Secret of father

 着替えて荷物をまとめ終えている四人と合流すると、怒り狂ったネロが母親であるリエルに掴みかかり、今にも殴ってしまいそうな勢いで我を忘れたように怒鳴りつけていた。
「ネロ! 落ち着いて!」
 キリエとダイナがどうにか手を放させようとしても力が違いすぎてどうにもできず、また掴みかかられているリエルは抵抗している気配がなかった。
「何をしている!」
 これを見たバージルがネロの胸ぐらを掴んで自分の方に向けると、負けじとネロもバージルに掴みかかり、怒鳴った。
「離せよっ!」
 取っ組み合いの喧嘩になるかと思った矢先に手を離したのはネロだった。かと思われた次の瞬間には全力の拳が振り抜かれており、躱すためにバージルが手を放すとネロも大きく距離を取り、捲し立てた。
「何だよ! ヴァンパイアの子って、何でそんな大事なことを黙ってるんだよ! いつも俺に隠し事ばかりしやがって……。やましいことがあるからだろ!」
「いい加減にしろ!」
「うるせえ! あんたに穢れがあるから、俺はナイトメアなんていう穢れを持った種族として生まれちまったんだろうがっ!」
 ネロの言い放った言葉にバージルは怯み、顔を歪めた。この隙にネロは口汚い言葉を吐き捨て、逃げるように森の中へ走り去ってしまった。
「待って、ネロ!」
 慌ててネロの後をついていったのはキリエだけで、肝心のバージルもリエルも、顔を伏せたまま動く気配はない。これに痺れを切らしたのはダンテで、あんたが行かないなら俺が行ってくるとゴウトを抱きかかえて二人の後を追っていった。
 静けさの戻った川のほとりに残った三人は気まずい空気の中、ただ何をするわけでもなく立ち尽くしていた。
「怪我はないか」
「私は、平気です」
 バージルがリエルの傍に寄って簡素なやり取りをしたから、時が動き出した。一見、事務的なようにも見える応対だが、体ではなく心に相応の痛みがあって、それをどうにか耐えているような感じだった。
「お前は何も言わないのか」
 ダイナに悟られないよう、リエルを庇える立ち位置を探しながら問えば、言い淀んだ答えがあった。
「なんていうか、全部ネロが吐き出してくれた」
 ダイナは最初、聞きたいことが山のようにあった。だがそれらは今になってしまえばどうでも良いことのように感じた。
 確かに被害を受けそうになったのは自分だが、本音を言えばダンテとバージルの素性はどことなく分かっている気がした。というより、ゲイリーに借りて読んだヴァンパイアハンターを目にして以来、主人公として描かれていたラルヴァに重ねて見ていた節があった。だから衝撃を受ける以上に、自分の推察が正しかったことが嬉しかった側面の方が大きかったのかもしれない。
 妙に太陽の光を毛嫌いしている様子や時折見せる何かを堪える表情など、どれもがヴァンパイアハンターの主人公たちと同じだったから、いつの間にかラルヴァだと思い始めていた。
 だからリエルがネロに、そして自分たちにダンテとバージルの素性を話してくれた時も、恐ろしいと思う以上にどこか腑に落ちる方が大きかった。
「怖く、なかったのですか」
 問いに答えるために、襲い掛かってきたダンテの姿を思い出す。
 彼の目は、何かを欲していた。ヴァンパイアの血が混じっているのだから、恐らくは血が飲みたかったのだろう。誰の血でも良かったのか、自分の血でなくてはならない理由があったのかまでは分からないが、そこは大した問題ではない。
「リエルさんは、殺すことだけを考えている者の目を見たことがありますか? 略奪や己の保身などない、どこまでも純粋に、相手を殺すことだけを考えている者の目を」
「……いえ」
「ダンテの目は、本気で相手の命を奪おうと考えている者の目ではなかった。どちらかと言えば、欲望に忠実」
 このことはキリエ様にも話したことがないから他言無用だと釘を刺した上で、ダイナは続けた。
「私は一時期、そういった目を持つ者たちから逃げ延びる毎日を過ごしていました。四六時中、死の恐怖が付きまとい、気を抜いた者から死んでいく」
 人族にとっての地獄としてあそこ以上の場所はないと、少なくともダイナは生涯の内に意見を変えることはないだろう。それほどまでに最低最悪な場所だったとダイナは口にした。
「今もどこかで知らない誰かが死んでいるといった、漠然とした恐怖などではありません」
 自分が息を潜めている目の前の場所で、自分と同じ人間の首が飛び、臓器をぶちまける。それを啜る蛮族も恐ろしいが、そいつらは食事をするための殺戮だから、腹が満たされればそれで終わる。
 だがあそこでは、これよりももっと恐ろしいことがある。それは 昨日街ですれ違った者が、次の日には死体となり地面に転がっていることだ。視覚から与える印象は確かに最初にあげた例に霞んでいるように感じられるが、本質はそこにない。
 綺麗に死体として残っているということはつまり、意味もなく殺されたということだ。ただ純粋に、殺したいから殺した。こう言った手合いの者が最も恐ろしく、手を付けられない。いつも殺すことを考えている相手には交渉はおろか、話し合いの場に持ちこむことすら出来はしない。出会ったら最後、殺すか殺されるかだ。
「こういった経験をした私は、恐怖の対象は蛮族ではなく、殺戮を好んでいる者という考えになりました。ただこれは稀有なことです」
「そうですね。本質的に蛮族たちは好戦的ですから、結果として殺戮を好むものは多い」
 リエルの言葉にダイナは頷き、更なる答えを求めた。
 ヴァンパイアと人族との間に生まれた双子、ダンテとバージルはどうなのかと。
「ダイナさんが蛮族ではなく殺戮を好むものを嫌うのは、そういったことをする人族もいたから。違いますか?」
「正しい。少なくともあの場では、人族であるから信頼を寄せられる理由にはならなかった。略奪を目的とした者も多かったけど、強大な力を身につけて蛮族たちと同じ地位にいる人族は総じて、殺戮を楽しんでいた」
「私は人族も蛮族も、何も変わらないと考えています。環境の影響も大いにあるでしょうが、最終的には本人が何を望むか。それだけで人族も蛮族も、謙虚な者にも野蛮な者にもなり得る」
 まさにそのとおりだ。人族だから良い奴なわけでも、蛮族だから悪い奴なわけでもない。ダイナはもう一度頷いた。
「ただ世界的に見て、人族に心優しい者が多いのは事実で、蛮族に卑しい者が多いことも事実です。ですから相手を括りに入れて、警戒してしまうのは仕方のないこと。でも、私はそのようなことで相手を判別したくなかった。だから自分の目で見て、言葉を交わして、信頼できるのかは自分で決めています」
 ダンテとバージルは信頼できる人物だとリエルは感じた。そして共に過ごす内に惹かれ合い、バージルと添い遂げた。ただそれだけであると、リエルは言いきった。
「それに、人族として命を全うしようと努力するバージルたちの方が、よっぽど人族よりも人族らしい。こう見えて純粋で、可愛らしい一面もあるのですから」
「リエル! 余計なことを!」
「ふふっ。ほら、こうやってすぐに怒っても口だけだったりして、とても人族らしい」
 あのバージルを手玉に取ってしまうところを見ると、愛し合っている以上の何かがあるのではないかと勘ぐってしまうが、それでも一番大きいのは愛情なのだろう。
 二人のやり取りはとても温かなもので、そこには種族の垣根はおろか、人族や蛮族などといった括りすらも些細なものでしかないと教えてくれるようだった。
「よく、今までネロに隠し通したと思う」
「ネロを育てた場所が私の故郷である森の奥地でしたから、一般的な常識に疎い面は否定できません。それ故に、人族と関わる時にネロは必要以上に嫌われましたから……苦労をかけたと思っています」
 一般的な人族の考えと相当かけ離れた思想を持っている親に育てられ、挙句に他にいた人物と言えば叔父であるダンテだけだったとなれば、確かに納得だ。
「私たちも行こう。意地を張っていても、進展はない」
「分かっている」
 ラルヴァである自分やダンテのことを、すんなりではなくとも受け入れる度胸の持ち主がリエル以外にもいるということは、素直に嬉しいことであった。もちろんそれを顔に出すことはしないが、自分は本当に恵まれているのだと、バージルはこの事実に感謝した。

 ネロがあてもなく森の中を歩いていると誰かに手を引かれたので、振り払って後ろを見るとキリエが心配そうな表情を浮かべていた。
「今は一人にしてくれ」
「そう、してあげたいけど。何かあってからじゃ遅いから」
 だからせめて傍にいさせて欲しいと言われたネロは言い返せなくて、黙りこむしかなかった。
 親父や母さん、何ならおっさんに対しての怒りは今だ収まる気配がない。それでもキリエがこの件に関しては全く関係ないことぐらいは分かっているのに、そんな彼女にすら八つ当たりしてしまう自分にもムカついて、余計イライラした。
 歩く速度を速めてさらに森の中を進んでいく。小走りになってもキリエは追いかけてきているようで、少しずつ息が荒くなっていく声が耳に届いて来る。それでも彼女は小言一つ言わず、ずっとネロの後を追ってきた。
「いいって、そこまでしてくれなくて。義理も何もないだろ」
 立ち止まり、振り返ってキリエをもう一度追い返そうとした。自分でも冷たいことを言っている自覚はあるが、とにかく今は一人になりたかった。一人になってどうするかも考えられないままに、一人を望んだ。
「義理とかじゃないわ。私がネロのことが心配で、傍にいたいって思うの。そして出来るなら、一緒に悩んで、解決したい」
 生きている間でどれだけの徳を積めば、こんなにも美しい心を持つことが出来るのだろうか。自分には到底出来ることではないと思い知らされた気がして、何だが落ち込んだ。
 キリエにまで意地を張っている自分が今度は情けなく思えてきて、そう考えると足がだんだんと重くなっていく感じがした。ただ足を止めるのは気まずくて蛇足的に歩いていると木々に囲まれた小さな池に着いた。
 池の縁には二つの石があって、どちらも月の光に照らされて銀色に光っている。一つは空を指すように伸びていて、もう一つは横に寝ていて短い桟橋のように水の中へと延びていた。
 短い桟橋の方の石に座ると星が二か所で煌めいた。空と、水の中。どちらも同じ輝きだった。
「なんか、アホらしくなってきちまった」
 先ほどまではあんなに腹が立ってしょうがなかったのに、ここに座って空を見上げるとどうでも良くなってしまった。ただ恥ずかしいから、広大な空と自分の悩みを比べて……なんて、吟遊詩人が口ずさむ歌詞のような事はしなかった。
 すぐ後ろに立って聞いているキリエを隣に誘うと、彼女は感謝を口にして座ってくれた。先ほどの不快な胸の高まりとは違う、緊張した時の胸の高鳴りを感じてどぎまぎした。
「その、君は何とも思わなかった? 俺の親父たちが、蛮族だって聞いて」
「まだ実感出来てない、かな。とっても人間らしい方たちだから、蛮族と言われても……って。ダイナが襲われた時はすごく怖かったけど、その後のダンテさんは辛そうで、後悔に押しつぶされてしまいそうなほどに苦しんでいたから、やっぱり悪い人じゃないって思ったわ」
「そうか。……そう、感じたんだ」
 確かにキリエの言うとおり、悪い人たちではないんだろう。それは自分と血が繋がっている、いないに関係なく、そう思う。だがそんなことはずっと一緒に居た自分の方がよく分かっている。だったら自分は何故、あんなにも怒りを覚えたのだろう。
「ネロはご両親のことも、叔父であるダンテさんのことも大好きよね」
「そっ、そんなことない! ……まあ、尊敬はしてるけど、ただそれだけだから。本当に」
「別に恥ずかしいことじゃないわ。とっても素敵よ。だって私、家族と一緒に冒険しているネロのことが、とても羨ましいもの」
 羨ましい? こんな俺のことが? 生まれた時から穢れを持っていて、人族がら忌避され続けてきた自分のような存在を、神に祝福されし子として誰からも好かれるようなヴァルキリーの生まれであるキリエがそんな風に思っている?
「やめてくれ。そんな気休め、嬉しくない」
「私ね。両親の名前も、顔も知らないの。それだけじゃなくて、種族も、育ちも、生活も、何も知らない」
「えっ」
 衝撃だった。キリエは当たり前に幸せに生きてきて、誰からも反対なんてされることなく自分のしたいことをさせてもらってきたから、心に余裕のある人物だと思いこんでいた。そんな子が、親のことを何も知らないなんて……。
「私は生まれてすぐ、神殿に預けられたんですって。縁起のいい子だから、神の許に仕えるべきだと。それを司祭様から聞いた時は両親ともに敬虔な信者なんだと思って、小さい頃は両親が会いに来てくれる日を楽しみにしていたわ」
 だが来る日も来る日も、両親はギリエを預けた神殿にやってくることはなかった。理由を周りの人に聞いても教えてくれず、駄々をこねたこともあったという。
 小さい頃は両親のことでよくわがままを言って周りを困らせながら成長したキリエも、大人になるにつれ両親のことは次第に諦めるようになり、親に執着しなくなると小さい頃に周りの大人たちが自分の両親のことを教えてくれなかった理由も見えてきた。
 司祭たちは意地悪をして教えてくれなかったのではなく、キリエの両親が神殿にやって来ない理由を大人たちも知らなかったのだ、と。
 身分の低い者たちの間で高貴すぎる者が生まれると、謙遜しすぎて自分たちが会うなど恐れ多いことだと考える者もいる。自分が産んだ子に対してそのような思いを抱くのはどんな心境なのか、知れる日は来ないだろう。
 これはあくまで推測で、もしかしたら止むに止まれぬ事情があって来れないだけなのかもしれないし、何かの事故で他界しているのかもしれないが、真相が分かる日はもう来ない。
「俺、君にそんな辛いことがあったなんて、考えたこと……」
「両親のことは悲しいことだけど、それでも私は幸せよ。たくさんの人たちに大切に育てられて、ダイナという無二の親友も出来て。だからみんなは私のことを羨むし、それは間違っていないと思う」
 望んで手にした力でなかったとしても、力を持ってしまった以上は背負わなくてはならないのだとキリエは言った。それが、希望を託された者の責務だと。
「なんで耐えられるんだ? 理不尽な怒りややっかみを向けられて、それでも笑っているなんて、俺には出来ねえよ……」
「私も出来てないよ。過剰な期待も、いわれのない蔑みも、全部辛い。でも、この痛みを分かってくれる人がいて、私のことを支えてくれる。それがたった数人だったとしても、私はその人たちのお陰で、今もこうして頑張っていられるの」
 誰かなんて言わなくても分かるよねと微笑まれて、ネロは何も言えなくなった。その数人の中に自分は含まれているだろうか? 含んでもらえていたなら、どれだけ嬉しいことだろうか。
 自分がキリエの支えになれていたら、それはどれだけ素敵なことだろうか? 考えずにはいられなかった。
「だからネロにはずっと、家族のことを信じていてほしいって思っちゃうの。私のわがままだけど、そうだったらいいなって」
「君がわがままな子だってのは、すごく意外だった。……ありがとう。俺、もっと親父たちのことを知るために、話してみるよ」
 単純だと思った。キリエに言われただけですぐに首を縦に振ってしまう自分は、とても単純。
 でもそれでいいと思わせてくれるだけの力強さと、優しい思いを感じさせてくれる。そんなキリエの言葉だから、素直に信じられた。
「話はまとまったか?」
 上から普段使う言語とは違う声が振ってきたので驚いて見上げると、もう一つの石の上にゴウトが乗っていた。黄色い瞳をこちらに向けていて、真っ黒な毛並みは星々の光で見事な光沢を出している。
「まったく、君たちは主と違って一人旅をしているわけではないというのに、すぐはぐれる。関心出来ん」
「悪かったよ。すぐ戻る」
 小言の多い猫だと心の中で悪態をつきながらネロが立ち上がると、背後の草が若干揺れた気がした。
「何かいるのか?」
「ああ。あれはダンテだ。ずっと隠れて君たちの会話に耳を傾けていたよ」
「はあっ!? おいおっさん! 出てこい!」
 突然怒鳴られてびっくりしたダンテが顔を出すと、鬼の形相で近づいて来るネロがいた。
「な、なんで俺がいるって分かったんだ?」
「ゴウトから聞いたんだよ! 立ち聞きとは言い度胸じゃねえか、えっ?」
「おいこらゴウト! 黙っとけって言っただろっ」
 魔法文明語が分からない弊害がここにきて出てくるとは。挙句にゴウトは知らん顔で顔を洗っている始末だ。何とも腹立たしい。
「落ち着いてネロ。私は聞かれても別に平気だから……」
「俺が平気じゃないんだ。つーわけで一発、殴られる覚悟はあるよな?」
「坊やの拳骨は冗談抜きでバージルより痛いから勘弁願いたいところだ……」
 本当にやめてくれと懇願しているダンテを見ているとどっちが年上か分からない。それほどまでに今のダンテからは尊厳の二文字がなくなっていた。あんまりにも情けないものだから殴る気が失せてしまったネロはため息をついた後、呆れながら言った。
「なんか言うこと、あるだろ」
 どうにか許してもらえたと分かったダンテは額の汗を拭い、表情を引き締めた。
「俺とバージルがヴァンパイアハンターとして活動すると決めた時、最初は二人だけで行くつもりだった」
「知ってる。俺と母さんが無理行ってついていったんだ。あの時は本当にただ冒険者になるだけなんだって俺は思ってたけど、母さんは多分、違ったんだろ」
「そうだな。あの時は随分と反対したが、結局押し切られちまった」
 今になって思うとリエルとネロに押し切られ、最近ではダイナとキリエにも押し切られているから、どうにも自分たち双子は押しに弱いのではないかという懸念が出てきているが、黙っておいた。
「最初は不安もあったがなんだかんだと上手くいっちまって、気づいたらいつの間にか、どうにかなるもんだって思い始めちまってた。それだけじゃない。家族での旅は心地がいいし、新しい仲間が増えるのはとても楽しいものだった」
 キリエに目配せすると少し照れた顔で微笑まれた。これを見たネロは若干不機嫌になった。
「もちろん、これはただ恵まれていただけだ。いや、恵まれ過ぎていた。だから、今回みたいなことになっちまった。もしもここで二人に受け入れてもらえていなかったら、どうなってたかな」
 この場で殺し合いになっているか、或いは街にまで戻られて蛮族として指名手配されているか。どちらにしろ、凄惨な未来が待っているのに変わりはなかった。
「冗談みたいに聞こえるかもしれんが、これは全部あり得たことだ。人族と蛮族は基本的に相容れない。目と目が合えば殺しあう宿敵みたいなもんだ。僕は悪い蛮族じゃないなんて訴えても、まず理解されない」
 だからバージルを夫として迎え入れてくれたリエルは本当に人族の中でも珍しい考えの持ち主で、同時に彼女には感謝してもしきれないほどの恩がある。もちろん、一緒に受け入れてもらえたダンテも同じだけの恩を感じている。
「親父があんなにも母さんを大事にするのは、それが理由か?」
「いやあ……あれはまあ、ほら。いわゆる、ぞっこん。本気で愛してるってやつだな」
 聞かなければ良かったと、ネロは少し後悔した。
「とにかく、俺とバージルだけで全部どうにかするつもりだったんだ。そして出来るとも思いこんでた。結果は、このありさまだったわけだが」
 半人半吸血鬼である自分たちが人族に紛れて暮らしていくということがどれほどに大変なことなのか、恵まれた環境にいたせいで気が緩んでいることにすら気付かないまでに感性が落ちていたことを、今回のことで痛感した。
「それでも、俺とバージルはこの旅を辞めることはない。必ずヴァンパイアをぶっ殺して、そいつの血を飲む」
「血を? なんで」
「ヴァンパイアの血を飲めば、人族として天寿を全うできる。それだけが俺達ラルヴァに残された、人族として生きていくための唯一の道なのさ」
 ラルヴァの寿命はおよそ三百年。その間にヴァンパイアハンターとなって旅をするのが通例となっている。理由は先も言ったとおり、人族として天寿を全うするためだ。
 ヴァンパイアの血を飲まないままに寿命を迎えるとラルヴァは一度死蝋化する。そして大体はレブナント化して幽霊のようにこの世界を彷徨い続ける。そんな人生はまっぴらごめんだが、それ以上に恐ろしいことがある。
 本当にごく稀にだが、ヴァンパイアとして蘇ることがあるのだ。
 ヴァンパイアとして蘇った者はもはや生前の記憶などほとんどなく、思想などもまさにヴァンパイアらしいものになる。自分は高貴な者であり、人族など劣等種でしかないという考えを持ち、欲しいものはいつでも、自分が望んだ時に望んだまま手に入るのは当然で、それを出来るだけの力を有する。
「そうなんですか?」
「大マジだぜ。まあ、ぶっ殺されちまったらそのどっちにもならねえんだが。ほら、俺は一回死んだけど、どっちにもならなかっただろ?」
 あの時の出来事がこんな時に役立つとは思ってもいなかったが、説明しやすいことだけはありがたがっておくことにした。
「そんな大事なこと、よく黙ってたもんだ」
「んー。理解はしてほしいが、難しい問題だからな。事実、ラルヴァをヴァンパイアの幼体だって呼ぶ連中もいる。そりゃあ、確率が低いとはいってもヴァンパイアになるかもしれんような人物と一緒の場所にいたくねえよな」
「母さん、そのことも知ってんのか?」
「全部知ってるぞ。全部知った上で、バージルと結婚した。すごいだろ?」
 なんでダンテが威張ってるんだと腹が立ったので、軽く横腹を突いてやったら思った以上に当たりどころが良かったようで、すごく痛がっていた。
「あの、この話、ゲイリーさんの耳に入って大丈夫なんですか?」
 ダンテの顔から一気に血の気がなくなった。
 考えていなかった。ゴウトはすぐそこにいる。黄色い瞳が、異様に鋭い刃物のように見えた。
「主は君を蘇生させた時に知っている。二つの赤い眼が印象的だったと言っていた。それからヴァンパイアの特徴と一致することを思い出し、すぐに調べ上げていたよ」
 キリエの通訳を聞いたダンテは安堵した後、心のどこかでゲイリーならそんなこと気にする人じゃないと思っていた節があることを感じ、何故そう思ったのかを考え、思い出した。
 人族も蛮族も何も変わらない。
 彼は確かにそういっていた。リエルが自分とバージルと共についてくることを決めた時に言ってくれた言葉と、同じ言葉を。
「恵まれ過ぎて、感覚が狂っちまいそうだ」
 ぼんやりと視界が霞んだ気がして、慌てて右手の甲で目を擦った。ほんの少しだけ、手の甲が濡れた。
「こんなところにいたのか。探したぞ」
 森の方から現れたのはバージルだった。その後ろにはリエルとダイナもいる。
「親父に、母さん……」
「あー……、よお、ダイナ」
 再び気まずい空気に包まれた。ネロは掴みかかってしまった母と父に対して顔を合わせづらいと感じているし、ダンテは襲ってしまったダイナへの謝罪がまだだ。
「話はバージルから聞いた。そっちは?」
「一応、俺から坊やとキリエちゃんには説明した」
「だったら、もういい。キリエ様は、話を聞いてどうなされたいと思いましたか?」
 ダイナがどんどん話を進めていくので、ダンテは黙って聞いているしかなかった。一方のネロも両親にどう話したものかと悩んでいると、自分よりも小さい体が自分を抱きしめてくれているのを感じ、視線を落とした。
「バージルのこと、隠していてごめんなさい」
「いや、それは母さんが謝ることじゃないから。その……、ごめん。掴みかかって」
「いいのよ。ネロが感じた思いの方が、私の感じた痛みより遥かに辛いものなんだから」
 こんなにも小さな体で、自分を育て上げただけではなく、重い宿命を背負ったバージルまでも受け入れた母の偉大さに、ネロは頭が上がらない思いだった。
「すまなかった」
「はっ、え。えっ? 親父、今……」
「二度は言わんぞ」
 まさかあのバージルが謝るとは思っていなくて、完全に度肝を抜かれてしまった。もう一度聞きたい気持ちもあったが釘を刺されてしまったので諦めるしかない。
「俺も……穢れのこととかで当たって、悪い」
「構わん。俺とて、考えたことがないわけじゃない。もしも俺に穢れがなければ、お前も普通の人間として生まれていたんじゃないかと。そうしたら……」
 バージルはこれ以上先は言わず、ネロを見てからリエルに視線を移した。何故か分からないが、二人とも辛そうだった。
「ネロ。そのことで、話さなくてはいけないことがあるの」
「そのことって、親父のこと?」
「今度は、私の秘密」
 秘密事が多くてごめんなさいと謝ってくる母親に、なんて返したものかとネロは悩み、先ほどのキリエの言葉を思い出した。
「あー、今日はもう親父の話で頭が回ってないから、今度聞くよ。大丈夫、今まで話せなかったのにはわけがあるって、理解してるから」
「ネロっ……」
 感極まったリエルはぐっと涙を堪え、息子の体に顔を埋めてしまった。本当に優しい子に育ってくれたと、ただただ感謝ばかりが胸の中を一杯にした。
「私は今までと同じで良いと思っています。ダンテさんもバージルさんも、良い人ですから」
「そうですか、分かりました。では今までどおりということで」
「えっ? いや、おいおい。それでいいのか?」
 こちらは想像以上の簡潔さで話が終わるものだから、ダンテだけ納得できていなかった。
「まだ何か所望することが?」
「所望っていうか、俺はその……ダイナを、襲っちまって」
「ああ。その件に関してはキリエ様でなくて良かったと、心の底から思っている」
 自分が襲われたことは別に構わなかったとでも言いたげなダイナの態度が、ダンテにとっては想像を絶するほどの拷問だった。数刻前に湧き出た激情が、再びダンテを襲う。
「ダイナ、お前っ……! 自分が何言ってるか、分かって……」
 それでも、同じことはもう繰り返さない。必死に自分の欲望を抑え込んでいると、ダイナから返事があった。
「キリエ様を襲っていたら間違いなく脳幹をぶち抜いていた。だから、ダンテを殺さずに済んでよかったと、それだけ」
 答えを聞いてしまうと何とも物騒なもので、ダンテの抱いた激情はすぐになりを潜めてしまった。
「……そういうこと」
「他に何があるというの?」
 本気で言っているというのが伝わってくるあたり、性質が悪いと思った。とはいえ、ここでダンテになら襲われてもいいと思ったなんてことを言われたら抑え込める自信がなかったので、ある意味助かったともいえる。
 ただこれで分かったことは、ダイナは自分の気持ちにはまだ気付いていないということだ。どうして襲われたのが自分だったのかを理解出来ていないのは、恐らくバージルがそこらの説明を省いたからだろう。
 ラルヴァは深い愛情や欲情を抱いた時、吸血衝動を抑えこむことになる。当然、これが抑えられなかった暁には今日の昼間に起きた惨事になる。
「あんま、誘惑すんなよ。次下手なこと言ったらまた襲うからな」
「そうなったら足にでも銃弾を打ちこんで無理やりにでも止めるから、安心して」
 血を吸われるかもしれないというのに、勇ましい限りだ。だがこれぐらいの勢いで構えていてくれた方が、ダンテとしても安心できる。
「ただし、キリエ様を襲ったら命はないと思っておいて」
「だってよ、坊や」
「俺は関係ねえだろ!」
 残念ながらネロがキリエに好意を抱いている以上、ダイナは最大にして最強の壁として君臨するだろう。だがそれはまだまだ先の話だ。今はきっと、関係ない。
「よおし……。話もまとまったし、今日はここで休んじまおうぜ。明日から川の上流を目指そう」
 予定外のことが起きてしまったが、憂いが無くなったのは大きいことだ。今の六人なら、絶対にケイル討伐も成し遂げられるはず。
「人族と蛮族が共に歩むか。物好きな者たちもいたものだ。……いや、彼らが真の仲間になり得るのかを確かるためだけに私を寄越す主もまた、物好きか」
 己が主の望む結果になったことに満足げなゴウトは空に向かっている石の上で呟き、彼らの休息を見守っていた。