The End

 六月十五日午後五時二十一分。
 朽ちていくクリフォトを地上で眺めている五人の男たちは一人を除き、落胆していた。事件は解決したというのに、こんなにも後味の悪い終わり方をするとは想像していなかったからだ。
 いや、正確に言えば、どちらに転んでも後味の悪いものに違いはなかった。ただそれはおっさん一人だけのものであるはずで、他の者たちが味わうことはないものだと考えていただけに、やり切れない。
「なんで、こんなことになっちまったんだよ」
 項垂れている若が悔しそうに呟く。
 恐らくだが、魔界へと向かった三人のうち、少なくとも一人はこうなることを分かっていただろう。真実を伝えたのか、それとも嘘を並べたてたのかまでは分からないが、当初は一人で向かうつもりだったはずだ。閻魔刀を扱えるのは自分しかいないという責任感からか、はたまた腕試しか、或いは……。
 何を言っても、バージルが、初代が、ダイナが、帰ってくることはない。
 どういう原理かは分からない。それでも魔界からこちらに向けて扉を開けられないことは常識だった。もしも出来てしまえば今頃こちらは悪魔の巣窟になっているだろうから、そうなっていないということが何よりの証拠だった。
「これは、賭けだが……」
 重い空気の中に投げ込まれたのは、二代目からのとんでもない提案だった。
 それは、閻魔刀を使ってここに、自分たちの目の前に扉を作り出すという滅茶苦茶な内容だった。出来る保証なんてないし、どうなるかも分からない。扉を作ることが出来ずに終わるかもしれないし、想定以上のものが出来てしまって再び悪魔が溢れかえる危険性もある。まさに、賭けだった。
「賭けっていうのは伸るか反るか、選べる状態にあるから賭けなんだ。こんなの、試すしかねえんだから賭けになってねえよ」
 わずかでも可能性があるなら試すに決まっている。二代目の提案に誰もが賛同した中、奴だけは違った。
「おい、その話だと俺が扉を開けるということになるだろう」
「当たり前だ。お前以上に閻魔刀を扱えるものは、ここにはいない」
 何を言っているんだという二代目の態度に、バージルは拒む。俺はやらない、と。
「何でだよ、V! さっきまで協力してくれるって……」
「一つだけ、力を貸すと言った。閻魔刀を探してやっただろう」
「見つけられなかったんだからノーカンに決まってるだろ! 頼む! 俺達の大事な家族なんだ!」
 家族。その言葉に心が揺れたことを感じたバージルは舌打ちをする。
 心など、下らない。家族など、己の足枷にしかならない。今まではそのように考えていたはずで、これからもそれは変わらない──はずなのに、引っ掛かりを覚えるのは何故なのか、バージルは無意識の内に答えを求めていた。
「親父、頼む」
「俺からも頼むぜ、バージル」
 ──ああ。これが、答えか。
 あまりにもしつこいから仕方なくといった様子でバージルが閻魔刀を構え、集中する。
「どうなっても知らんぞ」
 この言葉を肯定の意味だと捉えた四人は嬉しそうに顔を緩め、開くかも分からない扉に備える。力を溜めたバージルが空に一太刀いれると次元が裂け、その先は闇に包まれていた。
 扉が開いているのか、分からない。開いていたとしても、これに三人が気付くかも分からないし、そもそも三人の居る魔界に繋がったのかも分からない。漠然と広がっていく不安の中、次元の裂け目に変化が現れた。
 何かが出てくる!
 緊張の一瞬は悪魔の登場によって打ち砕かれた。一匹の後に続いて出てくるのは悪魔、悪魔、また悪魔……。
 この扉は確かに魔界とは繋がったようだ。だが、出てくるのは悪魔ばかりで、求めていた者たちじゃない。それでも、もしかしたらという希望が捨てきれなくて、四人は我先にとこちら側の地面に足をつけようと出てくる悪魔を屠り続けた。
「無駄だ。……閉じるぞ」
 バージルからかけられた無情な一言に、誰も反応しなかった。そんなはずはないと、あいつらは絶対に戻ってくるんだと信じたかった。しかし、バージルの言っていることがもっとも正しくて、自分たちが間違っていることは百も承知だったから、扉を閉じるために閻魔刀にかけられるバージルの手を止めることもまた、出来なかった。
 扉を閉じるため、バージルはもう一度集中する。その時、今までとは違う何かが扉から飛び出てきた。
 それは、茨であった。まるで意思があるようにしなる茨は何本も扉から這い出てきて、地面に刺さっていく。次に出てきたのはオペラグローブのはめられた両腕で、小さな扉をこじ開けようとし始めた。
 流石にこの悪魔を迎え入れるのはまずいと直感したバージルは急いで扉を閉じるため、まずは邪魔になっている茨を切り離した。すると茨の主は怒ったのか、さらに両手への力を強めた。
「手を貸せ。この悪魔を追い返す」
 扉を閉じるために集中したいバージルは、この得体のしれない両手の処理を息子たちに託す。ネロたちもこの悪魔は危険だと察知しているようで、追い返すため、手に斬りかかろうとした。
「──待てっ! あれは……初代の手袋じゃないか?」
 悪魔の手に気を取られていたために扉から見える小さな黒い物体を見落としていたようで、その正体に気付いた二代目が声を荒げる。間一髪のところで悪魔の両手に攻撃をあてないよう三人が軌道を逸らすと、その両手に守られるようにして人間の右腕が飛び出して来た。
「引っ張れ! 引っ張るんだ!」
 武器を投げ捨てておっさんが右腕を掴むと、しっかりと握り返してきた。そして四人が束になって引っ張ると、勢いよく初代の体が宙を舞った。同時に、初代の左手を掴んでいたバージルが姿を現し、綱引きの要領で最後にダイナも飛び出した。そしてダイナを引き抜くと、先ほどの悪魔の手の正体がダイナの纏う魔人であることが分かった。
「閉じてくれ!」
 二代目に言われなくてもそのつもりだと構えていたバージルはダイナが飛び出したのを見越して扉を閉じ、何もないただの空へと戻した。
「あー……助かった、のか?」
 だんごになっている初代が周囲を見渡しながら情けない声を上げると、ただでさえ暑苦しいというのにおっさんやら若やらにもみくちゃにされ、数分後には息を荒げていた。もちろんバージルとダイナも例外なくもみくちゃにされ、初代と同じように息苦しそうにしていた。
「みんな……」
 いつの間にか魔人化が解けているダイナは息を整え、みんなが求めている言葉をかけた。
「ただいま」

 六月十五日午後六時二十六分。
 二代目が運転する大型バンの中で狭そうに肩を寄せて座っているのは八人の半人半魔たち。運転席に座っている二代目と助手席に座るネロが比較的広い空間に居て、残りはもっと離れろだの暑苦しいなど文句を言い合いながら二つのソファに何とか座っている状態だった。
 車に乗った最初は無事でよかったとか、何があったのかなどの話でもちきりだった。それぞれが空白の一か月弱を埋めようと口を開き、語った。そして伝えあっていくうちに、この一か月弱の間に起きた出来事を語り尽すにはとても時間が足りないことを理解した面々は喋り疲れたのか、一人、また一人と口を閉ざしていき、今度はゆっくり眠るためのソファ争奪戦が始まった。
 ただ疲労困憊であるためにそれも長くは続かず、狭い狭いと言いながら大きな体を寄せ合って眠っている今の光景が出来上がった。
 キリエの待つフォルトゥナに向かうまでに、いくつか決まったことがある。それはネロの父親であり、おっさんの双子の兄であるバージルのあだ名と、今後のこと。
 彼のあだ名は若がずっとそう呼んでいたこともあり、Vということになった。意外にも本人が二つ返事だったこともあり、すぐに決まった。その代わり、Vはこれからどうしていくのかということについては揉めに揉めた。
 おっさんは事務所に来てもいいと言ったのだが、それは絶対に嫌だとVが拒絶。一人にするというのは論外だという意見は満場一致だったので、ネロは複雑そうな面持ちでフォルトゥナに連れて行ってもいいかキリエに確認の電話を入れると、何の問題もないと言い切られてしまい、後に引けなくなって、最終的に首を縦に振った。
 騒がしい事務所生活ではあったがそれも随分と昔のようで、うるさい連中たちとこうしてつるむ機会も激減するんだということを肌で感じながら、ネロは助手席から身を乗り出し、後ろの様子を見る。
 おっさんにのしかかられて険しい表情を浮かべながら眠っている若と、そんな二人に乗られないように閻魔刀を立てて壁を作っているV。もう一方のソファにはダイナを挟んだ初代とバージルがそれぞれ彼女の手を握って眠っていた。
「俺が抜けちまったら、家事が回らなくならないか?」
 運転をしている二代目に声をかけると心配するなと返されてしまい、少し寂しさを感じる。
「Vには兄弟の時間ではなく、親子の時間が必要だ。それはネロ、お前自身もだ。……違うか?」
 この車もフォルトゥナに置いていくつもりだと二代目が伝えれば、ネロはちょっとだけ不安が解消されたような気になった。車があれば、いつでもおっさんの事務所にまですぐに行ける。それも、キリエやVを連れて。
「本当に全部、終わったんだな」
「ああ。そして始まるんだ。新しい生活が」

 今回の事件はある意味で、起こり得ること自体が必然だったのかもしれない。それはひとえに、彼らが双子であったが為か。はたまた、家族への想いが具現化した奇跡か、或いは呪縛か。
 レッドグレイブ市にとって今回の騒動以上の出来事は、この先一生をかけても二度と起きないであろう最悪の災いでありながら、その災いは彼らがもっとも望んだ結末へと向かわせるために必要なことであった。
 きっと、そうであったはずだ。