ルルアノ・パトリエ 第15話

「世界ハ我ノ力ニ依ッテ、ヒトツニ束ネラレヨウ……!」
“新生メロド・メルギス”が地上界へ降り立った日、空は赤に染まった。夜であるはずなのに、まるで夕方に時が戻ったかのような明るさ。しかしそれは決して綺麗な夕日などではなく、世界が鮮血の海になるような禍々しい光景だった。溶けた三日月はどこかに姿を消し、空には全身を覆うほどの金髪を持った、体格は少女並であるはずなのにそうとは呼べぬ、理を犯した生命の姿がそこに存在した。この事態をいち早く察知し、行動を始めたのは勿論、彼の者たちであった。
「ラクア! 俺はこのまま奴を海上に誘導する! さっさとララクを連れてこい!」
「バカね! こんなの何処に居たって一発で分かるわよ! 二人が到着するまでになんとか弱点なりなんなり見つけるのよ!」
地上界での大きな異変。それは紛れもなく月であった。地上界では新月から満月が一か月単位で繰り返されている。それがある日を境に三日月で止まり、挙句には溶けだしたように見えるなど、これを異変と呼ばずなんというのか。奴が出てくるならばどこからか? それは月からだと見当をつけていた二人であれば、素早い行動もとれる。二人は月から出てきたばかりの“新生メロド・メルギス”にありったけの攻撃をぶつけた。とにかくまずは、自分たちに戦意を向けさせるために。
「オ前タチカ? 我ノ目覚メノ時、部屋ニ居タノハ」
「それがどうした」
「ソウカ、探シテイタゾ。卿ラニハ我ノ血肉ニナッテモラウ」
アクセルたちの攻撃は直当たりしていた。しかし、“新生メロド・メルギス”は何もなかったかのように淡々と言葉を並べる。
「お断りよ」
「強キ力ハ大変美味デアッタ。卿ラハサゾ美味イノデアロウ」
そういうや否や、“新生メロド・メルギス”が足先まで伸びる左手をラクアに向かって振りかぶる。掌の何倍もある爪がラクアを襲う。顔にかかっていた髪が左右に振れ、顔を覗かせる。大きな口に、全身赤い肌。
「っ! くぁ……!」
とっさに盾を作ったラクアが、盾ごと吹き飛ばされる。最初にラクアがいた場所は空気ごと断ち切られ、一瞬真空ができる。
「ラクア!」
「構わないで! 直当たりしたら一瞬でこの世からおさらばよ!」
“新生メロド・メルギス”との、世界をかけた決戦が、幕を開けた。

“新生メロド・メルギス”が地上界へ降り立った同時刻。ララクと緑間もその姿を確認していた。
「し、真太郎さん! あれ!」
「あれが“新生メロド・メルギス”なのか……?」
かなり距離があるため、全貌は分からない。それでも、強烈な威圧感が二人を襲う。ララクは震える手をぎゅっと握りしめ緑間に聞いた。
「真太郎さん、私は行きます。……真太郎さんは、どうしますか?」
「聞くまでもないのだよ。調停者の力がどういったものなのか何も分かっていないが、調停者である以上、引くわけにはいかん」
「ありがとうございます。命に代えても、真太郎さんは護って見せます」
「……すまない。だが、どうやって向かうのだよ」
緑間の問いに大丈夫ですと答えたララクは純白の翼を出す。
「私と真太郎さんほどの体格差では、手を掴んで連れていくというのは出来ません。ですので、後ろから抱きかかえ、翼の力で飛びます。少し、怖いかもしれませんが……」
「構わん、頼むのだよ」
「分かりました。それでは手を左右に大きく広げてください。私が真太郎さんに脇下から腕で持ち上げます。そして体が浮いたと感じたら、両手で私の二の腕辺りを掴んでください。これである程度はバランスが取れるはずです」
「分かったのだよ」
ララクに言われた通り、緑間は両手を左右に伸ばす。それを確認したララクは大きく翼を動かし、まずは自分の体を浮かせる。そして緑間の脇下から腕を通し、肩に手を回して掴み、もう一度大きく翼を羽ばたかせると、緑間の身体が浮いた。
「っ……」
「大丈夫ですか? 慣れない感覚で怖いかもしれませんが、少しの間だけ辛抱願います!」
「あぁ、構わず飛んでくれ」
ララクに言われた通り、緑間がララクの二の腕の辺りをがっちりと掴む。それを確認したララクは翼を羽ばたかせ、“新生メロド・メルギス”と戦っているであろうラクア達の元へと速度を上げた。

「姉様!」
「アクセル!」
ララクたちが“新生メロド・メルギス”との決戦地に着いた頃には、ラクアもアクセルも満身創痍だった。特に目立った外傷はない。ただ、凄まじい疲労が見て取れる。
「ララク! 気をつけなさい!」
ララクと緑間の声に気付いたラクアは声を張り上げる。しかしそれより一瞬早く、“新生メロド・メルギス”の左手がララクに振り切られていた。
「ぐっ……! 支えきれん……!」
「きゃぁ! うぅっ……」
間一髪、ララクの前に飛び込んだアクセルが盾を張り、攻撃自体からは身を護れた。しかし直撃したことに変わりはなく、そのまま海面に張ってある半透明の足場にまで3人もろとも吹き飛ばされた。緑間を抱かえていたララクはそのまま床に叩きつけられる。
「ララク! すまないのだよ! 大丈夫か?」
ララクの身体のおかげで衝撃が少なかった緑間は急いで体勢を立て直し、ララクに声をかける。
「行けます……、やれます……!」
痛む体を無理やり鼓舞し、ララクは立ち上がる。
「奴の攻撃はあの左手の爪だ! 集中していればブロックは容易いが、直撃だけは絶対に避けろ! 一発で死ぬぞ!」
「はい!」
一言返事をし、アンカルジアに手をかざす。妖精の姿から、杖へと変わる。それを握りしめ、“新生メロド・メルギス”に杖先を向ける。
「ラクア、お前は緑間から話を聞いておけ。奴とは全面的に俺が殺る!」
「分かったわ。手短に済ませる」
そう言い残し、アクセルは翼を羽ばたかせ“新生メロド・メルギス”の懐へと飛び込んでいく。それを許さないと言わんばかりに、鋭い爪が空を切る。
「ララクはアクセルの援護よ。逐次盾を張ってあげて頂戴。それで緑間さん、調停者の力は?」
「……まだ、何も」
「そ、う……。いえ、来てくれただけでも嬉しいわ。調停者の力の開放が戦闘中でなければならない可能性も捨てきれない。諦めるのはまだ早い」
緑間の短い言葉に、ラクアの表情は曇る。しかし、すぐに切り替え、出来る限りのことを提案する。
「まず、何からすればいいのだよ」
「とにかく生きることが第一よ。私たちの中ではララクが一番生存確率が高いでしょうから、絶対に傍から離れないこと。それにしても本当、泣きたくなる状況ね……」
何一つ、打開策がない。ラクアの攻撃もアクセルの攻撃もまるで歯が立たず、こちらの体力は削られていく一方。頼みの綱であった緑間と合流は出来たものの、結局何一つ変わらない現状。それでももがくことを止めない者へ罰を与えると言わんばかりに、“新生メロド・メルギス”の周りに、無数のエネルギー弾が漂い始める。
「あれはっ……! ララク、自分と緑間さんに盾を張りなさい!」
「えっ、アクセルさんは……」
「早くっ!」
ラクアの切羽詰まった表情を見て言葉が詰まったララクは、言われた通りにする。ラクアは懐に飛び込んだままのアクセルの元へと急ぐ。アクセルと死闘を繰り広げる“新生メロド・メルギス”が少し距離を取り、今まで何にも使っていなかった右手をすっと天にあげ、地に下した。それを合図に、宙に漂っていた無数のエネルギー弾がアクセルたちに向かって降り注ぐ。懐に飛び込んでいたせいで状況把握が甘くなっていたアクセルは対応に遅れ、
空から落ちてくる爆弾の波に飲まれた。
「しんたろ……さっ……! 離れないで、くださいねっ……!」
爆弾の波はララクたちのところまで降り注ぎ、容赦なく二人を襲う。どれだけ強力な盾を張っても、バカみたいな高威力の爆弾が無数に落ちてくる。いつまで持つか、時間の問題だった。たった数秒の出来事が、何分にも感じられるほどの攻撃。爆発音が鳴りやむのとほぼ同時に、ララクの膝が地に着いた。
「ララク、大丈夫か……?」
「わ、私より……姉様と、アクセルさんは……」
ララクの言葉にハッとし、緑間は上空を確認する。空には同じく、盾を張ったラクアと、それに護られているアクセルの姿があった。どうにかラクアはアクセルの元に間に合ったようだ。しかしその直後、ラクアがバランスを崩し、アクセルに支えられていた。
「バカがっ……! 何故護りに来た!」
「バカは……ないでしょう……。来てなかったら、もろに食らって、貴方今頃……」
そういうラクアの身体には無数の傷が出来ている。アクセルを庇うため無茶をしたのか、何発か貰ったようだ。だが、“新生メロド・メルギス”はまたすぐにアクセルたちに左手を振るう。ラクアを抱えているアクセルは防戦に回り、攻撃をかわすことに専念している。
「姉様っ! た、助けに行かなくちゃ……」
焦る気持ちを抑え立ち上がろうとするララクだが、先ほどの攻撃をほぼ全て受け切った衝撃で足がいかれてしまい、立つことが出来ない。
「ララク、俺が支えてやるのだよ」
そういって緑間がララクの身体を立てるように引き上げた時
「ふっ、ぁ……! 真太郎さん……?」
「コノ力ハ……何ダ?」
“新生メロド・メルギス”が動きを止めた。アクセルも異様な力を感じ取り、横目で緑間たちの方を見て、目を見開いた。
「どうしたのだよ、体が痛むのか?」
ララクが変な声をあげたことを心配したのか、緑間が声をかける。それにララクは勢い良く首を左右に振り
「あ、あの! すごい力が……! 今までに感じたことのない力が、奥底から湧いてくるんです!」
得体のしれない力に動揺していた。
「力? 何か良くないものか?」
「いえ、むしろ心地よいというか……今なら何でも出来そうです!」
どういった理屈でララクに力が溢れているのか、この現場に居合わせている誰一人、理解は出来ていない。それでもアクセルは直感的にこれを勝利の力と感じ、“新生メロド・メルギス”もまた、危機を感じていた。
「ララク、そのままありったけの力を溜めて奴にぶつけろ! その時間は稼いでやる!」
「はい! 真太郎さん、私の足は今うまく力が入らなくて、そのせいで照準が合わせられません。ですからコントロールをお願いします!」
「任せるのだよ!」
緑間はララクの杖を握る手を掴み、“新生メロド・メルギス”に向ける。ララクは奥底から湧き出る力を杖にため込む。力を与えられた杖は金色に輝き、その光はどんどん大きさを増していく。
「ソウハサセン!」
「行かせるか!」
危機を察知した“新生メロド・メルギス”は標準をアクセルからララクに変え、距離を詰めながら左手を大きく天に掲げる。だがアクセルもそれを許すまいとラースフェルドを構え直して切りかかる。その手にラクアは抱きかかえられていない。
「グゥ……! 邪魔ダ!」
タメージを与えることは出来ずとも、気を逸らすことは出来る。槍を双剣に切り替え、アクセルはとにかく手数を増やした。
「チッ……。この化け物が! ぐっ……!」
それでも力量差は歴然。アクセルは遠方へ大きく弾き飛ばされる。“新生メロド・メルギス”は他には目もくれず、ララクに爪を突き刺すように左腕を伸ばす。しかし、その腕はララクに届く数十センチ手前で動きを止めた。
「ララクには、指一本……触れさせないわ」
アクセルに支えられていたのを無理やり脱し、アクセルと別行動をとりララクの援護に回ったラクアがそこにいた。最大級の盾を自身に張り、その身で“新生メロド・メルギス”の左手を受け止めている。
「姉様……!」
「ララク、準備は良い?」
ララクの目の前にいるラクアが、こちらをチラリと見る。そこにはいつもの余裕たっぷりな表情を浮かべた姉の顔があった。
「はい!」
「そのままぶっ放しなさい!」
ラクアの声を合図に、今までために溜めた力を目の前にいるラクアもろとも“新生メロド・メルギス”に打ち放った。
「オオオオオオォォォ…………!」
“新生メロド・メルギス”の断末魔が、空へ吸い込まれていった……。

奴を討ち取った後、ララクと緑間はその場に崩れるように座り込んだ。辺りはどこまでも暗闇が広がり、そんな夜空を照らすように満月が昇っていた。
「本当に……勝っちゃったんですね」
まだ実感が沸ききらないのか、どこかうわ言のようにララクが声を出す。それに同意するように緑間もゆっくりと頷き
「そう……だな」
と一言発した。
「調停者……いや、緑間真太郎。それにララク。よくやった」
声が聞こえたほうに振り替えると、体中傷だらけのラクアを抱かえたアクセルが歩いてきていた。
「本当によくやったわ。貴方たち二人のおかげで、世界は救われた」
「そんなこと……。真太郎さんが、私に力をくれたからです」
「何を言うのだよ。オレは何も……」
結局、あの力は自分の力だったのか、ララクにあれほどの力があったのかが分からない緑間は、協力できたという感覚がなかった。
「それにしても、よくラクアごと撃ち抜こうと思ったものだな」
「それは、姉様の表情を見たからです。絶対に大丈夫って、いつも思わせてくれる表情を見せてもらえたから、躊躇わずに打てたんです」
「流石、私の妹ね」
ラクアに褒められ、エヘヘと照れ臭そうにしている。そんなララクの右腕に少し、切り傷が出来ている。
「ララク、少し見せてみるのだよ」
何を見せればよいのかと考えていると、緑間に右腕を持ち上げられた。その時
「ふぁ……真太郎さん!」
先ほどの力がまた溢れ出し、ララクは慌てる。
「やはり傷が……。先ほどの戦いのときに出来てしまったのだな。痛まないか?」
「い、いえっ! それよりその!」
「どうしたのだよ?」
無論、アクセルもラクアもララクに再び大量の力が沸きあがっているのを感じている。
「緑間さん、ララクにまたすごい力が溢れているの、感じないのかしら」
「むっ、そうなのか? しかし驚いたのだよ。まさかララクにあんな力があるとは……」
「違います違います! 私にあんな力はありません!」
「あれは間違いなく調停者の力だ。真太郎よ、今も使っている自覚はないのか?」
「そんなわけがないのだよ。オレは見てのとおり、何もしていないのだから」
話に夢中で緑間がララクから手を放す。すると……
「あっ……れ? 力が、なくなっちゃいました……」
先ほどまで感じられた力がピタリと、止まった。
「調停者の力って、他者には与えられても自分では使えないとか、そんなバカみたいな話じゃないわよね」
まさかね、と半ば冗談のつもりでラクアは言ったが、アクセルはそれを真に受けたようで
「先ほど奴を討ち取ったとき、どういう状況だった?」
「えっと、緑間さんにコントロールを取ってもらいながら、さっきのすごい力をドカーンと……」
「真太郎、どうコントロールを取った?」
「杖を持っているララクの手首を握って、奴に向けていただけなのだよ」
二人の話を聞き終え、考え込む。
「ねえ緑間さん、本当にララクに力を送ったわけじゃないの?」
「自分の意志でそれをしているのなら、疑問に思っていないのだよ」
「ごもっともで」
せっかく力が使えるようになったのに、自分の意志で使えないのは何ともむず痒い。そんな緑間に、アクセルは一つ提案する。
「自分の意志に反したものだとしてもララクに力を送れるのであれば、俺たちにもできるのではないか?」
「どう送ればいいのだよ?」
「おそらく、先ほどの話と、今目の前で起こったのを推測するに、肌の接触が必要なのではないかと仮説を立てている。早速やってみるぞ」
そういうとアクセルは片腕の肌を晒し、前に突き出す。緑間はひとつ息を吐き、アクセルの腕を握った。
「どうなのだよ」
「…………何も起きないな」
変化はなかった。
「私はどうかしら」
今度はラクアが緑間の空いている手を握る。しかしこちらも何の反応も示さない。
「ダメだな。仮説が間違っていたか?」
分からんな、と困った顔でアクセルがまた頭を悩ませる。それを横目にラクアは……
「それにしても緑間さんの手って大きいのね。これぐらいあればいろいろ便利になるかしら?」
楽しそうに緑間の手をねちねちと弄り回し、遊んでいた。
「止めるのだよ」
「そういわれてもねぇ……。ララクが私に不機嫌そうな顔を見せるのが面白くって」
「何故ララクが不機嫌になるのだよ」
ニィっと笑みを浮かべたその顔は、悪いことを思いついたと言わんばかり。
「そんなの当然じゃない。だぁいすきな彼氏が他の女とべたべた触り合ってイチャついてるのを見て、いい気分になる彼女なんていないわよ。ね、ララク?」
「そそそ、そんなのじゃありません! ただなんだが、胸の奥がチクチクするんです!」
「だからそれを嫉妬しているって言ってるのよ……。いつまでも鈍くちゃ、本当に誰かに取られちゃうわよ?」
「ラクア、話がややこしくなる。今はその辺にしておけ」
アクセルに怒られラクアは渋々といった様子で黙り、緑間から離れララクに近寄る。
「ま、嫉妬したときはいっぱい彼氏に甘えればいいのよ」
そういってラクアはララクを緑間の方へ突き飛ばす。いきなりのことでバランスを崩したララクは、そのまま緑間の胸に飛び込む形で倒れこんだ。
「ふぁっ……。真太郎さん、またですか?」
ラクアに怒ろうとしたララクだったが、また緑間から送られてくる調停者の力にビクリと体を震わせた。
「……アクセルの仮説、結構正しいんじゃないの?」
「ララクだけは使える……ということか」
「私だけ? どうして……」
ほんの少し、調停者の力の謎は解けてきた。調停者、つまり緑間自身には力そのものは感じ取れないこと。そのため本人自身が使うことは出来ない。また、何故かララクにだけは力を送ることが出来る。結果として調停者の力そのものを具現化し、使うことが出来るのはララクだけということ。
「調停者の力を引き出す手伝いをしてあげてほしいと頼みはしたけど、本当に言葉通りになるとはね……」
まさかの結果に、流石のラクアも苦笑。アクセルも煮え切らない感じだ。
「でも私、本当に真太郎さんの力になれるようなことは何も……」
ララク自身、納得が出来ない様子で否定している。そんな時、緑間の頭の中にふと、ある言葉が浮かんだ。
「“調停者の心啓きし者。その者や調停者に有らずして、調停者なり”……」
「それは、私が渡した古い紙に書かれていた言葉ね」
「……そういうことか」
アクセルはピンと来たのか、フッと笑みを浮かべた。
「え、何かわかったのですか?」
「調停者の心啓きし者。調停者と言うのは無論、真太郎のことだ。その心を啓いたのは他の誰でもない、ララク。貴様ということだ」
その言葉にラクアもピンと来たようで、納得の色を浮かべ
「ララクは調停者ではないけれど、緑間さんから絶対的な力を与えてもらえる唯一の存在。つまりそれは、調停者になるのとほぼ同意義」
分からないという顔をしている緑間とララクに分かるよう、説明をした。
「ならば……俺はララクの力になれるということか?」
「なれるなんてものじゃないわよ。この地上界である限り、ララクと共に居れば無敵よ」
力になれると聞き、緑間もどこか嬉しそうに顔を緩める。人だから仕方がないと思っていても、大切な者の力になれないというのは歯がゆいものだ。しかしもう、そうではない。
「だがこれで、調停者の力が凄まじく強い力とかいう、曖昧な言葉でしか受け継がれて来なかった理由にも合点がいく。強大な力なら、本来もっと大量の資料が残っていてもいいはずだ。なのに調べても地上界では最強だの絶対的な力だのとしか出てこなかった。それもそのはずだ。条件が厳しすぎて、そもそも使えた例が数えられる程度あったかどうかなのだろう。挙句、発動条件が心などの不安定なものとなれば、断定が出来なくなる」
そのおかげで随分と苦労したがな。と今までの苦労を思い出し、どこかやり切った表情でアクセルは口を閉じた。
「でもそれって、少し変じゃないですか? 今までの調停者さんたちも、誰かを信頼する心はあったと思うんです。それなら、普通に誰か使えたことぐらい……」
自分が調停者だと気づかなくても、人であればだれかを信用したり、恋をしたりするはずだ。それなら、今までに誰かしら力を使っていてもおかしくない。
「人間同士ではダメということよ。よく考えてもみなさい。人間である緑間さんは、自分が調停者であることも分からず、さらにはララクに力を送っているという自覚すらない。それを感じ取れるのは天使か悪魔。しかも人間があれほどの力を受け取ったところで、どうやって具現化するのよ」
「あっ……、そうですね」
調停者の力を持つのは地上界に住む人間だけ。しかし人間はその力を自身で扱うどころか、存在にすら気づくことはない。それを解消するためには天使か悪魔の力が必要だが、地上界へは基本天使も悪魔も長居はしない。本来関わり合うはずのない種族が出会い、さらに信用し合う……。
「真太郎が調停者であったという奇跡。真太郎とララクが出会うという奇跡。信用を築き上げた奇跡。……まさに、最強の力にふさわしい」
「本当に、信じられないほどの偶然が重なったものね」
その結果、世界を破滅に導く“新生メロド・メルギス”を討ち取ることが出来た。本当に何もかもが、終わったのだ。
「……さて、真太郎を元の場所に送り届けたら、俺は魔界へ帰ることにしよう」
「そうね。もう、そんな時間だわ。私たちも帰るわよ、天界に」
夜空を照らしていた満月は姿を隠しはじめ、新たに空を照らす太陽が、水平線からちらちらと顔を覗かせている。
「はい」
ララクの力強い返事にラクアは意外そうな顔をしている。嫌だのなんだの駄々をこねると思っていたからだ。
「緑間さんも、……いいのね?」
「いいわけがないのだよ。いいわけないが、言っても無駄だということも分かっているのだよ。ララクは頑固者だからな」
「……そうね」
それ以上は、誰も口を開かなかった。アクセルが緑間を連れ、緑間が合宿を行っていた近くの浜辺に下ろす。
「ではな、真太郎。生きていれば、また会うだろう」
「短い間だったが、世話になったのだよ」
「ラクアとララクもな。……どちらが皇女になれど、これからは交流を取りに行く。無論、対等な関係としてな」
「そこはどうなるか分からないけれど、まぁ……尽力するつもりよ」
「私としても、平和が一番だと思います。……命を懸けて、護った世界なのですから」
そう言い残して、アクセルは一足先に飛び去って行った。
「私も行くわ。長居しても別れ辛くなるだけだし。……私は別に未練はないけど、ひとつ言うなら」
「なんなのだよ」
ラクアは一際大きく翼を開き、空に飛び立ちながら
「ララクのこと、きちんと考えてあげて頂戴よ? 私と違って、本物の天使なのだから。皇女になればそう簡単には地上界へ来ることはないでしょう」
そう言い残し、二人の会話が聞こえない位置まで飛びあがった。
「……皇女に選ばれたら、もう来れないのか?」
「長がそう簡単に玉座を開けることは出来ません」
会話が止まる。別れの瞬間が、近づく。
「ララク」
「なんですか?」
「保留の件、覚えているか?」
「保留……?」
何のことだったか覚えていないララクは、オウム返しだ。緑間は、やはり覚えていないかと言わない代わりに、わざと大きなため息を一つ吐き
「私にできることなら何でもすると、約束したのだよ」
「……あっ! 姉様と高尾さんと一緒に帰っていた時ですね。そういえば、保留のままでした」
緑間が無理を言い出すのではないかと、ララクは身構えた。今ここで引き留められたら、確実に揺らいでしまうと、分かっていたから。
「もし、もしまた地上界に降りてこられた時、ララクの気持ちが今と変わらないものなら、またオレの元に……彼女として、会いに来てほしいのだよ」
意表を突かれた言葉だった。今ではなく、未来への言葉。緑間の隣を歩ける場所を残してもらえる、これ以上ない言葉。
「はい! 必ず……、必ず真太郎さんの彼女として、戻ってきます!」
こうして、“新生メロド・メルギス”が世界から消えた日、地上界から天使と悪魔も姿を消した。しかし、地上界は今までと何も変わらず、ただ毎日を消化していく。それは緑間も例外ではなく、ララクがいなくなったからといって生活が大きく変わることはない。毎日、バスケの練習に明け暮れる日々が続いた。ただ、心のどこかが空いたまま……。

そうして夏休みも明け、新学期が始まった。ほとんど練習で体育館には足を運んでいても、教室は久しぶりだ。そこで久しぶりの友人たちと再会する。
「おはよー緑間! 久しぶり!」
「……おはよう」
「おはよう、今学期もよろしくな」
「あぁ、おはようなのだよ」
夏休み前と何も変わっていない、いつものクラスメイトたち。
「おはよう真ちゃん! つってもま、練習で毎日顔を合わせてたけどな」
別のクラスである高尾もひょこっと顔を出す。いつもお昼に集まってお弁当を共に食べたメンバー。しかしそこには、一人足りない。
「そういや緑間、ララクは? てっきり一緒に登校してくるものばかりと思ってたんだけど」
篠菜は、何も知らない。隆二も、朱夏も。……高尾にも、言っていない。
「……体調を崩したそうなのだよ」
「え、それほんと?」
「……今年の夏はとても暑かった」
「夏バテか? ちょい心配だな……」
「ちょっ、真ちゃん! それオレも初耳なんだけど!」
てっきり新学期はみんな集まって、ワイワイと夏休みはどう過ごしたという話に花を咲かせられると思っていたが、ララクが体調を崩していると聞いて皆が心配した。
「見舞いはオレが行っておいた。お前たちは心配しなくていいのだよ」
「えぇー、そういう時だけ彼氏特権使うのなんかずるーい」
「そーだぜ真ちゃん。今日はどうせ始業式ですぐ終わるし部活もねーし、みんなで見舞い行こうぜ」
「あぁそれがいいって。何持っていってあげようか」
「……りんご、とか?」
緑間が行くなと遠回しに言っていることに全く気付いていない様子の面々は、何を持っていくだの必要なものはなんだと話を進めていく。それを見かねた緑間が口を開こうとしたとき、鋭い言葉が飛び出した。
「で、緑間は何で嘘つくの」
「なっ……。嘘など言っていないのだよ!」
「俺たちさ、確かに最初はララクちゃんを中心に集まったメンバーだよ。でも、ここに集まってるメンバーに優劣は付けてない」
「……私にとって、ララクは大事な友達。でもそれと同じぐらい、緑間も大事な友達」
「そーゆーこと。真ちゃんの嘘なんて、オレらには何一つ通らねえって」
ぐうの音も出なかった。元々嘘が得意ではない緑間だが、こうもあっさり見抜かれるとは思っていなかった。
「……仕方がないのだよ。今日の放課後、事情を話す。それまで、待ってくれ」
緑間の力強い瞳に、みながコクリと頷く。こうして、ララクは欠席のまま始業式は始まった。ただ一人、緑間は友達たちにララクのことをどう説明するか? それをずっと考えていた。
時は過ぎ、もともと半日で上がりの学校はすぐに放課後を迎えた。クラスメイトたちは久しぶりに会う友人と、どこへ遊びに行こうか和気あいあいと話しながら一組、また一組とグループを作りながら教室から出ていく。そして緑間たち一行だけが、クラスに残った。
「さて、と。なんであんな嘘をついたのか、教えてもらいましょうか」
最初に篠菜が問う。至極当然の質問だが、今の緑間にとっては最も答えにくい。結局始業式中ずっと考えに考えたが、嘘に嘘を重ねてもすぐにバレる。しかし本当のことを言うのは憚られる。という思考がぐるぐると頭の中を行き来し、どう伝えるべきか、未だに定まらないでいた。
「真ちゃん。黙っててもわかんねーって」
「……ララクに、何かあった?」
朱夏の言葉に、緑間は過剰に反応した。本人は気づいていないようだが、明らかすぎる動揺に篠菜たちも驚きを隠せなかった。……ララクに、何かあったのだ。
「なぁ緑間。俺たちは力になれないようなことか?」
「そうよ。いくら緑間がララクの彼氏だからって、全部背負う必要ない。私たちも友達として全力で……」
篠菜は、最後まで言葉を続けられなかった。他の者たちもかける言葉を失った。緑間の、歯を食いしばり、何かを堪えている表情を前に、言葉が喉を通ることはなかった。時計の針の音だけがやけに響く教室の中、トタトタと廊下を走る音がこの教室に近づいてきた。足音は教室前で止まり、次にガラリと扉が開く音が響く。誰かが忘れ物を取りに来たのだろう。なんて空気の読めないタイミングで……。なんて考えながらも、何故か無性にそれが誰なのかが気になり、緑間は少しだけ顔をあげた。
その瞳にまず映ったのは、綺麗な空色をした長い髪の毛だった。それがフワリと舞い、自分に近づいてくるのが分かった。
「そんな……まさか、ありえないのだよ」
緑間の震えた声。それに釣られるようにみんなも顔をあげ、教室に入ってきた人物を見て、嬉しそうな顔色に変わった。
「……授業、遅刻どころか欠席になっちゃいました」
「ララク! あんた何やってんのよ!」
「……久しぶり。元気にしてた?」
「よ、ララクちゃん! 全く、心配させてくれちゃって」
「ララクちゃんひっさしぶり! 夏休みの合宿最後、急に帰っちゃって心配してたんだぜ?」
「あの時は本当ごめんなさい。どうしても帰らないといけない用事が出来てしまって……。皆さん、本当にお久しぶりです!」
そこには夏休み前と何も変わらない、ララクの姿があった。
「ララク! 何故ここに……! いや、今はそんなことはどうでも良い!」
「し、真太郎さん! く、苦しっ……みんなが見てますっ……!」
弾けたように立ち上がった緑間に、皆の前で今までにないほどの力で抱きしめられ、苦しさ半分恥ずかしさ半分でララクが訴える。それでも、緑間の力は緩まない。
「本当に……本当に良かった……。あの後、何度も後悔した。引き留めればよかったと、何度も……!」
「真太郎さん……。私も……寂しかったです。でももう、離れません」
最初は恥ずかしがっていたララクも、緑間の気持ちに応えるように小さな体で一生懸命、緑間に抱き着いた。しばらくして落ち着いたのか、緑間とララクは恥ずかしそうに体を離す。それを確認した篠菜は、改めて口を開く。
「別に目の前でラブラブしてもらおうがイチャイチャしてもらおうが構わないよ? でもさ、さっぱり状況が掴めないんだけど」
全てのことを知っている緑間にとって、ララクとの再会はこれ以上にない喜びだ。しかし、篠菜はおろか、高尾すらララクがいなくなったことを知らない。ここにいる面々からすれば、たかだが夏休み中会えなかったぐらいでここまで何を大げさに騒いでいるのかといった感じだ。
「真太郎さん、もしかして何も……?」
「そう簡単に話せることではないのだよ」
ララクはてっきり、全てのことを説明していると思っていたため、まさか何一つ話されていないことに驚いた。しかしそれは、自分のことを案じてのものなのだと感じ、同時に嬉しくもあった。
「緑間って、そういうとこは無駄に律儀だよね」
「無駄とはなんだ、無駄とは! ……アンカルジアも、久しぶりなのだよ」
「挨拶が遅いわよ! どーせアタシはララクのおまけですよーだ。……久しぶり」
ちょこんとララクの肩に座り髪の毛をかき分け、アンカルジアもみんなに顔を出す。
「アンカルジアも元気そうで何よりね! さ、夏休みの間に何があったのか聞かせてよ」
篠菜の言葉にコクリとララクは頷き、チラリと緑間の方を見やる。その視線の意味を察した緑間は、何を言うわけでもなく、目を瞑った。それを了承の合図と悟ったララクは
「今まで隠していてごめんなさい。実は私……、人間ではなく、天使なのです」
自分の正体を明かした。
「うん」
「えっ? あっと……その、驚かないんですか?」
しかし、まさかの二つ返事にララクが驚いている。
「ごめんな。俺と篠菜も黙ってたことなんだけど。実はさ、その……天使を一度見たことあるんだ」
「な、なんだとっ!?」
「そうなのですか!?」
これにはむしろ、緑間とララクが驚愕していた。
「……それは、私も初耳。後、ララクが天使っていうの、なんとなく分かる。雰囲気とかがどことなく、人に近いけどどこか違う感じ。それに、妖精を連れているっていうのがとっても不思議だったから、むしろ納得がいく」
「マジかよ……。本気で驚いてるの、もしかしてオレだけ?」
ララクの正体を聞いて純粋に驚いているのは高尾だけ。朱夏は別にといった様子で、篠菜と隆二に関してはむしろ知ってたという顔だ。
「あたしと隆二が小学生の時に二人で帰り道を歩いてた時にさ、本当偶然に空から白い翼の生えた人が下りてきたの。その時はあたし、情けないけど怖くて泣いちゃって。でも、隆二があたしを天使から庇うように守ってくれたんだ。……ま、結局何にも悪い人じゃないどころか、めちゃくちゃ優しいお兄さんだったんだけどね」
「そんなことが……」
「誰に話したって信じてもらえないし、結局あたしと隆二、二人の秘密ってことになったんだけど。こうして本物の天使がいるって宣言してもらえると、あの時のことも嘘じゃなかったんだって、ちょっと嬉しいよ」
少し照れくさそうに昔話をしながら、篠菜はニッと笑った。
「そうだったんですね。私ももっと早くに皆さんに伝えるべきだったのに、遅くなってしまってごめんなさい」
「いいって! こういうのって、伝えようと思うとすごく勇気がいるじゃん。あたしだって言わずに済むならきっと言わないだろうし。気に病むことじゃないよ」
「ありがとう、ございます。本当に皆さんと友達になれて良かった……」
「あーもうホラホラ、すぐ泣かない! 緑間、なんとかララクの涙を止めて」
「何故そこでオレに振るのだよ!」
「ふふっ……もう、すぐ笑わせないでください」
「……泣いたり笑ったり忙しそう」
夏休み前と、何も変わらない。ララクの、かけがえのない場所。
「それで、話を戻すけどさ。その天使ってことが、その……さっきの一連とどう関係があるんだ?」
「あっ、すみません。話がそれてしまって……。えっとですね、私たち天使は天界という別の世界に住んでいます」
「ははぁ……。それで天界に帰らなきゃいけなくなったと」
「その通りです」
「それで緑間と別れるのが辛くて、久しぶりの再会に先ほどのラブラブっぷりを見せつけてくれたと」
「うっ……は、い……」
今思い出しても顔から火が出るほど恥ずかしいことを、みんなの前でしたのだ。しばらくはいいように弄ばれるだろう。
「むっ、そうだララク。何故帰ってこれたのだよ? 皇女はどうなったのだ」
「あっ……そのぅ……」
緑間も、これだけ早く再開が出来ると分かっていればあそこまで取り乱しはしなかったはずだ。しかし、あの時は皇女に選ばれればもう地上界へ降り立つことは出来ないと言われた。そしてアクセルはラクアではなく、ララクが皇女に選ばれると言っていた。だからもう、会えないと……。
「……皇女って、どういうこと?」
「ララクは、天使の中でも天界を治める王族の血を引いているのだよ」
「それってつまり、お姫様ってことか?」
「そうだ」
「ブハッ! それマジ? ララクちゃんめちゃ偉いじゃん!」
天使の中でもトップの人物と聞いて、高尾はもう驚きを通り越して笑っている。王族であるということには、流石の篠菜たちもどうしたものかと少し困っていた。
「落ちたのよ。私も……ララクもね」
教室の扉側から、聞いたことのある声が耳に届く。振り返ればそこにはラクアが立っていた。
「姉様! どうしてここに?」
「貴女への忘れ物を届けに来たのと、魔界へ行ってアクセルと交渉するようにって皇女様に言われちゃったから、お仕事よ」
カツカツと足音を軽快に鳴らしながらララクに近寄り、懐から手紙を一枚手渡す。
「あっ、それは……! ありがとうございます!」
「おっちょこちょいなのは相変わらずね。ララクも一応皇女様の従者になったのだから、しっかりして頂戴ね。……まぁ、もっともあまり関係ないでしょうけど。その紙はなくしてはダメよ? それがなくては、緑間さんの傍にいられないのだから。……挨拶が遅れたわね、みなさんお久しぶり。その様子だと、私たちの正体は聞いたのかしら?」
「ラクアさんお久しぶりです! まぁそんなところです」
「……お久しぶりです」
「相変わらず勘が鋭いっすね。……ってことは、ラクアさんも天使ってことか」
「そうなのだけど、私の説明までし始めると日が暮れそうだからまた追々ね。それで緑間さんは、私もララクも皇女から落選してどうなっているのかさっぱり頭がついていっていない状態かしら?」
「……その通りなのだよ」
「口下手のララクに変わって、私が手短に話してあげるわ」
「お願いします……」
説明役をララクからラクアへバトンタッチし、話が進み始める。

ララクとラクアが天界へ帰ったのは、皇女が決まって3日後だった。一年間行われるはずの試験を二人ともが半年以上放棄。いくら代々皇女としての血を引きづいていても、許される行為ではなかった。それが例え、どんな事情があったとしてもだ。結果、二人とも落選。14代目には新たな血筋の者が皇女の座に着いた。その日をもって、ルルアノ・パトリエという名は力を持たなくなった。ララクもラクアも、もうただの天使の一人でしかない。しかし、それでもいきなり地位を下げれば何が起こるか分からないし、事実として二人が力を持っているのは妖精とともにいることが何よりの証明であった。結果、二人は14代目皇女の従者という地位に着き、皇女からの命令を日々こなしていた。皇女の従者になってから数週間が立ったある日、ララクにある命令が下された。
「地上界に存在するとされる調停者、緑間真太郎を監視せよ。期限は未定。報告も必要だと感じた時にするだけでよい」というものだった。

「とまぁ、これがこの数週間の経緯なんだけど、何か疑問はあるかしら?」
「いやいや、ありすぎっしょ! まず調停者って何よ!」
「人間からすれば変わらず平等に同じ人間だから、深く考えなくていいわよ」
「いくらなんでも虫が良すぎるのだよ! 何故そんな命令を下す? しかもピンポイントに、ララクにだ。こんなもの、どう捉えてもまるで……」
まるで緑間とララクの関係を知っているみたいと言いかけ、言葉を詰まらせた。
「いい反応ね。流石緑間さん、頭の回転が速いと話が早くて助かるわ。まず、何故そんなにもララクと緑間さんのことに詳しいのか?」
ラクアの視線を感じ、ララクも観念したように話し出す。
「今の皇女様……14代目はその、私たちの元従者だった方なのです。ですので、その……ほとんど小さい頃から苦楽を共にした仲でして、隠し事とか全然できなくて……」
「ぜーんぶ今の皇女様に地上界であったことを話したら、緑間さんとララクの仲を不憫に思った皇女様が、こうして貴方たち二人を共に居られるよう、こんな命令をでっち上げてくれたんじゃない。本当、感謝しなさいよ」
この事実を知って、つくづくまわりの者たちに支えられているとララクは痛感した。上手く言葉が出ないほどに、温かい気持ちで満たされる。
「なんか……あたしたちの知らないところでいろんな大きなことがあったみたいだけどさ。とりあえず、これからもずっとララクと友達でいていいってことよね?」
「そういうことね。……危なっかしい妹だけど、よろしくお願いするわ」
「……任せてください」
「大丈夫だって! オレに、真ちゃんもついてっからさ!」
「ラクアさんもですよ」
「ありがとう。ただ私はこれからララクの分まで働かされるだろうから、しばらくは忙しくて顔を出せそうにないのよね。……もう、行かないと」
時計を確認し、ラクアは踵を返し教室から出ていこうとする。
「姉様! あの、本当にありがとうございます! 何かあったら呼んでください!」
「何かないようにするわ。緑間さんとお幸せに」
「ラクア。皇女様に、調停者が感謝していると、伝えてほしいのだよ」
「調停者じゃなく、緑間真太郎が感謝をしていたと伝えるわ。……それじゃあね」
「ラクアさん、また遊びに来てねー!」
ラクアは最後振り返ることなく左手を軽く上げ、教室から姿を消した。
「ま、なんつーか怒涛の展開にちょっとついていけてねーけど……。ララクちゃんはこれからも、ここにいるってことだし? 今まで通りでいいってことだよな?」
「はい! 今まで通り、接してください!」
「うっし! 話もまとまったし、帰りますか!」
篠菜の掛け声を合図に、教室から一人ずつ出ていく。
「ララク」
緑間が、ララクと二人きりになったのを見て声をかける。
「どうしましたか?」
篠菜たちの後を追う足を止め、緑間と向き合う。
「あの日の約束、覚えているか?」
「……もちろんです。忘れるわけがありません」
どちらから歩み出したのかは分からないが、二人の距離が詰まる。
「ララク。オレの彼女として……これからも共に、隣を歩いてくれるか?」
「はい。真太郎さんの彼女として、傍にいさせてください」
緑間が腰を低くする。ララクは一生懸命背を伸ばす。二人の唇が、軽く触れあう。
もう……二人を引き裂くものは、何もない。

The End