好物

「真太郎さーん!」

特徴のある、さん付けの呼び声。

「ぐっ……。痛いから飛びつくのは……、やめるのだよ……」

名を呼ばれた当人が振り向けば、飛び込んできた人物の頭がちょうど鳩尾へとあたり、フルフルと震えている。

「あっ……ごめんなさい……。そんなことより!」

「……そんなことでは、ないのだよ……」

鳩尾に頭突きをされた緑間にとってはそんなことではないが、ララクは目をキラキラとさせながらとある紙を緑間に見せる。

「見てください、これ!」

いつも敬語でおっとりとしているララクがここまで騒ぐのはかなり珍しい。これといって差し出された紙……、パンフレットを見ると、どうやら駅前に新しくできた洋菓子専門店の物のようだ。

「これが、どうしたのだよ。」

その質問を待ってましたと言わんばかりに緑間を見上げ

「食べたいものがあるんです!一緒に買いに行きませんか?」

一応問いかけてはいるもののグイグイと腕を引っ張る姿を見る限り、ほぼ強制的だ。

「しるこのないところに興味ないのだよ。一人で行けばいいだろう?」

「一人で行けないから、こうやってお願いしてるんじゃないですか! お願いですから、一緒に行ってください!」

ララクはとにかく道を覚えられない。仮にこのパンフレットを頼りに一人で行こうものなら、迷子になるのは目に見えている。

「じゃあじゃあ、おしるこ作ってあげますから、ね?」

どうしてここまで必死になるのか緑間には度し難かったが、ララクの作るおしるこは前に一度食べたことがあり、とても美味しかった記憶が思い起こされる。またあのおしるこを食べられると考えると、別に買い物に付き合うぐらい大した手間ではないとさえ感じる。 それ以上のことがあるとすれば、やはり彼女の手料理というのはなんでも嬉しいものだ。それが自分の好物であればなおさらだろう。

「交渉成立なのだよ」

「やったぁ! ありがとうございます! さぁ、早く行きましょう!」

それに、ここまでしてララクは一体何が食べたいのか、そこも気になるところではあった。

「お店にたどり着けるとは……! 流石、真太郎さんは地図博士ですね!」

目的の店にたどり着きララクの気分は最高潮になっていて、色々と言っていることがずれている。

「……いい加減、一人で地図を読めるようになった方が良いのだよ」
地図がさっぱり読めないララクを心配し、そんな言葉がつい漏れる。

「うぅ……、頑張ってはいるんですけどね……。私が読めるようになるまで、緑間さんが私をいろんなところに連れて行ってくださいね?」

「……やはり、読めなくてもいいのだよ」

「えぇっ!? もう、どっちなんですか!」

「いいから、早く目当ての物を買ってくるのだよ。オレはここで待っているから」

「そ、そうでした! 売り切れていませんように……!」

緑間に話を逸らされてしまい、何故地図を読めなくてもいいと言ったのか……、その真意を聞くことは出来なかった。が、お目当てのものを手に入れられたララクにとってはもう、そんなことはきれいさっぱり忘れられていて……。

「見てください真太郎さん! ようやく手に入れることが出来ましたよ!」

ご機嫌な様子でケーキの入った箱を持ちながら緑間に報告する。箱にはapple pieと書かれている。

「アップルパイなら、よく作っていなかったか?」

「あ、はい。自分で作るのももちろん好きですけど、やはり本場のも一度は食べてみたくて……」

にこにこしながら語る姿は本当に嬉しそうで、こちらまで顔が綻んでしまいそうになるほどだ。

「…………そういえば。」

帰り道、緑間はふと、いつの日かの出来事を思い出した。

「なんですか?」

「確か、ララクはリンゴが好きなんだなと思わせる出来事が、あった気がするのだよ」

「あ……、あの時のこと、まだ覚えているんですか!?」

驚いた顔から、どんどんと顔が赤く変わっていく。いつの日だったか、緑間を含んだ数名の友達と一緒にお弁当を食べていた時のこと。
普段お弁当の中身のつつき合いをしても怒らなかったララクが、リンゴを取られたときだけはへそを曲げてしまい、みんなでお詫びとしてリンゴをプレゼントしたことがあった。

「は、恥ずかしいです……。あの時は本当、ごめんなさい……」

「好きなものを取られたら、誰でも機嫌が悪くなるものなのだよ」

真っ赤な顔をしたララクの姿を見て、緑間は男心をくすぐられる。

「うぅ、でもっ……」

「それなら、とびきり美味いおしるこで手を打つのだよ」

そういってララクの手を握り、少し早歩きをする。

「あっ……」

短い声を上げ、必死についてくる姿がまた可愛らしくて

「ララク……、好きなのだよ」

「な、なな! なんで今言うんですか!?」

緑間自身、どうしてこんなにさらっと出てきたのかは分からない。
しかし、ララクのただでさえ赤い顔が、さらに熱をもっていくのが分かるほどにまで赤くなった。

「本当のことを今言ってはいけないのか?」

「そういう意味では…………! 真太郎さんだって、顔赤いじゃないですか」

「そ、そんなことはないのだよ!」

お互いに顔を見合わせ、幸せそうにほほ笑む二人の顔は、夕日に照らされていたから赤かったのかもしれない……。