「真太郎さん、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
今日は前に篠菜たちと約束した日曜日。集合場所に行くため、まずは隣に住んでいる緑間と合流する。
「……また、眠れなかったのか?」
「だって、皆さんと遊びに行くのって初めてですから……!」
今日もララクは、楽しみにしすぎて眠れなかった。
「まあ、うん。寝坊してないだけ成長してるんじゃない?」
目が充血しているララクを横目に、アンカルジアは呑気に一言そういった。
「はぁー……、あっつ……」
アンカルジアはララクの肩に座り、髪の毛をカモフラージュに使いながらため息をつく。
「ハンドバッグの中に隠れていなくていいのか?」
「誰かに見られるのは確かに良くないのはあたしも分かってるよ? でもこの暑さの中密室って……」
「流石にこの暑さだとアンカルジアの体が心配ですから、私が提案したんです」
「まぁ……外でもどうせ暑いんだけどねぇ……」
手を団扇のようにしながら顔に風を送っているが、その程度で緩和できるほど優しい暑さではない。
しかし、これといって他に取れる手段もなく、結局は自分で自分に風を送ることが一番ましだと悟っているように扇ぎ続けている。
「そういえば、こうして登下校以外に二人で歩くのって、初めてですね」
「言われてみればそうだな」
「篠菜さん、何を買う予定なのでしょうか? みんなで共通と言っていましたが……」
「あいつのことだ。どうせ下らないものに付き合わされるのが目に見えているのだよ」
そこには本当に付き合っているのかと疑いたくなるほどの単調な会話のみ。色気もなければお互いのことを意識すらしていない。
「(篠菜とかにからかわれてる時はこれでもかってぐらい意識しあう癖に、誰にも言われない環境だとなんとも思わないとは……。)」
二人の会話を聞きながら、アンカルジアはいいことを思いついたと口にする代わりに掌を合わせ
「二人でお出かけって、デートみたいだね」
さりげなく言ってみる。
「へっ……? デート!?」
「なっ……!」
すると二人の顔はすぐに赤くなり、お互いに顔をそむけてしまう。
「ぷっ……。あははは! 二人とも言葉にされると意識しすぎでしょ! 篠菜がからかう気持ち、今ならすごく分かる」
「もう、アンカルジア! からかわないで!」
「えー。仕方ないなぁ」
アンカルジアは楽しそうに笑いながら、満足したのかそれ以上は言葉にはしなかった。
一方、一度言われてしまうと意識してしまうララクは恥ずかしさのあまり、ぶつからないよう最低限の回数だけ顔を上げるようにし、
出来るだけ緑間のことを直視しないようにしていた。緑間のほうから声がかかることはなかったが、ララクと同じように
顔を赤く染めているのを見るに、こちらも意識をしているのは言わずと知れたことだった。
そんななんとも言えない空気のまま、最寄駅に着き、切符を買うために切符売り場に並ぶ。駅内では流石に人目も多いため、アンカルジアは鞄の中に退避している。
「えっと……、二駅先で降りるんですよね?」
「そうなのだよ」
先に並んだ緑間が手慣れた様子で2枚切符を購入し、機械の前から離れる。
「えっと……」
「ララク、何をしているのだよ」
「へっ……?」
次は自分の番と機械の前に立つララクを制止する緑間。何をしているという問いにうまく反応できず固まっているとこちらに来るように手招きされ、ララクは首をかしげながらも渋々と従う。
「あの、私まだ購入していませんよ?」
「これを使うのだよ」
そういって手渡されたのは先ほど緑間が購入していた切符の1枚。
「えっ。でもそうしたら真太郎さん、帰りの切符が……」
「また帰りに買えばいい。必要な時に必要な分だけ買うのが賢いのだよ」
もとよりララクの分まで購入する予定の緑間は至極当然といった様子で改札を通るために歩き出す。
「待ってください! それじゃ、切符代だけでも……」
「後でいいのだよ。ここは混むからな」
そういって財布を出そうと鞄の中を探っているララクをこれまた制止し、改札を先に通るよう促す。
「何から何まで……、ありがとうございます」
緑間の気遣いが嬉しいのか、少し照れくさそうにしながらララクは促されるように改札を通る。その後ろからすぐに緑間が来た。
「電車はこっちだ、行くのだよ」
「はい!」
呼ばれるがままに後を追い目的のホームへ向かうと、そこにはおびただしい数の人でごった返していた。
「わっ……すごい……」
「流石に夏休みに入ったのもあって利用者が多いな……。はぐれないよう気を付けるのだよ」
「大丈夫です、真太郎さんにしっかりついていきます!」
どれだけ人が多くても、緑間ほどの高身長であればやはり目立つ。少し人並みに押されて距離が開いても緑間を見失うことはなく、電車を待つために緑間の横にぴったりと並ぶ。
数分もしないうちに電車がホーム内へと入り、停止し、扉が開く。まず電車内から降りる人でホームにはさらに人が増える。
そして今度は流れ込むように人が電車へと向かって波を作る。ララクと緑間も例外ではなく、人にもまれる形になりながらも乗車する。
「ララク、そのまま端にまで寄るのだよ」
「はっ……はい……!」
人々がそこまでして急ぐ理由は乗り遅れないためというもの以上に自身の席を確保するためだ。つまり、保守行動に走る。その時の人の勢いといったら凄まじいものだ。
後ろの人を押しのけ無理やりにでも座ろうとする人もいる。そんな熾烈な席争奪戦の末、席を確保できなかった者たちは仕方なくつり革を持つ。
緑間たちは二駅先で降りるため、元から座ることは想定していない。ララクを電車内の端に寄せ、人との接触が極力減る位置へ移動する。
そうこうしていると発車のベルが鳴り響き、ドアが閉まった。
「んぶっ……」
電車が動き出し、乗客たちは揺られ、まともに踏ん張ることが出来ず皆の体が傾く。それは壁に背を預けている人と椅子に座っている人以外に起こり、
緑間も他の客に押されララクの頭上の壁に手をつき必死に耐えている。が、ほぼ人に乗りかかられている状態になってしまい、緑間自身もララクに乗りかかる形になってしまう。
「少しだけ、耐えるのだよ……」
「はひっ……」
ララクの顔は緑間の腹部に完全に埋まり、前は真っ暗。押し付けられた鼻で必死に呼吸を行う。
「はっ……ふっ……。(く、苦しっ……。でも、不思議。身体の奥底から力が湧いてくる。前の時もあった、この感覚は何でしょう……?)」
前にバスケ部員に料理を作った際、緑間とかすかに指が触れたときに感じたものと同一であることまでは分かる。
しかしその力が何なのかまでは分からず、酸素の足りなくなった頭ではそれ以上の思考を巡らせることは叶わなかった。
二駅の我慢と言い聞かせてはみるものの、身動き一つ出来ない状態での時間というのは異様なまでに長く感じる。
結局酸素の薄さに耐えられなくなったララクは緑間に悪いと思いつつももぞもぞと顔を動かし、上を向いて顔を出す。
電車内自体の空気も決していいものとは言えない。それでも今は体が酸素を求めた。
「ぷはっ……、あっ……」
空気を胸いっぱいに吸って目を開けると、真上にあった緑間とばっちり目が合う。どうやら緑間の体勢が前のめりになってしまっているようだ。
「すまない。人混みから守るつもりだったのだが、逆に苦しい思いをさせてしまったのだよ」
「いえっ、そんな! 真太郎さんがいなかったら今頃私もアンカルジアもぺったんこになってしまっています!」
ララクは鞄がつぶれて中のアンカルジアが苦しくならない様に出来るだけ隙間のある足元に近いところにまで紐を伸ばしている。
「次は~……」
「む、ようやく目的地か。ララク、降りるのだよ」
「はい!」
アナウンスが鳴り、ドアが開く。ドアの近場であったララクと緑間はドアが開いたと同時にホームへと降りる。
ララクは鞄をしっかりと持ち直し、緑間の後ろをちょこちょこと追いかけるのだった。
特に大きな波乱もなく、集合目的地の某デパート前にララクと緑間が着く。
「おはようございます。もしかして集合時間に遅れてしまいましたか?」
そこにはすでにいつものメンバーがそろっており、どうやら二人が最後だったようだ。
「おっはよー! いやぁ、楽しみにしすぎて早めに着いちゃってさ。まあ、二人とも別に遅刻じゃないから大丈夫!」
ララクに挨拶をしながら返答したのは篠菜。他のみんなも今着いたばかりと口々に伝える。
「取りあえず中に入らね? 暑くてさ」
「あっ……。アンカルジア、出てきていいよ」
高尾の暑いという言葉にハッとしたララクはアンカルジアがすぐ首元に隠れられるように肩に鞄の入り口を近づける。
「あっつー! あぁぁ……、外も暑いけど鞄の中より何十倍もマシ!」
ララクの合図を待ってましたと言わんばかりに鞄から飛び出るアンカルジア。
「この時期のカバンの中とか、サウナ状態だよな……」
隆二は鞄の中の状態を考えて苦笑いを浮かべる。
「周りからアンカルジア、見えていませんか?」
暑さのことを考慮して外に出してはいるが、人に見られてしまっては意味がない。
「……大丈夫、ララクの髪でうまく隠れてるよ」
どこにいるか知っている者たちが見れば流石に分かってしまうが、ただすれ違うだけの人たちにならばまず見つかることはない程度に姿は隠せているようだ。
「よーし、じゃぁ買い物と行きますか!」
こうして6人はデパート内へと足を踏み入れる。
「あー、涼しい……か?」
「太陽の日照りがなくなったけど、今度はすごい人の数だな……」
直射日光はなくなったが、今度は人の熱気がやってくる。決して涼しいとは言えない。
「……それで、今日は何を買うの?」
「ふっふっふ。ま、それは売り場のところに着いたら嫌でも分かるって! じゃ、しゅっぱーつ!」
「ここまで篠菜が濁すってことはとんでもねーものを買う予定だから、ララクちゃんも覚悟しといてくれな……」
「覚悟がいるもの……、危ない動物とかですか?」
「そーいう危険なものじゃねーとは思うけどな」
「ろくなことにならないのは間違いないのだよ」
ここまで不自然に篠菜が物事を隠すことは、幼馴染の隆二は何度か経験したことがあるようで
その時の出来事を思い出して深い溜息をついている。
機嫌よくみんなの先導をする篠菜の姿は、さらにほかの者たちの不安を煽った。
「……、何でしょう?」
「…………! どうして…………!?」
「だから…………! なんで…………!」
人の足音が絶え間ないためはっきりとは聞こえなかったが、何やら揉めている夫婦の姿がララクの目に留まった。
「ララク、行くのだよ」
「あっ……、はい」
皆から少し遅れ気味になっていたララクに緑間が注意を促す。流石に自分では止めることが出来ないと踏んだララクは
遅れないように足を速める。そうして追いついたかと前を見ると、そこに広がった光景は……
「ただいまよりタイムセール実施です! どれも一点ものばかり! この機会、お見逃しなくー!」
店員と思われる人が拡声器を使ってタイムセールの始まりを伝える。それと同時に起こるのは凄まじい人の波。
「なんでこんな朝っぱらからタイムセールしてんの!? ちょっ……、通れないんですけど!」
「やっべーだろ、あの人混み……。あんなとこ無理やり通ったら絶対はぐれるわ……」
ある程度のスペースを設けて行われているようではあるが、それ以上の人が溢れかえり、道という道を塞いでいる。
「どーする?」
「仕方ない……。ちょっと歩くことになるけど、遠回りしよう……」
少しうんざりしながら、篠菜は迂回ルートを通る。みんなもそれに続く。
「それにしても、本当にすごい数の人でしたね。そんなに良いものが売っているのでしょうか?」
「んやー、タイムセールだからとにかく安い! って感じだよ。いいものがあるかはその時次第だから何とも……」
駅のホームもすごかったが、こちらの人混みはまるで戦っているような迫力があり、一体どんなものが人をそうさせるのだろうかという興味が湧く。
「……何か、欲しい服でもあった?」
ララクが何度もタイムセールの方をチラチラと見ていたのが朱夏は気になったのか、声をかける。
「あそこ、お洋服を売っていたんですか? 人が多すぎて何を売っているのかすら分からなくて……」
「あー、そうだね。まぁ、あんなことしなくてもいいとこ今度紹介するから、今回は我慢ね」
篠菜は得意そうに言いながら、道を曲がろうとして足を止めた。
「どうした?」
「いや、あれ、見えるかな。あの女の子」
隆二が立ち止まった篠菜に声をかけると、あそこを見ろと言うように篠菜が指を指している。みんなも指さされた先を見ると、小さな女の子が一人うずくまっているのが見える。
「迷子か……?」
「このデパート、はぐれたらまず出会えないってぐらい広いんだよ。見つけられるかな……」
「……迷子センター、どこにあったか分かる?」
「あーっと、確か1階……だったっけかな……」
「5歳ぐらいな感じだし、話を聞いてみるのがいいんじゃね?」
「この大人数で行ったら誘拐犯とか思われないかね」
「おい、ララクがいないのだよ」
口々に迷子と思しき女の子をどうするか話している途中で、緑間のララクがいないという言葉にみんながぎょっとする。
さっき言ったとおり、このデパートははぐれたら最後。方向音痴のララクがいなくなったとなればそれはもう一大事だ。
「どうしたの? お父さんとお母さんとはぐれちゃった?」
するとすぐ近くでララクの声が聞こえてくる。そこにはもう女の子に声をかけているララクの姿があった。
「あぁ、そうだよね。あたしたちは頭で考えてどうこうってしちゃうけど、ララクは困ってる人がいたら迷いなく行くよね」
「ま、放っとくわけにもいかなかったんだし、な?」
「……私たちも、行こう」
「あー、一瞬肝が冷えたぜ」
「全く、こちらのことも考えて行動してほしいものなのだよ」
それぞれがララクに感想を抱きながら、迷子であろう女の子のところへ集まる。
「うっ……ぐすっ……。みおねーちゃん、どこぉ?」
「みおお姉ちゃんとはぐれちゃったの?」
随分と泣いていたのか目が真っ赤になり、少し瞼が腫れぼったい。
「ララク、行動早すぎ。まぁそこがいいとこなんだけど」
「……何か、聞けた?」
「あ、みなさんごめんなさい。どうしても放っておけなくて……。どうやらみおお姉ちゃんとはぐれてしまったみたいです」
「他には?」
「あ、待ってくださいね」
ララクは辺りを見わたし、近くにあるベンチにまで女の子を運び、座らせる。そして自分もしゃがみ、女の子と同じ目線にする。
「うぅー……、おねーさん、誰……?」
「あ、私はララクっていいます。えっと……、一緒にみおお姉ちゃんを探したいって思っているんですけど、みおお姉ちゃんの特徴、教えてくれますか?」
鞄からハンカチを取り出し、女の子に手渡しながら丁寧に問いかける。ララクはゆっくりと話し、女の子を怖がらせないようにしている。その様子を篠菜たちは少し距離を取り、ララクと女の子のやりとりを見守る。
「みおねーちゃんは、同じ……」
「同じ……?お洋服がってことですか?」
「ううん、みおねーちゃんは同じなの!」
「ん……、同じなんですね。分かりました。あ、お名前を聞いてもいいですか?」
「あたし、みあ……。お願いおねーさん、みおねーちゃんの所までつれてって」
「はい、みおお姉ちゃんの所に一緒に行きましょうね」
ララクはみあの頭をポンポンと撫で、立ち上がる。それを合図に篠菜たちがみあを怖がらせないようにゆっくり近寄る。
「なんて言ってた?」
「えっと、この子はみあちゃんというそうで、みおお姉ちゃんを探しているそうです。みあちゃんの話では、みおお姉ちゃんは同じ! だそうです」
「ごめん、わっかんねーわ」
「……服が、同じってこと?」
いくら言葉がある程度喋れるとはいえ、要領がいいわけではない。それに何度も問い詰めるわけにもいかず、ララクが聞きだした言葉だけが頼りだ。
だがそれでも、分からないものは分からない。
「ここはまあ、迷子センター一択かな?」
「無難だな」
あちこち連れまわすより、絶対に迷子センターへ連れて行ったほうが正しいとして、特に反対意見は上がらない。
「では、そのように伝えますね」
「よろしく!」
篠菜たちの話を聞いて、今度はみあにララクが伝える。
「みあちゃん、みおお姉ちゃんは迷子センターにいるかもしれませんから、私たちと一緒に迷子センターまで行きませんか?」
「まいごせんたー? ……ヤダ! そこにはいかない!」
「えっ、どうして嫌なんですか?」
「だって、みおねーちゃんがまいごせんたーにはいっちゃダメって言ってたもん!」
「…………、そうなんですね。分かりました。では迷子センターはやめて、一緒にみおお姉ちゃんを探しましょうか」
「うん! おねーさん、ありがとう!」
みあの目からはいつの間にか涙は引き、ベンチから降りてララクの手を掴む。ララクはそれを優しく握り返し、篠菜たちに報告する。
「えっと、みおお姉ちゃんに迷子センターには行ってはいけないと言われているそうなので、一緒に探すことになりました」
「…………、マジ?」
「ちょ、なんでダメなわけ!?」
これには流石の高尾も頭を抱え、篠菜は声を荒げる。
「うぅ……・・」
「あ、あまり責めないで上げてください。きっと何か、事情があるでしょうから……」
「あ、ごめん……」
みあはたくさんの知らない人に囲まれて怖いのか、ララクと繋いでいる手に力を入れる。ララクは少し腰を曲げてみあと同じ視線に立ち、宥めている。
「なら、これからどうするかだな」
「……これだけ人数がいるのなら、それを活かすべき」
「まぁ、手分けして探すというのが手っ取り早いけど……、残念なことにヒントがさっぱりなんだよね」
探してあげたい気持ちはあるが、それをこなせるかどうかというのが問題として浮かび上がる。
「別れたら今度はオレらが迷子になったりしてな」
「子供の言い分を真に受ける必要などないのだよ。さっさと迷子センターに連れていくべきだ」
高尾は笑いながら自分たちのことを言い、緑間に関してはとりつく気もない様子だ。
「あの、私が一人でみあちゃんと一緒に探してきますので、皆さんだけで先に買い物をしていてくれませんか?」
ララクはみあに一緒に探してあげると伝えた時点で覚悟を決めていたようで、元からみんなを巻き込むつもりはなく、一人で探すことにしていたつもりでさらりと発言する。
「確かに、みあちゃんはララクには心を開いてくれているから、そのほうがお互いにいいんだろうけどね?」
篠菜たちもその考えに至らなかったわけではない。しかし、
「それは論外なのだよ。集合場所を聞いて、ララクがそこに一人でたどり着けるわけがないのだから」
緑間の一言に、みんなは大きく頷く。ララクを一人で歩かせた日には、みあ共々迷子になるのは説明するまでもない。
「おねーさんも、迷子になるの……?」
「うぅっ……。ご、ごめんね、頼りなくて……」
迷子であるみあにすら心配され、ララクは何とも言えない恥ずかしさがこみ上げるのだった。
「……よし、じゃあこうしよう。あんまり大人数だとみあちゃんも怖がるし、何よりあたしらが誘拐犯扱いされかねん。ということで、みあちゃんにもう一人だけ一緒に行動してもいいよって人を選んでもらって、残りのメンバーは買い物しながら時間をつぶそう」
「まぁ、いい案じゃないか?」
隆二達は篠菜の案に賛同したようで、ララクはみあに聞く。
「みあちゃん、ここにいる人たちはみんな私の友達で、とってもいい人たちばかりですから、怖がらなくていいですよ」
「……うん」
「みあちゃんは私以外に、誰と一緒にみおお姉ちゃんを探したいですか?」
「うー……」
ララク以外にはまだ心が開けていないのか、選びたくないと首を横に振る。
「あらら、完全に嫌われてるな……」
「……でも、ララクを一人にするわけにはいかない」
「真ちゃんが怖い顔してるからじゃねーの?」
「黙れ高尾。なんでもオレのせいにするな」
「おいおい、喧嘩なんかしたら余計怖がられるだろ」
一向に選ぼうとしないみあに、ララクも困ったと難しい顔をする。
「あー!」
「な、なんなのだよ!?」
すると突然、みあは何かを見つけたのか大きな声を出しながら緑間に駆け寄り
「カピバラさんだー!」
そういって緑間のカバンにつけられているキーホルダーに吸い込まれるように飛びついた。
「カピバラ……さん?」
いきなりの出来事に何が起こったのか分からず、ララクはキョトンとしている。
「真ちゃん、そのキーホルダーは……」
「おは朝占いのラッキーアイテムなのだよ」
「ですよね」
「いいなぁ! カピバラさん、みあにちょーだい!」
「これは今日のラッキーアイテムだからダメなのだよ」
そういって今度は緑間とみあのカピバラさんをめぐる争いが始まる。
「ギャハハハ! 真ちゃん、子供相手にマジになりすぎだろ!」
「は、腹がよじれる! そんな下らない事で真剣な顔して争わないで!」
「……これは、ついていくのは緑間で決まり」
「冗談じゃないのだよ! おい、その手を放すのだよ!」
「やだ!カピバラさん欲しい!」
先ほどまで怖がっていたのはどこかに消え、今のみあは年相応の欲しいものをねだる子供の姿そのものだ。
「それじゃぁみあちゃん、真太郎さんについて行ってもらいませんか? そうしたらカピバラさんも傍にいてくれますよ」
「うん! おねーさんとカピバラさんでみおねーちゃんを探す!」
「その言い方だと緑間はおまけだな」
「ま、まさかこんなことで大笑いするとは……。あー、面白かった」
「ふさげるな。オレはついていくとは一言も言っていないのだよ」
「選ばれたんだから仕方ねーだろ?」
メンバーたちもまさか緑間が選ばれることになるとは思っておらず、笑いを隠せない。
「真太郎さん、私からもお願いします。みあちゃんと一緒にみおお姉ちゃんを探すの、手伝ってくれませんか?」
「ほらほら、彼女のララクが真剣に頼んでるのよ? それを彼氏のあんたが断っていいわけ?」
「っ……! 今回だけなのだよ!」
「ありがとうございます!」
惚れた弱みに付け込まれ、渋々といった感じで緑間も了承する。これでようやくみおを探しに行けるようになった。
「さて、これで後はうまいこと見つかることを祈るばかりってとこね。とはいえ、流石に見つかるまでずっと探し回るわけにも行かないし……」
「……お昼になっても見つからないときは、迷子センターに連れていくべき」
「時間にして……今は10時10分だから、よく探して11時半までじゃねーかな。多く見積もって」
いくらみあの要望を聞き入れるとしても、やはり限度はある。
「分かりました。その時間には迷子センターに連れていくことにします。みあちゃんも、それでいいですか?」
「……うん」
みあは嫌だと言わず、小さく頷く。
「大丈夫ですよ。必ずそれまでにみおお姉ちゃんを見つけますからね」
「うん!」
ララクがみあの頭を撫でると、今度は嬉しそうに大きく頷いた。
「それなら、俺らは正午を目途に集まる感じか」
「……どこにする?」
「ま、昼時だし1階のフードコートに集合が無難じゃないですかね」
「はい、分かりました。それでは、探しに行ってきますね」
「真ちゃん、絶対にララクちゃんから目離したらダメだかんな!」
「そうだぞ! ララクのことは緑間の肩にかかってるんだからね!あと、二人きりだから思いっきりデートしてきてもいいんだぞ!」
「なっ……!」
「も、もう篠菜さん!」
「……篠菜、本音が漏れてる」
「ま、気を付けてな」
こうしてララクはみあと手を繋ぎ、緑間と共にみおお姉ちゃんを探すべく、デパート内を捜索することとなった。
ララクたちが迷子の女の子、みあを保護する少し前。
「あら、少し遅れてしまったかしら」
「いや、時間ぴったりだ」
同じデパートの別の場所で、ゴシック調のドレスに身を包んだ、若紫色の髪に一輪の黒い薔薇の髪飾りを付けた少女が、紅樺色のチェスターコートに身を包んだ男に近寄る。
「それはよかった。では行きましょうか、アクセル」
「久しぶりの再会だ。存分に語り合おうではないか、ラクア」
それぞれの妖精たちも器用に主の髪で姿を隠している。それでも2匹はお互いのことを信用していないのか、かなり殺気立っている。しかし、当人たちはさほど気にする様子もなく、久しぶりの友人に会ったように話し始める。
「語り合うなんて大げさに言って……。これまでに調べたことをお互いに報告しあうだけでしょう?」
「なんだ、それしか話すことは無いと言うのか? 俺は他愛のない会話もするつもりでいたのだがな」
「アクセルは本当に変わったことを言うのね。……だからこそ、私も興味を持ったのだけれども」
ラクアは上品に口元に手を当て、笑みをこぼす。
「興味、か……。それならば、もう少し俺のことを知ろうと何かしらのアクションを起こしてみろ」
「アクションねぇ……。そうは言われても、私はアクセルのことをあくまでも信頼のおける知人程度にしか考えていないのだけれども」
「ほう、つれないことを言うものだな。俺はいつでも妻に迎える準備をしているぞ」
アクセルの発言にラクアはピタリと足を止め、じっと見据える。
「……、信頼って、どういうことを行動に示すものだと思うかしら」
足を止めたラクア同様にアクセルも進む歩を止め、目を合わせる。
「相手の発言を疑わず、発された事柄については全て事実として受け入れられるかどうかだろう。……少なくとも、俺たちの間ではそうだ。一般的に使われる信頼とは意味合いが異なるだろうがな」
「えぇ、そうよ。と言うことは、今の発言も私は受け止めないといけないことになるわけなのだけれども」
「何か問題でもあるのか?」
至極当然のことのように振る舞うアクセルにラクアは頭を抱え
「はぁ……、本気だってことは分かったわ……。けれど、そういう話は今抱えている問題が解決した後にして頂戴」
呆れた様子でこう返した。
「ふっ、その言葉忘れるな。ならばこうしてはいられん。さっさと情報交換といこう」
「こらこら、何しれっと腰に手をまわしているのよ」
躊躇いなく腰に回されたアクセルの手をラクアは払いのけ、またどこに行くわけでもなくゆっくりと歩き出す。
「触れるのは厳禁か。仕方ない、今後の楽しみにとっておくとしよう。……、まずは奴の居場所からだ」
「居場所に関してはバッチリ。それとも、アクセルは分からなかったのかしら?」
「面白い冗談を言うものだ。……この地上界での異変という点に着目さえすれば、居場所の特定はさほど難しいものではない」
「えぇ、アクセルの言うとおり、難しいことではなかった。それより問題はもう一つの件ね」
「……、何か手掛かりはあったか?」
「その口ぶりだと、そちらも何もなかったということね……」
「ラクアの方も収穫なし、か」
言葉を多く語らずともお互いに理解をしあえるのは、先ほどの信頼という言葉を実直に守っているからだろう。
「アクセル、この件についてなのだけど」
「何か妙案でもあるなら聞くぞ」
ラクアが少し言い淀んだのをアクセルは見過ごさず、軽く笑みを浮かべながら気転のある言い返しをする。
「あの子に。……、ララクに託したいと思うのだけれども」
「……何?」
しかし、ラクアの発言によりその笑みはすぐに姿を隠した。
「あの子はこの地上界に来て多くの人に触れ、成長したと私は感じている。……と言うよりは、今までがただ恵まれなさ過ぎただけなの」
「歴代の中で相当力の劣る部類だぞ。俺やラクアでさえどうにも出来ないことが、ララク程度に何が出来る」
アクセルは受け入れる気がないのか、辛辣な言葉を並べる。
「それでも、彼の傍にいるのはララクよ。私たちがアクションを起こすより、よほど期待値が高いと思うけれど……、ダメかしら?」
そんなアクセルにララクのことを頼むラクアの顔は切なげに、それでいて凛々しいものだった。
「……おい、そんな顔をしていると本当に襲うぞ?」
「あのねぇ……」
真面目に話をしているにも関わらず、アクセルの水差しにため息をつくラクア。これ以上喋るのは逆効果だとふんだラクアは首を左右に振り、少し歩く速度を上げる。
「ラクア。誤解が無きよう言っておくが、俺はラクアのことは全面的に信頼している。だが、ララクのことを信頼しているわけではない」
「それは……」
アクセルの言葉にラクアの表情の曇る。
「だが、ラクアは信頼しているのだろう? 自分の妹のことを」
「……えぇ、そうよ」
「ならラクアのしたいようにしろ。うまくいかなかった時はカバーぐらいしてやる」
「アクセル……」
予想外のアクセルの言葉にほんの少し戸惑いはしたものの、ラクアは胸に手を当て嬉しそうに頬を染めた。
「だが、その時は覚悟しておけよ? 特に妻になった時にな」
「せっかく、かっこいいって少し思ったのに。……でも、ありがとう」
最後の一言でイメージダウンを見事決めたアクセルに呆れながら、ラクアはこれから起こるであろうことをララクに語ることを決意した。
「礼はいい。それよりここはなんだ? 先ほどからでかい音が耳障りでな」
「あぁ、これは……ゲームセンター、だったかしら?」
当てもなく歩いた結果、どうやら2人はゲームセンターにたどり着いたようだ。
「何があるんだ」
「さぁ、私もこんな所は初めて……、あら、あらあら?」
「どうした」
「何かしら、この愛くるしい生き物は」
ラクアの目を引いたのは、茶色の毛をした少し胴長の動物を真似たぬいぐるみ。それが入っているクレーンゲームのガラスに手をつき、子供のようにはしゃいでいる。
「これが景品か?」
「えぇ、そうみたい! 大きいのから小さいのまでいるのね、どれも可愛らしいわ」
「クハハハ! まさか、ラクアのはしゃぐ姿を見られるとはな」
「もう、私だってまだまだ若いつもりよ?」
アクセルは豪快に笑う。それに対してラクアはわざとふてくされた様子で返答する。
「なら取ってやろう」
「えっ?」
そう言うや否や、お金を入れてクレーンを起動させる。ラクアはアクセルのまさかの行動にただ見つめることしかできない。
「…………、ここだな」
「嘘……、一番大きい子を落としたの……?」
ガサっとひときわ大きな音を立て、ぬいぐるみが取り出し口に落ちる。
「フッ、俺にかかればこの程度、造作もない」
「初めてなのよね?」
「それが何か問題か?」
さも当然といった顔で平然としているアクセル。
「……まぁ、取ってくれたこと、感謝するわ」
深くは触れまいとしたラクアは話をそこで終え、しゃがみ込んで取り出し口からぬいぐるみを取り出す。
「ラクアが持つとさらにでかさが際立つな、顔が隠れているぞ」
「あら、そんなに?」
ぬいぐるみを足元付近に近づけ背比べをすると、ラクアの腰辺りにまで及んだ。大きさにして90cm前後といったところだ。
「まぁ、似合っているぞ」
「それはどういう意味合いかしら。……この子、カピバラさんっていうのね」
アクセルの発言を適当に流し、カピバラさんを抱きかかえようとしたとき、こちらへと寄ってくる小さな子供に気づく。
「あ、あの……」
「はいはい、どうしたのかしら」
怯えながらも声をかけてきた小さな女の子に目線を合わせ、カピバラさんを使って怖がらせない様にする。
「そのぬいぐるみに、わたしと同じ姿の子が寄ってきませんでしたか?」
「あら、ごめんなさい。このカピバラさん、今取ったばかりなの」
「あ……、そうなんですか……。失礼しました」
小さな女の子は礼儀正しく一礼し、その場を去ろうとする。
「あ、待って頂戴。……、妹を探しているのかしら?」
「えっ!? ど、どうして分かったんですか!?」
「んー? そうねぇ、昔の私に似ているから、かしら?」
「似てる……?」
クスクスと柔らかく笑うラクアを見て、女の子は頭にハテナを浮かべていた。
「それなら、はい」
「え……?」
ラクアは女の子にカピバラさんを手渡す。
「妹さんはカピバラさんが好きなのでしょう? なら、それを持ち歩いていたほうが向こうから寄ってきやすいでしょうから、あげるわ」
「あ、ありがとうございます……」
「いえいえ。……でも、ちょっと大きすぎるわね」
カピバラさんは女の子と対して大きさが変わらない。自分と同じ大きさのものを持って歩くのは困難だ。その様子を見たラクアがいいことを思いついたと手を叩く。
「おい。ラクア、まさか……」
「もし良かったら、私たちも探すのお手伝いしてあげるわ」
「えっ、いいんですか?」
「だって、ずっと一人で探していたのでしょう? よく頑張ったわね」
ラクアは女の子の頭をポンポンと撫で、カピバラさんを代わりに抱える。
「あ、ありがとうございます!」
「ふふ、子供はそうやって笑顔でいるのが一番よ。さぁアクセル、行くわよ?」
「……まぁ、目的はもう果たしているからな。たまにはいいだろう」
仕方ないと諦めた半分、楽しむ気半分といった感じのアクセル。
「あ、えっと、わたしみおっていいます。よろしくお願いします、お姉さん、お兄さん」
「お兄さん……ふふっ」
「お姉さん……ククク」
みおの2人の呼び方が面白かったのか、お互いに笑いあっている。こうしてラクアたちはみおを連れて妹を探し始めた。
「どうやって探す気なのだよ」
「それは……」
「まぁ、考えがあって引き受けているわけがないとは思っていたが……」
篠菜たちと別行動になり、みおを探すために動くこととなったララクだが、残念なことに具体的な案はなかった。
「おねーさん、みおねーちゃんを早く探そっ!」
「あ、えっとっ……。そう、ですね……」
みあの力になりたいという気持ちに嘘はないが、どうしてあげたらいいかが出てこないララクはしどろもどろだ。
「仕方のない奴だ。……まずは、姉と何処ではぐれたのだよ」
「みおねーちゃんとは、あっちのすごい人がいっぱいの所までは一緒にいたはずなの」
緑間の質問にみあはあっちと指を指しながら答える。
「あっちというと、私たちが来た方ですね」
「人混みということは、先ほどのセールの客に巻き込まれて迷子になったということか」
「それならまだ近くにいるはずです。行きましょう!」
「うん! 連れてってー!」
「あんまり急ぐとこけちゃいますよ!」
ぐいぐいとみあはララクの手を引っ張り急かす。その後を緑間もついてくる。そうして先ほどのセール売り場に戻っては来たものの、人混みは相変わらずどころか、数十分前よりもさらに人が増えているように見受けられる。
「何度見てもすごい人だかりですね……」
「みおねーちゃん、どこー!」
みあは声を張り上げて呼びかけるが周りの騒音にかき消されてしまい、声は誰にも届かない。
「流石にこの中にはいないだろう」
「もうどこかへ行ってしまったのでしょうか……」
「うー……」
姉を呼ぶみあを緑間は制止する。みあはそれで察したのかしょんぼりと肩を落とし、俯いてしまった。
「やはり、迷子センターに連れていくべきなのだよ」
緑間は元々、この広いデパートで姉のみおを見つけられるとは考えておらず、軽くため息を吐きながらそう言った。
「やだ! みおねーちゃんがダメって言ったんだもん!絶対やぁ!」
迷子センターという言葉にみあは過剰に反応し、拒絶する。
「みあちゃん落ち着いて。私は迷子センターには絶対に行きませんから、ね?」
「うぅー、でもぉ……。カピバラさんがひどいこというの……。やっぱりおねーさん以外と一緒はやぁ!」
ララクが必至になだめるが、みあの目にはまた涙が浮かんでいた。
「みあちゃん、みおお姉ちゃんを探すなら、真太郎さんの力は絶対に必要なんです。私はみあちゃんとの約束、絶対守ります。だから真太郎さんを一緒に説得して、みおお姉ちゃんを探すの、手伝ってもらいましょう?」
「ぐすっ……。カピバラさん、みおねーちゃんを探すの、手伝って……」
ヤダヤダと駄々をこねていたみあだが、ララクの言うことはすんなりと聞くようで、緑間にお願いする。
「真太郎さん、私からもお願いします。みあちゃんと私に、力を貸してください」
ララクも緑間に頭を下げ、お願いする。
「分かったから、早く頭を上げるのだよ!店の中でそんなことするな!」
まさかここまでして頼まれるとは緑間自身も思っておらず、動揺する。
「ありがとうございます!みあちゃん、真太郎さんも手伝ってくれますから、すぐにみおお姉ちゃんも見つかりますよ」
「うん……」
泣き止んだみあはまたララクと手を繋ぎ、セール売り場とは逆方向に歩き出す。当てがなくなったララクたちもそれを止めることはせず、一緒に歩く。
「ララク」
「真太郎さん、巻き込んでしまってごめんなさい。でも私……」
「勘違いするな。オレは別に手伝う気がないわけではないのだよ」
少しきつめに言葉を遮られ、ララクは何も言えなくなる。そんなきまづい空気が流れる中、みあは何かを見つめ動きを止めた。
「みあちゃん?」
声をかけても動こうとはせず、ララクもみあの視線を追う。そこにはクレープ屋さんがあり、ショーケースにはたくさんの種類が並べられている。みあはキラキラと目を輝かせ
「おねーさん、あれ!」
と、先ほどまでの暗い空気はどこかへ吹き飛ばしてしまうぐらい元気よく、食べたいと言わんばかりにクレープを指さす。
「真太郎さん、寄り道しても……」
「フーッ、好きにしろ」
結局みあの熱意に負けてみお探しは早々に中断され、クレープを頼むことになった。
「みあ、これがいい!」
そういってショーケースの中にある、苺クレープを指さす。
「苺ですね。すみません、苺クレープを一つ下さい」
「かしこまりました、少々お待ちください」
ララクが店員に伝えると、店員は厨房でクレープを作り出す。それをみあが早く早くとジャンプして待ち遠しそうにしている。
「ララクは頼まないのか?」
「えっ、私もいいんですか?」
「食べるのなら、1人も2人も変わらないのだよ」
緑間の言葉に今度はララクが目を輝かせ、ショーケースを覗きこむ。そしてこれと決めたのか、もう一度店員を呼ぶ。
「あの、すみません。チョコバナナクレープも追加してもいいですか?」
「はい、大丈夫ですよ。もう少しお待ちくださいね」
注文を受けた店員はレジを打ち直し、また厨房でクレープを作り出す。
「まっだかなー、まっだかなー」
「みあちゃん、出来たら持っていきますから、そこの席に座っていていいですよ?」
「うん、そーする!カピバラさん、いこ!」
「だからオレはカピバラではないのだよ」
お店の中にいくつか並べられているテーブル席に、みあは緑間の手を引っ張りながら座る。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
数分もしないうちに店員さんが2つのクレープをララクに手渡す。料金を払い、ララクがそれを受け取りみあたちのもとへ向かう。
「はい、みあちゃんの苺クレープですよ」
「わぁー!!」
みあの頼んだクレープはたっぷりの苺とバニラホイップがきれいに並べられ、その上にチョコソースがかけられている。ララクのクレープも同様にバナナとバニラホイップがきれいに並べられ、みあのものよりさらに多めにチョコソースがかけられていた。
「それじゃ……」
「いただきまーす!」
みあは大きな口を開けてクレープを頬張る。口周りにはホイップとチョコがいっぱいついている。それに釣られるようにララクもクレープで口の中をいっぱいにする。
「おいしー!」
「はい!すごく甘くておいしいです!」
クレープを頬張った二人は顔を見合わせ、嬉しそうに笑いあう。その様子を見ている緑間の顔もどこかしら柔らかいものだった。
「みあちゃん、これでお口拭きましょうか」
テーブルに置かれている紙ナプキンを一枚、みあに手渡す。
「はーい」
それを受け取りみあは一生懸命口元を拭きはじめた。
「ララクもクリームがついているのだよ」
「へっ!? ど、どこら辺ですか!?」
ララクも一枚紙ナプキンを手に取り、右か左かと口元を慌てて拭く。その必死過ぎる姿がおかしかったのか、緑間はフッと口元を緩ませ
「鼻先だ」
そう短く告げ、ララクの手から紙ナプキンを取り上げ、ララクの鼻先を拭く。
「ひぁっ……」
突然のことに変な声を上げてしまい、そのことと鼻先につけていたことのダブルの恥ずかしさでララクは顔を手で隠してしまった。
「ねぇねぇ!みあ、おねーさんのクレープも食べたい!……って、どうしてお顔を隠してるの?」
口元を拭き終えたみあが今度はララクのクレープをねだる。
「あっ、いえ、なんでもないですよ!私のクレープですね、はいどうぞ」
「顔真っ赤にしてりんごみたい、変なのー」
変とは言いつつ、みあの目にはもう手渡されたチョコバナナクレープしか映っておらず、こちらもまた大きな口を開けて頬張った。しかし、最初は嬉しそうにしていたものの、みあの表情はどんどん曇っていき、クレープをララクに返した。
「……、みあちゃん? 美味しくなかったですか?」
「ううん、おいしーよ。……、おかーさんだったら絶対に買ってくれなかったなって思っただけ……」
どうやらみあは初めてクレープを食べたらしく、母のことを口にするとさらに表情は沈んでいった。
「……みあちゃん、私でよかったらお話し、聞きますよ」
そんなみあを見ていられなかったララクは、精一杯の声かけをする。ララク自身、みあを見ていると昔の自分を見ているようで放っておけない気持ちになっていた。緑間も黙ったまま、二人の話に耳を傾ける。
「みあは……。みあは……、いらない子なの」
「……っ!」
「ララク……?」
ぽつりと放たれたみあの言葉にララクは過剰なまでに反応する。しかし、何か言おうとした言葉をぐっとこらえるため、唇を固く結ぶ。その姿には緑間も目を見開き、名前を呼ぶことしかできなかった。
「おかーさん、いつも怒るの。どうしてみおみたいになれないのって。……だからみあは、いらない子なの」
「……そう、だったんですね」
ララクは慰めの言葉をかけることなく、ただただみあの言葉を受け取った。
「おとーさんはそれを聞いていつもおかーさんとケンカするの。だからみあは、みおねーちゃん以外嫌い。みおねーちゃんだけは、いつもみあに優しくしてくれるし、守ってくれるの」
みあの必死の訴えにララクはポンポンと頭を撫でた。
「みおお姉ちゃんのことが、本当に大好きなんですね」
「うん!みあ、大きくなったらみおねーちゃんに恩返しするの!……でも、みおねーちゃんは完璧だから、本当はみあなんて必要ないの……」
みおのことを話すみあにほんの少し明るさが出てきたと思ったのもつかの間、また顔色は曇った。
「みおお姉ちゃんにそう言われたのですか?」
「……言われたことない。でも!」
「みあちゃん。言われてもいないことを想像で話すのはダメですよ」
「うっ……。うぅぅ……!」
「ララク、今のは……っ」
今まで優しかったララクにぴしゃりと言われ、みあはまた泣き出すのを必死にこらえだす。流石の緑間も言い過ぎだと咎めようとしたが、ララクの顔を見て口を閉じた。
「私もみあちゃんと同じで双子の姉がいるんです。みあちゃんぐらいの時は私もよく迷子になって、姉様に守ってもらっていました」
「おねーさんも……?」
「はい。私もみあちゃんと同じこと、考えたことがあります。姉様は完璧だから、私なんか本当は必要としていない。ただ仕方なく守ってくれているだけなんだ。そう思っていました」
みあは目にたまった涙を手の甲で拭きながら、ララクの話を真剣に聞いていた。その瞳に応えるように、ララクは続きを話した。
「……お母様に、いらない子だって言われた日がありました。その時、私は自暴自棄になって、いつも優しくしてくれた姉様に言ったんです。どうせ姉様も私のこといらない子だって思ってるから、仕方なく助けてくれているのでしょう……って。そうしたら姉様、なんて言ったと思います?」
「……分かんない」
「ただ静かに、そんな風に思っていたら最初から助けていない。言われてもいないことを勝手に自分で決めつけて、それを事実のことのように振る舞うなんて私は許さない。不安に思ったことがあるならきちんと言葉で伝えなさい。って、あの時初めて怒られました。私は今まで、この言葉を忘れたことは一度もありません。だからみあちゃんにも、思い込みで物事を見てほしくないんです。……なんて偉そうなこと言っても、全部姉様の言葉なんですけどね」
最後には少し照れくさそうに頬を指でかく仕草をしながらも、伝えたいことは伝えたといった感じで満足した顔をする。
「みあも、おねーさんみたいに強くない……」
話を聞き終えたみあは力弱く首を振り、また俯いてしまった。そんな様子を見かねて口を開いたのは緑間だった。
「みあ、この世には人事を尽くして天命を待つ、という言葉があるのだよ」
「てんめい……?」
「まず最善の努力。そこから初めて運命に選ばれる資格を得る。みあは本当に、最善の努力をしたのか?」
「努力……」
緑間の言葉にみあは考え込み、先ほどのように首を力弱く振った。
「ならまずは強くなれるよう努力するのだよ。オレもララクも欠かさず努力しているからこそ、今の自分があるのだからな」
言い終わると緑間は眼鏡をクイっと押し上げ、そっぽを向いてしまう。どうやら自分で言ったことが恥ずかしかったのか、顔を見られないようにしているようだ。
「……みあ、強くなりたい!」
ララクと緑間の言葉に心を打たれたのか、みあは力強くララクに言う。
「それじゃぁ、クレープを食べ終わったらみおお姉ちゃんを探して、気持ちを伝えてみましょうか」
「うん!」
こうしてみあとララクはまたクレープを頬張りだす。しかし、ララクはその手をすぐに止め
「真太郎さん、ありがとうございます」
と、一言伝えた。そっぽを向いていた緑間は顔をララクに向け、問い返す。
「何がなのだよ?」
「真太郎さんの言葉、私もとっても嬉しくて……。まだまだ頼りない私ですが、これからもよろしくお願いします」
軽くお辞儀をしながら嬉しそうに笑いかける。
「そ、そんなことはいちいち頼まなくてもいいのだよ!全く……、少しは自覚を持ってほしいものだ」
緑間は照れ隠しをするように少し強めに言い返す。本音を漏らしながら。
「えっ? 最後、なんて言ったのですか?」
「なんでもない!いいからさっさと食べてしまうのだよ!」
「は、はいっ!」
緑間の恥ずかしさを隠すための勢いある言葉にララクは圧倒され、急いでクレープを食した。
「おねーさん……」
クレープを食べ終えた後は、また当てもなくデパート内を歩き回った。
だが、見つけることはできず、みあの顔には疲労が窺える。
「みあちゃん、疲れましたか?少し、どこかで休みましょうか」
「ううん、がんばる」
残り時間が少なくなっているのをみあは感じているのか、ララクの申し出を断り一生懸命足を動かす。だがそれも虚しく、時間は過ぎ去り――
「ララク、残念だが時間なのだよ」
「そんなっ……。もう少しだけ、ダメですか?」
「気持ちは分かるが、これ以上は無駄なのだよ」
もう少しと訴えるララクに、緑間は首を左右に振り諦めるよう促す。それを察したララクは姉を見つけてあげられなかった悔しさに顔を歪ませ、時間になったことをみあに伝えるため、下を向く。
「みあちゃん、残念ですけど……って、あれ?」
そこには確かに先ほどまで手を握っていたはずのみあの姿はなく、もぬけの殻だ。
「あの!カピバラさん下さい!」
見るといつの間にか前方にいる男性に声をかけ、その人が持っているカピバラさんをねだっているみあの姿があった。
「あいつは何をしているのだよ……」
緑間は他の人にまで迷惑をかけているみあを止めるべく足を速める。
「みあちゃん、ダメ!」
一方のララクは青ざめた顔で緑間の横を全力で走り去り、みあに覆い被さった。
「おねーさん、苦しい……」
みあの言葉には耳も貸さず、ただただララクは目の前にいる男性からみあを守るように抱きしめている。
「何をしている」
男性はそういいながらしゃがみ込み
「んぅっ!?」
ララクの顔にカピバラさんを押し付けた。すぐ後ろからは緑間も駆けつけ
「なっ……、アクセル!?」
驚きの声を上げた。
「やはり真太郎も一緒にいたか。久しいな、とは言っても1か月は経っていないぐらいか」
アクセルは何もなかったかのように、カピバラさんをララクの顔から離し、立ち上がる。
「何故、ここにいるのだよ」
「そう身構えるな。この間のことは深く反省している。ララクもすまなかったな」
と言ってアクセルはカピバラさんをみあにちらつかせている。みあは力の抜けたララクの腕を払い、カピバラさんに飛びつく。
「えっ……、えっ」
本当にこの者は悪魔の、その中の長である魔王なのかと疑ってしまうほど気さくに、そして威圧感のない接しだった。先ほど、みあが飛びついていった時には肝が冷えた。だが今は、それから庇うように行動を起こした自分の方がおかしいことをしていると思わされるほどに、アクセルから敵意は感じられない。
「俺は別に争うためにこの世界に居座っているわけではない。むしろ、共存を目指している程度には、寛大な方だと自覚しているのだがな」
さも当然のことのようにアクセルは言いながら、カピバラさんを使ってみあと遊んでいる。
「あらあら、少し席をはずしている間に随分と賑やかになったようね」
店の奥から、小さな女の子と共に女性が出てくる。
「あぁ、探し物が見つかったぞ」
アクセルはカピバラさんを引っ込め、小さな女の子を数歩、女性の方へ進ませる。
「あ、みおねーちゃん!」
「みあ!」
女の子たちは互いの名前を呼びあい、どちらからも駆け寄りあう。ようやくの再会に、みあは泣きながらみおに抱きついていた。
「姉様!? どうしてここに!?」
「んー、アクセルとの待ち合わせ場所がここだったから、かしら」
ララクもラクアに詰め寄り問うが、聞かれた張本人は何か思うわけでもないように淡々と答える。
「待ち合わせって……。それでは昔からの知り合い、なんですか……?」
「昔というほど古くはないわ。でもそうね、知り合いであることは間違いないし、私はアクセルのことを信頼している。この信頼は、ララクが緑間さんに抱いているものと大差はないと、私は考えているわ」
衝撃の真実とラクアの最後の言葉にララクは言葉を失い、茫然としている。
「なるほどな。種族が違うという点だけで取れば、確かにオレもアクセルも同じであることは理解できる。……だが、それでいいのか? お前たちは昔から争い続けてきたのだとララクから聞いているのだよ」
緑間も事態を把握し、疑問をぶつける。その言葉を聞いてアクセルは口元を緩ませ、その質問を待っていたといわんばかりに話しだした。
「確かに争い続けてきた。というよりは今もただの停戦中というだけで、争っていないわけではない。だがそれは、お互いに昔に起こったしがらみに囚われ、勝手に肥大化させたもの。今行われているものはただのわがままのぶつけ合いだ。オレはそんな下らない事を続けるつもりなどない。すぐにしがらみを取り払うことは不可能だとしても、オレたちは手を取り合い、共に生きていける者たちであると考えている。そう考えているからか、俺は種族が違うということ程度で何かを思うことはない」
アクセルは自分の意見を言い終えて満足したのか、鼻高らかだ。
「そんな大層な理想を持っていたのは初耳ね。……その考え、私は素敵だと思うわよ。ララクはどう思うかしら」
「わ、私……、ですか?」
まさか話を振られるとは思っておらず、言葉を詰まらせる。
「これはあくまでも俺個人の意思だ。押し付ける気は毛頭ない」
「……、そうなったらいいなとは、純粋に思います。でもまだ、信じられないというのが、正直な気持ちです」
「あぁ、今はそれでいい。人間とは今まで不干渉同士だったから信頼も築きやすかっただろうが、俺たちとはいざこざがあった。だから、その感性は普通のものだ。少しラクアが特殊すぎるだけだからな」
そういってアクセルはフッと笑みを浮かべた。
「あの、お兄さん。お姉さん。何か、取り込み中だけど……」
「あぁ、なんでもないのよ。気を使わせてしまってごめんなさいね。……さて、何とか妹と合流はできたけれど、この後どうするとかも考えているのでしょう?」
みおの声かけにラクアが返事をして、みおのこれからのプランをまるで見抜いているように目を細めながら話をする。
「う、うん。……お姉さんは、なんでもお見通しなんですね」
「いいえ? 口にしてもらったこと以外、私にわかることなんて何もないわ。ただ昔の私に似ていると……そう感じただけよ」
ラクアはそう言い切るとふふっと笑って見せ、先を行くようにみおの背中を軽く押す。
「合流したならばもう二人で大丈夫だろう」
「ここからはみお、貴女がお姉さんとして、きちんと妹のみあを連れて迷子センターに行くのよ?」
「えっ、最後まで連れて行ってあげないんですか!?」
2人の言葉にララクは驚愕し、抗議の声を上げた。
「これ以上、私たちが首を突っ込むことではないわ。……姉妹水入らずで話したいこともありそうだし」
そう言ってラクアはみあを見る。ばっちり目が合ったみあは驚いた表情をするが、ラクアの瞳から何か感じたのか、大きく頷き
「みおねーちゃんががいればへーき!おねーちゃんたち、ありがとう!あ、カピバラさんも!」
「本当に何から何まで、ありがとうございました」
みおはみあの手を繋ぎペコリと一礼し、みあは手を振りながらバイバイとみおと一緒に迷子センターへと向かっていった。