは肩の力を抜き、そのまま崩れるように膝をついた。
「勝ったからって気を抜き過ぎじゃないか?」
「何を言って……。私の魔人化は効果が切れたら……皆と違って、動けなく、な……」
「……はっ? おい、聞いてねえぞ!」
 最後まで伝えきることが出来ないままダイナは意識を手放す。彼らの前で魔人化を使ったのはこれが初めてだし、そもそも仕組みについて話した相手は初代にだけなので、若の聞いていないというのは真理だ。そうは言っても意識のない彼女に言葉が届くことはない。とはいえ、いつまでもこんな所で油を売っているわけにもいかない。
 若が起きろとダイナの頬を何度か叩いていると、彼女の身体が急に宙を浮いた。
「おい、ここまで何で来た」
「何って、二代目のバイク」
「だったらさっさと出せ。帰るぞ」
「いや、乗れるのは二人が限界だって」
 ダイナを脇に抱えたバージルは若にバイクを出すように言うが、三人も乗れるわけがないと若が反論。挙句に一人は意識を失っているというのにどうやって乗せて帰る気なんだと問えば、とんでもない答えが返ってきた。
「俺とお前の間にダイナを挟んで動かないように固定してしまえばいい。幸いにもこいつは小柄だ、場所も大して取るまい」
「固定って……意識がないから俺につかまってくれないだろ」
「だから俺が挟んで固定すると言っているだろうが。何度も同じことを言わせるな」
「はあ? ……え。ってことは何、バージルがダイナを胸に納めて俺にしがみつくってこと?」
 何それ気持ち悪いというよりも早く幻影剣が何本が飛んできたため、余計な一言が音として発せられることはなかった。……攻撃を受けている時点で大差はないが。
 結局、先の提案以上の答えは出なかったので渋々ではあるが言われた通り若がバイクを運転し、その後ろにダイナを限界までひっつかせた後にバージルが落ちないように抑えながら──単にのしかかっているだけ──ニブル山を後にした。

 剣山とも呼ばれるニブル山を何とも荒い運転で下山した三人はそのままニブルヘイムを去り、どこまでも広がる荒野を走っていた。行きと違うのは後ろに己が半身と、家族のように暮らす彼女がいることだろう。
「なあ、ヒーリンに寄るか?」
 声をかけたのは若。バイクの排気音に負けないよう、声を張り上げている。
「……いや、必要ない。仕事ではないからな」
「俺は一応仕事として来てんだけど……早く帰って、ダイナを休ませてやるか」
 依頼内容もろくに伝えないままに電話で人を呼びつけるような奴なら、依頼完了の旨を電話で伝えてもいいだろうという自己判断の元、若はそのままヒーリンを通り過ぎ、懐かしの事務所へとバイクを走らせた。
「バージル」
 再び声をかけたのは若。先ほどと同じように声を張り上げて兄の名を呼ぶが、次の言葉がうまく出てこないのか悩みだした。
「用件をまとめてから呼べ」
「……仕事じゃなかったなら、なんで首突っ込んだんだよ」
 主語が抜けている問いかけなため、これでは何のことだとしらを切られてしまいそうだ。……普段であれば答えるのも面倒だと一蹴していただろうが、この時のバージルは珍しく、若の問いに胸中を晒した。
「強者と戦えると聞いて血が疼いた。……それだけだ」
「それは、力を求めてるってことか」
「当然だ」
 即答され、若はハンドルを握る手に力をこめる。
 若がこの世界に来る前、決して望んでいた結末ではなかったが、一度は自らの手で袂を分かつことを選んだ。誇り高き魂を引き継ぐことを拒み、力に溺れる兄を野放しに出来ない責任と、家族のことは家族でけりをつけるべきだと考えていたからだ。それは今でも変わることはなく、必要に迫られれば再び剣を交えることを厭わないだろう。
 自分とバージルという双子の間でなら覚悟も決められる。ただ、本当にそうなってしまった時、ダイナとネロはどう想うのだろうか? 初代やおっさん、二代目は未来の自分だから、どういった答えを出すのかはそれとなく分かる。だがこの二人については予測することが出来ない。
 ネロは自分の父を目の前で討たれることを黙っているはずがないだろうし、ダイナもダンテという存在とバージルという存在を言葉のとおり平等に扱っていることを考えると、どちらにつくというよりは仲裁に全身全霊を注ぐだろう。
 己の半身ともいえるバージルを失った時でさえ喪失感に押し潰されそうになり、その度に後悔の念を何度も抱いた。あの感覚をもう一度味わうなんて考えたくもないし、さらに付け足せば、今回はそれだけでは絶対に済まないことも分かりきっている。
 想像すればするほどに不安は募り、振るう剣が鈍ることも明々白々だ。流石にそんな状態にまで陥ってしまえば、バージルを討つ前に自分が討たれるのが関の山だろう。
 ……それでも、今の生活を手放すことになるなら、自分が死ぬのもいいのかもしれない。
「……、……おい。聞いているのか、ダンテ」
「声が小さくて聞こえねえよ」
 考え事をしていて聞いてなかった、なんて素直に言えば運転中であろうが何をされるか分かったものではない。嘘をついていることは勘づかれているだろうが、確証がないため幻影剣が飛んでくることはなく、代わりに先ほどよりも張り上げたバージルの声が耳に届いた。
「力がなくては何も守れん。自分の身すらもだ。それぐらいは貴様のちっぽけな脳みそでも理解できるだろう」
「一言余計だっての」
「理解出来ているのなら貴様ももっと力をつけろ。でないとダイナ一人をとっても守り切れんぞ」
「それぐらい分かって…………はっ? バージル! もう一回言ってくれ!」
 ニブル山を下る前の会話で同じことを何度も言わせるなと釘を刺されたばかりだというのに、もう一度言ってくれと口にする大馬鹿者の弟。後ろの状況なんて分かるはずもないので、現在進行形でバージルがこめかみに青筋を立てていることに気づくことはない。
「本来、自分の身は自分で守るものだ。だが今のダイナには、まだそこまでの力が備わっていない。だったら、誰かがついて守ってやらねばなるまい」
 自分の兄の口から出たとは信じられないが、事実としてバージルが口にしたのは“ダイナを守る”という言葉。それに発言のニュアンスからして、今回はたまたま対象としてダイナの名を出しているが、誰に置き換えても自然と会話として成立する。
「……はっ! どういう心変わりだよ、バージル!」
「この際だからはっきり言っておく。この世界の俺がどうなったかなど、俺には関係ない。そして、俺がいた元の世界ではお前と袂を分かつこともない。……それだけだ」
 本当の兄に非ずして、心から求めた兄そのものの姿。求めて過ぎてはいけないと頭ではわかっていても、この生活を手放したくないと考えている自分がいる。
 あわよくば、全員がそう願っていればいいとも。
「……やっぱ、バージルは俺の最高の兄貴だよ」
 若の口から洩れた小さな言霊は風の音にかき消され、バージルの耳に届くことはなかった。彼の代わりに若の想いを受け取ったのは双子に挟まれ、身動き一つとることが出来ない彼女。バイクを運転する彼の腹部に回している自身の手に小さく力を入れれば、それに気付いた若が少しの間だけではあったが手を包み込んでくれた。
 二人だけの内緒事を共有する子供のように。
 その後は特に言葉を交わすこともなくバイクを走らせ続け、新しい朝を迎える頃にようやく帰るべき場所に着いた。フォルトゥナに行っている二人の出迎えがなかったのはほんの少し寂しくもあるが、初代に労われ、二代目からはよく無事にバイクを返してくれたと想像以上に褒められた。事務所に着くころには既にダイナも目を覚ましており──厳密にはもっと前から──魔人化のことをきちんと伝え直した後、自室で疲れを癒すのだった。
 もちろん、双子も。
「……何か、吹っ切れたみたいだな」
「若が分かりやすいのは今に始まったことじゃないが、まさかダイナとバージルまであんないい顔して帰って来るとは思っていなかった」
 おっさんとネロにも見せてやりたかったと語る二人はまるで子供を見守る親そのもので、おかしくも的を射ている表現に二人は笑いながら朝食を取るのだった。