Words

 六月十五日午後三時三十八分。
 遥か上空、雲を突き抜けるほどの高さにまで成長したクリフォトはしなる茎を大きく横たえ、天頂である大きな球体は渦を巻いたような丸い模様を花が開くように咲かせた。
 その天頂に立っているのはバージルと若。どこを見るわけでもなく物思いにふけっているバージルに、若は痺れを切らして声をかける。
「十分に気晴らしは済んだだろ? 次はあんたが俺に力を貸す番だ」
 若とVが交わした取引。それは、Vがユリゼンに奪われてしまった力を取り戻し、バージルとしての姿に戻る手助けをすること。それが叶った時、次はVが若の手助けをする。これが二人の間で交わされた取引だった。
「さっさと用件を言え。ただし、一つだけだ」
 Vとしての記憶があるのか、相手が若い頃であるとはいってもダンテに変わりはないというのに、バージルは取引に応じる。
 借りを作りたくないだけなのか、はたまた他に思惑があるのか……。
 真相は分からないが、そんなことは若にとって関係なかった。彼らのことを探しだすにはこれしか方法が無くて、その為なら何だってすると覚悟は決まっていたから。

 ネロを置いてきた二人はバージルと若がいる天頂に上る最中で、ある三匹と対峙する。
「どうした? こんな所でうろついて、家出か?」
「よう。インテリのダンテちゃんたち。若ちゃんはともかく、お前らなら俺達のこと、見覚えあんだろ?」
 二代目は黙秘を貫いたが当然知っている。もちろん、おっさんも。
「そうだな、なくはないぜ。どっかで会ったか」
「あの頃の記憶はもうバージルには必要ねえし、そうなりゃ俺達の望みはただ一つ。かつて俺達をぶち殺してくれた、てめえどもへの復讐だ!」
 グリフォンは復讐だと言い切り、得意な電撃を二人に浴びせる。しかし威力はかなり低く、おっさんが軽く魔剣ダンテを振るうだけで簡単にかき消えてしまった。
「……なーんて、かっこつけるつもりだったんだがな」
 一度飛び上がったグリフォンは同じ使い魔である巨人──ナイトメアの肩に止まり、気になることを口にする。
「おんなじダンテだっていうのに、若って奴はずーっとVのことを気にかけてくれた。とんだお人好しの大バカ野郎よ。そんな大バカな若ちゃんの願いを叶えてやりたいって、俺達は思ったのさ」
「若の、願い? 何だそれは? 答えろよ」
「俺達に聞かなくたって自分のことだから分かるだろ? それとも、自分の願いすら分からないほど落ちぶれてんのか? あーヤダヤダ。歳を取ると頭が固くなるってホントなのね」
 答える気などさらさらないといった態度をグリフォンが見せると、言葉を喋れない猫型の使い魔──シャドウとナイトメアも同じだと言わんばかりに咆えたり口を塞ぐポーズを取った。
「これ以上の問答は時間の無駄だ。どかないというのなら、斬るまでだ」
 おっさんとグリフォンのやり取りが不毛であると分かった以上、二代目にとっては見ている価値のないものとなった。二代目がリベリオンを向けると、グリフォンは大きなため息を一つ吐く。
「ホントにわかんねえんだな? だったら仕方ねえ。悪いがお前らを通すわけにはいかねえな!」
 グリフォンもこれ以上交わす言葉はないと口を閉じ、共にVに仕えたシャドウとナイトメアと一緒におっさんと二代目へと勝負を挑むのだった。

 結局、グリフォンたちが束になったところでダンテ一人を相手取るのだって相当に厳しい中、二人のダンテを相手にすることなど到底不可能なことであった。
 先に崩れて消えていくシャドウとナイトメア。グリフォンも地面に突っ伏し、身体が灰のようになって消えていく。
「分かってたろ。お前らが勝てないことは」
「……だよな」
 あっさりと負けを認めるグリフォンは苦しそうにしながらも声を絞り出す。
「それでも、時間稼ぎにはなったはずだ。……心配すんな。若ちゃんの願いが叶うことは、お前らにとっても喜ばしいことのはずだからよ」
 多分と自信なさげに付けたされた最後の台詞は一言余計だったが、若とVが交わした取引の内容を知っているグリフォンたちとしては、自分たちが消滅する運命にあったとしても絶対に叶えてやりたいと、そう思える内容だったのだろう。
「さあ、行けよ。俺達は……これで消えるとするぜ。どうせ、バージルが二度と悪夢を見ねえように消えるつもりだったんだ。それが最期にこうして役に立てたっていうなら……胸を張れるだろ?」
 バージルが悪夢を見ないように。
 そうまでして自分の兄のことを想ってくれているグリフォンの言葉に何かを感じたおっさんは膝を折り、グリフォンとの距離をつめる。
「楽しかったぜ、ダンテちゃんたち……」
 消えていくグリフォンにおっさんがかけた最後の言葉は同意と、感謝だった。

 六月十五日午後四時四分。
 クリフォトの天頂に、若とバージルはいた。
 バージルは座り込んだまま瞑想しているような体勢を崩さない。一方、そのすぐ傍に立っていた若は振り返り、二人を見据えた。
「よお、若。立つ位置が違うんじゃねえか?」
「何も間違ってねえよ。俺は、俺の意志でここにいる」
 おっさんの言葉を否定した若はリベリオンを構え、バージルを守るように背で隠し、二人と対峙する。
「扉を開けっぱなしじゃ困るんでね。閻魔刀を寄越しな」
 若に何を言っても無駄ならバージルに声をかけるまでだとおっさんは相手を変える。ただ、瞑想しているからどうせ返事は無いのだろうと思っていると、意外にもバージルは立ち上がり、答えた。
「欲しければ、力づくで来い。……いつものことだ」
 若の横に立ち、閻魔刀を鞘から抜くバージル。完全に殺り合う気だと悟ったおっさんは魔剣ダンテを、二代目はリベリオンを手にした。
「若といったな。残念だが時間切れだ。もう一度探すにしても、こうも邪魔が入っては……な」
 ようやくここまで来たというのに。
 邪魔が入ったことに対する苛立ちをふつふつと胸に秘めながら、若は二代目を見て、おっさんと目を合わせる。
「何でVと戦おうとする?」
「素直に閻魔刀を寄越してくれるなら、俺は別に争うつもりはないんだが……魔界化を止めるためにはどうしたって閻魔刀が必要だ」
 だから戦うというのか? 閻魔刀のために?
 閻魔刀ならあるではないか。もう一本。それも、頼めば確実に力を貸してくれる人物が持っているというのに、何故目の前の閻魔刀に執着するのか? これが若には分からなかった。
「歳を取ると頭が固くなるんだってな? 柔軟に物事が見れないっていうなら仕方ねえ。悪いが少しの間、眠っててもらうぜ」
 別におっさんや二代目を斬る趣味に目覚めたわけじゃない。だが口で言ったところで聞かない連中だということは散々見てきたし、言われなくても分かっている。だからVの邪魔をされないようにするには、こうする他なかった。
「今日こそは勝ち星を上げるぜ!」
 こうして若は二代目と、おっさんはバージルと何度目か分からない勝負を始めた。

 六月十五日午後四時二十七分。
 一人になったネロはあの後どうするべきか決められないまま、とにかくみんなの後を追ってクリフォトの天頂近くにまで登ってきていた。
 そこにあったのは場違いという他ない公衆電話。かかるわけがないと思いながら、もしもかかるなら声を聞きたい人がいるネロはあまり期待しないまま、受話器を取った。
「……もしもし?」
 まさかと思った。
「ネロ? ネロなのね? 何かあったの?」
 本当に繋がった。受話器越しから聞こえてくる声は間違いなくキリエのもので、声を聞くだけでこんなにも安心できてしまう自分が少しだけ恥ずかしく思えた。
「キリエ……」
 繋がるなんて思っていなかったから、何を喋ればいいのかさっぱり浮かんでこない。とにかく自分の思いを聞いてほしいと願って電話をかけたので、支離滅裂になりながらも出来る限り、自分の思いを伝えた。
 死んだと聞かされていた実の父が生きていたこと。他の仲間たちが仲違いをして険悪な空気であること。自分はどのように身を振ればいいのか分からなくなっていることなど、全てをさらけ出した。
「貴方の選択はいつだって正しい。自信を持って。迷う必要なんてないわ」
 なんて──なんて心強い言葉だろうか。自分のことを後押ししてくれる人がいることの強さがこんなにも身に染みたのは、いつ振りだろう。
「ありがとう」
 本当に、ありがとう。
「その言葉に、勇気を貰えた。……あと、ひと仕事して──すぐに帰るよ」
 受話器を置いて、天頂への道を上がっていく。覚悟も決まり、迷いもない。自分の思う最善の方法を取ることは、間違っていないのだから。
 フォルトゥナで起きた事件の被害者の中に、本当の兄のように慕っていたクレドがいた。あの時もっと、自分に力があれば救えていたかもしれない。そう考えるだけで胸は張り裂けそうなほどの痛みを覚え、力のない自分が憎くてたまらなかった。
 だけど、今度は違う。今度こそ、違うものにして見せる。
「もう誰も死なせねえ!」
 ネロの想いが、ネロの力になる。ずっと力を貸してくれていた閻魔刀の破片が砕けていき、右腕の代わりを果たしていた青い魔人の手が消えていく。そこへ入れ替わるようにネロの失われていた右腕が戻り、背中には大きな青い翼が現れるのと同時に、空へと大きく飛び立った。

 四体の悪魔が中心でぶつかり合う瞬間、何かが割って入った。
 おっさんとバージルの胸に片腕ずつあって、二人の激突を拒んでいる。若と二代目のリベリオンは青い翼のような大きな手で押さえられており、こちらも刃が交わることにはならなかった。
 中心で四人を止めた悪魔を見たそれぞれが魔人化を解き、一体誰がと考え、思い至り、驚いた。
「……どういう事だ?」
「ネロか……?」
 素で困惑しているおっさんとバージルを左右に弾き飛ばし、同じように翼の方で掴んでいた二代目と若も吹き飛ばす。
 全員が疲労困憊なためにまともな思考も出来ず、目の前にいる人物のことを受け入れられていない。というより、今何が起こったのかさえもよく分かっていない状態だった。
 ネロが魔人化を解くと両肩に青い翼のような腕がしっかりとついていて、何なら人間の右腕が生えているではないか。
「冗談だろ……っ」
「そんなことが、あり得るのか?」
 信じられないことの連続に眩暈を覚える若と、同じく動揺を隠せない二代目。こんなにも狼狽える二代目の姿を拝むことなど今生に一度あるかどうかと言ったところだろうが、残念ながらみんなそれどころではなかった。
「後は俺がやる。どいてろ」
 おっさんはネロの言葉が自分に向けられたものだと理解した。だからふらつく身体で立ち上がり、近付きながら言った。
「いいか、何度も言わせんな。お前には……」
 言い切る前にネロの纏っている青い拳が頬を殴打した。そのため、おっさんは綺麗に宙で一回転した後、地面に転がった。
 これを傍で見ていた二代目は絶句。遠目で見ていたバージルも驚いているし、若に至っては次は自分が殴られる予感がして身震いしていた。
「聞けよ、足手まとい」
 かつて自分がかけられた屈辱の言葉。これを浴びせられることの腹立たしさをおっさんにも理解してほしくて、わざと選んだ。
「殺し合うな。他にいくらでも方法はあるだろうが」
 そして何よりも大事な自分の想いをきちんと口にして伝えながら、おっさんたちに背を向け、バージルたちと向き合う。
「取引って何のことか、説明してくれるよな、若? 文句があるっていうなら、拳で語り合ってもいいけど」
 散々二代目と斬り合った後に、覚醒したネロと戦えとはどんな冗談だ。じゃれ合う程度ならいざ知らず、先ほどぶん殴られたおっさんの様子を見る限り、あれは本気だ。絶対に喰らいたくない。
「話したら殴らないって約束してくれるか?」
「内容次第だな」
 一縷の望みは簡単に砕かれてしまった。正直に喋った挙句に殴られようものならグレてしまいそうだ。
 でも、別に若としては隠しているわけではなかったし、もっと言ってしまえばおっさんと二代目が聞く耳を持ちそうにないことが原因だったから、ネロに話すこと自体は抵抗なかった。
「大したことじゃねえよ。Vが元の姿……つまり、今のバージルのことな。それに戻れるように手を貸すから、元に戻ったら俺に協力しろって、ただそれだけ」
 Vがバージルの姿に戻る手助けをしたいなんて正直に話したところで、門前払いされるであろうことは若だって予想できていた。Vの状態ならまだしも、バージルの姿に戻った時にこちらの話に耳を傾けてくれるとは、おっさんや二代目はとてもじゃないか信用出来ないだろうから。
 ただ一人、ずっとVと共にいた若だけは、たとえ元の姿に戻ってもVの魂が宿っているはずだと信じ、Vであれば話を聞いてくれるという博打にでた。
「協力って、何させるつもりだったんだよ」
「バージルを……閻魔刀を探してもらうつもりだった。ネロの右腕に吸収されていた閻魔刀の気配を辿れるなら、もう一本の閻魔刀の居場所も突き止められると思って」
 若は、一か月前からずっと気にかけていた。ネロの様子を見に行ってから一度として姿を現さない三人のことを。どうにかして探しだしたいと思ってはいたが手段が見つからず、手をこまねいていた。そして思いついた。
 バージルなら、出来るかもしれないと。
 Vという、いつ消えてしまってもおかしくない状態の彼では閻魔刀を探しだす前に消えてしまう恐れがあったし、そもそもこちらの頼みを聞いてくれるとは思えなかった。VにはVの目的があって動いていたからだ。
 だからそれを利用することにした。相手もこちらのことを利用しているようなものだったからお互い様だし、むしろ利害関係の一致で共に行動してやる方がVはやりやすいだろうと思い、提案した。
 思惑通り、Vは提案に乗った。自分に……ダンテに借りを作ってでも、バージルという半魔に戻りたかったのだろう。元に戻った後のバージルがそれを是とするかは正直不安だったが、Vの魂があれば可能性は十分あると思い、それに賭けた。
 見事賭けには勝った若だったが、今度は三人が障害になることも理解していた。ネロはともかく、おっさんと二代目は当然、バージルを止めに来る。だからどうにかしてそれまでにもう一本の閻魔刀を見つけ出したかったが結果は上がらず、今に至る。
「何だよ、それ。俺達のことを裏切ったんじゃ……」
「んなわけねえだろ! 三人のことはずっと姿が見えないから心配なだけで、別にネロやおっさん、二代目のことが大事じゃなくなったとか、そういうわけじゃねえ。ただ……」
 信じて貰えないと思ったから話さなかったと言い切った若はネロの纏っている青い拳に打たれ、見事おっさんと同じく宙を一回転して横たえた。
「若のせいでどんだけ話がややこしくなったと思ってるんだ!」
 あまりのバカバカしさにネロは肩を震わせ、こみあげてくる怒りを必死に抑えている。後ろで同じ話を聞いていた二代目も気が抜けたように息を吐き、リベリオンから手を放して座り込む程だ。おっさんも何だが疲れたような顔をして空を仰いでいる。
「だったら、V! ……いや、バージルか? どっちでもいいけど、あんたはなんでおっさんと……」
「斬りかかられたら斬りかえす。当然だろう? そもそも、ダンテの方から閻魔刀を寄越せと言ったんだ。協力してくれとは頼まれてない」
「んだと? だったら俺が扉を閉じてくれって頼んだらやってくれたって言うのか?」
「貴様に頼まれるのは癪だが……このまま魔界化が進んでは面倒が増えるからな。やってやらんこともない」
 マジでこいつら面倒くせえ。ネロは思った。
 どうやら、自分たちが考えていた以上にバージルは……いや、Vか? とにかく、ネロの父親は昔ほどの頑固さが消えているようで、話をすれば全然聞いてくれるらしい。当然同じことがおっさんや二代目にだって言えることなのだが、残念ながら全員が全員“言葉は通じないので拳で語る”という頭の悪さを発揮してここまでの大事にしたのだから、開いた口が塞がらない。
 あんまりにもあんまりなので、気の抜けている全員に一発ずつお見舞いしてスッキリしたネロはため息を一つついてから話しだそうとして、いきなり足元が大きく揺れたために言葉を飲みこんでしまった。
「今度は何だ……」
 意気消沈のおっさんはぐったりとしたまま起き上がろうともせず、ずっと揺れ続けるクリフォトに体を預けている。同じく殴打された若も横たわっていて、辺りを見渡す気力もないらしい。
「なあ、この枝っていうか、蔓か? よく分かんねえけど、崩れてねえか?」
 もし、ネロの言った通りクリフォトが崩れているのだとしたら、ここに居続けるのは良くない。殴られた頭を押さえながら立ち上がった二代目とバージルは互いに下を覗きこみ、目を見張った。
「扉が閉じていくぞ」
「まさか。あれをどうにかするなら、魔界から根を断つしかない。その上で、閻魔刀を使って扉を閉じる必要がある」
 次元を操れるものがあれば、閻魔刀でなくとも扉を閉じることは可能だ。だが先ほどバージルが説明したとおり、扉を閉じるためにはまず、魔界からクリフォトの根を断たなければならない。そんな芸当が出来る者など簡単に現れるわけがないし、そもそも魔界にいる悪魔たちがクリフォトの根を断つ理由も無い。
 では一体誰が? そんなもの、考える余地もなかった。
「もしかしてあいつら、魔界に行ってんのか?」
「……そういうことか。どおりで、閻魔刀の気配を感じないわけだ」
 クリフォトの根を断つだけの力を持っていて、扉を閉じられる力を所持している人物といえば、もはや一人しか思い当たらない。その人物に残りの二人もついて行っていると考えれば、今まで姿を現さなかった理由にも、バージルが探しても閻魔刀を見つけられなかった理由にも説明がつく。
「待てよ。扉を閉じちまったら、あいつらはどうやってこっちに戻ってくるつもりなんだ?」
 扉を閉じてしまったら最後、こちら側へ戻ってくる方法などない。あるとすれば、再びこちら側で扉が開いた時だけだ。
「話は後だ。今はここから脱出するぞ」
 全てが丸く収まるところまでこじつけられたというのに、ここにきて後ろ髪を引かれることになるとは。とはいえ、ここに留まっていても何か出来ることがあるわけではない。
 逸早く脱出するためにクリフォトを下っていくバージルに続くおっさんとは真逆で、ネロと若の足取りは重い。そんな二人の背を押して急がせたのは二代目で、彼の表情は三人のことを諦めてしまっているような、そうではないような曖昧な表情を浮かべていた。