異界の塔へと足を踏み入れ、内部を探る。
情報通り、中の警備は手薄で、すぐに儀式をしているところにまでたどり着けた。
儀式はもう始まっているようで、何かを唱えている。
依頼のこともあるし、ここらが攻め時、かな。
「I am the Alpha and the Omega, the First and the Last, the Beginning and──」
「貴方たち、そこまでよ」
一気に最大火力の衝撃魔法をぶち込む。
それに合わせてマリアも破魔魔法を打ち込む。
こちらも情報通り、手練れなどがいる様子はない。
「奇襲一発、あらかた片づきましたか」
「しかし、今の一節──黙示録です」
「本当に、何を呼ぼうとしていたのか……」
「彼らが黙示録なら、さしずめ我らはヘブル人への手紙。
“Who makes his angels winds, and his servants a flame of fire.”
(神は、御使たちを風とし、ご自分に仕える者たちを炎とされる)
と、いったところでしょうか」
「マリア、悪い癖ですよ。油断せず警戒を……」
途端、地面が震えだし、魔法陣が怪しく光を放つ。
「魔法陣が、まだ稼働しているっ!?」
「まずい、このままだと何か──!」
気付いた時には遅く、魔法陣から辺り一面に閃光が溢れ出し
私たちは目くらましを受けてしまった……。
10秒あったかどうか。チカチカする目を無理やり開き、
なんとか視界の情報を取り入れる。
「……っ、何が……」
マリアも同様に視野を奪われたようで、顔をしかめている。
「我が名を称えよ。我が栄光に満ちた、並ぶ者無き我が名を称えよ……」
どこからか、声が聞こえる。今までに感じたことのない気配。
ただ分かることはたった一つ。明らかに今までとは異なる、まさに異質な感覚。
「(これはっ……!)」
天使であるマリアは私とは何か違う感覚を悟ったようだが、焦りの顔は消えていない。
「我を称えよ──……」
その言葉を最後に、魔法陣から何者かが出てくる。
「オレ、降臨ッス!」
そこには黄色髪がよく似合う、長身の男性が一人立っていた。
「…………はっ?」
私はこのとき、情けないことにこれ以上の言葉が出てこなかった。
何かとんでもないものが出てくる。そう思った矢先、召喚されたのは普通の人。
「ちょっとちょっと! そのリアクションはいくらなんでもひどくねーッスか?」
「あっ、いや……その。もっとやばいのが出てくるって思ってたから……えっと?」
ええとCOMP、アナライズ起動──
「!?」
COMPに表示されているのは【地霊】YHVHの文字。
「…………マリア?」
もう、今の私はマリアにすがることしか出来ない。
「『在りて在る』方──の、ようです」
一瞬で一縷の望みを絶たれた。私の今の顔は、絶望の2文字で染まっていることだろう。
「っていうか……ん、あれ?」
「畏れながら、なぜこのような事態に?
拝察するに、『シナイ山の精霊』
……もっとも古き形での顕現なのではと思われますが」
「……なんかやったッスか?」
私たちが状況をつかめていないように、
どうやら『在りて在る』方も状況が分かっていないようで。
とにかく、起こったことを説明することになった。
「召喚儀式執行者が、黙示録の、『わたしはαであり、Ωである。
最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。』
という一節を読み上げてるところの
『初めであり』あたりでぶった切ってマハザンをぶちこみました……」
「おっ、それッスね! おそらくそれが原因ッス!
いやー、まともにやってたら呼び出されなかったんスけどね。
本来ならこの程度の霊穴、俺、絶対通れないッスから」
「えっ」
「絶妙なとこで儀式が中断されたせいで、俺の『地霊としての側面』だけが欠片として──
まぁ、こっち側に転がり出たっつーか、呼び出されたっつーか。
どーりで体がバラバラになるような感覚があったわけッス」
「えっ」
これ、やっちゃった?
「……まぁ、慌てても仕方がありません。
落ち着いて……そう、落ち着いて……落ち着いて状況を整理、整理しなくちゃ……」
「そうですね、落ち着きましょう」
嘘でしょ、嘘でしょ? どうしてこうなった? どうしてこうなっちゃったかな?
「そも、我々悪魔が『異なる側面で召喚される』
それ自体はさほど珍しい話ではなかったはずです。
たとえばケルトの英雄クー・フーリンは、
『幻魔』として召喚されることが一般的ですが、
まれに『妖精』としての側面で召喚されることもあります。
『魔王』としての側面と『破壊神』としての側面を持つもの。
力の強い存在ほど、多彩な側面を有しているもの。
──また零落、普及、変質により別の存在として認識された結果、
『アイラーヴァタ』と『ギリメカラ』、『オーカス』と『オルクス』のように、
同一であったはずの存在が別の悪魔へと分かたれることもあります。
このような状況であると認識すればよろしいでしょうか?」
「んー……おおむねそう、ッスかね。多分」
「……た、たぶん?」
待って。どうして疑問形なの?
「少し待ってください。全知全能……で在らせられます、よね?」
「いやそれが、マジで分かんねーんスよ。これが」
そういって、シャラッと音を立てるようにポーズを決め、こう仰られた。
「ほら、俺ってば最高神ッスから。
格が高すぎて本来なら地霊としても呼べなかったとこ、
儀式の事故でぶった切られて出てきたんで……
ぶっちゃけ今、無知☆無能ッス!」
頭が痛くなってきた。この目の前の人は何を言っているんだろう。
神様、これも人への試練と仰られるのでしょうか?
なんて、目の前に神様いるんですけどね……。
「こんな時、私、なんて顔をしたらいいのか分からないの」
「笑えばいいんじゃないスかね」
「わー……ははは、おもしろいなー……」
「整理しますと、本物の『唯一神』、『神性なる四文字』のお方。
ただし地霊としての側面、しかも不完全な顕現。
『本体』との霊的な接続なども、無いと思えば?」
もう混乱を極め、倒れる一歩手前の私に変わって、
マリアも頭を抱えながらも話をまとめてくれる。
本当に、どこまでも有能な仲魔です……。
「無いッス! スケール縮めた人形っつーより、
脳細胞の一部、ほんの一欠片、みたいな感じが近いかも」
「つまり、『唯一神』としての記憶も曖昧である、と。
……なるほど、おおむね現状が理解できました」
「元の儀式でどういうモンを、どう呼びだそうとしてたのかも分かんねぇッスけど。
……まぁ、召喚事故だろうとなんだろうと、
呼び出されちまったもんは仕方がねぇんすわ」
話は見えた。目の前の彼も分かっているように、至極当然のように振る舞いだす。
「サクっと殺っちゃってください。あ、できれば痛くない感じで!」
そう言う理由は分かります。貴方の存在は、それほどに危険なものです。ですが……
「…………出来るわけがないと、お判りでしょう。
貴方、何か殺されるほどの罪でも犯したと言うんですか」
「こういう形で生まれたことって言ったら、どうするッスか?」
「ふざけないでください、と返します。
私は仮にもあなたを信仰するものですが、敢えてそう言わせて頂きます。
百歩譲って生まれてきたことが罪だとしても、
それを雪ぐ間もなく殺して良い道理にはなりません。
……そんな決断をすることはできませんよ、絶対に」
「……君、人から貧乏くじ引くタイプだって言われないッスか?」
「確かに、これで素直に『はい承りました!』と言えるか、
あるいは『こいつは偽物だ!』と断じられる性分なら、
もしかすれば楽だったのでしょうが……」
「そーしとくんスよ。今からでも遅くねぇから」
『在りて在る』方よ。その心遣い、感謝します。
しかし、どうかこれだけは勘違いしないでください。
私は貴方が信仰するお方だからこう言っているのではないことを。
たとえ、目の前に現れたのが貴方ではなく、本当にただの人だったとしても
私はこうしていたはずだから。
「『また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。
しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。』
『忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。』
……誰のお言葉でした?」
「…………」
「私は誰かを殺して解決するなんてギリギリまでしたくありませんし、
統制のきくところに無用な混乱を招く気もありません。
ただまぁ、得をしないのはとっくの昔に把握済みです。
それも織り込み済みで、私は貴方の愛を信じていますから」
「……そッスか。そうまで言われちゃ、仕方ないッスね」
「ええ。厄介な信者に出会ってしまったと、諦めて下さい」
そう言って彼は、私に優しく微笑んでくれた。
それだけでも、私はこの選択をしてよかったと、心から誇れます。
「……しかし、実際問題どうされます?
たとえ地霊とはいえ、主が降臨なさっているなどと判明すれば、
混沌系の過激派や、秩序側の狂信者が押し寄せてきますよ?」
「おまけに俺、この異界の『主』として固着されてるっぽいし……
無知無能だから、異界内の悪魔どもに睨みを効かせるとか無理ッスよ?」
「放置しておけば早晩、ほころびが広がって異界化が拡大。
悪魔が溢れだして各組織が動き、貴方の存在が発覚。
そして大惨事世界大戦ですか……」
「実際問題さ、俺を殺さねーと割と詰んでるんスよね、これ。
だからまぁ──意地を張らずに、ね?」
「そう、ですね。【異界の探索・整備】であの塔を攻略して異界内の悪魔たちに睨みをきかせ、
【人材を雇用】し、【戦力を強化】して……後、同時に【情報収集】も。
更には【各組織との渉外交渉】を行い、この土地に勢力を築くしかありませんね。
きちんと管理された異界にはどこの組織も割と寛容ですから、安心してください」
「…………いや、それはそうなのかもしんないッスけど。
あの『天塔』──君じゃ攻略、少し厳しいッスよ?
ただの一階でも苦戦は免れねぇッス」
「それでも、なんとかしてみせますよ。諦めるのは最後でも遅くありません」
「ホンット……俺より馬鹿ッスね」
「ふふふ、褒め言葉ですね」
転機というのはきっと、こんな風に突然来るものなんだと感じた。
だけど私は、こうして誰かの力になれるのであれば、それが苦難の道であっても
出来るだけのことはやり遂げたいと……心からそう思う。
「そうと決まれば、私の支配する異界の主となってもらいますよ?」
「望むところッスよ!」
マリアは私たちのやり取りを見て優しい顔を覗かせている。
彼も決心が決まったようで、ビシっと親指を立て
「んじゃあまぁ一丁やってみますか、異界経営!」
この日から、私の人生は文字通り、大きく変わることになった。