Gears in motion

 一ヶ月ぶりの事務所は懐かしくありながら、少しの不安も含んでいた。仲間たちに、という言い方は語弊を生みそうだが、生活水準……家事全般について不安があると言えば分かってもらえるだろうか。
 バージルがいるので杞憂に終わるかもしれないが、それならそれでいい。少しの期待と久しぶりの帰宅に高鳴る気持ちを抑えて玄関の扉を開く。重厚な板が音を立てて帰還した者たちを中へと誘った。
「ただいま」
 事務所の中は過去最悪だった。あのおっさんですら顔をしかめたのだから、間違いなく最悪。山積みになった宅配ピザの箱が視界のほとんどを占めるという悪夢の光景が広がり、テーブルの上には中身のないビール缶が何本も並べられていた。
 どこから手をつければいいのかから悩ませられることになるとは流石に考えていなかったので、ネロはほとんど放心状態だった。やる気のないおっさんは省くとして、二代目は仕方のない奴らだとため息を漏らしながらも行動あるのみと、近場の物からまとめはじめた。ダイナは臭いが気になるようで、換気扇を回すため散乱しているゴミを度外視してキッチンまで足を運んでいく。行動を起こす二人に感化されたネロも気合を入れ、二代目に続いた。
「初代!」
 キッチンの方から悲鳴に近い声が響いた。何もしていなかったおっさんが真っ先に駆けつけると、全身に血を浴びて倒れている初代の肌に触れようとしているダイナがいた。
「まてまて。……意識を失ってるだけだ。ちょいと揺すればすぐに目を覚ます」
 部屋に充満している臭いが強すぎて、乾いた血の匂いに誰も気付くことが出来なかった。血は見ただけでもかなりの量で、一人でこれだけ流したら息絶えてしまうほどだ。比較的血の付いていない頬を軽く叩けば、初代がゆっくりと目を開けた。
「……おっさん、か。……ああ、ダイナもいるのか。みんな、帰ってきたんだな」
「傷は? 誰にやられたの」
 ダイナの問いに初代はかぶりを振るだけで、何も言ってはくれなかった。上体を起こすだけでもかなりの時間を有したので、初代がもう一度おっさんたちを見るために視界を上げた時にはネロと二代目も集まってきていた。
「若とバージルはどうした」
 自身のことは語りたくなさそうだったので二代目は話題を変えてみた。ただ双子のことを聞かれるのも芳しくないようで、依然としてかぶりを振るばかりだった。
 全員が首を揃えて初代を見つめたところで事態は何も変わらないからと、初代のことを見る人を残して事務所の片付けを再開することにした。その役におっさんが抜擢されたのはごく自然な流れであった。掃除が出来ないなら見ていろという簡潔なもの。言い返す言葉もないので二つ返事だった。
「さて、どうしたものか」
 一番したいことと言えば問い詰めること。しかし今のままでは何を言ってもろくな反応が返ってこないことは先ほど証明されてしまった。だったら他に何が出来るかと考えて、まずは血を拭き取ってやることにした。今の初代は目を離したところでどこにも行けやしないだろうと深く考えることもせず、脱衣所に行く。
 ここもきれいとは言い難いが、玄関広間に比べればどこもましに見えた。使われていないタオルが残っていたので二枚ほど手に取って初代の元に戻った。
 置物のようになっている初代は変わらずにそこに居た。重力に引っ張られた髪は垂れ、顔を隠している。邪魔だとどけることもなく、何にも関心を示さない。無意識に息を吸って、吐くだけ。
「随分な腑抜け野郎になっちまったな」
 煽ってみるが効果なし。あまりにも反応がないのでおっさんの方が傷心を受けるほどだ。何を言っても仕方がないので顔を拭ってやるために髪の毛をどけると、寝ていた子が意識を浮上させたようにゆっくりと顔が持ち上がった。
「ああ、おっさん。帰ったのか」
「何言ってんだお前。ついさっき自分で確認してたじゃねえか」
 いくら何でもボケが来るには早すぎるだろうと目を見れば、本当に今初めて挨拶を交わしたような顔を向けられた。冗談にしても性質が悪いと思いながらとりあえず顔を拭いてやると、初代はへらへら笑っていた。その吐息が妙に酒臭くて、もしやと思って聞いてみることにした。
「酔ってんのか?」
「酔う……。多分、酔ってねえ」
「何本飲んだ」
「……さあ。置いてあったやつ、全部。何か、忘れたくて……何だったっけな……」
 完全に出来上がっていた。先ほどまでかぶりを振るばかりだったのも言いたくないとかではなく、何を聞かれていたのかも分からなかったのだろう。一体何をやっているんだと怒りたくもあったが酔っている者に何を言っても無駄だ。服を脱げと指示すれば頼りない手際で脱ぎ出したので、本当に何も考えられていないのだと悟った。
「二代目」
 呼べば作業を中断してすぐに来てくれた。平静を装っていても初代のことが心配なのは皆同じなのだろう。ネロとダイナなんて呼ばれてもいないのに何度もこちらをうかがっているほどだから。
 二代目は手早く初代を見て事態を把握した。いまだに手袋しか外せていない初代に手を貸してやれば、二代目も帰ってきたのかと同じ言葉を繰り返し、愉快そうに笑っていた。
「これを見てどう思う」
「喜ばしくない。もっと直接的に言うなら、手遅れかも知れない」
 自分と同じ見解を導き出した二代目を流石だと称賛すると共に、起きてしまった出来事と起こり得る可能性に対してどのように身を振るべきか思案する。
 初代と若、そしてバージルの間で何かがあったと見るべきだろう。事務所の散らかりようから血、そして浴びるように飲まれた酒。どれを取っても日常的じゃない。鍵を握っているのは初代が酒の力を借りて忘れてしまった内容だが、現時点で聞きだすのは不可能だと見立てておいた方がいい。そうなると、双子を探すべきか……。
「怪我はしていないのだな」
 上着を脱がせている途中で内側には血がついていないことを認めた二代目が声をかけると、酔っぱらいは当たり前だと豪語しだした。
「俺がへまするわけ、ないだろ? これはバカ共の……返り血」
「そのバカたちは何処に行った」
「顔を合わせるたび、斬り合うんだ。どっちかが死ぬまで。……もう、疲れちまった。止めるの、疲れちまったんだよ」
 言葉を失った。これ以上聞きたいと思えなかった。初代ももう話すことは無いと口を閉じてしまった。
 とてもじゃないが二人に聞かせられるような話じゃない。この場に呼んだのを二代目だけにしておいてよかったとおっさんは心の底から思った。思ったが、今後どうすればいいのかという問いへの解を導けない。初代の言葉を自分にとって都合がよくなるように曲解しても、行き着く先が一つしかない。
 双子の喧嘩はいつものことだ。日常の一部でしかなくて、取り立てて注意を向ける必要の無い事柄だと思っていた。それがどうだ? 何かをきっかけにして殺し合いを始めたというではないか。
 まるであの日──バージルがテメンニグルを現出させた日のように。
「二階に、誰かいる?」
 衝撃的な現実を受け止めることに必死だったおっさんと二代目はかすかな物音に気付けなかった。音を聞き取ったダイナは不思議がりながら階段を上っていくと、何かを見つけたようで駆けあがっていってしまう。次に聞こえてきたのは先ほどまでの静寂を疑わせるほどの怒号と金属音だった。
 これを聞いて真っ先に二階へと駆けあがったのは初代だった。いつ呼びだしたのか、手にはしっかりとリベリオンを掴んでいる。おっさんと二代目も階段を飛ばして二階に上がっていってしまったので、何が起きているのかさっぱり分からないままのネロも慌てて後を追った。
 二階は凄惨に極まった現場だった。塗り付けたかのように壁も床も血で染められており、それらは乾いて赤黒く変色している。ひどい場所は層になっているほどで、何度この場に血を流したのか分からないほどになっていた。
 禍々しい様相へと姿を変えてしまった廊下で武器を構えているのは若とバージル。どちらも血まみれで、傷だらけだった。だというのに武器を振るう姿は目の前にいる者を必ず切り伏せるという意志が宿っていた。この双子の間に立っているのが初代なわけだが、それよりも先に駆けつけたはずのダイナはどこだと探せば、一番奥で身体を押さえながら二人にやめるよう声をかけていた。
 もっとも、今の双子に言葉など届くはずはなく、身体の怪我に構うこともないまま初代を度外視して殺り合おうとする。そんな双子を初代は容赦なく斬りつけて返り血を浴びていた。
「なにしてんだ……」
 意味が分からなくて、ネロはむせ返る血の匂いに気分を害した。
「やめろ。……おい! 聞こえてるだろ!」
「そこまでだ。頭を冷やせ」
 おっさんと二代目が止めに入っても誰も武器を手放そうとしないので、それぞれのみぞおちを殴って気を失わせるしかなかった。三人とも満身創痍の中でこんなことを繰り返していたようで、まともな反応を示さないまま意識を手放した。
「ダイナ、傷の具合は」
「二か所だけど浅い。もう治る。……斬られると、思ってなくて」
 物理的な手段で寝かしつけた三人をおっさんとネロに託し、二代目はダイナを起こす。彼女も何が起きたのかよく分かっていないままに斬りつけられ、右肩から逆側の脇腹までの一筋と、右腕に切っ先を入れられてしまったという。浅く済んだのは自分が反応できたというより、双子の太刀筋がひどく鈍っていたからだと語る。
「何が起きてるんだよ!」
 ネロの問いかけに答えられる者はいなかった。ダイナは当然のこと、おっさんと二代目も考えていた最悪の事態と大きく食い違っていたので、何が起きているのか分からないままとなった。
 誰一人欠けることなく事務所に居るというのに、これほど喜べない日は初めてのことであった。

 繰り返されていた惨劇を食い止めてから数刻。辺りはすっかり暗くなっていて、外灯が寂しく道を照らしているであろう時間帯。事務所の中も光源を確保しており、生活するのに支障はない。部屋の片付けもそこそこに切り上げ、今は交替でお風呂に入ったり、眠ったままの三人の看病についたりと少しだけ落ち着いた時間を過ごしていた。
 外傷に関してはダイナの能力を使うことも視野に入れて話し合ったが、全快の状態で先ほどと同じ戦いを始められると被害が拡大しそうなので、手当だけ施しておくということで話はまとまった。
 今はダイナが看病をしている。おっさんが風呂で、ネロと二代目は食べられる物の買い出しにいっていた。
「どれだけの間、戦っていたの」
 問いかけは霧散する。ひどいなんて言葉では表せないほど、若とバージルは特に傷ついていた。何日も眠らず、口にものを入れず、武器を手にして敵を切らんと自身を追い立て、迫る。その標的が己の半身である理由は謎で、そこまでして得たかったものも謎で……。
 分からないことしかないことが、余計に不安を駆り立てる。少なくともダイナと二代目がフォルトゥナに旅立つ日までは何事も無かったはず。いってらっしゃいと、いつものように送り出してくれた日が物凄く遠い過去のものであるようだった。
 傷だらけの二人はもちろん心配だが、初代のことも気がかりで仕方がない。声をかけた時はかぶりを振られただけ。生気を感じられない希薄さであったかと思えば、双子を食い止めるために取った手段は一方的に斬りつけるという惨たらしいものであった。
 別人であってほしいと願えども起きたことは変わるはずがなく、これも初代の内に秘められた一部であると受け入れなくてはいけない現実であった。
 目を覚まして、事情を話してほしい。そう考えているのに、いざ目を覚まされた時、どんな声掛けをすればいいのかすら思いつかなかった。
「変わりはないか?」
 おっさんが髪の毛も乾かさずに風呂場から出てきた。ズボンだけ履いて上半身からは湯気を立て、適当にタオルで拭き取っている。いつもであれば風邪を引くからと追い返しているところだが、今日だけは心強かった。まだ誰も目を覚ましていないことを伝えれば、おっさんは変わらぬ表情で眠っている三人を見た。そしてダイナの横に腰を下ろす。
「どうしちまったんだろうな」
 身体を拭き終え、上着に腕を通しながら喋りかける。当然ながら答えられないので、ダイナは目を合わせてくれなかった。
「どうなっちまうんだろうな」
 上着のチャックを閉めながら喋りかける。未来のことは答えられないので、これにもダイナは目を合わせてくれなかった。
「俺たちがどうしたいのか、考えてみないか」
 思いもよらない提示をされて、ダイナは顔を上げた。迷いを含みながらも成しえたいことを宿している瞳をしていた。
 それぞれが三人のことを心配しているなら、力を合わせればいい。そうしたらきっといい方向に進んでいくはずだと、おっさんは自分にも言い聞かせるつもりで提案したのだが予想以上にダイナの食いつきが良かったので、伝えて良かったと思った。
「おっさんは、どうしたい?」
「俺か? 俺は……七人で暮らしてた日常が戻ってきたら万々歳だ」
「私はみんなとまた、笑って過ごしたい」
 分からないことを悶々と考えているより、ずっと有意義な時間に変わった気がする。買い出し中の二人の考えまでは分からないので、勝手で悪いが自分たちと同じ意見ということにしておいた。抗議されたらその時考えるという穴だらけの案ではあったが、良しとした。
 少しして、買い出しに行っていた二人が帰ってきた。誰も空腹を感じてはいなかったが、適当なパンを胃につめた。
 また、居心地を悪く感じさせる沈黙がやってきた。事態を動かそうにも誰かしらに目を覚ましてもらわないと何も始まらないのが原因だった。いい加減、初代でも叩き起こそうとかとおっさんが考えていると悪寒でも走ったのか、初代が意識を取り戻した。
「なん、だ。何でみんな、揃ってんだ……」
 殴られたところが痛むのか、初代はみぞおちを押さえながら体を起こす。記憶も曖昧そうで、四人が帰ってきたことも覚えていない様子だった。それでも視界に若とバージルを捉えるとリベリオンを掴もうと手元を探り、ないことに気付いて焦りだした。
「俺のリベリオンはどこだ」
「悪いが、話し合いが終わるまでお前たちの武器は全部没収」
 初代のリベリオンはおっさんが握っており、持ち主の呼び出しにも応じれないようリベリオン自体を実力で黙らせていた。エボニー&アイボリーも同様におっさんの胸に収められている。若の各種魔具とリベリオン、エボニー&アイボリーは二代目が、バージルの閻魔刀とベオウルフはネロが預かっていた。
 いくら冷静さを欠いているとはいっても武器も持たずに単身で突っ込んでも勝ち目がないことは理解できるようで、初代は大人しくなった。
「覚えている範囲でいい。私たちがフォルトゥナにいる間、何があったのか教えて」
 ダイナに聞かれたことを考えてみる。良く思えば、先ほど若とバージルを視界に入れた時にリベリオンを手にしようとしたのは何故なのかすら、初代は分からなくなっていた。覚えているのは何かを忘れるために浴びるように酒を飲んだことと、若とバージルが顔を合わせるたびに殺し合いを始めるようになったこと。後は何故か分からないが、それをとめるのが自分の使命になっていたことぐらい。
「聞けば聞くほど不可解なことが増えるんだけど」
 ため息交じりに発せられたネロの言葉に誰もが同意し、頭を悩ませた。
 今挙げられた三つの事柄の中で特に異質なのは、若とバージルが殺し合いを始めるようになったこと。毎度の如く喧嘩を繰り返している仲であることは周知の事実にしても、本当に命のやり取りをするほどの関係性ではなかった。むしろ二人の喧嘩はお互いを確かめるためというか、スキンシップの一環であったはず。それが突然殺し合いにまで発展するとは考えられない。必ず何か、原因がある。
「なんで二人の殺し合いをとめるのが自分の使命だって思ったんだ?」
「……なんで、だったか。確かに俺がとめないといけなかったはずなんだが……」
 おっさんの質問に対して、初代は髪を掻きむしりながら必死に思い出そうとしている。目を閉じ、眉間にしわを寄せ記憶をたどる。濃い霧の中、行くあてもなく彷徨っているような感覚に苛立ちながらもさらに霧をかき分けていると、突然稲妻が落ちたような感覚に襲われ、一気に記憶が蘇ってきた。
「アミュレットだ。若のアミュレットの所在を知って、俺は……」
 全ての始まりを思い出した初代はうなだれ、片手で両目を覆った。押し殺された声は苦悩を表し、食いしばられる歯は見ている者の心を抉った。
 アミュレットというのはその昔、ダンテとバージルがまだ幼かった頃に母から貰った形見で、それを巡って死闘を繰り広げたのがテメンニグルの天頂であったという。結果を言えば袂を分かった後も片方ずつお互いに持ち続け、後に再び出会うマレット島でアミュレットは真の姿に戻ったというのがダンテたちの記憶である。
 だがこの事実を確認し合ったことはダンテ同士の中でも一度としてない。理由は単純なもので、取り立てて確認を取る必要がないと思われていたからだ。
 事が発覚したのは、あの日を迎えた時点で必然ではあったのかもしれない。その日とは、ダイナとおっさんがネックレスを渡しあった日のことである。食卓を囲む直前に見せた若の憂いを、バージルはずっと気にしていたのだろう。だから若にアミュレットはどうしたと疑問をぶつけた。
 これが全ての始まり。
 若は悩んだ末、答えた。テメンニグルでバージルとの死闘の末、アミュレットは“砕けてなくなった”のだと。今でもそのことは悔いているようで、あまり触れてほしくないとらしくない暗い顔をしていた。
 しかし、初代にとって何よりも聞き逃せなかったのはテメンニグルの段階でアミュレットを失っていたということ。今までは単に無くさないようどこかに大事にしまっているものだとばかり思っていたから、あの時の衝撃は今でも忘れられない。
 ここで黙っていれば良かったのだが、初代は本当のことを話してしまった。アミュレットがどのようなものであったのかを知った若は顔面蒼白で、何を思っていたのかは定かでない。
 あまりのショックに若は塞ぎこんでしまい、丸一日自室から出てくることは無かった。そして次の日、自室から出てきた若から受け入れがたい言葉を聞かされることになったのだ。
「元の世界に帰るって、若が……。そうしたらバージルが切れて、若を殴った」
 嫌な予感しかしない。喧嘩した時、バージルは若にさっさと元の世界に帰ってしまえということはよくあったが、本心から言っていないことは誰が聞いても分かるものであった。冗談であれど帰れと普段から口にしているバージルが殴ったということは、若の言葉はそれだけ本気だったということだ。
「殴られたことで若も切れて、言ったんだ。バージルに。……俺を置いていったお前に何が分かるんだって」
 若は己の半身と、母の形見を失った状態でこの世界に来ていた。家族とのつながりを全て失った若の胸中はひどく荒れたものであったことは……想像に容易い。
 聞いているだけでも辛く苦しいものであった。これを初代は目の前で見ていたのだから、抱いた思いは聞いただけの者たちよりも遥かに重くのしかかっているはずだ。
「俺は、若の気持ちが分かるから。このまま何も言えずに、若を行かせちまうんだって思った。そうしたらバージルが閻魔刀を抜いて……」
 だが、物語はこんな所で終わったりしない。不幸というものがこの世にあるのならば、それは決して単独ではやって来ないのだ。
「バージルが同じ言葉を、返したんだ。俺を置いていったお前に何が分かるんだって……」
「もういい。もう、十分だ。……よく、話してくれた」
 おっさんが初代の肩に手を置いて、もういいと何度も聞かせた。初代は顔を隠したまま、むせび泣いた。
 その後の展開は語られなくても、見たからわかる。バージルは若を殺す気でとめようとした。若はアミュレットの事実から逃げるように元の世界へ帰ろうとし、邪魔するバージルを殺そうとした。そんな二人を見た初代は自分の発言がどれだけ軽率なものであったかを知ってしまい、自分が止めなくてはいけないという使命感に縛られるようになった。
 初代が酒に逃げたのは心の傷を癒すため、忘れるという手段を取るためだったのだろう。それでも全てを忘れられなくて、断片的に残った記憶はさらに初代を苦しめた。だから心は更なる防衛のため、二人の殺し合いが始まると狂気の中に身を隠し、己を守ろうとした。現実に起こっていることが苦痛以外のなにものでもなかった時、心を現実から立ち去らせる他に己を守る方法は無い。
 事のいきさつを聞き終えた二代目は目を閉じて、この事実を受け入れようと努めていた。おっさんは初代を気にかけながら、自分が初代の立場であったなら耐えられたかと考えて、やめた。ネロとダイナは、若とバージルが抱えていたものの重さに絶句し、何をどうしたらいいのか分からなかった。
 また今回の話で、今までのバージルの言葉たちがどういった意味をはらんでいたのかを知り、彼が何故あそこまで若に固執するのかが分かった。
 この世界にやってきた並行世界の住人であるバージルは、元の世界でダンテを失っていたのだ。だからダンテを、中でもまだ危うさの残る若を特別視していた。
 自分の前から大切な人がいなくなってしまうことの恐怖はここにいる誰もが体験している苦しいもので、バージルはそれを人一倍強く感じていたのかもしれない。そこへ若から聞かされた元の世界へ帰るという言葉は、あまりにも鋭利なものであったはず……。
 ここにいる半人半魔たちの過去はそれだけ悲惨なもので、己ですら受け入れたくないと拒みたくなるような出来事ばかりである。にも関わらず、一緒に居て、何でも知っているような気分に勝手になっていた。聞いたことがない事象を知り得る手段などないというのに、それでも知った気になっていたのは単に真実を受け入れられる自信がなかっただけに過ぎなかったのだと、その事実に誰もが直面し、自分を呪った。