Warming up

 六月十五日午前四時二十四分。
 あちこちに車は捨てられ、周りの住宅からは人の子一人いなくなっている中、道路を突き進む一台の大型車があった。運転を務める二代目は視線を前方から逸らさず、道路の真ん中を突っ切っている。
「約一ヶ月ほど前に突如姿を現した巨大植物は今もなおレッドグレイブ市を中心に成長を続けており、周辺の地域一帯と共に都市としての機能は停止したままとなっています。この状況に……」
「悪魔だ! レッドグレイブ市は悪魔に支配され……」
「これは神が与えた試練です。今こそ祈りを……」
 最後まで聞くことなく次々と切り替えられていくラジオ。どれもこれもろくなことを伝えない放送にうんざりしたネロはクソ番組とだけ吐き捨て、立ち上がって車の中央付近に取り付けてあるレコード再生機のボタンを一つ押した。
 そのすぐ傍に置かれているソファに寛いでいる若は、一冊の雑誌を熱心とは言えないが流し読みしているとも言えない微妙なペースで目線を動かしていた。
 ネロは若のことをちらりと見ただけで声をかけることはせず、すぐに助手席へと戻って腰を下ろす。そして音楽が流れてくるのを待つ中、前方に視線を向ければ数十匹の蟻型悪魔が道をたむろしていることを確認する。
「突っ込むぞ」
 言葉よりもアクセルが踏み込まれる方が早く、敵を目視しているネロはともかく若は大きく体を揺らした。揺れた勢いを使って雑誌を投げた若が躊躇うことなく側面の扉を開けて身体を外へ乗り出せば、前方には同じく助手席の窓から身を乗り出しているネロと悪魔の姿を捉えることが出来る。
「あんまり揺らすと曲が飛ぶぜ?」
 声を張り上げて二代目に伝えながら扉の淵から手を放した若は両手にエボニー&アイボリーを構え、足腰だけで体躯を支えるという驚異的な身体能力で前方の悪魔たちに銃弾を撃ちこんだ。背後から銃弾が飛んでいくのを認識したネロもブルーローズを左手で扱い、邪魔な悪魔を撃っていく。それでも捌ききれない量の悪魔を二代目は車体の側面をぶつけて吹っ飛ばしたり轢き殺したりと器用に運転していくが、一匹の悪魔が運転席の扉にへばりついた。そして二代目に攻撃しようとする悪魔に目線を向けることなく、左手に握られたエボニーが火を噴き脳幹をぶち抜いていた。
 速度を緩めることなく車を走らせていると丁度音楽がかかり始めた。これに合わせるように悪魔の群れが道路中央を占領し始めたので三人は一瞬視線を交わしあった後、二代目が大きくハンドルを切ってタイヤを別の車に当てて空中へと大きく舞った。
 車体が打ちあがったのと同時にネロと若は外へ出て、たった数秒という時間の中で襲い来る蟻型の悪魔たちを全て脳幹に銃弾を叩きこみ、再び車内へと体を滑り込ませた。
 まるで何事も無かったかのように若は扉を閉めてソファに深く座り直し、ネロも助手席に座ってブルーローズを腰に提げなおした。運転を続ける二代目も何か発することはなく、淡々と車を走らせる。
 看板にはこの先レッドグレイブ市と書かれていた。

 六月十五日午前五時二分。
 市を守るために派遣された武装した警官たちが銃器を使って必死に悪魔たちに対抗している。指示や怒号が飛び交う中、明らかに劣勢に立たされている人間たちは一人、また一人と悪魔の手にかかって容赦なくその身を引き裂かれていく。
「クソッ……!」
 敵の正体もよく分からないまま、徐々に減っていく仲間たちと自分の精神に一人の警官は悪態を漏らしながらも銃を撃ち続けるが一匹の蟻型の悪魔に腕を斬られてしまい、痛みで体を横たえてしまった。そこへ先ほど自分を斬りつけた悪魔が近づいてきて、もう一度引き裂こうと襲い掛かってきた。
 もうダメだと目を瞑った直後にタイヤが擦れるような音が聞こえた。一向に痛みが訪れないので恐る恐る目を開ければ、いつの間にか自分の後ろに一台の大型車が止まっていて、中から隻腕の青年と半裸に赤いコートを来た男が出てきた。
「ハグ出来なくて悪いな。さっさと逃げろよ」
 突然のことではあったが兵隊はすぐに我に返り、声を荒げた。
「死ぬつもりか? 片腕で何が出来るって言うんだ!」
「うるせえポリ公だな」
 悪態づくネロを横目で見ながら若は笑いをこらえ、先に行っていると目線だけで合図を送り、リベリオンを構えてそそくさと先へ進んでいってしまった。
「あー、腕だったか?」
 うじゃうじゃと湧いて出てくる悪魔たちは当然、目の前にいるネロを標的に捉えている。このままではいけないと助太刀すべく立ち上がった警官はいつの間にか傍に立っていた二代目に押し留められ、無言のままに黙って見ていろと訴えられていることを何となく感じ取った。
 蟻型の一匹がネロに飛びかかった。対し、ネロは別段慌てることなく腕のない右側を悪魔の方に向けた。
「これで満足か?」
 飛びかかった悪魔は空中に浮いたまま、まるで縫い付けられたかのように一切の身動きが許されず地面に叩きつけられ、体を灰に還した。先ほどまでなかった右腕の部分には半透明の青い腕が現出しており、ネロの意志に呼応するように悪魔を屠っていく。
「ネロ、俺はここにいる連中を避難させてから向かう。先に行って若と合流しろ」
「了解」
 閻魔刀の破片によってもたらされた新たな力をネロがきちんと扱えるようになるまで、出来る限りの時間を費やして体に叩きこませたのは言うまでもなく二代目本人だ。しかし、一番肝心なことは練習を本番に活かすこと。戦闘に一切の不安がないことを直に確認出来てようやっと安心した二代目は生きている人間を車に押し込み、一先ず安全そうな場所へと車を走らせて行った。
「さてと、まずはゴミ掃除だな」
 余裕の笑みを絶やすことなくネロは先に行った若と合流を果たすべく、悪魔たちの中へと突っ込んでいった。

 六月十五日午前五時二十分。
 一足先に歩みを進めていた若は目の前を塞ぐ植物に阻まれ、足を止めた。人の血を啜る魔界樹根クリフォトルーツが触手のような蔓をうねらせ、その一本を若に向かって鋭く伸ばした。
 難なく飛んで躱した若は蔓に乗ってリベリオンを突き立てるものの、大したダメージは与えられていないようだ。だったらと相手に合わせて手数を増やすべく武器を持ちかえ、炎風剣アグニ&ルドラで次々と襲い来る蔓を薙いでいく。すると蔓は何かに怯むように収縮し、根元と思しき部分へと引っ込んでいった。
「なるほど。良い感じに焼いてみるか」
 たった一打与えただけで何を苦手としているのか即座に理解した若はアグニ&ルドラを構えなおし、クリフォトルーツを焼くべく距離を詰めた。
 まずは火を操り、そこへ風を送って炎に変えていく。単純でありながら植物相手に最も有効な手法に、場所を変えて避けるということが出来ない鉢に植えられたも同然のクリフォトルーツは何も出来ず、焼け焦げていくしかなかった。
 のたうち回っていたクリフォトルーツは炎上する自身の体を徐々に灰に還していき、最後に残ったのはかすかに燃え上がる火の粉だけとなった。
「遅かったな、ネロ。もう片付いちまったぜ」
 数十分前に分かれた時と変わらぬ笑みを湛えた若は振り返り、追いついてきたネロに声をかけた。前方にはレッドグレイブ市に続く道があり、拒むものは何も残っていないことをネロも確認出来た。
「乗れ。先を急ぐ」
 人間たちを避難させて車で戻ってきた二代目が少しだけ速度を落として二人に声をかけ、乗り込むのを確認する間も無く車を走らせていく。ネロは慌てて走り出し、開けられている助手席の窓淵に手をかけて体を持ち上げ滑り込む。若は側面の扉を豪快に開け放ち、車が走っているとは思わせないほどの器用さで体をどこかにぶつけることもなく車内に入り、扉を閉めてソファへ豪快に座った。
「一番運転が荒いのは二代目なんじゃねえの」
「荒い運転をしないと言ったことはない」
 特に意味のない若の問いかけに、二代目も適当な返事をした。運転の腕に関しては甲乙つけがたいというか、逆に安全運転が出来るやつがいるなら挙げてみろというのがネロの率直な感想だった。
「Vが待ってるから、安全運転で頼む」
 どうせ露ほどにも効果を発揮しないことは重々承知の上で、ネロは前方を見据えながら二代目にそんな言葉を投げかけるのだった。